■内容■
「恋愛で燃焼し、結婚で子孫と資産獲得、でも離婚は不可能」というのが、16-17世紀のヨーロッパの男女の愛についての考え方でした。結婚は、燃焼する恋愛とはあくまで別物で、子孫を残すための仕組みでした。恋愛と結婚は別目的なので、夫婦互いにわかり合う結婚愛というのは、この頃にはまだ受け入れがたかったのです。また離婚が不可能だったのは、神が夫婦として結びつけたものを、人為的に切り離すことはできないからでした。性格が不一致だから離婚などというのは、問題外でした。とはいえ、産褥などで妻は早死にしてくれるので、離婚をせずに再婚ができました。
このように16-17世紀の男女感覚は、今の私たちの感覚とずいぶんと異なっています。現在の感覚は、過去の感覚のフィルターを通してみると、普遍的にまともだとはいえないことになります。恋愛と結婚、そして離婚も、記録に残されているだけでも三千年前もの昔から、人間が経験してきたことですが、これらは時代と共にその捉え方が異なっているのです。
各回、一枚の絵画を中心として、その絵とテーマが関連する他の作品をとりあげて、時間と空間を横断・縦断しながら、皆さんと共に、恋愛・結婚・離婚について考えていきます。恋愛・結婚・離婚の見方について、受講してためになるのではなく、参加してためになる、そういう雰囲気のなかで皆さんと共に講座を進めていきます。
■予定■(2012-13年)
《燃える恋愛》
フェルメール「バ―ジナルを弾く女性」:ただ一人への愛?
ルーベンス「ヘーローとレーアンデル」:後追い自殺という燃焼
ティツィアーノ「ヴィーナスとアドーニス」:片思いの喜び
ブルーマールト「アモルとプシューケーの結婚」:隠れる夫と心の成長
《結婚の明暗》
ボッティチェリ「ヴィーナス誕生」:花嫁の心得と結婚神ヴィーナス
ボッティチェリ「春」:肉体的愛から神的愛へ
ルーベンス「パリスの審判」:恋人、愛人、妻
ラファエッロ「聖母の結婚」:膨張する母性、消される夫性
ジョージ・ガウワー「エリザベスⅠ世の肖像」:処女と政略結婚
ファン・ダイク「チャールズI世と家族の肖像」:異なる宗旨の不幸
《離婚の幸・不幸》
ホルバイン「ヘンリー八世の肖像」:離婚できなかった王と毒殺された女王
レンブラント「眼をつぶされるサムソン」:妻の裏切り?
200字意見文問題(毎回更新) 200字意見文原稿用紙
■第1回 フェルメール「バ―ジナルを弾く女性」:ただ一人への愛
■スライドファイル ■配布資料
●この絵はフェルメール「バ―ジナルを弾く女性」(1670年頃)です。この絵の中には三枚の絵(画中画)がありますが、中央の絵に描かれているのは、愛の神アモルです。この神が左手に持っているのは何でしょうか。そこにはある文字が実は書かれていました。この文字がわかると、この絵はたんに女性がバージナル(ハープシコードの一種で女性が弾く楽器)を弾いている姿を描いているのではないことがわかります。
注: 三枚の絵(画中画)の他に、実は20枚ほどの絵付きタイルがあります。壁と床が接する場面を見て下さい。これらが、フェルメールの故郷であり、生涯の大半を過ごしたデルフトがその名を知らしめたデルフト・タイルです。
下の図絵が上の絵を解く鍵になります。
オットー・ファン・フィーン『愛の神アモルたちのエンブレム』(1604年)
受講生からの質問
(1)ヴァージナルの語源は処女(ヴァージン)と関係があるのか。あるとすれば、この楽器を弾く女性は処女だったということを象徴しているのか。
回答:
語源は不明です。「おそらくは、この楽器の奏者が女性であること、あるいは可能性としては、若い女性の声を思わせる音色であることに由来していることも考えられる」(オックスフォード音楽中辞典 原文下記参照)。
ヴァージナルという名称は、virgoというラテン語を間違いなく連想させますが、このラテン語は「若い女性」の意味で、若い女性であるなら結婚している女性にも使われます。それは、下記のモーレナールの「ヴァージナルを弾く女性」が若い主婦であることをみれば、はっきりとわかります。したがって、楽器ヴァージナルは性的交わりを持っていない処女を象徴するとは考えにくいと思います。
"Origin of name obscure, but probably comes from instrument's association
with female performers or possibly from its tone (like a young girl's voice)."
Oxford Concise Dictionary of Music
(2) 画中の女性は、ヴァージナルが弾ける高級娼婦とは考えられないか。フェルメールには娼婦[たとえば「取り持ち女」1656年]の絵があるが、この種の絵は誰が依頼し、どこに飾られていたのか。
回答:
17世紀のオランダ風俗画では、中流以上の女性は、背筋が真っ直ぐに伸びて姿勢がすっきりとしている姿で描かれることがほとんどだといってもよいほどです。たとえば、ファン・フィーンに登場する女性にしても、モーレナールの「ヴァージナルを弾く女性」にしても、姿勢がよいことがわかります。 フェルメールのこの女性も背筋が伸びています。
またモーレナールの絵から、中産階級の家庭の室内の雰囲気が伝わってきます。子供が二人いるにもかかわらず、室内が落ち着いています。その理由を一言であらわせば<整理整頓>ということになります。オランダ人の潔癖さは、親戚関係にあるといってよいイギリス人をもびっくりさせるほどのものでした。フェルメールのこの絵の室内も、陽光に照らされても汚れが見えないほど清潔で整っています。
もっともここのフェルメールの女性は華美な装いだと思うかもしれません。17世紀も半ばを過ぎると、禁欲で厳格なカルヴァン主義の統制も緩みだし、中産階級以上の女性は、好みの衣装をまとうようになりました。
したがってこの絵の女性が娼婦というのは考えにくいのではないでしょうか。もっとも娼婦のなかでも「高級」なら話が別かもしれません。それを裏付けるためには、依頼主の名、この絵が飾られた場所などがわかればよいのですが、多くのオランダ絵画と同様に(そして多くのイタリア絵画とは違って)、そうしたことはわかっていません。この絵は、競売で誰に売られたかということだけがわかっています。絵画の来歴(provenanceといいます)が不明な以上、中流家庭の女性像と推測するのが穏当だと思います。
ファン・フィーン『愛の神アモルたちのエンブレム』(1604年)
モーレナールの「ヴァージナルを弾く女性」(1620年)
●「ヴァージナルを弾く女性」の来歴
- (?) Diego Duarte, Antwerp (1682, sold before 1691), or (?) Dissius sale, Amsterdam, 16 May 1696, no. 37, or (?) Nicolaes van Assendelft, Delft (before 1692) and widow Van Assendelft, Delft (1711);
- (?) sale, Amsterdam, 1714, possibly no. 12;
- Jan Danser Nijman sale, Amsterdam, 16 August 1797, no. 169 (to Bergh);
- (?) Edward Solly, Berlin and London, before 1844;
- Edward William Lake sale, London, 11 July 1845, no. 5 (to Farrer);
- J.T. Thom sale, London, 2 May 1855, no. 22 (to Grey);
- Thoré-Bürger (Etienne Joseph Théophile Thoré), Paris (before 1866-d.1869);
- Paul Lacroix, Paris (1869-1884, inherited from Thoré-Bürger);
- widow Lacroix, Paris (1884-1892);
- Thoré-Bürger sale, Paris, 5 December 1892, no. 20 (to Bourgeois Frères, Paris, and/or Lawrie & Co., London);
- purchased in 1892 by The National Gallery, London (inv. 1383).
出典:
http://www.essentialvermeer.com/catalogue/lady_standing_at_a_virginal.html
講義後のメッセージ
フェルメールの絵に隠れている様々なメッセージを知って驚きの声があちこちからあがりました。下記サイトに入ると、その驚きはますますふくれあがります。
http://www.essentialvermeer.com/vermeer_painting_part_one.html
■第2回 ルーベンス「ヘーローとレーアンデル」: 後追い自殺という燃焼
■スライドファイル ■配布資料
■今回は、愛する人が死んでしまったために、後追い自殺をするというケースです。

●ルーベンス「へーローとレアンドロス」(1605年頃)。画面全体が暗く、光の当たった中央部分が死んだ魚のように輝いています。この魚ような人物こそ、溺死してしまったレアンドロスです。画面の右側には、深紅のマントを羽織り、黒衣をまとったへーローが、レアンドロス目がけて飛び込んでいます。
■第3回 ティツィアーノ「ウェヌスとアドーニス」:片思いと笑い
■スライドファイル(正規版 2012年11月10日)
配付資料 ※スライドファイルと重複するので、今回からありません。
■今回は、愛の女神ウェヌスが、愛する男性が自分の忠告を振り切って行ってしまい、男性が死ぬというケースです。

●ティツィアーノ「ウェヌス女神とアド―ニス」 1560年プラド美術館蔵 狩りに行こうとするアドーニスを女神ウェヌスが引き留めようとしています。
●なおこの絵(プラド美術館蔵)が画集などに採録されていますが、実はこれは二作目で、原作は個人蔵の下記のものが一作目となっています。プラド美術館蔵と個人蔵は、まるで間違い探しの二枚の絵のように、いろいろな点(たとえばアモルやアドーニスの履く靴)が異なっています。
受講生からの質問
(1)影とアニマ・アニムスはどのように違うのか、きちんとした定義付けはできないのか。
回答:
できません。ユングは、フロイドとは異なって、自分が用いる用語について言葉を用いて囲い込み、それを他の人に伝達するという従来の学問的なやり方を意図的に避けようとします。それにかわって、夢や神話などを用いてイメージで伝えようとします。それは、イメージにこそ生命力が宿り、この生命力を欠いた知識は二次的なものだと信じていたからです。
なおこの点については、河合隼雄の指摘が参考になります。
「夢に現われでる人物像を、夢を見た人と同性のものを「影」と呼び、異性のものを、「アニマ」(男性の夢の中の女性像)「アニムス」(女性の夢の中の男性像)と呼んで、「影との出会いが『弟子の仕事』とするならば、アニマとの出会いは『師匠の仕事』である」と述べている点をみると、影はもちろん無意識そのものなどではないと思われるし、アニマの問題に比べれば、比較的「容易な」ことなのかとも思われる。しかし、また他のところで彼[ユング]は、「少しの自己批判力をもって、人は影を―その性質が個人的なものであるかぎり―-見とおすことができる。しかし、影が元型として現われるときは、アニマやアニムスの場合と同様の困難に出会うものだ。」と述べているのである。このような彼の言葉を断片的に見ていると、ユング白身も用語の使用に混乱をきたしているとさえ感じられる。」(『影の現象学』)
(2)影やアニマ・アニムスの存在に気づき、それらを心の中に取り込んでいくことは、肉体的にも精神的に大きな苦労をともなうので、損ではないか。
回答:
まず影とのかかわりについては、エドガー・アラン・ポー『ウィリアム・ウィルソン』、ドストエフスキー『二重人格』などがあります。こうした作品は、自分自身の中に潜むもう一人の自分の存在を浮き彫りにするだけではなく、自分とは一体何なのかという問題を突きつけます。こういう問題をいくら考えても、貯金通帳の額が増えるわけでも、新車が買えるわけでも、グルメができるようになるわけではありませんが、この問題意識をもっているだけでも、今の貯金額に満足し、足があることの喜びを感じ、一噛み一噛みを味わえるような人間へと「変身」する準備になるはずです。
西丸四方『痛める心の記録』について、河合隼雄は次のように述べています。「十五歳の少年が自分で「影」と呼んでいる彼の分身が、勝手に行動したり、またその影に自分が動かされロボットのように行動したりする体験が報告される。そのなかで印象的なのは、「ぼくは本当はなんなのか」、「ぼくとは何か、人とは何か」という疑問が再々提出されることである。」(『影の現象学』)。
こういう問いを発することが、どれほど<利益>になるかは、村上春樹の言葉が参考になります。この言葉の中の「主義主張」を常識、「物語」を問いと置き換えて読んでみて下さい。
「僕が今、一番恐ろしいと思うのは特定の主義主張による『精神的な囲い込み』のようなものです。多くの人は枠組みが必要で、それがなくなってしまうと耐えられない。…い…ろんな檻というか囲い込みがあって、そこに入ってしまうと下手すると抜けられなくなる。…「物語というのは、そういう『精神的な囲い込み』に対抗するものでなくてはいけない。目に見えることじゃないから難しいけど、いい物語は人の心を深く広くする。深く広い心というのは狭いところには入りたがらないものなんです.」(毎日新聞インタビュー,
2008年5月12日)
(3)フロイドの個体化とユング心理学による個体化とはどう違うのか。
■ 第4回ブルーマールト「アモルとプシューケーの結婚」:隠れる夫と心の成長
■スライドファイル(大学院生向け)
ブラウザーによってはエラーメッセージが出ますが、メッセージのまま放置すると1分後に画面に読みこます。
■スライドファイル(一般向け)

●天界で神々に囲まれながら結婚するアモル神と王女プシューケーの宴の場面です。画面中央にいるプシューケーと焦点が二分するような形で、アモル神の母ウェヌス女神が裸体をこちら側に向けています。
受講生からの質問
(1) 母性や父性といった截然とした分け方の根拠はあるのか。あるとすればそればどのような心性に基づいているのか。
回答:
西洋人の心性には、二項対立とその対立の両極の中で揺れ動くことに、止めどもない快楽を感じるところがあります。
たとえばアルベローニ(イタリアの社会学者・心理学者)は愛については次のように述べています。
西欧人がえてして二項に裁断しそのどちらかの選択という心の構えをもっているのにたいして、アジア人の心性は
■第5回 ボッティチェリ「ヴィーナス誕生」:花嫁の心得と結婚神ヴィーナス
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スライドファイル(大学院生向け)
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スライドファイル(一般向け)

■画面左にいる、翼を使って空を飛ぶ人物は、西風の擬人化と考えられています。ところでこの翼ですが、体のどこに位置についているのでしょうか。
下記の版画から類推してみてください。

パッセ・父(1590-1637)「北風」
■第6回 ボッティチェッリ「春」:肉体的愛から神的愛へ?
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スライドファイル(一般向け)

■画面一番左にいる人物は、メルクリウス神です。下記のラファエッロの絵にあるように、花嫁と深い関係のある神です。ボッティチェッリのこの絵にも、花嫁への心得が描かれていることがわかってきました。
ラファエッロ「プシュケーをオリュンプス山に連れて行くメルクリウス神」
受講生からの質問
(1)「春」がロレンツォ豪華王の又従兄弟にあたるロレンツオ・ディ・ピエルフランチエスコ(1463-1503)の結婚のために描かれたとすると、この絵は又従兄弟ロレンツォが何歳のときのこととなるか。
回答:
1482年で、19歳です。これはルネッサンス期の初婚の年齢としてはほんの少し遅めです。なおこの絵には制作年は記載されていませんが、画集などで制作年が1482年となっているのは、この結婚を根拠にした推定年です。
■第7回ルーカス・クラナハ「パリスの審判」:力ある妻と誤った選択の報い
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スライドファイル(一般向け)
お詫び:今回は、「ルーベンス「パリスの審判」:恋人、愛人、妻」と題する予定でしたが、クラナハの作品を中心に妻の役割を考えます。

■第8回ラファエッロ「聖母の結婚」:ロマンチック愛との隔たり
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スライドファイル(一般向け)
■ラファエッロの師ペルジーノの絵画では、ヨセフは壮年ではなく老人として描かれています。

200字意見文問題
「中絶は殺人であるという説によって守られるのは、胎児の生命だけである」という意見があります。あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。次の条件にしたがって書きなさい。
条件
1. 文字数は160字以上、200字以内とすること。
2. 2段落で構成すること。書き出しや段落の始まりは、1字下げて書くこと。
3. 段落の内容は次のようにすること。
第1段落 このテーマについて「賛成」か「反対」か、を書くこと。
第2段落 その理由や、理由のもとになった事実や経験を書くこと。
4. 理由は次の形式のどちらかを使って書くこと。
形式1「なぜなら~だからだ。」
形式2「理由は2つある。1つは~だからだ。もう1つは~だからだ。」
参照
「それ[<中絶=殺人>説]で守られるのは、個人の尊厳ではなく、胎児の生命でもなく、前近代的な性の管理体制だけだったりすることも事実。政治的に利用されたときには、「死ぬぞ」という「肉体脅しキャンペーン」にも勝る、「殺しだぞ」という「精神脅しキャンペーン」として機能することになる。」
斎藤美奈子『妊娠小説』(ちくま文庫 1997年)
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■第9回アイザック・オリヴァー「虹のエリザベス一世肖像画」 :神聖な処女王の統治
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スライドファイル(一般向け)
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問い
1 女王は何歳か?
2 右手に何を持っているか?
3 蛇はどこにいるか?
4 眼と耳はどこにあるか? 5 手袋はどこにあるか?
アイザック・オリヴァー
「虹のエリザベス一世肖像画」
1600年頃
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ジョージ・ガウワー
「篩をもつエリザベス一世肖像画」
1579年
■第9回ファン・ダイク「チャールズI世と家族の肖像」:親密さの誕生
3月22日(金)
15:15~18:15
[3時間] |
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スライドファイル 本編(一般向け)
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スライドファイル 付属編(一般向け)
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問い
1 男性が国王であることは示すものは何か?
2 植物の紋章はどこにあるか?
3 男性の背後の柱は実物か?
4 男性の背後の建物は何か?
5 女性は誰を見つめているか?
ファン・ダイク「チャールズ一世と女王ヘンリエッタ・マライア」 1632年頃
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200字意見文問題
「信頼を得るためには相手に心を開くことが不可欠」という意見があります。あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。
参照
「伝統的な社会では、友人関係を支えるも のは、名誉や忠誠心であったが、近代社会(特に後期近代社会)では、親愛感情 や思いやりなどの「親密さ」が重要性を持ってくるようになる。もちろん、近代 以前の同士愛的な関係性や共同体的な関係性にも情緒的な親密さはともなってい たが、近代社会では親密さが人格的な信頼を維持するための条件になっていき、 信頼を得て行くために、《相手に心を開くこと》が要請されていくようになる」。
桶川泰「親密性・親密圏をめぐる定義の検討」(鶴山論叢 2011年)
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■第10回ホルバイン「ヘンリー八世の肖像」:離婚できなかった王たちとできた王
3月29日(金)14:30~17:30 [3時間]
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スライドファイル(一般向け)
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問い
1 これらの人物は誰か?
2 画中のなかのどこに文字が書かれているか?
3 前面に立つ男性の男性らしさを示すものは何か?
4 これらの人物は、1537年に生存していたか?
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レミギウス・ファン・リームプト1667年(ホルバイン[1537年]模写)
作者不詳「ヘンリー八世」 (ホルバイン原作)1540年