交わりの拡張と創造性の縮小:ミルトンの四離婚論をめぐる諸原理について

 

鈴木繁夫

 

1.     離婚論の二重動機:受容されない苛立ち

1.1.      不一致は許されるのか

ピューリタンの夫婦像というと、誰かが言い出したわけでもないのに思い出してしまうのは、アントワープにある夫婦の二重肖像画(図1)だ。これはイタリア・ルネッサンスが盛期をむかえた1496年に描かれている。1496年といえばコロンブスがアメリカ大陸に到着してから4年しかたっておらず、またルターの宗教改革運動が始まる約20年前で、それから一世紀しないとピューリタン運動はイングランドでおこってこない。にもかかわらず、この匿名の画家が描いた夫婦像はピューリタン的なのだ。

まず服装。これを半世紀以上も前のヴァン・エイクの「アルノルフィーニ肖像画」(図2)と較べてみるといい。二人とも服は暗くて地味、緑のビロードなどという贅沢品からはほどとおい。とくに妻の方は、髪を巻き上げアップにするわけでもなく、髪をそっくり包みこむ真っ白いずきんをかぶり、髪をみせることがまるで破廉恥であるかのようだ。妻は夫の肩に身をよせ夫と腕組みをするが、アルノルフィーニ婦人が自分の盛り上がったお腹に手を当てることが暗示しているような性を彷彿とさせるようなところがない。愛し合っているのは伝わってくるのだが、ルーベンスやティッチアーノのような官能性はもちろんゼロだ。二人の制御された情感は、いかにも堅くばさばさしているパンやチーズ、ぼってりした葡萄酒飲み碗、花瓶に生けてある質素な花(カーネーションの一種アラセイトウだが、それにしても粗末)、そして私たちに向けられている古めかしいナイフなどからも伝わってくる。だいいち、テーブルの皿の近くに大きなハエが待ちかまえているが、女性のずきんにもとても大きな黒いハエがとまっている。フランドルの「そよおった象徴主義」(パノフスキー)が生きているはずだから、アルノルフィーニ氏の後ろの窓の(さん)にあるリンゴのように、ハエは罪をあらわしているに違いない。抑制された情感、質素、粗末、罪深さ、暗さは、「アルノルフィーニ肖像画」の豊かさ(テリヤ犬、寝台、絨毯、シャンデリア)や、まばゆい光(リンゴですら光を浴びる)とは対照をなし、そうした質実な雰囲気が、ピューリタンという言葉によって連想されるイメージとどうしても重なってしまうのだ。

ところでこの二人がそれぞれあまりにも違った気質をもち、しかもキリスト教にたいする考え方がまったく異なっているとしたらどうであろう。マセイスの「両替商とその妻」(図3)のように、夫婦がともに、金を貯めることやいい身なりをするといった世俗的なことに関心を向け、それでいながら夫の方にはまじめそうな顔や天秤のごまかしをしない手つきが、妻の方には祈祷書を読むだけの素養と敬虔な気持ちがまがりなりにもあるというなら、互いに利害関係が一致しているわけで、二人で生活することに共通項が見いだせる。愛が多少さめていても、結婚生活を続けることはなんとかできる。ところが夫には教養があり、自国の政治・宗教が進むべき方向に熱烈な関心を抱き、妻の方は現代の女性とは違って学問の道が閉ざされていたので教養は皆無に近く、若い貴族風女性にありがちな現状維持の政治宗教体制を望んでいるとしたら、その夫婦関係はどういうことになるだろうか。それだけではない。一方は夕方にタバコ(当時の新進の嗜好品)をゆっくりとひとつまみ吸うことが唯一の娯楽で、他方は11人兄弟姉妹のいる騒がしい大家で毎日を適当に楽しく生活していて、ともかく生活のリズムがまったく違う二人がひとつの家に住んだらどういうことになるのか。それがピューリタン詩人でもあり論争家でもあったミルトンの最初の結婚であった。

念のためだが、ピューリタンが宗教現象として認知されるのは、エリザベス朝(在位1558-1603)のイングランド、つまり16世紀後半であって、約一世紀たったミルトンの頃には正統派のキリスト教徒(イングランド国教会)と互角に拮抗する勢力になっていた。ピューリタンは、エリザベス朝には国教会を揺るがす異質なキリスト教運動として弾圧を受けてきたが、エリザベス没後に続いてイングランドを統治した王ジェームスとチャールズの時代には、勢力を拡張していった。ミルトンはジェームス即位後に少しして生まれ、チャールズの時代に活躍するから、初代ピューリタンではない。そしてこれから問題になる42年には、なんと国王チャールズ(国教会の首長)は、フランスから迎えた妻ヘンリエッタ・マライア(ローマ・カトリック教会信者)と二人の間に授かった娘、つまり王妃と王女(図4)とをフランスに送り返している。ピューリタン運動によってイングランドの宗教・政治体制が崩れつつあり、ピューリタンは国教会はともかくカトリックを徹底的に毛嫌いしていたので、王が二人の身辺を気づかっての離別だった。王はドーヴァーから船出し消えていく二人の姿を、白亜の絶壁から寒い二月のさなかにいつまでも眺めていたという。

この同じ42年の出来事として次のような記録がある。

 

聖霊降臨祭の頃かそれよりも少し後に、ミルトンは田舎に行ったが、その理由は誰も知らず、たんに骨休めに過ぎなかったかもわからなかった。一ヶ月田舎に行って自宅に戻ってきたが、出るときは独身であったのに、戻ってみると夫になっていた。妻の名はメアリ。オックスフォード州のショットオウヴァー近くのフォレスト・ヒルで治安判事をやっているリチャード・パウエル氏の長女であった。[1]

 

聖霊降臨祭は教会暦のなかで祭日として移動するが、だいたいが5月、つまり寒くどんよりとした日が続くイングランドの気候としては、温暖で晴天が続く一年でもっとも気持ちのよい時期にあたる。その時期にミルトンはロンドン市内のオールダス・ゲイトにあった自宅からオックスフォードまで旅をする。42年頃のミルトンは、イタリアへの大陸旅行からすでに戻り、上の記述をした甥エドワード・フィッリプスやその他の男子たちを自宅に住み込ませ、自宅は私塾のようであった。

ミルトンの父親は公証人だったが、当時の公証人はマネー・ローンも仕事の範囲はいっており、すでに引退していた父は自分の二人の兄弟とともにレディングに住んでいた。父親は引退前に、年利を年内に返済する債権を売っていたが、ミルトンの生計は私塾からあがる学費のほかに、この利息が大きくものをいっていた。そんな債権のうちのひとつ、額面300ポンドの債権を、フォレスト・ヒルの治安判事リチャード・パウエルは買っていた。年利8%。ミルトンはその利子をイタリア旅行中にも受けとっていた。ところが42年より少し前から利子払いが滞納していた。ミルトンの祖父はパウエル家の近くに数キロ離れたところに終生住んでいたから、パウエル家とは知らない間柄ではなかった。

ミルトンがオックスフォードの田舎に行ったのは、上の出来事を記録した生徒エドワード・フィッリプスにとっては不可解であったかもしれないが、そこに行く充分な理由はあったのであり、突然、ミルトンがまったく聞いたこともない女を連れてきたのでもないことがわかる。

しかしここから先は各研究者による一次資料の読み方、使い方、そして個人的推測が入り乱れている。[2]ミルトン自身がパウエル家に足を運んだ状況とその後に起こった結婚生活を一応、総合的に再構成してみると、だいたい次のようなストリーになる。

41年にミルトンは宗教論を二冊、匿名で出版していたが、本の版権が発生するためにはイングランドではオックスフォード大学のボドレアン図書館に納本する必要があった。ミルトンはこの図書館の司書と連絡を取ったが、納本されたという連絡をもらっておらず、図書館に足を運ぶ必要があった。またこの図書館にはミルトンが手にしたい本も数多くあったはずだった。42年、戸外に出たい気分にさせる5月に、ロンドンからオックスフォードに行く。しかしオックスフォードなら、多少寄り道になるとはいえ、父親のいるレディングに行かない手はない。レディングで父親と再会したミルトンは、宗教制度論を出版したばかりだから、宗教の話を父をはじめとして父の兄弟たちとしたにちがいない。その折りにオックスフォードに行くなら、近くにパウエルがいるから、利子滞納の件でパウエル家に立ち寄って、この件を解決するように父親から指示を受けたのだろう。

パウエル家を訪れミルトンを驚かせたのは、大家族の生き生きとした騒がしさ、食べ物、飲み物の豊富なことだった。なかでも、一番目を惹いたのは、33歳のミルトンの年齢のおよそ半分の17歳の長女メアリであった。「ミルトンはそくざに恋に陥り、持ち前の熱烈な性格から、ほとんど知りもしない若いティーンと結婚することにそのまま決めてしまった」。[3]ミルトンは学究的で内向的な性格であったから、ユングもいうように性格からくる生活上のバランスをとるために、おおざっぱで外向的な性格の仲間と楽しく過ごしたくなったのだろう。内向性と外向性との中和志向を肯定するかのように、ミルトン自身、「一番似ていない者同士なら、お互いどうしても一番気に入ってしまうものだし、不一致に相性があることに楽しくなってしまうのだ」(『琴』597)と述懐している。[4]時はまさにすがすがしい6月のことだ。ミルトンはメアリに夢中になり、おそらくメアリもミルトンの言葉の機転、顔立ちの良さ、楽器がひけたことに魅了されたのかもしれない。そしてフィッリプスの回想録にあったように、メアリを連れてロンドンの自宅に戻っていく。ただしこの回想録にははっきり書かれていないが、連れてきたのはメアリだけではなくパウエル家の他の兄弟姉妹たちもであった。静かなはずの私塾はこのときから喧噪の空間に変わる。

結婚後二ヶ月して、パウエル家から手紙が届き、そこにはメアリを夏の間、実家に戻すようにという旨が書いてあった。なぜ戻せというのか、その理由もさまざまに憶測されている。ロンドンでは国王と議会との対立が続き、小競り合いが何度か起こりつつあったので、そのままメアリがロンドンに留まるのが危険と親が判断したという避難勧告。ミルトン家はパウエル家と同様に王へのシンパであるにもかかわらず、ミルトン自身は議会よりだということがわかったからという政治的亀裂。母親がミルトンを気に入らずメアリをそそのかしたという姑と夫との親子不和関係。そもそもメアリはミルトンのような男性と、気質も性格も一致しないので結婚がわずか二ヶ月で愛が冷えきってしまったという解熱結果。いずれにせよ、この手紙を受けてメアリは実家に戻っていった。

ミルトンは去っていった妻にたいしてどのような感情を抱き、なぜこのようなことがおこったのか、その経緯を現在手にしうる文書のなかでは、手稿までも含めてなにひとつ語っていない。だいいち、二人が結婚したという教会記録そのものが残っていない。だからいまあげたうちでどれが正しい理由なのかはわからないし、そもそも私的な部屋のなかでおこったことに特定のひとつの理由にしぼってあげつらうという姿勢そのものが誤っているのかもしれない。ただ離別にかんしてかなり確実性のある事実として二つのことがあげられる。

そのひとつはメアリは夏の間、ミカエル祭(929)までに戻るはずだったが、三年後の45年夏までミルトンのもとには帰ってこなかったことだ。そしてメアリが戻ってこないことがしだいに明らかになってきたミカエル祭以降に、ミルトンは『離婚の教義と規律』を執筆し、翌43年夏に出版している。しかもさらにその翌年には、『離婚の教義と規律』の改訂版を出版し、ミルトンと同じように離婚の規律を肯定する『マーティン・ブーサー氏の判断』(ブーサーの著作の翻訳)を刊行、そして45年には『四弦琴』、『懲罰鞭』と、離婚にかんする教義と規律への思索をさらに掘り下げた議論を展開している。メアリ不在の間に四離婚論が書かれたというのが、第二の事実だ。そしてこれら離婚論の文面には、失敗した結婚のまま夫婦が共同生活を続けることがどれほど悲惨なことかという実感がみなぎっている。「不自然に鎖につながれた二つの屍」あるいは「生きたまま、死んだ体に繋がれている」(『教義と規律』326-327)そういう血の気のひく、一瞬でもその場にいたたまれないおぞましい状態を、結婚したがゆえに生じる「束縛」はもたらすのだ。逆に、そんな結婚が解消できるなら、「優しい一撫でで、[離婚できないでいる]男の生活から生じる何万という涙を払い去れる(『教義と規律』245)のだ。そして離婚後に、今度こそ自分にふさわしい妻と結婚できれば、「似たもの同士、つまり精神と性格とがぴったりなことは、夫婦の間に和合の精神と一性を生みだしうる」(『琴』605)のだ。

この四つの離婚論を出版する以前には、ミルトンは離婚についての議論に参加したこともなかったし、離婚とはなにかなどということに深く触れたこともなかった。[5]ピューリタン論争家として教会内部の位階制度についての議論はしてきたが、教会がかかえている信者の日常生活に直接かかわる離婚のような制度をとりあげて、議論の対象とすることはなかった。とすると、四つの離婚論は、最初に結婚が軌道に乗らないまま妻から自分が事実上、遺棄されたにも等しい苦境に陥っているミルトン自身の私的怨念として読んでよいのだろうか。それを論ずることは退屈で、わずらわしく、二次的なことだろう。というのも、この本を私的事柄に引きつけて読むということは、目の前の既定事実ないしは既定事実らしきことを議論の出発点におくことになるからだ。既定事実という地点からの議論開始こそ、ミルトンが境界を設けようとした既定事実と聖書的真実との分割線をないがしろにしてしまうことになるからだ。分割線とはどういうことなのか、それをなし崩しにするとはどういう態度なのか。それを知るためには、メアリをロンドンに連れてくるとき、すでに国王チャールズが統治に失策を重ねていた状況にまで、話を政治の方向にほんのすこし移動する必要がある。

 

1.2.      共同体失墜とアノミー

イングランド(現在の英国はこのほかにウェールズ、スコットランド、アイルランドの一部を含むが、当時はそれぞれ独立国といってよかった)では、スコットランド出身の国王チャールズを中心とした王政がしかれていた。この王がイングランドを統括する国教会の最高の長でもあった。二院制(貴族院と庶民院)からなる議会のうち、下院の議員たちは、ローマ・カトリック教会の色彩が教義においても典礼においても濃い国教会の教義とはあいいれないピューリタンが多数を占めていた。ピューリタンは、ジュネーブの宗教改革者カルヴィンの教義を継承し、イングランドに土着化したキリスト信者の名称で、国教会体制内での教会・宗教改革をめざしていた。国教会の柱は、首長制、主教制度、典礼の三つであったが、二番目の主教制度(主教・司祭・執事という上下三階層の聖職者によって個別の教会が統治運営される)はカトリック教会制度の擬似的踏襲であった。カルヴァンは教会統治の手法として、この制度は聖書に書かれたことにもとづかない人為的な誤った仕組みだと考えた。教会はキリストのみが唯一の頭であり、教会の成員はすべて平等、牧会の仕事は末端の各個別の教会に任されており、教会を担当する牧師と、その教会の教会員から選出された長老が教会運営していくという、主教制度に代わる教会統治システムを考え出し、それを実行した。

チャールズはもちろん前王のジェ−ムズ一世の明言「主教なくして国王なし」という路線を崩さなかった。崩さないどころか、国教会の祈祷書や聖典礼を、すでにカルヴィニズムを一国全体で受けいれていたスコットランドにも強制しようとした。これが原因となって40年にはスコットランドの軍隊はイングランドに侵入し、国王はスコットランドに示談金を支払うことで侵攻をくいとめた。示談金を国内から調達すべく王は議会を召集したが、議会は王側近の責任追及、王権の制限、そして議会の同意を必要とする諸事項の制定をおこない、王の意図は達成されないどころか、むしろ逆に、王権縮小、議会自律という原則ができあがってしまった。翌41年には、国王の管轄にある宗教権と軍事権までも議会が掌握しようという議論がおこり、議会内部にはそこまで踏みこもうとしない穏健派(騎士派)と、これまでの国王の失策を国民に列挙して議会が国民と結びついて改革を推進しようとする改革派(円頂派)とに分裂していく。当時は制限選挙で、被選挙権も選挙権も国民全体に解放されていたわけではなかったから、王政批判を国民全体に向けてするということは、統治責任を必ずしもともなわない母体と議会(厳密には庶民院)が結託するという前代未聞の発想であった。42年初めに、王は護衛兵を連れて議会に乗り込み改革派主要議員を逮捕しようとするが失敗し、8月に王党派と議会派との武力内乱が始まる。ミルトンが文筆によって最初にこの革命に参入したのは、議会を二分し、国内が両派に割れる緊張のさなかであった。

しかし政治的に国王の地位が危うくなってきたということは、経済的にではなく精神的にはまったく別な意義がある。シェイクスピアの『お気に召すまま』の老僕アダム、『リア王』のケントに象徴されるように自分にどんなに不利になっても主人に忠実に仕える奉仕の心も、詩人ベン・ジョンソンが「ペンズ・ハースト」のなかで描きだしたような地主と小作人の相互扶助世界も、国教会カテキズムに記載され復唱することが強要されている制度上の長上者への盲目的服従も、都市という場においてはすでに解体していた。[6]「ペンズ・ハースト」の村落共同体では、生まれたときから死ぬまで周囲にいる人間の身分はもちろん、メンバーそのものもほとんど変わらず、生活環境は全面的に共有関係にあった。ところが囲い込み以降、農村の一部に急速な商業化がおこり、農村では小作人の人あまり状態が生じ、不労者として都市へと流入する。しかも世襲貴族の次男・三男も長子相続制度がはっきりしてくると、小作人同様に都市に行かざるをえなくなった。都市部の住民たちは、村落共同体とは違って、周囲には知らない人間があふれているという環境の中で生活するように強いられるようになる。そこで待っている生活は、職人法の制定内容を裏返してみればわかるように、7年間ではなく短期間のうちに徒弟奉公先をつぎつぎと変え住居も変えていくフリーター状況であり、賃金は年限におうじてスライドせず何年働こうとあまり変わらないので適当に働けばよいというモラルの低下であり、ホームレスになっても救貧法のおかげで食うには困らないという「まったり生活」が送れる環境であった。しかも都市生活は、ペンズ・ハースト型の自給自足生活のように、物財の不足を不足と感じても満足しなくてはならない欲望抑制の閉鎖系ではなく、最低生活を保障する農産物、衣類はもちろん、生活便利用品(石鹸・洗濯糊・靴下)が安価で手に入り欲望をつぎつぎのあおる解放系の生活であった。[7]この新しい経験は、都市部における精神的不安の増大をもたらした。そうした中で、その不安を埋め合わせるかのように二つの動きが生じた。

ひとつは、とくにエリザベス朝に都市部で発生したピューリタン運動である。大陸に1500年以上も伝統をもつカトリックや新興の国教会のように地縁による教会ではなく、牧師との契約による人格的集会が教会参加の形となり、これは農村共同体とは異質の人格的組織体を新たに誕生させた。[8]もう一つの重要な機能を果たしたのが、聖書の自己理解(「聖書のみ(ソラ・スクリープタ)」)によるキリストとの直接的な結びつきという知的共同性である。

これは、教会の長(教皇、首長)のもとにある信者、親と子というシンボリックなファンタジーを壊したばかりか、都市という現実の前で消え去りつつあった村落共同体に代わるあらたな結びつきを都市住民のなかにもたらした。地縁的な共同性が失われ、都市のなかでピューリタンたちは聖書情報の交換を中心とした相互コミュニケーションと、そのコミュニケーションから生まれる限定された言説空間の内部で国教会とは違った自己像を維持していく。ピューリタンが聖書理解の情報交換を重視するのは、土地からはがされて自由になった精神が孤独の殻にどじこもり希薄化しないための埋め合わせとして機能する。

チャールズの権威失墜は彼がたんに王であっただけでなく、国教会の長でもあったがゆえに、そして41年には事実上の政治実権者ストラットフォード伯が縛り首に、45年には国教会の実質権威者ロードが縛り首になることからもわかるように、従来の共同体は地縁的にだけではなく政治的にも宗教的にも中心をしだいに喪失していく。共同体の権威は共同体を構成しているメンバーの行動規範である道徳をもささえている。中心権威の喪失は従来の道徳の失墜になり、社会はなにが正しい行為で、どう考えることがいけないのかを最終的に決定する象徴的父親を見失い、政治的にも宗教的にもアノミー(無秩序・無規範)状態になっていく。

もちろんピューリタンにとっては、もっと大きな父である「父なる神」は聖書を通じて何が正しくどう考えるべきなのかというあらたな道徳を指示してくれる。しかし聖書そのものがある層にしたがって読めば正しいと思えることも、別な層にしたがって読んでいくと誤ったことになるという多義性をもっていた。その多義性は、ルターによって一枚岩状況に風穴が明いたあとの西ヨーロッパ各地のキリスト教諸派の乱立が、それこそ聖書を読まずとも教えてくれたことであった。神の眼にかなう良き人間でありたいと願えば願うほど、中心を喪失してしまった社会においてはこれが道徳だと最終決定する基盤が十重二十重にもひびがはいっているので、何が正しいことなのかわからないという問題が浮上する。もちろんそうしたアノミー状態ではだれでも、喪失してしまったことを目撃した「失われた世界」へと回帰し、あの道徳をもう一度、あの制度の復興を、という方向へのベクトルは高まり、従来の道徳への執着という保守主義にしがみつきたくなる。しかし中心が空洞化してしまったことを敏感に感じとっている人々にとっては、何が正しいことなのかを、聖書のなかから自らの信仰と熟考によって掘り当てていき、その探り当てた正しきことを社会に向かってアピールする、そういう倫理的要請をいや増しに感じるようになる。共同体の従来の道徳への回帰か、新しい社会の倫理の確立かという引き裂かれた方向に、言論は割れていく。

 

1.3.      離婚規律への疑問と解答者の立場

反体制のピューリタンであったミルトンは、当然のことながら共同体の道徳ではなく個人として倫理を確立しようとした。そういうミルトンが、パウエルと事実上、当時破綻していた結婚生活を再考すれば、数々の問題の連鎖が空から降ってわいたように湧いてきたはずである。正しい結婚とはどんなものであり、正しい結婚が成り立っていない場合にはそれでも結婚を継続すべきなのかどうなのか。継続しないとするなら、カトリックや国教会の教理のように、別居(厳密には「食事とベットをともしない」(a mensa et thoro)という意味で、同じ屋根の下に住んでいても「別居」になる)だけが許されて離婚は不可なのか。もし離婚が不可ではないとすると、そう主張できる根拠はないのか。あるとすればその根拠は当然、聖書に書かれているはずだが、聖書は妻が姦通を犯す場合以外の離婚は不可だと命じているのではないか。聖書の記述を字句通り受けとれば、離婚が可能となるのは姦通だけだが、これはたとえばいま自分が現実に経験していることにあてはめればどういうことになるのか。聖書には、離婚ではなく何が結婚かという記述もあるではないか。そこに記述されているような結婚が成り立っていない場合には、それは結婚が解消されている状態と考えられはしないか。形式上だけのそんな結婚は聖書にもとづく宗教法(当時の論争では「道徳法」とよばれた)からも、またローマ市民法、コモンロー、衡平(エクイティ)法に立脚した世俗法からも、そして宗教法と世俗法の両者にまたがる自然法からしても、離婚と認定し、離婚成立と宣言してよいのではないか。

いやそもそも、離婚が可能となるのは姦通だけというのは旧約聖書の記述であって、旧約と新約とでは人間にたいする神との関係は根源から変質しているはずではないか。旧約の律法をそのまま新約時代に生きている自分たちにあてはめるのは間違っているのではないか。ではその根源的変質とはどんなことであって、旧約の離婚律法をどう調停するのか。調停するためにもちだす解釈原理はどんなものか、その解釈原理が正しいといいえる論拠はどこにあるのか。かりにそうした解釈原理にもとづいて、いまの新約時代において離婚が可能だとすると、離婚が可能となることによって社会に悪影響はでないのか。離婚を妻の姦通以外の理由で可能とすれば、離婚の自由度が増し、結婚することの意義がその重みを激減しやしないか。激減に連動して、共同体がつける結婚の値打ちまでも下落し、性的に乱れた社会を招き寄せることになりはしないか。招き寄せないと断言できるためには、結婚の価値が上昇するという理由だけで必要充分なのだろうか。

離婚ができるための条件を現状より緩和するというわずかこの一言にたいして、ざっと推測するだけでも、このような疑問が雨あられのように降りかかる。こうして噴きあがってくる疑問にたいして、ミルトンは、それぞれの本のなかで形式を変えながら、しかも原理と規律の根拠を第一離婚論から後に書かれた離婚論へと、より明確にさらに深化させながら答えている。

著者のもっとも伝えたいメッセージが凝縮されているのは、当時の本の常識として、タイトル・ページ(表表紙)にあった。四つの離婚論のなかでも最初の離婚である『離婚の教義と規律』の初版の表表紙(図5)は、次のように記載されている。

この本で述べられている「離婚の教義と規律」は、「神の愛の基準」にのっとっているのであり、「神の愛の基準」からはずれるような、「教会法からの束縛や、教会法以外の誤解からくる束縛」から夫婦を解放することである。解放された夫婦は、「幸福」となり、「キリスト者としての自由」を手にすることになる。こうしてメッセージを書かれると、プロテスタント側の人間ならほぼ反論はできない。なぜなら、現在は律法の時代ではなく福音の時代であり、この時代において人間はもはや律法を守ることによって救われるのでもなく、また人間の自発的努力によって救済されるのでもなく、信仰によって罪ある状態のまま聖化される。

この考え方は「信仰義認」といわれるが、それはカトリックや国教会のように典礼(サクラメント)による救済(義認の究極の形体)と区別するためにルターが提起した神学上の立場である。人間を救済するのは、キリストの恵みであり、その恵みは教会における聖典礼を通して人間の魂に注入されるのであって、典礼なしにその恵みはえられない。ところが「信仰義認」の立場からすれば、そのような外面的行為に参加したりそのような教会制度に従順であることは神の前で個人が義と認められることとは直接に関係がない。むしろ個人が自らの良心において自らの罪を自覚しつつ、神とじかに向きあうそういう信仰のほかに、その人が義と認められるために必要とするものはないと考える。人間学的に言い換えるなら、人間は宗教という制度を介さずに救済される可能性がここで生まれ、神と罪とに向きあうとき、かけがえのない私性をもった単独者となる。神との関係においてある一瞬時の関係と、次の瞬間における神との関係が、それぞれ「この関係性」においていつもたえず躍動的に変化していく。だから定型の祈り(カトリックの「主の祈り」)のような同一性の反復は惰性とみなされ嫌われる。[9]そして現在は、神が罪人である人間にすらも降りそそぐ聖愛が支配する時代である。

神の愛を受けとめる器である信仰者は、罪人としての自分を徹底的に自覚した個人の資格において、自らの良心を通じて神とかかわる。福音下のキリスト者は神と隣人への愛へと促される存在へと転換し、隣人への社会的、政治的、法的「交わり」が愛という動機に裏づけられた信仰よって基礎づけられている。したがってたとえ教会法といえども、それが「神の愛の基準」に照らして不適切なことを定めているのであれば、「改定(リフォーム)」されるべきだと考えるし、ましてや聖書に法源をもたない市民法や慣習法が「神の愛の基準」に合わないことを規定しているのであるなら、その「誤解」を「改定(リフォーム)」する必要があると公言してはばからない。ところが現状では、離婚にかんして「神の愛の基準」から逸脱した「改定(リフォーム)」すべき条項が「束縛」となって、夫婦が離婚できず、本来の結婚の姿からはずれたまま、内実のない結婚を続けている。

キリスト者は、神はもちろん妻にも当然、愛をもって仕えざるをえないはずなのに、こともあろうに教会法や世俗秩序(「宗教上の事由と市民としての事由というたくらみ」『琴』599)がそのような人間のあり方を阻止しようとしている。これはあきらかに、旧約のユダヤ教徒のような律法遵守主義に陥った状態も同然で、隷属、縛り、際限なき鎖から解放されている「キリスト者としての自由」の侵害である。

このような障害にたいしてどう向き合うべきなのか。ここからがルターに顕著な信仰義認から離陸して、ピューリタン的といえるところなのだが、キリスト者は、神の愛にふさわしく、その愛に応答するような責任主体だと考えられている。信者は神から授けられている理性を駆使し、神の愛に照らして、あらゆる事柄を理解し、説明し、行動する義務を負っており、責任と義務があるからには、「束縛」、「誤解」からキリスト者を解放するという行動にうってでる必要があるのだ。傍観者として「束縛」、「誤解」を放置しておいてはならないのだ。そのような応答行為は、むしろ人間の尊厳として積極的に評価されるべきで、神の前での人間の無力さを忘れた神聖冒涜の自己主張とはみなさない。

信仰義認において個人は一瞬ごとに悔い改め、罪と戦うが、何を悔い改めるべきかを知る道具、戦いを継続するためにたよる糧は何かといえば、神の言葉である。神の言葉が直接啓示されている聖書を自分で読むことが、個人の信仰にとって不可欠となる。カトリックのように聖書の教えと称する教会が制定した公教要理を暗誦する必要もなくなり、むしろ逆に、場合によってはカトリックの定めた教会法の誤りも聖書耽読から見えてくる。というのも教会法の法源は聖書の字句にあり、個人として聖書を熟読することによって、聖書のなかのある字句をどう解釈するかということにまで、目がいくようになるからである。信仰義認も、聖書を自分の母国語に後に訳す快挙をとげるルターが、聖書の徹底した読みから気づいた原理である。ミルトンの表表紙にも、この本は、「聖書の多くの箇所で、長い間、見失われてきた意味を回復する」ことをやっていると謳っている。信仰義認の立場をとらないカトリックや国教会による聖書解釈は、聖書の多くの箇所を誤解しており、それらの箇所には神の愛という基準に照らして再解釈が必要であり、自分はそれをここでやってみせるのだという。

こうした再解釈が、制度にたいする個人的な怨みや私的な傲慢から生じたものではないことを読者にわかってもらおうと、「回復する」という言葉に続けて、聖句(「マタイ福音書」13:52)を引用している。「天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている」。ミルトンは自らを「天の国のことを学んだ学者」と位置づけて、聖書という「自分の倉」から、旧約に書かれている離婚にかんする律法という「古いもの」と、新約の離婚にかんする記述である「新しいもの」とをとりあげ比較する。離婚にたいする慣習に支配された「古い」誤った考え方を披露しつつ、福音の信仰に立脚した「新しい」が本当に正しい離婚のあり方を示そうとしている。

では神の愛に照らしながら、なおかつ責任ある主体として神に応答すべく行動する個人として、離婚にかんする聖書の記述を読んだ場合、どのような離婚像、そしてそれのネガである結婚像が聖書から浮かび上がってくるのであろうか。

 

 

2.     結婚の呪縛から「交わり」への着目

2.1.      肉的な「交わり」だけからの離陸

『教義と規律』の再版では、議会に宛てたとても長い序文が本文の冒頭部分に入っていて気づきにくいのだが、初版での本文の出だしは、表表紙のタイトル「離婚の教義と規律」にあたる部分がもう一度繰りかえされ、これから論じるのは「離婚の教義と規律」であることが再度強調されている。ところが冒頭部分で最初に単刀直入に論じられるのは、離婚とは宗教的にはどういうことなのかという教義でもなければ、離婚はどういう場合にできるかといった規律でもなく、何が結婚の目的かということである。「神は結婚を初めて命じた際に、どのような目的があって命じたのかを、はっきりと言葉でいいあらわし教えております。男と女とが適切に楽しく交わり、その交わりによって、男は孤独な生活という害悪にたいして慰めをえ、元気づけられるためです」(『教義と規律』235)

離婚の教義と規律がどういうものなのか、離婚が許されている条件から攻めるのではなく、結婚の本義からミルトンは出発し、搦め手から離婚条件を再考するという論法をとっている。この論法は相手を説得するための修辞というあらかじめ熟考された戦術という以前に、離婚ができるためには結婚をしていなくてはならないから、その結婚の本義がわからずに、離婚の条件をあれこれ忖度しても、議論が空回りすることを恐れてのことである。ミルトンの議論はいつもそうなのだが、ある問題を考えるときには、いまそれが現状においてどのように議論されているか、離婚は可か不可かといったような右か左かのどちらの陣営につくかという現時点での暗黙の制約から出発しない。すでに述べた用語をつかえば「既定事実」から議論をはじめない。必ずその問題がどういう歴史的経緯で生じているのかを、聖書や古典古代にまでさかのぼって、「聖書的真実」は何なのかから考察する。該博な知識と秀才の記憶力を駆使して、歴史的にどのようにこれまで考えられ議論されてきたのか複層的に把握し、その問題にどういう厚みと奥行きがあるかを立体的にとらえようとする。こういう態度こそ、ミルトンはピューリタンであるというときのピューリタンらしいものの見方といってよい。なぜならピューリタンはミルトンの出身大学ケンブリッジでおこり、ケンブリッジ大学のひとつであるトリニティ・コレッジの教授トーマス・カートライトを嚆矢とするが、「純粋なラテン語学者、正確なギリシア語学者、厳密なへブル語学者」といわれたこの教授は、原始教会の制度を原典を駆使してあきらかにすることを目的としたが、それは結果として、原始教会を基準として、現在の国教会の制度が原始教会の姿からどれほど離れているかを暴露し、離れているのをどのように改定すべきかを批判的に指摘するをやったからだ。論敵ウィリアム・チャダートンの言葉を使えば、その説くところは「現在ある教会国家体制を転覆し、放擲し、新規な政策を定めてそれを樹立すること」(1570年大学総長宛の告発文)のようになってしまうのだ。[10]この論敵の指摘は、70年以上もたった後の四離婚論のミルトンにたいする体制側からの批判そのものといってよい。

離婚論の場合、「神が初めて命じた」時点まで歴史をさかのぼり、結婚とはどういう目的で神が人間に定めたのかということを、議論の究極的土台として明示しようとする。「主なる神は言われた。『人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。』」(「創世記」2:18)。これは、神がアダムを創造したあとに述べた言葉であり、この言葉の後に神はアダムのあばら骨を素材にして女エバを造る。「男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」(「創世記」2:24)。ミルトンはここまでの記述を頭におきながら、アダムとエバの夫婦関係に神が意図したような、「適切な楽しい交わり」を手に入れることこそが結婚の目的なのだと断定する。この断定は四つの離婚論のなかで離婚の条件を議論する際に繰りかえし繰りかえし立ち戻る土台であり、通奏低音のように鳴り響いている。[11]

ここでいう「交わり(カンヴァセーション)(conversation)を、ミルトンは「交流(ソサイアティー)(society)とも言い換えているが、「交わり(カンヴァセーション)」というのはいま私たちが使うような言葉を交わすということだけに限定されない。魂のレベルにおける深い知的な交流、ともかく一緒にいて楽しいという感情的交流、手を握りキスをし体を触れあい感じあう体感の疎通、そこから一歩進んだ性器性交のエクスタシーまでも含んだ広い意味をもつのが、「交わり」である。

ではその交わりが「適切に楽しい」とはどういうことをさしているのだろうか。ミルトンは「適切に楽しい」交わりを、「肉体の結合」とわざわざ対比させ、交わりも結合もともに重要で、結婚の第一義だと説明している。

 

適切に楽しい交わりがきちんと成り立っていることは、結婚の最重要目的として、肉体の交わりという賜物と匹敵するほど必須であると承認を求めることが、法にかない正当であります。あるいはその議論を進めれば、[現行において]肉体的欠陥があるなら離婚の訴えができるように、[今後は]適切に楽しい交わりがないなら、同等の権利において離婚の訴えができるのです。(『教義と規律』239-240)

 

このように、ミルトンが、交わりの意味をわざわざ肉体的なものと区別しているのは、交わりは精神的なものまで含んでいることを示したかったからである。結婚の目的は「産めよ、増えよ」(「創世記」1:28)という子孫増産だけにあるのではなく、「人間の精神や心のさびしさ」(『教義と規律』246)を癒すため、さびしさに駆られて憂鬱になることを防げるような「ふさわしい助け手」と交わるという目的があるのだ。

 交わりが肉から精神にまでをカバーする二重性をもっていることは、パウロの「身を焦がすよりは、結婚した方がましだからです」(「第一コリント書」7:9 傍点筆者)という言葉を情欲が燃えることだけに限定してミルトンが解釈しなかったことにもあらわれている。パウロはここで「結婚」と「焦がす」とを比較しているが、比較しうるからにはそれぞれが別の状態でなくてはならず、「焦がす」よりは「結婚」するほうがよいといっているのだから、「結婚」によって「焦がす」状態は解消されるはずである。「身を焦がす」のは情欲であり、「焦がす」状態とは、身体の底からわきあがってくる欲望に打ち勝てず、情欲に溺れ、欲望にまみれる独身の状態である。「結婚」することによって独身であることをやめ、結婚をして性欲のはけ口を見いだし、いたずらに情欲の「焦がす」ことに翻弄されないことである。ここまでならカルヴァンなどの解釈とも抵触しない。ところがそうした独身状態を、エバが創造されアダムにあてがわれる以前のアダムに投影して、ならば楽園に住む独身男アダムも焦がされていたはずだが、その焦がしは「肉欲衝動や感覚的欲求というたんなるせっつき(『教義と規律』251)、つまり情欲だけによるものであったとは考えられないと類推する。いやたしかに独身男アダムも焦がされていたはずだが、そんなアダムにたいして、「神は獣欲[と同然な欲望]だけにもっぱら配慮しているわけでない」(『教義と規律』251)はずで、アダムにはそれとは別種の欲望があって、身を焦がされていた。「原罪を知る前のアダムに神は欲望を吹きこんだ」が、「その欲望とは、人が一人でいて燃えるのは良くないと神が考えられた欲望」(『教義と規律』251)[傍点筆者]なのである。アダムはエバと結婚することによって、肉体の交わりをもち体がひとつになることはいうまでもないが、それは性器結合による合体と性欲発散ということに限定されないのだ。「身を焦がす」その原因は欲望なのだが、その欲望は性器性欲だけではなく、一人でいること、精神的な孤独を解消したいという欲望であり、しかも孤独解消欲求は神が原初においてアダムに吹きこんだことであって、ちょうど性欲を節食や体操によって解消しようとしてもうまくできないように、人間の側が個人の力でどんなに努力しても抑圧できない欲求なのだ。ミルトンはこのように新約のパウロの「身を焦がす」という言葉の意味を旧約のアダムの独身状態に照らして類比的に解釈し、情欲という肉のレベルだけに限定させず、精神レベルにまで拡張し、しかもそれは神の原初行為によって基礎づけられている先天的不可変の欲望ととらえなおしている。だからこそミルトンは「焦がす」という言葉にわざわざ「理性的」(『教義と規律』251)という私たちの語感からはあきらかにずれるような形容詞をつけたり、この欲求に「知的で罪なき」(『教義と規律』269)という限定詞をつけている。「焦がす」欲求は、「野獣の月下欲望」(『教義と規律』269 月の軌道より下から地上まではあらゆるものは不完全と考えられていた)だけなのではなく、孤独解消という精神的なものまでも含んでいる。とするなら、結婚することによって「交わり」がもてるようになるとはいっても、それは性器結合だけをさしているのではなく、孤独への癒しまでももたらしてくれるはずだし、逆にそこまで至らない結婚は必要十分な「交わり」となっていないわけで、結婚しているといえるのかということになる。

子孫増産、もっと正確には当時の現状からすれば子供を産むことによる家系連続性の保証と家産略奪からの防御がもしも結婚の目的だとすれば、情愛のない肉体的交わりがあり、妻が夫の子(それも女子ではなく相続権のある男子)を産みさえすれば、それで結婚は必要充分に成立していることになる。妻が不品行を犯し別な男との間に子をもうけ自分の子と偽り家系の連続性を壊し、家産略奪をみすみすさせてしまうような行為にでないかぎり、結婚はそのまま続けられることになる。情愛がないが世俗的安全が確保されているこのような意味での結婚は、男の肉欲が満足できるような制度上の安全装置、男が不品行に走らないための予防手段としての結婚観ともあいまって、批判され串刺しにされてもしかたのない結婚観である。

ミルトンはそのような意味でだけの結婚には反対したが、そのような意味での結婚を否定してはいない。ピューリタン、ピューリタンといえば性に厳格、その厳格さは性欲抑圧至上主義、肉体蔑視の頂点というイメージが先行してしまい、ミルトンの結婚の主張も、そのようなイメージの枠内でとらえられがちである。[12]

性的な欲望を満たすことにたいする罪悪感の記述はミルトンの離婚論にはまずみられない。男の性欲発散にとってとても都合のよい制度であり、家系継続の手段としても有効な結婚が社会のなかで機能していることに、ミルトンの非難の矛先がむかっているわけではない。そういう結婚の意味や機能には、人間の罪深さ、社会悪、自由への桎梏に敏感だと自負しているミルトンであるにもかかわらず、ほとんど触れていない。そうではなく、ミルトンは、精神的交わりが結婚にあるかどうかの有無に議論の争点を絞っていく。そこで精神的交わりがないことを、結婚とはいえないことと短絡的に結びつけ、その結びつけからミルトンは結婚の目的を肉体から精神の交わりへとシフトさせ、肉体の交わりをどちらでもよいこととして位置づける価値転換をしたのだとえてして論じられてしまう。[13]このような読み方は、離婚論より前に書かれたミルトンの『コーマス』にある「処女性という賢明ですばらしい教義」(787-788)という言葉や、離婚論より後に書かれ離婚論の原理が反映している『失楽園』で原初の堕落の最初の兆候が乱れた性交であったことと呼応して、ミルトンの離婚論を読むときの読者のひとつの暗黙の構えになっている。[14]これは誤読ではないとはいえ、ひとつの大きな誤解をもたらす読みではないだろうか。

なぜなら、肉体の結合にかんする四離婚論でのミルトンの記述を追ってみればわかるように、精神的交わりがあることが唯一結婚の目的だなどとはミルトンはいってもいないし、そう主張してもいないからだ。

 

結婚について触れているキリスト者の著述家たちが合意している結婚の目的が三つあります。神との交わり、人としての交わり、婚姻の床での交わりです。(『教義と規律』268)

 

交わりをあげている順は神で始まっているから、三番目の肉体結合はほかの二つの結婚目的よりも下位のものとして考えられていることはあきらかだが、だからといって肉体結合が結婚目的として除外視されていたのではない。劣位とはいえ結婚の大きな目的であったことは次の言葉が教えてくれる。

 

交わりには宗教のもの、公民としてのもの、家庭におけるものといったものがありますが、そうした交わりがもたらす援助と交流は結婚の目的因なのです。そして家庭の交わりには下級の目的として、自然の欲求を満たすこと、子孫が増えることがふくまれています。(『琴』608)

生殖という目的は順序としては後で述べられていて、必然性という点では二義的ではないけれど、重みの点では第二義的にすぎないのです(『教義と規律』235)[15]

 

結婚という制度が社会のなかで認知されていることによって、子孫誕生をはじめとして肉欲にまつわるさまざまな世俗的効果だけが結婚の目的ではないと、むしろミルトンは主張している。世俗的効果だけという結婚目的をいったん否定した上に、結婚には世俗効果のみならず精神的効用もあり、精神的効用までも引き起こさないような結婚は結婚としては不的確、つまり妻としては失格であるといっているのだ。

 

2.2.      精神的交わりへの批判

交わり(カンヴァセーション)」をこのように広くとらえ、結婚の目的を生殖に限定しないのは、ミルトンに独特の思想ではなく、『離婚の教義と規律』改訂版のなかでミルトンが補筆しているように、カルヴァンなどの著名なプロテスタント神学者たちの意見でもあった。[16]

そもそもカトリックとプロテスタントとの大きな違いのひとつは、結婚がカトリックでは秘蹟のひとつに組みいれられている。秘蹟とは、聖書に記述されているキリスト自らの言葉としるしによって制定された儀式で、キリストによる人間救済という恵みの可視化であった。プロテスタントでは聖典礼とよぶが、結婚は、プロテスタントでもイングランド国教会でも、聖典礼のなかに組み入れられなかった。結婚を秘蹟としたカトリックでは、ひとたび結婚の秘蹟によって結ばれ夫婦となった男女は、夫か妻かのどちらかが死亡した場合にのみその聖なる結合が解消するという信条であった。先ほど引用した聖句「一体となる」(「創世記」2:24)は、カトリックでは「一体」となるからには「一体」をなす両者のうち片方が欠けるまでその結合が続くのだ。これは、ミサにおけるパン(ホスチア)と葡萄酒とがキリストの体と血とに全質的に実体化するという化体説(聖餐の秘蹟)がそうであるように、「一体」も文字通り、男女が結婚の秘蹟によってひとつの肉体となっているという発想からでてきている。ところがルターは、聖餐にかんして、熱した鉄が鉄にして火であるように、ホスチアはパンでありキリストの体とであるという共在説をとり、カルヴァンは、紙幣は紙切れだが象徴的に価値があるように、ホスチアのパンはキリストの体と象徴的にみなされるという象徴説をとっていた。両者は当然、「一体」もカトリックのようなただひとつの肉体となるとは考えなかった。「一体」=「肉体」だと等号でしっかり結ばずに、そこにそれ以外の解釈を許すようなほつれ目がプロテスタントにはあったのだ。

秘蹟からの除外は結婚を聖から俗の領域へと委譲することになるし、化体説の発想からの自由は結婚という儀式を通過したからといって結婚が永続することを保障しなくなった。それにくわえて、カトリックがかかげていたがルネッサンス期には崩れつつあった聖職者の独身制(第一、第二ラテラノ公会議(1123, 1139)で決定)は、プロテスタント牧師間ではむしろ哀れむべき規律とみなされた。歴史上の最初の宗教改革者であるルターが修道院から逃走した元修道女を妻にめとったことが象徴するように、結婚することが聖職者はもちろん一般信者にとっても当たり前であり、独身でいることの方がどこか異様なことだと思われるようになっていた。[17]

そのような社会通念が形成されつつあったとはいえ、では結婚の目的はと問われれば、マーティン・ブーサー(カルヴァンの師)のような例はあったとはいえ、ミルトンが考えるように精神的交わりへという方向では必ずしも考えられなかった。いやむしろミルトンが思想的軸足をおき、当時の議会を支配していた長老派(イングランドにおけるカルヴァンの正統的継承者)からは、「精神的交わりへ」というメッセージは非難のやり玉にあげられた。長老派牧師ハーバート・パーマーは、この本が出版された翌年8月、国王軍が戦闘に勝利し議会が屈辱をあびた日に、両院のまえでおこなった説教で、『教義と規律』を年間を通じてもっとも「よこしまな一冊」、「焚書に値する本」(『琴』580)として糾弾した。同じく長老派の牧師ダニエル・フィートリーは、その著作のなかで、性的に放縦だと思われていた再洗礼派(幼児洗礼を認めない極左ピューリタンの一派)の規律だとして非難している(『琴』580)。官憲によって耳をそがれて舌を切られても思想信条を曲げずに書きつづけた、長老派の英雄といってもよい著述家ウィリアム・プリンは、ミルトンに快楽放縦主義、アナキスト、異端、無神論とあらゆる罵倒をなげつけた。「離婚、お気に召すまま」(『鞭』722)と評したプリンの文句は、当時、評判になりもした。

では長老派は離婚の要件である結婚をどのように考えていたのだろうか。幼児死亡率が著しく高く(ミルトン「風邪をひいて死んだ幼子へ」)、定期的に襲う疫病による死亡率も高く(デフォー『ペスト』)、産褥による女性の死亡率も高い(ミルトンは生涯に三人の妻を娶った)というトリプル高による家、教会、社会の継続性が脅かされていたことを思えば、現状を鑑みて、説教家たちの多くが、カトリック、プロテスタントを問わず、子の出産と育成こそ結婚の目的と声を大にするのはうなずける。

ピューリタンの間でもっとも支持され、またミルトンも共感し離婚論のなかで引用しているウィリアム・パーキンズは、「肉の腐敗した情欲を静め、そして満たし、とくに神の教会を大きくするため」というように、教会の維持発展のため多くの子供ができるようにすることを結婚の効用として限定している。[18]パーキンズはミルトンに較べてずいぶん即物的で、現状に目をひかれすぎるようにみえるかもしれないが、現状は、パーキンズほど影響力はなかった別なピューリタン説教家バーナードが憤激しているように、家名維持、資産保全という世俗的なことにもっぱら目がいき、教会の維持発展までは頭が回らなかった。[19]パーキンズの主張する結婚目的は、ミルトンの立場からすればかなり慣習よりで後退しているのだが、それでも現状を宗教的に高めようとする意図には目配りがきいているのだ。パーキンズの目的性は、当時としてのもっとも膨大な家庭書を書いたグージにも、またピューリタン中道の独立派の神学の元祖ともよばれるエイムズにもそっくり踏襲されている。[20]

結婚が人口問題がらみの生殖目的以外に、当時あからさまにピューリタン説教者すらも率直に認めていたもうひとつ重要な目的は、一人でいると動物のように発情する性欲(厳密には性器性欲)をコントロールできず、苦痛・不快・怒り・憎しみなどをいたずらに感じ、場合によっては買春、不品行に走ることになってしまう。ところが社会・宗教制度として裁可されている結婚をすれば、性欲を満たすはけ口があてがわれ、不品行に手を染める必要がなくなる。こうして社会は性の欲動によって無秩序化するエネルギーを吸収できるし、個人としては性器をひとつあてがわれることで欲動をコントロール下において、生産的な仕事ができるようになる。

肉としての交わりは、経済的にも医学的にもそして心理的にも社会生活に安心の基盤を提供する有用な手段としてみなされていたのであった。それが市民の共通理解に近いものであったとすると、パーキンズのように、教会の発展のための生殖という考え方ですら、従来から評価されてきた以上の価値を結婚のなかに充填することになり、革新的であったのだ。その革新性をミルトンは引き継ぎながら、さらに一歩進めて、肉の交わりから生じる世俗的かつ宗教的な効用だけを結婚の目的とはせずに、あえて精神的交わりをも結婚のなかに充填した。

ミルトンへの批判がほかならぬ長老派、つまり秘蹟からの除外、化体説からの自由、妻帯の解禁というこの三つを受けいれていたミルトンのシンパからでてきたことは、彼らが従来型の結婚観の枠の微温的「改定」にとどまっていたので当然といえば当然であった。にもかかわらず、ミルトンにとってはメアリが自分の元に帰ってこないことと同様に、衝撃であったようだ。メアリによる遺棄がひとつの引き金となって離婚論を書かせたように、ミルトンはこれ以降、それまでシンパであった長老派の考えからから脱却していき、コングリゲーショナリズムというピューリタン独立派の思想へと重心を移していく。そうした思想変化はともかく、いまここで押さえておかなくてはならないのは、「精神的交わりへ」という主張が、賛同するはずと思われた長老派からすらも反対されたのは、いま述べたような社会通念のほかに、長老派による社会・教会の「改定」を、彼らが考える地点よりもミルトンの「精神的交わり」がさらに先に押し進めてしまうことになりかねないからという理由がはたらいていたことである。

なぜなら「精神の交わり」という結婚観は、従来の結婚観の拡大解釈、結婚価値のインフレ化を招き、長老派にはラジカルすぎることであった。ただしそれだけなら「離婚お気に召すまま」のような非難はでてこない。拡大解釈とインフレ化は、ひるがえって、離婚をするための条件の極端な緩和につながり、あちらでも離婚、こちらでも離婚といったように、離婚率50%の現代アメリカのような状況を生みだしかねない。男が欲情にまかせて気に入った女と手当たり次第に結婚と離婚を繰りかえせば、結婚という通過儀礼の価値も、その儀礼によって誕生する「一体」という観念の価値も、ともに歯止めがきかない下落傾向にはいってしまう。そして最終的には欲情の支配する社会気風ができあがるのではないかという恐怖心がそこにはある。

結婚にたいして宗教的縛りをかけていたがゆえに、夫は妻以外の女性と性的関係をもつことが見逃されるという国教会の貴族たちのさらに一段上に立って、宗教的縛りをかけ性的放縦の喜びをも抑圧し性をあくまで社会的有用性や教会の拡大発展と関連づけて囲いこもうとしていたのが、長老派であった。そんな長老派のひとつの共同幻想は、彼らの思考こそが性を眺める視線を馴致し、自分たちこそが性を宗教と社会との枠内に封じこめ、理性の封印の執行者となっていることなのだ。ところがミルトンは欲情が支配する社会気風を醸成する可能性をはらんだ議論を展開し、本来は馴致しえていない性をいまいちど思考が回避せずに見つめることへ水路化してしまっているのだ。それは秩序解体の運動でなくてなんだろう。

しかし振り返れば、議会の中心的役割も果たしてきている長老派こそ、王を中心とした政治宗教制度への秩序解体の運動ではなかったか。この後数年しておこる王の斬首に長老派は賛成こそしなかったが、その種を蒔いているのは彼ら自身ではないか。従来からの秩序が解体しつつあることはすでに自明というのが彼らの意識ではなかったか。

その後の歴史は、この時期の秩序解体後に新たに秩序づけるのは、もはや王ではなく、「資本主義の精神」、つまり貨幣、それも退蔵されるのではなくたえず再投資され、量を増やし価値を上げていくことを使命とした貨幣を中心とした秩序だと教えている。運動する貨幣とは、退蔵される金とは違う。

 

「急進的なレヴェラー」(マルクス)たる貨幣は、質的な差異を量的な大小に還元することで、それまで通約不能だったものをどんどん交換の場にひき込んでいく。[21]

 

ミルトンが提起した結婚―離婚を精神的交わりにおいて包括するという枠組みは、精神的交わりを「急進的なレヴェラー」(水平派とよばれるピューリタン左派)として機能させ、性格一致が結婚にとって不可欠な精神的交わりの必要条件であり、逆に性格不一致から生じる不幸がどんなにか大きいか、なんども繰りかえし量として示される。

 

誤認、隠し事、偶然の事故から、両性とも性格に大変な思い違いをしており、気質、考え方、体質が違っているために、二人ともそれぞれに孤独が癒されず、また生きているかぎりひとつになって生活することも満足もできないままでいる。(『教義と規律』235-236)

 

その大きな度合いは肉的交わりという満足を「下級の目的」に位置づけ、逆に精神的交わりをともなわない肉的交わりが低い満足度しかもたらさないかを描きだしてしまう。精神的な「適切な楽しい交わり」こそが性器性欲の快楽を増進するというその見方は、『備忘録』の離婚の項目のなかでミルトンははっきりと記述している。

 

離婚が許されなければならない理由は、医者をはじめその他の人々も認めているように、愛のない性交は冷たく、不快で、実りなく、害をもたらし、獣的で、忌まわしいからだ。シニバルドゥス『人間生成事典(ゲネアントロペイア)12項序文[1642][22]

 

精神的交わりは、たんに男の肉欲発散や嫡嗣による家産保存といったレベルでの結婚―離婚から解き放ち、精神的交わりの多寡におうじて結婚―離婚の幸不幸を「量的な大小に還元する」。それまで「通約不能だった」さまざまな結婚のケースを、離婚可能なものに変換し、結婚は何度でも可能だというように、最初の結婚と次の結婚、そしてさらにその次のといったように、結婚―離婚を「交換の場にひきこむ」。ところがそういう交換磁場が誕生することは、長老派には、欲情の解放、欲望執着の是認、社会的責任の放棄、子孫継続の攪乱材料、そしてひいては神を忘れることにつながると考えられてしまうのだ。長老派は王政を最終的に否定せず、議会優位の体制で従来のシステムをそのまま温存するという「改定」路線をとってきているが、その「改定」はそもそも従来システムの中心を支える王の権威を議会との力関係において下落させることであった。従来システム温存と中心権威下落というベクトルの違ったものを接合するよじれをはらんだ「改定」であった。これにたいしてミルトンの離婚の教義と規律は、精神的交わりを発火点にして欲望発散の無秩序(「離婚お気に召すまま」)を引きおこし、従来のシステムも中心権威もご破算にしてしまい、そのよじれ部分を破断しかねない提案なのだ。だからなおさらそれは批判の対象となる。

 

3.   「交わり」の原理:「調和」と「誠実」

3.1. 肉的交わりの宇宙生成的「調和」

しかし本当にミルトンの主張は欲望解放し、共同体にアノミーを誘致し、家庭、社会、宗教という基幹制度をでんぐりがえしてしまうのだろうか。性欲にささえられた生殖の社会的効果、妻帯による性欲の生産的昇華といったように、これらは、「値打ちがあるから、だからそれはよいことだ」という見方の地平上にある。ところがミルトンはそうした有価的地平だけで性と結婚とがつながれてはいないことへと議論をひっぱっていく。聖書の結婚理念とはなんなのか、その理念にしたがった基幹制度の本質的な強化をはかろうと提案し、ここではとりわけ家庭の強化をねらったものになっている。それは、結婚−離婚という制度はそのまま残しながら、制度の中身を本来の姿へと彫琢していく「改定(リフォメーション)」であって、結婚−離婚制度の過激な修正、撤廃といった根本的な「革命(リヴォルーション)」ではなく、ましてや性解放(フリーセックス)という無秩序への呼びかけではない。革命や無秩序への扇動でないことは、だいいち、欲望発散のための手段と思われがちな肉の「交わり」に、無秩序どころか、調和という他者と共鳴一致する社会的対他性と、誠実という人間の側の倫理的努力がそこに実在する必要性を強調している。

肉の「交わり」は、そもそも自然性として動物はもちろん人間にも授けられている「敬虔な神秘」(『教義と規律』270)、つまり性は聖なるものだとミルトンは考えている。肉の「交わり」の自然性は「性来的なもの、かつ自発的なものであらねばならないはずの行為」(『教義と規律』270)と言い換えられているが、ここでいう「性来的」とは夫婦間の性質がぴったり一致していることをさしている。また「自発的」とは社会的効果を期待してだけのことでもなく、性欲にむやみに駆りたてられてたんに欲求を発散させるためだけのはけ口でもなく、互いが相手を充分に理解ししかも膚を交わらさずにはいられないような内発的意志をいいあらわしている。

 

人を生むという行為は、性来的なもの、かつ自発的なものであって、使徒パウロ[「第一コリント書」7:3]が原語で、エウノイア (Eunoia)、またラテン語で「善意志」(benevolentia)と呼んでいる通りでございます。その元来の意味は、[相互による性来的]理解と[相互の自発的]意志とにあります。(『教義と規律』270-271)

 

性交は、夫婦の性格がぴったり一致し互いに相手の気持ちや考え方を理解していることが前提だし、二人がともに進んで交わりたいという意志(欲情ではない)がなくてはならないというのだ。これは、男がたんに女の体を求めるからとか、性的欲望を安全に満たしたいからとかいったような、「性欲処理機械=便所」という装置に結婚がなってしまうことに歯止めをかけているのだ。[23]ミルトンがここであえてパウロに関連づけている「善意志」においては、有価的地平を包摂するようにして、性と結婚という男女があってはじめて成り立つ私的かつ公的な仕組みに、男と女相互による理解という「調和」、性格の一致という性来性がまず考えられている。

 

妻の性格が変わらず、まったくの不一致、まったくの不和で、奇蹟がおこってはじめて妻は改心するゆえに妻とは和解の余地なしという理由に根ざして不平をいう夫は、姦淫の罪を犯すことにならない。(『琴』669-670)

 

性格の不一致は性来のものであり、性来のものは本人の努力によって変えられるわけはないのだから、そんな二人が結婚していても、相互の理解は進まない。進まないどころか誤解は深まるばかりで、不和しか生じない。そこでまず失われるのは調和、和合である。

 

似たもの同士、つまり精神と性格とがぴったりなことは、夫婦の間に和合の精神と一性を生みだしうる」(『琴』605)

 

「和合の精神と一性」のかわりに不和が生じ、結婚するがゆえにえられるはずの「慰め」と「平安」が失われる。ならばなんのために結婚しているのかわからなくなる。結婚の本義が「不和」によって失われてしまうのだから、形式的に結婚をしていることにはなっても、実質的には結婚は成立していない。実質がなく形骸化している結婚は結婚とはいえないから、「不和」となっている妻と離別しても、それは離婚にあたらない。

いやしかし旧約の聖書解釈において、離婚の要件は「恥ずべきこと」(「申命記」23:1)を妻が行った場合にかぎられているではないかという反論がおこる。ここでもまたミルトンは「恥ずべきこと」の意味内容を、妻が不倫姦通するといった従来の肉的レベルだけに限定せず、「肉体にかかわることはいうまでもなく精神にもかかわる」(『教義と規律』244)へと拡張していく。では妻が精神的に「恥ずべきこと」をするとはどういうことなのか。結婚の目的である精神的交わりを成り立たせないような性格の持ち主で夫婦げんかがたえなかったり、孤独感という神が原初に人間に吹きこんだ欲求を充分に満たしてくれるような性格や素養をもっておらず、相変わらず夫を孤独のままにしておくことである。結婚の本義を脅かす性格の不一致、「不和」も「恥ずべきこと」と充分に考えられるのだ。

 

結婚している二人に慰めとなる平安な交わり(ソサイアティー)をたえず妨げるものとして、恥辱、つまり心の不一致より大きなものがあるでしょうか。 (『教義と規律』244)

 

夫と性格が不一致な妻は、離婚条件を満たし結婚の本義を満たしておらず、しかも結婚によって享受できる「慰め」と「平安」を奪っているのだから、むしろ離婚するのが当然ということになる。そしてミルトンは同じ「恥ずべきこと」を妻が行うにしても、肉体的なことと精神的なことと、いったいどちらが結婚生活を「地獄」にするものなのか、性格の不一致からくる結婚の悲惨をなめつくし、逆に「真の和合の意味を理解する」(『教義と規律』333)者なら、当然わかるはずだとたたみかける。

それだけではなく肉体的な「恥ずべきこと」は、むしろ夫の側がその罪にたいしてどのような態度をとるかによって、許されうる余地がむしろあり、たとえ罪を犯したとしても「助け合い、忠誠を誓い、愛によって一致していく」(『教義と規律』331)その将来的可能性が排除されてしまうわけではない。そしてくどいまでに繰りかえすのは、肉的な罪にあるそんな可能性があっても、もしも妻に精神的「恥ずべきこと」、つまり「本性から嫌われ、結婚の「観点から何ら好意を見出せない」[「申命記」24:1](『教義と規律』331)ことがあるなら、結婚がもたらしてくれる「あらゆる交わりの死と空虚」(同)が待っているだけなのだ。だからむしろ同じ「恥ずべきこと」でも、肉体的な不品行の方が性格の不一致よりもましだというのだ。そして離婚事由としてイエスが肉体的な不品行には触れても、性格の不一致に言及していないが、不品行を犯しても和解見込みがあるからイエスは離婚を正当化できないといっているのであり、逆に性格不一致は「交流(ソサイアティー)にとっての生来的で永続的な障害」(『教義と規律』331)となることは明々白々なので、そこまでいちいち口には出さなかったのだ。にもかかわらず性格が一致せず性来的な「憎しみ」が夫婦間に生じていても、それは離婚事由としては、「気まぐれ、不実、取るに足らない」とイメージで受けとめて一蹴してしまう人たちがいる。そうなってしまうのは、「真の愛とは何であるかを熟慮するだけの柔和な広い心(『教義と規律』333)をもっておらず、充分に「憎しみ」の結婚がどういうものなのかを思索し理解しようとしないからだ。

夫婦間の性来的一致による調和は、精神的交わりという資格によって、離婚問題を論じるときの核心部分に格上げされている。ミルトンの触手は、自らが聖書を典拠にして結婚と離婚にかんする聖書の真実と思われることをえぐりだし、聖書的真実としての結婚と離婚から、現に行われている結婚と離婚のあり方をもう一度見直そうと突きすすんでいる。従来からの結婚観を紋切り型イメージによってとらえ思考停止し、前例や慣行にこだわり、抽象的理念の重要性だけしか語らなければ、聖書的真実を現行の事実に届かせるアクチュアルな発言にはなりえないとミルトンはいっているかのようだ。

しかしいくらアクチュアルだとはいっても、まったく伝統から乖離した意見ではない。なぜならここでいう性来的一致ということは、たんなる相性ではなく、神のあらゆる創造行為におよんでいるという宇宙生成論の壮大な枠組みの一部になっているからだ。

 

「自然」にはまさしく二つの温床あるいは台木があって、そこから愛と憎しみという収穫が生じ、被造物すべてに充満しておりますし、神がたえずおやりになっているのは、被造物のなかでもしかるべく似たものや調和のとれたもの同士を結びつけます。(『教義と規律』272)

 

神の創造行為は原初において終了したのではなく、創造は今この瞬間にも続いており、そうした創造活動が被造物を貫いてもっている原理とは対立ではなく調和であり、反感でなく共感、分離ではなく似たもの同士の結合なのだ。[24]調和があるところには、「自然」のなかにあらかじめ準備されている愛が芽生え、その実を結ぶ。憎しみではなく愛あるところには、何千もの悲嘆や苦しみをたとえ背負うことがあっても、一瞬のうちに解消し霧散させてくれる。

ミルトンより一世代若いジョン・ダンは似たもの同士が愛するということの経験やその気分を詩という形式のなかでうたったが、個々の詩の愛の気分は相互に矛盾しあい、複雑多様な模様を描きだし、それは調和からはほどとおい。愛による経験や気分にダンはその場その場で驚嘆しながらも、それでいて最終的には不満足で困惑するという不調和がいつもそこにはある。ロミオとジュリエットの愛あればすべてといったような青春物語に代わって、愛にたいするダンのような複雑な感受性はもうすでに物語としてできあがり社会に流通しはじめていた。ならばダン以後に愛を語ろうとするなら、その感受性はさらにとぎすまされていなくてはならないはずだ。しかしここでミルトンが述べている愛は、ベアトリーチェとダンテの愛のような、調和・共感・結合という在来の様式の復活のようだし、国教会改宗し自ら牧師となったダンのそれを思わせる。「この世界が巨大で調和音に満ちたパイプオルガンで、すべてのパートが演奏され、すべての人がパートを演奏するのに、あなたはなにもせずに座って聞くだけなのか」。[25]

とはいえ目の前には新しい現実が広がっているのにミルトンは中世を懐古しているのではない。中世の「調和」(コンコルディアconcordia)とは、人間は内的人間としては信仰、信念、信条をもっているが、そうした信仰、信念、信条が、自分の発する言葉や日頃の行為とぴったり一致することであった。人間は、自分という内的人間に、自分が発する言葉や日常の行為が合致し、「調和」が保たれる努力をしなくてはならない。簡単にいえば、祈りを唱えながら別なことを考えていたりしてはならないのだ。

「調和」があるところには、自分以外のほかの人たちが模倣すべき範例が生まれるから、「調和」へと努力せよは、キリスト教共同体において仲間である信者・同胞の手本となるように心がけよということだ。こうした「調和」の考え方は聖ベルナルドゥス、アッシージの聖フランチェスコといった中世の大家たちばかりか、時代は降ってフィレンツェのプラトン主義者フィッチーノにもみられる。[26]

「調和」へと努める人間がほかの人たちの範例となるということは、人間はだれもが本質的に同じ方向をむき、同じ価値観を共有しうるという普遍的(カトリック)見方が信じられているからである。その見方の基礎は、神と人間との相同性によって確保されている、人間であるかぎり誰もが同じ神の刻印をもっていることである。なぜなら人間は神によって神の似姿として創造されたのであり、創造主たる神と創造された人間とのあいだには、根底的に類似がある。[27]その類似は神と人間との隔たり強調するのではなく、完全な神と不完全な神とが調和しうることを保障する。神と人間という垂直関係の調和は、ひるがえって人間においては、信仰・信条・信念が行為に調和する内的水平次元において反復されることが、善きこととみなされる。「悪天使」(『教義と規律』272)とは、この美しく調和しうる神の被造物を撹乱し、破壊し、憎しみを生みだす温床を準備するものである。神はアダムをご自身の似姿にして創られたのだから、今の私たちは神に相同しており、その似姿を信仰と行為との調和において回復することに勤めなくてはならない。それは、神と相同な存在という、被造物のなかでも特権的地位にある人間に課せられた仕事なのだ。神の似姿を媒介として、神と人との調和という垂直関係は、人間の信条と行動との調和となって内的に折りたたまれ繰りかえされるべきなのだ。だとすれば、家庭の場においても夫婦間においても互いの像が一致するような調和、性格の一致があっても当然しかるべきではないか。これをミルトンは「世俗的な調和と宗教的調和」(『琴』605)といっているが、調和は神と人間との関係にだけ限定されてあるのではないのだ。

ならばあきらかに性格が不一致だとわかった妻と結婚生活を続けることは、神の創造行為にたいする反逆、「悪天使」への加担ではなくてはなんであろう。人間の場合の創造行為のひとつには生殖があるが、生殖はすでに述べたように「敬虔な神秘」であった。生殖は、性欲をたんに発散したいからといった激情に駆られた軽々しい行為の結果、「できてしまう」ことではなく、神の創造行為に「似たもの」として神の創造行為に「調和」しているからこそ「敬虔」なのである。また敬虔であるためには、「似たもの」同士が結びついたところにある「調和」の状態において肉体の交わり、「肉的結合」がなされ、またその結合は「調和」ゆえに宇宙の被造物をつらぬく共感と共鳴し呼応しうるはずのものなのだ。神が宇宙を創造するとき、混沌から「離婚せよという神の命令」(『教義と規律』273)があったからこそ、混沌から宇宙が分離し宇宙が誕生したわけだった。だから、「不相応な配偶者(コンソート)同士」(コンソートには「調和」という意味でもあり、ここでは撞着語法になっている)が一緒になっていることは、むしろ宇宙生成の原理に反しているのであって、「世界を混乱からいまいちど再生る」(『教義と規律』273)ため、「不相応な配偶者分離すること以外にはありえない」()ということになる。

こうしてミルトンとの離婚の教義は、聖書的真実から既存の実体の歪みをあぶりだし、さらにその歪みが個別的な現実問題としてだけあるのではなく、現実を捨象した形而上的な宇宙原理への造反にもなっていることを指摘する。しかしルネッサンスはダンテの世紀を越え、宗教改革の波は中世カトリックの人間学を塗りかえてしまっていたから、ミルトンのような調和に立脚した離婚原理だけでは不十分であった。実際に、離婚原理は調和とは別にもう一つの原理と二本立てになっていた。それが誠実である。

 

3.2. 対自的「誠実」と「さびしさ」の根拠

善意志」という境位には、N極にたいするS極のように、男と女との「調和」にたいして、男自身の内心の「誠実さ」が要求されている。男女の相互理解、「調和」の必要性をミルトンが述べている箇所で、同時に「誠実」の不可欠性も指摘している。

 

結婚において必要なあの誠実な愛情をもって妻として愛することができず、また妻としておいておくことに耐えられない。だけれども、公民としての勤めや厚情からなら妻として愛することも耐えることもできるにはできるのだが、それでも相手にされなかったり喜ばれない家に妻としてとどめておけないと、まじめに冷静に観察し、自分自身のなかでも時間をかけて考え続けた結果、妻を家からだす夫は、……姦淫の罪を犯すことにならない。(『琴』669)[傍点訳者]

 

心のなかに妻への愛が湧いてこず、湧いてこないにもかかわらず、その後も同じ屋根の下で結婚生活を続けることは、男自身の心情に背く行為である。その生活は、義務として課せられる公民の勤め、社会生活のエチケットとしての厚情といったような「(シヴィル)」の範疇にとどまるのであって、結婚のひとつの目的である「家庭」という私的範疇にまではおりてこない。心の真情に背きつつ夫が家庭を公共共同体として維持していくことは、私的慰めをもたらすという結婚の本義に反する不自然な行為である。結婚という私的生活においては、「愛情」がまずあって、愛情に裏打ちされた真情をそっくりそのまま行為や言葉として表出する「誠実」がなくては、結婚本来の意義をもちえない。もちろん誠実という概念がこのように積極的意味でつかうのはミルトンがはじめてではなく、ルネッサンス期の特徴のひとつであった。

ライオネル・トリリングとジョン・マーティンによる誠実概念の変遷を追った研究が教えるように、誠実はルネッサンス期になってとくに有徴化した美徳なのだ。[28]ルネッサンス以前には「誠実」という言葉は、純粋で混ぜものがない物質などをさしていたが、16世紀頃から、自分が口に出して語る言葉や自分で書きつけた文字、つまりエクリチュールは、自分が他人の目が触れることのできない私秘的内面でいだいている感情ときちんと整合性があるのかどうかが問題視されるようになる。イングランドを代表する恋愛ソネット集を出版したシドニーは、その詩集の冒頭部分で「自分の心のなかをみよ。それから書け」(『アストロフェルとステラ』1:14)と詩神にいわさしてめているが、これは、これから詩のなかで述べている恋愛のエクリチュールが自分の心に内在している感情と一致するようにという戒めなのだ。そこには「自分自身に忠実であれ」(『ハムレット』1.3.85)という、内心に言葉や行動が一致すべしという忠告をつけくわえてもよい。しかし誠実さを切実な問題として取りあげ、誠実をひとつの美徳として格上げしたのは宗教改革者たちであった。

ルターの信仰義認にしてもカルヴァンの預定説にしても、そこに共通している人間観は、神は人間と相同類比しうるような存在ではないということだ。神は人間の理性によっては計り知ることのできない隔絶した存在(「隠れた神(デウス・アブスコンディトゥス)」)となった。これによって、神の似姿という人間の側面がはがれ落ち、はがれ落ちてみえてくる完全堕落した罪深い姿こそが人間というのが出発点になる。ここにおいて「調和」を支えている、「神の似姿」を磨き神に近づこうとする意志それ自体が、人間の罪深さを直視しない傲岸不遜なことになる。そこで「調和」に代わって人間のあり方としてめざされるのが、「誠実」である。

たとえばルターは、「詩篇」は、中世で非常に好まれルネッサンスでも大変に人々の生き方に影響力をもった聖人伝よりもはるかにすぐれているという。その理由は、「詩篇」は聖人伝などとは違って、語り手である預言者たちが紡いだ言葉が、語り手の心をむき出しにし、読み手である私たちは語り手の心の中までをも見通し、どういう思いがあるのか、その本質までも把握できるからである。なぜそういうことが「詩篇」において可能となっているのか。それは、語り手はいつも自分の気持ちや思いを偽りなくそのまま言葉にしているからだ。

心にあることを包み隠すことなく表象するという「赤裸々」とよんでいい精神態度への共鳴と高い評価は、カルヴァンによっても共有されている。「詩篇」への註解では次のように述べている。

 

隣人にたいして忠実にふるまおうとするなら、自分の心をあるがままに全開せよ。だまそうとしたり嘘をついたりする人は、本当にいいたいことの一部をいわないままにして隠したり、そらとぼけてうわべを飾ったりして、話をいくら聞いていてもなにが本当なのかがわからない。私たちが語るときには、その言葉が私たちの正直な精神を写す像となるように、誠実でなくてはならない。[29]

 

だからプロテスタントは、カトリックのような誰もが口にする定式化した祈りを否定しているのだ。[30]

このような誠実さへの勧めと傾倒は、やはり神から隔絶した存在としての人間という意識が前提にある。隔絶し罪深さへの鋭敏な意識は、少なくとも罪深さをできるかぎり消すように人間が自発的に意志を働かせて善行にはげむといったカトリックの発想とは結びつかない。隔絶と罪深さとをまず焦点におき、たえずそれらを見つめつづけ改悛しへりくだることが、人間にとっての根本的責務という苛烈な執着に根ざしている。

しかし隔絶と罪深さを見つめつづけるといっても、自分たちの一体どこを見つめつづけるか。それは、自分の意志ではなく己の心ということになる。それをはっきりといっているのが、メランヒトンである。「聖書によれば、人間のなかでもっと強力な部分は「心」、そして「心」のなかでもとくに感情がわき起こる部分である」。[31]「心」を見つめれば、「心」にどんな気持ちや思いが生じ、それらがどれほど神から隔絶sじょなんと罪深いかを認知できる。認知するだけではたりない。隔絶や罪へと最終的には収斂していく、心のなかの感慨、感情、信念などをそのままエクリチュールにすることが必要で、心に生じていることとエクリチュールによって表象されていることとを合致させることが、誠実、実直なのだ。心に生じている感情、思い、信念などを、理性によって矯めたり統制したりして加工し、罪への絶望にうちひしがれながら喜びを言葉にしたり、救いの歓喜にひたりながら悲しみの涙を流すといったことは、むしろ偽装、偽善、偽りなのだ。

こうしてみるとルターには「バラと心と十字架」(6)のエンブレムが、カルヴァンには手に抱かれた心が神に捧げられているエンブレム(7)があるのもうなずける。[32]ここでの「心」は、「調和」をめざすべく神の似姿を刻印されていた人間のあの心のように、万人において同質で同じ方向をむいた心ではないことだ。心は個体として、それも各個人において他人とは違った個別的な欲動、欲望、思いがわきあがってくるきわめて個人的な場として意識されていることだ。たしかに私の心も、他の人の心も、神からの隔絶を味わい、自らの罪深さの辛酸をなめているが、その味わい方、辛酸の深みや広がりは人によってまちまちなので、もはや異質なものといってよいのだ。「ある人物にはかくかくしかじかの感情が支配的だが、別な人にはこれこれの感情が支配的だ」というように、この私だけの心という私性において心はとらえられるようになるのだ。[33]

心は他人とは交換不可能な存在となり、心で感じていることを私はそのまま丸ごとエクリチュール化するが、そのひとつひとつの感じにはいつも私性がつきまとう。エクリチュール化しても、私の感じは、他人に完全に共有されるという保障はない。神の似姿の刻印と同質の心によって確保されていた普遍性は崩れ、かりに他人の心の琴線に触れることがあっても、それは合体しない一過的な接点でしかない。巨大な岩塊に刻まれた無数の人間の浮き彫りのように私と他人とは本質的に同じであるというカトリックの人間を一般化する論議は、ここでは通用しない。私と他人とはその私性において異なっているという二項対立関係のなかで、私の個別性は他人の個別性とはけっして一致することがなく、その不一致から逃れることのできないというプロテスタントの私立個別論に押されていく。

私立個別論の新人間学では、私の心が他人の心とは交換不可能で、他人との通じあいが点としてしかありえず、真実の居場所が、共同性においてではなく、自分の心のなかにある。そうなると、世界の内に存在する個別的自己は、岩塊をとりはらわれた不連続感、私と他人との断片化からくる孤独感に戦慄を感じる不安定で浮動する存在となる。カルヴィニズムを受けいれるピューリタンたちも、神との関係に私を置くからこそかえってほかの人たちから離在している深い精神的孤独のただなかに立つ。それは、罪深さゆえに絶望の瀬戸際まで追いこまれたルターのそれに似た、比類のない内面的な孤独の感情を生む。[34]そのような孤独感は、教会によって救われることを確信し、世俗世界を捨てて修道院にこもり、仲間と談笑することなく、ひらすら孤独のなかで祈り、神に全面帰依することで自己を消していく隠修士の孤独とは180度異なっているのだ。なぜならピューリタンの孤独は、人間一般に回収されない自己の独自のあり方を有徴化し、自分は他人と違ってよいという独立心、決断は他人に命令されずに自分の意志において行うという自己決断、個人を不幸にするようなシステムは許すべきでないという見方が、神と私との関係において積極的に評価されるようになるからだ。孤独、独立心、自己決断、個人の自由という観念を個人に付着させ、染めあげていく。

だからこそ、独立・自律とそのネガである孤独・寂寥(せきりょう)(「人間の精神や心のさびしさ」)をミルトンは結婚していない場合の自然状態だと、なんら疑問をもたずに規定してしまう。アダムを神が最初に創造し、その後にエバを創造したのは、人間に「性来ふさわしくないさびしさを避けるために別な体と一つになるという欲求や切望(『教義と規律』251)があったからだという。そうした悲惨や不幸を、より大いなる善へ導く神は放置したままにしておくはずがないから、「ふさわしい助け手」としての配偶者エバをアダムのもとに送ったのだ。「さびしさ」と対になって、人間が先天的にもっている欲求として、「婚姻という分かち合いにおいて、自分の魂にぴったりはまる[配偶者の]魂が結びつくというこの清純で[性欲よりも]生得的な欲求(『教義と規律』251)があり、その欲求の充足は人間として生きていくために最小限に確保されてしかるべきことなのだ。だからもしも心や性格などが「一致」した妻にめぐまれなかった場合には、精神と身体の両面からのわびしさは、結婚前と同様にそのまま残ることになる。さびしさとその癒しの欲求が生来的なものだという前提にたっているからこそ、心身両面のわびしさがもたらす悲惨がどれほど大きなものなのかを、ミルトンは何度も繰りかえして書いてしまう。

 

神がお禁じになったさびしさとは、時間がたてばたつほど心を不快にし、湿らせ、キリスト教の信条や道徳的な交わりにはふさわしくなく、国家には益なく危険なものです。(『教義と規律』247)

 

私的孤独を暗黙のうちになんとか打ち消そうとしたくなる。そこで待っているのが、「性格の一致」した配偶者なのであり、それは原初において神が準備したものなのだ。それを押し進め現在に適用すれば、本来の結婚の姿に自分の結婚がかなっているかどうかのリトマス紙とは、「さびしさ」が解消され、肉体的交わりはもちろん精神的交わりにおいてすらもきちんと「欲求」が満たされているかどうかということになる。個人個人が結婚制度によって充分に慰められているかどうかという私性化において、公の制度しての結婚が成り立っているかどうかがはかられる。私のレベルにおいて慰められないようなら、公のレベルにおいても破綻し無効化するということがおこるのだ。

 妻との性格が不一致なら、夫である自分の内的心情としては憎しみが生まれ、憎悪という内的感情に誠実であろうとするなら、無理にその気持ちをその場その場でとりつくろうことはできないし、それは内的感情を唯一見通せる神にたいする不誠実でなくてなんであろう。しかも自分はその内的感情を他人とは交換不可能な私性としてもち、徹底した孤独の状態にある。[35]その孤独から癒される制度として神は結婚を定めている。ならば性来的であって改変できない性格の不一致が妻との間にあるなら、孤独は癒されず、誠実であろうとすればするほど、憎しみを妻に向けることになるので、結婚生活には不和がたえない。そんな生活は調和という宇宙原理に反し、神の創造行為にも造反するものであり、第一、聖書的真実が教えるように、結婚の本義は調和にあるわけで、そういう生活は結婚とはいえない。むしろ離婚するほうが、神にたいしても世界にたいしても調和に貢献し、自分にたいしても神にたいしても誠実だということになる。このように、誠実は調和と協調関係にあって互いに絡まりあいながら、離婚の規律を形成していく。

 

3.3.      新共同体としての家庭

ミルトンの結婚教義をささえる鍵言葉は「交わり」にあり、その交わりは肉体から精神にまでおよぶ拡張概念である。聖書的真実にかなった肉体的かつ精神的交わりであるためには、夫婦間の性格一致による調和と配偶者個人の誠実とが不可欠であり、そのような交わりから孤独が癒される。離婚許可はこのネガになっていて、肉体的交わりがあるだけでは結婚とはならないから離婚が可能、精神的交わりがなくてももちろん離婚可、性格不一致で孤独のままなら離婚可、逆に妻が不品行を犯しても誠実に許せるなら離婚は不可ということになる。[36]

ここで思い出さなくてはならないのは、ミルトンの四離婚論は妻パウエルに夫ミルトンが事実上遺棄された二年余りの間に書かれたという伝記事実などではなく、ミルトンは家庭と公とを区別していたにもかかわらず、家庭における結婚の交わり(カンヴァセーション)(conversation)を「交流(ソサイアティー)(society)、つまり社会と考えていたことだ。離婚論は基本的構えとしては家庭論なのだが、それは社会論にも類比的に相通じていると考えられているのだ。私たちなら家庭と社会はちょうど新聞の紙面割が別々なように異なった原理で動く制度だと思いがちだが、フーコーが指摘しているように、ルネッサンスから古典主義時代にわたるものの見方の特徴は、ふたつのもの同士の間にたとえ可視的にとらえられうる全体的相似性がなくとも、つながりをみつけ、世界のなかのあらゆるもの(もちろん結婚家庭も社会も)の諸形態は互いに相同するものとして解釈することだ。[37]

したがってミルトンが、「結婚は人間の交流(ソサイアティー)であり、人間の交流(ソサイアティー)は肉体からだけではなく精神から生まれでなくてはならない(『教義と規律』275)といったとき、交流を社会と置き換えて、公について語っているように読みかえられる。結婚は人と人とが集まってできる社会のミニチュアであり、人間社会は肉欲の結びつきでできあがっている動物社会とは違って、精神の結びつきがなくてはならない。ミルトンはもちろん結婚を家庭にかかわる私的なこととし、社会とは別な制度として位置づけてはいるのだが、同時に家庭と社会は私たちが想像する以上に相同しており、社会の小さな単位として家庭が社会の原理、規律、仕組み、あり方、行為などを折り返して映しだしているものとしても見ている。

 

僭制が国家に重くのしかかる影響は、家庭の不幸が家庭に降りかかるのと同じだからです。家庭の不幸というような悪が、家庭内で見分けられず顧みられないままである限り、国家の真の改定への希望とはお別れです。(『教義と規律』229-230)[38]

 

こうしたルネッサンスの連続的類比が世界や神との関係において浸透振幅していることを私たちの頭に思い描けば、なぜこれほどまでに孤独、調和、誠実にしつこくこだわった結婚像をミルトンが主張したのかは、なにも個人的事情だけに起因させる必要はない。パウエルに遺棄された怨念とその反動だという私的事情の是非はともかく、社会が宗教的にも政治的にも中心を喪失しつつあって、共同体として機能しなくなり、リーシュマンのいう「孤独な群衆」ならぬ「孤独な個人」が散在し、アトム化した個人は「社会的動物」(アリストテレス)として再び自分たちをどういう共同体のなかに位置づけるかが問題となっていた。類比の社会小共同体である家庭がどういう結婚によって家庭として成り立ちうるかを考えることは、一見すると公ではなく私にかかわることへの問題対応だけのようだが、それは実際には社会共同体とはどういう理念にもとづいてどうあるべきなのかという公共問題でもあるのだ。

すでに述べたように17世紀のミルトンの時代には、エリザベス朝以来培われてきた互恵的な上下関係からなるイングランド共同体は「失われた世界」(ラスレット)になりつつあった。共同体意識が解体してしまい、しかもそれまで上下関係の互恵を保証するようなプトレマイオス宇宙観にまでひびがはいり、意識解体が宇宙的な規模にまで波及しながらおこった。「すべてがバラバラで、つながりはまったくなくなった」という詩人ダンの悲痛な叫びがこの時代には聞かれた。[39]このような互恵的共同体の喪失感覚が、血縁でも地縁でもない、契約によってできあがるミルトン的宗教共同体(コングリゲーショナリズムというピューリタン独立派)への構築に向かったとて、そこに不思議はない。マックス・ウェーバーの流れをくむテンニエスの仮説ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへという発展図式は、その構築を裏書きしてくれる。

ウェーバー理論によって、ピューリタンに代表される道徳観が資本主義の合理精神を形成したことに目が向きがちである。ところがテンニエスは、飲み食いし住み、物々交換や売買をし、ものを考えている生活の場は実在だとはいっても、そういう営みを自由に白紙の状態でやっているのではないことを議論の前提にたてる。人間は、通常は無自覚のうちに共同体のルールにしたがって生活している。そうしたルールは人間の思考と意思によって作られた社会的共同幻想態であり、所与のものではない。そういう幻想実在態には二つのタイプがあるという。

古代の理想的な形態を投影するロマン主義の影響を間接的に受けているこの社会学者は、「自然的な、(われわれにとっては)過ぎ去った、しかしつねに基礎的な文化構造」をゲマインシャフトとよぶ。血縁、地縁によって結びつけられている人々が、相互に信頼にみちた、水いらずの親密な生活をおくり、所有を共同し、共生し、相互扶助しながら生きている。これにたいしてゲゼルシャフトとは、産業革命によって工業化し商取引によって成り立っている都市社会のように、利害の一致にもとづいた契約関係によってつながっている一面的な人間関係が複層的に連なり重なりあってできる利益社会である。ゲゼルシャフトは、基本的には合理的・機械的に機能することがよしとされる作為的に形成された人工的集団であり、人間本来の性向にしたがう「本質意思」によって自然に成立しているゲマインシャフトとは異なっている。機能集団に所属するものとして、人間はそれぞれに一人格体であり、自分が発揮しようとしている領分においてたえず勝者であろうと心がけ、競争と協約的社交という相反関係において他人と結びつく。[40]

この二つの実在態は、相互に無関係のまま共存しえない。ヘーゲルの世界精神やダーウィンの進化論の影響ではないのだろうが、テンニエスは社会がゲマインシャフトのままにとどまらず、そこからゲゼルシャフトへと変化していくことが歴史の必然だと読んだ。この変化過程は「現実的な生成的な文化の構造」であって、歴史が進んでいく決定的方向だと考えた。[41]ところがその必然性をホッブズ研究者としてスタートしたこの社会学者はよき傾向として全面肯定してはいない。

ホッブズ理論によれば、人間が互いに狼として戦いあう闘争状態こそが人間の自然状態であり、各人は身の安全の保証を獲得するために自らの権利を超越的権力に一部委譲し、委譲を受けた権力者が絶対主権として統治する。この理論からすれば、人間は血縁・地縁によらない原子化された個人、平和でなく闘争が自然、権力の一部委譲は契約による合意、契約の目的は身の安全という利得、ということになる。この社会理論は、いうまでもなくゲマインシャフトのあり方をなぞっている。この理論を、ホッブズはピューリタン革命のさなかに考え、チャールズ王処刑の二年後に『リヴァイアサン』として出版する。ホッブズ自身も、革命のさなか、亡命先のフランスからイングランドに戻り、自らクロムウェルの共和政府に帰順している。この理論は、チャールズ絶対王政下でもはや崩れてしまったといってよいゲマインシャフトにかわる社会の新たな人間関係と社会関係とを提起したのであった。ホッブズはピューリタン革命挫折後に『ビヒモス』を書き、革命を一部の知識人による政治権力侵害としてマイナス評価するとはいえ、社会をゲゼルシャフトとしてとらえることをいっさい変更していない。[42]

ホッブズのゲゼルシャフト世界像と並行して、革命のさなかに、ゲマインシャフトを要求した人々がいた。兵士たちにも参政権を要求したレヴェラーや、土地私有制度の廃止を求めたディガーズといったピューリタン極左たちである。彼らのスローガンは、「ノルマンの軛からの解放」であった。この人々は、1066年のウィリアム一世によるノルマン征服によってイングランドの国体が、それまであったアングロ・サクソンというゲルマン系共同体のゲマインシャフト的気質を捨て、王が全土にたいする政治的権限をにぎる絶対王政に移行したと信じた。この信念は、イングランドにとっての外国人であるノルマン人が王と貴族の身分となり、イングランド在来の諸部族長や部族民がそれまで享受していた自由と平等のゲルマン的共同体を破壊したのだから、いまこそそれを回復すべく「軛からの解放を」となっていく。社会制度がアノミー状態に近づいてくると繰りかえしおこる、民族本来の国体回帰と護持というパターンである。

しかしこのような訴えは、逆に王党派からすれば、イングランドは王によって征服されたのだから王政こそが正当権力であり、被征服民は服従の義務(受動的服従論)を負うのであり、それに楯を突くことは犯罪として糾弾されるのだと、公然と事実確認してしまうことになる。しかもチャールズの前王ジェ−ムズは、王の命令は神の命令と同義という神権説を主張し、それはチャールズにも受け継がれていたから、「軛からの解放を」という叫びを国王権力が鎮圧すればするほど、権力の正当性は倍加するというおいしい結果になる。[43]しかし兵士や低所得民層を支持母体としたピューリタン左派にとっては、この征服は国体の改悪以外のなんでもなかった。征服される以前には選挙も自由であったはずなのに、実際に戦場で泥にまみれ命をかけて戦う自分たちに参政権がないのはおかしい。[44]征服以前には土地は共有制であったのに、畑でせっせと農作物を育てている自分たちがなぜいつまでも土地保有者の下請けとなったままなのか不満をいだく。[45]母国イングランドはノルマンの軛の下に本来の姿を歪められあえいでいるのだから、国体を元の姿に戻し、ゲマインシャフトを復活させるべく、既存の政治勢力や長老派を含めた宗教権力と戦おうというのだ。ディガーズは実際にコミューンを田園(サリー州セント・ジョージズ・ヒル)に結成する。

ホッブズが原初状態に立ち戻ってゲゼルシャフト社会のビジョンこそが国家の進むべき道として提起していたのにたいして、ピューリタン左派は政治の場での発言や実践運動において、ノルマン征服以前に復古することでゲマインシャフトをいまこの現場に再興しようとしていた。これが、ミルトンが離婚論を書いた少し後の思想状況であった。聖書の楽園状態を議論の出発点にするミルトンは、このどちらでもない別なあり方を模索していたようである。そのヒントはやはりテンニエスにある。

この社会学者はゲマインシャフトからゲゼルシャフトへという発展とその必然を説明しながらも、権益追求から万人の競争状態になってしまう冷ややかなゲゼルシャフトの人間関係を究極の社会形態とはしなかった。『ゲマインシャフトゲゼルシャフト』(傍点鈴木)にのちに何度も補筆を加えて、ゲマインシャフトゲゼルシャフトとの対比を鮮明にするとともに、歴史の流れとしてはゲマインシャフトからゲゼルシャフトへであっても、そこで歴史は停止するのではなく、ゲゼルシャフトから新たな実在態への動きを歴史のなかに読みとろうとしていた。その第三の集団のあり方こそ協同組合(ゲノッセンシャフト)であった。[46]ゲノッセンシャフトは、自然の本質的意志によるゲマインシャフトではなく、成員の自由な意志にもとづいた契約によって成立するという意味ではゲゼルシャフトであるが、かといって合理性一辺倒で拡大意欲に執着した共通利害関係から結びついているゲゼルシャフト欲望集団ではない。

ゲノッセンシャフトは利潤追求、拡大支配を第一義とする契約集団ではなく、ゲマインシャフトがもっている互いにこころを結び合わせ、相互に扶助していく共通の絆を大事にする。その絆をできるだけ多くの人たちに広げるべく「ゲゼルシャフト的生活条件」(利潤と支配)という餌をつけてゲマンイシャフトの閉鎖性にひびを入れるが、ゲゼルシャフトのように利潤と支配に特化せず、そのいずれも適当な範囲に囲いこんでおき、急速な共同体の拡大はあえて自重する。

四離婚論が書かれた社会背景として、政治・宗教上のゲマインシャフトが崩れつつあり、しかも射利心が是認されるような経済的雰囲気が発酵しつつあったとき、人間は個人化し、家族が男の欲動や欲望を満たすための手段となり、結婚は財産確保のための有用な機能として暗黙のうちに位置づけられるようになっていた。その面での世俗的欲が満たされれば満たされるほど、ゲマインシャフトならではありえたはずの、人々が気兼ねなく感情を吐露し、本来的に所属する一体感を味わえる家族が幻想的として現実から排除される。夫と妻が生活しているときに、二人をすっぽりと包みこみ、二人のあいだに立ち現れるムードは、もはやロミオとジュリエットのようなほとばしるような一体感ではなく、打算、合理、向上というゲゼルシャフトの別離感が結婚という場にも侵入している。これこそまさに、すでにみたマセイスの「両替商とその妻」(図●)の夫婦の結びつきのように、互いに手を組むわけでもなく、両者の視線がコインにむかいつつも、夫婦でいられる関係ではないか。ミルトンの結婚−離婚の「交わり」論はむしろそのような別離感を乗り越えるような、夫婦間の心理、夫婦の相性を大事にしようとしていた。

心理や相性、そしてさらに広く信条、思いなどの一致といっても、それは単純にゲマインシャフトの一体感にもどることではなかった。妻の方が自己表現を通じて自らの意識を夫の心身へと直接に流しこみ、夫の意識と融合し、夫の肉体的かつ精神的な孤独を癒し、和合、平安をもたらすのであって、妻はあくまで夫に仕える存在として位置づけられている。

 

男は女を召使いとして保有すべきではなく、神が男のものと宣言した封土の一部に、男の似姿と栄光として、同資格ではないとはいえ寛大に、受けいれるのです。(『琴』589)

 

性格が一致し、月並みな会話をしているだけで楽しくなり、ほほえましい日常の交流はときには知的な会話となってカタルシスをもたらし、夫を精神的に慰める人が妻であり、その妻が臣下として受けいれられるのだ。これはゲノッセンシャフトではない。ゲノッセンシャフトでは役割の違いがあっても、水平的な共治関係があり、ここでミルトンが想定しているような上下の支配被支配関係はない。またここの結婚は、ゲノッセンシャフトのような特定の関心やテーマにしたがって集まる集団ではなく、孤独の癒し、それも男の側への癒しという必要性に迫れられて、家庭という空間において精神面でも肉体面でも奉仕する女とその奉仕を受ける男(逆に男は衣食住を女に与え物質面での保護を保障)というかなりかたよりのある互恵集団になっている。しかし孤独の癒しが達成できなければ共同している意味がないというのだから、その点ではちょうどゲノッセンシャフトのように、メンバーとして承認されるための資格、妻たるものの資格が考えられている。妻は、夫に従って共同生活を送る「仲間(アソウシエイト)(associate)、肉体的・精神的「交わり」によって夫の孤独を癒す結婚生活を「交感参加(コミュニオン)(communion)(共感という意味)までもこのような夫婦のあり方を

 

 

 

 

ここまでの三つの社会形態のスケッチから、ミルトンのをとらえなおしてみると、ミルトンが敵対する対象は、四離婚論以前に書いた主教制度批判のように、教会が固執する制度だけでもなければ、制度が規定する法だけでもないことがわかる。そのターゲットは、聖書的真実からはずれるような既存実態であり、既存実態をまるで是認しているような社会の通念にある。

 

精神的交わりを現実のものとするような妻、もっと具体的には夫の孤独を癒すような妻でなくてはならなかった。そういう人物は、

 

 

4.     事実と真実との分割線へのくさび

4.1.      聖書的真実への裏切りと既定事実への挑戦

このような配偶者観は一面では女性がどうあるべきかという実存の問題にまで拡大していくが、ミルトンが想定しているような男の配偶者としてのあり方にだけしぼっていくと、教育と教養のない女性はたとえ身分が高く、多額の持参金をもち、美貌にあふれていても、失格ということになる。論敵が指摘したように、ミルトンの妻とは、「ヘブライ語、ギリシア語、ラテン語、フランス語が話せ、あなたの議論にはもちろん教会法にも疑義を投げかけるか、それができないにしても、あなたと話し合いができる」、そういうとても知的な妻でなくてはならなくなる。[47]

ところが女性の教育は学校という公の場ではなく家庭という私的な場で、それも日常の手紙を書いたり、聖書を読んで表層的に理解するといったレベルの適当な読み書きができる程度の教養で充分と考えられていた。トーマス・モアの娘のように学問のために数カ国語を操れる女性は当時としてはむしろ稀であった。『教義と規律』の改訂版がでたあとにミルトンが刊行した『教育について』からもわかるように、学校という場でカリキュラムにもとづいて体系的に学問を修得していくことへの参加権は、女性にはなかった。とすると配偶者としての女性にミルトンが暗黙のうちに要求する一般教養を身につけた女性の数はごくごくかぎられてくる。ミルトンがこうあるべきだと主張している配偶者の絶対数がそもそも少ないのだから、妻との「交わり」によって「慰め」がえられ、妻が夫の「助け手」とならなければ離婚が可能だという主張は、現実離れした空論とみられてもしかたがない。論敵はその点を突いて、先ほどのあてつけに続けて、「あなたは例外なのですが、質のよい紳士なら、よくご存じのように、資質がもっと劣り、資質がもっと少ない女性に満足しています」といって既定事実をつきつける。

ミルトンは、論敵がここで述べているような「劣り」、「少ない」女性メアリ・パウエルと結婚したが、まさに既定事実どおり結婚を続けた。続けたという月並みな言い方ではたりず、メアリが数年間にわたり自分の元に戻ってこなかったにもかかわらず、離婚もしなかったし、しなかたどころか三人の娘と一人の息子を約七年間のうちにもうけ、メアリが死ぬまで一緒であった。[48]メアリの死後四年して56年、つまりクロムウェル政権が誕生し、政権のスポークスマンとしてまだ活躍していた頃、ミルトン(47)はキャサリン・ウッドコック(28)と結婚するが、14歳で父を失い、親戚の援助を仰ぎながら未亡人に育てられたこの女性も、ミルトンが要求していたような一般教養を身につけていたとは考えられない。キャサリンは結婚後二年で肺病で死ぬが、メアリと同様に、ミルトンは離婚しなかった。五年後の1663年、クロムウェル政権が倒壊し王政復古から三年後、公職を奪われて隠遁に近い生活をしていたミルトン(54)は、エリザベス・ミンシャルと結婚。この三度目の相手も教養があったとはいえないが、歌がとてもうまく盲目の詩人ミルトンを慰め、詩を一緒に味わったこともあったようだった。もちろん離婚はしていない。

既定事実をなんのことはない、政権が変わろうが、失明をしようが、ミルトンも踏襲しているようなのだ。三人の女性と離婚しなかったのは、ミルトンが「質のよい紳士」だったからだろうか。それはおそろく違うだろう。この踏襲は外面的には伝統や慣行に盲目的に追従しているようにみえても、聖書的真実を自らの思索によって洗いだし、その地点から既定事実としての伝統や慣行を距離をもって眺めている。伝統や慣行にどっぷりと浸ってただ闇雲に従来のやり方のよさばかりを強調し、そこにどういう原理原則が働き、なぜその原理から導きだされる規律に従わなくてはならないのかに思考停止をして、盲目的に既定事実のレールの上を走っているのではない。ミルトンの生涯においてミルトンが一度も離婚しなかったことは、三人の妻がそれぞれに「慰め」をもたらし「助け手」であったことの証明でもなければ、資格なき妻と結婚を続けることに思想的矛盾を感じなかったミルトンの自己欺瞞の証左でもないし、既定事実に押し流されて離婚ができなかったという制度的束縛の結果でもない。

ではなぜ離婚しなかったのだろうかと思うが、これは自らの声を文字化し出版することと実生活においてどういう良識ある行動をとるかこととの間に強い整合性を求める傾向、そして、出版された声は実生活の活動を規定するはずという思いこみ−つまり私たちの「誠実」好みからくる疑問である。ミルトンは、自分の結婚生活に誠実であったのかなかったのか、不誠実であるとすればなぜ不誠実でいられるのか、それは正答のない答え探しだろう。むしろここで問うべきは、実生活においてどんなにつらい思いをしているとしても、自分の経験はたまたまおこった異常事態としてまったく例外視するか、あるいは自分の似た経験の持ち主を発見して互いに不幸を確認しあい傷をなめあうかのどちらかにえてしてなってしまうが、ミルトンはそういう不幸にひたすら耐えたり、すこしでも私的に和らげたりするような、凡庸なコミュニケーション不全に陥らなかったことだ。あくまでも「誠実」に自分の私的「心」において感じていることをエクリチュール化し、勇気をもって自らの私的悲惨を教会と政治社会にむかって問いかけ、悲惨の原因が不当に聖書を解釈した結果あみだされた条文、規律にあることを知識を駆使して説明する、その気概にある。

悲惨をもたらしている結婚は結婚として不的確であり、精神的交わりは肉の交わりよりも順序において先行し、重要度も高い。これはすでに述べたようにカルヴァンをはじめとして、プロテスタント神学者のなかで堂々と述べている人物がいる。しかしながら、いざ離婚の理由となるとそんな神学者でさえ、あいもかわらず教会・伝統的共同体が信者の精神に刷りこませた「不品行」(それも妻の不品行)という肉の交わりレベルの理由だけを問題にし、精神的交わりは射程外においてしまう。論理的に聖書にしたがって考え抜けない、共同体に欺瞞的へつらう態度にミルトンは唖然としているのだ。

そんな神学者の例がパーレウスである。カルヴィニストであるこの神学者の著作からミルトンは生涯にわたりかなり頻繁に自説の裏づけとしていろいろな場面で引用しているが、結婚についての見解として、この神学者は、「密度の濃い不可分な[精神的]交わりのため、また肉体の相互譲与のために、一人の男と一人の女とが解きがたく結合すること」(『琴』609)と述べている。このように精神と肉体との交わりが結婚目的だと並行記述しておきながら、離婚となると肉体的な理由からでしか、「解きがたい」結婚の形態を解消できないとしている。「解きがたい」ものが「解ける」というなら、両性の心がミスマッチしていることは「不可分な交わり」を「可分な交わり」にする条件と論理的にはなるはずなのに、それをパーレウスは主張できないままでいる。そんな煮え切らない態度、不誠実な発言にミルトンは唖然としてしまうのだ。

しかしだからといって、私的悲惨をあえて公にたいして説明するのは、私的不幸を社会化し、社会秩序を維持するための条文を変えるためという私から公へ、公から法へという改革手順がミルトンの頭にあるからではない。むしろ、不当な聖書解釈が私的不幸をもたらしている現状にたいする憤りと、その不幸は実は公のものであることが隠蔽されてしまっていて、不当な聖書解釈が公的不幸の原因にもなっていることへの憤慨が、まず最初にある。現象と思索することによって自らの責任において結論づける聖書的真実が、既定事実から乖離し矛盾し齟齬をきたしていることを、私語として不平という形で鬱積させるのではなく、公に語り、公言することによって、既定事実が覆いかくしてしまっている生活経験の純不純、「キリスト者としての自由」がいかに束縛されているかを明るみにだす。ここにおいて私的個別性の孤独な心は、個別から一般性へとジャンプする。このジャンプは、私性を公にすることであるから私個人としての決断をともなうし、他人がその私的不幸にどこまで共感し、自分が知らないうちにしがみついている価値観を切り崩すかどうかという他人一人一人の決断へと連なり、私的決断が他人の決断を誘発するならそこにはみえざる連帯が確立する。

既定事実に惑わされ半覚醒状態にとどまり続けるかぎりでは、なにを公言しようと、それは「キリスト者としての自由」を行使しているという錯覚はえられても、「キリスト者としての自由」にもとづいた思索にはなっていない。「キリスト者としての自由」が確保されているなら、既定事実がどうなっているかという地平から聖書のなかになにを読むかではなく、聖書的真実はどうなっているかという境位から既定事実を読み、伝統と慣行という枠のまどろみから半身だけでも乗りだし、規制の枠を相対化して、未来を創出することだ。聖書的真実を突きつけ、個人の内的感覚にある種の不安を惹起させ、既定事実の精神的縛りから個人をすこしでも溶解させ、聖書的真実に近い状態へと現在を「改定(リフォーム)」するような道筋をつけて、社会を伝統への盲従と停滞から救済し、未来へと開かれた状態にすることだ。いいかえるなら、既定事実(「姦淫以外の離婚は禁止」という聖句)がこうなっているからということを動かない前提にしてしまい、その前提からつぎつぎとあれこれの法的制定(「結婚は司祭の立ち会いの下においてのみ有効」)をし、無自覚に既定事実強化し、その枠内だけであれこれと議論しないことだ。そんな議論は、理性をつかっての制定であるとはいっても、聖書と自己対峙したうえでの思想の帰結などではない。むしろそれはなにも思想しない怠惰、理性を擬似的にしか行使しない錯誤、そしてなによりも、「キリスト者のとして自由」を保障している「神の愛の原理」にたいする冒とくにほかならないのだ。

 

4.2.「交わり」による創造性の抹消

 ミルトン離婚論は、未来を創出しうる可能性に向かって開かれ既定事実に迎合し思考停止をしないという意味において「誠実」な思索の産物であり、またそのめざすところは神と人との関係、人と社会のあり方、人(男)と人(女)との共同という、宇宙的な「調和」だといえる。しかし未来創出の思考がエクリチュール化していくなかで、ミルトン自身がどれほど「誠実」に感じとっていたかわからないが、ミルトンの思索過程には視界の乱れがある。

ミルトンが離婚論で説明するような愛は、価値観を共有しえないような他人、「性格の不一致」な相手との絆を太く強くしていくことではない。自己信仰観、世界観の延長である他人との間にだけ成り立つ愛である。その愛は、やはり自己にとって価値ありとされた愛であり、たとえばルターが「隣人愛」という言葉によって言い表そうとした、信仰、身分、信条、美意識、道徳など、どれだけ自分のそれとは違っていても誰についても妥当する解放された愛ではない。自分だけを喜ばせるのではなく、他者を他者として受けいれつつ、他者をも喜ばせるような愛ではない。そこには意識交流では通常なら変わらない核になっている自分の人格部分までをも根底的に変容させるような、他者との交わりが入りこむ余地はまず残されていない。自己愛ないしは他人を愛することを媒介にした偽装された自己愛にとどまっているのだ。自らとは性格的に合わない人物からは視線をそらし、逃走することが、罪を背負った人間として神に許されているのだと考えている。

 

神の愛はまさしく敵を許すよう命じているとはいえ、裏切ったり値打ちのない友人とは友愛や親交を結び続けるよう強要してはおりませんし、そういう人とは適当に距離をおいて平安を保つことで充分とされております。(『鞭』731)

 

しかし対立しているもの同士が結びつくことではじめて調和が生まれではなかったか。対立とは一人の状態でいたときの満足ではえられなかった新たな価値をその人にもたらす可能性への挑戦であり、不和というマイナスに考えられがちな状態も、他人も自分もその不和のなかで変わっていきやがて融和するように努力を惜しまないのであるなら、対立する両者は逆転して和解し、そこに調和が生まれるはずだ。[49]にもかかわらずミルトンはここではそういう立場をとらない。自己の悔い改め、自己糾弾、自己憎悪の手引きする貴重な者として他者をなによりも尊重しつつ、他者と対話していく過程のなかで本質的に自分が変容し相手も変容していくような深奥の連帯的共同大作業はおこないえないものとして最初から排除されてしまっている。

しかし『教義と規律』の表表紙でうたっている「神の愛」とは、対象の価値にいっさい依存せずに対象に降りそそがれるものではなかったか。ルターの詩的表現を借りれば、「アガペー[神の愛]は溢れ流れる愛であり、新鮮な泉や小川のように心のうちから湧き出し、絶えず流れて、止めることできなければ、干上がることもない」。[50]対照の価値に依存しないとはいっても、それは対象をそのまま現状肯定することではない。「人間の愛は自己にとって愛すべき者から生じる。しかし神の愛は、自己にとって愛すべき者を見い出すのではなく、これを創造する」(ルター)。[51]神の愛は、対象の価値の有無に依存しないとはいっても、対象を有価値存在にまで引き上げようとする現状改定(リフォメーション)という創造的展開間でも含んでいるのである。対象の創造とは対象の有価値化であるが、それは結果としてのみ肯定されるのであって、それが目的とはけっしてならない。妻との性格上の「調和」は、それが夫にとっての孤独のなぐさみになるという価値があるからであり、夫が自分の心に「誠実」なままで妻とつきあえるのは、そんな価値が夫の心に喚起する愛があるからだが、その愛は価値の有無を無視した自発的なものではない。

●従来の女に要求されるエロス:「相手に快と満足を与えることが自分自身の満足となり、自分の快と満足を求める欲求が、同時に相手に快と満足を与えることを意味するような欲求」を意味している。

ヴィルヘルム・ライヒ(18971957)

●「性」とは、単なる「性交」のことではなく、対人関係のなかで自分自身をどのような位置に置きながら相手と交わろうと欲望するのかということ

 

ミルトンは、妻との性格上の「調和」が性来的なものだから、それはいつまでも変わらずに続くことにほとんど疑問をもっていないようだが、人間は男であれ女であれ性格を場面場面でつけかけ、あるときにはある性格を演じ、別なときにはほかの性格をといったように、四六時中、性格の演技をしているのではないだろうか。そんなことは、モアにはじまりシェイクスピアにいたるまでの人文主義色彩の濃い文学において証明済みのことではないか。にもかかわらず、まるで一人一人には真の性格なるものがあり、夫の真の性格と妻の真の性格とが共感しあうようなら、その共感は一生続き、全面的な人格同士の交わり(といっても男中心だが)が永続するとやすやすと信じられてしまっている。ここには自らがそもそも断片と化した人格になり、とくに愛という場面においてはやや特殊な英雄的ふるまいをしてしまい、不器用で不自然な触れあい(もしも自然で率直な触れあいがあればの話だが)となりかねかいことが射程にはいっていない。[52]

性来的、永続性といったパラメーターは問わないにしても、ミルトンの離婚論に述べられているような神の愛からは、価値なき相手との触れあいから生まれる創造的改定(リフォメーション)は必ずしもでてこない。

charity

 

 

は、人文主義の寛容からは生まれてこない。その意味では、四つの離婚論の最後にあたる『懲罰鞭』であったことは象徴的である。相手の人格をおとしめ、相手の主張の馬鹿さかげんを嫌みと皮肉を浴びせながらおもしろおかしく茶化し、前著『四弦琴』のような思想的深まりを欠いてしまい、むしろこの前著の主張のたんなる繰りかえしに終始していることは、神の愛を出発点としながらも、その愛がもっている創造性という核心部分から我知らず逸れていってしまっていることを、かえって明らかにしている。

『離婚の教義と規律』を批判した相手の馬鹿さかげんよりも、ミルトン自身によるミルトンの自己尊重という形を変えた人文主義人間尊重が、神の愛の創造性をむしろ覆いかくしてしまっているのだ。

 しかしそれでもミルトンの離婚論に流れているその語る口調の熱っぽさには、結婚に失敗した男のたんなる自己正当化以前に、社会としては崩れてしまった共同体のその過去の幻想への執着、それと並行して崩れた共同体がかかえていた道徳への拘泥から自由になろうという強固な意志があらわれている。平たくいえば、四離婚論には、自分は自力でなにがもっとも正しいのかを考えだし、その考え出したことが正であることを、歴史や同時代の権威に照らして間違いでないことを確認し、私的にも公的にも持論の正性を確立する。このアイデンティティ確立は、ルターの青年期の自我確立を評した深層心理学者エリクソンが述べているように、修道院というあてがわれた居場所で周囲の視線を自分の内部に反映させて、自分はこういう人間だと思えるような自分が帰属する共同体のなかに自分を埋没させないことである。共同体が共有しまた強要している考え方ややり方に安易に同調し、自分の意志決定の最終的根拠を自分の外にある共同体の権威に委譲し、権威が許し決めた範囲のなかだけでの自己決定に満足し、共同体が提示する人間像に自己克己しながら漸近していく。共同体理想に自分を一体化させていくのが自己尊厳なのだ。これは、エラスムスの親友トーマス・モアが考え、またそれゆえに共同体から処刑されることも辞さなかった生き方にあらわれている。[53]

これにたいしてもう一つの自己尊厳がある。思索の最終的根拠こそ聖書なのだが、その最終解釈権は自分自身に帰属するので自分で原典を読み自分の頭で考えること、そしてその考えをマトメ、発表する自由を最後まで捨てないこと、その結果がたとえ共同体からの精神的バッシングをまともにうける危険をまねくことになっても自説をまげないこと、こういうことをやりうる自己を自らが評価し、また内心、神も評価していることを自負するところから生まれる自己尊厳である。ミルトンはあきらかに後者の道をそれこそ自己の自発的意志で選びとっているのだ。

 

Areop

モダニティの伝統の中では、解放の運動は、最初は解放をめざすアヴァンギャルドとしての「われわれ」の外部にいた第三者が、ついにはアクチュアルな発話者達の共同体(一人称)あるいはポテンシャルな発話者たちの共同体(二人称)に参加することになる、という点にある。すると存在するのは、あなたがたと私、だけになる。

J-F・リオタール『こどもたちに語るポストモダン』(ちくま学芸文庫、1998年)50

未来が創出されないだけではなく、ここでは悲劇が生まれえず、悲劇的なものはすべて神の手のうちで計算済みのこととして隠蔽されてしまう。

スーザン・ソンターグは次のように書いている。

周知のとおり、キリスト教的悲劇なるものは厳密には存在しない。その理由は、キリスト教的価値の内容が悲劇のペシミスティックなヴィジョンと相容れないからである。だからこそ、ダンテの神学的詩作品は「喜劇」なのであり、ミルトンのそれにしても同じなのである。言いかえれば、ダンテもミルトンも、キリスト教徒であるがゆえに、世界を意味づけるのである。(中略)すべての悲惨や不幸は、より大いなる善へ導くものとして、さもなければその犠牲者がまったく正当に受けるいわれのある適正な罰として、見なされなければならない。キリスト教が主張するこのような世界の倫理的な適正さこそ、まさに悲劇が否定するところのものである。正当に蒙るいわれのない不幸が存在する、世界には究極的な不正がある、と悲劇は言うのだから。とすれば、キリスト教のもとで悲劇の再生が阻まれたのは、西欧を支配した宗教的伝統の根本にあるオプティミズム、つまり世界を意味付けようとする意志のためであった、と言ってもいいはずである。ちょうど古代ギリシャにおいて、ニーチェの言った理性、すなわちソクラテスの根本的にオプティミスティックな精神が悲劇を殺したのと同じように。  (高橋康也訳「悲劇の死」『反解釈』所収)

柄谷行人『意味という病』(河出書房新社、1979年)13-14

 

つまり,この世界にはとうてい神によって設定されたとは思えない悪や悲惨なできごとが数多く存在するが,しかし人間の卑小な理性にはどれほど理解しがたいものであろうと,それもやはり神によって定められた事実,神のおぼしめしとして人間が受けいれるしかない事実である。そこから positum に〈不合理だが厳然と存在する事実〉という意味が,そして positive に〈事実的〉という意味が生じた。18世紀の弁神論的発想から生じた語義であり,〈既成性〉と訳される初期ヘーゲルの用語 Positivitt も同じ文脈に属する。

 

自己尊厳

第三者がたくさんいて「あなたがたと私」は数少ない、という現実のマイノリティ状況と、すべての三人称が定義上そこから閉め出されるような来るべき全員一致とのあいだの、緊張状態にこのようにおかれるとき…現在の個別性・偶然・不透明性と、みずからに約束する未来の普遍性・自己決定・透明性とのあいだに経験しなければならない緊張を、正確に再現することになる

J-F・リオタール『こどもたちに語るポストモダン』(ちくま学芸文庫、1998年)50

 

「われわれ」は全員一致に対する追悼をおこない、思考し行動するための別のモードを見つけ、あるいはこの失われた<対象>(あるいはこのもはやありえない主体)のために、いやすことのできないメランコリーへと飛び込まなくてはならない…フロイトの教えによれば、喪の作業とは、失われた対象から主体の上に、かれらからわれわれの上に、備給をひきもどすことにより、愛の対象の喪失かた立ち直るということだ。

J-F・リオタール『こどもたちに語るポストモダン』(ちくま学芸文庫、1998年)51-52

 

「われわれは大きな物語を永続化することができるのか?」という問いに対する答えは、「われわれは何らかの事を、おこなわなければならない」になってしまった

 

J-F・リオタール『こどもたちに語るポストモダン』(ちくま学芸文庫、1998年)57

 

批判や反駁に動揺することがあっても、持ち前の知識と聖書解釈への正しさへの信念から、ミルトンは極度の憂鬱には陥らなかったようだが、それは最終的には悲劇を認めないそういう物語を構築しうることをぎりぎりまで信じていたからなのだろう。

 

●誠実sinceritas

仮面とほんとうの自分との関係をやりくりするしかたは、成熟社会では二つしかいなんです。一つは、仮面をかぶらない本当の自分を探さないでも平気でいられること。こういう人を『天然系』と呼びます。もう一つは、本当の自分なんかありえないと断念しつつ、それがあるかのように体験できる一瞬を追い求めるやり方です。修業が必要なので、僕は『修業系』

藤井誠二、宮台真司『この世からきれいに消えたい:美しき少年の理由なき自殺』(朝日文庫, 2003).160

 

意味を求めて何かをするにしても、意味は、主語を取替え可能な述語ですから、別にそれをするのは自分じゃなくてもいいわけです。内発性を自覚できないというのは、そういうことです、それは苦しいわけです。

藤井誠二、宮台真司『この世からきれいに消えたい:美しき少年の理由なき自殺』(朝日文庫, 2003).164

 

本当の自分を、つまり取り替えのきか内発性を探すことより、外を探さなくてはいけない。それも、モナドの窓から世界を見るような、意味と自意識に拘束された見方ではなく、外の世界のエネルギーをうまく受信できるき透明な存在になるしかない。今までの自分を壊して、外側に満ち満ちたエネルギーを受信しないと、取替えのなきかないのを実感することができない。

藤井誠二、宮台真司『この世からきれいに消えたい:美しき少年の理由なき自殺』(朝日文庫, 2003).166

@自意識を分離できるタフネスと、A自意識を分離した状態で世界を認識する技術の、両方が必要です。皮肉なことに、S君には、そして多くの日本のインテリ学生には、Aの技術があるのに、@のタフネスを欠いた状態です。そこのことについて処方箋を出すには、自己信頼(セルフ・コンフデンス)とプライドを区別する。

藤井誠二、宮台真司『この世からきれいに消えたい:美しき少年の理由なき自殺』(朝日文庫, 2003).167

 

いろんな他人たちと自由自在に付き合って生きるだけの強靭な自尊心、あるいは柔軟な自尊心がなくて、非常に脆弱なんです。脆弱であるがゆえに、いろんなサブカルチャー・アイテムを使って、自分がコミュニケーションをする相手をスクリーニングするわけです。その結果、人畜無害な、つまり、自分の意識にとって危険がない人間とだけ、コミュニケーションをする。そういう形で、脆弱な自尊心を温存するという振舞うができたんですね。

藤井誠二、宮台真司『この世からきれいに消えたい:美しき少年の理由なき自殺』(朝日文庫, 2003).172

 

一つは、AC(アダルト・チルドレン)という選択。つまり、他人の承認が欲しくして、あるいは、また見たことのない自分が承認される居場所が欲しくて、永久に他人に過剰適応するという選択です。多くの若い連中がそれを選択しているわけです。対極的な選択は、だったら承認なんかいらないということで、他人との会社的交流から離脱する。離脱するというのは、別に外に行かなくてもいい。コミュニケーションしているようでいながら、他人とのコミュニケーションで自分が承認されたり、コミュニケーションを通じて、何かを達成するということを、後者は、僕の言葉で言えば脱社会系―― 反射解する脱社会系―― です。

藤井誠二、宮台真司『この世からきれいに消えたい:美しき少年の理由なき自殺』(朝日文庫, 2003).174

 

誰も知らない役割を追行することで、プライドを失うような日々の状況にも耐えられるわけです。何かの使命を果たしているか、誰かの役に立っているという意識は、自己信頼を高めます。自分を信頼できれば、プライドを失うような危険だって平気でいられます。そういう構造が、自尊心(セルフ・エスティム)の上昇にとって、非常に重要な資源になります。

藤井誠二、宮台真司『この世からきれいに消えたい:美しき少年の理由なき自殺』(朝日文庫, 2003).184

 

 

             

                                     自己(セルフ・)信頼(コンフデンス) (=試行錯誤の蓄積)

自尊心(セルフ・エスティーム)――

 

                                     見栄(プライド)   (共同体による承認)

藤井誠二、宮台真司『この世からきれいに消えたい:美しき少年の理由なき自殺』(朝日文庫, 2003).176

心理学者も社会学者も合意している定説ですが、自己信頼が低いから、ある種の人間はプライドにすがる。プライド、すなわち対他的な見栄をコントロールすることで、自己信頼の低さを埋め合わせているんです。

藤井誠二、宮台真司『この世からきれいに消えたい:美しき少年の理由なき自殺』(朝日文庫, 2003).179

 

 

と同時にミルトンは、自ら離婚論を発表することは、

 

 

流れされない、

●「聞き従う前に口答えをする者無知と恥は彼のため」という「箴言」(18:13)からの引用を本の表表紙に加えて、自分の議論をいったん聞いてから、反論するように暗にうながしている。

これら三者の主張は、いずれも説教家からの評価であって、その表面上の争点は「性格の不一致」が夫婦相互で確認され、夫婦ともども「心のさびしさ」が癒されないなら離婚は可能だというミルトンの離婚規律を認めてしまえば、離婚はどんどんと恣意的に行われ、統制がとれなくなるということであった。彼らはけっして頭ごなしにミルトンの離婚の規律を退けたのではなかったという点では幸いした。しかしミルトンにとって不幸というやショックであったのは、これら批判者が国教会の聖職者からではなく、自らの陣営と信じていたピューリタンの側からなされたことである。もう少し正確にいうと、ピューリタン右派の長老派からの攻撃であったことだ。表面上の争点に添うようにして深層の争点として、いま現に生きている人間を神学的にどのようにとらえるのかという原理問題があったのだ。ではミルトン的な離婚の規律を成立させる人間観の原理とはどんなものであったのか。それを探るためには、今度は、最初の離婚論が書かれる二年前の41年に戻らなくてはならない。

 

 

 

中世の盛期には結婚の成立条件にかんしてまったく正反対の解釈が共存していた。約束が結婚を成立させるという立場、つまり「交接ではなく同意が結婚を造る」(consensus not copula facit nuputias)という解釈と、結婚は行為そのものによって法律上有効になる。

H・シッパーゲス 『中世の医学−−治療と養生の文化史』(大橋博司 他訳 人文書院 1988年)51ページ。

 

4.3.      イメージ戦略としての離婚

ミルトンは協同組合的な第三のあり方を提示しながらも、じつは、第二のゲゼルシャフト的な消費社会の原理の外部にはでていない。

消費社会の誕生とは、歴史学者サースクが考えているように、生活をするために最低水準としては必ずしも必要でない贅沢品−仮にそういうものがあるとすればの話だが−が、ルネッサンスになると需要が高まり、石鹸・洗濯糊・靴下といったものを筆頭にして数多くの品種のものが生産され庶民にも消費されるようになったという実態を歴史資料からあげつらい、声高に強調するのはあまりもナイーヴなのである。消費社会が成立したということは、どういったものが生産されそれがどの範囲の民衆層にどの程度まで広がったかという実体のレヴェルからの議論では十分ではないのだ。というのも、後述するように、何が生活必需品で最低の生活水準に不可欠なものというのは、同じ民族でも時代が違えば異なるし、最低カロリー量などというのは絶対普遍ではなくて時代と地域によってくるくると変わるものだからである。実体的に見ていたのでは基準そのものが変わるのだからこちらが翻弄されるか、せいぜいうまくいっても現代の基準を肯定し現代から見た歪められた過去の像を描きだし昔は現在に比べて劣っていたというのが、せいぜいの結論である。実体としての消費をいちおう括弧に入れて、実体を篩にかけ次々と漉していって浮かび上がってくる消費の原理という観点から、消費社会の成立ということを考える方が、整合の度合いが一桁高まるのである。消費の原理とは、ものごとが文化記号として必然的にもっているイメージ(共示的意義 connotation)を富の獲得という目的をはっきり気づかれない形で送り手が受け手にメッセージとして送り、それによって送り手はなんらかの富を獲得することであり、さらには、受け手はものごとの深層にそのメッセージを読み取らされ、送り手が富を築き上げることに貢献する一方で、ものを受け取り消費することで自らもその富を間接的に分かちあうことである。その意味で、あまりに言い古されているマキャヴェリの言葉は、消費社会の原理を見事に言い当て、消費社会の誕生を知らせる最初の産声であるといえる。106

ここでいう富というのは、金銀といったものによって代表されるような物財にかぎらず、名誉、地位といった共同体の内部にあってその成員たちから価値あるもとの判断されいるものごとすべてである。[小松]

 

 I外見と内実といった区別だてがルネッサンスになってかなり頻繁に言われるようになったことは、消費社会の原理にと連なっている。[ミルワード クルティウス] また金ではなくて紙幣が金や銀と同じないしはそれよりも価値のあるものとして流通するようになったことは、消費社会が完全に動かしがたいほど社会に根づいたことを教えてくれる[Shell Money,Language]し、また土地や//といったものが貨幣に価値として評価されるようになったことは、文化記号としての「こと」(名誉・権力・名声)をもの(物財)という自然記号へと吸引してしまう消費社会の力のすさまじさを示している。[ポランニー]

 

 Jものを買うということは、一面においてものの有用性を所有することである。消費とは、有用性という価値と、貨幣という普遍化された価値とを市場において交換することであって、価値交換であるといえる。効用は貨幣単位で秤量することができるという仮説(マルクス価値形態論)は、消費をこのような価値交換において捉えるという考え方に基づいている。消費をものと貨幣との交換として捉えるのは、あまりにも表層にこだわりすぎているといえる。消費と貨幣の支出による効用の取得とする考え方は、生き生きとした消費の意味を抹消する機械論的な合理主義の弊害に陥りかねない。消費を深層において理解するためには、イメージ・コミュニケーションの立場に立たなくてはならない。消費とは、たんなる物事に体化された価値の交換ではなくて、物事にまつわり物事に体化されたイメージのコミュニケーションである。消費にはこのような深層の側面を拭いがたいので非合理な行為のように思われる。

 ものには有用性として軸から他のものとそれ自身とを区別させ差異を生み出しものとしてのそれなりの価値を生むということのほかに、ものが文化記号としてもっているイメージによって、人間の本能的な欲望を満足させ、商品化しているということも忘れてはならない。人間がものを消費するのは、基本的な生活欲求を充足させるためだけではなくて、商品としてものを手に入れることで、人間の潜在的な欲望が満たされそれをなんらかの目に見える形で顕在化するからである。116

ものと貨幣との交換を成り立たせているのは有用性だけではなくて、イメージの力が働いていることを見落としてはならない。この力は神秘的融即と同じ次元のことと考えてよい。商品を消費することで、もののイメージ性に眩惑され、そこに隠喩れされた欲望のイメージ世界を現実世界と同一視し、さらにはもののイメージと自己のイメージを同一視するからである。この現象は否定的にとるかそれとも肯定的にとるかは別として、前近代的な論理だからといって蔑まれるべきことではない。文化人類学とは古代が近代かのどちらかを優越させて残りのもう一方をマイナスなものとして評価するような学問ではなくて、人間の現象に普遍的に見られるその構造を飽くことなく探求する知的冒険であって、優劣は判断停止されている。

そもそも人間というのは幻想を食べていきているのである。 岸田

 

 


 

5.     離婚是認の思考回路:普遍的人間へのメッセージ

5.1.      宗教制度の正統性と正当性

革命というのは、それまでの日常性や常識を破るような数々の出来事を、後代の人たちが回顧したときにつけた名称であろう。その出来事ひとつひとつにいろいろな形で遭遇している当事者たちにとって、革命という大きな歴史上の単位として意識されているかどうかはわからない。むしろ自分にとって関わりのある出来事に敏感に反応することのほうが多かったのではないか。ミルトンは、ピューリタン革命(1640-1660年)という後代から振りかえった現場に居合わせ、居合わせるだけではなく、論争家として革命以前の日常性や常識とは異なった規範を主張し、出来事の方向付けを推進する役割を担うことになる。ミルトンは、国王チャールズの政権と国教会とが繰り広げる、武器をつかった戦争に体で参加することをあえてせず、現体制や現教会制度を擁護する敵を見つけて指弾し、その主張の誤りを一貫して批判していった。

とはいえミルトンの論文はあくまで宗教教義に軸足をおいて国教会解体の勧めであって、逐一、政治的な事件に敏感に触れるわけでもない。まず最初の論文『イングランドにおける教会規律改革について』(1641)では国教会の主教制度が歴史的にカトリック制度とどのように融和しながら成り立ち、主教制度はたとえ初代教会時代(初期キリスト教成立期で主に2世紀頃から6世紀)にあったとしても、それは批判の対象となっていたものであり、しかも聖書にもとづかない制度だと批判した。その約一ヶ月後には『高位聖職者たちによる監督制度について』を前著に続いて匿名出版し、長老よりも上の主教の身分制度が初代教会では採用されていたという主張にたいして、初代教父たちの文献にあたりながらその誤りを指摘している。

この二つの論文では教会統治のために主教制度を採用することが人為的曲解の産物であると歴史的に証明しているが、さらにその一ヶ月後に出版された『スメクティムニューアスに抗議する者の弁明を辛口批評する』では、手法を変えて、新約の原理にもとづいた総括的反駁をおこなっている。その原理とは、たとえ司祭として認められる叙階(じょかい)を受けても、「人々の魂を救うという神に宿る愛」がその人になければ聖職者は聖職者たりえないというものだ。ミルトンは、弁明者ホールの主張のうち怪しい部分の言葉をそのまま引用し、この原理にもとづいてミルトン自身の辛辣な批判を付け加える。文による戦いがもたらした勝利だとミルトンがおそらく快哉を叫んだことだと思うが、この三つの論文を書いた翌422月には、「主教追放令」が議会で可決され、なんと王もこの法令を受諾する。主教制度はこうして廃止され、ミルトンの主張がそのまま通った形になる(ただしミルトンの言論による貢献度は疑わしい)。

制度の廃止と前後として出版されたのが『教会統治の理由』(1642)である。ここでも前三著と同様に、主教制度を擁護する書籍への反論という形をとっているが、前三著とはことなって辛辣で攻撃的な口調が緩和され、歴史と原理とが一体となりながら主教制の誤りを指摘しつつ、長老派教会の教会統治の正当性を述べている。ここでのミルトンの原理としてとくに注目しておかなくてはならないのは、真理は与えられるものではなく試練によって人間が忍耐強く近づいていくものだということだ。国教会一枚岩の強制された教義のもとでの宗教的統一は、多種多様なキリスト教の派が混在するという状況よりは整然としているかもしれないが、それは神のやり方ではないという。国教会ではない諸派のキリスト教が拮抗することで、誰が「正しい信仰と真なる知識」の持ち主であり、誰が「鵜呑みの信仰と有力な時代思想」なのかが試されてわかる。[54]しかも試すように許しているのは神であり、試されることで善き人間は最終的には「正しい信仰と真なる知識」を確実に手にしていることが確認できるのだから、自らにたいしては忍耐、神にたいしては志操堅固、そして他者にたいしては栄光を手に入れることになるという。混在は二元対立の試練を経て収斂していき、収斂した果てには真が偽に勝つという構図が待っている。

この原理と並行してあるのは、「内なる人と外なる人」との二項対立とそれに関連した棲みわけ原理である。このような人間の分け方は聖句(「第二コリント書」4:16)にもとづいており、単純には内心にかかわる人間のあり方と身体にかかわる人間のあり方をさす。そこから転じて、政治は外なる人を管轄として、平和、繁栄、そして市民としての幸福をもたらすように努めるべきであるが、宗教は内なる人を教職者を介して鍛え、堕落した心を清めるというように、担当が決まってくる。いわゆる政教分離である。しかしこれはたんなる分離にとどまらない。内なる人が外なる人の価値を決めるのであって、外なる人としてきわめて立派を行為をしようとも、内なる人としてのそうした動機が他人からほめられたいとか、意図が自分の名誉欲を満足させたいといったような罪に染まったものであるなら、その外面的にすぐれた行為も神の眼にはかなわない見苦しい行為となる。これだけなら中世の神学者も考えていたことである。[55]ミルトンはそこからさらに教会統治の方向へともう一歩踏みこんで、祭服や典礼といった外面的な装飾と演技で聖職者は平信徒を見下し、不浄などとあなどることは、内なる人の優位性を見落とす冒とく行為だという。キリスト信徒は「聖化を受け、神の嗣子とされるという輝かしい特権を受けて」いるのであるから、「あらゆる信徒を祭司たらしめる特権」をもっている。[56]政治の為政者にあたる宗教の執行者は、叙階された聖職者だけが教会の司牧を担当するものではなく、「その能力、信仰、慎み深い態度がすぐれている」平信徒であるなら教会職務を執行してもよいと考えている。これはカトリックにも、主教制度を護持する国教会にもありえない発想であり、平信徒は祭壇と会衆席とを分ける手すりを越えて、祭壇の領域に入ることは汚らわしいこと、ましてや典礼を主催し執行するなどというのはあきらかな神聖冒とくとして糾弾していた。[57]

試練としての正邪の混在という原理がミルトンが世界の成り立ち方を取り扱うときの世界原理だとすると、内なる宗教人の優位性という原理は人間社会を動かしている制度の読み方となっている。しかしではそういうように世界を眺め、社会を読む自分自身はどのようあるべきだと考えられているかといえば、ここでも二元対立と内なる優位が生きている。「天から送られた火である神の愛が、人間の行う敬虔で有徳な行為の第一の原理であるとするならば、われわれ自身にたいして敬虔な正しい敬意をはらうということは第二原理であります」。[58]神の愛、すなわち慈愛caritasとは、神にたいして罪を犯したにもかかわらず、それでも神が自発的に惜しみなく人間一人一人に注ぐ愛であり、そのような愛を人間は感じるがゆえに、その愛に応答すべく、「敬虔で有徳な行為」を行う。この愛は人間の内面にかかわる愛であり、その愛を感じずに人間が何かをするとすれば、それはその何かにそれなりの価値があることを見いだし、その対象が喚起する外発的要因に自分の欲望がしたがっていることになる。自らの欲望に照らして価値のないことにも、神の無償の愛を感じて自分を投げ捨てるという行為でなければ、その行為は敬虔でもなければ有徳でもない。内面の神愛によって、通常の価値−無価値の二項対立が逆転して、むしろ無価値と思えることのうちに、敬虔、徳といった宗教的価値が付随することになる。この逆転は、自己へ敬意(「自己への配慮」)にもあてはまる。他人の目が光っているときはもちろん、たとえ一人でいるときにでも、自らの内面やこれからやろうとする行為を自省し、そこに罪がないかどうかを精察し、自分の魂と肉体とに恥じ入ることのないようなことだけを行う。欲望、無知、悪意といった従うのに楽な道を選ぶことを、自己の眼差しによって自制する。ここで肝心なのは、共同体による自己の主張や行動の認知から生まれる誇りという尺度はどうでもよいことで、「恥」というのは共同体が個人にたいして評価するレッテルではないことだ。先ほどの二元対立の試練とのからみででてくる、試行錯誤をおそれない自己信頼

 

キリスト教徒としての尊厳が

共通の利害が共同性になると信じる安直さ、

出版されるが、

 

 

『スメクティムニューアス弁明』(1642)すでに『コーマス』(1634)や『リシダス』(1637)を執筆し、詩人として自らのキャリアを開始していたミルトンとしては当然のことであろう。ところが批判・指弾という攻撃的な立場であったミルトンが、最初の離婚論『離婚の教義と規律』を執筆出版した後から、自ら守勢に立たされるようになる。その最初の離婚論での主張が、自分がこれまで指示してきた長老派から受けいれられないことを知ると、

四つの離婚論。失明を境にして自己弁護論をいくつも書くようになる。

 

5.2.      思考回路への迂回

ただそれが伝統的に継承されているからという理由だけで、宗教教義(契約否定)、教会制度(地縁的教会)、政治システム(王政)、社会制度(出版検閲、離婚禁止)はそのまま温存されるべきだというイデオロギーの横行。これがミルントンが直視している問題なのだ。中産階級の新興市民の一人一人が伝統に盲従し、国教会の首長としての国王をあがめ、司教たちや世襲貴族たちが決定することを尊重していれば個人の心は安心していられるか−否。逆に長上者(王・世襲貴族)は下位の者(臣民・小地主・小作人)を思いやることを説けば、宗教は、社会は円滑に動くのか−否。下から上への尊重、上から下への思いやりといったことを、ミルトンよりすこし年長のロバート・フィルマーやウィリアム・ロード大司教は説き回わった。しかしフィルマーが、家父長制というよき伝統やすばらしい道徳を声高に強調しても、王は高位聖職者や世襲貴族を優遇すべく官職、土地、年金、商品独占販売権を自由にあたえて臣下を手なずけ、その一方で議会から同意をとるという手続きを無視して下位の者たちから臨時税をとりたてる。ロードが英国教会の公式の礼拝式文である『祈祷書』のすばらしさを謳ったところで、高位聖職者たちは、権利請願に代表されるような自分たちの地位の撤廃につながるような教義の浸透に危機感をいだき、信徒たちの活動の規制にのりだすし、教義からはずれるような教説を標榜する宗教教師たちの摘発をつぎつぎと行っていく。『祈祷書』から逸脱するような儀式、儀礼、祈りを規制し、それに従わない者をたとえばウィリアム・プリンや、ミルトンの教師であったアレクサンダー・ジルのように、異分子と糾弾し、投獄、処刑するなどの強硬な態度にでる。尊重、思いやりとは裏腹な苛斂誅求の現実がまっている。

宗教や社会のなかの軋轢は解消しないままであるとすれば、従来の価値観のどこかまずいのかを暴き出して、空洞化している価値観のどこを埋めることが必要なのかを問い直してみることが課題となる。さらには価値観そのもの全体を塗りかえることまでも考え論じることになるだろう。ミルトンはこれをやってのけたのだ。

 どういうことか。16世紀初頭から崩れだしたカトリック教会の一枚岩の断片が、英国国教会(1534年成立)であるわけだが、英国国教会はカトリック的一枚岩の教会観をそのまま引き継いでいった。国教会内部にピューリタンのような組織内組織ができあがっていくと、当然のことながら共存ではなく牽制、弾圧に乗りだしていったが、ミルトンが『離婚論』を執筆した1640年代になると、ピューリタンはもはや国教会の内部組織、仮面をかぶった国教徒としてではなく、国教会からはその教義も組織も独立したし、表だった別な新信徒として活動していた。体制側の伝統主義者や道徳主義者たちが、尊重や思いやりの説教をし、規制・摘発の網をいろいろと投げていっても、ミルトンはもちろん他のピューリタンたちも別な論説で対抗し、網の目に抵抗しすりぬけていった。ミルトンにとっては確実に、伝統主義者や道徳主義者たちは、平気な顔で現実を直視しない虚妄にからめとられた存在として映ったのだ。そこでミルトンがとった根本的な戦略は、伝統的だからその価値観は正しいとか、道徳にあっているからその動機は清純だといった存在論的発想が短絡的であることを暴露し、思考回路という構造的メカニズムがどうあるべきかという認識論を立ち上げ、価値観の再構築、従来型動機の転覆をすることだった。

思考回路そのものにまで踏みこむと、思想回路の分析だけでなく、分析の正しさの証明、証明された思考回路から導きだされる新たな教会・社会制度の構築、伝統・在来道徳の自明性への懐疑、伝統・在来道徳に代わる新たなビジョンの提示を、公の場でせねばならなくなる。『弁明』にはじまり『共和国要諦』に終わる一連の公に出版されたミルトンの文書は、思考回路にまで踏みこんだことから生じた一連の責任への応答なのだ。この応答には、強靱な意志ばかりか高い知的能力が要求されるが、ミルトンはあえてそれをやってのけたのだ。ミルトンにとっては、そうした強靱さや高さという対価をなくして済まそうとする人々が王党派、教皇派といった伝統主義者なのだ。強靱な意志や高い能力といったとき、それらは思考回路の分析、新価値観の構築といった知的作業にだけ適用されるのではない。社会によって維持されてきた制度や道徳にくさびを打ちこみ破砕する以上は、自らの発言にたいして社会のメンバーからどんな誹謗中傷を受けようとも、あわや投獄され殺されかけることがあっても、内なる声の正しさを信じる能力とその声にどこまでも従っていくだけの強い意志がなくてはならない。

知的能力と強い意志は吹き上がり、従来の言説を繰り返す気休め、問題の所在の根本的隠蔽があるからこそ、伝統主義者たちは実存上の内面的破綻をおこしているのであって、その破綻はキリスト教会そのものが不全だからだとか、社会制度そのものに欠陥があるからではない。しかしここで短絡してはならないのは、あるべきキリスト教会がどんなものであり、社会制度がどうなればよいのかという構造メカニズムという外面に直接向かうことではなく、あるべき思考回路そのものを復権させるという、今の私たちからみれば迂回路をとらなくてはならない。内面がまず最初にありきなのであって、復権された内面のあり方を土台として外面である宗教や社会の新たな姿がみえてくるのだ。現実における軋轢の解消はまず思考回路へと遡及していくのだ。

 

5.3.      迷信による呪縛

ミルトンは一方において、自分の主張を支持する側の人々として「選ばれた少数派」を標榜し、それに対立する側として「大衆」をあげる。前者はあるべき人間の姿として説明され、後者は堕落し頑迷さにとらわれた人間のありさまとして糾弾される。そもそも人間には例外なく理解力と、自発的意志とが備わっている。目の前にある具体的なものがリンゴだと了解したり、話を聞けばそれがどういうことを論理的にいっているのかを抽象的に了解するのが理解力だ。リンゴが食べたくなって手を伸ばそうとすれば、欲求に自発的意志が従ったのであり、話の内容に共鳴して武器を執ることを決断するのも自発的意志の働きがあるからだ。理解力は対象を受けとめる能力であり、自由意志は対象にどうかかわるかという行動に先だつ働きだから、それ自体では白紙で偏見もかたよりも全くないと考えられている。私たちなら、人によって理解力に高低があるとか、意志にも強弱があることや、同じ人間でも気分や体調によって理解力に差が出てきたり、意志が弱くなったりすることを考慮する。ところが、演説調で語るミルトンは、パンフレットとして出版され流布することが前提になっている散文において、人間間の差、個人内での違いをほとんど無視して議論し、いつも一定の理解力、必ず堅固な自由意志があるという前提で話を進めていく。この点ではデカルトの「よき感覚」の分有と基本設定は同じである。

では理解力、意志が人間に等しく分与されているというなら、どうしてすべての人が聖書を等しく同じ内容が書かれたものとして理解することができず、さまざまな分派という形をとって自由意志にもとづいた多種の教会が存在するのか。政治の体制という大きな枠組みから、個々の政策・条文というミクロなことにいたるまで、議論が百出するのはなぜなのか。そういう状態を百花繚乱としてかりに認めるとしても、ミルトン自身が理念として想定しているような教会制度(独立派的教会)、政治体制(共和制)、政策(出版の自由)、社会制度(世俗法による離婚自由化)が人々によって支持されず、不発のままに終わっているのはなぜなのか。その答えは、<慣習>にあるのだとミルトンは断言する。「<慣習>は最良の教師としていつも反論なく受けいれられている」(CPW:2.222)。ここでいう慣習とは、各時代時代で人々が共有している「考え方の慣習」というような通念のことなのだが、まるで所与として遠い過去からそう規定されているかのように反芻されず盲目的に不可侵のこととして受容されてしまっている考え方、やり方のことをさしている。従来からの考え方や、それまでにやられてきたやり方は、理にかっているからそう考えられ、そうやられてきたのだとほとんど内省せずに容認させる力をもっている<慣習>のことである。伝統に盲従することといいかえることものできるこの<慣習>は、始末の悪いことに、<誤り>という体に受肉して、制度が教える<慣習>を理解することだけが正しい理解であり、制度が支持する<慣習>に自由意志をもって従うことが正当な行為だと人々に思いこませてしまう。だから自らの理解力を研ぎすます必要もなければ、<慣習>に反発するような方向での自由意志を働かせる手間もいらないのだ。<真理>はすでに<慣習>のなかに囲いこまれ入手することはいとも簡単自明なのだから、<真理>を手に入れようとする努力、つまり「研鑽と真摯な労苦」(CPW:2.224)がまるで不必要であるかのような錯覚に人々は陥ってしまっている。このような人間の盲従状態はもちろん人間として本来あるべき姿ではないが、そのような姿をミルトンは一言でいいかえて、<迷信>を背負うと表現している。「この世の最大の重荷とは迷信である。それは、教会の儀式の迷信ばかりか、家庭内の想像上のこけおどしの罪に対する迷信でもある。」(『離婚教義規律』CPW2:XXX

 

5.4.      迷信を破壊する<正しき理性>

では誤ったことを正しいと理解しているまどろみから理解力を覚醒させ、慣習にべったりと付着して楽な方へと流されていく自由意志に活を入れ、<迷信>の重荷を肩からおろすにはどうしたらよいのか。それは、理解力や自由意志と同じく、キリスト教徒や異教徒の別なく人間であるからには神から授与されている<理性>を行使することだという。

<理性>というと、ルネッサンスのプラトン・アリストテレス解釈の文脈からすれば、情念(パトス)に対峙する人間にだけ先天的にそなわっている特別な能力のことである(図8■■ Alciato ライオンとアモルの図)。[59]この能力があるおかげで、社会的存在として生きていくために必要な行動がなんであるのあるのかを選び取ったり、人間一般にとって共通の善と思えるものめざして努力する壮大な企てができたりする。情念にだけ動かされるその日暮らしの動物とは違って、理性が備わっているおかげで、ちょうど船の舵のように、人間は的確で意味のある行動にむかっていくことができるのだ。[60]<理性(ロゴス)>があるといったときには、人間にとって何が正しくどれが誤っているかを論理(ロゴス)的に言葉(ロゴス)によってはっきりと判定する能力があるということなのだ。

正誤を識別するという理性の役割は、当然のことながら、意志を働かせて善を行うという実践的行動につらなるし、また真なるものがなんであるのかを理解するという知的作業とも切り離せなくなる。善にせよ真なるものにせよ、それが本当に善であり真であるのかを吟味し、善でないもの・真でないものから選り分けていくときに、理性が活躍するのだ。吟味と選り分け−すなわちプラトン的な論争(amtisbhthsis)方式で競合する名乗りを上げた者を秤にかけ、選び抜き、本物はこれだと保証し、偽物から区別することをやるにせよ、あるいはまた、アリストテレス的な矛盾(antifasis)の発見方式で本物の正体をはっきりさせるにせよ、そのいずれにおいても理性が中枢となって働くのだ。

しかし一概に善や真なるものといっても、社会のなかで長年いきわたっている慣習(ノモス)や人間が人為的に定めている法令(ノモス)について、個別的にこの慣習(ノモス)は善で、この法令(ノモス)は偽であるといったような選び分けと同定化をするときに、その判定を下す理性はほからならぬ理性自身を基準にしておこなうというのでは撞着語法になってしまう。そこで理性が依拠する基準として考えられたものが、普遍にして不変なる自然(ピュシス)というノモスへの対抗概念である。[61]イデアが分有されているのがこの宇宙世界というビジョンをもつプラントンの場合には、自然(ピュシス)とは、イデアたちが織りなす秩序、五官によって近づける現象世界を捨象してみえてくる形而上領域であった。一方、アリストテレスでは、自然(ピュシス)とは宇宙世界の諸物や出来事を生産する根源(能産的自然)であり、自然(ピュシス)は目的をともなわない生産をいっさい行わず、なおかつ諸物や出来事においてたえず現前している。そういう自然は秩序、階層、地位といったものをどんな出来事や物事にも付与し、その結果、生産された自然(所産的自然)には、質と量との双方においてもっとも完成度の低いものからもっとも高い完成度のものへと途切れることなく配列される<存在の連鎖>(厳密には存在と存在との連鎖)があることになる。所産的自然の<存在の連鎖>においては、地球世界では人間こそが秩序の中心、階層の最上階、最高の地位の存在者として位置づけられる。人間は最高位にあるといっても、人間のなかにも、完成度の高い人間と低い人間とがおり、人間が他の動物や植物を従えるように、高い人間は低い人間を従属させる。これは人間の魂についてもいえることで、理性にあたる判別能力が、栄養摂取能力や感覚能力を統括しているのが好ましい状態なのある。したがって自然(ピュシス)<存在の連鎖>のあり方に反するような人間のあり方も、心のあり方も、反しているかぎりでは、そのいずれのあり方も理性的でなく、人間としての尊厳を欠いた状態に陥っていることになる。

不定で人為的なノモスにたいする不変恒常のピュシスに合致しているかどうかを見極め、合致しているものを積極的に選び取ることが理性の働きであるわけだが、このような働きをしているときにだけ理性は理性という名で呼びうる資格があるというように、アリストテレスが考えていた。そこで真の意味での理性は、ローマ時代、つまりストア哲学においては、理性は人間に備わっている能力という意味から飛躍して、自然(ピュシス)のなかに具現している秩序そのもの、永遠に変えることのできない自然法という不文律と同義になっていく。[62]もはや人間の内面的能力にだけ限定されず、手を離せばものが上から下に落ちることが必ず正しいように、自然を支配し自然のなかに内在しているはずの原理までも意味が拡大していく。この広がりは、正誤が道徳としての範囲にもはやとどまるのではなく、人間を取りまく変更不可能な自然現象の様態にまで拡大したことであり、<理性>は人間の好みや感情をはるかにこえる超越的な資格をもつようになる。

 

5.5.      <共知>という前提から実践理性へ

ではそういう<理性>は信仰心や神からの啓示とどういう関係にあるかといえば、ほかならぬ神が人間に<理性>を授けたのであるから、正しいものと誤ったものとを見分け判断するような論理的能力と平衡して、神から発せられるメッセージを受けとりそこにどんな意味があるのかを直観的に察知する能力、そして論理的能力と直観的能力の中間として、何が自然法であるのかを分別するような類推能力だと考えられるようになった。このように論理的理性よりも幅が広く数次元にまたがっている広義の<理性>は、論理能力にだけ限定されがちな理性ととくに区別して<正しい理性>とよばれていた。ミルトンが<理性>という言葉を使うときには、「正しい」という形容詞が落ちている場合が多いが、そのほとんどは<正しい理性>のことであって、ミルトンの頭のなかではこれが理性という言葉の第一義的意味であった。

<正しい理性>をミルトンはいいかえてコンシエンスConscienceといっている。この英語はもちろん当時でも良心という意味はあったが、良心といったときは自分が行うことの動機を精査してそれが正しいか間違っているかを判断し、正しければやるように勧め、誤っていれば行動を控えるように促す能力に限定されてしまう。動機の純不純がまず最初にあってそこから出発するが、ここでいうコンシエンスは自分の行動の動機だけに限定されるものではなく、自分の意識がむかう対象や出来事の正誤を判断する能力までも包含している。しかも誰にとってもその判断能力は一律に共有されていると想定されている。だから良心というよりは、人間に通約的にあてはまる正誤への判断知、<共知>とでもいうべきものである。[63]

人間は、そうした<理性>ないしは<共知>をよりどころにして、進んで正や善なることを原理的には選ばざるをえないが、この状態はミルトンにおいては旧約時代の律法主義からの人間解放、新約時代における理性による主体的人間の確立としてとらえられている。「神は人間が規定の必要な子供のままでいつまでもいるとはとらえず、人間に理性の賜物をさずけて人間自らを選択者とした。」(CPW:Areopagitica, II. 513-514)[64] 理性が神から授けられていることには神の目的があったという。その目的とは、ユダヤ人のように律法で規定されているからそれに従ってある行動をするという、法の下に生きる義務に盲目的に忠実であることから人間が解放することであり、正誤を人間が選び取る主体性を神が重視したからだというのだ。理性に従って生きることは、理性の授与者が神であるがゆえに、律法に従うことのように義務感をともなう。しかし律法では存在している条文通りに人間が意識的に精神や身体を盲従することを強いられるのにたいして、正誤、善悪が混濁しているなまの現実において、何が正しく選び取られるべきものであるのかを自分で選別する判断、誤や悪の甘い誘惑を退ける意志をあくまでも支持していく主体的な関わりがたえず要求されている。人間らしさを深層から規定しているのが理性であり、理性に支配され従うことが人間であることを保証するといっても、規定、従属は受動的忍従なのではなく、そのような理性を贈与した神への主体的応答でなくてはならないのだ。

 

 

5.6.      実践する理性的主体

 こうしたミルトンの人間論は、意外なことに、宗教改革者であるルターよりもルターと公開討論をし、カトリックを擁護した人文主義者エラスムスの立場にかなり近い。ミルトンは人文主義者たちのように古典古代への豊かな教養を身につけてはいるが、宗教改革者として、また宗教詩人としても、基本的に依拠しているのは聖書であって、その立場はあきらかに反カトリックである。ところが、プロテスタントのルターの理性観よりも、カトリックの代表として再三にわたりルターと議論を重ねた人文主義者エラスムスの人間観と本質的な部分で一致しているのだ。

 エラスムスは、人間は「一種の神聖のごとき魂[]と、あたかも物いわぬ獣とからできている」として、人間を霊−理性、肉体−情念という枠組みで考える。人間は霊と肉体とがあわさってできている合成的な存在であり、霊は天上的なことへ、永遠なるものへと向かっていくが、肉体のほうは地上的なもの、変化するものへと惹かれていってしまうので、人間は両者のベクトルにいつも引き裂かれている。この分裂相克状態は、神が人間を創造した当初にはなかったもので、原罪を犯した瞬間から生じた。原罪によって肉体は欲望などの悪徳へと傾き、神の本性に類似している霊と不和になる。堕罪以前までの霊と肉体の調和はくずれているから、人間は、霊が選択するような事柄を、肉体からの欲求に負けてしまい、自然に意志することが必ずしもできなくなってしまった。この内的不和の状態を抱えこんでいるがゆえに、人間はいつも内発的に「試練」にさらされていることになる。このような試練を、パウロがいう霊と肉との戦い、そしてそれを受けついだアウグスティヌスの内なる人間と外なる人間との拮抗として、エラスムスはそのまま横滑りさせて重ねあわせて捉える。[65]理性と情念という古典哲学の人間観は、このようにキリスト教宗教思想と融合し、哲学が宗教にしたがうのでなく、またその逆でもなく、一致するひとつのものとなっていく。

 ところがルターは、霊と肉とを区別する聖書の人間観とは次元のことなるものだと考える。聖書では霊と肉との区分は精神的なものと肉体的なものという枠組みをとらず、神にではなく人間の方向に魂が向かう状態にあるときが肉であり、逆に神への信仰に目覚めている状態が霊なのだという。霊と肉体との相克はたんに上に向かうか下に向かうかという綱の引き合いではない。人間は神の恩寵によって罪人から義人へとなっているのだが、その義認が貫徹するためには人間は「悔い改めにおいてゼロ・ポイントまで、彼の全人格の無価値の感情にまで降下しなればならない」。[66]罪人であることの徹底した自覚において、そのような人間でも神が恩寵によって救済の手をさしのべていることを確信するのである。それが信仰であり、その信仰をどこまでも持ち続けられかというのが、ルターにとっての試練である。したがって、試練はあくまでも霊的なものであり、エラスムスのように身体的試練ではないのだ。信仰による義認には、人間の理性にたいする価値評価は最初から除外視されている。信仰があれば不完全とはいえ善い人間以外ではありえず、善い人間であるから善い行いを必然的にやってしまうのであり、信仰によって満ち足りているから、他人に進んで奉仕することに駆り立てられるはずなのだ。

 エラスムスにせよミルトンにせよ、神がそそぐ恩寵によって人間は充分に義とされており、しかも神によって授けられている理性は、十二分になまの現実での経験において使われるべきものだし、また実際に生かしうるものなのだ。ルターのような徹底した罪意識による不徹底な義認のなかにあって自己を崩壊させるのではなく、自己肯定してよいのだ。恩寵を浴びつつ理性を武器にして、「戦うキリスト者」(これはエラスムスの著作のタイトルにもなっているし、ミルトンも自著のなかで使っている用語)として、神の国が終末に訪れるまで、内面的には情念と戦い勝ち進んでいかなくてはならない。これにたいしてルターは、そのような人間の側からの積極的働きかけのなかに、人間の傲慢さが無自覚的であったり、ときには意識的に、織りこまれていることに敏感に反応してしまうのだ。

ミルトンと人文主義者との共鳴は理性への抽象的信頼だけにとどまらない。人文主義者にとっては、善悪の判断と選択は理性において行われるとはいっても、それは個人の内面的なこと、いってみれば私的な領域にかかわる善悪だけにかぎってはいないからだ。理性は人間に授けられており<共知>であるからには、自分自身がほかの人々とともに所属している国家の事柄においても、理性行使はなされなくてはならない。人間が理性的に考えて得た結論を、実際に行動にうつすには、「意志を正しく導く認識」(実践的認識cognitio practica)という、理性は理性であっても実践理性が要求されている。[67]意志を指導する実践理性までもふくめた理性全体は、<正しい理性>といわれる。ルネッサンス人文主義では、理性と<正しい理性>とを区別して、<正しい理性>というとき、たんなる理性の正誤判断機能だけではなく、その判断にもとづいた行為をしうることまでふくめているのだ。[68]したがって、善悪から善を選び取り、善のなんたるかを知るのは理性の領域であり、知られ選ばれた善を実行に移すことまでも包含した人間能力が<正しい理性>である。<正しい理性>が個人の内面においては<共知>、外在化したものとしては自然法として説明してきたが、このような照準の当て方では行為知としての<正しい理性>の側面がすっぽりと抜け落ちてしまい、片手落ちになるのだ。

公的領域に理性をもちこみ、公に正しいと信じこまれていることでも理性を働かせて判断してみてそれが誤りであると確信したなら、それはあくまでも<迷信>であり、そういう共同誤認から解かれるように、国民に向かってメッセージを発することは義務なのだ。とくにミルトンの場合、<迷信>とはいってもそれはたんなる誤解、思いこみといったような内的な軽い誤認だけに留まっているのではなく、宗教・社会制度における因習・教義にまでおよんでいるのだ。因習的伝統のなかから自然に反する不合理な部分を洗い出し、祖先が作りだした慣習・法令を正しい姿へと是正し、<誤り>の痕跡を徹底的に除き去る努力を続けないかぎり、人間生活は神の眼にかないうるような水準にむかって上昇していくことはできなのだ。もしかりに内的個人レベルにだけ理性の使用範囲が留まっているなら、それはむしろ理性の矮小化、人間の本来の能力の切りつめ、神にたいする人間の側からの義務不履行であって、社会や政治から隔絶した「修道院の美徳」にすぎないことになってしまう。人文主義者が信条とする理性的転回は、物理的には不可視の内的革命なのだが、身体的な行動となって宗教改革・政治革命という目に見える形の実践的な身体運動にならなくては不徹底なのだ。

これは罪性に染まっている人間観をえぐりだすルターにはない視点である。自らの神学が起爆剤となっておこったドイツ農民戦争にルターがお墨付きを与えるどころか、むしろ逆にルター神学の曲解としてきわめて冷淡に農民たちの主張を突き放したことはあまりにも有名である。ルターは、政治、社会的な行動には消極的である。ルターの消極性は、カトリック教会に所属しながら、カトリックにたいして提題を公にかかげるという公的理性と勇気の保持者であるルター像と齟齬をきたしているかのように見えるが、そこでのルターの批判の矛先にみえていたのが、信仰のあり方そのものだったことを忘れてはならない。「我ここに立つ」といって頑として自らの立場を教会圧力にあっても譲らなかったのは、それが信仰にかかわることだったからだ。改革者ルターにとっては宗教教義、教会制度の改革、つまり内なる人としての信仰のみが最重要課題であったのだ。だから政治的には、信仰を妨げない暴君であるなら服従もやむえないという受動的抵抗論が、ルターの立場である。これは政治的にはきわめて融和、場合によっては妥協的な態度と行動に堕してしまう。これは人文主義者、とくわけ市民人文主義者とその思想的影響をうけているミルトンには到底許し難く、現実逃避のように映るのだ。

ただしルターの考えるように、物事の善し悪しが自然法などに照らしてわかるからといって、人間はいつも善い方だけを選んでそれに従って行動できるわけではない。[69]正しい判断をしながらも、欲望に負けてしまい誤りと自覚しつつもその誤ったことを選択し、あえて誤ったことを実際にやってしまうことがある。「正しい判断をもちながら、欲望に負けて行動する人はいない」はずだが、実際にはそういう人がいるというソクラテスのパラドクス状況だ。[70]<正しい理性>が充分に働かないパラドクス状況においては、事実上、理性が欲望に奉仕する奴隷に成り下がるから、人間的自由はないことになってしまうし、なおかつ選択を誤ることになるから、実質的に真なるものへと到達しない自己無力化へとつながる。偽・誤だと判断されたことに従う人間は、理性的であるかもしれないが、それを社会的にも宗教的にも実践しえないから、<正しい理性>を欠いているがゆえに、自由人とはいいえないのだ。たんなる理性ではなく<正しい理性>こそが、ルネッサンス期の知的市民たちが誇りをもって人間の自由と語るときの前提となっていたのだ。ミルトンにとって人間らしさとは、あらゆる情念から独立して、そしてどんな情念の力にも抗して、理性がそれらを見事に従属させるように主体的に関与し、あるべき人間として目的を達成していくことであったが、それだけでは人間として真の自由な活動をしているとはいえないのだ。だからこそミルトンは共同体がかかえている宗教・政治・家庭においてどこに<誤り>があり、どういう原理と典拠にもとづいて、どのような制度へと改革すべきなのかを積極的に指摘していく。つまり<正しき理性>は外なる人としては人間を自由人とし、内なる人としては美徳の体現者とするのである。

 

5.7.      曇った<正しい理性>の価値転換

<正しい理性>は、たとえばミルトンの同時代人パスカルが論理的能力に狭めて解釈しているのにくらべるとかなり大胆だが、イングランドの思想風土においてはむしろこの大胆さが当たり前であった。その大胆さのおかげで、パスカルが苦しんだような理性による選択と判断にたいする懐疑、理性が神的ではなく人間的能力としてそもそももたざるをえない限界にたいしては、かなり無防備で、理性の能力にたいしてほぼ無条件に肯定的されている。[71]

 もちろん17世紀のミルトンは、19世紀初頭の百科全書はではないから、手放しで理性を礼讃し、理性を行使すればなにもかもうまくいくという甘い幻想を抱いていたのでない。理性は曇っているという自覚があったのだ。なぜ曇っているのかといえば、アダムが神との契約を破って原罪を犯し、原罪は以後すべての人間を縛っているからである。洗礼によってその罪は浄化されてはいるが、堕落以前と以後との人間性そのものの変質までも消すことはできない。理性は完全ではないのだ。不完全な理性、つまり堕落以前の理性が曇りをかかえてこんでいるからといって、人間が自らの能力を使って行う努力、行為、行動の有効性が奪われてしまうわけではない。人間から奪われるのは、神の恩寵なしにはなにもなしえないという自己完結性だけなのだ。人間は神の似姿に創造され理性を授与されているから、人間には尊厳があるにはあるのだが、堕落以後の人間はいやおうなしに罪を背負うという不名誉によって、堕落以前の尊厳は留保つきになり、曇った理性をバネして自己栄光化をすることはできないという制約が人間には科せられている。自己完結だと誤認し自己充足を前面に押しだして傲慢になることはしてはならないのだ。とはいえ、ルネサンス人文主義においては、人間が理性能力を十分に発揮し、善なるものを選び取り、なまの現実において正当な行動的生をおくるということまでに関しては、曇った理性でも充分で、人間はおおいに自信をもってよいのだ、と考えられている。神学的にいえば、人間性においてむしろ注目すべきことは、原罪を犯したゆえの悲惨さではなく、贖罪によって聖化されたことなのだ。[72]神が恩寵によって人間を聖化していることを信じるだけではなく、人間は聖なる神との交わりにはいるために自らが聖徒となるように倫理的に不断の努力を重ねなくてはならない。この交わりを人文主義者たちは、共働(コンクルスス)(concursus)と考えた。[73]神の恩寵がまず最初にあって人間の側に働きかけ、人間の側が理性による選択(選択実行の意志)を行うのだが、その選択行為は人間から神への協力としてではなく、その働きかけに全存在的に同意(コンクルスス)する形で答えるのだ。

 

5.8.      コントラクトとコヴェナントという二契約

15世紀のサルターティから16世紀のエラスムスをへて、17世紀のミルトンにいたるまで、共働ということでは人文主義者たちは一致していた。ところがピューリタンであるミルトンにおいて特徴的なのは、このような共働が成り立ちうるベースとして、契約を想定したことである。英国国教会が事実上支配していた17世紀のイングランドにおいて、ピューリタンの敵は教会統治にかんしてはこの英国国教会であったが、ことキリスト教教義にかんしての敵はといえば外部ではなく内部の分派にあった。ピューリタン運動から出てきたアルミニウス主義と反律法主義(アンチノミアニスム)であった。

前者は、アムステルダムのカルヴァン派の牧師アルミニウスが主張した預定説修正論と恩寵不全論であった。カルヴァンによれば神による人間の預定には、救いに定められた人間だけではなく滅びるべく定められた人間の預定もあった。これにたいしてアルミニウスは預定には滅びの預定はふくまれておらず、キリストの贖罪は選ばれた者だけのためでなく万人のためにあったとした。また同時に、人間はその自由意志を用いて神の恩寵を自発的に拒否することもできるから、信仰の保持は聖霊による恩寵だけによるのではないと主張した。[74]修正論と不全論に通底しているのは、人間の意志の自由は神の前にあってすらも無力ではないという、人間の側の自主自由性である。この自主自由性をささえているのは、神に自ら進んで自発的に対向する責任性において人間の態度をとらえなおすことであり、人間側の自主性がカルヴァンの預定説にくらべて格段に評価されている。

もう一方の律法不要論者たちは、もはや旧約の律法時代は終焉をむかえ、聖愛の福音時代となっているのだから、キリスト教徒は律法に従う必要はなく、神の恩寵により聖霊が人間の魂のなかで働くその内的導きに従っていけば、自動的に正しい生活が送れると主張した。この主張は、「信仰のみ」を人間の内的構えの基本にしたルターと通じるところがあることからもわかるように、提唱者はルターの書記官をつとめたことのあるヨハン・アグリコラであった(もっともルターは律法不要論に露骨に不快感を示し、一時期、両者は不和になる)。個人の内的導きを絶対視すれば、集団が共有する教義不要、個人が集まる教会制度の否定に容易につながるばかりか、この重視は市民法や社会制度といった共同体のシステムの無視にまで至りかねないし、実際に、ドイツ農民戦争という形をとってその無視が現実化しつつあった。アグリコラ自身、自説の行き過ぎを認め修正を行ったが、一世紀後のイングランドのピューリタン革命期には、この主義を信奉する数々のセクトが誕生した。たとえば、クロムウェルが率いていた、革命軍のなかでも抜群に規律のすぐれていたニューモデル軍には、この主義の支持者が多かった。ミルトンの離婚論もこの主義の系譜をひいた論考とみなされ、ピューリタン右派(監督制度支持者)から痛罵を浴びせられた。[75]

アルミニウス主義は、自己の自由な意志によって立つという人間の主体性の力に過渡の信頼をおくことになり、原罪という負い目をかかえている人間の負の面を忘れがちになる。律法不要論は、心のなかで起こっていることを、客観的な証拠によらず恣意的に内的導きだと自ら認定するから、ただの思いこみを聖霊の働きかけ(恩寵)と誤解する危険をはらんでいた。だいいち、内的導きの自己解釈は、宗教的人間の叡智の結晶ともいうべき信条(信仰告白・信仰問答)を参照するわけではないから、理解の範囲は主観的な枠を越えられない。こうした一方の側の自由意志の重視と他方の側の恩寵の絶対化という両端にあって、ピューリタン説教家たちは契約という概念を、ラインランドの改革派神学(ツウィングリ、エコランパディウス、ブツァー)から吸収し、生かしていった。[76]

ピューリタンたちは、神からの恩寵によって、人間は神と契約する主体へと覚醒させられたととらえた。ここでいう契約(コヴェナント)は、アダム、ノア、そしてモーセによって結ばれてきた神と人間との間の契約であり、キリストによって更新させられた契約である。だから、商人がものの売買の際にかわす契約書にみられるような、対等な関係で結ばれる契約者双方を束縛する契約(コントラクト)ではない。商業契約の場合には双方が対等の関係であるが、契約(コヴェナント)では人間は神の被造物であり、なおかつ神にたいして原罪を犯しているがゆえに、神と対等の関係ではありえない。もしかりに人間が神と契約(コントラクト)を結べるとしたら、契約(コントラクト)に書かれている内容を履行する責任主体であることが契約(コントラクト)を結ぶにあたっての必要条件となり、責任主体となりえない人間(子供、障害者)は神との契約(コントラクト)関係から除外されることになる。契約(コヴェナント)契約(コントラクト)なのだと考えて、幼児にたいする洗礼の有効性はないとして、再度、教義内容を理解したうえで個人が主体的に洗礼を受けることを主張した再洗礼派(アナバプテスト)たちがいた。彼らにとっては、キリストによって従来の契約は終わり、まったく新しい契約が始まり、その契約にはいるには、それまでのようなイスラエルの民に向かって神が契約をつきつけるといったような民族単位の、それも客観的で自動的に加入するといったものではもはやなかった。主体的決断をともなう全人格的責任な事柄として契約は契約(コントラクト)であった。

ところが再洗礼派に先だつラインラント改革派は、再洗礼派のように旧約における古い契約と新約における新しい契約とをまったく別種のものとして区別しない。新約において古い契約は成就しているのであって、旧約の契約にもとづいて行われることは新約に先行する型だと考えた。[77]旧約の(タイプ)は新約の対型(アンチ・タイプ)となっているから、新約は旧約を排除せず、根本的に同一であり、結合しているものなのだ。したがって旧約における契約の母胎であったイスラエル民は、新約においては新たな民、つまり国民であり、イスラエルは教会が対型(アンチ・タイプ)となって成就していると解釈した。だから国民であるなら幼児であろうと障害者であろうと誰でもこの新しい契約に参加できるのであって、契約は神が国民の意志とは無関係にあらかじめ結び決めている約束(テスタメント)なのだ。

改革派神学はスコットランドにおいて国民教会という形で現実化し、イングランドでもミルトンが離婚論を発表した約二週間後の43817日に、ピューリタン議員からなる議会はスコットランドにならい国民教会に教会制度をあらためる草案(「厳粛な同盟と契約」Solemn League and Covenant)を発表し、9月に批准している。この背景には、英国国教会をバックにした国王チャールズの軍隊に議会側が対抗するために、スコットランドからの軍隊の派遣援軍を求め、派遣の見返りとして、議会はすでに教会制度改革を推進し司教制度を撤廃していた改革の波をさらに進めるというものであった。しかし国民教会へむけての改革という路線は、同じピューリタンでも長老派とよばれる右派の思想であって、ミルトンはもちろん中道派や左派からの強硬な反対にあう。

 その歴史的経緯はさておき、ここで重要なのは、改革派型と再洗礼派型というそれぞれの理念型を対比してみると、ミルトンの思想ともっともよく共鳴する中道派ピューリタン(「独立派」あるいは「組合教会派」とよばれるセクト)の位置が、この中間型としてあることだ。再洗礼派型では神と契約する主体として人間は、あくまでも個人として選択し決断することを迫られるが、改革派型では国民として否応なしに自動的に加入している。これにたいして中道派ピューリタン(ロバート・ブラウンがその嚆矢)は、一方において再洗礼派のように旧約下と新約下におけるそれぞれの契約を明確に区別する。その区別は、旧約がいまだ儀文尊重で、外面的、肉的であるのにたいして、新約は内面重視で、霊性を重んじ、しかも旧約が民族的であるのにたいして新約では個人にかかわる私性という二項対立として理解される。信者であることの資格として実存的主体性をおおいに強調し認めるという面では再洗礼派と合致しているのだが、各個人の内面的霊性抜きに信仰を考えないという側面では律法不要論者の路線を踏襲している。[78]

しかし律法不要論者と一線を画しているのは、霊的に導かれることをよしとした人たちが集合してできあがる教会ではなく、神との契約を外的にあらわす説教(神の言葉を解釈すること)と聖典礼がおこなわれることが教会であるための条件であった。律法不要論者のように人間が恣意的に決めた条件によって教会が成立するのではない。聖書にもとづいた客観的な契約内容が執行され、なおかつその内容に信者が同意するという条件を抜きにしては、教会は成り立たないのだ。

しかも律法不要論者のようにピューリタンは内面性を大切にするとはいっても、この内面化は不要論者のような神秘的傾向へと向かうわけでもなく、霊的高揚に舞い上がるわけでもない。ピューリタンはいわば、どんな神秘的体験をしようと、それが現実の自己の生き方や生活のなかに反映しないかぎり、体験した当人の人格的な成長とは関係がないと割り切って考えているといってよい。なぜなら内面化とはあくまで、自己の生を改革していく倫理へと結実化しなくてはならないからだ。ただ説教を聴き、聖餐にあずかるだけでは不十分であり、聴いて信者であろうとするなら、自らの生き方が神の言葉にふさわしいようなものになっているのかどうか批判的に自己点検しならない。[79]このような倫理化は<生の改革>とよばれるが、この倫理姿勢があるからこそ、私たちがピューリタンという言葉から思い浮かべる厳格でまじめすぎる人間像となっていく。そしてこのようなピューリタン像は実はピューリタン中道派についていえることであって、たとえば長老派(正統的カルヴィニズム、ピューリタン右派)にはあまりあてはまらない。長老派からすれば、

 説教を聴き、自己精査し、神の言葉を生のなかへと倫理化していくということは、神の言葉がさし示している契約内容に個人が主体的に応答し決断することであり、ラインランド改革派神学の契約概念にみられたような客観主義とはあいいれない。倫理化はむしろ人間の側の僭越として考えられてしまう。というのも、倫理化が教会構成員の必要条件だとすると、そのような倫理化を欠いた信者がいるところでは教会は成り立たなくなってしまい、説教と聖典礼が執行され、神の恩寵の言葉があるところには、人間と神との間に契約が成り立ち、教会として機能しうるという原則が崩れてしまうからだ。倫理化はまた同時に再洗礼派のような契約(コントラクト)をむすぶ主体としての位置づけになるが、再洗礼派のように、教会から分離して小集団を形成し、いわばたこつぼに入ったひきこもりとなってしまいことを許さない。教会や社会制度への変革といった方向に自分たちの関心をむけるように強い、行動的生と結びついていくという意味では、倫理化は再洗礼派よりも徹底した契約(コントラクト)主体を要求しているといってもよい。ただし、倫理化を背後から支えているのは説教と聖典礼という神がだれとでも結びうる契約(コントラクト)であるから、この点でピューリタンは再洗礼派とは区別されうるのだ。

 

 

もしも男子たるものとして理性が内面を支配するようにし、<理解力>が外なる<慣習>と内なる盲従の安楽性向という二重の僭制に身をゆだねることを徹頭徹尾するとするなら、一民族国家が僭王をかつぎだし支持するということがどんなことなのか、ずっとよくわかるようになるでしょう。[80]

このように内面のことが、政治という外面に転化している。このような個人の内面にかかわる状態を集団が所属する制度に類比させ、文字通りそのまま両者を重ね合わせるというのは、ミルトンによる文学的創造力の所産ではなく、プラトン以来の哲学トポスとしてすでに確立していたものであった。[81]の独創ではないし類推関係をそのまま

 

●さきほど触れたように、『離婚の教義と規律』は批判を受けて約半年後に改訂版がでているが、ここでもっとも大きくミルトンが手を入れたのは、福音の時代に生きる人間は旧約の律法との関連においてどのように取り扱われるべきなのかということであった。「人間の本性は、[新約の時代にも]また[旧約の時代と同じく]弱くそれでいて頑なであり、その弱さや頑なさは、今までと同様に厳しく扱われるのは不適当で、手におえるものでもありません」。福音下の人間も、律法下の人間も、本質的にはかわらず、厳しく扱われえないほど情欲や悪徳に傾きがちなのだ。しかし長老派の説教家たちは、福音下の人間は律法下の人間よりも、妻にたいして慈愛と忍耐とを律法下において以上に示す必然性があり、妻の方も夫の慈愛と忍耐に答えるべく、従順と謙虚を示すべきだと考えるのだ。福音下の人間の方が、律法下の人間にくらべて、神が人間に要求している精神的質が高度なのだから、夫と妻との関係においても、たんに妻が姦淫をしたといったような肉体的過失を盾に即離婚を言い渡すといったような児戯にも等しい短絡的行為をすべきではないのだ。ところがミルトンは精神的質が高度であるという共通の地平に立ちながらも、「福音は [旧約とは異なる]新しい道徳を命じていない」[『教義と規律』CPW, II. 303]のだから、律法に規定されている以上の道徳的義務を福音下の人間は負っていないので、たとえば慈愛と忍耐を今まで以上にもつ必要はないと考えている。改訂版ではこの部分が削除されて、「福音は律法よりも人間のもっと弱いことにたいして忍耐強く対処する」[『教義と規律』CPW, II. 304]といいかえられている。ここでのミルトンは、一人の個人として研かれた道徳性をもつことに焦点をあてるよりも、理性的な選択をしてもそれが時に誤ってしまう弱さに注目して、「性格の不一致」から「心のさびしさ」が解消されないなら離婚可能という規律を導きだしてしまう。こう言い出す直前に、「福音とは恩寵を啓示する契約(コヴェナント)[『教義と規律』CPW, II. 303]といっているが、契約(コヴェナント)であるというには、「性格の不一致」が夫婦相互で確認され、夫婦ともども「心のさびしさ」う長老派にむしろふさわしい議論

 

ここの議論はあきらかに長老派的なのだ。長老派的であるがゆえに、ここは削除され、書き換える必要があったのだ。

人間が感情に左右されてしまう弱さ、

が置かれるのではなく、よって道徳的義務を確立するのを努力するならば、満たされる」

 

 理性に照らして自分自身は述べているという確信にもとづいて、自分が語るのではなく理性が私の口を借りて語るのであるから、これから述べる主張は真理と正義にかなっているはずのことだという。

 

 

 

 

 

 

前章では、<正しい理性>をめぐっての思考回路が、<迷信>を敵として包囲し陥落させ、そういう思考方法をとる個人は、神に向かって応答する責任ある主体として神と契約を結ぶことを述べた。

ではこのような契約へと展開していく思考回路は、具体的に離婚をめぐってどのような議論として開花するのだろうか。

 

5.9.      契約(コヴェナント)としての結婚

「結婚は契約であって、まさしくその実体は、無理強い居住にでも、義務を上っ面だけ行うことにでもなく、偽りのない愛と平安に根ざしている」。

迷信的行為への憤激

唖然とするだけでなく、そうした欺瞞のおかげで、論理ゲームとしての論壇空間にではなく実際の日常の家庭生活において、ミスマッチの結婚に拘束され離婚できないままでいる個人が、精神的にどれだけ大きな不幸をこうむっていてもそれに目をつぶらせ、そうした個人を肉体的に不必要な誘惑にさらすことに積極的に加担してしまっている事実に、憤激している。その憤激は、だれそれが離婚できずに辛酸をなめているという個別ケースの不幸を目の当たりにしていること(おそらくミルトン自身の生活)だけに起因しているのではなく、聖書が教える新約の人間原理に根本的に反しているからである。琴667訳166

 

 

5.10.   契約

だからこそ、「吟味にたえなかった定義とは別な[自分独自の]定義」(『琴』612)をするといい、実際に定義してみせる。結婚は肉的な「交わり」だけから離陸し、離婚は精神的な「交わり」がなければ可能という大胆な定義である。

同意 訳 琴64

結婚とは、家庭生活の助けや慰めとなるように、ぴったりと意気のあった愛によって、男と女を結びつける神聖な制度である(『琴』612)

 

 

「結婚は契約であって、まさしくその実体は、無理強い居住にでも、義務を上っ面だけ行うことにでもなく、偽りのない愛と平安に根ざしている。」

 

ミルトンには、聖書には一貫した論理が走っているという信念がどこかにあり、神による人間の救済全体を説明するために契約という鍵概念を使って説明する。アダムの堕落によって罪を背負っている人間を救うために、父である神は御子キリストとの間に契約を結んだ。十字架につけられることで、人間に課せられた死を引き受け、復活することで死へ勝利を収め、永遠のいのちを手に入れるための条件である神への服従を貫徹する。

 

カルヴァン神学のもとに形成されていったピューリタン主義、とくに長老派の国民教会主義を否定し個々人の契約によって個別教会を設立すると考える独立派の理論的に行き着く先であった。なぜなら、カトリックのように地縁的な普遍的教会という形をとるにせよ、国民単位で教会と契約を結び国民教会という形をとるにせよ、そこには個人はほかの個人と同質で教会のメンバーは一律に教会による救いの可能が保障されていたが、滅びの預定、救いの預定をあらかじめ定められている個人という見方をするなら、私とあなたとは本質的に違う個人となり、教会による救いの保障もあやふやなものになる。とくにピューリタン独立派や左派の人々の日常生活は神によって自分は救われているのかいないのかという私的確認の場となる。

 

 

 

 

 A 父の義務:贖いのわざを全うした御子を万物の支配者とし、御子の体なる教会の頭とすること。この体なる教会に選びの民を与え、*聖霊によって彼らがキリストを信じキリストに結び付いて救いの完成にあずかる者となるようにすること。

 以上の贖いの契約は、次の(3)恵みの契約と一括して論じる者もある。

 

 

 (1) 行いの契約(*わざの契約)。神は最初の人*アダムを代表者として人類と「行いの契約」を結ばれた。エデンの園におけるアダムは、安定した*永遠のいのちを持っていたのではなく、善行(神への服従)によって*永遠のいのちを獲得すべき者とされていたのである。神と人とを当事者とする行いの契約の要項は次の通りである。

 @ 神の義務(約束):アダムが神への服従を全うした場合、永遠のいのちを彼に与えること。

 A 人の義務:神への服従を全うすること。

 B 契約のしるし:善悪の知識の木の実。これを食べることは、契約への不服従を端的に表すものであった。

 C 契約違反への罰則:死(霊的にも身体的にも)。

 本来、創造者なる神は、人へのいかなる義務も負っておられないが、へりくだって人との契約関係に入られ、このような義務を負われたのである。

 以上の「行いの契約」は、創世記の当該箇所から釈義的に引き出されるものではない。アダムが果すことのできなかった契約を果して下さった「第2のアダム」であるキリスト(ローマ51219、Tコリント152245)のみわざから、最初のアダムが置かれた契約状態が推定されるのである。

 

 

 (3) 恵みの契約。神は、父と御子との間に立てられた贖いの契約を土台として、選びの民を救うために恵みの契約を結ばれる。恵みの契約の要項は次の通りである。

 @ 神の義務(約束):いのちと救いを選びの民に与えること。

 A 人の義務:*信仰によって恵みの契約(救い)の約束を受けること。新しいいのち(ヨハネ3:3)を受けて、恵みによって神に服従する生活をすること。ただし、この義務は、贖いの契約に基づいて、キリストが人に賜る恵みによって達成される。信仰は*賜物であり、服従も賜物なのである。また、永遠のいのちと救いは、キリストが贖いの契約の実行においてもたらされた新しい契約であって、信仰と服従(行い)が功績と見なされて与えられるわけではない(ローマ1:17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。)。従って、恵みの契約において人が神に対する義務は存在するが、契約(救い)は徹頭徹尾恩恵的であって、功績的ではない(エペソ2:5 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、・・あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。・・2コリント6:2)。

 B 契約の仲保者:イエス・キリスト。

 以上の恵みの契約は、罪人を救う唯一の契約であって、この契約の外に救いはない。罪人を救い得る名はイエス・キリストを別にしては誰にも与えられていないからである。旧約時代の人々も新約時代の人々も同一の恵みの契約により、イエス・キリストの贖いのみわざに基づき救われる(立場に差がある)のである。イエス・キリストは、旧約時代末期に受肉されて十字架にかかり、旧約時代の選びの民の罪をすべて十字架で贖い(いわば、後払いの贖い)、新約時代の選びの民の罪をも十字架で贖われた(いわば、先払いの贖い)のである。旧約時代、恵みの契約は、*約束、*預言、*いけにえ、*割礼、*過越の小羊等の仕方(1コリント2:7私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。)

で差し出された。それらは、やがて来るべきイエス・キリストを指し示すものであって、これらに信仰をもって応答する者を起し、彼らをイエス・キリストに結び付けて、救いの恵みを与えるものだったのである(ヘブル9:20-26 もしそうでなかったら、世の初めから幾度も苦難を受けなければならなかったでしょう。しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。)。

 従って、アブラハムへの契約も、シナイでの契約も、同じ主イエスに結び付けるという点では異なるところはないし、一つの恵みの契約の異なる執行の仕方なのである。

 以上述べた契約神学は、聖書全体を一貫する二つの契約(わざの契約を下敷きにしての恵みの契約)を考える点で、神が救いの条件を人の無能力に合せて次々と変えたとする契約期分割主義(*ディスペンセーショナリズム)の見方とは対極をなす見方であると言えよう。契約神学は、神と人との最初の契約である行いの契約が廃棄されず、かえって恵みの契約の仲保者であるキリストによって成就されたことを指摘する点で、神の救いのみわざの全体を論理的に一貫したものとして見通す視点を備えている。また、恵みの契約が、旧約時代と新約時代とを一貫する契約であることを指摘する点で、聖書全体を通じての神の救いのみわざ全体を歴史的にも一貫したものとして見通す視点を備えている。また、イエス・キリストのほかに救いのないことを明示する点でもすぐれた見方である。

 ただし、契約神学は、聖書全体が多くの著者による多くの書巻より成りつつ、究極的にはひとりの神のではない。思弁に陥らないように、釈義的努力と並行して自制しつつ考慮する必要があろう。<例えば、マタイ6:9-13主の祈りについてどのように扱うべきか?(マタイ5:1この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。)このように主イエスはイスラエルの群衆に語られた。よってクリスチャンの祈りではない。しかし教えを否定するものではない

 

結婚は両性の合意による「契約」であって、

●ディスペンセーションによる時代区分は、聖書の適用をする際にその必要性が強調される。例えば、今の時代のわれわれに対しては、恵みの時代に生きる者に対して書かれた部分だけ直接適用されるべきであり(第一義的適用)、他の時代の人々にあてて書かれた部分は、霊的教訓や原則を学ぶことはできても、それを直接適用することはできない(第二義的適用)。時代区分を無視した解釈の例としては、旧約聖書の教えがそのままわれわれに当てはまるとしたり、キリストが、地上の生涯の間に教えられたことが、すべて恵みの時代に当てはまる教えであるとすることなどが挙げられる。実際には、キリストの生涯の期間はまだ「律法の時代」であり(ガラテヤ44、マタイ5232423232618、マルコ227)、従って、キリストが行われたこと、教えられたことのすべてが恵みの時代のわれわれに当てはまるわけではない。例えば、マタイ6:9-13主の祈りについてどのように扱うべきか?(マタイ5:1この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。)このように主イエスはイスラエルの群衆に語られた。よってクリスチャンの祈りではない。しかし教えを否定するものではない。またキリストが御国の約束を実現するためにイスラエルに来られ(マタイ10571524)、「悔い改めて、契約の民として御国にふさわしい生き方をせよ」と告げられた内容は「御国の福音」であり、イスラエルがキリストを拒絶した後、全世界に宣べ伝えるように指示された罪の赦しの「恵みの福音」とは区別される。

 

キリスト信者として神との間に取り交わされている「契約」を守るということである。はどういうことなのか。それは、聖書に記述されているような正しい信仰を深めていくといったような、月並みであまりよくわからないつきあい方ではない。ることになり、またの目的には

 

 

 

 

 

 

 

6.     現実優位と聖書優位との狭間で

6.1.      プラグマティズムとニヒリズム

ミルトンの教義と規律にかんする主張は大きく分けて、人間論と宗教法論との二方向になっている。まずそもそもなぜ離婚を許すような律法[633]が旧約聖書に書かれているのか。それは、人間は配偶者を選ぶ際にときにはいつも正しい選択をするわけではなく、なんらかの事情から誤った選択をすることもあるからである[598; 600;742]。また神はそもそも人間のそのような過ちにたいしては寛大である[629; 634-635]。人間が誤った選択をしてしまうことがあるのは、アダムの堕罪以後、人間は自ら悪をともすれば選んでしまう傾向がある。この傾向は、神による第二自然法の制定によって裁可されている[661-662]。むしろ忌むべきは、形式的に法は守りながらも、内実では法を破っている連中である。そのような律法遵守の態度を神はむしろ嫌っている[630]

 では結婚にまつわる宗教法にはどのようなものがあるのだろうか。これは結婚法と離婚法の二種類がある。結婚法は、「創世記」に記されているように、夫婦双方の心が「一致する」[594; 600; 605]ことによって、それぞれの「寂しさ」や「理性的燃え」(フロイトがエロス的結合とよぶようなもの)[597-598]が癒されるためのものである[650]。心が一致するのが結婚だということになると、その前提には、結婚している当事者同士はそもそもは自然に結びついてはいないということになる[601-602; 649]。それは契約による宗教的な結び[682]、自然にたいする文明的な結び[601; 728]なのである。したがって夫婦間の関係は、あくまでも「平衡」[629; 651]が不可欠ということになる。もしも心の一致がえられず、一緒に生活していても寂しさも燃えも癒されないのなら、結婚していることの意味がないので、離婚はすることが可能ということになる[650: 673-674; 677]。内容が空洞化しているにもかかわらず結婚をしていることは、もはや契約主体であることをやめているにもかかわらず、その契約に形式上縛られているにすぎないことになるから、そういう結婚は信仰を揺るがすことになり、離婚が可能だということになる[686-690]。「創世記」のアダムとエバとの結婚のあり方を結婚法とすると、離婚にかんしては「申命記」に律法として記述されている。「■■」。ここでいう「汚れ」とは肉体上ばかりか、霊の汚れもさし、心の一致がない場合には霊が汚れると考えて、離婚が可能だとされている[620]。ニューマトロジーとサイコロジーとが混交しているのがミルトンのこの時期の特徴である。

 次に、法がそもそも制定されている理念は、人間の幸福[623; 638]のためであり、物事を適切に整序化[625]するためであり、人間の自由と尊厳を守る[625]ためである。そして法は不当なことをすることを認めない[655]。法の理念をキリストの法も受け継いでいる。姦淫以外の理由でも離婚は可能だとイエスは述べており、そのようなイエスの法の原理は慈愛[637; 666; 587]である。ただしだからといって離婚を乱用してはならない。

 

それを知ったからといって、どうなるのか。自分が今日の生活で依存している現状からすれば、そのままの結婚を継続せざるをえない。

「もっと忍耐をもって妻に臨め」という態度の方が、よほど神の愛にあふれている。

また契約をコントラクトとみなすなら、契約の際のクーリングオフを謳うよりも、契約の際によく調べなかった自分自身の怠慢こそが責められるべきである。

 

そしてあたかもそれらの声を自らの生活でなめつくしているように、ミルトンはメアリ・パウエルとは離婚しなかった。産褥で死んだパウエルの後に、ミルトンは、XXX、エリザベスと二人の妻をめとるが、それらの三人の妻との誰一人として、離婚することはなかった。

 ソネット23番にでてくる夢に現れる妻はパウエルだとする研究者たちの立場は、この師が制作された年代がパウエルの死後直後だと推測しているが、そのように推定する根拠は、パウエルが精神的交わりを夫ミルトンにもたらしえないような女性であったとすると、離婚論で展開した妻失格の要件を満たし、結婚不成立の要諦にかない、離婚可能な条件にかなうようになるので、ミルトンはパウエルと離婚したはずなのに、パウエルとは離婚しなかった。離婚しなかったという事実から類推して、この女性はミルトンにとっての「ふさわしい助け」であり、精神的な交わりをも可能にするような妻であったので、ソネットで言及されている妻なのだという。

しかしこれはもしもミルトンが自ら書き公言したことを忠実に実践する知行合一、言行一致の人間でまちがいなくあるとすればである。ところが意外にも、ミルトンは自分で書き公言していても、必ずしも記述したとおりに行動しているとは限らないのだ。

現実に今はこう行動せざるをえないという現実優位、現状制約の肯定がある。

 

 

 

6.2.      整序化への意志、混沌への忌避:自発的失明と遅滞帰国

武ではなく文という手段に訴えてきたミルトンが、離婚論を境にして守勢に立たされ、自己主張の正当性を弁護するために政治論文を書くようになったと述べた。その弁護のなかでもきわめつきは、完全失明と外国からの帰国である。

 

いうまでもないことだが、「失明」は神が個人にたいしてその個人が犯した罪ゆえに下される神罰と一般に考えられていた。ところが、ミルトンは失明は政治論文をあえて書いたために起こったことであって、自分個人の失明は国家大義完遂との交換として起こったのだという。[82]失明というスティグマを大義のための犠牲として捉えなおし、自らの自発的意志において引き起こした身体障害なのだという。

 

 

 

ミルトンは当時からヴィクトリア朝にいたるまでイングランドの有産階級の子供たちの伝統となっていた大陸旅行に1638年4月頃にでかける。主にイタリア諸都市をめぐり、そこでイタリアの学識ある人々と親交を深めていた。しかしその年が終わらないうちに、「内乱が起こっている憂鬱な知らせをイングランドから」聞く。そこで「我が同胞の市民たちが祖国において自分のために武器を取っているのに、私が外国を旅行しているのは、いやしいことだと思った」。ギリシアまで足を伸ばす予定であったのを取りやめ、急遽、イングランドに引っ返すことを決意した。こうミルトンは当時の自分の行動を説明している。ミルトンのいっていることが正しいとするなら、遅くとも年内にイタリアを立ち去ってもよいはずだが、実際には外国の滞在はそれからも続く。年末にはナポリ、翌年1月から2月にはローマに、3月にフィレンツェ、4月にはヴェネツィア、6月にスイスのジュネーブに着き、7月にフランス経由でイングランドに戻る。[83]帰路は往路と異なった行程をわざわざとり、しかもジュネーブからであるとしても一ヶ月で本国に戻れる距離にいるにもかかわらず、ミルトンは悠々と「外国の旅行」という「いやしいこと」をやっているのだ。往路ではフランスでの二ヶ月もの滞在をはさんでイタリア到着まで二ヶ月ほどしかかっていないのに、戻る段になるとなんとたっぷり九ヶ月もかかっている。ミルトンは内乱のことを気遣い、内乱があるべき方向に進むように自ら参加することをよしと考えるだけの熱意と誠意があったのだと臭わせておきながら、実際の行動という段になると、熱意に見合うようなことをやっていないのだ。

ミルトンはここでかつての自分の行動を表象しているのだが、この表象はミルトンの人格を誹謗するヨーロッパの二人の学者にたいして向けられているものである。回想し自己表象するときに、表象が実際に行われている論争空間という場の雰囲気に都合のよいように、ミルトンは歪めて再現前化をはたしていると考えてもよい。雰囲気に流されて自分に都合よく描くご都合主義だとか、筆が滑ったのだといったような偶然が作用したのだと軽々しくは扱ってはならない。ミルトンの思想の軌跡を、社会学者の眼差しに近い実証的方法で、最初にもっとも本格的に扱ったのはアーサー・バーカーだが、このようなゆがんだ自己表象について、「この記述によって表象されているのは、噴飯ものの偽りの表象ではなく、縮めて書こうとする傾向、つまり整った型がおそらくなかったにもかかわらず整った型を見つけようというミルトンの傾向なのだ」と述べている。[84]

そういえば、最新の認知心理学では、記憶というのは、脳内のどこかに完全な痕跡として残っているなにかであって、何かのきっかけや手がかりがあれば、キャビネットにしまわれた情報のように引き出し、正確に再現できるという痕跡説はすたれつつある。記憶とは、体験されたある内容がひとつの塊としてあって、それが体験したときの状況や、その体験をする前と後との自分の経歴にもたれかかるようにして脳内にあるような情報ではない。むしろもそうした状況や経歴にもたれかからざるをえないようにしか体験はありえないというありようそのものが、記憶のあり方を規定しており、記憶とはそういう布置において主体がその都度の状況に応じて、能動的に再構成するものとなる。今と過去とがもたれかかりからつながれ記憶が浮かび上がらせられるものだというなら、「整った型」へというミルトンの無意識の志向が、実際の記録とはたとえあわないことを能動的に再構成したとしても、それは本人にとっては正しい記憶ということになる。

しかし整った型にあてはめ単純化して自己表象化することが、自分が今現在身をおいている言語空間のなかで有利に作用するとすれば、この空間において敵対している相手を騙し、また本を読むことによってこの空間に参加する読者を騙す、「偽りの表象」、詐称でなくてなんであろうか。論敵の主張が誹謗であり自らの潔癖さを証明したいという思惑と、自らが組みする政権こそが神に裁可されうるはずでそのスポークスマンである自分は公器であるという公共性との双方におもねって、自分が本来知っているはずの事実を、たとえ安易な気持ちからでないにせよ歪曲する作業ではないか。モデル(実際の行動)に忠実であるように描出しようとする描き手としての誠実さが問われてもしかたがない、そういう問題がここにははらまれているのだ。

★グリーンブラットがピューリタンが聖書にもとづいて演技し、そこに誠実さをみていた。

 

内的声に従うということは共同体の道徳に楔を打ち込むことだから、そこには強靱な意志と高い知的能力が必要とされるとすでに述べた。しかしミルトンの執筆術という本人はそれほど自覚的に意識されていない表象方法をたどってみると、それは内的な声の忠実な描写では必ずしもありえないことがわかる。

寛容:「たえず真理を求めている<共知>が、天からの啓示を祈り、祈ることによって獲得できたと思っているものをあからさまに公表させないなどと考えさせてはなりません。また公表する義務に私が縛られていると私自身が考えていることを妨げさせてもなりません。(CPW: 2, 226)

これを額面通りに、読者である私たちは信じこまされてはならないのだ。

どういうことか。思考回路はかくかくしかじかになっているのだから、時代は慈愛の支配下にあるのだから、人間は第二自然法の世界に生きているのだから、

 

6.3.      欠落した眼差しの産む定型物語志向

「第7として、教会法と神学者が同意しておりますのは、もしも両性のいずれかが他者の生命に負担となる事が解るなら、夫妻は離婚によって別けられる事です。というのも、結婚生活上の罪は、ベットで犯す罪より大きいからです。前者は相手の身を破滅させ、後者は相手を穢すに過ぎない。まさにこのことは、憂鬱な性格をして人生を送る人についてならそっくりあてはまります。その手の人は、神と人とが結婚でめざす自由で軽やかな交わりのなかにあらゆる自分の慰めを集中するのですが、その慰めが、交流できない相手と自分は出会い結婚し、慰めは奪われたと解ると、互いに結婚した過ちをしばしば憤り、まもなく悲しみのあまりどちらかが死んでいしまいます。だから一所に生活する為生命が危険な事が予見されるなら、助けのない悲しみか、狡猾な[離婚禁止という]慣わしが、どちらなどと言うのは何の問題でしょう。はっきりしている事は、生命を維持するのは結婚を強制されて続けるよりもずっと価値があるのです。生命の慰めとして、そんな様でいる事を人に強制するのは狂気の沙汰です。そんな様でいるなら、生命を破壊するか、心をもぬけの殻にする事を本人も本人の友達も知っています。」(『教義と規律』273)

→本当だろうか。これが中世寓意の世界にどっぷり浸っている凡庸な司祭の説教というならまだしも理解できる。しかしミルトンは、エラスムスの痴愚神が私たちの営みに潜む根源的な愚かさを暴露し、ハムレットがカーテンをつぎつぎとめくってもいっても真実が現れないことに苛立ち、ドンキホーテは物語が世界のなかに幾重にも折りたたまれていることを体現した、そういう知的遺産の後ないし同時代に生きているはずではないか。

 

エロスとアンティエロス

これほど近代的なことをいいながら、次にその実例として述べることは、寓意の世界そのものだ。これではまるで、バーテルミー・ダイクの絵画世界だ。寝台、カーテン、そして夜景を忍ばせる窓といったものに注目すると、まるで17世紀オランダ風俗画の一室(当時は居間に寝台を置くこともあり寝室と居間との区別は曖昧)のようで、人物たちのしぐさもフェルメールのそれを思わせる。オランダ風俗画がリアルという意味で、このダイクの絵もリアルなのだが、実はこの絵は、王が<><欲望><嫉妬>などと出会う寓意物語につけられた挿絵であり、寝台にいてほおづえをつく王の姿に注意すると、王の心臓(といっても解剖上のそれではなく寓意化されたハート)がまるだしになっている。これは<>が王の心臓をかきむしり、その左手で支え、恋愛にありがちな憂鬱に王が陥っていることをあらわしている。ダイクの絵はリアルな表象・再現前化をしているとと同時に、ステレオタイプ化した教訓世界にすべてを消化吸収してしまうような装置のなかでのリアリズムなのだ。これはまさしくここでミルトンがやっていることではないか。

結婚愛が主に意味している事は、古の賢者がたとえ述べている事に疑いございません。<愛>は孤独の兄弟でなく、とても自分に良く似た兄弟がいて、その名を<アンティエロス>と言います。<ラブ>は<アンティエロス>を求めて放浪しますが、出会いの運は、<アンティエロス>の似姿をとって、単にぶらぶらする虚偽の欲望に多く出会う事です。借り着を着たそのような者達の為、<ラブ>は全然盲目という訳でないのですが、(詩人が間違って言っているのですが)片目だけあって、狙いをつけた射手に生まれついていて、この地上という暗い所でも目は素早く働かず(<ラブ>が本来いるはずのない)それも<ラブ>が持つ生来の単純さと信じやすい事もあってしばしば騙されて、よく会う見掛け倒しの若者と親しくなってしまう。丁度兄弟でもあるかのようにです。というのも、<ラブ>は相手をそう思い込んでいるからです。そして当の相手は<ラブ>の盲目のかわりに身を寄せるのです。しかししばらくすると、いつものように、一番離れた高い遠極点まで舞よって、地球の影よりも遥か彼方にある時自分の直接の光を(最も鋭く射抜く眼光の)自分と一緒にいたペテン師、巧みな■■に向け思っていたように本当の兄弟でない事を見分け、そんな偽りの仲間との交際をこれ以上持とうとしない。

 

精神的欠落

適当に激昂し、それなりに正義をかざしながら、自分の言動にいっぺんの揺らぎもなく自信をもっている。自信家であるという性格からだけでは説明できない、なにかが欠落している。→竹熊:麻原の論法:自分のなかにあるコンプレックスを明るみだす。こういうコンプレックスにまで視線が届かない。

この欠落を救うのが、終末感覚である。

 

 

6.4.      内的経験と観念的信条との亀裂

Baker Chap 5.

 

バルトLover’s Discourse

 

 

投企から倫理へ

ミルトンがほかの文学者や思想家と大きく一線を画しているのは、

 

 

●愛の特権化

可視と不可視の識別を希薄に肯定すること、それをレアリスムと呼ぶことをわれわれは装置の物語によって教えられている【社会学でいう「体験加工」それは、日常生活を支える意味体系への回収だ。宮台 解説 森達也『A』】

装置のほとんどが愛を不可視の領域の現象として捉えることで物語を自然に語りつぎ、その自然さを感性の装置までがごく自然に肯定してしまっている。uこういう意味でのリアリズムにミルトンは汚染されていない。

蓮實重彦『表層批評宣言』(ちくま文庫、1985年)171ページ

 

屈服と圧力

 目隠し構造の特徴は、次の三つである。

 まず、それは、私自身の、パーソナルで日常的な身体の動きと、ささいなものの考え方の筋道のなかに発見されるということである。

第二に、目隠し構造を発見するのは、とてもつらいことだということ。

 それを発見していくのに、時間がかかるということも知っておくべきだ。

  第三は、目隠し構造を発見し、ほんとうの自分の姿を直視したあとで、私は自分自身を変容させていかねばならないということである。

 そして自分をそのように変容させていくためには、他者との交わりがどうしても必要となるのである。

森岡正博『宗教なき時代を生きるために』(法藏館、1996)213215ページ

自分たちとは違った生き方を選択した人々とも、可能な限り接触を保っていくべきだ。そして、彼らとのあいだに不可避的に生じてしまう「ディスコミュニケーション」(お互いに全然分かりあえない状態)それ自体を、絶えず試み続けていくこと。

森岡正博『宗教なき時代を生きるために』(法藏館、1996)221ページ

ミルトンは視覚的にも精神的にも、この点に関しては盲目であったのだ。

 

7.     参考文献

テンニエス『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト:純粋社会学の基本概念』(杉之原寿一訳, 岩波文庫, 1957年)

Richardson, R. C.R.C.リチャードソン『イギリス革命論争史』(今井宏訳,刀水書房, 1979)

ピューリタン革命

David Harrison Stevens. Milton papers. New York: AMS Press, 1975.

    Some real estate transactions of John Milton and his fatherおよび

    Mary Powell's lost dowryがある。

Anne Manning, Mary Powell; Deborah's diary. Intro. Katharine Tynan. London: Dent, 1927.

英文学者による、パウエルが語るミルトンとの結婚記。明るく繊細なお嬢様として育てられたパウエルの目を通して、本好き、質素、計算高く、プライドの高いミルトンの姿を描きだしている。オランダのサテンが高級生地だといったような女性ならでは日常感覚に根ざした伝記。

Robert Graves. Wife to Mr. Milton: the story of Marie Powell. New York: Creative Age Press, 1944.

ミルトンの反体制的態度を評価しながらも、ミルトン自身の行動は深層において自説を裏切り体制的になってしまうことを、マンニグの『メアリ・パウエル』と同じようにパウエルの一人称視点から語ったミルトンとの結婚記。政治確執、宗教対立なども射程に入っており、当時のことを知る歴史書ともなっている。

kotre◇コートル,ジョン『記憶は嘘をつく』石山鈴子訳, 講談社, 1997

 

 

 

7.1.      第二自然法という融和

 

 

8.     ねじ伏せる弁論、抑圧される対話

 

8.1.      思索と事実の制約

こうした思考回路をたどっていくと、ミルトンはイングランドを統括していた国教会、さらには国教会が明示的にではないにせよ受けついでいるカトリック教会の教理を把握しえたからこそ、教理に反するような別な教理を構築できたのだとわかる。国教会の教理を活用して自らの教理を確立しえたのは、従来から教会において説教なり典礼によって信者に浸透している教理を不変の真理として一体化せず、聖書を自らの原理にしたがって解釈するというねばり強い鑑識眼があったからだろう。それと同時に、いま現に生活していることを

 

国教会制度があるという事実ゆえに生活規範が強制的に縛られているから、だからその事実から出発するだとか、国教会制度に乗れば経済的にも法的にも生活が保障されるからという事実にもとづいた選択による自縄自縛は、たとえばミルトンの一世代前の詩人ジョン・ダンの人生にみられるが、そうした事実の強制や制定をミルトンは拒む。今現にこうあるからという規制事実、支配的な現状体制から出発することは、地に足がついていると積極的に評価され、またそう主張する本人も体制内での快適な日常生活が確保されるので、大変に心地がよいが、そのような選択は思索による帰結ではなく、原理原則を欠いているがゆえに、自分自身といつまでも折り合いのつかない人間を生む。それは思索の帰結でないために、被造物のなかで唯一思索という特権を付されている人間としての敗北となってしまう。事実制定から出発することが、思索する主体としては苦しいから、ミルトンは聖書がどういう原理から成り立っているのか、その原理のひとつあるいはいくつか発見し、発見した原理を聖書のテクストの中のいろいろな場面にあてはめてみるし、また自らの生活のなかに実地に確かめて読みとっている。場面への応用、実地検証といった地平において、その原理をあらゆる方向から吟味し、しかも理性を駆使して批評する。吟味、批評する過程においては、教会の伝統がこう教えているから、教父がこういっているからというような紋切り型の権威頼みに代わって、慣習思考や定型文句によって解釈されている歴史は真正の歴史ではなく、慣習思考や定型文句によってむしろ隠蔽されてしまっている何かがあることに敏感に嗅ぎとるのだ。この嗅ぎ取りには、自らがそうした思考や文句のフィルターをかけて歴史や出来事に近づくことに待ったをかけるから、精神的緊張がいつもつきまとう。理性的であることは同時に、思考や言葉によって隠されてしまったものを掘り起こす作業であるとともに、自らもその原理によって歴史を隠すことがあってはならないので、二重の意味で精神的緊張がともなうのだ。それだけではない。過去の時間を自らの原理にしたがって知的に構成するという作業は、未来に向かっても開かれている。主教制度が聖書の記述と合わないというなら、なぜ主教制度が採用されたのか、採用した慣習思考と定型文句とがなんであったのかを暴きださなくてはいけない。暴いてその思考や文句のどこが、自らの主張する聖書原理と抵触し、なぜ自らの原理の方が、つまりミルトンの思考と言葉の方が従来の思考や言葉に較べて優位なのかを、事実制約から離れて議論しなくてはならない。その優位性が読者に受けいれられるとき、過去を描写したミルトンの言葉は、過去から方向を転じて、未来を作りだす原動力になっていく。

事実の重みに押されて動くのではない、原理と教理との一体化しているので、社会に衝撃を与えるのだ。これは同じく離婚の主張をしても、ウィットリーとは決定的に異なっているし、リベルタンであった詩人ダンにはないミルトンらしさである。

そういえば、当時は、宗教らしさという事実の重みは、商人にとって大変にものをいっていた時代だ。モンテーニュ、の例。

 

「詩人は詩にならなればならない」というミルトンの言葉は、それなりに明瞭に理解可能となる。

 

だからミルトンの論集にはいつも語りかける相手がいる。」歴史に言葉ミルトンは自分の頭で生き生きと考えることができた。顧み、ないなら、それは、何の思想もないという証明に過ぎないではないか。

山本七平『小林秀雄の流儀』2001、新潮文庫p33

 

「事実の強制」が新しい一つの体制を生み出しただけだ。そこには、「運命的性格、精神史的な顔」が現れているわけではない。

山本七平『小林秀雄の流儀』2001、新潮文庫p36

 

 

生きる事との程度中間に、いつも精神を保持する事、どちらの側に精神が屈服しても、批判といふより、寧ろ意志の仕事である」(イデオロギイの問題)一つもしくは若干の着手を発見する。つぎに身を離す。そのとき人は一種の自己批評家になり、あらゆる方向からその「着手」を自ら批評するか、その批評の基準が、「実地について確かめる読み」なのだ。

山本七平『小林秀雄の流儀』2001、新潮文庫p26

 

●状況倫理

 

彼は、常身的に生きつつ、常見を捨てて、「古学の眼」を得、この「古学の眼」から「常眼」を見てこれを把握し、活用する事によって自らを維持し、それによって「古学の眼」で「古学の世界」に入っていったはずだ。

山本七平『小林秀雄の流儀』2001、新潮文庫p38

 

 

8.2.      真理の断片

神が人間に授けている<正しき理性>は人間によって共有され、この理性を働かすことによって人間は<誤り>から解放されていくのだが、解放されるからといってそれが即、真理そのものを手にすることにはつながらない。真理はたしかに世界を構成する第一原理であるのだが、真理そのものを知ることは、堕落後の人間が直接捕まえるにはあまり大きすぎるものなのだ。

「オシリス■■」

オシリスの神話を述べている。

 

 

●ミルトンの文体は、開かれた討議の文体として読まれなくてはならないはずなのが、その文体が伝えているメッセージは閉じられているのだ。

複雑な討議組織は、文と文、言説のジャンルとジャンルを連結する仕方を、意志のプロセスの全段階にわたって原則として開いたままにしておく

J-F・リオタール『こどもたちに語るポストモダン』(ちくま学芸文庫、1998年)96

 

 

8.3.      終末がなければ完成がない

大きすぎるだけではなく、それは神の摂理が不断に介入する歴史が終末を迎えるまで人間には見ることのできないものなのだ。[85] それは1640年代の時代状況そのものでもあった。閉塞こそしていなかったが、改革が保守的な方向へ、従来型のやり方へ、と流れていっており、中道ピューリタンやピューリタン左派が望むような教会改革からはほどとおかった。たとえば、英国国教会体制はピューリタンのクラシス運動によってしだいに崩れつつあったとはいえ、まだ健在であった。ウィリアム・ロードを中心とした国教会は、日曜日の午後は野外でスポーツをするようにという一見健全な法令をだし、この時間帯に集会をもっていたピューリタンの活動を規制している。議会は下院を中心としてピューリタンが多数を占めるようになってきたが、議員たちのピューリタニズムとはカルヴァンのジュネーヴ型教会制度の踏襲であって、それは国民単位による神との契約(コントラクト)からなる教会であって、個人と神との契約(コヴェナント)による聖なる交わりではなかった。

 

 

Encyclopedia of Religion, PASCAL, BLAISE, Vol.11, p.202 - p.203           Reason is not to be condemnedur entire dignity consists in thinkingut it ought to be looked upon with suspicion, and it is crucial that it knows its limitations. Pascal was the reader of Epictetus and Montaigne; the former stressed the strength of human nature, the latter its weakness and fragility. Both are right in part, but to take only one side amounts to falling either into hubris and dogmatic self-confidence or into despair. "We have an incapacity for proving anything which no amount of dogmatism can overcome. We have an idea of truth which no amount of skepticism can overcome." It is proper that God should be hidden in part and revealed in part, and it is proper that we should know both God and our misery. Therefore to know Jesus Christ is essential, as it is in him that we find both God and our misery. Indeed, our greatness consists in being aware of our misery. The position of man as a creature located between angels and animals by no means gives us, in Pascal's eyes, a quiet abode in our natural place; being "in the middle," we are torn between incompatible desires, and our natural state is the most opposed to our higher inclinations. It is the immobility of tension, rather than of satisfaction, that distinguishes us; we are incomprehensible to ourselves, our reason and our senses deceive us, no certainty is accessible to us. Christianity, with all its "foolishness," is the only way the human condition can become intelligible and meaningful. Indeed, the mystery of original sin, the core of the Christian worldview, according to Pascal, is an outrage to reason, and yet without this mystery we cannot understand ourselves. "Acknowledge then the truth of religion in its very obscurity, in the little light we can throw on it, in our indifference regarding knowledge of it."

こういうときのパスカルは、終末論からただいま現在の状態を説明しようとするミルトンとは180度異なった地点にいながらも、もっともミルトンが語っていることに漸近しているといえる。

 

現代の精密自然科学の自然像……、それは実はもはや自然の像ではなく、自然とわれわれ[認識主観]との関係の像である。一方に時空間内の客観的経過、他方にその客観的経過を写し取る精神、この対立的二項に分ける旧来の分割、……デカルト的区別はもはや……適切ではない。」(ハイゼンベルグ『現代物理学の世界像』9ページ)5354

自分自身の主張が真理の断片であり、断片となって散逸している真理を積みあげていくことが大切だと自己主張する。

 

 

 真理の断片という考え方は、自己主張の相対化とそれにともなう自己懐疑へと連なっていくことは、あまりにも明白であろう。これから論じるようにたしかにミルトンの論考にはそのような軌跡を読みとることが可能である。ところが自分が握っているのが真理の断片であるということは、裏返していえば、自分の意見に反対するような他人は、真理の断片をかざして反対しているようにみえながら、実はそれが偽のコインをつかまされて、それを真理の断片だと誤認しているという見方にも容易になりうる。ミルトンは、真理の断片を切り裂かれたオシリスになぞらえ、自分たちの指名はその断片をていねいに拾いあげてもとの体を回復する地道な作業だと『アレオパジティカ』のなかで述べているが、それに続いて同時に述べていることは、善と悪とは見分けがたく結びついているということだ。

「■■」

誤認するのは、理性によって<迷信>を破るにたるだけの充分な思索をしないからだということになる。

 そしてここからが、ピューリタンは自らの欲望にたいして厳しく生活をきちんと律していくというイメージが裏返されて、欲望への節制がきかず、放縦な生活を送っている人間への糾弾と転化していく結節点なのだが、ユングのいう自らの影イメージを抑圧しようとし、影にあらゆる府の要素を付着させてしまうのだ。ここにおいて、ミルトンに典型的な二項対立観と、影の項にたいする苛斂誅求をきわめる指弾がある。

 

 

8.4.      二項対立観と影への指弾

Mitlon Encyclopadeia DIVORCEの項目p.162

AbrogationAbolishing との区別。

 

選ばれた少数派

隷属者(カトリック教会・王党派)

理性尊重、積極的理解と自由意志

迷信呪縛、伝統盲従

公明正大、潔癖

かたより、

自由意志による契約

盲目的信仰

新秩序への構築

従来型秩序への固執

正しさ

誤り

新約聖書の慈愛精神

旧約聖書の律法主義

洗練された大人

稚拙な幼児

霊的

肉的

個人的(人格的・主体的)

民族的

 

もはや時代は新たな段階にあるのだから、<迷信>にとらわれてぐずぐすと離婚否定を推奨してもそれは人間を苦しめることにほかならないというのだ。

慈愛をスプリングボードして、新時代の倫理を構築しようとしているのだ。

 

●一般の考え方:「真理にたいする人間の関係とは、正統か異端かの二項間の事柄である。」

ところがミルトンが『アレオパジティカ』のなかで、出版の自由、つまり誰が何を語ることも許されるという自由を標榜したとき、その考え方の根底にあるのは:「真理にたいする人間の関係とは、複数項の、それもタイプや程度が異なった間柄である」

 

 

 

 

8.5.      自己懐疑から自己相対化へ

●●skeptics

1)絶対の真理は(この私も含めて)誰によっても語られなかったし、これからも語られることはないであろうという感覚に忠実になる。あるのは解答を模索していく道のりだけだ。いくら答えが出なくても、何度でも繰り返し問い続けていく。その問いの軌跡が大事なのだ。

2)死後の世界の存在について、断定的に語らない。それはあるのかもしれないし、ないのかもしれない。同様に、絶対者や超越者や神の存在についても断定的に語らない。それはいるのかもしれないし、いないのかもしれない。分からないことについては分からないと、はっきり言う。

3)世界と宇宙の成り立ち全体にかかわる根本的なことがらに関して、「××こそが正しいのだ」という断定的な態度をとらない。その命題の正しさを自分のいのちを賭けて全身全霊で疑うことを積極的に停止するという態度をとらない。

4)それらの根本的なことがらに対して、他人のことばや思考にみずからを重ねない。自分の答えは、あくまで自分のことばと思考で見出していく。

森岡正博『宗教なき時代を生きるために』(法藏館、1996)57ページ

 

atheist

問題に対する解答をけっして宗教の「信仰」には求めず、そしてどこまでも思考放棄せずに、自分の目と頭と身体とことばを使って自分自身でそれらの問題を考え、追求し、生きていくという道である。

森岡正博『宗教なき時代を生きるために』(法藏館、1996)58ページ

  atheist

私は、宗教を否定したのではない。これは誤解しないでいただきたい。宗教を求める人たちにとっては、宗教は正しく機能するべきである。宗教の中で人々が救済されることを阻む権利は誰にもない。

 私が主張したのは、宗教の道を通らずに生死の問題等を追求する道があるはずだということ、そして私は宗教なしでそれに立ち向かうつもりだということ、それだけである。

森岡正博『宗教なき時代を生きるために』(法藏館、1996)59ページ

「信仰」に基づかないこのような試みは、それぞれがひとりでものを考えることを基本とする、孤独な作業にならざるを得ない。そういう孤独なスタンスで考え、実践していく個人たちが、おたがいに知恵を交換しあい、学びあってゆくようなネットワークを、ゆるく作り上げること。

森岡正博『宗教なき時代を生きるために』(法藏館、1996)6061ページ

 

●ミルトンが詩人としてではなく人格的に称賛に値することを述べよといわれれば、じりきでかんが

 

※「宗教」とは、教祖と教義と教団活動などが総合された運動体のことであり、「宗教性」とは、生死とは何か、死んだらどうなるのか、なぜ私は存在しているのかと言った、人間の生命の本質に関わる宗教的なテーマ

森岡正博『宗教なき時代を生きるために』(法藏館、1996)61ページ

 

 

誰かカリスマのもとに集合させてはならない。それは、いつの日か、それらの問題を自分自身で考えるのではなく、誰か他人に考えてもらってその蜜だけを味わうという、責任転嫁の共同体へと変質してしまう

森岡正博『宗教なき時代を生きるために』(法藏館、1996)64ページ

 

8.6.      孤立を求めて連帯を恐れず:寛容精神から対話へ

ピューリタンというと寛容からほど遠く頑迷な人物のように思われている。

「厳格な神に仕えている」Roger Williams 大木

 

8.7.      宗教、道徳、倫理の共在

DoddsE.R.ドッズ『ギリシァ人と非理性』岩田靖夫, 水野一共訳, みすず書房, 1972, 38

 

9.     抑圧された状況

 

 

10.  離婚をとりまく外的言説:離婚否定と離婚是認

 

10.1.   慈愛の特権化

●愛の特権化

視界が妙に澄みわたって、鮮明な輪郭のもとに浮きだしてくる存在や事物が、まるではじめてみる景色のように新たな驚きをもたらす

肯定する物語が愛を肯定してにわかに活気づけられる瞬間を嫉妬するまでに倒錯に徹してみよう

愛の素顔をその仮面から識別し、それを特権化することだけは避けようとする倒錯的な聞きては、しかも物語が愛の素顔と仮面とを決して同じ資格で戯れさせようとはせず、きまって愛の素顔を特権化せずにはいられないとき、その特権化作用を装置にもっともふさわしい機能だとしてそれを曖昧にうけいれておかねばならない

蓮見重彦、『表象批評宣言』、筑摩書房、160-161ページ

 

●愛の特権化

装置は肯定するという物語。その物語を肯定することで語られる物語。しかしこの二重性は物語によって二重に廃棄される。物語は愛が装置の肯定ではないという。希薄化する肯定としてのレアリスムは愛ではないと物語は否定する。愛とは肯定する物語を否定することで装置を超えることだ。その超克を肯定せよ、と装置は物語る。

(蓮見重彦、『表象批評宣言』、筑摩書房、162ページ)

 

10.2.   慈愛の特権化から結婚愛の特質化

●フランスの神学者ジェルソンは、婚姻によって結ばれた男女の像ほど神への愛をよりよく表現する像は存在しないとまで言うにいたる。「個人としてのあらゆる人間の目的、そしてその最高度の完成は、妻が夫と結ばれるように、神と結ばれることにある。神が魂に対して示すこまやかな愛情と慈愛にあふれる寛大さに匹敵する例は、被造物において、ただ国王が王妃に対して示す愛情だけである。」ツヴェタン・トドロフ 岡田温司・大塚直子訳『個の礼讃 ルネサンス期フランドルの肖像画』(白水社、2002年)57ページ

 

 

10.3.   トルバドゥール伝統

フェミニスト、ピザンによる愛の絶対的賛歌

 

divorce

「神の御意志によれば、男と女のあいだに自然が生み出した絆よりも強固な絆は地上にはありません。」(ピザン『婦人の都』)。

ツヴェタン・トドロフ 岡田温司・大塚直子訳『個の礼讃 ルネサンス期フランドルの肖像画』(白水社、2002年)76ページ

これを額面通りにとってはならないのだ。

 

野島

野島秀勝『ロマンス・悲劇・道化の死―近代文学の虚実』

1.       結婚は愛のさまたげとならず。

2.       嫉妬心なき者は愛すること叶わじ。

3.       如何なる者も二重の恋愛によりて結ばれることを得ず。

4.       少年は成年に達するまで愛することなし。

5.       愛する者のうち一方が亡したる場合には、二年間の後家暮しが生き残りたる者に要求されるべし。

6.       如何なる者も愛の説得によりて促さるまでは愛することを得ず。

7.       愛は貪欲の棲家にては常に(よそ)人なり。

8.       世間にその秘密洩れるれば、愛は存続することと稀なり。

9.       容易に成就したる愛は価い軽く、至難なる成就こそ尊ばれるものなり。

10.    過度の情欲に悩まされるおる者は愛することなきなり

野島秀勝著、『ロマンス・悲劇・道化の死―近代文学の虚実』、南雲堂1970p4

 

「愛の十戒」から浮かび上がってくる恋愛の特質はまず何よりも成熟した男女の結婚生活外の恋愛、つまり姦通ということです。ここでは夫婦の間の愛情はいうもでもなく、ダフニスとクロエ風の純愛も、あるいはオースチンの小説に現れるような結婚を前提とした男女の恋も恋愛とは見做されてはいない。

野島秀勝著、『ロマンス・悲劇・道化の死―近代文学の虚実』、南雲堂1970p5

 

シャンパーニュ伯爵夫人「…」の判決――「恋愛はその権限を夫と妻との間に行使得ないことをここに宣言し主張する。恋するものはいかなる必要に迫られることもなく、相互に無償に与え合うものであるに反して、夫婦は義務により、互いの欲望に従い、如何なる点においても互いに拒むことができないからである。(中略)……当判決は、多数貴婦人の意見を徴した上で、慎重に表現するものなれば、確固として疑うべからざる真理と見做される。西暦一一七〇年五月字朔日、第七法廷」

シャンパーニュ夫人とは最初はリルイ十七世の王妃、後に離婚してヘンリー二世の王妃となった有名なアクゥイテーヌのエレノールの娘マリ

野島秀勝著、『ロマンス・悲劇・道化の死―近代文学の虚実』、南雲堂1970p5

 

「結婚は恋愛のさまたげとなるず」実はアンドレは「結婚なしに恋愛は成立し得ず」といいたかったのかもしれません。ルージュモンも書いています、「私は西欧の人々が、《夫婦の幸福》を破壊するものと、逆にこれを保証するものとを、すくなくとも同じ程度に大切にしていることを認める。」

野島秀勝著、『ロマンス・悲劇・道化の死―近代文学の虚実』、南雲堂1970p6

 

今日の恋人たちは結晶作用を待ち望みながら、ついに流産する愛を物語っています。彼らには愛を持続し生きのばすにたる如何になる感情の様式、手立てもない、愛のレトリックももはや存在しない、彼らはいいたくともいうべき愛の言葉が見つからない。

野島秀勝著、『ロマンス・悲劇・道化の死―近代文学の虚実』、南雲堂1970p9

 

  virtual object

「媚態」の要は異性との「距離をでき得る限り接近せしめつつ、距離の差が極限に達せざることである」と書かれています。つまり、「可能性を可能性として擁護する」、「可能性を一元的にひたすら追い求めて実現してしまうというのではないしに、可能性を可能性のままに「絶対化」する、この「二元的可能性を基礎とする緊張」が「媚態」の本領だというのです。早い話が、好きな女も寝取ってしまえば、万事は終わり。

野島秀勝著、『ロマンス・悲劇・道化の死―近代文学の虚実』、南雲堂1970p10

 

官廷風恋愛の美徳とされる慇懃(ヒュウミリティー)礼節(コーテシー)も本来は騎士道の美徳であって、騎士道を恋愛道に転移する。

野島秀勝著、『ロマンス・悲劇・道化の死―近代文学の虚実』、南雲堂1970p11

 

折口信夫によれば、「こひ」は本来「魂乞ひ」であって、「魂乞ひ」とは相手の魂をひきつけること、もっといえば、相手の名を呼ばわり、その魂と組み合って打ち負かし、おのがもとに誘い寄せることです。つまり「こひ」とは相撲の「手乞ひ」に通じるものだという。「魂乞ひ」には死者の招魂(恋愛祈願)との両様の面があったわけですが、次第に生者の招魂という面にしぼられてゆき、いつしか「魂乞ひ」の「魂」が脱落して「乞ひ」「こひ」あとなり、もっぱら生者の招魂という恋愛心情を指すようになった。

野島秀勝著、『ロマンス・悲劇・道化の死―近代文学の虚実』、南雲堂1970p12

 

尾崎は、ふたりが一体となるような愛を信じていない。抱きしめあうことによって、ふたりが一体となるような形の愛は成立しない。そのあとで、いつも、ひとりぼっちで取り残される自分に苦しむだけだ。この問題を打開するひとつの方向を示しはじめる。それは、愛の絶望に打ちひしがれ、ひとり孤独に立ち尽くしている人々を、はげまし、勇気づけるという姿勢である。

森岡正博『宗教なき時代を生きるために』(法藏館、1996)146ページ

 

Luther

あれほど「正しいこと」「本当の自分」を求め続けたはずの自分が、身体の底からわきあがってくる欲望に打ち勝つことができず、それに溺れてしまう。そういう道徳の心を失ってしまった自分を自覚したとき、尾崎は「罪」を感じ、誰か超越者によって裁かれているという感覚をもつようになる。 そういう地点から、どのようにして自分の罪を引き受けるかを考えようとしている。そういう視点から、天なる超越者と会話しようとしている。 地上で欲望にまみれて立ちつくす自分と、その頭上はるかに存在している何か超越的なもの。そういう垂直的な図式、すなわち「地上の私」と「天上の神」が無限の距離をへて直接対面するという感覚を、尾崎は強く押し出すようになる。

森岡正博『宗教なき時代を生きるために』(法藏館、1996)150151ページ

ミルトンにとってはこの隔絶が、終末によって完成するというように、時間の経過によってやがて埋まりうるものとして薄められてしまっているのだ。

 

  dialogue

欲望や、悪徳は、いったんは彼らの身体を去ったかのように見えながら、しかしながら実は身体の底辺にしぶとく生き残っていて、隙を見ては自分の内部に湧き上がってくる。 そのような汚れた自分が出現したとき、彼らは「いまここにいる現実の自分」と「宗教に説かれているあるべき自分」の乖離に直面するのだ。ところがこれも理論的に薄められてしまっている。

森岡正博『宗教なき時代を生きるために』(法藏館、1996)195ページ

 

 

 

10.4.   隠蔽された炸裂点と他者

レヴィナス

 

 

10.5.   攻撃を受ける快感

●『』どんな攻撃を受けたのかは、

ミルトンが離婚は性格の不一致によっても可能であると述べたとき、そのような理由からの離婚是認は、むしろプロテスタント神学の範疇からするなら当然の帰結であって、この主張も、またその主張を背後から支えている「教義と規律」も、ミルトンに特殊な考え方ではなかったという。にもかかわらず、どういう場合に離婚が可能なのかという問題は、聖職者の妻帯とのからみがあった。カトリックは1600年以上も禁じ、国教会でもその伝統は踏襲され、妻帯は禁じられていたのにたいして、あのクラナハの絵画にあるようにルターは妻帯していたし、それはルーテル派だけにかぎらず、あのカルヴァンも、そして多くのプロテスタントも、妻帯をおこなっていた。聖職者=独身=キリストの配偶者=聖母の騎士といったようなイメージが崩れ、家庭を持った夫、妻との間に設けた子の父としての聖職者は、信者とともに世俗の甘みも苦みも知るものとして、夫であることを経験できない聖職者よりも、評価された。しかし聖職者が離婚するとすればどうなるだろうか。どんな理由で離婚できるのだろうか。

宗教の領域から前面に据えて検討する勇気、

 

Before turning to the history of this observance it will be convenient to deal in the first place with certain general principles involved. The law of celibacy has repeatedly been made the object of attack, especially of recent years, and it is important at the outset to correct certain prejudices thus created. Although we do not find in the New Testament any indication of celibacy being made compulsory either upon the Apostles or those whom they ordained, we have ample warrant in the language of Our Saviour, and of St. Paul for looking upon virginity as the higher call, and by inference, as the condition befitting those who are set apart for the work of the ministry. In Matt., xix, 12, Christ clearly commends those who, "for the sake of the kingdom of God", have held aloof from the married state, though He adds: "he who can accept it, let him accept it". St. Paul is even more explicit:

 

I would that all men were even as myself; but every one hath his proper gift from God .... But I say to the unmarried and to the widows, it is good for them if they so continue, even as I.

 

And further on:

 

But I would have you to be without solicitude. He that is without a wife is solicitous for the things that belong to the Lord, how he may please God. But he that is with a wife, is solicitous for the things of the world, how he may please his wife: and he is divided. And the unmarried woman and the virgin thinketh on the things of the Lord, that she may be holy both in body and spirit. But she that is married thinketh on the things of this world how she may please her husband. And this I speak for your profit, not to cast a snare upon you, but for that which is decent and which may give you power to attend upon the Lord without impediment. (I Cor., vii, 7-8 and 32-35.)

 

Further, although we grant that the motive here appealed to is in some measure utilitarian, we shall probably be justified in saying that the principle which underlies the Church's action in enforcing celibacy is not limited to this utilitarian aspect but goes even deeper. From the earliest period the Church was personified and conceived of by her disciples as the Virgin Bride and as the pure Body of Christ, or again as the Virgin Mother (parthenos meter), and it was plainly fitting that this virgin Church should be served by a virgin priesthood. Among Jews and pagans the priesthood was hereditary. Its functions and powers were transmitted by natural generation. But in the Church of Christ, as an antithesis to this, the priestly character was imparted by the Holy Ghost in the Divinely-instituted Sacrament of Orders. Virginity is consequently the special prerogative of the Christian priesthood. Virginity and marriage both holy, but in different ways. The conviction that virginity possesses a higher sanctity and clearer spiritual intuitions, seems to be an instinct planted deep in the heart of man. Even in the Jewish Dispensation where the priest begot children to whom his functions descended, it was nevertheless enjoyed that he should observe continence during the period in which he served in the Temple. No doubt a mystical reason of this kind does not appeal to all, but such considerations have always held a prominent place in the thought of the Fathers of the Church; as is seen, for example, in the admonition very commonly addressed to subdeacons of the Middle Ages at the time of their ordination. "With regard to them it has pleased our fathers that they who handle the sacred mysteries should observe the law of continence, as it is written 'be clean ye who handle the vessels of the Lord' "(Maskell, Monumenta Ritualia, II, 242).

 

On the other hand, such motives as are dwelt upon in the passage just quoted from the Epistle to the Corinthians are of a kind which must appeal to the intelligence of all. The more holy and exalted we represent the state of marriage to be, the more we justify the married priest in giving the first place in his thoughts to his wife and family and only the second to his work. It would be hard to find more unexceptionable testimony to this point of view than that of Dr. Döllinger. No scholar of this generation was more intimately acquainted with the by-ways of medieval history. No one could have supplied so much material for a chronique scandaleuse like that which Dr. Lea has compiled in his history of celibacy. Moreover, when Dr. Döllinger served his connection with the Church after the Vatican Council, he had absolutely no motive to influence his judgment in favour of Rome's traditional discipline, if it were not that he believed that the lesson both of the past and the present was clear. Nevertheless, when the Old Catholics abolished compulsory celibacy for the priesthood, Dr. Döllinger, as we are told by the intimate friend of his, an Anglican

 

失明と引き替えに革命の成就をめざすという交換行為を記述することで、自らの生のテンションが高いことを示し、充実した人生を送るという快感。

 

神への恐れとともに、社会における自己名声への配慮(アイドースaidws

 

まわりから迫害を受けつつ自分の信じることをやりとげようとしているときの、悲壮感に満ちた、しかし至福の時。まわりであれこれ言っている彼らは、本当のことをなにも知らない。彼らが目の敵にしているこの我々こそが、真に正しいことを知っている。真理は我々の側にあるという、このなにものにもかえがたい快感。

森岡正博『宗教なき時代を生きるために』(法藏館、1996)127ページ

 

共同体の中で甘い蜜を舐め尽くしている人たちに私が言えることは、あなたたちの世界を外部から壊しに来るものがあったときに、それを貴重なきかけとして活かして、そのチャンスをけっして逃がさずに、自らの相対化の作業をしてほしいということだけだ。外部からの異物と交渉することによって、自分を変容させていってほしい。

森岡正博『宗教なき時代を生きるために』(法藏館、1996)130ページ

 

 

 

10.6.   ダイアローグ形式によるモノローグ

ミルトンはコミュニケーションをしているようでいて、自問自答している。

すでに切り開かれている自らの地平を再望するだけであって、それはまるで土台をいまいちど掘り起こすために知的汗を流すことが無駄な努力であるかのようだ。

 

強度があるにもかかわらず、そこには自らの地平から採れる意味しかでてこず、地平の地割れから別の濃厚な意味のマグマが噴出するわけではない。

それは、たとえミルトンがどこか特定の教会に属し、その教会の成員として活動しなかったからといった外面的な理由で、ミルトンは共同体に属してはいないが、自らの立場を真理へと向けて常にずらしながら踏破していくことをやめ、モノローグに陥っていたからには、たとえ孤独であったとしても、閉じられた共同体、思考が停止した状態になっていたといえる。

 

 

 

 

ミルトンの自問自答性を明るみに出しているのが、真理へのミルトンのアプローチの仕方を他のピューリタン説教家の接近方法と比較したバーカーの研究である。バーカー自身は自問自答性ということよりも、ミルトンの真理観が徹底さを欠いており、『離婚の教義と規律』にはじまる四つの離婚論とその離婚論をはさんで書かれた『アレオパジティカ』という彼の著名な一連の著作が、その実、思想としてみた場合にはいかに凡庸であったかを暴きだしている。バーカーの議論を私なりに整理してみると次のようになる。

 

 

10.7.   シンテレーシス

ミルトンの背後にある動機付けを知ることで、動機付けが依拠した核心部分があかるみだせる。

10.8.   逆転のリアリズム

 

10.9.   母性の他者性

男と女が本来的に同一であり、それが差異化して二元的になっている、そして、いつかは同じになるという発想が一方にあるわけです。それに対して、女が基底にあるという考えは、あたかも対立しているかのように見えるかもしれません。しかし、実は同じ圏内にあると僕は言いたいのです。レヴィナスのいう「性差」は、そういう階層をつくらない。彼は「女性的なるもの」とは「身を隠すもの」であるといいます。……女性的とは、「他者性」ということです。

柄谷行人『言葉と悲劇』(講談社文芸文庫, 1993年)214ペー

 

●「最も反目しあってきた女と女との関係性のなかに、エロスを蘇らせることを通じて、主体を確立する」。215

   【アブジェクション・他者性を体内に抱えこんでいる特権的存在】

アブジェクション(廃棄作用・おぞましきもの):クリステヴァ『恐怖の権力』:

「共同体の同一性や、秩序や体系を壊 し、境界線や区分や規範を攪乱するもの、曖昧で両義的なものが、おぞま しきもの、汚れ、 タブーとして廃棄される、という論理です。著者によると、個人と社会の存立基盤を危うくするこのおぞましきものとは 『母なるもの』 だということです。つまり、秩序、体系、 権力の構造の規範は 『父なるもの』 であるから、カオスとしての 『母なるもの』 への復帰を圧し止めるために、一切のタブーや儀式や道徳や制度があるというわけです。」(若桑みどり http://www.ll.chiba-u.ac.jp/100bs/020.html

 

   【エロスと他人

他人への方向:本能的欲求が高まると、乳児は泣き叫び身振りによって、その興奮を解放する。「この本能興奮の表出という生理反応は、…ひとつのきわめて重要な二次的機能をもつことになる。すなわち、他の人々との了解(意味の読み取り)を獲得するのである」(『科学的心理学試論』)。他者性は欠落している。

 

 

10.10. 代理としての鏡と象徴的男根:抑圧される存在者たちと大きな時勢言葉

自分自身の主張が真理の断片であり、断片となって散逸している真理を積みあげていくことが大切だと自己主張する。ところがそういう自己主張はまぎれもなくそういう断片真理であって、虚偽ではない、あるいはそういう自己主張を導きだすにあたって自分が提出するさまざまな根拠はもしかしたら真理の断片ではなく虚偽かもしれないということへの懐疑が欠落してしまっている。断片的真理の積みあげの重要性という主張を語っている言葉が、その主張自らを裏切るかもしれないという視点が、ミルトンからは抜け落ちている。自らが演説調で紡ぎだすうねうねとした言説空間は、幾何学や神学の緻密な構築によって生みだされる「美しい優雅な左右対称」(原田『アレオパジティカ』237)ではない。

当時のフランス宮殿に見られるような成形庭園の秩序ではない。

 

●ミルトンは自分の言語については、現実をまちがいなく写し出す鏡としての機能を暗黙のうちにもたせて、正しさというものをすべて自分の側に惹きつけてしまい、二項対立が自動的に解消されてしまう。

 

つまり彼が、「あらゆる種類の著作を読み、あらゆる種類の論述に耳を傾ける」(原田『アレオパジティカ』210)というとき、その「あらゆる」はあらかじめ限定された「いくつかのもの」なのであり、しかもかりにそのあらゆるが、当時ちまたで配れていたビラのたぐいから異教ゆえに手に入れることの難しいコーランや仏典(この時代には仏像はすでに知られていた。日本では徳川家光の時代)までをもふくむとしても、手に取った瞬間からそれは聖書のような一言一句を尊重しながら読まれるべき書物として同じ比重で「著作を読む」わけではない。ましてや再洗礼派を唾棄していたミルトンがイスラムのイマームの説教に聞き耳を立てるというのは想像しがたいのだ。

「官許の書物は時勢の言葉に過ぎない」(原田『アレオパジティカ』223)、いいかえるなら同時代人に共通了解事項を伝達しているに過ぎないといったのはフランシス・ベーコンだが、この言葉を引用するミルトン自身が、「官許の書物」をやめて書物出版の全面的自由を訴えることで、「時勢の言葉」から自らの言葉は脱却したと思いこんでいるだけではないか。全面的自由を言葉によって訴えるというスタイルそのものが、実は、「時勢の言葉」としてすでに流通していたからこそ、このような流儀での発言することができたはずである。

「■■われわれが持っている光は、・・・自分が知らないもっと遠方にあるものを発見する」(原田『アレオパジティカ』233)といっても、その遠方は自らの理性によって理解可能、充分に論理的に納得できるものなのであって、至近距離にたまたま今はないのに過ぎない。

 

 

 

 

フーコーなら<共通の場>とでもいってのける、コミュニケーション確立に腐心しているかのようにみえる人間がよって立たってしまっている地点で、自分の身を横たえているのだ。

 

 

 

評論から批評と批判へ、

ミルトンがおもにやっていたことは、物事の善悪を論じ、少しでも普遍的なあるべき姿に政治・宗教・家庭を近づけ、その方向に仕向けるようであった。彼の心の中にはいつもそのような普遍的価値観が確固たる疑いようのない信念として存在しているかのようである。しかしこれは評論である。

 評論というもとの言葉クリティークには、批評という意味もある。それは内部から外部に出ようとする跳躍をふくむ試みである【鈴繁:柄谷】。

 

カントが『純粋理性批判』などの一連の「批判」をしたときには、内部からその限界を示すことであった。批評から批判に到達することによって、会話型への乗り換えという道が開かれている。

 

 

オシリス神話改ざん

オシリスの神話は、ピューリタンが他者にたいする態度や他者と結ぶ関係をあらわすもっとも美しい比喩として、引用されている。しかし母イシスはばらばらになったオシリスの体を元に戻すべく、世界を放浪してその断片を寄せあつめるという気の遠くなるようなつらい作業をおこなう。この努力が実ってオシリスの体は元に戻ればよかったのだが、イシス女神はオシリスの体に決定的なひとつの部分を最後まで見つけられなかった。それがオシリスの男根である。

 すでに述べたように、ミルトンは終末にはすべてが完成し、それまでは自分たちは分散した真理の断片を寄せあつめるイシス女神のような執拗な精神労働に参加せざるをえないという。

これをネオ・プラトニズムの脈絡でいえば、崇高なる一者が天から下降し、卑しい混沌とした地上に到着するとき、一者はまるで生け贄のように切り刻まれまき散らされる。次の段階して、ばらばらになった多者は、ひとつのものとして集められ一者に再統合する。[86]

 この種のパターンはアッティス、ディオニュソス、ザグレウス、テュフォンといったようにさまざまな神々の姿にあらわれているが、オシリス神話はこうした自己分割による本源的な力の増強があるのではなく、その増強を象徴する男根が欠如しているのだ。

 

Steinberg86; Seznec,.Wind

 

【鈴繁:Kerrigan, Scared Complex

これは、ちょうどフロイトがソフォクレスのエディプスをとりあげて自らの信念にとても都合のよいようなイメージをみつけだし、アイスキュロスのエディプスをまったく無視して、自説が無意識のうちに寄せつけるのを拒んでいた事柄を隠蔽してしまったことと似ている。

 

自らを男根の位置に置いてしまうミルトン。だから乱れはたんなる一時的な視界の乱れに終わるし、闘争は相手を折伏するための議論になってしまう。

 

 

乱れと闘争(ふれあい)

ミルトンの文体がいくら語り演説するような書き方がなされていても、そこには自らが乱れるという余地はほとんど残されていないし、そのような乱れが仮にあるとしても、擬似的にうねうねとしたバロック的文体によって形式的に解消されるか、逆に乱れがまるであるかのように文体の錯綜が乱れを代表してしまっている。

 

会話が戯れ(ジュ)にならずにあくまでも賭であったことだ。失明を覚悟でイングランド議会への弁護を書くことなど、論敵をあちこちにかかえることになっても、自分自身の信念を言葉にして活字といういつまでも残る形で出版することをためらわなかったことだ。信念の活字化だけならだれにでもできると私たちは考えがちだが、言葉を発するというその最初の時点、いや発することに先だつ考えるという時点においてすらも、私たちは言説の縛りから自由ではありえない。したがって、こういう考え方をしてはいけないという形式で、ある種のものの見方や観念は自己規制をいつもすでにはたらかせている。

ミルトン自身は聖書の絶対性には、それほど大きな疑問をいだいていなかったとはいえ、、神の存在の無謬性についてはとてつもなく疑問をもった。

「■■」

森岡正博『生命学に何ができるか: 脳死・フェミニズム・優生思想』(勁草書房, 2001)84ページ。

 

 しかしこうして乱れ、闘争するとはいっても、それはしょせん、最初にそもそもこうあるべきだという見方があったが、それがゆらぎ、これではどうかという不確定性のあり方となって、最終的にはそうした揺らぎをはらんだ動的な生き方こそがよいというように確定されてしまう。通念、通念転倒、そして動的理念へという一連のプロセスを、ロラン・バルトはつぎのように簡潔に教えてくれている。

「」Roland Barthes, The Empire of Signs (Farrar Straus & Giroux, 1983)

 

ティリッヒは、信仰を存在論的タイプと道徳的タイプの二つに分けている。前者は、現にあるがままのものの中に神聖をみて、聖なるものの臨在の体験を中心とした信仰である。このタイプに属するが密儀や神秘主義である。第二の類型は、あるべきものの中に神聖さをみて、聖なるもののただしさを中心とする信仰類型である。したがって宗教倫理が強調される。

松本滋『父性的宗教、母性的宗教』22

 

耽美的になって絵画、文学、映画などの芸術世界が、じつは社会といういとも表象可能なようでいて実にとられどころのない空間において、紙、絵の具、本、フィルム、銀幕、映画館といったような物質性に支えられていることを忘れ、自分のポッケトには金が入っていることもあっさりどこかに忘れてしまい、広義の社会権力がまるでないかのようにふるまってしまう。

 

オウムへの新聞記者のコメント:看護師のあとの被告への供述。降幡賢一『グルのしもべたち』上(朝日新聞社, 1998)74ページ。

 

 

このようなプロセスは、ヘーゲル的なものだし、また新歴史主義批評が教える思想運動ではなかったか。とすると、ここでミルトンにはこのような単独者としての態度が欠落していて、一般性に事柄が解消されてしまっているという批判そのものも、ひとつの一般性のなかにミルトンを封じ込めてしまっていることになる。

 

10.11. 傲慢と権力:ルター的自己崩壊

超能力や神秘体験や悟りに惹かれて宗教に近づいてくるある種の人間たちのこころの中には、権力欲が潜んでいる。本人ははっきりとは意識していなくても、近づいてきたその動機を冷静に分析すれば、そこに権力欲が存在していることが分かるはずだ。 その権力欲とは、それらの能力や体験を身につけることによって、他人よりも上位に立ちたいと思い、それらの能力や体験をもっていない人々を見おろしたいと願い、そしてそれらの人々を支配し、操作し、教育し、導き、救いたいと考えるような欲望のことである。

森岡正博『宗教なき時代を生きるために』(法藏館、1996)8485ページ

 

私が教えたい、私が導きたい、私が救いたいというようなかたちの権力欲

森岡正博『宗教なき時代を生きるために』(法藏館、1996)85ページ

 

「利他的な行為としての慈悲」であり「愛」であり「人類愛」である。高みに立った自分が低いところにいる他者を一方的に引き上げてやりたいという権力欲に立脚している。修行に向かう人間のこころに潜む、この両側面をしっかりと見ないといけないと私は思う。宗教者は、前者のみを強調して、みずからの内に潜む後者の存在には目を閉ざす傾向があるが、ほんとうにそれでいいのか。私が救うにせよ、私の背後にいる超越者が救うにせよ、とにかく「他人を救いたい」という願望の出所には、「自分が彼らをなんとかしたい」という権力への欲望があるということを認識すべきだし、救済の行為において「救いを仲介する者」と「救われる者」とのあいだには、ちょうど医師と患者のあいだに不可避的に存在してしまうような権力関係が出現してしまう

森岡正博『宗教なき時代を生きるために』(法藏館、1996)8687ページ

 

&reason

ルターは人間の自由意志の下にもっと恐るべき姿を見ている。つまり、自己の自由な意志によって立つ人間の主体性の下に、自己のみに固執する高慢という宗教的な罪をとらえ、神に反逆して自己を主張する人間中心主義のエゴイズムを見ている。したがって、エラスムスが他の動物と異なって理性と意志を授けられている人間は、神に対して自由に応答することができるという人間性の尊厳を説いているところで、ルターは神を排斥し、神に反逆してでも自己を主張する我欲としての罪を洞察しているのである。つまりエラスムスが知的洞察をもって人間の主体的責任を説いている同じところで、ルターは宗教的な洞察をもって神に反逆する罪と不信仰をとらえている。

金子晴勇『宗教改革の精神』(中公新書,1977年), .95

 

Luther

悟ることも、真理に至ることも、信仰することもできない、この矛盾に満ちた、欲望多き私という人間が、その煩悩の泥沼の汚濁に膝までつかりながら、しかしその目は遠く天    上をしっかりと見据え、その星座の輝きを導きとしながら、いまここでもがいて生きている私の生の意味というものを見つめ、把握し、そしてこの汚濁と快と苦悩に満ちた人生をどのように生き、それにどう決着をつけていくのかを果てしなく模索してゆく、煩悩の哲学なのだ、私に必要なのは。

森岡正博『宗教なき時代を生きるために』(法藏館、1996)134ページ

すべてを懺悔し、悟りへの修行によってそれらを克服しようという道を、私は選ばない。なぜなら、その道は、私を浄化するというよりも、むしろ私の身体に抜きがたく染みついた根深い煩悩を、見えなくさせるシステムとしてはたらいてしまうからだ。

森岡正博『宗教なき時代を生きるために』(法藏館、1996)135ページ

私が選び取るのは、私が理想や理屈や美しいことを口では言いながらも、実際の行動ではそれを裏切るようなことをたくさんしてしまう人間であるという、その事実をまず直視する、そういう道である。

森岡正博『宗教なき時代を生きるために』(法藏館、1996)135ページ

 

ディスコミュニケーションを生きるということ。それはみずからを「謎」に向かって開くということであり、「謎」から届く「魂の声」を受け取ろうともがき苦しむことである。言い方を変えれば、それこそが「エロス」ということの意味なのだと思う。

森岡正博『宗教なき時代を生きるために』(法藏館、1996)221222ページ

 

 

 

見える聖徒と「義にして同時に罪人」

ともに立つ:神とともに立ち上がる

大木英夫『ピューリタニズムの倫理思想』(新教出版,1966年)193-200ページ

 

 

「恭謙は、一般に一人の人間がもう一方の他の人間、それにたいしておのれが優越しているとか劣っているとか感じるような他の人間にたいする関係にかかわるのではなく、一切の比較の可能性を免れた、原則的に別種の、人間の神聖にたいする関係にのみかかわっている。この関係の中では人間はおのれの絶望的な不完全さを経験するのである。ここでは恭謙は人間の有限性の意識に基づいている。しかも彼の一切の力が限られているという中立的な意味のみならず、おのれのまったくの無価値という、はるかに深いところにまで達する意味においてそうなのである。...それゆえ恭謙は一切の等級差を排除するのであり、人間の中に事実的に現前する一切の能力と天分とは、それを正しく管理することこそが重要なひとつの贈与であるとしか見なされないのであり、人間が自分自身に帰せしめる功績とは見なされない」。

↑ボルノー『徳』181

これはルターが人間の罪意識を徹底的に押し広げて人間は神の前にあっては罪人にすぎないのであって自らの自由意志によってなんら功績を果たすことができないという意識と連なっている。

 

 

自由人にして奴隷というルター的境地:人間が自由を求める時、最後の障害となるのは自分自身です。自らの意志を捨て、神の意志の奴隷となる。神の奴隷になることでルターは自分自身から開放され自由になる。教会の権威を必要とした救済ではなく、神との直接的、内面的関係による救済(信仰義認)】

 

●思考が向かう対象はいろいろでも、その対象をどのように捉えるかという問題設定の仕方がいつも動かない。これは問題設定の仕方に一貫性があるといえるが、逆にいえば、それ以外の見方を許さないという意味では単調で紋切り型ということに堕してしまう。

 

 

●ピューリタニズムの「疎外の個人主義」

そういえばプラトンは男は33歳で結婚し、妻は17歳と述べていたではないか。

ピューリタニズムの「疎外の個人主義」から孤独が生まれた

人間は抱く独立心は、その人が他者とどのような関係に自分をおくかによってかわってくる。他者を敵と考え自分は他者と別個なのであり、人間は人間にとって狼であり自分の前には他者との生存競争しかないと捉えるなら、それは「疎外の個人主義」となり、その反対に他者は信じられるものであって他者との協調から生が開花すると考えるなら「互恵の個人主義」となる。もちろんこの二つの個人主義は理念型であって純粋にどちら一方の陣営に人間が与するということはありえない。しかしプロテスタンティズムに関していえば、これはあきらかに「疎外」のタイプに属している。

 ローテンバーグ『逸脱』194-5

プロテスタントの個人主義から独立心・自律性が生まれたが、それは両刃の剣のごとく、そこから必然的にマイナスの帰結たる、孤独感・無力感という行動様式が生まれた。たとえばウェーバーは次のように述べている。

「教会による救いの完全な廃棄によって...カルヴィニストの神の交わりは、深い精神的孤立のうちに行われ、個人のかつて比類のない内面的な孤独の感情を生み出した。それはあの現実的で悲観的な色彩をおびた個人主義の基盤を形成し、この個人主義は今日ですらピューリタンの過去をもつ諸国民の国民性ともろもろの制度の中に確認することができる」。

{この点はフロム、リーシュマンなども主張している}

 ローテンバーグ『逸脱』195-6

 

 

 

11.  参考文献

The life records of John Milton / edited by Joseph Milton French/ New York : Gordian Press, 1966

Vol.1. 1608-1639

 



[1] Helen Darbishire, ed. The Early Lives of Milton (London: Constable, 1932), 63.

[2] 読み応えのある詳細な小説と伝記は以下の三つ。Anne Manning, Mary Powell: Deborah's Diary, intro. Katharine Tynan (London: Dent, 1927); Robert Graves, Wife to Mr. Milton: the Story of Marie Powell (New York: Creative Age Press, 1944); William Riley Parker, ed., Milton: A Biography. 2 vols. 2nd ed. (Oxford: Clarendon Press, 1996). また年代誌風に日付まで指定して逐一ミルトンの行動を記録したフレンチの著作は伝記事実の確認に有益。Joseph Milton French, ed. The Life Records of John Milton, vol. 1. 1608-1639 (New York: Gordian Press , 1966).とくに366-421ページ参照。

[3] A.N. Wilson. The life of John Milton. (New York: Oxford University Press, 1984), 113.

[4] ミルトンの四つの離婚論からの引用はすべてComplete Prose Works of John Milton, Gen. ed. Ernest Sirluck, vol. 2 (New Haven: Yale Univ. Press, 1959)による。この出典からの引用の後には、簡略な和文訳名をそれぞれ次のように用いた。Doctrine and Discipline of Divorce『教義と規律』、The Judgement of Martin Bucer Concerning Divorce『判断』、Tetrachordon『琴』、Colasterion『鞭』。またこの簡略書名をの後に出典のページ数を記した。

[5] ただし『備忘録』には次のような離婚にかんする記録があるが、いつ書かれたのかについてはあくまでも憶測の域をでないが、1642年から44年頃のものと推定されている。「離婚の弁護について、ジャン・ボダン『共和国』第13章参照」とある。Commonplace Book in Complete Prose Works of John Milton, ed. Don M. Wolf, vol. 1 (New Haven: Yale University Press, 1953), 414.

[6] Ben Jonson, ■■。ラスレット『われら失いし世界: 近代イギリス社会史』(川北稔, 指昭博, 山本正訳, 三嶺書房, 1986)290-293ページ。シェイクスピアにおける農村と都市の問題については次論文参照。安西徹雄「シェイクスピアにおける都市と田園」(刈田元司『都市と英米文学』研究社, 1974年)130-161ページ。

[7] ジョオン・サースク『消費社会の誕生: 近世イギリスの新企業』(三好洋子訳, 東京大学出版会, 1984)17ページ。

[8] ただしもう一つの共同体としてのあり方に、(カウンティ)を単一共同体とする見方も誕生しつつあった。ラスロット298-305ページ。

[9] The Sermon on the Mount (Sermons), the Magnificat in Luther’s Works (American Edition) eds. Helmut T. Lehmann and Jaroslav Jan Pelikan, vol. 21 (Saint Louis: Concordia Pub. House, 1955), 142–143.なお、この時代の祈りが、人間は役者という世界劇場観とのからみで、自分自身の内心と自分の発する言葉とをどう一致させるかという「誠実」問題に神経質であった。Ramie Targoff, “The Performance of Prayer: Sincerity and Theatricality in Early Modern England.” Shakespeare and History. ed. Stephen Orgel and Sean Keilen (New York: Garland, 1999) 17-37.

[10]大木英夫『ピューリタン:近代化の精神構造』(中央公論社,1968)29ページ。

[11] 「ふさわしい気持ちのぴったりした交わりは結婚におけるもっとも主要で崇高な目的である」(『教義と規律』246)。「このうえなく清純で聖なる結婚目的の達成にはひどい欠陥となる交わり欠如という精神的不具」(『教義と規律』248)。「神と人とが結婚でめざす自由で軽やかな交わり」(『教義と規律』273)。「結婚の一番最初の土台として神が意図し約束されたように、心がぴったり一致し、快活な交わりができ、互いに慰めあい、愛しあうにいたる」(『教義と規律』328)。「[夫を]愛してもいなければ[夫に]愛されてもいない人と、愛情のない穏やかならざる交わりをして退屈な人生を送ることは……神は命じられていない」(『琴』591)。「神への信仰[が妨げられること]や人間的交わり[がないこと]のために悩み、離婚の訴えをしても……[結婚の]絆はほどけなくなっているのです」(『琴』599)。「交わりには宗教のもの、公民としてのもの、家庭におけるものといったものがありますが、そうした交わりがもたらす援助と交流は結婚の目的因なのです」(『琴』608)。「性格の不一致や齟齬は……婚姻の交わりがもたらすよきことと安らぎとをことごとく挫折させ無化させてしまう。」(『鞭』733)

[12] 同じく禁欲のレッテルを貼られるものに、肉体蔑視のグノーシス主義があるが、ミルトンはグノーシス主義者と見られることに嫌悪を示している(『琴』579)。

[13] この傾向の読み方を準備したのは、William Haller, “Hail Wedded Love,” in Milton, ed. Alan Rudrum (London: Macmillan,1968), 298-299.であった。またその影響力においてそれほど強くなかったとはいえ、Roland M. Frye, "The Teachings of Classical Puritanism on Conjugal Love," Studies in the Renaissance 2 (1955): 148-59もこの路線を準備した。近年では、John Halkett, Milton and the Idea of Matrimony: A Study of the Divorce Tracts and Paradise Lost (Yale University Press, 1970)62にもその傾向がみられる。

[14] 肉欲蔑視はミルトンにはなかったことを最初に指摘したのはドニ・ソラだが、むしろミルトンは肉欲肯定と精神的交わりとの両軸の間で揺れ、その揺れから『雅歌』の官能性と宗教性とにまで昇華された結婚愛があることを跡づけたのが、ターナー。Denis Saurat, Milton: Man and Thinker (London: Dent, 1944)132; James Grantham Turner, One Flesh: Paradisal Marriage and Sexual Relations in the Age of Milton (Oxford: Clarendon Press, 1987)203-210.

[15] 反対意見として、ミルトン自身が述べているが、もっとも支配的な見方は「婚姻の床が結婚においては最高の目的だと断言する」(『教義と規律』269)ことであった。

[16] 「この意見に、ファーギウス、カルヴァン、パーレウス、リヴェーは……同意いたしております」。ミルトンの指摘が誇張でないことは、これら四人の神学者たちは、それぞれ別な表現でだが、結婚は生殖だけが目的ではなく、「習慣、考え方、気持ちの結合」までをも含むと考えている。四人の具体的な典拠は、イエール版『教義と規律』246ページ注4を参照。

[17] 妻帯肯定の原理を説いたのは、メランヒトン。「アウグスブルク信仰告白」『宗教改革著作集 (信仰告白・信仰問答) 14(徳善義和訳, 教文館, 1994)50-53ページ。

[18] William Perkins, A Golden Chaine, or The Description of Theologie (1602) 62. 引用は、次書による。Halkett, Milton and the Idea of Matrimony, 17.

[19] Richard Bernard, Ruth's Recompence: or a Commentarie upon the Booke of Ruth (1628), 422. 引用は、次書による。Halkett, 18.

[20] William Gouge, Of Domesticall Duties: Eight Treatises (1622)[STC 12121], II. i.24. 122b.; William Ames, The Marrow of Theology (1629: rpt. Durham: Labyrinth Press, 1983), 323.

[21] 浅田彰『構造と力』(勁草書房,1983年)195ページ。

[22] Commonplace Book in Complete Prose Works of John Milton, ed. Don M. Wolf, vol. 1 (New Haven: Yale University Press, 1953), 414.

[23] 便所という鍵言葉は、田中美津『いのちの女たちへ:とり乱しウ−マン・リブ論 (新装版)(パンドラ(現代書館) , 2001)338ページ。しかしこのような女性観はそもそもフロイトにも顕在化している。「母と娼婦とは結局それほどおおきな違いはない。両者とも根底において同じことやっているのだから」(Sigmund Freud,"A Special Type of Choice of Object Made by Men"(1910) in On Creativity and the Unconscious, trans. Joan Riviere (New York: Harper and Row, 1958) 169)

[24] 「アンブロシウス『調和があるところには神の結びつきが働き、調和がないところでは神に由来しない不和が支配している。というのも神は愛だからである。』」(『琴』697)

[25] John Donne, The Sermons of John Donne, eds., Evelyn M. Simpson and George R. Potter, vol. 10 (Los Angeles: Univ. of California Press, 1954)207.

[26] John Martin, “Inventing Sincerity, Refashioning Prudence: The Discovery of the Individual in Renaissance Europe,” American Historical Review 102 (1997): 1308-1342.[Web edition].

[27] 『失楽園』7519-520行。参照3384-387行。

[28] Lionel Trilling, Sincerity and Authenticity (Cambridge: Harvard Univ. Press, 1971).特に第一章(1-25)はルネッサンス期に誠実が誕生し、私たちの自我観がどう規定されているのかすぐれた考察になっている。Martin, “Inventing Sincerity, Refashioning Prudence,” 1308-1342.

[29] John Calvin, Commentary on the Psalms, trans. Arthur Golding (1571), rev. and ed. T. H. L. Parker (Edinburgh: Oliver and Boyd, 1965), Ps. 12, v. 3.引用典拠はJohn Martinによる。

[30] 『失楽園』5145-153行。

[31] Melanchthon, Loci communes theologici, Lowell J. Satre, trans., Wilhelm Pauck, in Pauck, ed., Melanchthon and Bucer (Philadelphia, 1969), 29, 27, 30 [Loci communes in vol. 2, pt. 1 of Melanchthons Werke, Hans Engelland and Robert Stupperich, eds. (Gutersloh, 1978), 29, 27, 31]. 引用典拠はJohn Martinによる。

[32] ウィテンベルグ大学教授であったとき、自分の神学を象徴的にあらわすエンブレムとしてルターが考案したもの。ルター自身による詳しい説明がなされている。Christian in Society in Luther’s Works (American Edition) ed., H.C. Oswald Vol. 49 (Saint Louis: Concordia Pub. House, 1959), 356 – 359. カルヴァンのエンブレムの由来は、彼自身の発言にもとづいている。改革諸派が入り乱れていたジュネーブに、カルヴァンは再度、戻ることを決断したとき、「私は自分自身の主ではないことがわかっているから、私の心を、主への真の生け贄として捧げる」と友人に語った。なおエンブレムについている銘題は、「私の心を、主よ、あなた様にすばやく、そして誠実に捧げます」(Cor meum tibi offero Domine prompte et sincere)W. de Greef, The Writings of John Calvin: An Introductory Guide, translated by Lyle D. Bierma, (Grand Rapids: Baker Book House, 1993), 38.

[33] Melanchthon, Loci communes, 27. 引用典拠はJohn Martinによる。

[34] ウェーバーは、ピューリタンに出自をもつイギリスやアメリカなどの国民性、制度、政策にこの種の孤独感が反映していると指摘している。Max Weber , The Protestant Ethic and the Spirit of Capitalism, trans. Talcott Parsons and introd. Anthony Giddens (New York: Scribners, 1958), 104-107

[35] ルネッサンスにおこった個人化の一般傾向とその源泉はDillonによる簡潔なスケッチがある。Janette Dillon, Shakespeare and the Solitary Man (London: Rowman & Littlefield, 1981)xiii-xv, 1-46.

[36] 最後の妻の不品行でも誠実に許せるなら離婚不可という立場は、「この時代には見慣れなくはない態度であるが、この時代の論壇ではめったに文章化し発表されていいない態度である」。Roderick Phillips, Putting Asunder: A History of Divorce in Western Society (Cambridge: Cambridge University Press, 1988)123.

[37] ミッシェル・フーコー『言葉と物』(渡辺一民 佐々木明 訳,新潮社,1983年)44-47ページ

[38] たとえば次の文では、人間の理性と感性との関係すらも、社会の指導者と民衆との関係に類比的に具体的に置き換えられていることを教える。「もしも男子たるものとして理性が内面を支配するようにし、<理解力>が外なる<慣習>と内なる盲従の安楽性向という二重の僭制に身をゆだねることを徹頭徹尾するとするなら、一民族国家が僭王をかつぎだし支持するということがどんなことなのか、ずっとよくわかるようになるでしょう」。The Tenure of Kings and Magistrates in Complete Prose Works of John Milton, vol. 3, Gen. ed., Merritt Y. Hughes (New York: Yale Univ. Press, 1962), 190.

[39] John Donne, Anatomy of the World “First Anniversary”■■

[40] テンニエス『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト:純粋社会学の基本概念』()(杉之原寿一訳, 岩波文庫, 1957年)114-115ページ

[41] こうした変化は、再分配社会から市場経済へというリチャード・トーニーの図式やカール・ポランニーの非市場社会から市場社会へという図式にも踏襲されている。ただしこれはあくまでも理念型で、工業化した近代都市のなかにもゲマインシャフトがあるし、近代以前の田園にもゲゼルシャフト的市場は存在していた。両実態が混交している点については次書参照。Larry Lyon, Community in Urban Society.(Long Grove: Waveland Press, 1999)8-16..

[42] R.C.リチャードソン『イギリス革命論争史』(今井宏訳,刀水書房, 1979)33-38ページ

[43] チャールズの権力正当化思想とピューリタンの権力転覆思想との対比は次書参照。大木英夫『ピューリタン:近代化の精神構造』(中央公論社,1968)121-126ページ。

[44] Christopher Hill, Puritanism and Revolution (Harmondsworth: Penguin, 1958)68, 81-84. 渋谷浩『自由民への訴え:ピューリタン革命文書選』(渋谷浩訳,早稲田大学出版部,1978年)165ページ。

[45] Hill, Puritanism and Revolution, 88-90. 渋谷浩『ピューリタニズムの革命思想』(御茶の水書房,1978年)272-274ページ。

[46] テンニエス(下)136-137ページ。

[47] 『「離婚の教義と規律」というタイトルの本への解答』(1644)16ページ。『鞭』74288

[48] パウエルとの間にもうけた娘たちへの遺産金はゼロであった。David Harrison Stevens, Milton Papers (New York: AMS Press, 1975)7-8.

[49] 対立から調和へという過程を全宇宙的事象と説明したのはヘラクレイトスであり、ミルトンにもその影響が散見されるルネサンス新プラトン主義でも、対立や不調和があっても、対立が適当な割合で統一され、不調和は結合してこそ被造物は構成されると考えられていた。しかしミルトンの離婚論はこの種の発想には消極的である。対立と調和の関係については次書参照。R.フラスリエール『愛の諸相: 古代ギリシアの愛』(戸張智雄訳, 岩波書店, 1984)226ページ。James Hall, A History of Ideas and Images in Italian Art (New York: Harper and Row, 1983), 270.神の愛における価値の無徴化については次書が詳しい。ニーグレン『アガペーとエロース』第1-3(岸千年,大内弘助訳, 新教出版社, 1954-63)特に1179-211ページおよび3260-325ページ。

[50] 引用は次書による。北森嘉藏『愛における自由の問題:ルター『キリスト者の自由』を中心として』(東海大学出版会, 1977)75ページ。

[51]典拠はハイデルベルグ討論のテーゼへのルターの回答にあり、引用は同上241ページ。この箇条の典拠は、次の聖句。「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。キリストも御自分の満足はお求めになりませんでした。「あなたをそしる者のそしりが、わたしにふりかかった」と書いてあるとおりです。」(「ローマ書」15:1-3)。

[52] 愛という空間において男がどのように不器用な振る舞いをしているかをえぐりだしているかは、次書参照。Roland Barthes, Lover's Discourse: Fragments, trans. Richard Howard (New York: Hill and Wang, 1978)

[53] Stephen Greenblatt, Renaissance Self-fashioning : From More to Shakespeare (Chicago: University of Chicago Press , 1980), 26-33.

[54] RCG Yale,794

[55] アベラード、164-165ページ。

[56] RCG訳文138-139

[57] いうまでもないが、平信徒主義が貫徹しているのは独立派ピューリタンであって、聖職者を制度として温存している長老派ピューリタンではない。論理的にはミルトンは長老派批判にここで向かわざるをえないはずなのだが、むしろ逆に、「長老主義のその統治方法こそ唯一まことの教会統治である」(RCG訳127)と長老派礼讃を行っている。この礼讃はすぐ後の離婚論において転倒する。

[58] RCG訳文135

[59] 「そのような行為■■」(プラトン『国家』439C-D)(藤沢令夫訳, 上巻317-318ページ)。「心的表象を■■」(アリストテレス『心について』433a, 9-14)(アリストテレス『心とは何か』(桑子敏雄訳, 講談社学術文庫, 1999), 180-181ページ)。「■■」(『ニコマコス倫理学』1147a, 11(下))「感性的ある心が同時に理性的である」(デカルト『情念論』§47. XI369)

伊藤勝彦『天地有情の哲学』(ちくま学芸文庫、2000年)50

[60] アリストテレスは、<理性(ヌース)>は真理を認識することにかかわる能力であるゆえに神的で、五感を通じてとらえる感覚とは独立な能力であるとした。しかし、<理性>は、人間の精神(プシケ)に生得に備わっているものだとして、人間の外から人間の精神に与えられたものだとは、主張していない。アリストテレスは、<理性>が時間を超えた普遍者にむかい、<理性>は感覚とともに人間精神の内にあることを確認した。ところがとくにストア哲学以降になると、<理性(ヌース)>と「精神(プシケ)」とを分離した実体ととらえるようになっていった。そして十三世紀のアリストテレス注釈者アヴェロエスによると、人間において個別的なものは、感覚し想像する精神(「意識的精神」)のみであって、<理性>は普遍的かつ非個性的な独立実体として考えられるようになる。人間は死んで身体が滅びると、<理性>は、宇宙理性に帰るものだと思われた。野田又夫『ルネサンスの思想家たち』(岩波新書, 1963年)64-65ページ

[61] Dodds◇E.R.ドッズ『ギリシァ人と非理性』岩田靖夫, 水野一共訳, みすず書房, 1972年、224-232ページ。

[62] これをあらわしているのがキケロの有名な言葉、「<正しき理性>とは真の法であり、自然と合致しているのだ」(『共和国』De republica. 3.22.33: “True law is right reason which conforms to nature” Est quaedam vera lex recta ratio, naturae congruens)。

[63] ミルトン『キリスト教教義論』6:132.

[64] “God uses not to captivate under a perpetuall childhood of prescription, but trusts him with the gift of reason to be his own chooser.”

[65] 「肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。……神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。……キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、は義によって命となっています。」(「ローマ書」8:6-10)。「霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。」(「ガラテヤ書」5:16-18)。「聖パウロはまちがいなく、「内なる人」という表現[「エフェソ書」3:16]を用いて魂の霊をいい、「外なる人」で肉体とこの世の生のことをいっている。人間は異なった二つのタイプがあるとパウロがいっている箇所はなく、神がお創りになった人間はただひとつで、そこに内と外とがあると述べている。ひとつとはいっても、神の似姿にお創りになったのは内なる人であって、非物質的であることにくわえて、理性的であり、人間より位階の低い動物が所有していないものである。」アウグスティヌス「マニ教徒ファウストゥスへの反論」242章(http://216.239.53.104/custom?q=cache:xBAF8iLk6kEJ:www.newadvent.org/fathers/140624.htm+inner+man&hl=ja&ie=UTF-8

[66]大木英夫『ピューリタニズムの倫理思想』(新教出版,1966年)197ページ。

[67] アリストテレス『心とは何か』433a, 8

[68] Hoopes, 95. 念のためだが、市民人文主義者の旗手サルターティも同様な考え方をもっている。Victoria Kahn, Rhetoric, Prudence, and Skepticism in the Renaissance, p.59

[69] 「何かを忌避し■■」(アリストテレス『心とは何か』433a, 1-9.180ページ)

[70] 桑子181注釈。Crane Brinton, Ideas and men : the story of Western thought. 2nd ed., (Englewood Cliffs: Prentice-Hall, 1963), ???41.「私たちはみな、良いことを弁え知っておりながら、それを実行しないのです。」(エウリピデス『ヒッポリュトス』379-380)『ギリシア悲劇集』(松平千秋訳, 人文書院, 1960年)IV23ページ。

[71] “KNOWLEDGE AND IGNORANCE” in Encyclopedia of Religion, Vol.8, p.349 - p.350.パスカルの「悲惨」観に深い影響を与えたモンテーニュも、「万人にある常識」(consensus omnium)が理性の完全無欠の証明とすることにたいして批判的である。『エセー』(2.12.479)。むしろモンテーニュが批判したスボンの方が、キリスト教のすべての信仰箇条は自然的理性により証明されうるという立場なので、ミルトンにはるかに近い。リチャード・H・ポプキン『懐疑:近世哲学の源流』(野田又夫・岩坪紹夫訳 紀伊國屋書店, 1981)56-58ページ。またミルトンと同じように理性を重要視する同時代人としては、ソレルがいる。「理性の力によって世界のすべての事物の真理を認識し、通俗哲学の誤謬への反駁が見出される」(ソレル『物体的事物の学問』1634年)ポプキン157ページ。

[72] 「効果的に■■」(ウェストミンスター信仰告白」13章1)『信条集(前後篇)(新教出版社, 1994)

[73] 金子晴勇『宗教改革の精神』(中公新書,1977年)116-118ページ。

[74] CPW 『真の宗教』VIII. 425.『失楽園』でも『キリスト教教義論』においても、部分的にミルトンはアルミニウスの説を受けいれているが、基本的にはピューリタン主義の枠内におさまっている。大木英夫「ミルトンにおけるピューリタニズムと近代化」所収 平井正穂編『ミルトンとその時代』(研究社,1974年)103-104ページ。

[75] Leo F. Solt, Saints in Arms: Puritanism and Democracy in Cromwell's Army (Stanford: Stanford Univ. Press, 1959), 25-42; CPW, C.II. 722 注5。

[76] 改革派の主な文書は翻訳されている。『宗教改革著作集 (ツヴィングリとその周辺1)』第5巻 出村彰 他訳, 教文館, 1984年。『宗教改革著作集 (ツヴィングリとその周辺2)』第6巻 出村彰 他訳, 教文館, 1986年。

[77]大木英夫『ピューリタニズムの倫理思想』(新教出版,1966年)78-95ページ

[78]大木英夫『ピューリタニズムの倫理思想』(新教出版、1966年)108ページ。

[79] 「われわれ自身のために先ず考えよ。よい心、よい内面を得るよう働け。多くの人はまず外面を考える。……しかしわれわれは正しい目標をめざして始めることを学ぼう。それは心を善ならしめることである。それはわれわれすべての行為の源であり泉である。だからそれをまず清くせよ」(ロバート・ハリス(1632))引用は、大木英夫『ピューリタニズムの倫理思想』(新教出版、1966年)128ページ。

[80] “If men within themselves would be govern'd by reason, and not generally give up thir understanding to a double tyrannie, of Custom from without, and blind affections within, they would discerne better, what it is to favour and uphold the Tyrant of a Nation.” The Tenure of Kings and Magistrates in Complete Prose Works of John Milton, Vol. III, Gen. ed., Merritt Y. Hughes (New York: Yale Univ. Press, 1962), 190. この版は以下『散文全集』と略記する。

[81] プラトン『国家』440D, 440E-441A

[82] 『失楽園』ではさらに、失明の事例がギリシアの偉大な予言者や超一流の詩人にあったことをあげて、失明がもっている否定的な含蓄を消し去って、盲目であるがゆえにかえって世俗的なことにとらわらず、霊的なことに開眼しているという積極的意義を主張する。

[83] French (1: 366-421).

[84] Arthur Edward Barker, Milton and the Puritan dilemma, 1641-1660 (Toronto: University of Toronto Press, 1942), xvi-xvii.

[85] “truth as the perfect knowledge of universal first principles is not accessible to the individual human consciousness (114, 164).”Victoria Kahn, Rhetoric, Prudence, and Skepticism in the Renaissance, p.59

[86] ウィンド『ルネッサンスの異教秘儀』116-117ページ。