ルネッサンスになって個人が誕生したといわれています。しかしそんなメッセージに私たちが敏感に反応するのは、じつは私たちがもっているエゴイズムのはじまりは、もしかするとこの時代からはじまったのではないかと、思ってしまうからです。

ここでいう個人の誕生が、エゴイスティックな人間の誕生と密接にからまっていることは、マキャベリズムという言葉がこの時代になってはじめてうまれたことからもわかります。
しかし、エゴイスティックであることとは裏腹になっているのは、エゴイスティックであるがゆえに、自分は他人とは違うという個性ももちえるということです。
個性のない自分というのは考えられないし、だいいちそういうことを考えている自分自身は、ばくぜんと自分とはなにかを考えているわけではないから、個性的であるはずです。

では、この時代の個性というものは、いまの私たちのいう個性の源なのか、源であるとすればそれはどのようなものであったのか-−これがわかれば、いまの私たちの個性がどういう特徴をもっているかが、はっきりとするのではないでしょうか。

2 個人主義


3 黄金への聖なる欲望

ルネッサンス文化

ルネッサンスは15世紀から16世紀にかけての西ヨーロッパの時代をよぶときの名です。

この時代の教養人は、1000年から1600年前にかけてのギリシア・ローマ政治・法律・文化を、原典をとおして学んだのでした。

そこで発見したのは、宇宙世界を創造した神を中心にして、自分たちの国のあり方や生活の仕方を考えるのではない思考法でした。

その思考法を学ぶためのもっとも手っ取り早く、しかも社会に出ても役に立つと考えられていたのが、ローマ市民法でした。

多くの人が学んだ市民法には、ルネッサンス時代のいろいろなノーハウがつまっています。
とくに私が興味をもっているのは、次の二つです。
   @数々の条文を覚えるための記憶術
   
   A正しい意味はなにかを考える注釈学

ただし、これらの二つの点への興味は、単純な歴史好きからのものではありません。
私たちが、いま生きているときに暗黙のうちに基本になっている
普遍的な人間観(人間はこうあるべきだ、こうあるのだ自然の姿だといった考え方)をあぶりだすためのリトマス紙だと考えています。

そしてあたりまえことですが、ローマ市民法の研究は法形成史の観点から論じられています。そこでは、ルネッサンス期のローマ市民法解釈は、私たちがなじんでいるような世界秩序の分類体系にしたがっていないことが、しばしば忘れらています。神話や外国といった、日常世界に接している境界にたいして、この時代の法学者たちは敏感に反応しています。日常世界ではないそんな境界世界がどんなものであったかにも、深い興味をもっています。


1 ローマ市民法の人間観