オットー・ファン・フェーンの『愛のエンブレム』:作家の生涯

                                    鈴木繁夫

 

1.     カトリックかプロテスタントか−−ファン・フェーンの生い立ち

 ファン・フェーンは1556年に、ブラバント公ヤン三世の血をひく名家ファン・フェーンの一門としてライデンで生まれた。シェイクスピアは1554年に誕生しているから、シェイクスピアの生粋の同時代人である。生地のラテン語学校で貴族にふさわしい紳士教育を受け、卒業後には画家イサーク・クラーツ・スワネンブルクに師事する。1572年に家族がアントワープに移住し、さらにそのあと現在のベルギー東部にある都市リエージュに移ると、家族と行動を伴にする。リエージュでファン・フェーンは、人文主義の教養を十分に身につけた画家ドミニクス・ランプソニウスの弟子となる。十代で転居するというのも、シェイクスピアがストラットフォオードからロンドンに一旗あげるべく上京したことに対をなす。ただし、ファン・フェーンが居住地を変えたのは、経済的な理由ではなく宗教的な理由からのようである。

 ファン・フェーンが生まれた当時のネーデルラントは、スペイン王フェリペ二世の領土であり、公認宗教はもちろんカトリックであった(図1)。しかし、フェリペ二世はいわば不在地主であり、地理的にはネーデルラントはルターの宗教改革が席巻する神聖ローマ帝国の版図内にあった。しかもネーデルラントは、宗教改革にいちはやく成功してカトリックから離脱した諸国、すなわちイングランド(英国国教会)、スコットランド(カルヴィン派)、デンマーク(ルター派)と隣接した位置にある。北海に港を有するためそうした国々と接触を保ちやすかったネーデルラント北部諸州は、政治的な自由はいうまでもなく、宗教的な自由を求めて、スペインにたいして反乱を起こす。1566年、ファン・フェーンが10歳のときのことである。

ネーデルラントでは以後、スペインが投入する軍事政権と、それにたいするネーデルラント住民の反乱という綱の引き合いが続き、ついに1581年に北部諸州はオランダとして独立することに成功する。[1]この反乱地域の中核都市のひとつがファン・フェーンが生まれたライデンであり、彼の一家が一時敵に身を寄せたアムステルダムである。残された南部ネーデルラントでカトリックの牙城となったのが、リエージュの司教領である。ファン・フェーン一家がアムステルダムに転居したのは、ライデンの市長であったファン・フェーンの父がカトリック信仰を捨てずスペインに忠誠を誓ったからであった。そしてこの逃亡地アムステルダムも宗教改革の波にさらされスペインに反旗を翻すと、一家はリェージュに移る。ファン・フェーンは、独立戦争が国の分断へと加速的に進行する時期とほぼ同じくしてプロテスタント圏からカトリック圏へと移住する。

 彼の移動が宗教的な理由にあったことは、こうした歴史の流れから裏づけられる。またこれに加えて、彼はリエージュに二年間滞在すると、枢機卿マドルッチ宛の推薦状をもってただちにカトリックの総本山であるローマに留学している。これも、宗教上からの移住という理由をうなずかせる。これ以後の彼の経歴は、カトリックからプロテスタントに改宗していく力と、改宗を防ぎカトリックにとどめようとする力とがぶつかりあう拮抗の渦巻きの中を、カトリック側にたえず身を寄せながら進んでいく。

ローマで彼は、のちにフェリペ二世の宮廷に招かれることになる画家フェデリーゴ・ツッカロの弟子となる。弟子といっても彼の財産身分や家柄を考えればわかるように、工房の徒弟として師に奉公したのではない。貴族が、師を自宅に招聘する代わりに子弟をこちらから師の家に送る、といった感覚に近いものなのだろう。16世紀後半というこの時期に、画家としてはもっとも影響力のあったツッカロは、装飾過多と奇想を特徴とするマニエリスム期にありながら、装飾性をできるだけおさえて一時代前の古典的な単純明解で安定した構図を重んじている(図2)。また、ツッカロはのちにローマでアカデミアを創設し、『画家、彫刻家、建築家の理論』(1607年)という著作を残している。自分の仕事にたいする理論をもち、なおかつ体系的な思考ができる教養あるインテリであった。ファン・フェーンは、ツッカロの作風と彼の博識な主題にたいへんに共鳴したようで、師のもとで五年間修行を重ねる。

★→ツッカロ パノフスキーの議論←★眼に訴える美しさという点でファン・フェーンのエンブレム集の図絵が、ほかのエンブレム集をはるかにぬきんでているのは、この時期の経験がものをいっているのだろう。

 師の下で修行ののち、彼は母国のネーデルラントに戻る。といっても、やがて独立することになるプロテスタントのオランダ側にくみするためではない。78年には、スペインから派遣されたネーデルラント総督ドン・ファン・デ・アウストリアが反乱諸州の鎮圧に失敗し死亡。しかし79年に、二年前から彼を助けてきたアレッサンドロ・ファルネーゼがかわって総督となり、その外交手腕によって即座に南部のカトリック貴族たちをまとめる。ネーデルラント全体が一国として独立することに歯止めをかけるファルネーゼは、さらに軍事的才能も発揮して、北部にたいし巻き返しをはかり、85年にはアムステルダムを奪還する。ファン・フェーンの去就を決定したのはおそらく、母国のカトリック化に明らかな光の兆しが見えだしたことにあるだろう。

 ファン・フェーンは1583年にはリェージュに戻り、司教エルネスト公に仕える。そして85年にはスペイン宮廷のあるブリュッセルに行く。ここでファルネーゼはファン・フェーンにスペイン宮廷付き画家の称号をあたえる。ファルネーゼのもとにおけるファン・フェーンの活動は、あまり詳しくはわかっていない。しかし、ファルネーゼがフランスに侵攻し、北にはのちのオランダ、南にはフランスという両面戦争にも巻きこまれて没した92年以降になると、ファン・フェーンはブリュッセルではなくアントワープでの数多くの教会の内部装飾用絵画を手がけている。それまでのファン・フェーンの経歴を考慮に入れると、どうやら総督のもとで、ファン・フェーンは教会のための絵画を中心とした仕事に従事していたと推測される。事実、1585年には「聖カタリナの神秘の結婚」を描いている。

 遅くとも1590年にはアントワープに移ったファン・フェーンは、94年に画家や工芸家たちのギルド聖ルカ組合から親方の称号を授与される。彼は同年に結婚し、人生の最良の年を迎える。38歳の活力盛んなこの年には、18歳の若きペーテル=パウル・ルーベンスが見習いとして彼の工房に入門する。ファン・フェーンはルーベンスに、人物の配置法と光の配合の面でのちのちまで深い影響を与えることになる。現在のアントワープにオットー・ウェニウス通り(フェーンのラテン名)が健在であることからもわかるように、次々と注文を受けた彼は、この地において高い名声を築きあげる。またファン・フェーンは、95年から1621年まで総督を務めるアルベール大公のための凱旋門の設計者という栄誉にあずかっている。聖ルカ組合の長老の座に就く1603年以降には、司教座聖堂の祭壇画(図3)などの重要な注文を受ける。彼はアントワープ芸術家の第一人者となった。

ところが、この全盛に終止符を打つ事件が起こった。1608年にイタリア留学から戻ったかつての教え子ルーベンスとの確執である。司教座聖堂の、騒乱で失われた主祭壇画を新たに建立する構想が1611年に参事会にもちあがる。ファン・フェーンは祭壇画のための下絵を参事会に提出する。その約一ヶ月後にルーベンスも別な主題の下絵を提出する。そして注文を依頼されたのは、歳老いた師でなく、この都市では新顔のルーベンスであった。

 自分の技量が評価されなくなり名声が失われていくのを知ったファン・フェーンは、1612年にブリュッセルに新設されたばかりの造幣廠主任に応募し、採用される。この地において画家としての制作活動も続けるが、同時にスペインの政策とは相容れないバタヴィア人神話の絵画群も作り上げる(図4 )。バタヴィア人とは、歴史家タキトゥスが述べている、北海沿岸低地帯に住んでいた古代人である。当時のオランダ人は、このバタヴィア人を自分たちの祖先と考えた。先祖の存在は、祖国が外国人に踏みにじられているという被害者意識を煽りたて、人間ならだれもがもつ祖国愛に訴える格好の神話であった。この神話は、スペインの圧政からの解放というスローガンを心情的に支える柱の一つとなった。ファン・フェーンは、神話の重要ないくつかの場面を、タキトゥスの描写に比較的忠実に十二枚の連作を描いている。そしてその作品は1612年、まだ総督アルベールが権力を握り存命中であるときに、オランダ新政府によって買い取られる。

 この時期、彼の宗教的立場がプロテスタントに傾いたのかもしれない。もっともこの頃には、本来は対立し相容れないはずの宗教が、政治的理由からそれほど心の中で葛藤をもたらさずに共存するという状況が誕生していた。[2]1609年にスペインは、公式にオランダの独立を認めてしまったのである。もう少し精確にいうと、12年間を期限とした和戦条約がこの年の四月にスペインとオランダの間に結ばれ、平和が到来した。両者の敵対関係は終わり、オランダからスペイン領であるアントワープを訪れる旅行者の数は増大した。

 ところで従来からしばしば指摘されているように、ネーデルランドの芸術思潮は16世紀末のこの革命を分水嶺としてこれまでの統一を失い、民主的・プロテスタント的な北部と王朝的・カトリック的な南部へと分裂していく。[3]北部では、風景画や室内画といった神話・文学の知識がなくとも読み取れる内容のものや、将来の記念にもなる集団肖像画が多く描かれる。これにたいして、南部の画家たちの注文主は人文主義の教養を身につけ、教会に奉仕する精神を忘れない中産階級であったので、画家たちは神話やキリスト教を主題とする寓意と教義と倫理に富んだ大型の作品を制作していった。

ファン・フェーンのこの大型の連作もその例外ではない。連作には、勇気、忍耐、力、度量という高貴な人間にふさわしい倫理的要素があふれでている。そうした倫理重視の傾向は、まさに我々が関心をもっている彼のエンブレム集に見られるものである。

 ルネッサンス期には、道徳的題銘・図絵・短詩の三要素を一単位としたものを体系的に網羅した、エンブレム集がかなりの点数で刊行された。[4]ファン・フェーンは、外交官として活躍した弟子ルーベンスと同様に、美術という枠内にとどまりそのなかで活動に専念する芸術家ではなかった。貴族と名門という誇れる血筋、人文主義教育を受け古典にたいする深い造詣、それにおそらくは美術家の社会的地位にたいする偏見こういったものは、ファン・フェーンをいわゆる手仕事の画家という地位に甘んじさせておくことを許さなかったのだろう。もう少し詳しくいうと、文筆は、中世以来から連綿と自由七学芸の一つとして、大学の教科過程に組み込まれた折紙付きの学問であった。したがって絵画を描くことは貴族の沽券にかかわることであっても、貴族が文筆に携わることはルネッサンス期にはなんらは後ろめたさはなかった。絵画は文学よりも卑しいという学芸にたいするこの序列感覚は、当然のことながら、文学や倫理の色彩を必ずともなう教養あふれたエンブレム集のジャンルへの高い評価を生む。ルネッサンス期のインテリや貴族たちはエンブレム集をこぞってほめそやし、また賞賛する彼ら自身が自ら著者となって筆をとることもあった。そんなエンブレム集に、これまで絵画や野外装飾に従事しエンブレムとは無縁であったファン・フェーンが、手を染める。[5]そして、絵画ではなくむしろエンブレムが、彼の名声を今日までとどめる最大の功績となる。

 その処女作が、ホラティウスの作品からの言葉を題銘として編んだ『ホラティウスのエンブレム』(Qvinti Horatii Flacci Emblemata 1607)である(図3)。この本は、見開き二ページが一単位で、しかも一ページの大きさは現在のA4版大という贅沢なつくりである。一ページ全体を図絵に割き、残り一ページは、その上段をラテン語の題名と短詩にあてている。その下段には、図絵と題銘をにらんで作られた新たな内容の短詩が、多国語で書かれている。この短詩の言語は、左から順番にスペイン語、オランダ語、イタリア語、フランス語といった俗語(各国語)である。このエンブレム集では、国際語であるラテン語を含めて、カトリック圏で通用する言葉だけが用いられている。多国語の併用と見開きの二ページで一単位というファン・フェーンに独特の形態は、この本を凌駕する人気を博した『愛のエンブレム』(Amorum Emblemata 1609)においても受け継がれる(図4)。この本のなかの題銘の大多数は、愛の作家オウィディウスからとられている。[6]

 ところで、『ホラティウスのエンブレム』の冒頭には、総督アルベールの名前が賛辞をもって書かれている。これにたいして、『愛のエンブレム』にはスペイン総督に媚るような謝辞はどこにもみられない。これは、さきほど少しふれたように、1609年にアントワープの和議がスペインとオランダ新政府の間に成立し、スペインが北部諸州の独立を公認したことと関係があるのかもしれない。ただし、このどちらのエンブレム集においても、その倫理的色調にはまったく変化がない。そこでは、ホラティウス、オウィディウスといった古典詩人の題材をとっていることからもある程度わかるように、市民的というよりも宮廷的美徳が歌いあげられている。これは、ファン・フェーンとならび、オランダで最も版を重ねたヤコブ・カッツのエンブレム集に登場する図絵と比べてみれば、一目瞭然である(図5)。ファン・フェーンの一世代後輩にあたるカッツ(1577年−?)の図絵には、当時のオランダ市民の日常生活そのものが描かれている。また、カッツの題銘は、人々が日常をいかに生きるべきかを直截に教えている。これにたいしてファン・フェーンの図絵には、イタリアの古典を題材にした絵画やルーベンスの官能的な絵画を思わせるような、日常生活とは隔絶した異次元の精神世界が描かれている(図6)。そして当然のことながら、題銘や短詩は、その世界の知的解説となっている。ファン・フェーンは外面的にはプロテスタント化した市民の国オランダに同調しながら、内面では貴族的なカトリック精神を捨てきれなかったのかもしれない。彼は1629年にカトリック都市ブリュッセルで没する。

 

2.     『愛のエンブレム』の技法

 『ホラティウスのエンブレム』、『愛のエンブレム』、これらはいずれも、図絵の美しさという点では同時代のエンブレム集を圧倒的に引き離している。その理由のひとつに、印刷技術の向上という要因がある。イタリアのエンブレム作家アルチャートはいうまでもなく、従来までのほとんどのエンブレム集が木版である。これにたいして、ファン・フェーンの図絵は、15世紀半ばに技法として確立した銅版で刷られている。

木版と銅版の仕上がりの美しさの差は、ファン・フェーンのエンブレムとほぼ同年に出版された木版のエンブレム集『イギリスの女神ミネルヴァ』(Minerva Britania 1612)につけられた図絵と比較してみれば、すぐにわかる(図7)。新進の技術を駆使したファン・フェーンの図絵は、写真を見慣れた現代の我々の眼でも十分に鑑賞にたえるほどに精巧にできている。[7]ここでは、粗い線によって消えていた人物の表情や小さな事物の表現が可能になり、現実的な明瞭さが生まれている。銅版画図絵はファン・フェーンのエンブレム集のセールス・ポイントでもあったようで、エンブレム集の表紙には、「著者自身によって描かれた銅版画付き」(TABVLIS AEREIS A SE ILLUSTRATA) 、「オトヌス・ウエヌスの工房で刻まれた銅版画付き」(FIGVRIS AENEIS INCISA STVDIO OTHONIS VAENI)という誇らしげな言葉が読める。

 また、ファン・フェーンの美しさのもうひとつの秘密としては、図絵を担当した画家の技量がものをいっている。ファン・フェーンは、ヨーロッパにおいて最高水準にあったイタリアの、第一級の画家のもとで学び、彼自身も画家として公に認められていた。そのファン・フェーン自身が図絵を担当しているのである。[8]その結果、図絵は、いわば職人の手仕事というレベルをこえて、鑑賞に耐える芸術の領域にまで高められている。図絵と文字で一セットというエンブレム集にたいする現在の我々の通念は、図絵と文字とを同じ比重で考えさせてしまいがちである。しかし、本来は文字による教化という知的要素があくまでも主で、図絵による視覚を主流とした教化は、それほど強く意識されていなかった。いいかえるなら、図絵は、エンブレム集のなかの付録であった。しばしば見落されているが、アルチャート(初版1531年)、カルターリ(初版1556年)、リーパ(初版1593年)といった代表的なエンブレム集の初版には、いずれも図絵がなかった。ところがファン・フェーンのものはそうした図絵の伝統を打ち破って、図絵をまるごと一ページにあて、対のページに題名と短詩をおく、という形式をとったのである。しかも、図絵は見るに耐える精巧なものとなる。絵の様式や仕上がりは、粗悪さから解放されて、現在わたしたちが美術史で教えられている同時代の絵画・彫刻とほぼ肩を並べる。文学と絵画の結婚の賜物といってよいエンブレム集が、ここに誕生する。著名な地理学者アブラハム・オルテリウスが、「我々の世界で自由学芸と絵画を融和させた最初の人」(primum in nostro Orbe qui litteras liberaliores cum hac arte iunxisti)と、ファン・フェーンを評しているのは、まさに的確な記述である。[9]ところで、ファン・フェーンの図絵には、どのような階層の人が絵を見ても、見ただけで瞬間的にそこにどういう人物や事物が描かれているのかをつかめる明快さ、というバロックの特徴がある。そしてだれにでも理解できるという通俗性をもちながらも、愛の駆け引きの世界を主題にするという点では、優美と官能性というこれまたバロックの特徴を保持している。また、見開きの一ページの図絵によって、この本は、それまでの文字重視の傾向をくずし、図絵を文字の位置にまで格上げする。エンブレム集はもはやたんなる挿絵入り読み物ではなく、文字に煩わされない、豪華な画集として鑑賞することにも耐える。[10]

 さて『愛のエンブレム』の文字配列形式は、図6をみればわかるように、図絵と対になる左ページが上下二段に別れている。上段の一番上には、ラテン語の題銘が太い大文字でおおむね一行で書かれている。題銘の左横には、典拠となった著者の名前が記入されていることがある。題銘の下には、古典から引用された短詩や散文、あるいはおそらくファン・フェーン自身の手になる短詩が、それぞれイタリック体で印刷されている。古典からの引用文については、題銘と同じように、典拠とした著者の名前が左余白に明記してある。これが上段の構成である。下段はそれぞれ英語とイタリア語で書かれた題銘と四行詩からなっている。また版によっては、スペイン語とドイツ語のペアのものもある(図10)。英語とイタリア語の題銘の内容はほとんど同じである。ただしこの内容は、ラテン語の題銘の翻訳ではなく、むしろ図絵にぴったりしたキャッチフレーズといったほうが正確である。また、四行詩は図絵の解説といってよく、ラテン語の短詩や散文との関係は薄い。

 上段のラテン語の内容と下段の俗語の内容が、不一致で微妙なずれを呈するのは、おそらくこの本がほかのエンブレム集に通常見られる成立事情と方向がずれているからではないだろうか。エンブレム集が作られる通常の手順は、@格言好きだったルネッサンス時代を反映してか、文脈から引きはがされ独り歩きしている古典の引用句を著者が集めることにはじまる。次にA著者が格言引用句について短いコメントを詩ないしは散文でつける。格言とコメントのセットという形で出版すれば、ルネッサンス期に爆発的な人気を博した、エラスムスの『格言集』と同類のものができあがる。しかし、B題銘が訴える内容に添い、なおかつ短詩や解説で述べられている著者独特の解釈を同時に含むような図絵が、格言とコメントにつくと、はじめて一冊のエンブレム集となる。さてファン・フェーンの場合だが、@の段階のあとで、ファン・フェーンはAをとばし、先にBの図絵を作成したと思われる。愛という本の主題にふさわしくすべく、図絵中にかならずキューピッドを登場させるという条件を課して、それぞれの引用句の内容に関連するような図絵を作成したと想像される。そして引用句(題銘)と図絵を眺めながら、ファン・フェーンはA各国語で短詩をつけたのではないだろうか。この手続きの順(@→B→A)を踏むと、ラテン語と俗語の詩の内容の違いが簡単に説明できる。

 さらに文字部分の形式について述べれば、多国語の併用というのも珍しい。17世紀に刊行されたエンブレム集は、その大多数が各国の国語を採用しており、母国語主義というのがほぼ原則になりかけている。ところが、16世紀のエンブレム集は国際語(リンガ・フランカ)であるラテン語で出版される、というのが共通の理解だった。もちろん、エンブレム集の翻訳は16世紀後半から17世紀にかけてもさかんにおこなわれ、そのなかには原典の言語をそのまま残しながら、対訳の形で翻訳を転載するというものもあった。しかしそのような場合でも、原典が本来の形で生き残るように、翻訳は原典とは別のページに印刷されている(図11)。つまり、ファン・フェーンのこの本は、ラテン語から俗語へと表記が編成する過渡期の典型的な産物といえるのである。

 

3.     翻訳上の留意点

 用いた底本は、1608年にアントワープで刊行された "AMORUM EMBLEMATA FIVRIS AENEIS INCISA STVDUI OTHONIS VAENI BATAVO-LVGDVNENSIS, Emblems of Love. with verses in Latin, English, and Italain."である。訳出にあたっては、@ラテン語と英語の部分のみに限定し、原則としてイタリア語の部分は省略した。省略したのは、英語とイタリア語の詩の内容が、それほど変わらないからである。A固有名詞は煩瑣を避けるため、原語に関係なくその国本来の発音に近い形で表記を統一した。たとえば、オランダ語読みでファン・フェーンはラテン語ではウエニウスになるがファン・フェーンで統一した。B本文余白に明記されている出典著者名は、翻訳では 【 】 でくくり示した。C< >でくくられた言葉は擬人化された抽象概念を、また[ ]のなかの言葉は訳者による補足を、それぞれ示す。D本文中のゴシック体は翻訳では太字体に、イタリック体の英語題銘は斜体で表記した。なお、紙面の分量の制約のため、今回の翻訳は全体量の五分の一程度である。残りの部分は次号に載せる予定である。最後になってしまったが、ラテン語部分を訳者とともに読んで下さり、訳者の誤りを丁寧に正し、数々の疑問点を氷解させてくださった同僚の有川貫太郎先生、そしてイタリア語部分の疑問について詳しくご教示くださった京都大学の六反田收先生に心から感謝申し上げたい。

 

 

◎             愛の

◎           エンブレム

 

 

●         バタボルム・ルグドゥヌム人[11]

●      オットー・ファン・フェーンの工房で刻まれた

●            銅版画付き

 

 

●           愛のエンブレム

▲       ラテン語、英語、イタリア語による詩付き

 

          愛はすべてを征服する

            

 

 

               ■

 

 

 

 

 

 

             アントワープ

            著者による出版

             1608年

 

◎          思い邪なる者に災いあれ。

 

◎         私は連合して役立つであろう。

 

 

               ■

 

 

 

 

 

学問と騎士道の保護者にして、いとも気高く立派な兄弟であられる

  ペンブルック伯ウイリアム猊下、ならびにモントゴメリー伯

     フィッリプ猊下へ。[12]

 

<名声>はイギリスの島から海を超えて私どもの広い大陸へと飛び、ここにお二人が気高く立派であるという噂を残していきました。そのため僭越ながら私は、お二人の評判にふさわしいようお仕え申し上げ、お二人の名誉になれたらという気持ちでございます。しかしお二人に命ぜられて仕事をするほどには、これまで幸運ではなく、その機会もめぐってまいりませんでした。ですからこれを機会に、私の作りましたエンブレムを猊下に(ご気晴らしの品として)お捧げし、猊下のご指名を喜んでうけるその意気込みを、大胆にも表に出させていただきたく思います。このエンブレムは〔臣下サブジェクト〕と同様に君主の皆様をも〔従えるサブジェクト〕〔主題サブジェクト〕でございます。どうか猊下、この異国より、お二人には面識のない者めがお二人に名誉を捧げますことを、お許し下さい。もてる力を尽くして名誉を捧げる者は、見知らぬ者とはならなくなるはずでございますから。

 以上、まことに簡単ではございますが、気高きお二人の手にこのアントワープより接吻させていただきます。                       1608820

                    オットー・ファン・フェーン

● オットー・ファン・フェーンの『愛のエンブレム』について、

    ヒューホー・グロティウスによるエピグラム。[13]☓☓☓

 

自分の名声に勝利をもっていまだに答えていないと歎き、

 名声をもたらす行動を充分に行わない、と歎くキューピッドが、

何千もの作家を巡って何マイルも闊歩した。そのキューピッドが、

 ファン・フェーンの学識ある手が銅版に活力を吹きこむのを読む。

この少年は自ら鉄筆をあやつり、銅版に顔を刻みつけ、

 そして堅固な銅版よりもさらに堅固な自分に喜ぶ。

しかし、人間はその神の勝利の記念碑を、喜んで

 受け取る。そして、見よ!自分の敗北に拍手を送る。

見よ、人々は皆、右手にキューピッドの描かれた図絵を持つ。

 そしてすでにすべての胸は、パポスの戯れをもつ。[14]

娘たちという戦利品を若者は獲得し、娘は若者を獲得する。

 強き主人キューピッドの武器にどんな効力があるかを、見きわめよ。

しかしあなた方は遠くに行け。たしかにこのことを眺めることは

 かつて望めたが、描かれた彼は傷つけることを知っている。

●   オットー・ファン・フェーンの描いた

●     キューピッドたちについて

 

流れる海の泡立つ水から頭を持ち上げた女神ヴィーナスが、

 最初に父なる深淵の中から疲れた姿でキプロス島に現われたときの、

そのような姿を、コス島の手が後世に伝えた。[15]

 そして手が、ヴィーナスに自分と共に生きることを命じた。

雪のように白い滴が、肉体からしだいに消えていくと、

 あなたは、恐るべき作品がたえずめざめていると誓ったであろう。

左手の掌は清い水をもてあそぶように思われ、

 もう一方の右手の掌は、やさしい胸に軽く触れていた。

それよりも学識があるオットー氏の右手は、キューピッドが育てる

 多くの苦悶と喜びと、同じ数だけのキューピッドを描いた。

矢筒で武装した愛の神キューピッドは、いたるところから攻撃をし、

 光を放たぬとはいえ、残酷な松明をかかげる。

そしてたとえキューピッドは止まっていても、二つの翼で平衡を保ち、

 そしてなんら外傷を負わせないとはいえ、残虐な矢をもっている。

もしできるなら、すでにいくたびも自分の息子の矢に射られているから、

 ヴィーナス自身があなたに名誉を許す。

もしできるなら、フェーンよ、われわれも同様に

 もっと残虐に武装し、さらに無害なキューピッドたちを望みます。

                    ダニエル・ヘインシウス[16]

●   オットー・ファン・フェーンのキューピッドについて

 

裸のキューピッドは、恋のさまざまな手管を考え出すのと同じく、

 数多くの姿をした自分が群衆に向かうのを見た。

また、鉛の矢に心の苦い動揺を混ぜたのと同じ数だけの姿を。

 甘い蜂の巣を塗った黄金の矢と同じ数だけの姿を。[17]

キューピッドはそれを見て、その作者をあちこち追い求める。しかし、

 捜索していると、彼の目の前に、たまたま女神ヴィーナスが現われた。

キューピッドは立ち止まると、母親の耳にその窮状を訴えた。すると、

 女神は微笑みこう言った。「これほどの作者が捕まらないのですか!

もしもおまえが、こんな多くのヴィーナスと自分の親とを

 覚えていられるなら、おまえは、フェーンも知っているはず。

彫刻家プラクシテレスは、この私の裸体の大理石像を作るとき、

 私の姿を形作ることは私によって許されているのだと、考えた。[18]

ファン・フェーンも大胆に、おまえの像を作ることを自らに許したのだ。

 画家と詩人が望むことは、すべて許されるのだ。

大地が、海が、そして空が創造したものをなんでもよいから見てごらん。

 いろいろな色をした世界がなんと多くの姿をしているかを見てごらんなさい。

(アート)>もまた、数多くの姿を描き、負けじと形に表現する。

 娘が母よりもすぐれた作品を作ることは稀でない。[19]

巧みに描かれたミュロンの牝牛はなんと数多くの牡牛を騙し、

 ブドウは鳥たちを、そしてカーテンの絵は人間を欺いたことか。[20]

●       稀なる才能を多く備えた魅力的な著者

●       オットー・ファン・フェーン氏への

●             賛辞

 

オルフェウスは竪琴の気高い調子の旋律を静めることなく、

巨人たちの戦争を奏でている。[21] 巨人が丘に丘を重ねるときのありさまや、

強きゼウスが、力でどのように巨人たちの傲慢な試みを

無益なことにしてしまったかを。

 

  時折、オルフェウスは琴のしらべをなめらかな気品ある歌へと合わせ、

ヴィーナスが自分の子供のキューピッドの罠に落ち、アドニスに

愛を迫り、キスし、やさしく抱いたさまを歌い、

心配でしばしば動きのとれなくなる愛は

どんなに楽しくみえるかを奏でる。[22]

 

  そのようにファン・フェーンも、学んで疲れたときの安らぎのため、

『ホラティウスのエンブレム』では、価値ある論題と、賢明な哲学を奏でる。[23]

楽しみの主題において、ファン・フェーンは愛の特徴のひとつひとつを

本書において示すことによって、また別な称賛を獲得している。

 

  こうしたことやそのほかのことに、多くの優れた才能に

恵まれていることを、彼自ら世界に十分に明かした。

こうしてこの人は、そうしたすばらしい技芸をさらに愛する理由を授け、

そして自分自身をその技芸ゆえにさらにいっそう愛される者としている。

                            R. V.[24]

過去に許されていたことが、現代ではなぜ許されないのか。

 長い日々を送るのは、技芸の者に害にはならないのが常である。

歳をとると才能は増し、時から力を得る。

 おまえもまた、子供よりも無価値な自分だといわれる。

時期がくれば樹に果実が熟し、深まる秋は刈り入れと

 新酒をもたらす。

かつて髭のない神ゼウスの支配にあった人間は、美しく

 罪がなかった。[25]ああ、今は狡猾になんと色々知っていることか。

緑の穀物は若き女主人の<技>から生まれた。

 少年のとき、おまえの弓と槍は増えた。

幾千もの戯れと、幾千もの手管の姿が生まれた。

 そして驚くべきことに、ファン・フェーンの巧みな手は、

これらを描き、生き生きした色で息を吹き込める。

 色なくしては、おまえは盲目の体も同然であった。

実践しても名声がえられないなら、どんな神々であれ神性がないことになる。

 もし神への崇敬がないなら、いかなる神も助けない。

われらのフェーンは腕をふるい、おまえにこの作品を捧げるのに、

 おまえが良い作者にたいして好意的でありえないとは。

これがフェーンだ。若いキューピッドは顔を赤らめた。

 彼は翼を三度すばやく動かし、足で土を三度ける。

キューピッドは、かつてはひどく非難した、産みの母たる画家アペレスを

 すぐに愛し、瓜二つの兄弟の姿をもつ。[26]

 

                   マックス・ウリエントゥス[27]

父親は自分の似姿を生み、

騎士は戦闘と馬上槍試合について、

羊飼いの少年は田園と羊について、

そして熟練の舵取りは海と風について語る。

ウェニウス[ファン・フェーン]よ、高貴な新ヴィーナスよ、

あなたはキューピッドの育ての父と思う。いや本当の父なのである。

若さのゆえの愛の過ちを[この本の図によって]繰り返し、

疲れた魂を楽にし、もっとよいものにする。

ちょうど、かの高潔なアキレウスが耳に栓をして

いつも敵の音を聞こえないようにし、

剣も帯びず、ひたすら血に飢えた

ギリシアの武器も抜かず、

愛の高貴な閃光を言葉にあらわすために、

シターンの弦をやさしくひいたように。[28]

あなたは、このすぐれた作品において、

安息すべく、最初の炎を回顧する。

                  ペトロ・ベネデッティ[29]

 

これらの領域を、未熟な子供が治めている。

この子の矢じりを、奥深き海のなかで、青色の

海の精ネレウスの一群が感じ、

そして炎を海で沈めることができないでいる。

翼をもつ種族[鳥]たちは、深手の傷を感じる。

カルタゴのライオンたちは、[屈服して]首をふるわせる。

愛が動くと、森はたけだけしい

呻き声をあげる。怒涛の海に住む

獣たちと、そして象は愛する。

自然は、万物が自然に帰属することを、要求する。

●    キューピッドが送る若き人々への手紙

ぼくが、熱烈な熱でなにかに火をつけ、燃え上がらせるとき、

 秩序の枠が運びこまれ、できあがる。

原初の力強い言葉は、被造物ひとつひとつに

「生めよ殖えよ」と最初に望んだが、この言葉は

過去のものであっても、今だに力をもっている。[30]

自然に従って生きるものは、ぼくに従い生きているのであって、

ぼくの法に頭を下げるからには、ぼくの臣下にならなくてはいけない。

ぼくに従ったからとて悪いことをすることにならない。

だって、万物に命じる意思[たる神]も、同じことを命じている。

ぼくの力は留まるところを知らず、生けるものにはみさかえなく、

子を産む欲望を気前よく与えている。

四元素でできているようにみえるものはみな、

その本来の性質に従ってぼくと合意を結んでいる。[31]

そう、理性にあふれた人間はいうまでもなく、

底深く住む魚も、空高く飛ぶ鳥も

理性を欠いているものすら、

愛するというのがどういうことなのか、見つけだし、よく知っている。

サラマンダーは、大切な愛の欲求を捨ててはいない。[32]

ぼくが、火のただなかのサラマンダーとともに、愛を保っているからだ。

太陽と月を御覧なさい。夫と妻に似て、

天を住まいにして互いに愛し合う生活を送っている。

二人が一緒にいるからこそ、この地上にあるものは

その本性にしたがって生まれ、栄養により棲息している。

二人が気前よく生み、増やし、食物を授ける。

そのおかげで、木や植物は生長することができる。

木には感覚というものがないが、生気があって、

〔棕櫚シュロ〕をみればわかるように、ぼくの命令を聞いている。[33]

一本の河が、男女のように二つに別れることがあっても、

一緒になりたげに、お互いが同じ方向に向いて流れる。

自然は欲望を最初に考え、巧みにその道を定め、

男と女の二つに分けたのだ。

しかし二人が合体すると、二つに別れている至福の、

本性に見合う愛の効用は、二人によって甘美なものとなる。

自然と本性に基づき、しっかりと確立している掟で、

理不尽なことは何ひとつとしてないだろう。

自然が、秩序だたせたものでふさわしくないものはなく、

なにもかもよいのであって、きちんと秩序だっている。

ならば、ひとりきりのままで、二を一にする妻と結ばれず

いまだにひとりで生きている人とは、どんな人に見えるだろうか。

それは半人にすぎない。妻がおらずそのまま

死んでいくとすれば、そんな人をぼくは重んじない。

喜びを奪われ、欲望なしに生きるものは、

悲しい思いを養っているのであって、孤独な人なのだ。

それは、ただ自分を心配するためだけに生まれ、安逸を知らないままに、

楽しまずにいることが、この上なくぴったりとしているような人なのだ。

命と喜びとを奪われ、愛されずに破滅し生きる人なのだ。

愛に動かされない者は、愛なく生きるのである。

愛の喜びに喜んで賛意を示す男が、

生きる喜びをさらに甘美にによわせる場合には、

悲しみ、歎きをおおいに減らし、

心配があっても、ないかのように振舞える。

また子供に、自分が新たに生まれかわった姿を見て、そして

子供が成長するにつれて、子供にますます自分の姿をいくども見る。

こんなふうに、愛は、やがては死すべき人間にかくも多くの恩寵を与え、

人間を不死なる者にし、いつまでも生きられるようにする。

一人暮しの男性を、ぼくは不幸者と呼ぼう。

もしも倒れることがあったら、いったい誰が助け起こすのか。

誰が悲しみを分かちあい、誰が悲嘆をともにするのか。

とかく重荷というものは、ひとりで支えるなら、それだけ重いのだ。

一本の紐だけでは力がもたなくとも、二本の紐をよじり一本にすると、

しっかりととめていられない場合でも、二倍の力をもつ。

そして世界がよりどころとして成り立っている、

子供という実を生まなければ、子供が親に授ける名誉も欠く。

さて女性の番ですが、なによりも優しい愛を心に受け入れない女性を、

いったいだれが価値ある人だと、いえましょう。

人間にとって何が悲惨かといえば、支えやよりどころがないこと。

たえず愛に首をふったとて、なんの徳があるというのだろう。

つむじを曲げてみても、その間に時間の方がすばやくあなたを追い抜き、

バラのように赤く、ユリのように白く初々しいあなたを老いさせ、

梅のように美しい頬と、珊瑚のような唇を卑しいものにする。

色はまったくあせ衰え、みにくく青白くやつれる。

すばらしくセットされ編まれた、あなたのカールした美しい髪は、

白髪に変わるか、禿げになってしまう。

額一面に皺が広がるとき、

愛の喜びに恵まれず、慰みを欠いたままで、

ただ一人取り残されていた年月を、あなたは悔いることになる。

そしてあなたは、自らの手で自分を奪いさってしまったと考える。

希望の綱となる夫も子供もおらず、

あなたの運命、若さ、喜びは、まったく失われてしまうのだ。

愛は、長くとどまる名誉をもたらしえたのに、いまでは

その過ぎ去ってしまったものを、再び取り戻すことができない。

そうなれば、あなたの美しさは過去のもの、なんの役にも立たなくなる。

つまりは、金をたえずためておく守銭奴が金にたいしてするのとおなじ。

あるいは、見つからず誰の役にもたたない、

地面の奥深くに隠された豊かなダイヤモンドも同然。

男に愛されるために、あなたはこの世に生まれたのであり、

あなたのもっとも大きなよき喜びを、あなたはなんと愚かにも侮蔑する。

あなたをたいへん大切に思ってくれる人から、

いとおしく愛されることほど、喜ばしいことがありますか。

昼に夜に、あなたをとても親切にしてくれる人、

心の秘密をあなたに打ち明けてくれる人、

悲嘆と喜びとをあなたに告げてくれる人、

あなたとともに慰めをわかち、不安を背負う人、

そんな人の顔つきから、あなたは喜んで感情を読み取り、

そんな人の怒りを、あなたは好意と恵みに変える。

男はしばしば惨めな自分をみることがあっても、

あなたという自分を見つけて、ふたたびうれしくなる。

もしもあなたが愚かにも、若さを愛のために使わぬのなら

まさに以上の通りに、天の喜びの正しさを明かすだろう。

だから若いあなたは、本性に見合った道に生き、

自然が割り当てたものを喜んで捜し求めよ。

ぼくの理性は、つねにあなたの欲求となか睦まじい。

自然を捜し求めぬ者には、幸運がそっぽをむく。

ぼくがあなたに与えるこの本を読み、考えておくれ。

ここであなたは、ぼくの力、ぼくの習慣、ぼくの業を見つけるだろう。

この作品をよいものだと評価する人は、

苦痛に報いるきわめつきの報酬を認めるだろう。

 

 

ちょうど一年が四つの季節にわかれているように、

人間の年齢は四つで考えられている。

歳月の順にしたがって、それぞれならべると、

子供、若者、中年、老年となる。

この本は、子供の目にむくようには作られていないし、

あるいは名誉、美徳、富に頭を使ったり、

賢者と考えられたい老人向きではない。

お年寄のためのそういうことは、けっしてここには見られない。

愛が若者に、愛のやり方とその駆け引きをどのように行ない、

恋愛をするとき、愛はどんな手段をもっともよく用いるか、また

愛の激情と苦痛、愛の苦さと甘さ、

愛の忠誠とまこと、すなわちこのうえなく高く評価される愛の美徳、

愛の力、愛の戦争と平和、そしてその他に考えられること−−

そういうものを、若者は個々の適切なケースにおいて見るだろう。

 

 

 

【セネカ】

●愛は永遠である。

 

いかなる日もまたいかなる時も、愛を氷解させることはできず、

 そして愛がもし永遠でないなら、その愛は本物ではない、ということを

この球形に曲がる蛇―永遠の時をあらわす。

 古代からのイメージ―があらわしている。

 

▲   愛は永遠である

 時にも滅ぼされない愛、真の愛をわれわれはめざすべきだ。

永続しないのでは、真の愛とはいえないからだ。

終わりのない輪を形作る蛇は、終わりのない時をあらわし、

輪のなかの愛は、終わりを手にすることとは無縁なのだ。

 


 

 

【アリストテレス】

●一に向かわぬ愛は完全ではない。

<愛>は一を愛し、あそこではほら一を生み、ここでは一に冠を被せ、

 あそこでは一以外の数を足で踏みつけている。

小川は多くの河が流れ込むほど、

 それだけ小さくなり、そして水が減って消えてしまう。

 

【出典不明】

   人を選んで話しなさい。僕はただ君だけで満足。

 

▲   ただ1のみ

 キューピッドが権利として求めるのは、ただ1という数字だけ。

そのほかの数字は足元にしく。

愛する者はただ一人だけを愛すべきだから。

川の流れも分散するとその力が萎えてしまう。


 

 

【ウェルギリウス】

●接ぎ木が成長すれば、恋人たちよ、おまえたちも成長するであろう。

 

枝が枝を受け入れて二つの木から一本の木となる

 幸福な接ぎ木と、<愛>は、こんなものを作る。

つまり、二人の恋人をひとつにつなぎ合わせることを。

 ひとつとは、二人が同じことを望む、二人が同じことを望まないこと。

 

▲   二つでひとつ

 技によって木にしっかりとつけられた添え木は

やさしい自然が二つをひとつに結び、育ててくれる。

そのように、二人の恋人はひとつに結ばれ、ひとつの根が二人を育む。

心と望みがひとつになって、二人はそのまま生きる。

 


 

 

【プルタルコス】

●真に愛するものの魂は、澄んだ鏡のようだ。

 

鏡は澄んで、輝き、決して欺かないのがふさわしいように、

 そのようにまた、偽りのない<愛>もまた真実であれ。

隠していない顔に心を表す人も、まさしく真実な人。

 欺きと隠しだてと愛は、相性が悪い。

 

▲   清く正しく

 鏡が完全だと顔が正しく写るように、

愛する者は、実際あるがままの正しき姿であらわれなくてはいけない。

というのも愛の掟には、忠誠が定めとしてあって、

偽りは真実の愛と決して相容れないからだ。

 


 

 

【セネカ】

●あなたが愛されるために、愛の最善の盃を愛せ。

 

【フィロストラトス】

わが恋人よ、私の矢を取り射よ。そうすれば私はあなたの矢を取るだろう。

 ちょうどこんなふうに私達の愛は結びつくのです。

 

【キケロ】

 何がもっとも非人間的に見えるかというと、愛の誘いを受けながら相手に愛で答えないことである。

 

▲   望んだ戦い

 愛する者が相手に与える傷は喜んで受け取られる。

二本の愛の矢で、二人が互いに相手の心を射ちあえば、

自分が負わせた傷で相手は治り、痛みもどこえやら。

そんなわけで二人のどちらもその願いを失わない。

 


 

 

●戦争の喜ばしき大義。

 

【ポルフュリオス】

 あの小さなキューピッドを産んだ女神ヴィーナスは、託宣を乞い、託宣からもう一人の息子を産むときはじめて体が大きくなることを知った。ヴィーナスは、キューピッドに敵対するアンティエロスを産んだ。[34]そしてたがいに愛の〔棕櫚(シュロ)〕をめぐり争っていると、その戦いは[キューピッドではなく]アンティエロス自身の成長の原因となった。

 

▲   競いあえば愛は高まる

 キューピッドとアンティエロスは棕櫚を手に入れようと争っている。

愛することと愛されることとが二つ競い合う。

勝利を左右するのは、相手をだれよりも愛するということ。

二人には真実の愛があるので、勝利は我がものと考えている。


 

 

●愛するものにとっては、すべてが共有物。

 

みよ、フォーチュンは二人のキューピッドにひとつの盃で、

  交互に苦さと甘さを混ぜたものを与える。

 

【タキトゥス 『ゲルマニア』】

結婚を始めるに際しての儀式そのものによって女性は、次のように警告される。武勇の外にあると、考えることなかれと。さらにまた戦争の苦しみの外にあると、また耐える自分として、勇気ある自分として、平和な時にも、戦いの時にも、苦難と危険をともにする仲間となるようにと。

 

▲   似たような運命を二人に

 フォーチュンは二人の恋人に、ひとつの杯を公平にいっぱいにする。

杯の味がすっぱかろうと甘かろうと

互いに喜びも苦しみも分けあうことが

ひとり、つまりは二人には等しくふさわしい。


 

 

【アリストテレス】

●ともに生活する二人にとって認識しかつ行動するためには、一人より二人のほうが強い。

 

両足とも悪いキューピッドが、盲目のキューピッドの肩で背負われ、

 盲目のキューピッドに眼を貸す。盲目のキューピッドは足を提供する。

信頼関係にある愛ほど、偉大なるもの、甘美なるものはなく、しかも

 これほど、豊かにして助けになるものはない。

 

 

▲   手で手を洗うように

 愛が愛を助けると、親切な行為は帳消しになる。

足の不自由な愛は盲目の愛に道を教え、

盲目の愛は足の不自由な愛を背負って、愛する気持ちを態度で示す。

こうして二人の欠点を相手がそれぞれ補ってくれる。


 

 

【ソクラテス】

●意思と愛によって二者が一者となることが、愛の目的である。

 

【レオ・ヘルブトゥス】[35]

愛する者たちの霊的な結合はありえ、肉体的な結合はあってはならない。だから、肉体の合一ができない。そのために愛する者たちの悩みは、二倍に膨れる。

 

【ルクレティウス】

  なぜなら、肉体によって、[愛の]焔はまた消されうるという希望は、

火焔が出た起源である同じ肉体の中にあるとはいえ、

火が消されうることを、<自然>がそこにいて邪魔するからだ。

 

▲   一体が愛の望み

恋人には、ついには相手と一体になって調和するという

希望があって、それを長いこと熱心に願っている。

二つの体にひとつの心が宿ることはふさわしい。

でも相手の体がなくなると、二人は苦しむことになる。


 

 

●神ゼウスの後に位することを私は望まないが、けれども<愛>にはよぎなく遅れをとる。

 

ゼウスには譲りたくなかったといわれている境界神テルミヌスよ、

 キューピッドの右手にことを学べ。

うまく始める愛―それを、老年も

 運命も、いかなる日々も終わらせることはない。

 

【ボエティウス】

だれが愛する者たちに法を授けようとするのか?

<愛>に命令できる法はない。

 

▲  なにものにも愛は妨げられない

 愛の申し出をしりぞけられるのは、ただキューピッドだけで、

そうゼウスもだれもが、みなそろって譲らなくてはならず、

だれもが愛の力に屈して隷従する。

ただその例外は、力でも動かしえない愛のみ。


 

 

【セネカ】

●天の神々をもまた、愛は征服する。

 

【オウィディウス】

         次のように太陽神アポロはキューピッドにいう。

「だれであれその人の心に、お前の炎で愛をかきたてることで、

それで満足せよ。我々神々からの賞賛を要求することのないように」。

女神ヴィーナスの息子はこう答えた。「アポロよ、君の弓は

あらゆるものを貫くが、僕の弓は君を刺し貫く。そしてすべての動物が

神にかなわぬよ程度において、それだけ君の栄光は動物ばかりか神々をも屈服させる私たち[キューピッド]の栄光よりも劣るのだ」。

 

▲   愛はすべてを征服する

 キューピッドが弓を引き、輝けるアポロの胸を傷つけようとしたが、

それでもアポロに彼はこういった。「君はピュトンを倒したけれども、

どうみてもこの怪物は神々よりもはるかに劣ると考えられている。

そのように君の力は僕よりもないことがやがてわかるだろう」。[36]


 

 

 

  少しづつ

雄牛は、初めのうちは軛を担うことに我慢しようとしない。

だが訓練すれば、そのうち軛になれてしまう。

これと同じように、愛に誘われても愛そうとしない者も、

愛に支配されることにやがては満足するものなのだ。

 

 

 

  逃げ遅れ

君はおろかな恋人なのだから、逃げたってもう無駄だ。

どこに逃げ走っていいのかわからないのだから、走ってもなんの役にもたたない。

君が逃れようとしているものは、君の心の中にあるのだから。

どんなに頭を使っても自分から逃げることはできはしない。

 

 

 

  愛は量れない

秤と綱とはキューピッドがきっぱり拒むもの。

愛ははかり知れず、定規では測り切れないのだ。

手綱を使って愛を抑えようとしても、それは無駄な仕事に終わる。

ただキューピッドの力によって、ものごとは調和を保つのだ。

 

 

 

  愛は力のもと

愛ゆえに始めたことでないなら、それはなによりも優れた

値打ある行ないの高みには到達しなかったであろう。

だから今、愛することに勝利をおさめると、ほかのいくつもの勝利を得たことになる。

もとをただせば愛が産んだ力から、これまでの数々の勝利は生まれていたのだから。

 

 

 

  すべては愛による

小人の愛の神は、矢を使って天と地をくまなく

貫き通し、調和と一致をもたらす。

そのおかげで、愛がなければ不調和で混沌としていたものが、

互いに仲よく結びつき、がっちりひとつになっている。

 

 

 

  アトラスよりも強い

詩人の語るところでは、アトラスが天地を支え、

それを手伝うのはヘラクレス。だからこの二人はすごいといわれている。

だが、キューピッドの力はもっとすごく、手助けは無用。

ただ愛の力だけで天地を支えてしまうのだ。

 

 

 

  愛の北極星

一番偉い人からしもじものあたりまで、

その人にぴったりふさわしい連れ添いが定められている。

それは天然磁石が強く恋人の心を引きつけるようなもので、

ひとたび天と愛が定めたことは、自分ではどうにも変えられないのだ。

 

アダマント石とはダイヤモンドや磁石のことで、ここでは磁石の意味。北極星が出てくるのは磁石に引き寄せられる方向が北だから。

 

 

 

  はじめは難しい

愛が初めて進みでて、相手の女性の愛をえようと近づき、

女性からに愛の許しをお願いしようとすると、

不安になって後ずさりし、恥ずかしくなって顔を覆い、

不安と希望の板ばさみで、どうしていいのかわからなくなる。

 

 

 

 

  まんなかを飛べ

君に命ぜられた道筋はダイダロスとまったく同じものであることを、こころせよ。

高く飛びすぎれば、人から軽蔑されてを恥をかくことになり、

低く飛びすぎれば、自ら自分を卑しめることになろう。

愛することもまた、ダイダロスをまねることがなによりもふさわしい。

 

 

 

  愛の試金石

金が火と炉で試みされ、

黄質のよしあしがはっきりとわかるように、

つらい憂き目と災難とから、

ほんものの愛はとどまり、にせものの愛は退くのがわかる。

 

 

 

  言葉よりは行ないのほうが効果的

愛とは甘い言葉で語りるものというよりは、

まさに行ないで示されるもの。甘い言葉の値打ちなど風にすぎない。

言葉は耳をうっとりさせても、真意を開陳しない。

しかし、心がわかった愛には偽りがない。

 

 

 

  戦いのない愛はない

愛は陣営を整えていて、陣の兵士は恋人たち。

かれらは見張り場で日夜、監視を行ない、

暑さ寒さもなんのその、

嫉妬にたいして守備体制をとっている。

 

 

 

  嫉妬は愛の影

太陽が照りつければそれだけ影は濃くなる。

愛が公然となれば、それだけ嫉妬もみえてくる。

それは嫉妬がいつも愛の影だからで、

暗い秘密のなかにいる愛がもっとも安全なのである。

 

 

 

  美徳は愛の案内人

ヘラクレスが愛の案内人になると、そのおかげでおおいに愛は、

勇気づけられ、愛の務めとして果たすべきことをなんでもこなす。

愛が美徳を案内人にすると、どんなことも困難ではなくなり、

苦痛をともなうこともやるのである。

 

*徳には力という意味があった。

 

 

 

  愛は誠実さを必要とする

愛はどんなことをするときにも、自分の顔を変装せず、

心は口となってあらわれ、見えなくなることもなく、

ギュゲスの指輪もはめない。愛はそんな者ではないのだ。

愛は、おのれの思いを打ち明けて、偽らざる好意をえるのだ。

 

*ギュゲスの指輪:リディアの羊飼いギュゲスは、あるとき偶然に、身につけると体が消える指輪を発見した。この指輪の力を利用して王妃と通じたのちに、妃と共謀して王を殺害し、自ら王となった。

 

 

 

  愛は時と共に作られる

熊は仔熊をなめて熊らしくしてやる。

仔熊は生まれたてには肉の塊にしかみえないものだ。

そのように愛ははじめにどんなにおかしく形のないもののようであっても

やさしい愛の技によって愛は形となるものなのだ。

 

  希望が養う

希望は愛の温床、心地よい安らぎを生む。

希望は遅れに負けず、ぐずつく痛みをいやす。

希望のおかげで愛する者の胸には揺るぎない心が保たれる。

希望がなければ、愛とは癒されない悲しみに過ぎないのだ。

 

 

 

  愛は盲目である

愛は空想に動かされてしまいたやすく脇道へそれるものだ。

まったくの盲目なのだが、愛はつまずきながらも前へ進む。

それはいとも懸命なる道が見えないし、わからないからである。

愛していると、知恵は消え、神々ですらそうなのだ。

 

 

 

  愛の望みのままに

愛する者はカメレオンのようでならなくてはならず、

自分のいる場にあわせてしばしば姿を変えなくてはいけない。

愛する人の望みが自分の望み、彼女が命令ずることは自分が命令ずること。

ちょうど彼女が変わるように自分も変わるのである。

 

 

 

  愛はすべてに勝る

キューピッドには素性が尊ばれることも、財産が優先されることもない。

王が羊飼いの娘を愛するようにさせてみたり、

羊飼いが愛を女王に降りそそいでみたりする。

愛は身分の釣合をほとんど気にかけない。

 

 

 

  愛はしばしば耳が遠くなる

愛の大切なすばらしい恋人について恥となるような

噂が吹いてくるものなら、愛はじっとこらえて聞かず、

両方の耳を押さえてつんぼを決め込み、

悪い話には耳を貸さぬことを示す。

 

 

 

 

【】ルビの記号

# ひとつのエンブレムの単位の区切り

 

 

  口は心をあばくもの

痛みを感じるところには手がそっとあてがわれる。

心におさめてあることは口があばく。

愛についておおく語れば恋愛をしていることが明瞭になり、

愛についてしばしば語れば、しばしば愛がばれてしまう。

 

 

  愛の秘訣は沈黙にあり

桃とガチョウは沈黙のしるしであり、

愛する者は愛には沈黙をまもるようにしなくてはいけない。

愛する者が愛について語れば自分の心を漏らしてしまうが、

愛に沈黙をまもれば、愛は探り出されない。

 

 

  自由のために隷従を

自由をあらわす帽子を愛は足で踏みつけ、

かわいらしい隷従のくびきをしっかり握っている。

自由の名は愛する者にはふさわしくないのだ。

自由に、愛する者は愛によって、自ら進んで隷属に導くかれるのだから。

 

 

  愛の輝ける太陽

ひまわりの花が太陽の進む方向に身を曲げるように、

まったく似たように、愛する者も自分の恋人の方に傾く。

彼の思いは彼女に釘づけになり、彼の視線は彼女に投げかけられ、

彼女は、彼が心を向かう、輝く太陽なのである。

 

 

  正しいところからふらつかぬこと

ちょうどおもりがまっすぐに下がるように、

愛する者はあっちへいったりこっちへいったりふらつくのではなく、

いつも自分の恋人のところに、まっすぐに正しくとどまらなくてはならない。

ひとたびぐらついて離れようものなら、自分の面目を失うことになるのだから。

 

 

  愛は恵によって育つ

若くてやわらかい芽に水が注がれていることにしばしば気を配り、

そうやって成長し、かぐわしく生い茂るようになる。

同じように恵が愛にほどこされると、それだけやさしい愛が養われ、

ついには愛の実が味わえるようになるのである。

 

 

  愛は雄弁のつくり手

愛は愛する者の舌を雄弁にしがちであって、

愛の甘い言葉で彼の恋人の耳を喜ばせ、

恋人の心を動かして、彼の落ち着かぬ不安を取り除いてもらう。

というのは、愛の話はしばしば大いなる知識を知らしめるからである。

 

 

  愛は芸術の師

キューピッドは音符によって愛する者に上手に歌うことを教える。

ちょうどかつてヘラクレスに紡ぐことを教えてやったように。

今あるほとんどすべての技は最初は愛から始まったのである。

愛は愛する者をすべての種類のものにふさわしくしてくれるのだ。

 

?紡ぐヘラクレスの出典

 

 

  チャンスは盗みのもと

腹がへって肉があるなら、肉を食べずにすますことはほとんどできないし、

のどが渇いていて、井戸端にいるなら、飲まずにはいられない。

愛する者が自分の恋人といっしょにいるなら、チャンス到来と考えるでしょう。

彼女と愛の交わりを控えることはまずはできない相談だから。

 

 

  ふざけていると本気になる

愛の罠は巧妙で、あたかも冗談であるかのように

ふざけてふいに、恋人をしっかりと捕らえる。

知らぬまに、結局は愛の虜にされてしまうのである。

だから愛の罠を避けたいのなら、愛とふざけあうな。

 

 

  愛は強いる

キューピッドは、自分に敵対する意志をもち、

どんな愛にも陥るまいとする者を愛にむりやり従わせてしまう。

キューピッドは彼らにくつわをはめておとなしくさせ、いなすのだ。

キューピッドは強力な力をもつ者すらにも己の力と技とを発揮する。

 

 

  のろまな恋人うまく行かない。

カメは怠惰をあらわす。

キューピッドは怠惰を嫌うので、鞭でカメから怠惰をたたき出す。

油断のなく進むことをキューピッドは注意深く期待しているのだ。

愛において遅れることは愛する者は嫌うにちがいない。

 

 

  愛はてだてを見いだす

ここにいるキューピッドがどうやって海を渡ろうとしているかごらんなさい。

矢筒を船に、弓をオールにして、

翼は帆のかわりにする。このように、愛はいつも、

自分の恋人のところに行くのにあらゆる手段をこうずる。

 

 

  愛には休みがない

どんな椅子にも場所にも愛は休んでいられない。

彼はけっして休息をとらず、日々、どうやったら恋人が喜んでくれ

恋人の暖かい眼差しをえられるかと考えている。

これだけはどんな場合でも、愛は油断なく怠ることがない。

 

 

  愛は、なかで燃えつきる

ポットのなかの液体はふたをしめていても飛んでいってしまう。

ポットのそとにおいた火が焼きつくしてしまうのである。

同じく、愛する者の心は美しい恋人の瞳の

まばゆくさん然と輝く光によって、自分のなかでじょじょに壊れていくのだ。

 

 

  忍耐が勝つ

ウサギとカメとが、二人のうちどちらが速く目的の地点に

着くかというスピードの賭けをした。

ウサギは走ってしばしば休み、カメは進みつづけて、

カメが勝った。だから恋人も進みつづけなくてはいけない。

 

 

  愛には恐れがない

ウサギは恐れを示しており、ウサギが愛に踏みつけられているのがみえる。

愛の心は勇敢で、恐れで動じたりはしない。

愛は自分の恋人にどんなに彼女が愛しいか示し、

その証拠として、恐れのない心をだすのだ。

 

 

  ひとつの喜びにかえて千の苦しみ

蛾はろうそくのまわりを喜んで飛ぶが、

炎のなかに降りれば、炎で焼かれてしまう。

ちょうどそんなように、愛する者は愛の火を喜ぶが、

その高価な喜びを買い込むと、愛の炎のなかで死んでしまう。

 

死:肉体の交わりによって、恍惚となるという意味が込められている。

 

 

  愛への抵抗はあっても最初だけ

愛を避けて自由に生きたいと思うなら、

なんらかの賢明な手段をこうじて、愛をドアのそとにやっておかなければならない。

ひとたび愛が入ってくるなら、手の打ちようがない。

愛を追いはらうにはあまりにも手遅れなのだから。

 

 

  フォーチュンは勇敢な者の助太刀

愛する者がねたみや恥辱と勇敢に戦い、

臆病な恋人ではないことをはっきり証明するとき、

その交戦で助太刀となってくれるのは、フォーチュン。

女々しく愛するものは、美しい女性を得るのに値しないのだ。

 

 

  おわりよければすべてよし

船はその行き先で港に着かないというなら、

波に揺られてむなしく進むことになる。

ちょうどそのように愛の運命もおわりになってわかる。

愛していながら、相手にふられるのでは、難破なのだ。

 

 

  大胆に準備して

 迅速ですぐに使える手が、愛する者には備わっている。

求めている機会をみてとるや、つかめるように、と。

はからずもつかまずに逃すということはないように、と。

なぜならその機会を失えば、取戻すことはできないから。

 

 

  愛は暗闇を好む

 光があるところで愛の行為にふけるのは、キューピッドの好むところでない。

好むのは、どこか秘密の場所か光が差し込んでこないところで、

見られることなく、ヴィーナス様の盗みを働くこと。

あたかもいちばん美味しいパンは、こっそり盗んだものであるかのように。

 

 

  愛は自然を変える

 ロバほど馬鹿なものもいないが、キューピッドには力があって、愛によって

ロバの感覚を研ぎ澄まし、ロバの愚かな心をなおしてやる。

ロバののろまは速くなる。キューピッドは、しばしば本性を変えてやり、

多くの才能を与える。けれど、甘さと酢っぱさをまぜこぜにして。

 

 

  労苦によって強められる

 ちょうど強い風が立派な樫の木を動かすように

根を張れば張るほど嵐も激しく吹く。

災いに出会うと、愛はより大きくしっかりと成長し、

逆境のひとつひとつを自分の愛の証にしてしまうのである。

 

 

  動作が結合をよぶ

 牛乳は長いことかきまわしているうちに、その性質がなくなるようにみえる。

牛乳は、そうやってほかの性質のものと、結合する。

ちょうどそのように、ふたりの恋人たちの心もひとつになることはない。

恋人が変化を被ることを最初から拒んでいるかぎりは。

 

 

  愛は助けを拒む

 愛は病気でベッドに寝込んでいても、医者の業を拒む。

愛は、自分を悲しませている原因が取り除かれることを悲しむからである。

愛によって悲しみが起こるということを愛は知っているが、?愛から離れようとはしない。

理性や薬草でも愛の病は癒されないのだ。

 

  君といないと暗黒のなか

僕の光よ。君が見えないと、ユリは

黒く見え、また

 

  不在が殺す

 僕の美しい恋人の顔を見ることができないために、

どんなものにも僕は心から喜べなくなってしまった。

ユリは黒く見えるし、太陽には?光がない。

恋人がいないために実情がこんなふうに変わってしまったのだ。

 

 

  愛の悲惨

 <愛>は悲惨のうちに生き、熱害、冷害を

しばしば受ける。そのためにキューピッドの矢が

壊れて、キューピッドの火が消えたらと望むのだ。

恋すると、皆、あるいは大半の人が悲惨に不平をもらすのだ。

 

 

  去る者日々に疎し

 鏡を見ていると、鏡は顔をうつす。

しかし鏡から離れると、鏡は同じように別な顔を見せる。

一度、鏡から目をそらすと、その姿は忘れられる。

そのように愛が見捨てた恋人は、?足が遠退く。

 

 

  売買される愛

 愛がときに財宝のために売られるのをみると、

<愛>は正当な不平をいいうるのであり、大変な虐待を受けているといえる。

あたかも高く重んじられている愛が、金【かね】の値打しかないかのようであり、

そして商人が愛を普通価格で売れるかのようにするのだから。

 

 

  捕る前には追わなくてはならない

 鹿が捕まる前にまず鹿は追われなくてはならない。

女性もまた手に入れられる前に追い求められる必要がある。

苦労をして手に入れるものは、その分だけ価値が大きくなる。

だって簡単に手に入るものは、価値ありとはされないのだから。

 

 

【】ルビの記号

# ひとつのエンブレムの単位の区切り

{}検討事項

 


 

 

  愛の喜びは手紙によって変わる

 愛は、相手が離れていたり遅れたりするといらいらし、

愛しているとはいってもなんの安心もえられないが、

ラヴ・レターが届いて、心のうちを知らされると、

愛の喜びは朽ち果て死にたえることからはまぬかれる。

 

 

  愛は愛を燃え上がらせる

 木のなかには同じ種類の木でこすると、

まず最初に熱が出て、それが大きくなって火がつくものがある。

そのように恋するもの同士も、目があうと熱い欲望が起こり、大きくなり、

愛の力が高まると、二人の心を炎で燃え上がらせる。

 

 

  失恋はすぐに癒える

 吹き消されたロウソクは、火の気がまだ残っているうちに、

すぐさまもう一度吹くつけると、火がつく。

同じように、偶然に消えた愛はおそらくいまいちど立ち戻る。

けれども時期にかなっていなくてはならない。そうでないなら吹いても無駄。

 

 

  愛は静けかを欠く

 火はその炎をゆらめかせ、ぴくりとも動かぬというわけにはいかず、

炎は前後に揺れ、決してじっとしていない。

同様に、恋するものの心は愛のためにうわの空となってさまよう。

?望みと意志のどちらにも永続すまいと決心しているから。

 

 

  愛は偽証罪に問われない

 恋するものは恋人の誓いを自由に行えるが、

その誓いが嘘だとしても、その責任は免れている。

だってヴィーナスは恋人が誓いを乱用することに特免を与え、{venusは小文字}

実際よりもおおげさに誓ってもなんら罪を犯すことにならないのだから。

 

 

  嵐の後には凪

 海は、風がおさまるまではけっして静まることはない。

ちょうどそんなふうに、恋するものの心は、フォーチュンの怒りがおさまって

嫉妬がその力を失うまでは決して安らぐことはない。

災いの原因が取り除かれると、災いというものはすぐさま止んでしまうのだ。

 

 

  愛は表われるものだ

 キューピッドの熱をもった火は、隠しおおせるものではない。

すこし隙間があったり、ちょっとした穴があると、愛は発見されてしまう。

恋を隠そうとするときには、それだけよく見つかってしまう。

だって愛は誰も見ていないという自信がもてないものだから。

 

 

  好意によって愛の力は増す

 炎は風に吹かれると火炎を大きく上げるが、

同じように、優しき言葉を吐く愛の快い息は

いっそう愛を大きくし、大きな価値ある愛にする。

愛は好意によって養われなくては、さらに大きく膨らむということはない。

 

 

  愛は日夜、付き添う

 愛は恋するものに夜となく昼となく付き添う。

だって寝ても覚めても、たえず恋人はキューピッドとともにいようとするからだ。

目覚めていては話かけ、夢の中にでも表われる。

誰もがえている安息は、恋人には喜びとはならないのだ。

 

愛は涙のように目から出て

  胸に落ちる。      *プブリウス・シルス(Publius Syrus)

 

ヴィーナスの息子よ、お前は武器も弓も不要だ。

  見てごらん。あの女〔ヒト〕は目から矢を産むのを。

次々と矢を打つと、傷口に傷を作っている。

  ああ、僕の命の糧にこんなに美しい光線がそそぐとは。

 

 

  視線は愛の矢である。

 僕を見る恋人の視線は、愛の力を与える。

その一瞥一瞥が矢であって、あの人から出てくる。

さてキューピッドよ、今はお休み。射る必要はないのだ。

だってあの人の視線は、君の矢と同じように僕の心に傷を負わせるから。

 

 

  彼女の美しい目による傷

 ああ、弓と矢をもつ<愛>よ、落ち着いて抵抗せよ。

というのは視線の一瞥で武装した恋人が

ぐさりと刺さる矢を心臓に打ち込むからだ。

その矢はお前の致命傷を負わせる傷よりもひどく深く刺さっている。

 

*プブリウス・シルス:mimographer

*ラテン語の「傷」(vulnus)には「矢」の意味が、イタリア語の「矢」(dardo)には光線の意味がある。

 

 

  私の胸は愛の標的

キューピッドよ、ここが標的だ、こちらに矢をみんな向けろ。

 だって無防備な私の胸は傷にされている。

お前の飛矢が僕の体に刺さるほどには、

 腹をすかした禿鷹も*テイテュオスに傷を与えていない。

 

  恋人の心はキューピッドの的【まと】

 恋するもの心臓に、キューピッドはねらいをぴったりとあてる。

キューピッドは心臓を標的として、決して外すことはない。

また射ることをやめることなく、矢を次々とつがえては放つ。

そしてこの上なく巧みな射手だという名声を誇りとして喜んでいるのだ。

 

  心臓が愛の標的

 

 

*テイテュオス:ゼウスの子で巨人。アポロの母ラトナを侮辱したために、アポロとアルテミスの矢によって罰せられ、冥界に落とされる。冥界では二羽の禿鷹が彼の肝臓を食う。

 

 

  恋人に救いはない

 傷つけられた心臓は、痛みを軽くする方法を心得ていて、

*シロアザミを使って矢を抜き

その同じ薬草で自分の傷を癒す。

しかし愛は自分の心の中にできた悲しみを癒す薬草は見つけられない。

 

*シロアザミ

 

 

  盲目のフォーチュンは愛を盲目にする

 ときには盲目のフォーチュンは愛をも盲目にして、

いっしょに、回転する地球儀の上に乗せて、くるくると目を回させることをする。

これは、冷たさがまさり、愛が軽くてそのか弱い熱が消えたときに起こるが、

熱烈で忠実な愛は、そんなフォーチュンに遭遇することがない。

 

 

  恋の骨折りは虚しく費やされる

 ほくちがないのに火打石を打っても無駄というもの。

同じように、愛が燃え上がらないところでは愛は消えてしまうだけ。{TheLove

だって愛は愛を育み、愛を本来の熱さに保つはずだから。

愛はたったひとりで生きねばならぬところでは、決して生きることはできないのだ。

 

 

  苦痛なくして喜びなし

 バラを摘めば、トゲでちくりと刺され、

美味しいものを手に入れようとすれば、酢っぱいものを味わう。

愛の喜びと混じっているのは、大変な苦痛を与える鋭い刃。

けれども愛をついに手に入れたとき、それまでの苦労は惨めにはならない。

 

 

  愛は哀れみを欠く

 軍神マルスは人間が血を流し、略奪され、権力の座から引きおろされても、

怒り、激昂していると、哀れみを感じないが、そのように、

キューピッドは歎きや涙になびくことがなく、

祈り求めれば求めるほど、それだけ哀れみを見せることがない。

 

 

  出発するのに遅く

 キューピッドは急いでやってくるが、ゆっくりと去っていく。

キューピッドは自分が帰ることを押しとどめる理由を素早く見つける。

<希望>によってキューピッドは、遅れるとなぐさめがあると信じこまされている。

別れる時の苦痛を恐れるあまり、キューピッドは立ち去るのを嫌がるのだ。

 

 

  夢が喜びを生む

 恋人は昼間に幻想に耽り、夜になると夢を見る。

夢では自分の女【ひと】が目の前にいると思い、

自分が心から願っていた幸せに喜ぶ。

しかし幸せがこうじてひとたび目がさめるとその喜ばすものを失う。

 

 

  愛は愛の医者である

 傷を引き起こしたものによって傷の癒しは見つかる。

傷の原因となったものは、安楽の原因となり、

病気を引き起こしたものは、その病をこのうえなくうまく癒す。

愛は愛が傷を負わせた箇所に、バンソコウをはるにちがいない。

 

 

  愛の炎は消されることがない

 水をかけても愛の熱は和らぐことはなく、愛の炎を燃え立たせ、

キューピッドの心臓を燃やす火は、水を燃やす。

冷たさによって増えいく熱をもとに戻させる。

愛が助けを望んでも、愛のもたらす害は同じである。

 

 

  ?茶色の果実は甘い味がする

 キューピッドはいつも一番きれいな白を目がけて狙うわけでなく、

かわいらしい茶色を目がけてもっともしばしば弓を絞る。

身のこなしのよさと姿態の美しさとは、?

選ぶことを喜び、自分の喜びの原因

 

 

  愛は多くの手段を使う

 蔦は弱い自分を支えてくれるものをなにか見つけようとするが、

恋人はおのおのふさわしい時期を利用して

自分がしっかりと?握ることをしようとする。

?だって恋人のよさを入れようとするどんなものもこぼれてしまうからである。

 

 

  見せると癒される

 傷を受けて痛みをもつ人は自分の悲しみを大胆に演じ、

自分の<外科医>の目の前で傷をさらけ出す。

そのように君の心の歎きがあるところを君の恋人に見せると、

病んでいることを知って、安心をする最初の理由である。

 

 

 

  日も過ぎてから申しだされた親切は

  望んだものとはいえ遅過ぎる

 恋人が親切を申し出でても儀礼上、まず断わられるが

最初に申し出たときに受け入れても、不自然なところはない。

しかし何度も断わっておきながら、また勧められないか思っても、

?願うのは遅過ぎて、ばかだったと言ってすまされない。

  恋人には話し相手は邪魔

 恋人は愛するのに仲間を誰も入れない。

いやしくも愛であるなら、恋人は仲間をそこから去らせる。

恋人やまた主も例を耐えることができず、

恋人は愛する女【ひと】の優しい心をたったひとりで楽しむのだ。

 

 

  恋人とその愛人とは仲間を望まない

 

 

  フォーチュンは愛の鏡

 完全な鏡が顔を写し出し、

鏡は誠実であって、決して顔にこびへつらいはしない。

そのようにフォーチュンは人を昇進させたり、失墜させたりして、

運命によって鍛えたれた愛の場合には、引き続いて起こる結果を告げる。

 

  死に耐える愛

 たとえ、あらゆる人に憎まれて、剣、炎、拷問、死によって

恋人が恋するものに?とて、

恋人は息をする体であるかぎりは、確固不動の愛を保ち、

?心変わりのするものにはそれはわからない。

 

 

  愛が大きければ大きいほど恐怖も大きい

 愛が大きければ大きいほど、それだけ恐怖も殖える。

この上なく愛するものを一番気にかけるからだ。

こうして愛は恐怖を作り、恐怖は愛を作る。

失うことを恐れながら、気にもかけないというものはいないのだ。

 

 

  愛の涙は愛のあかし

 恋人の涙は、悲しんでいることの証人となり、

恋人の熱烈な愛は炎であり、心臓はふいごである。

ふいごを吹く風は溜息であり、心の中の傷から起こってくる。

蒸留器は二つの目で、そこから涙が流れてくる。

 

 

  愛は自分の栄養で殺される

 たいまつは蝋があってはじめて燃えつづけるが、

たいまつを逆さにすると、すぐに火は消え去ってしまう。

ちょうどそのように、キューピッドの熱のおかげで恋人は生きているが、

愛が反対の方向に向くと、そのために恋人は殺されてしまう。

 

 

  奇想による満足

 愛の償いは、愛の思いすらも、

愛は自分の愛する人の愛らしい顔を心の中で想像して、

それはたとえ恋人がその場にいなくとも、そこにいるのだと思い、

こうしてあらゆるものを持っていながら、まったくなにも持っていないのだ。

 

 

 

  愛には誇りがある

 美しき着飾った高慢な孔雀の尾を愛は踏みつける。

それは愛が高慢を嫌い、また軽蔑しているからである。

愛すれば双方は等しいものだキューピッドは考えている。

そして自分の愛に満足するとは、奴隷になることに満足することなのだ。

 

 

  愛は冷たいもてなしをする

 キューピッドが必ずもてなし役の主人となる宿屋に

泊まるつもりにしている者は賢くはない。

そこではワインの代わりに薬を飲まされ、

逃れないことを求める者は、どうやって危険から逃れられるだろうか。

 

 

  愛の忍耐

 愛は丘にあろうと谷にあろうと、

南にあろうと北にあろうと、寒い所だろうと熱い所だろうと、

これまでにないような接近戦や危機にあってすらも、

どのような危険も恐怖も、愛には勝てない。

 

 

  どんな仕事も疲れない

 仕事がどれほど苛酷であっても、自分の仕事が辛いというのを

恥じるのは、ただ愛のみ。というのは、骨を折るとは休養をとることであり、

キツネ狩りや鷹狩りをするときに、苦労が楽しみとなるようなもの。

そうなるのは、獲得するという希望にすべてかかっているから。

 

 

  愛の無限の苦しみ

 海のなかにみられる大波も、

砂浜に打ち上げられるザルガイも、

逆境となって不幸に満ちあふれるときの

愛の歎きに較べれば、その数ははるかに負けている。

 

ザルガイ:食用の二枚貝。英語で「心のザルガイ」というと、心の奥底という意味。

 

 

  愛は惜しみなく与える

 強欲が重くのしかかり悲惨で貪欲な心は、

財布の紐がどれほど堅くとも、愛によって気前よくなる。

愛が胸をその矢でただ突き刺せば、

鍵や紐ももちこたえられず、やすやすと開けられてしまう。

 

 

  愛は決して醜い女性を持たなかった

 恋人は自分の愛する女性を、美しいと考える。

恋人は自分が愛し慈しむ女【ひと】を醜いとは思わない。

女性に欠けているものを欠けているとは決して見なさない。

だって、愛とは愛するものの欠点を残らず補うのだから。

 

 

 

  愛は?怒るものを穏やかにする

 キューピッドはマルスの剣を手からもぎとって、

どんなにすざまじくマルスが怒っていてもすぐにその怒りを静める。

この?効果からわかるように、愛は戦うことよりも有能であって、

堅固で揺るがぬものに、愛はなだらかさをもたらす。

 

 

  続けることによって

 最初の一撃で大木は地面に倒れないが、

数多く打つとそのためについには倒れる。

点滴は長いこと?しっかりと落ちることによって石に?穴をあける。

そのように長く耐えることによって、長いこと求めてきたい愛が見つかる。

 

 

  選ぶと混乱が生まれる

 ?乙女は、香りのよい花がはえているところにやってきては、

そのなかから最初に選んだ花をいつも摘みとるが、

別な花を摘みとるとすぐに前の花を忘れてしまう。

そのように揺らぐ心は新しく選んだために、前のものを失ってしまう。

 

  終わることなく

 心臓に打ち込まれた矢の柄を見よ。

矢をキューピッドは心臓に打ち込み、射るのを辞めようとしない。

毎日悲しみが新たに生まれ、歎いたところで役には立たない。

だがそれにもかかわらず、いや?それ以上に、変わらぬ愛がとどまるであろう。

 

 

  不親切な恋人は笑い顔で殺す

 ワニは人を殺すときに波がを流す。

不親切な恋人は殺すときには笑う。

しかし困っているものを笑うのは憎しみの気持ちをあらわす。

笑う?蛇は愛するものの心をなによりも苦しめるのだ。

 

 

  すぐに火がつくものはすぐに焼失する

 藁はすぐに火がつき、そしてすぐに炎をあげて燃える。

しかし火がつくと、すぐにすっかり焼失してしまう。

そのように愛は火がつくと、すぐに?滅んでしまう。

ことはなんでも性急に始まると、同じく終わりも性急になる。

 

  真意を隠すことは愛の知恵

 愛していることを騙すためでなく、愛は仮面を用いる。

変装しているように見えても愛される女性の方は恐れる必要はない。

それは密かに悪意を抱いているものを騙し、

それによって邪悪の舌がはっする悪口から自由になるためなのだ。

 

 

  最初は快く、次には痛ましく

 太陽が昇り始めると、人々の心は喜び、

真昼にはその熱が大きいために焼け焦がすように、

愛は最初のうちにはこの上もなく大きな歓喜を授けるが、

怒かり狂って燃えだすと、歓喜にかわって苦痛がある。

 

 

  力によっていっそう強くなる

 流れる水をせきとめようとするものがなにかあると、

あふれるまえであっても音をたてて怒り出す。

もしフォーチュンかなにかのために、愛と敵対するはめになると

欲望は反対をし、力によって愛を勝ちとろうとする。

 

 

  愛すれば心は必ず休まらない

 海の大波が岩に打つように。

思いは朝な夕な恋人の心をかき乱す。

だって愛すれば平静に落ち着いてなどいられるのはまさしく稀なことだから。

安息を欠いた思いは安息をかくも残酷に?扱うからである。

 

 

  愛は火を?食べて生きる

 火のただなかにあっても傷を被らずにサラマンダーは生きる。

恋人は愛の炎を喜び、

?愛は炎を命の糧とする。

恋人ならばこそ、死にいたることが生命を与えるのだ。

 

  たえて変わることなく

 花が新鮮で美しいときには、花は楽しいものだが、

いったんしぼんで枯れてしまうと、その価値も過ぎ去ってしまう。

愛はそれとは逆に、いつの時代でも生きて長く続く。

というのは、時間は真の愛からその?当然の報酬と権利とを奪ってはならないからだ。

 

 

  ただ最後まで

 火のついたマッチは最後まで燃えつつ゛ける。

そのように火が真実なる愛の心の中で一度燃えると、

そこで燃え続け、決して離れることはない。

というのも、恋人の真意はいつまでも長く続くからである。

 

 

 歳老いた狐はしばしば騙される

 ほらごらん。愛がときには年老いた狐を罠にかけるさまを。

キューピッドが狐が逃げようとしている間に矢で射つ。

愛が仕掛けた罠にはまるのは、若者だけではなくて、

狡猾な老人ですらも、?悪巧みに注意することを望む。

 

 

 愛の心はいつも若い

 キューピッドの翼にはさみを入れて、

いつもよりも低く飛ばせるのはただ時間のみである。

?しかし時間は自分の善意をそれに捧げてはさみを入れず、

年寄の荷馬車引きが鞭を入れるのを聞くのを好むのだ。

 

 

  愛は狡猾にたける

? アルゴスは百の目で見ることを望まなくとも、

キューピッドは笛を使って目を残らず眠らすことができる。

しかし眠っている誰がキューピッドから安全でいられようか。

油断なく見張ることそのものが、キューピッドに騙されるというのに。

 

アルゴス:ギリシア神話に登場する百の目をもつ巨人で、見張り人。

 

  ただ追うのみ

 愛はときには狩猟して追いかける方を喜び、

そしてなによりも最初に好んでいる鹿を?射ち、

他の鹿を追いかけて、最初に射止めたものを休ませておく。

それは別の一頭を手に入れるためではなく、ただ追いかけるためだ。

 

 

  風が吹く?前は巡航

 愛の幸福はここでは風と潮とに一致し、

帆をいっぱいにふくらまして望みの港に進めてくれる。

しかし嫉妬が逆風を一吹きもしないというような

そんな幸福に恵まれるという話をほとんど誰もすることができない。

 

 

  死後の愛

 長い年月を経ても、蔦はかつてこれらのか弱い茎を

支えていた楡をずっと抱いている。

そして歳をとった今もいつもいっしょにいる。

愛は死によって殺されず、死後にも続いていく。

 

 

  遅過ぎた裁判

ただ死によってのみ愛の真意が知られなくてはならない場合には、

愛の真意が見せられるのでは証拠が遅過ぎる。

そんな結末に終わるというのは、あまりにも極端な証明であるが、

十分であっても、多過ぎるということはなく、ああ、十分であったのだ。

 


資料

In producing a book of love emblems, Van Veen was following a trend which began in  Amsterdam in 1601 with the publication of  Quaeris quid sit Amor, a compilation of twenty-four love emblem prints produced by the artist Jacques de Gheyn with accompanying Dutch verses by Daniel Heinsius. Van Veen's volume is far more comprehensive, consisting of 124 emblems. The  amorous maxims which accompany and interpret the pictures are mostly, but not always, taken from Ovid.  Addressed to young people, the book depicts love as an overruling power which should be followed to gain happiness. 

 

Our copy is enhanced by interleaving - that is, a blank page has been deliberately bound in between each printed page to allow the owner of the book to make his own additions and comments; personalisation of books in this way was not uncommon in the seventeenth century. In this case, fifty-three pages bear annotations in at least two discernable hands.

 

Other items of interest

 

This piece has drawn on and quoted from five articles discussing the S.M. Add. 392 volume in Emblems and the manuscript tradition including an edition and studies of a newly discovered manuscript of poetry by Tristan l'Hermite edited by Laurence Grove  (Glasgow emblem studies vol.2) Glasgow: Glasgow Emblem Studies, 1997: Sp Coll S.M. Add. 400; see also Leonard Johnson 'Amorum emblemata: Tristan l'Hermite and the Emblematic tradition' in Renaissance Quarterly, 21 (1968), 429-441

 

Other editions/copies of Amorum Emblemata in Special Collections: Antwerp, 1608: Sp Coll S.M. 1050 and Sp Coll S.M. 1050.1 & 1050.2; Paris, [16--?]: Sp Coll S.M. 1492; [Paris?], [16--?]: Sp Coll S.M. 1866 & 1867; Amsterdam, 1618: Sp Coll S.M. 1051; Brussels, 1667: Sp Coll S.M. 1054; Brussels, 1715:  Sp Coll S.M. Add. 214

Facsimile: 1608 edition, with introduction by Karel Porteman (Scolar Press, 1996): Sp Coll S.M. Add. q136

 

Editions/copies of Van Veen's Emblemata Horatiana: Antwerp,1607: Sp Coll S.M. 1868 & 1869 & 1874 & 1875; Antwerp, 1612: Sp Coll S.M. 1497 & Add. q41 & Sp Coll Robertson Bf75-a.25 & Sp Coll c.3.20; Brussels, 1672: Sp Coll S.M. 1879; Amsterdam, 1683:  Sp Coll S.M. 1058; Brussels, 1683: Sp Coll S.M. 1878 & Sp Coll BD16-b.11; Amsterdam, 1684: Sp Coll S.M. 1059 & 1059.1; Amsterdam, 1701: Sp Coll S.M. Add. f36; Amsterdam, 1733: Sp Coll S.M. 1880; The Hague, 1755: Sp Coll S.M. 1061 &1061.1; Florence, 1777:  Sp Coll S.M. 1873 & 1870 & 1871

 

Editions/copies of Van Veen's Amoris divini emblemata: Antwerp,1615: Sp Coll S.M. 1053 & S.M. 1053a; Paris, 1620: Sp Coll S.M. 500 & 500a; Antwerp,1660: Sp Coll S.M. 1493, 1494 & Add. q12; Amsterdam, 1711: Sp Coll S.M. 1056; Amsterdam, 1717: Sp Coll S.M. 670; Paris, 1719: Sp Coll S.M. 1057; Amsterdam, 1724: Sp Coll S.M. 640 & 640.1; Amsterdam, 1727: Sp Coll S.M. Add. 12; Amsterdam, 1737: Sp Coll S.M. Add. 30; Utrecht, 1749: Sp Coll S.M. 640a; 

 

Other works by Van Veen: Emblemata siue symbola a princibus, viris ecclesisaticis, ac militaribus, alijsque usurpanda. Deuises ou emblemes pour princes, gens d'Eglise, gens de guerre, & aultres. Brussels,1624: Sp Coll S.M. 1495 & 1495a; Historia septem infantium de Lara ... Antwerp,1612: Sp Coll S.M. Add. 14

 

Of related interest: Daniel Heinsius  Quaeris quid sit Amor, quid amare, Cupidinis et quid castra

sequi? chartam hanc inspice, doctus eris. Haec tibi delicias hortumque ostendit Amorum: inspice; sculptori est ingeniosa manus Amsterdam: ca 1607 Sp Coll S.M. 567

 

Boot, P. “Playing and displaying love”. Theatricality in Otto van Veen’s Amoris divini emblemata (Antwerp 1615). In: Proceedings VII International conference of the Society for Emblem Studies [in print] Ed. Mara Wade. to appear

 

 

 

 

伝記

Otto van Veen, also known by his Latinized name Otto Venius or Octavius Vaenius, (Leiden, c. 1556, – Brussels, May 6, 1629,) was a painter, draughtsman, and humanist active primarily in Antwerp and Brussels in the late sixteenth and early seventeenth century. He is known for running a large studio in Antwerp, producing several emblem books, and for being, from 1594 or 1595 until 1598, Peter Paul Rubens's teacher. His role as a classically educated humanist artist (a pictor doctus) was influential on the young Rubens, who would take on that role himself.[1]

 

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Life

 

Van Veen was born in Leiden around 1556, where his father had been burgomaster.[2] He probably was a pupil of Isaac Claesz van Swanenburg until October 1572, when the Catholic family moved to Antwerp, and then to Liège. He studied for a time under Dominicus Lampsonius and Jean Ramey, before traveling to Rome around 1574 or 1575. He stayed there for about five years, perhaps studying with Federico Zuccari. Carel van Mander relates that van Veen then worked at the courts of Rudolf II in Prague and William V of Bavaria in Munich, before returning to the Low Countries. In Brussels, he was court painter to the governor of the Southern Netherlands, Alexander Farnese, Duke of Parma until 1592, and then active in Antwerp.

 

After becoming a master in the Guild of St. Luke in 1593, van Veen took numerous commissions for church decorations, including altarpieces for the Antwerp cathedral and a chapel in the city hall. He also organized his studio and workshop, which included Rubens. Van Veen's connection to Brussels remained, however, and when Archduke Ernest of Austria became governor in 1594, he may have aided the archduke in acquiring important Netherlandish paintings by the likes of Hieronymus Bosch and Pieter Bruegel the Elder.[3] The artist later served as dean in two prominent organizations in the city, the Guild of St. Luke in 1602, and the Romanists in 1606.

 

In the seventeenth century, van Veen often worked for the Archdukes Albert and Isabella, but never as their court painter.[4] Later paintings include a series of twelve paintings depicting the battles of the Romans and the Batavians, based on engravings he had already published of the subject, for the Dutch States General.[5] Increasingly, van Veen was active in producing Emblem books, including Quinti Horatii Flacci emblemata (1607), Amorum emblemata (1608), and Amoris divini emblemata (1615). His association with humanist culture is reflected in the Latin name by which he is often known, Octavius Vaenius.

 

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Notes

^ Belkin (1998): 26–28.

^ Van de Velde.

^ Bertini (1998): 119.

^ Van de Velde.

^ Rijksmuseum

 

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References

 

Wikimedia Commons has media related to:

Otto van Veen

Belkin, Kristin Lohse: Rubens. Phaidon Press, 1998. ISBN 0-7148-3412-2.

Bertini, Giuseppe: "Otto van Veen, Cosimo Masi and the Art Market in Antwerp at the End of the Sixteenth Century." Burlington Magazine vol. 140, no. 1139. (Feb., 1998), pp. 119-120.

Rijksmuseum Amsterdam, Otto van Veen's Batavians defeating the Roman (sic)

Van de Velde, Carl: "Veen [Vaenius; Venius], Otto van" Grove Art Online. Oxford University Press, [accessed 18 May, 2007].

Entry at the Netherlands Institute for Art History

 

Categories: 1629 deaths | Dutch painters | Flemish painters | Mannerist painters | Renaissance humanists | People from Leiden

 

伝記の位置づけ

The Netherlands became the centre of the vogue. Vaenius' Amorum Emblemata presented metaphors from Ovid and other Latin erotic poets with pictorial representation. The Dutch emblem books were widely translated, plagiarized, and reprinted with different text or engravings. From polyglot editions, begun by Heinsius' verses in Dutch and Latin and later in French, publication of emblem books became an international enterprise, and books of love emblems were exchanged by lovers and formed pretty little encyclopaedias of those “questions of love” that had been the erudite pastime of the academies throughout the Renaissance. Meanwhile, the Dutch emblematists had turned to religious emblems, serving Calvinists as well as Jesuits, who used them for propaganda. In Vaenius' Amoris Divini Emblemata (1615), quotations from St. Augustine replace those of Ovid, and Cupid reappears as the soul's preceptor

 

François L'Hermite

François L'Hermite, sieur du Soliers dit Tristan L'Hermite, né au château de Soliers, dans la Marche, 1601 et décédé à Paris le 7 septembre 1655, est un poète et dramaturge français.

 

Auteur dramatique fort applaudi en son temps, et dont la pièce de début, la fameuse tragédie de Mariane, contrebalança le succès du Cid, joué la même année, poète lyrique à l’inspiration bien personnelle et au souffle large et parfois superbe, polygraphe intéressant dans ses Plaidoyers historiques et ses Lettres mêlées, conteur à la fois aimable et amusant dans sa curieuse autobiographie du Page disgracié (1643), si instructive, en outre, sous le rapport des événements comme des mœurs de la période qu’elle embrasse, Tristan L’Hermite a emprunté son prénom à un de ses ancêtres, grand prévôt de France sous Louis XI.

 

Descendant probablement de Pierre l'Ermite, le prédicateur de la première croisade, sa famille est quasiment ruinée à l’époque de sa naissance. Il est malgré tout placé comme page chez Henri de Bourbon, fils illégitime d’Henri IV et de la marquise de Verneuil, en 1604. Il passe ensuite chez Scévole de Sainte-Marthe, trésorier de France avant de devenir secrétaire du marquis de Villars-Montpezat. Descendant d’une race dont vingt-six avoient passé par les mains des bourreaux, il en avait hérité le sang bouillant et la violence primesautière. Ayant blessé successivement à coups d’épée un cuisinier qui avait eu le tort de lui jouer une mauvaise farce puis, à Fontainebleau, un promeneur qui l’avait heurté par mégarde, il est obligé, en 1614, de s’exiler en Angleterre après avoir tué un opposant en duel, épisode qu’il a relaté de façon romancée sur le mode burlesque dans le roman Le Page disgracié.

 

En 1620, il participe aux campagnes de Louis XIII contre les huguenots dans le Sud-Ouest. En 1621, il entre au service de Gaston d'Orléans, frère de Louis XIII et participe à la création de plusieurs ballets de cour. Il en résulte pour lui une vie d’errance qui ne l’empêche pas de se faire un nom dans la République des lettres avec ses poésies mélancoliques chantant avec une grande sincérité les charmes de la nature et de l’amour : La Mer, 1627, les Plaintes d’Acante, 1633, Églogue maritime, 1634, les Amours de Tristan, 1638, la Lyre du sieur Tristan, 1641, Vers héroïques, 1648.

 

Lié aux Béjart, il a également écrit pour le théâtre avec des tragédies, parmi lesquelles la Mariane, 1636, Panthée, 1637, la Mort de Sénèque, 1644, la Mort de Crispe, 1645, Osman, 1650, une tragi-comédie, la Folie du sage, 1644, une pastorale, Amaryllis, 1653 et une farce Le Parasite, 1654. Le succès (à l'exception de Panthée où la place tenue par le lyrisme nuit à l’intrigue) remporté par ses tragédies, où la critique littéraire a discerné des « moments pré-raciniens », le firent considérer comme un rival de Corneille par ses contemporains. Il a également publié des Lettres mêlées, 1642 et des Plaidoyers historiques, 1643.

 

Il a été élu à l’Académie française en 1649. La vie de débauche qu’il menait dans l’entourage de Gaston d'Orléans et son goût immodéré pour le vin et le jeu finirent par avoir raison du peu de santé que lui laissait sa tuberculose. Rapidement oublié à sa mort, il a bénéficié de la redécouverte de la littérature baroque et des auteurs libertins dont il diffère pourtant.

 

Bibliographie [modifier]

 

Œuvres [modifier]

François Tristan L’Hermite, Œuvres complètes, Paris, Honoré Champion ; Genève, Slatkine, 1999-2003 : tome 1 (Prose) (ISBN 9782745301543) - tome 2 (Poésie) (ISBN 9782745306067) - tome 3 (Poésie) (ISBN 9782745306074) - tome 4 (Tragédies) (ISBN 9782745303844) - tome 5 (Théâtre, Plaidoyers) (ISBN 9782745301529).

 

Œuvres en ligne [modifier]

Œuvres de Tristan L’Hermite en ligne sur le site Gallica

Stances et autres œuvres du sieur Tristan.

Ses pièces et leurs représentations sur le site CÉSAR

Choix de poèmes

 

Références [modifier]

 

Livres [modifier]

Claude Abraham, Tristan l’Hermite, Boston, Twayne, 1980

(en) Claude K. Abraham, The Strangers: The Tragic World of Tristan l’Hermite, Gainesville, U of Florida Press, 1966

Sandrine Berregard, Tristan L’Hermite, ‘héritier’ et ‘précurseur’: Imitation et innovation dans la carrière de Tristan L’Hermite, Tübingen, Narr, 2006 ISBN 9783823361510

Doris Guillemette, La libre pensée dans l’œuvre de Tristan l’Hermite, Paris, Nizet, 1972

Catherine Maubon, Désir et écriture mélancoliques : lectures du ‘Page disgracié’ de Tristan l’Hermite, Genève, Slatkine, 1981 ISBN 9782051002561

 

Articles [modifier]

Claude K. Abraham, « Le Succès inexpliqué de ‘la Folie du sage’ de Tristan », Romance Notes, 1961, n° 3 (1), p. 25-29

Claude K. Abraham, « Pour une Mariane », Francographies : Bulletin de la Société des Professeurs Français et Francophones d'Amérique, 1997, n° 6, p. 1-9

Claude K. Abraham, « Tristan burlesque », Mémoire de la Société des sciences naturelles et archéologiques de la Creuse, 1973, n° 38, p. 153-60

Claude K. Abraham, « Images et impressions: Expression iconique et littéraire au XVIIe siècle », Symposium, 1980, n° 34, p. 275-92

Claude K. Abraham, « Juifs et judéité dans la tragédie classique: Hérode et Mariamne », Litteratures Classiques, Spring 1992, n° 16, p. 247-57

Claude K. Abraham, « Tristan et la geste de Gaston », Éd. Hausmann Frank-Rutger, Christoph Miething, Margarete Zimmermann, Studien zur französischen Literatur des 17. Jahrhunderts, Paris, PFSCL, 1994, p. 9-15

Claude Abraham, « Tristan et Puget de La Serre, ou théâtre et politique », Du Baroque aux Lumières, Éd. Jean Varloot, Limoges, Rougerie, 1986, p. 48-53

Claude K. Abraham, « Un Poète de la nature au dix-septième siècle : Tristan l’Hermite », French Review, Oct. 1960, n° 34 (1), p. 51-59

Hélène Albani, « Tristan l’Hermite, poète mariniste », Revue des Études italiennes, 1967, n° 13, p. 331-346

Francis Assaf, « Le Picaresque dans Le Page disgracié de Tristan L’Hermite », Dix-Septième Siècle, Oct.-Déc. 1979, n° 31 (125), p. 339-347

Denis Augier, « Un Alchimiste en voie de disparition : le Problème du philosophe dans ‘Le Page disgracié’ de Tristan l’Hermite », Seventeenth-Century French Studies, 2002, n° 24, p. 217-27

Hélène Beauchamp-Rank, « La Structure de ‘La Mariane’ de Tristan l’Hermite », Revue de l’Université d’Ottawa Quarterly, 1971, n° 41, p. 123-38

Nicole Bonvalet-Mallet, « Les Mises en scène de la mort dans les tragédies de Tristan l’Hermite », Papers on French Seventeenth Century Literature, 1985, n° 12 (22), p. 107-129

Sandrine Berregard, « Tristan et la pastorale : des ‘Plaintes d’Acante’ à l’‘Amarilis’ », Cahiers Tristan L’Hermite, n° 28, 2006

Nicole Bonvalet-Mallet, « Tristan et Webster champions de la ‘femme forte’ », Du Baroque aux Lumières, Éd. Jean Varloot, Limoges, Rougerie, 1986, p. 32-9

Stéphan Bouttet, « Tristan et l’épître : Une Rencontre tardive », Littératures Classiques, Spring 1993, n° 18, p. 115-22

Amédée Carriat, « À la Découverte de Tristan : les devanciers creusois de Bernardin », Éd. Francis Assaf, Andrew H. Wallis, Car demeure l’amitié, Paris, Papers on French Seventeenth-Century Literature, 1997, p. 139-44

Jean-Pierre Chauveau, « De La Mort de Sénèque à Cinna, ou de la division à la réconciliation », Éd. Jean Varloot, Du Baroque aux Lumières, Limoges, Rougerie, 1986, p. 54-58

Jean-Pierre Chauveau, « Maynard et Tristan », Maynard et son temps, Toulouse, Assoc. des Pubs. de l'Univ. de Toulouse-Le Mirail, 1976, p. 245-54

Jean-Pierre Chauveau, « Un Sonnet inédit de Tristan l’Hermite », Dix-Septième Siècle, 1964, n° 61, p. 31-36

Daniela Dalla Valle, « Une Relecture d’‘Osman’ », Éd. Francis Assaf, Andrew H. Wallis, Car demeure l'amitié, Paris, Papers on French Seventeenth-Century Literature, 1997, p. 155-70

Claire-Éliane Engel, « Tristan et Shakespeare », Revue de Littérature Comparée, 1959, n° 33, p. 234-238

Georges Forestier, « Mythe, histoire, et tragédie: De Crispus à ‘La Mort de Chrispe’ », Littératures Classiques, 2002, n° 351-70

Sonia Gadhoum, « La Conversation dans le roman comique : statut et fonctions », Seventeenth-Century French Studies, 2006, n° 28, p. 103-15

Anne F. Garréta, « Le Page disgracié: Problèmes de l'autobiographie baroque », Éd. et intro. Marlies Kronegger, Esthétique baroque et imagination créatrice, Tübingen, Narr, 1998, p. 81-98

Catherine M. Grise, « Tristan L’Hermite est-il l’auteur du Ballet du triomphe de la beauté ? », Revue d’Histoire Littéraire de la France, 1967, n° 67, p. 776-782

Roger Guichemerre, « Tristan et Marino: Les Plaintes d'Acante et I sospiri di Ergasto », Du Baroque aux Lumières, Éd. Jean Varloot, Limoges, Rougerie, 1986, p. 40-47

Doris Guillumette, « Éléments picaresques dans Le Page disgracié de Tristan l’Hermite », Papers on French Seventeenth Century Literature, 1978, n° 9, p. 99-118

Doris Guillumette, « Les ‘Plaidoyers historiques’ de Tristan l’Hermite : Originalité et portée sociale. », Dix-Septième Siècle, 1973, n° 100, p. 19-34

Brigitte Hamon, « Le Sentiment amoureux dans Le page disgracié », Dalhousie French Studies, Winter 1996, n° 37, p. 19-30

Brigitte Hamon-Porter, « Ascension sociale et providence dans ‘Le Page disgracié’ de Tristan L’Hermite », Romance Notes, Fall 2004, n° 45 (1), p. 45-53

Brigitte Hamon-Porter, « Le Narrataire, signe de la mauvaise conscience de l’autobiographe : ‘Le Page disgracié’ de Tristan l’Hermite et Les Aventures de Dassoucy », Romance Notes, Winter 1999, n° 39 (2), p. 203-14

Noemi Hepp, « Un Anti-héros tiré des Antiquités judaïques : Hérode », Héroïsme et création littéraire sous les règnes d'Henri IV et de Louis XIII, Éd. Noemi Hepp, Georges Livet, Georges Mongredien, Jacques Truchet, Paris, Klincksieck, 1974, p. 297-311

Martha M. Houle, « Ingegno baroque et jouissance dans deux textes de Tristan l’Hermite », Éd. et intro. Marlies Kronegger, Esthétique baroque et imagination créatrice, Tübingen, Narr, 1998, p. 147-52

Aurore Labenheim, « Lorsque ‘l’agrément du style contrebalance le malaise moral’ : la moralisation de l’écriture mélancolique chez Tristan L’Hermite », Papers on French Seventeenth Century Literature, 2004, n° 31 (60), p. 115-38

Aurore Labenheim, « Une Esthétique du flou, entre dissimulation et travestissement », Cahiers Tristan L’Hermite, 2004, n° 26, p. 9-24

Aurore Labenheim, « “Un Mixte composé de lumière et de fange” : une stylisation du contraste chez Tristan L’Hermite  », Cahiers Tristan L’Hermite, n° 28, 2006

Wolfgang Leiner, « ‘Le Promenoir des deux amans’: Lecture d’un poème de Tristan l’Hermite », Papers on French Seventeenth Century Literature, 1978, n° 9, p. 29-48

Nadia Maillard, « Fonction et représentation des animaux dans ‘Le Page disgracié’ de Tristan L’Hermite ou le conteur bavard et la linotte muette », Éd. et intro. Charles Mazouer, L’Animal au XVIIe siècle, Tübingen, Narr, 2003, p. 73-88

Gisèle Mathieu-Castellani, « La Poésie amoureuse et son commentaire : les annotations de Tristan sur ses ‘Plaintes d'Acante’ », Préf. Paolo Carile, Eros in Francia nel Seicento, Bari ; Paris, Adriatica ; Nizet, 1987, p. 145-159

Gisèle Mathieu-Castellani, « Lune, femme : L’Image de Diane chez Théophile et Tristan », Éd. et préf. Wolfgang Leiner, Jean-Michel Place, Onze nouvelles études sur l’image de la femme dans la littérature française du dix-septième siècle, Tübingen ; Paris, Narr, 1984, p. 39-44

Catherine Maubon, « Désir et écriture mélancoliques dans Le Page disgracié », Saggi e Ricerche di Letteratura Francese, 1979, n° 18, p. 331-358

Catherine Maubon, « La Prise de parole dans Le Page disgracié », Éd. Massimo Colesanti, Il romanzo barocco tra Italia e Francia: Studi, saggi, bibliografie, Rome, Bulzoni, 1980, p. 185-204

Catherine Maubon, « Le Page disgracié : à propos du titre », Saggi e Ricerche di Letteratura Francese, 1977, n° 16, p. 169-95

Gloria Nne Onyeoziri, « ‘Les Terreurs nocturnes’ de Tristan L’Hermite : Figures et projets narratifs » Éd. Francis Assaf, Actes d’Athens : Tristan L’Hermite, Tallemant des Réaux : Les Historiettes, Paris, Papers on Fr. Seventeenth Cent. Lit., 1993, p. 63-75

Paul Pelckmans, « La Prémonition et ses à-peu-près dans le théâtre de Tristan l’Hermite », Francofonia: Studi e Ricerche Sulle Letterature di Lingua Francese, Spring 1984, n° 4 (6), p. 119-126

Guillaume Peureux, « Un Douloureux Sillon diversement creusé : notes sur Tristan L’Hermite et les misères humaines », Cahiers Tristan L’Hermite, 2004, n° 26, p. 25-31

Lionel Philipps, « Sens et pratique de l’inachèvement dans les ‘Vers héroïques’ », Cahiers Tristan L’Hermite, 2004, n° 26, p. 32-51

Lionel Philipps, « El Poète et le Prince dans les ‘Vers héroïques’ : agonie d’une relation mythique », Cahiers Tristan L’Hermite, 2006, n° 28

J. W. Scott, « Note sur le texte du Page disgracié », Revue d'Histoire Littéraire de la France, 1967, n° 67, p. 776-777

Francois Secret, « Littérature et alchimie à la fin du XVIe et au début du XVIIe siècle : Cyrano de Bergerac et Tristan l’Hermite. », Bibliothèque d’Humanisme et Renaissance, 1973, n° 35, p. 103-16

Jean Serroy, « Du Page disgracié de Tristan à L’Orphelin infortuné de Préfontaine : Le Tour de la France par deux enfants », La Découverte de la France au XVIIe siècle, Paris, CNRS, 1980, p. 1-11

Jean Serroy, « Tristan et la libre écriture dans ‘Le Page disgracié’ », Éd. David Lee Rubin, Poetics of Exposition & Libertinage and the Art of Writing, New York, AMS, 1991, p. 149-57

Antoine Soare, « La Vengeance de la mal-aimée : Oreste et Hermione avant Andromaque », Éd. David Trott, Nicole Boursier, L’Âge du théâtre en France, Edmonton, Academic Printing & Pub., 1988, p. 3-12

Antoine Soare, « Les Inquiétudes cornéliennes de Tristan », Éd. Francis Assaf, Actes d’Athens : Tristan L’Hermite, Tallemant des Réaux : Les Historiettes, Paris, Papers on French Seventeenth Cent. Lit., 1993, p. 31-52

Loïc Thommeret, « L’Autonomie du lyrisme dans ‘Panthée’ de Tristan », Cahiers Tristan L’Hermite, n° 28, 2006, p. 31-50

Sophie Tonolo, « L’Épître chez Tristan l’Hermite : une forme poétique vigoureuse et révélatrice », Cahiers Tristan L’Hermite, 2004, n° 26, p. 52-66

 

Sources [modifier]

Napoléon Maurice Bernardin, Un Précurseur de Racine, Tristan L’Hermite, sieur du Solier (1601-1655), sa famille, sa vie, ses œuvres, Paris, A. Picard et fils, 1895


女性的な美や官能的快楽、豊穣、そして生命を司っていた惑星ウェヌスとその諸表象をめぐる、中世後期からルネサンス、バロックにかけての占星術的イメージの変遷を通して、異教的古代の特殊な形態と形象の新しい美と自由な表現が生みだす視覚の永遠に変容する万華鏡的世界を拓く!

日本語版への序文

序論——テーマの提起

第1章 フランスとイタリアにおけるウェヌスの子どもたちの懐胎と誕生 一四〇〇—三〇年

第2章 ドイツにおける最初のウェヌスの子どもたち 一四三〇—六〇年

第3章 北と南の出会い——イタリアの惑星の子どもたち 一四六〇—七〇年

第4章  スキファノイア宮のウェヌスとその子どもたち 一四七〇年

第5章 諸惑星の子どもたちのゲルマン的伝統 一四七五—一五五〇年

第6章 フランドルとオランダのウェヌスの子どもたち 一五五〇—一六〇〇年

結論 一時代のテーマ

 

記憶術は、ヨーロッパの長い文化的眺望の中で、知識に形を与え、必要な言葉とイメージを供給する、文化的コードであり、秘文字であり、壮大な修辞学の劇場であり、包括的な知的構造体であった。言葉/概念とイメージ/フィグーラの相互作用に基づく〈表象〉を自在に操り、その連続と変形と差異、場所と配置と能動性によって演じられる記憶情報のメカニズムを使用可能なものとして開示する!

目次

 

序 論

第1章 知を見えるものにする——アカデミア・ヴェネツィアーナの経験

1 フェデリコ・バドエルとアカデミアの設立

2 出版計画——新しい俗語文学と「最も古い叡智」[antichissima sapienza

3 秩序化され視覚化された百科全書

4 知の場所——図書館と宮殿

5 アカデミアの国家公認へ向けられた野心

6 失敗の理由

 

第2章 知の系統樹と修辞学的機構

1 容易く歩ける知への道、あるいは方法の悦び

2 信仰のために用いられる修辞学の図表と世俗で用いられる修辞学の図表

3 可能なテクストの地図

4 オラツィオ・トスカネッラ——学校と出版事業の狭間の文学者という職業

5 衒学者たちに対抗し、俗語のため、平明で有益な書物のために

6 言葉の迷宮と図書館の順序/秩序

7 修辞学的機構

8 記憶術——修辞学的機構へのアクセスを許す鍵

9 説教を構築するための機構

 

第3章 記憶のゲーム

1 模倣のゲーム

2 能書、秘文字、判じ絵——書くことの変容

3 秘文字言語と記憶のイメージ——機構のモデルと秘密の魅力

4 テクストを産みだすゲーム

5 ゲームを産みだすテクスト

 

第4章 身体と霊魂の狭間におけるイメージの地位

1 霊魂の地図と記憶のための薬

2 想像力の威力と忘却のための努力

3 エロスの内的表象と記憶のためのイメージ

4 心臓に開けられた窓

5 記憶、修辞学、観相学の狭間にある〓感情↓情念〓の劇場

6 身体とテクスト

 

第5章  いかにして言葉をイメージに翻訳するのか——記憶と着想

1 イメージの記憶と図像の用例集

2 場所

3 建造物としてのテクスト

4 ドーニの劇場——イリュージョン的なゲーム

5 詩とギャラリー——文芸批評家ガリレオのメタファー

6 いかに物語をイメージ群に翻訳するのか

7 挿絵入りの書物

8 伝記と肖像

9 記憶と着想——フランチェスコ・サンソヴィーノとピッロ・リゴーリオ

 

第6章 記憶術と蒐集主義

1 サミュエル・キッヒェルベルクの劇場と記憶のメタファー

2 蒐集主義と記憶術——共通の神話

3 記憶の劇場としての蒐集

4 記憶の論考と蒐集のモデル

5 人形と蝋製のイメージ

6 「驚異の部屋」(Wunderkammer)と内面の城

原 註

解 題 記憶術とルネサンスの学知 安達薫

人名/著作名/美術作品名 索引

 

 

Die Liebesemblematik des Otto van Veen : die Amorum Emblemata (1608) u

nd die Amoris Divini Emblemata (1615) / Anne Buschhoff. -- (BA72020299

)

  Bremen : H.M. Hauschild, c2004

  403 p. ; 25 cm

  注記: Includes bibliographical references and indexes

  ISBN: 3897571986

  著者標目: Buschhoff, Anne

  分類: LCC : N6973.V39

  件名: Veen, Otto van, 1556-1629 -- Criticism and interpretation ; Ve

  en, Otto van, 1556-1629. Amorum emblemata, figuris Aeneis incisa ; E

  mblems in art

 

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[1] この間の詳細な事情については、次書参照。 Geoffrey Parker, The Dutch Revolt, 2nd ed. (Harmondsworth: Penguin, 1985).

[2] ファン・フェーンが愛国的な絵画を描いた理由として、経済的な要因も考えられる。1611年にはアントワープ市当局から、俸給の三分の一減額されている(フランス・ボードワン 『ルーベンス』(黒江光彦 他訳 岩波書店 1978年)61ページ)。また全体の風潮として、教会、貴族、大商人などが芸術家の保護者となって絵画などの作品を依頼するという従来からの顧客関係は、オランダでは崩れてしまった。農民を含めた市民大衆が、投企の対象として芸術作品を買いあさったため、絵画は需要と供給によって値段が左右される商品として流通していた。そして当然、人気を博した絵画は新体制うけするような内容の作品であった。H. W. Janson, History of Art (New York: Abrams, 1962), p. 508.

[3] Arnold Hauser, Social History of Art, trans. Stanley Godman, (New York: Random House, 1951), II, 210-214.

[4] 拙稿 「ルネッサンス・エンブレム文学研究(1)」(「名古屋大学総合言語センター言語文化論集」 第10巻第2号 1989年), 161-164

[5] ファン・フェーンは、複数のエンブレム集を刊行したようだが、英米独蘭の現在の研究段階でわかっているのは、『ホラティウスのエンブレム』(別名、『古典哲学と近代哲学を網羅する道徳劇場』)と『愛のエンブレム』の二点のみ。ちなみに、エンブレム集の著者は、最初にエンブレム集を作ったアルチャートがそうであるように、芸術家ではなく法律家ないし詩人が圧倒的に多い。参照 Mario Praz, Studies in Seventeenth-Century Imagery (Roma: Edizioni di Storia e Letteratura, 1965), p. 523-526; John Landwehr, Emblem Books in the Low Countries: 1554-1949 (Utrecht: Haentjens Dekker & Gumbert, 1970), No. 678-703.

[6] 図絵122枚の内訳は出典の多い著者順に次の通りである。

無記名(オウィディウス『愛の技法』)   79

オウィディウス(『愛の技法』以外の著作) 13

セネカ                  21

プブリリウス・シルス            7

ウェルギリウス               5

アリストテレス               2

その他 一箇所のみの作家

ムサイオス、エンペドクレス、ピンダロス、ソクラテス、プルタルコス、テオクリトス、カリマコス、エンニウス、ティブルス、キケロ、ホラティウス、プラウトゥス、テレンティウス、クラウディアヌス。

[7] ウイリアム・アイヴァンズによれば、1600年代には木版の挿絵は、書物の紙面から追い出された。ただし、エンブレム集にかんするかぎり、この説明はあてはまらない。たとえば17世紀になって刊行された、ヘンリー・ピーチャム(Henry Peacham) の『イギリスの女神ミネルヴァ』 やジョン・ホール(John Hall)の『優雅な挿絵入りのエンブレム』(Emblems with Elegant Figures 1648) は木版である。また16世紀に刊行されたエンブレム集は17世紀になるとそのリプリント版が多数出されているが、リプリント版の代表的なもののほとんどが木版である。アルチャート、カルターリ、リーパはその例。エンブレム集において銅版が木版を圧倒するのは、およそ1660年代以降のことである。{{ちなみに筆者の調査では、イングランドにおける最初の銅版画入りの本は、1545年に出版されたヴェサリウスの『人体の構造』(原典は1543年にバーゼルで出版)である。}}参照 ウイリアム・アイヴァンズ 『ヴィジュアルコミュニケーションの歴史』(白石数也 訳 晶文社 1984年)64ページ{{; エリク・ド・グロリエ 『書物の歴史』(大塚幸男 訳 白水社 1955年)99-102ページ。}

[8] ただし別説では、喧伝するファン・フェーンの文句は虚言で、図絵の画家は別にいるという。事実、『愛のエンブレム』の最初の図絵の右下には "C. Boel fecit"([コルネリウス・]ボエル[1576-1614年]が作成した)という言葉が読める。この点については次書参照。Arthur Henkel and Albrecht Sh{{oe?}}ne, Emblemata: Handbuch zur Sinnbildkunst des XVI. und XVII. Jahrhunderts (Stuttgart: J. B. Metzlersche Verlagsbuchhandlung, 1967) LV.

[9] Otto van Veen, Album Amicorum de Otto Venius, ed. Joseph van den Gheyn, (Bruxelles: La Socie´te´ Bibliophiles et Iconophiles de Belgique, 1911) 41.

[10] ちなみに、『愛のエンブレム』の図絵の形は、当時の多くの図絵が四角形か円形であるのにたいして楕円形である。この楕円は、楕円の枠の上下左右の四点にあけられた穴と、枠の桟の厚みからすると、絵画用の額縁を思わせる。また楕円形の図絵というのは、この本の他には次書のごく一部に見られるだけである。Jean Cousin, The Book of Fortune: Two Hundred Unpublished Drawings (London: Remington, 1883) Plate VLI; LIX; CIII; CXXI; CLXXVII; CLXXV.

[11] バタボルム・ルグドゥヌム人: ライデンの古称。ライデンはファン・フェーンの出身地。

[12] ペンブルック伯ウイリアム猊下...モントゴメリー伯フィッリプ猊下: ウイリアム・ハーバート(1580年−1630年)は、第三代ペンブルック伯爵。10歳から詩人サミュエル・ダニエルを家庭教師としてもち、また成人するにおよんでは、ベン・ジョンソンやジョージ・ハーバートといった現在まで名をなす著名な詩人たちの保護者となる。弟フィリップ(15841650)は、兄ウイリアムを継いだ第四代ペンブルック伯爵。ちなみにシェイクスピアの第一フォリオ版も、この二人の兄弟に献呈されている。

[13] エピグラム: エピグラムとは、本来は墓碑銘として石に刻まれた詩をさすが、ルネッサンス期には凝縮された優雅な短詩をさした。またグロティウス(1583-1645年)は、現在では国際法の父としてのみ知られるオランダの法学者であるが、若い頃のグロティウスは聖書から題材をとった劇作家として有名であった。また数百点にのぼる銅版画を描いている。

[14] パポス: キプロス島のヴィーナス神殿があった都市。古代におけるヴィーナス崇拝の中心地。ヴィーナスの息子がキューピッド。

[15] キプロス島...コス島: キプロス島は、女神ヴィーナスのゆかりの地。切断されたウラノスの男根から散った精液が海にこぼれ、泡をふいた。その〔泡アフロス〕からヴィーナス(アフロディテ)が生まれた。西風は女神を抱えるとやさしくキプロス島に運んだ。またコス島は、古代ギリシアの画家アペレスが描いた『海からあがるアプロディテ』で有名な島。なおこの島には、古代世界において絶賛を博した数々の作品があった。

[16] ダニエル・ヘインシウス: (1580-1655年) ネーデルラントの文献学者。

[17]鉛の矢...黄金の矢: キューピッドには、恋心を起こさせる黄金の矢じりのついた矢と、恋心を心から取り去る鉛の矢じりがついた矢と二つある。

[18] プラクシテレス: 前4世紀のギリシアの彫刻家。やわらかで優雅なS字状の輪郭をしたヴィーナスの立像の制作者。

[19] 母親: 母親とは<自然(ネイチャー)>、娘は<自然>から生まれた<(アート)>。ルネッサンス期には、自然と技は一組の対立観念であった。自然は、造られたものというよりも、たえず創造行為をいとなむものとして意識された。そのため自然は、人間の創造創作行為である技と対立関係にあった。

[20] ミュロンの牝牛...ブドウ...カーテンの絵: ミュロンは古代ギリシアの彫刻家で、『黄金の牝牛の像』の作者。また、古代ギリシアの画家ゼウクシクが舞台の背景画にブドウを描いたところ、それを本物と見誤って鳥が飛んできた。その絵のブドウが少し隠れるように、画家パッラシオスがカーテンを描くと、その事情を知らなかったゼウクシクは、ブドウがよく見えるようにカーテンをひいてくれ、といった。(プルニウス『博物誌』35:36

[21] オルフェウス...巨人とゼウス: オルフェウスは『神統紀』の作者といわれる詩人。竪琴の発明者といわれ、歌と音楽の巨匠として崇拝されている。巨人とは、オリンポスのタイタン神族のこと。彼らは母ガイアの勧めによって父ウラノスの男根を切り取り、神々の支配権を奪った。これにたいしてゼウスは戦いを挑み、10年後に勝利をえて彼らを幽閉する。

[22] アドニス: キプロスの王女ミュラの美しさを王妃が宣伝するのに怒ったヴィーナスは、王に恋の情を吹き込み、王と王女を近親相姦させてしまう。その不義の子が美少年アドニス。彼を不憫に思ったヴィーナスは、キューピッドに黄金の矢を射られてアドニスに恋をしてしまう。

[23] 『ホラティウス』: ファン・フェーンのエンブレム集の処女作、『ホラティウスのエンブレム』(#Qvinti Horatii Flacci Emblemata# 1607)

[24] R. V.: 不詳。

[25] 神ゼウスの支配: 四季が起こり、農耕が始まった銀の時代。

[26] アペレス: 古代ギリシアの画家(前出)。

[27] マックス・ウリエントゥス: 不詳。

[28] アキレウス...シターン: アキレウスは、トロイ戦争におけるギリシア軍の最強の戦士。シターンは16-7世紀に流行したギターに似た弦楽器。

[29] ペトロ・ベネデッティ: 不詳。

[30] 「生めよ殖えよ」: 「創世記」1:28

[31] 四元素: 世界を形作る物質の基本的構成要素、地・水・空気・火。

[32] サラマンダー: 火の中に住んでも焼けないといわれた、トカゲに似た姿の幻想獣。

[33]棕櫚: 愛と多産を象徴する樹。棕櫚の雌株は雄株を囲み、雄株を見るだけで受精する、といわれている(プルニウス『博物誌』13:6)。

[34] アンティエロス: キューピッドは、ギリシア神話ではエロスとよばれる。アンティエロスとは、そのエロスに〔対立アンティ〕する性格を備えたエロスという意味。

[35] レオ・ヘルブトゥス: 不詳。

[36] ピュトン: デルポイの洞窟に住む大蛇。生後三日目のアポロがこの蛇を殺害した。