研究業績と各業績の要約

 

 

16-17世紀の文学作品のなかで、神的観念(無限・恩寵・創造)を、人間がどのように倫理的にうけとめているかを一貫して追いつづけてきた。またそのような探求と並行させながら、167世紀の視覚芸術作品(とくにエンブレム)が、西洋古典に依拠しながら倫理をどのように視覚化しているかを探りつづけてきた。この二つの探求に共通しているのは、一次資料をたえずつかい文献実証主義へのこだわりながらすすめてきた。その一方で、ポストモダンの差異理論(デリダ、ドゥルーズ)の知見を利用しながら、神的観念や人間倫理をお手軽な有機的秩序のなかに封じこめてしまうことを避けてきた。

まず卒業論文からたえず関心をもっているミルトンにかんして、従来からの解釈によれば、神が人間にどんなに不当にみえるかかわりかたをしているようにみえても、当時の神的観念や道徳観にさかのぼって考えれば、その不当性はいずれも合理的に説明できるのであって、作品内部においてもあるいは作品が言及する当時の政治状況においても、神の視点にたった調和の秩序が貫かれているというのが一般的である。根源に神の遍在とその支配を据え、善悪などの二元対立によるひとつの閉じた円環の体系なかで、世界と倫理を叙述しうるかのように物語は展開していると考えられつづけてきた。ところが、そのような有機的秩序体系が作品内部のところどころですでに破綻しており、破綻しているにもかかわらず、秩序世界の宗教倫理が前面にでているために、その破綻のほころびが希薄化されている。そして、作品の語り手がつむぎだす秩序の倫理というメロディーに、読者である私たちが同調せず、あくまでも破綻にこだわる愚鈍さをもつことを主張する。

たとえば「創造の技を目撃したものがいるのか、創造主がきさまを造ったときのことを、覚えているのか」という、サタンが天使たちにつきつけた懐疑的問いは、世界のあらゆる前提をくつがえす根源的な問いである。そのような破壊的な問いはこの作品がもつ神中心の形而上学にヒビをいれている。ところが、この問いは、神中心の秩序体系とそっくりの、サタン中心の秩序体系をつくるという野望をはたすため、サタンが捏造した問いだったという宗教倫理に、最終的に回収されてしまう(論文「創造主への問いはメタレベルをこえているか」)。破綻とその希薄化というメカニズムは、ほかにも次のような指摘ができる。無限であるはずの神を、円が象徴する有限な枠組みのなかに囲いこみ、無限性を表象化できると思いこんでいる(論文「メルカトルのコンパス」)、無尽蔵な富の贈与者としての<自然>の力が神を圧倒しているにもかかわらず、神は〈自然〉を容易に飼いならしうると信じている(論文 “Antaeus and the Sphinx”)、チャールズ一世の図像が流布することは偶像崇拝だが、ミルトンみずからのソネットによる英雄崇拝も一種の偶像崇拝であることに変わりないのに、神の目にかなっているから正当だという都合のいい確信がある(論文「偶像破壊者の聖像崇拝」)。

このように、作品のメッセージを盲信して神的観念と人間倫理を有機的調和のなかに解消するのではなく、作品が破綻している箇所に注目する。解消されない破綻箇所を問うことによって、既成の解答を退けて、問いつづけることによって、神的観念や人間倫理を既成の枠から解放しようとしている。なお、こうした議論はすべて文学作品という文字媒体の土俵のなかだけでおこなわれているのではなく、視覚芸術作品という異媒体もとりいれ、それを例証としてつかいながらおこなった。そのために、ともすれば無味乾燥をおもわれがちな議論対象を、立体二元的にとりあつかい、いきいきと論じるようにこころがけた。

 16-17世紀の文学作品を扱うさいにたえず注意をはらってきたのは、そうした文学作品が、同時代の視覚芸術(とくにエンブレム)と共有している精神的構えである。エンブレムにかんしては90年代後半になってから日本の学会でにわかに注目されだしたが、すでに80年代初頭からエンブレムがもつ魅惑にかられて、文学作品解釈にエンブレムを利用してきた。文学作品の比喩という単純なレベルにおいては、私たちの視点からいっけん奇妙に思える比喩やイメージも、当時誕生し人気を博したエンブレムなどの図像をつかってその意味内容をあきらかにしてきた。また作品中にみられる時代特有の観念といった抽象レベルにおいては、広義の同時代図像(美術作品・地図・挿絵)をもちいることによって、観念を図像による視覚的意味内容に変換し、より明確な形で提示していった。

比喩のレベルにおいては、たとえば女性の眼から飛びだした矢が男性の心臓を射る、雄弁家が口から鎖をだして人々を誘導する、片腕に翼が生え反対の腕に石がぶらさがる男といったイメージが当時にエンブレムにあることを例証した。そしてこれらのいっけんグロテスクにみえる姿は、当時かなり流通していた月並みなイメージであり、当時の視覚理論、哲学思想、言語思想と結びついた知的な裏づけのある姿であることを説明した(論文「『アストロフェルとステラ』における倒錯の美」,論文「眼矢の綺想,論文"Through my heart her eyes' beamy darts be gone")。また観念レベルにおいては、たとえばシェイクスピアの『冬物語』における王が、制度を支える絶対的な中心ではないことを視覚芸術の透視法理論にもとづいて解明し、『リア王』では王の痛みに関する比喩と,痛みの変化にともなって起こるリアの精神変容が、当時の視覚芸術にみられる痛みや精神の寓意像と呼応していることを証明した。

このように文学作品のなかにあらわれる特異性を平準化する作業がそれなりにできるようになったのも、エンブレムという16世紀になって誕生し興隆した視覚芸術がどんなものなのかを調査しつづけたからである。エンブレムというのがどのような形式の作品であり、どんな倫理性を強調しているかを、まだほとんどその存在が知られていなかった具体的なエンブレム作品をとりあげて論じた。さらに今世紀における欧米における図像集研究の系譜と、それらの研究が16-17世紀の文学作品解釈にどのように反映しているかをあとづけた(論文「視覚イメージとシドニー、シェイクスピア、ミルトン」)。エンブレムが誕生し興隆した背景については、バベル塔の事件以前に存在し、古代の叡智を秘蔵していると信じられていた神刻図像文字への回顧志向があることを説明した(論文「偶像破壊者の聖像崇拝」)。またエンブレムのもつ倫理性は、究極的には理性の次元における道徳世界へと向いていることを明らかにしたうえで、日本のエンブレムともいうべき江戸時代の摺物は、その象形文字性によって、理性にしばられた世界のこわばりをほぐしていることも指摘した(論文「16-7世紀のヨーロッパ・エンブレムと江戸時代の判じ絵の比較」)。とくに論文「彼は法学研究を復興した」では、エンブレムの生みの親アルチャートが市民法を講じたパヴァーア大学で調査し、現存しないとされていたアルチャートの墓を確認し、墓像そのものがエンブレムの表紙絵になっていることを証明した。またこのような研究と並行して、ファン・フェーンやアルチャートのエンブレム集を翻訳(部分訳)し、それぞれのエンブレムについて詳細な注をつけた。

 

今後は、これまで発表してきた論文をミルトン、エンブレムという二本の柱でまとめることを目標にする。前者については、「創造への問い:意味了解可能性としてのミルトン叙事詩」として、ミルトンの叙事詩にみられる調和秩序のほころびに注目しながら、神的観念や人間倫理を調和秩序の内部に安易に封じこめない作品解釈を提起する。16-17世紀西ヨーロッパの表象学」として、エンブレムの文化環境、解釈方法を体系的にまとめ、アルチャートを中心にして当時の図像観を明瞭にする。


 各論文の要約


T 著書・訳書

 

<著書>

 



 

『ミルトンとその光芒』 共著 新井明編(金星堂 1992年)pp.18-30.

ミルトンを中心としたルネッサンス期の作家、ワズワースを中心とする19世紀の詩人、ハックスリー、エリオットの中心とした20世紀の作家についての論文集。執筆箇所は、「呪われた渇望(サクラ・ファメス)−−『失楽園』における富の視覚芸術」。『失楽園』におけるサタンの富追求の態度は,17世紀の経済人の態度とエートスの上で類似している。サタンは近代市場社会の倫理にふさわしい人物である。詩人が加担した政権の経済政策はいずれも近代的なものであった。ところが神の子による贖罪は、1対1の代替等価交換という中世経済の秩序を体現している。この作品は、近代の富を成り立たせているのが神であることを教えるべく、近代性が忘れさせてしまう富の贈与者としての神の姿を復権させている。



『ルネッサンスと美術』共著 ルネッサンス研究所編(荒竹出版 1991年)pp.135-158.

ルネッサンス芸術と文学との影響関係を扱った論集。執筆箇所は「痛みの視覚芸術−−人間リアの忍耐」。シェイクスピアの『リア王』にみられる痛みが,ルネッサンス視覚芸術作品で初めて表現されるようになった痛みの表現と合致していることを示した。


 

 

<訳書>

『世界シンボル辞典』[共訳 他1名](三省堂 1992年)

世界の宗教や神話にかかわるシンボルを,アルファベット項目別に整理したもの。原著にはない図版を約100点加え,用語集や参考文献を添えた。

 

『現代ラテン語会話』[共訳 他2名](大学書林 1993年)

古典ラテン語で,現代の会話を状況別に再現したもの。格言・俚諺なども含み,古典ラテン語を生きた言語として学ぶためのテキスト。



U 論文

視覚イメージとシドニー、シェイクスピア、ミルトン 『名古屋大学言語文化論集』第10巻第2号(1989年) pp. 161-180.

ルネッサンス期に流行した図像(エンブレム)集の基本構成および倫理性,さらに今世紀における図像集研究の系譜を論じた。また,シドニー、シェイクスピア、ミルトンにおいて,エンブレムとどのような関係づけが可能であるかを示した。

 

『アストロフェルとステラ』における倒錯の美―図像による比喩の膨らまし― 『名古屋大学言語文化論集』 第11巻第1号(1989年) pp. 93-130.

この恋愛ソネット集は,図像集の図絵と対応する表現・比喩に満ちあふれている。なかでも「眼矢」,「翼の手」という奇抜なトポスを取り上げて,図像文学を用いることによって,現代では隠れてしまったソネット中のそれらの箇所の意味を解明した。

 

ハーマイオニ彫像のスペクタクル遠近法―『冬物語』における浮遊の中心としての王と貨幣― 『名古屋大学言語文化論集』 第11巻第2号(1990年) pp. 71-102.

この劇では,王レオティーズが制度を支える絶対的な中心ではなく,近代資本主義の貨幣のように,メタ記号にしてかつ単なる記号であるという循環的存在であることを,視覚芸術の透視法理論に基づいて解明した。

 

結婚の時間―『ジェーン・エア』における男性原理と女性原理 『言語表現と時間』<特定研究>(1990年) pp. 37-49.

この小説が書かれた19世紀の工業化社会において,時間が客観的・計量可能な存在として意識され,いわば「男性化」した。その影響がこの作品にもみられることを指摘した。

 

ペリカンとピエタ―『リア王』における痛みの視覚芸術(1)― 『名古屋大学言語文化論集』 第12巻第2号(1991年) pp. 167-188.

『リア王』の痛みに関する比喩と,痛みの変化にともなって起こるリアの精神変容が,当時の視覚芸術にみられる痛みや精神の寓意像と呼応していることを証明した。それによって,痛みにたいする当時の鋭敏な意識と,この作品のそれとが重ねあわされうることを示した。

 

ペリカンとピエタ―『リア王』における痛みの視覚芸術(2)― 『名古屋大学言語文化論集』 第13巻第1号(1991年) pp. 67-87. [この二点の論文の論旨を発展・要約したものが、『ルネッサンスと美術』所集の論文]

リアが表現する痛みは,リア自身が既成の道徳律から離陸し,怪物的理性による自然の把握に至ったことのあらわれである。幾何学的な整然とした理性からおぞましいバロック的な理性へというこの変化が,視覚芸術の表現にもみいだされることを示した。

 

偶像破壊者の聖像崇拝―ミルトンの政治ソネットと英雄の視覚芸術― 『名古屋大学言語文化論集』14巻第1号(1992年) pp. 203-241.

ミルトンが,チャールズ一世の図像を偶像崇拝の典型として糾弾したのは,神の恩寵という波動を人間に送る、イコン本来のあり方に反するからである。<像>のそうしたあるべき姿の復権を,ミルトンは英雄聖像崇拝という形式を利用することによって,明示していることを論じた。

 

彼は法学研究を復興した―アルドレア・アルチャートの墓像彫刻とルネッサンス・ローマ法学―『名古屋大学言語文化論集』15巻第1号(1993年) pp. 123-136.

これまで図像研究者によって幻の存在であったアルチャートの墓像彫刻が,パヴィーア大学内に現存することを示した。また,この巨大な彫刻像が当時の人文主義者墓像の伝統線上にあり,アルチャートの生涯や作品と密接な関係があることを論じた。

 

16-7世紀のヨーロッパ・エンブレムと江戸時代の判じ絵の比較 『イフ・レポート』(石田財団)第22号(1995年) pp. 443-448.

エンブレムは理性の次元における道徳性と倫理が支配する世界へと向いている。これにたいして、物質のなかに受胎している運動性やトーンをできるかぎり生のまま開示して、鑑賞者を無限につながる霊の自由な領域に飛翔させるのが、中国画である。ところが江戸時代の判じ絵や摺物は、理性が支配する論理・説話の領域と、幽玄で深遠な霊的世界との中間地帯を遊走し、言葉によって相対的に固定された世界を解体しこわばりをほぐしていく。

 

剽窃の倫理―ジョージ・ウィザーの『エンブレム集』とガブリエル・ロレンハーゲンの『エンブレムの種』における模倣と逸脱― 『名古屋大学言語文化論集』15巻第2号(1994年) pp. 31-52.

ウィザーは,ロレンハーゲンの作品の図像とその構成をそっくりそのまま「借用」している。にもかかわらず,図像の解説詩においては,ロレンハーゲンを意識して模倣しつつも,ウィザーなりの新解釈と自らの詩風を図像に吹きこんでいる。この模倣と逸脱の構図は,ローマ法学の注釈の伝統が歪められた形で受け継がれているがために可能になっていることを証明した。

 

エラスムス流知的外国語学習の復権:古典格言へのアプローチ 『特定研究シリーズ:マルチメディアネットワークを利用した外国語教育』第7号(1997年) pp. 79-90.

エラスムスの『格言集』に反映している知識人という新人間像が,エラスムス肖像画という視覚化された形になっている。異なった言語体系と,それと抱き合わせになっている文化との接触から,自らの思考基盤を問い直すその知的人間像のあり方は,現代ではギリシア・ローマ古典文学の格言との接触から可能になることを論じた。

 

 

眼矢の綺想――オット―・ファン・フェ―ンの『愛のエンブレム』(1608年) 『日本図学会創立30周年 図学は今 図学研究 記念号』日本図学会編(1997年)p. 163.

フェーンのエンブレムのひとつに、女性の眼から矢が飛び出し、矢が男性の心臓をつらぬき、その女性への恋に男性の心は燃えるという図像がある。美しい女性の眼から飛び出す矢というグロテスクな姿は、当時の恋愛詩で用いられた慣用句(クリシェ)であり、むしろ優雅にして可憐な姿であったことを説明した。

 

矮小化された象徴形態:ソシュール『一般言語学講義』における恣意性からみた文字 『名古屋大学言語文化論集』20巻第1号(1998年) pp. 43-75.

名称目録説の否定から恣意性の肯定へというソシュールの提起は、表音文字(アルファベット)世界で成り立つことであり、「表形文字」(漢字)にはあてはまらない。表形文字は、物質性を孕みもち、記号表現と記号内容とほとんど同時に喚起させる。しかも表形文字は、人為的な法にたいする「無為の自然」(ピュシス)と密着しつつ、人間技術(テクネー)に対抗する「自然の技」(ピュシス)になっている。表形文字(漢字)までをも、恣意的としてしまうと、表形文字がもっている象徴形態を矮小化することになる。

 

記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜 『名古屋大学言語文化論集』21巻第1号(1999年) pp. 69-110.

プラトン以来つづく西洋記憶技芸は、物事を効率よく覚える記憶術とはことなり、記憶の権利や身分を人間の認識の枠組みや言語記号論という枠組みでとらえようとしていた。この哲学的記憶技芸が認識と記号という二つの地平においてどのように変化していったのか、プラトンからクインティリアーヌスまで、原典を引用しつつ概説した。

 

メルカトルのコンパス:『失楽園』における揺らぐ〈無限〉 『言葉と文化』1巻 (2000年) pp. 275-304.

無限に広がる近代の宇宙空間や地球世界は、地図によって平面に投影された。『失楽園』でも、無限なる神を、円が象徴する有機的まとまりによって囲いこんでいる。近代地図製作者メルカトルを悩ませたのは、無限を平面の地図上にどうやって反映させるかであった。その煩悶は、後の地図製作者たちによって、地図という架空の表象こそがリアルであり、実在の現前化と思いこむ錯視によってうやむやにされる。同様に、無限がもつリアリティの希薄化が、『失楽園』においても神の子による世界創造、サタンの道行きなどにおいておこっている。

 

 

「僕にインキをつけさせておくれ」―『アストロフェルとステラ』におけるエロスの発現― 『藤井治彦先生退官記念論文集』 玉井章編(英宝社 2000年) pp.175-186.

この詩や同時代の宮廷絵画がもっているなまなましいエロス性は、道徳的な安定した有機的解釈によって囲い込まれ馴致された形で提示されてきた。しかしそんな従来の解釈を破るような特異点の出現(エロス性の発現)箇所に注目すれば、むしろ道徳的抑圧に屈せずリアルに表象しようする誠実な精神的構えがみえてくる。

 

創造主への問いはメタレベルをこえているか:『失楽園』における秩序への回収と反復抹消願望 『名古屋大学言語文化論集』22巻第2(2001年) pp. 93-133

『失楽園』において、根源に神の遍在を据え、善悪などの二元対立によるひとつの閉じた円環の体系なかで、世界と倫理を叙述しうるかのように物語が展開する。ところが世界と倫理の完璧無比な表象・再現前化が不可能であることは、この叙事詩の節々にほころびとして出ている。このほころびを執拗に指摘するはずのサタンは、最終的には秩序世界のつきなみな宗教倫理に回収されてしまっている。

 

Antaeus and the Sphinx: Vanitas and Naturein Paradise Regained 『名古屋大学言語文化論集』23巻第1号(2001年) pp. 87-108.

イエス誘惑の場面の描写は、同時代のオランダ絵画作品にみられる。このような対応関係は、ミルトンがオランダにみられる宗教・経済上の変容を経験したことによる。実際、誘惑を総括するアンタエウスとスフィンクスの比喩は、神が最終的な創造主にして富の贈与者であることを教えている。ところが誘惑者サタンによる無からの創造行為は、オランダ絵画の「虚栄」という道徳的警告も、神の中心主義という宗教上の軸も狂わせるほどの力をもっている。

 

"Through my heart her eyes' beamy darts be gone": The Power of Seeing in Renaissance Poems and Emblems of Love in Microcosms: Proceedings of Fifth International Conference of Emblem Society, ed. Wolfgang Harms (Frankfurt am Main: Peter Lang, 2000), pp. 1-12 [20023月発刊予定]

女性の眼から矢が飛び出し、矢が男性の心臓をつらぬき、その女性への恋に男性の心は燃えるという図像が16世紀にはいくつかある。美しい女性の眼から飛び出す矢というグロテスクな姿は、当時の恋愛詩で用いられた慣用句(クリシェ)であるばかりか、当時の視覚理論や哲学思想と結びついた知的な裏づけのある姿であることを説明した。

 

 

 

 

V 教科書

J. H. Plumb, The Book of the Renaissance(註解)(NCI 1990年)


Susan Woodford, Looking at Painting (註解)(松柏社 1994年)

  


 W その他

 

オットー・ファン・フェーン『愛のエンブレム』―翻訳と作家の生涯― 『言語表現とイメージ』<特定研究>(1991年) pp. 40-85. [作家の伝記と原著の部分訳

ファン・フェーンの生涯を考察し,この作品がカトリックの伝統に負っている図像を用いていることを論じた。また,このラテン語作品の序文および最初の12枚のエンブレムを翻訳し,詳細な注釈を付した。(4085頁)

 

オットー・ファン・フェーン『愛のエンブレム』 『言語表現と人間』<特定研究>(1992年) pp. 61-76.[部分訳]

このラテン語作品のうち15枚のエンブレムを翻訳し,注釈を付した。

 

アンドレア・アルチャート『エンブレーマタ』 『名古屋大学言語文化論集』第13巻第2号(1992年) pp.17-58および第14巻第2号1993年pp.169-221.[部分訳]

このラテン語作品の構成を説明した。また,作品のうち71枚のエンブレムを翻訳し,詳細な注釈を付した。

 

T 著書・訳書

 

<著書>

17世紀英文学とヨーロッパ』 共著 17世紀英文学会編(金星堂 1989年)pp.69-88.

 

『ルネッサンスと美術』共著 ルネッサンス研究所編(荒竹出版 1991年)pp.135-158.

 

『ミルトンとその光芒』 共著 新井明編(金星堂 1992年)pp.18-30.

 

 

<訳書>

『世界シンボル辞典』[共訳 他1名](三省堂 1992年)

 

『現代ラテン語会話』[共訳 他2名](大学書林 1993年)

 

 

 U 論文

「強き強者」と「弱き強者」―ミルトンの二つの人間像― Osaka Literary Review 第20巻(1981年) pp. 97-109.

 

『復楽園』のイエス―忍耐の人間像― Mukogawa Literary Review 第20巻(1985年) pp. 65-76.

 

Moll Flanders' Pursuit of Gold(英文)『武庫川女子大学紀要』第33(1985) pp. 35-43.

 

Robinson Crusoe: A Wanderer through Repentance”(英文) Mukogawa Literary Review 第22巻(1986年) pp. 41-51.

 

『失楽園』の安息 『英語青年』第131巻12号(1986年) pp. 607-608.

 

知恵と三つの時間―『失楽園』における選択の構図― 『武庫川女子大学紀要』 第34巻(1986年) pp. 71-83.

 

サムソンとドラゴン・イーグル・フェニックス―『闘技師サムソン』への図像学的アプローチ―Mukogawa Literary Review 第23巻(1987年) pp. 37-58.

 

Anti-Feminism in Paradise Lost”(英文)『武庫川女子大学紀要』 第35巻(1987年) pp. 49-64. [この論文の論旨を発展・要約したものが、『17世紀英文学とヨーロッパ』所集の論文]

 

『マクベス』と時間 Mukogawa Literary Review 第24巻(1988年) pp. 1-14.

 

視覚イメージとシドニー、シェイクスピア、ミルトン 『名古屋大学言語文化論集』第10巻第2号(1989年) pp. 161-180.

 

『アストロフェルとステラ』における倒錯の美―図像による比喩の膨らまし― 『名古屋大学言語文化論集』 第11巻第1号(1989年) pp. 93-130.

 

ハーマイオニ彫像のスペクタクル遠近法―『冬物語』における浮遊の中心としての王と貨幣― 『名古屋大学言語文化論集』 第11巻第2号(1990年) pp. 71-102.

 

結婚の時間―『ジェーン・エア』における男性原理と女性原理 『言語表現と時間』<特定研究>(1990年) pp. 37-49.

 

ペリカンとピエタ―『リア王』における痛みの視覚芸術(1)― 『名古屋大学言語文化論集』 第12巻第2号(1991年) pp. 167-188.

 

ペリカンとピエタ―『リア王』における痛みの視覚芸術(2)― 『名古屋大学言語文化論集』 第13巻第1号(1991年) pp. 67-87. [この二点の論文の論旨を発展・要約したものが、『ルネッサンスと美術』所集の論文]

 

偶像破壊者の聖像崇拝―ミルトンの政治ソネットと英雄の視覚芸術― 『名古屋大学言語文化論集』14巻第1号(1992年) pp. 203-241.

 

彼は法学研究を復興した―アルドレア・アルチャートの墓像彫刻とルネッサンス・ローマ法学―『名古屋大学言語文化論集』15巻第1号(1993年) pp. 123-136.

 

剽窃の倫理―ジョージ・ウィザーの『エンブレム集』とガブリエル・ロレンハーゲンの『エンブレムの種』における模倣と逸脱― 『名古屋大学言語文化論集』15巻第2号(1994年) pp. 31-52.

 

16-7世紀のヨーロッパ・エンブレムと江戸時代の判じ絵の比較 『イフ・レポート』(石田財団)第22号(1995年) pp. 443-448.

 

エラスムス流知的外国語学習の復権:古典格言へのアプローチ 『特定研究シリーズ:マルチメディアネットワークを利用した外国語教育』第7号(1997年) pp. 79-90.

 

眼矢の綺想――オット―・ファン・フェ―ンの『愛のエンブレム』(1608年) 『日本図学会創立30周年 図学は今 図学研究 記念号』日本図学会編(1997年)p. 163.

 

矮小化された象徴形態:ソシュール『一般言語学講義』における恣意性からみた文字 『名古屋大学言語文化論集』20巻第1号(1998年) pp. 43-75.

 

記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜 『名古屋大学言語文化論集』21巻第1号(1999年) pp. 69-110.

 

メルカトルのコンパス:『失楽園』における揺らぐ〈無限〉 『言葉と文化』1巻 (2000年) pp. 275-304.

 

「僕にインキをつけさせておくれ」―『アストロフェルとステラ』におけるエロスの発現― 『藤井治彦先生退官記念論文集』 玉井章編(英宝社 2000年) pp.175-186.

 

創造主への問いはメタレベルをこえているか:『失楽園』における秩序への回収と反復抹消願望 『名古屋大学言語文化論集』22巻第2(2001年) pp. 93-133.

  

Antaeus and the Sphinx: Vanitas and Naturein Paradise Regained 『名古屋大学言語文化論集』23巻第1号(2001年) pp. 87-108.

  

"Through my heart her eyes' beamy darts be gone": The Power of Seeing in Renaissance Poems and Emblems of Love in Microcosms: Proceedings of Fifth International Conference of Emblem Society, ed. Wolfgang Harms (Frankfurt am Main: Peter Lang, 2000), pp. 1-12 [20023月発刊予定]

 

 

 

V 教科書

 

J. H. Plumb, The Book of the Renaissance(註解)(NCI 1990年)

 

Susan Woodford, Looking at Painting (註解)(松柏社 1994年)

 

 

 

W その他

 

オットー・ファン・フェーン『愛のエンブレム』―翻訳と作家の生涯― 『言語表現とイメージ』<特定研究>(1991年) pp. 40-85. [作家の伝記と原著の部分訳

 

オットー・ファン・フェーン『愛のエンブレム』 『言語表現と人間』<特定研究>(1992年) pp. 61-76.[部分訳]

 

アンドレア・アルチャート『エンブレーマタ』 『名古屋大学言語文化論集』第13巻第2号(1992年) pp.17-58および第14巻第2号1993年pp.169-221.[部分訳]

  1. 研究業績
    1. 著書・訳書
    2. 論文
    3. 教科書
    4. その他
  1. 各業績の要約
    1. 著書・訳書
    2. 論文
    3. 教科書
    4. その他
  1. 今後の研究に向かって
今後の研究方向
研究業績