16-7世紀のヨーロッパ・エンブレムと江戸時代の判じ絵の比較

 

1.     図像によるメッセージ伝達

 情報は、できるだけ正確にそして可能なかぎり短い形にして伝えることがよいというのが、現代の我々の常識である。曖昧でどのようにでも意味がとれる玉虫色のメッセージは嫌われ、饒舌や冗長は受け手から時間をいたずらに奪う纂奪者とみなされる。情報伝達の明瞭と簡潔さは、情報発信者の有能さをはかる尺度にまでなっている。しかし、この我々の常識を、歴史の流れによって左右されない普遍的な現象だと断言するのは誤っている。なぜなら、16-7世紀において流行したヨーロッパ・エンブレムと江戸時代の判じ絵(遊び絵)とは、明瞭さに代わって韜晦を重んじ、簡潔さではなく冗長を好み、そして情報受信者がいらだつことに喜びを感じる−−そういう情報伝達メディアだったからである。

 

2.     エンブレムのディナミズム

 では、エンブレムと判じ絵とはいったいどのようなものなのであろうか。まずエンブレムから見ることにしよう。エンブレムとは、図1のようなもので、モットー、図絵、解説詩の三つの要素で一セットになっている。これら三つの要素は、それぞれの部分を切り離してみればたしかに静態的な実体ないしは項である。しかし、この三つが一セットとなることによって、一つ一つの要素は、互いに関係を及ぼしあう作用態としてダイナミックな機能をもつことになる。

 図絵の本来の役割は、可視世界の事物を造形化することにある。ところがエンブレムでは、図絵によって伝えたい内容がモットーとして文字の形で与えられている。そのために、図絵がどのような経路をへて、モットーがいわんとする意味に到達するのかを読み解くことが、読者に要求される。読者は、図絵のなかでなにがモットーの意味内容に到達するために関係し、図絵のうちのどこがモットーと無関係で不必要な部分かを見極めなくてはならない。図絵中の有徴/無徴部分を見極める作業は、もちろん一瞬のうちに成し遂げられるのではない。モットーという中心になんども帰りながら図絵のなかの関連部分と不要部分を決めていかなくてはならないからだ。モットーと図絵とのあいだのこの往還運動は、図絵のなかの関連部分/不要部分、有徴/無徴をいくども変えることになる。

 このような運動を読者が行うのは、図絵のなかに再現されたひとつひとつの事物や動きに、読者が抽象的な観念を見つけなくてはならないからである。図絵は象徴化されるのだ。象徴化は、事物を相手の目の前に描いて見せるという図絵本来の現前化レベルを越えている。象徴化された図絵にあって大切なことがある。図絵中の事物などの象徴的な意味内容の広がりは、伝統的な慣習によってある程度まで制約を受けている。とはいえ、事物と象徴的意味とはけっして一対一対応ではない。事物は複数の意味を取りうるので、一対他の照応になっている。図絵をモットーに引きつけて考えるとき、事物がもっている複数の象徴的意味からどれを拾い上げ、なにを捨てるかという選択を迫られる。そしてその選択にすぐ引き続いて、取捨選択された個々の象徴的意味を、どのようにつなぎあわせどう組み立てていくかという問題がある。モットーという中心にたってみれば、過剰な象徴的意味の複合体である図絵は、その中心めがけて地と図の反転を繰り返し、象徴的意味の選択と構築へと進み、最終的にはモットーが伝える高次の象徴的意味のなかに固定化される。それ自体では迷走してしまう図絵は、反転・選択・構築によって錯乱から救われ、超越的・絶対的な中心項に落ち着く。

 ここで見落としてはならないのは、モットーは中心として優越をもつかのようにみえて、その優越を裏切るかのように図絵の水準にまで滑り落ちていくことである。発話を模写する文字言語の関係に似て、図絵はモットーというオリジナルを別な表現手段によってコピーする働きしかしていないようにみえる。その働きは主人と奴隷の関係にあって、モットーは不動の中心であるかのように振る舞ってみえる。ところが、図絵がなぜモットーの意味を担っているかが解読され、両者の結びつきが確定すると、奴隷であったはずの図絵が自らの表現領域に主人のモットーを囲いこむことが起こってくる。なぜなら、この二つは連結され、モットーはこのような形で視覚化されるという固定観念ができあがるからである。

 

3.     韜晦の判じ絵と正名の摺物

 このようなエンブレムとは逆方向の運動体が、江戸時代の判じ絵(遊び絵−−図2、図3)である。これらの図からもすぐにわかるように、判じ絵は、図絵の固定観念を利用して、不動であるかのようにみえる図絵と文字の結びつきに楔を打ち込み、その結びつきを恣意的なものへと解体していく。もう少し正確にいえば、判じ絵は、アルファベットのような表音文字にはない漢字・かなという象形文字がもっている記号にして形態(図)でもあるという独特の二重性を巧みに使っている。そもそも、文字を書かれたものとして伝達に用いられるとき、文字は伝達内容を正確に写し取る補助手段である。そこでは、一つ一つの文字がもっている形態(図)は背後に退き、文字が記号として指し示す伝達内容が前面にある。判じ絵はこの関係を逆転させ、形態に注意を集中させることによって、伝達内容を読み取らせるという作業を課する。ここでは、いわば形態が記号性を侵略しスムーズな意味内容伝達をはばむので、精神的圧迫感がある。そして、意味内容が解読されたとき、圧迫感のヴォルテージが高かった分だけ、読者は謎から解き放たれた開放と抑圧から自由になった快楽を味わうことになる。

 こうしてみると、エンブレムと判じ絵は図絵と文字の力関係が異なっていながらも、両者は読者を惑わす韜晦趣味という点において、ぴったりと一致している。しかし、読者への挑戦ともいえる意味を読み取らせる惑乱手法だけをとりあげるのなら、判じ絵は英語圏に現在でも時折みられる判じ絵紋rebus−−絵が言葉をあらわす一種のパズルで、たとえば木treeのそばの魔女の集会a coven of witches=都市名コヴェントリCoventry−−にエンブレムよりもはるかに近いといえる。判じ絵や判じ絵紋から聞こえてくる思いつきの粗略で騒がしい哄笑は、滑稽、妄想、どんでん返しなど遊戯性を多分に含んだ幻視世界と隣り合わせになっている。生真面目で倫理的なエンブレムには、これにたいして、事物と言葉との結びつきは社会の規約によって定められ、その規約は人為的に変えられうるという前提がある。そしてエンブレム作家がややもすれば解読難解な図絵と言葉の結合を行うのは、解読者に日常生活においてどのように行動すれば、罪や堕落から救われ社会・家庭・私生活に至るまで秩序が確立されるかというその具体的な指針を示すためであった。秩序への建築的志向は、主要なエンブレム作家のほとんどが法律学者であったという事実を越えて、「存在と倫理における真理」(ジャック・デリダ)というロゴス中心主義(合理主義)とへ連なっている。したがって、形を身体性へと溶解させ、笑うことによって動き続ける日本の判じ絵の遊戯性を女性的というなら、規約と倫理の間を往還し世界に秩序を構築させようとするエンブレムは男性的なのだ。

 そして、実は、倫理性ということにかんするなら、判じ絵の延長線上にある浮世絵師の摺物が、ヨーロッパ・エンブレムに近い。摺物というジャンルは、残念ながら研究者の間でひとつの明確な枠組みをもった分野としてまだ意識されておらず、その評価も浮世絵師の余興程度にしか考えられていない。摺物というのは、江戸中期に自作の俳句や狂歌を披露する裕福な教養人がその詩文に絵を入れて一枚のカラー印刷物として配布した図4のような作品群のことである。摺物は歌と図絵からなっており、図絵があらわしている意味は歌によって固定され、同時に、歌は図絵によって視覚化されその内容を鮮明に観賞者に伝える。エンブレムのように、図絵と文字とが互いに共鳴しあうことによってはじめてそこに描かれている意味が明瞭になる。歌の内容は、もちろん狂言と俳諧化にかかわるものもあるが、判じ絵よりは正名(政治)と国学(学問)にはるかに深くかかわり、倫理性をもっていることが多い。これはおそらく、エンブレムが興隆をきわめた17世紀頃、儒教の教養をしっかりと身につけ為政にかかわる知識人が、倫理の色彩が濃い文人画を書きはじめ、江戸絵画の一分野を形成したこととかかわっているのだろう。また、歌と絵を合体させ人々に倫理を説いてまわった絵解き絵画が、江戸時代に民間レヴェルにかなり深く浸透しており、正名の表現としての摺物を受け入れる精神的土台はすでにできあがっていた。

 

 

4.     漢字・かな・アルファベットの力学

 ここで注目したいのは、摺物の図絵と文字の位置関係である。判じ絵においてもあてはまることだったが、図と字は一枚の画面になんら境界を設けられることなく共在している。これにたいして図1からもわかるように、エンブレムにかぎらずヨーロッパの美術作品では、文字は図絵の外側か図絵中の帯の上に書かれ、字と絵は異なった媒体としてそれぞれの場所に互いに外在化している。摺物の遠い祖先にあたる中国文人画(図5)でも、なるほど絵と詩文は共在している。しかし自然風景や神話の心象をおもに主題とする中国文人画と日本の摺物を数点比較しただけでもすぐにわかるのは、中国画の詩文の重さ、漢字の比重の高さである。これは、中国画が日本のものに較べて詩文がはるかに長いとか、やわらかな「かな」書きでないとか、さらには漢字そのものが「かな」より重いといった意味ではない。風化しない硬質の金属や岩、霊性をもつ亀甲・樹皮に漢字を刻みつけてきた中国人の漢字は、この場にないものを呼び寄せる力をもっていて、ものの魂を喚起する神秘的なパワーがあると考えられている。ややおおざっぱな筆運びでデフォルメされて描かれた山水や神々の図は、そのものの魂を引き寄せる漢字という不思議な力に助けられてはじめて、霊が働く強力な磁場にしてまたそれが発現する場所でもある自然・神話の世界を発現させる。図と字はほぼ対等関係にあり、その機能も世界の意味をどのような<形>として自らのうちに体現していくかという程度の違いにある。したがって、漢字からなる詩文と山水の図とは同一のメディアと呼んでもよく、それらはむしろ同一枠内に共存すべきものなのだ。この共存によって、意味が立ちあらわれてくる流動的な瞬間を、一時停止させたビデオの一コマのように提示し、自己生成してやまない自然世界を開示する。

 ところが、「かな」はそんな喚起力を持ち合わせていない。漢字の書法を否定し、かぎりなく漢字の表意性を排除し、表音文字に近い「かな」は、漢字の深さと重みがない。しかし、漢字のもっている<もの>と漢字それ自体との癒着から自由になっているその分だけ、「かな」は世界やものと軽くかかわる。「かな」は自ら姿をあらわすとしても漢字とは違って浅く軽やかな運動性を保っている。摺物にみられる「かな」まじりの歌の流れるような筆跡は、中国文人画の硬く堅固な書体とは異なって、固体と流体、同一性と多様性の間を走り抜ける中間的な生物のようにゆらぎをはらんでいる。摺物の図絵は、そんな中間形態を背負いこんでいる歌によって、自らがあらわしている意味を決定させられる。しかしその意味は、狂歌のように悦楽に向かって軽々と遊走するか、あるいは図4のようにたとえ倫理的であっても、倫理性を背後からささえる超越的善の秩序に裏打ちされてもいなければ、確固たる体系道徳をもっているわけでもない。現実世界を瀘過して道徳的な意味を付与する寓意は、その場限りの一過性の道徳にすぎない。したがって摺物は、中国絵画のように無限多様体としてこの世に発現してくる自然の力を十分にあらわすだけの重みも深みもない。そのかわり、摺物には「楽しみつつ教える」軽い重力の磁場が形成されるだけなのだ。

 これにたいして純粋な表音文字であるアルファベットは、ものを音声によって呼び出す。アルファベットには、漢字の身体性もなければ、文字とそれによって喚起されるものとの間の関係がまったく恣意的なのだ。ものと文字との間のこの希薄でトランスポゾンのような結びつきは、文字はものを直接に現前化させる図絵とは別々のメディアだという意識を生む。それだけではなく、身体運動に直結していないゆえに、アルファベットは、世界のひとつひとつのものを象徴化する方向へと人間を駆り立ていく。ところがエンブレムでは、さきほど詳しく述べたように、文字と図絵とが往還運動を繰り返し、文字(モットー)の視覚化が起こり言葉とものが合体し、文字が外的世界を自らのうちに<形>としてあらわすことになる。実際にエンブレムが興隆したルネッサンス期には、もののなかに言葉が読み取られ、言葉で表現されたものが視覚的にとらえることが良しとされるようになった。この時期になって漢字のような機能をはたす古代エジプトの神聖文字が再発見され、この文字こそ、いわゆるアダム語だと考えられたからである。堕落前にアダムがあるゆる知識を書きしるした二本の柱があった。そのとき用いた文字は、記号表現と記号内容とがアルファベットのように音声で恣意的に結びついているのではなく、記号表現をみればその内容が明瞭にわかるような象形文字であったといわれている。そこに記録されたあらゆる領域におよぶ知識は、その文字とともにエジプト人によって継承されたと、ルネッサンス人は考えた。例外なく神聖文字を意識したエンブレム作家は、神聖文字にならいつつ神聖文字をさらに複雑化した形であるエンブレムを次々と紡ぎ出していった。図絵と合体し身体性をとどめるという意味では、エンブレムは漢字に酷似しているのだ。ただし、エンブレムは、世界のなかで人間にかかわるほとんどすべてのものを、その本来の形をとどめ身体性をはらみつつも、それらを道徳・教訓・通念・類型によって再構成していく。エンブレムは、漢字それ自体には直接みてとれない鋭い倫理性をもっているのだ。

 

 

5.     エンブレムの霊性、遊走する遊び絵

 こうしてみると、エンブレムはたとえどれほど道徳的倫理的であろうと、その身体性ゆえに明証性・一貫性・論理性とは本来なじまないはるかに霊の次元に近い道徳性と倫理が支配する世界に向いていることになる。多様性を多様性のままに保存しながら世界を倫理的な宗教思想に高めていこうとする表現形態なのだ。これにたいして、物質のなかに受胎している運動性やトーンをできるかぎり生のまま開示して、鑑賞者を無限につながる霊の自由な領域に飛翔させるのが、中国画である。天への上昇志向という相では、中国画もエンブレムも同一なのだ。ところが摺物は、ひからびた理性が生み出す論理・説話の領域と、幽玄で深遠な霊的世界との中間地帯を遊走する。直観を重んじ論証的であることを嫌う摺物や判じ絵は、言葉によって相対的に固定された世界のなかにあって、固定的で普遍だと思い込んでいるその思惟に楔を打ちこみ、世界を解体しこわばりをほぐしていく。この性格はまさしく、因果の論理を嫌い、ある一つの価値観に収束する秩序化を破壊し、「取りあわせ」の妙−−奇想(conceit)−−によって秩序をゆさぶり、価値観をたえず相対化する<連>の特質に通底している。

 判じ絵・摺絵は、文字と図絵の共在という面では東洋の伝統的様式(中国画)をそっくり踏襲していながらも、その内実は言語観の違いという大きな比較文化の流れにたつと、霊性においても倫理性においても東洋の伝統を裏切っている。そして、判じ絵・摺絵はその倫理性や韜晦趣味という点において西洋様式(エンブレム)と似た側面をもっている。しかし、神聖文字に近づこうとするエンブレムほどには深い霊性を備えていないのだ。


図1 アンドレーア・アルチャート(1492-1550) 『エンブレーマタ』

              モットー <貧困>は最高の才能の持ち主すらをも

       進歩するのを妨げる。

 

              解説詩

              右手には石をもち、反対の左手で翼をささえている。

   「羽が僕を持ち上げるように、重荷が僕を押し下げる。

              もしもいまいましい貧困が僕を下に押しとどめなかったなら、

   僕は才能の力によって高い城塞をも飛んで突き抜けることができたろう」。

 

 

図2 一鵬斎芳藤 「流行脱衣婆に祈る図」(1849)

              右端三番目の女の願い事

              私わ・〔酔%よい%〕・お・〔床%とこ%〕・で・〔尾%お%〕・〔戸%と%〕                          ・〔梨%なし%〕い・〔鐘%かね%〕・〔野%の%〕・〔蟻%あり%〕・〔僧%                  そう%〕・〔菜%な%〕・〔木%き%〕だて・[のよいてしゅをもちますように]

 

 

図3 富川房信 「恵比寿」(「文字絵三福神」)(1751-64年頃)

              着物の文字

                            ゑびす三郎

             

              釣たヽ[釣れた]

              やぶ入りぐるは

              桜鯛

 

 

図4 葛飾北斎(1760-1849年) 「顕微鏡に鏡」

              浅瀬庵永喜

              めのさめた ようなる花の

              菜に遊ふ[ぶ] 蝶は大かた

              生酔の夢

 

 

図5 〔沈周%しんしゅう%〕(1427-1509年) 「秋林山水図」

              霜落林瑞萬壑幽

              白雲紅葉入渓流

              朝来應有尋真

              至行向山中領素

              秋 石田老人沈周