「驚異をごらんあれ」Behold a wonder!(1777)未知への驚異と領属化『失楽園』における追認精神と記憶<驚異>の地誌

「驚異をごらんあれ」Behold a wonder!(1777)

 

整理→ロシア交易のことが書かれている。またその富が詳述されている。それは黄金の羊毛を求めていくのに等しいè論文「黄金の欲望」につなげていく。

要約:

ひとつの枠組みに整合性をもってまるめこもうとする回収への意思は、創像創造の筆という別な動きによっていつも逸脱していってしまうかのようにみえる。しかしながら回収への意思と詩的創造による逸脱との拮抗は、超越的な外部という土台という舞台でおこるたんなるひとつの事象という最終的信念によって抱摂されてい表層では、この回収と逸脱の力動的関係への意思が、『失楽園』を有機的で統一された教義と静的な道徳に凝縮させる一方で、創造の逸脱は反作用として機能して、一方で、『失楽園』というこの詩を不安定でアモフォラスな世界にして創っている。具体的にいえば、「謙虚にして賢明であれ」と教える実用主義は、知というものを、被造物への過度な関心と熱烈な探求をそぎ、ぐようにはたらく。しかし、その主義がたんなる自己欲求の実現とならないように、被造物の創造主(教義)へのへの賛美(道徳)として閉じこめる。転換する。しかし実用主義を登場人物に語らせる叙事詩の語り手自身その被造物が常識を超えた数々の被造物に言及することでものであることによって過渡と熱烈さをもっていることを露見してしまう。知は確認する精神となる。しかし

回収と逸脱の力動的関係という表層下には語られている内容をささえる大きな枠組み――永遠なる神の存在、サタンの堕落、アダムとイーブの存在この二人の堕落、神の子による天地創造、神の子の再臨――が無条件に根拠づけられているこの大枠組み(土台への深い確信(疑い欠如)が最終的に『失楽園』のなかのすべてに事象や出来事を、ある構造・理念・意味づけのなかに封じこめるように機能してしまっている。それがもっともよく現れているのが、本来は異物である新世界の驚異すらも神による被造物、語りうる対象として占有する語り手の態度である。の語り手は、聖書の記述の正しさを確信しているというよりは、聖書の記述を読んで解釈するその解釈の正しさと解釈する自分自身の正当性とを確信しているからこそ、占有できるのだ。

 

→事実と虚構とを区別しようとする態度が鮮明になっている。そのために驚異が削ぎおとされていく。

 

1.     実用主義教訓:多様空間への突入

謙虚にして賢明の実用主義

『失楽園』をキリスト教信仰に深くねざした作者によってその内容が統括されている宗教詩というのが、この詩へのもっとも正統なアプローチである。事実、この叙事詩には数多くのキリスト教的教訓がちりばめられているたとえば、「これより知る、したがうはいとよしと」、「一人でいることは欠陥なのです」といったように、名言や格言録にのっていそうなものがある。

そもそもこの詩が書かれた17世紀中葉において、アリストテレスの『詩学』(紀元前4世紀中葉)にならって、文学作品の目的「楽しみつつ教える」ことであると固く信じられていたなおかつこの詩は文学のなかでも、喜劇ではなく荘重体をもちいて歌いあげる宗教叙事詩であったから、神とのかかわりや生にたいする態度の指針となるような格言風教えがあっても奇妙ではない。[1]つまり教訓性がこの詩の体内に血液のように通い、詩全体がその循環によって保たれていると考えても、それは当然のことといえる。

そんな教訓のなかでもとくにこれまで多くの従順な『失楽園』読者のをひいたのは、「謙虚であり賢明であれ」(8173)というラファエルの格言風な言葉であろう。アダムが宇宙は地球が中心なのか太陽が中心なのかを問うと、。するとラファエルは神が人間にさずけた物に喜びを見いだしていればよいという。、からだ天の仕組み動き方は、人間にとって物理的に実地見聞できず、精神的に人間の理性限界をこえる高度なことなのだ。

地上での生活には直接に関係をもたない事柄にとらわれて気をそらさない「賢明」が必要であるまた、人間の知識には限界があり、神によってしか把握しえない事柄へと踏みこまない「謙虚」がなくてはならない

この格言は、学問の衣をかぶった宇宙へのいたずらな想像への戒めになっている[2]この格言は正しい日々の生き方を忘れてしまう、天文学者姿を思いださせる(図1、図216世紀のエンブレムには、空を見上げる天文学者が自分の眼の前の穴に気づかずに落ちてしまう姿が描かれている)好奇心に身をまかせきってしまいげんに自分が直面している問題を忘れてしまうそれは、ミルトンとほぼ同時代のジョージ・ハーバート、ロバート・バートン、アイザック・ウォールトンのように、都市から離れた田園のなかで、限られた人たちとの交わりのなかで生活し、政治の干渉を感じずにすむような人たちの態度に共通津市手いる。ルネッサンス的生き方の枠組みでいうなら、る。自慰的な態度は、秩序のなかに矛盾や堕落をみつけて、拒絶、非難、叱責、攻撃し、自らあらたな秩序を創りだしたり刷新したりするような行動する生ウィタ・アィーウァ%〕の対極にあるものだ

に独特のれは、硬直した知識人ルネッサンスの人文主義者たちがつきつた言葉である。ラフェエルのこの戒め現実生活との整合性にじりよる的を射た鋭さがある。

 

ほら現に、地動説であろうと天動説であろうと、ウェルギリウス『農耕詩』に散りばめられているような天候や作物植付け、家畜の飼い方のような知識はなんらゆらぐことはない。ガリレオの太陽中心説は、日の出や季節の星座のように地球中心にものごとのあり方を考えてしまう私たちの見方が仮象にすぎないことをつきつけるという意味では、日常の認識の転換をせまる。しかしガリレオ説がどんなに正しいと主張されたところで、日は東からのぼり、夏の夜空にはシリウスが見えるといったように、地球中心の局所的見方のほうが、宇宙全体からの大局的な捉え方よりも、親和性がある。太陽中心説は日常のレベルでは観念としてのみ有効で実益はあまりなく、その意味でほとんど役に立たない。ならば天文学のような実生活には直接結びつかないことに精力をそそぐよりは、神の目からみて正しい社会生活を送るにこしたことはないではないか。いったい、自らの道徳性を磨くことと、天文学を学ぶこととは、それこそどんな関係があるだろうか。実際に自分が今おかれている社会や政治状況のなかでどのような「行動する生」を送るかにくらべれば、天体のことなど、主体が空想を充填するための「毒、空虚」(XXXXXX)にほかならないではないか『失楽園』の続編である『復楽園』において、するとしてげんに踏襲されている

 

 

 

非実用的な知識

しかし皮肉なことに、ラファエルにそう語らせている『失楽園』の語り手その人は、さんざん「他の世界のことを夢想」し役に立つとはほど遠い……ことを十分に知ろう」(XXX巻行)としてきた衒学の人であるかのように天文にかんする知識をそなえている。[3]この語り手は、宇宙における数学的調和を計算しつせんばかりに数値にこったケプラーの業績をちゃんと知っており当時の最新機器ガリレオ天体望遠鏡によ観察によってしかえられないような知見をきちんとふまえている。これら天文学者の業績と知見は、この詩のあちこちで披露されている。太陽の黒点(3588)太陽光線引力説(3583)光線引力による諸惑星の反発と牽引(3579-83)月面の起伏(1291)、金星の満ち欠け(7366)などがその例である。このうち最後の二つの天体現象は、コペルニクスモデルの正しさを証明する有力な証拠と考えられていた。[4]またそうした現象を発見するために必要不可欠であった当時の最新技術作品天体望遠鏡については語り手は三度もこの詩のなかで言及している(1288行、3590行、5 61-62 )[5]あのガリレオの名(5262)でている

 いやそもそも、こうした最新天体知識にさきだってあるプトレマイオスの地球中心説についても、天使ラファエルはただ漠然とした知識をもっているのではない。人工衛星による同時画像による実地見聞できるいまからみれば地球中心(天動説)の間違いは指摘できても、17世紀には地球中心が間違いであると決定たしかな証拠はなかった地球中心説によって天体の動き整合性がなりたつように、それなりの説明は可能であった。ただその説明は、「中心球と離心球、導円と周転円」(884)などが想定され、複雑であったにすぎない。しきれるように中心と離心円と周転円」(884)が考えられていた。宇宙はたまねぎのように、いくつかの球体が層になってあわせてできていると考えられており、そのひとつひとつの球体層のなかを惑星が円軌道を描いて進んでいくと説明されていた。宇宙の中心である地球を中心とする球体層が中心球で、その層のなかの円軌道が導円である。これにたいして離心は、中心である地球から少しずれた点を中心にした球体層のことである。心球でその動きの説明がつくのは太陽だけで、それ以外惑星については月(地球中心説に衛星という観念がないをふくめて、それこそ人を惑わせるような惑星の動きが説明しきれない。[6]そこで、導円円周上を小さな円を描いてまわる周転円が考案され、周転円上を惑星が進んでいくと考え、惑星の軌跡は導円と周転円との二種類の等速円運動の合成になって図形としてはループ曲線を描くようになる。[7]プトレマイオスのモデルでは、この周転円の上にさらにもうひとつの小周転円(副周転円)があり、その運動曲線はさらに複雑になってい(3)。現代科学哲学者フェリスの巧みな比喩をもちいれば、「アリストテレスの惑星が、縄につながれた象のように地球の周りを回っているとすると、プトレマイオスの惑星は、象に乗っている人がぐるぐる廻している縄の先の石の軌道」のようなものだ。[8]このようなコペルニクスの天中心説を、たとえばケプラーが想定にもとづいて再現すると、のようなものになる(図4ヨハネス・ケプラー『宇宙の神秘』(大槻真一郎 岸本良彦訳 工作舎, 1982年)ZZZ)つまり地球中心説とはいっても、たとえばアピアヌスの宇宙図(図35)から想像されるような、地球に一番近い月からもっとも遠い土星まで同心円状になって動いていたというような単純なものではなかった[9]逆にいえば、単純なモデルていどの知識どころか導円や周転円といった天文学用語をラファエルの口をとおして語らせることで叙事詩の語り手は地球中心説にそれなりに知悉していたことを誇示してしまう[10]

ということは語り手は、「他の世界のことを夢想する」ようなタイプの人がもつような知識を十分かどうか別として多分に共有しうる人であり、自然の神秘は単純明快だと盲目的に信じ「謙虚であり賢明であことをいつもつねに心がける人ではかならずしもなかったようだ。そのいっけん矛盾した立場からでてきた好奇心への戒め、好奇心の塊を思わせるセビリイシドロが過度の好奇心に不信感を投げかけているのとほぼ同じ意味合いをもっている。「隠されたものごとを知りたいという好奇心を抱いてはならない。人間の判断力からとおく離れたものごとを嗅ぎだそうとしてはならない」。[11]しかし7世紀初頭頃のこの言葉は、コペルニス説が浸透しガリレオの観察によって説の正しさが裏づけられつつあった17世紀の天文学への戒めと同値でありえるはずがない。

 

一方で知識をもつことを戒めながら、その種の知識をもちあわせるこのヤーヌス態度地球中心説と太陽中心説(地動説の争点がどこにあったのかをそれこそ「知る」ことたんなる二枚舌ではないことがわかってくる。

 

1.1.             地球中心説と太陽中心説の争点

科学と宗教の闘争

 ごくごく科学史の常識見解にしたがって図式的にいえば、中世ではアリストテレスとプトレマイオスによる宇宙の中心に不動のまま地球があるという地球中心体運動説が頑迷に信じられていた。ところがコペルニクスによって太陽を中心として地球が自転と公転をしているとする太陽中心球運動説が理論的に説明される。この理論は太陽を一焦点とする楕円軌道によって惑星運動をより正確に予測するプラーによって洗練化される。天体運動解釈に不動の一変数にすぎなかった円から楕円に、距離から速度量計算へとかわると、いくつかの大円と多数の小円からなるプトレマイオスの地球中心・天体運動説は、より単純明快な楕円軌道の太陽中心・地球運動説からみれば不合理にみえてくる。天体観測を肉眼ではなく望遠鏡をつかったガリレオによってすでに述べたような新現象や木星の衛星が発見され、天体は地球を中心としてそのまわりを回転するという古典中世の宇宙論ゆさぶられる太陽中心・地球運動説に組したガリレオは、その見解ゆえに異端審問所に召還され太陽中心・地球運動説の撤回を迫られ、ガリレオも教会の指導にしたがう。しかしガリレオは、「それでも地球は回っている」とつぶやいたという。このあとニュートンは、万有引力の法則と力学の法則をもちいて、惑星の運動をしくみ(原因ではない)を説明地上の現象と惑星運動とがこれらの法則にしたがっていて地上と天上という二分化世界像にかえて単一宇宙像を構成しこうして地球と宇宙は法則によってつらぬかれたひとつコスモス(その語源は「秩序」)であり、宇宙の中心という地球の特権性が剥奪される。

真理が時代とともに古い権威を駆逐しその姿をあらわし、まさに「真理はの娘」という格言を絵に描いたような軌跡になっている。そこには短絡的に聖書に書いてあることにこだる陰湿なカトリック教会の体制と、それに対抗すべく、数学、機器、観察を武器にして勇敢にたちむかい自然の真理をなんとしても解き明かそうとする科学者の姿がある。

 

科学と宗教の調和

 しかしそんな19世紀の科学史家による頑迷な宗教と合理的科学の闘争という見方は、いまでだいぶ修正を必要とするようになっている。そもそもコペルニクスの太陽中心説はむしろ高貴な輝ける太陽こそ宇宙の中心にあるべきであるという価値観に由来する教説である。ルネサンスから近代初期に太陽中心説が重要視されたのは、新プラトン主義的な太陽への崇敬が共有されていたからであって、科学的根拠と実証だけにもとづいて太陽中心だと主張されたわけではなかった。それはコペルニクスにかぎらず、ケプラーも同じであり、無限の宇宙を考えたジョルダーノ・ブルーノの場合も同じであるまた逆に、地球中心説の原型はたしかにピタゴラスの秩序宇宙であその基本理念は、完全性(球形)、尊厳性(中心)、恒常性(等速)、調和性(単純比)であた。ここに一定の厳密な手続きと条件下でなされる実験や観察にもとづいた実証性があるかといえば、たしかに返答に窮し、とまどわざるをえない。しかし科学のもうひとつの特徴である論理に裏づけられた推論もとづく体系的整合性はここにはある。その意味では、地球中心説もそれなりの科学性はそなえているのだ。そして地球中心説はニュートンの前に完全に滅び去ったわけではなかったこのことを如実に教えてくれるのが、『失楽園』が出版される前年(1673)に出された宇宙世界地図である。そこにはプトレマイオス、ティコ、コペルニクスの三つの宇宙図が平等な資格で描かれている(図6 !IG未への驚異と領属化.DOCどれがいったい本当なか、それはいま私たちが想像している以上に、簡単に決められることではなかったのだ。

直観とのズレ

 地球が中心にあって不動なのではなく、軌道上を動いているとすると、それは直観に反しているように思われた。地球の自転と公転をおそらく最初に論理的な根拠をもって主張したアリスタルコスが正しいとすると、地球の住民はその回転する速度の力によって東のほうに投げだされるはずだし、風もいつも東から西へと強く吹き荒れるはずだ。慣性の法則がだ知られていなかったからじつは、今でもこの法則は科学的に十分に解明されていない、こういう常識的見解による反論あってしかるべきだった。

そこで17世紀においてすらもプトレマイオス宇宙モデルはその信頼性を失わなかった。ただしプトレマイオスモデルそのものはまったく修正されなかったわけではない。最高天のうえにさらにもう三つの天球層が考えられた。それまで宇宙の限界は第八天球層であって、そこは恒星の領域であった。プトレマイオスは恒星の領域でおこる二つの運動を説明するためにこれに始動天という第九天球層をくわえて、さらにもうひとつの運動があることがわかると、第十天球層まで考えられた。ところがコペルニクスは、第四の運動があることを観察によって発見し、運動を説明するために地球中心説論者は、第十一天球層を想定するようになった。[12]

神学者からの反駁

争点は現象を精確にあらわすことだけではなかった。神学者の側からも聖句にもとづく反論が出されていった。相手を罵倒するときには熱のこもるルターは、「このバカ[コペルニクス]は、天文学を根底から転覆しようとしているようだが、ヨシュアが止まれと命令したのは太陽であって地球でなかったと、聖書は私たちに教えているではないか」といって、聖句とのかみあわないことを指摘している[13]ここでルターがいっているのは、モーゼ亡き後イスラエル人をカナンの地に導ヨシュアが、太陽の動きを止めたことをいっている。[14]じつはこれ以外にも、聖書には太陽運動説を支持するような記述がある。病で死の間際にいたユダ王の国王ヒゼキヤは神に平癒を祈ると、「見よ、わたしは日時計の影、太陽によってアハズの日時計に落ちた影を、十度後戻りさせる」(「イザヤ書」388)という声が聞こえ、西に進む太陽は東のほうへ十度分後戻りし、王は死から救われている。

 さきほどからわざわざ動説や動説という言葉を避けて、太陽中心・地球運動説や地球中心・天体運動説という長い名称で表現しているのは、コペルニクス系譜の天文学者たちが解き明かそうとしているのは天球が動いているのかまた地球が動いているのかということだけではなかったからだ。カンパネッラが天体の運動にかんするモデルを説明するとき、コペルニクスの主張を三つのポイントに要約しているが、それらはけっして天球か地球のどちらが動いているかだけにとどまらない。「この本[『天球の回転について』]のなかで、地球が動いていること、天球すなわち星空が不動であること、太陽が宇宙の中心に固定してあることが支持されている」。[15]

コペルニクスの説に反対するカルヴァン、「聖霊よりもコペルニクスの方に信頼をおくものがいるだろうか」と批判するとき、地球が動くことなどありえないとだけいっているのではない天球が動くのであって、それも地球は宇宙の中心にあって不動ということまでも含意しているのだ。[16]地球不動説を支持している聖書の記述はひとつどころではない。プロテスタントのあいだで基本的な祈りの文句としてもっともよく用いられた「詩篇」には世界は固く据えられ、決して揺らぐことはない。(931)、「主は地をその基の上に据えられた。地は、世々限りなく、揺らぐことがない。」(1045)といったぐあいに、地球不動への言及がある。また地球不動だけではなく、天球のほうが運動していることは女預言者デボラによる神への頌詩%しょうし%〕のなかで、「もろもろの星は天から戦いに加わり/その軌道から、シセラと戦った」(520)とあることや、使徒ユダが不信仰のものたちを永遠に暗闇が待ちもうける迷い[さまよい](ユダの手紙13)とよぶ節からもわかる

この聖句は、もともとは、であったが、 詩人にして説教家であったジョン・ダンの次の言葉も、このようなパウロの戒めの線上にある。「もしわたしたちが教会ではよいオルガンの音を聞くことができ、家庭では家族的な音楽を、あなたの[都市の城]壁のなかに平和を、あなたの胸のなかに平和をもつことができるなら、……けっして自分にふさわしい以上の、より高い秘密を知ろうとしてはいけない」(『説教集』7407ページ)【川崎寿彦『ダンの世界』253。にもかかわらずそうした多種多様で同一化を拒むは、現象法則によって、同一事象という地平のもとに一元化される。そこでは、法則に還元化されうるありのままの真の世界としてにのっとった自然世界像こそが、唯一の真実と、近代の私たちは考えてしまうのだ

驚異の発見

レオン・フロベニウスは、人間が地球の表面を横断するだけではなく、宇宙空間へと旅立つことも想像しはじめたこの人文主義者は、私たちの視線が地球にへばりついた視点から剥離していき、地球を外から眺める外部の視点誕生を、地平線の喪失として述べている。「私たちの視野は、もはやこの地球の表面のある空間だけに限られているわけではない。地球全体を見渡している。……地平線が消えたのは新しいことである[17]レオナルド・ダ・ヴィンチは、月から地球をみれば地球から月を見るように見えるだろうと想像した。[18]ケプラーは、月世界への旅を夢想した。

17世紀のイングランドでは、日常の器具や思考実験のみにたよって議論を進めることを嫌うようになっていく。五感を基本とした自然観察ではなく、自然のなかに潜伏していて生まの五官ではとらえられない性質を外的条件を一定にし、外から余計な要素が侵入しないようにして、人為的にそうとする。[19]14世紀の学者たちにみられたよう「想像にしたがって」頭のなかで思考実験をすることから離陸して、自然の現象を映しだす精確な鏡なっているかどうかが問題になってきたのだ。

こういう実験礼賛、好奇心肯定をうけつぐように、よき天文学者の像というものもできあがってくる(図4 さきほどのエンブレムの主張と正反対に、ロレンハーゲン『エンブレムの種』第1番「よき学芸を学べ。はかない仕事を軽蔑せよ。人は才能によって生かされる。才能以外は死となるだろう」。)[20]勉学に励むことを礼賛し、その勉学は、図絵にいる天文学者のように、日常生活に直接にはかかわらないことであってもかまわない。また、フェルメールの絵画「天文学者(5 1668)でも豪華な織物が画面手前の机の上からはみだしているように、そこには17世紀誇り高き知的職業のひとつであるかのように描かれている。

 

2.     驚異の連鎖:もうひとつの多様空間

地図学による既知化

客観性を重視した実験科学がもたらす功績は、従来のワンパターン化されて信じられていた宇宙像や自然観じょじょにヒビをいれていく。在来の宇宙像や自然観とはことなったビジョンを提供することに貢献したのは、実験科学だけではない。地図学も共同歩調をとっていた。

16-17世紀の地図学は、まず一方において三次元の球体であることが判明した地球をどのように二次元平面の地図として投影するかという幾何学とかかわっていた。[21]幾何学のほかに地図学がかかえていたもうひとつ別な課題は、地誌であった。地球や世界図で、地図として表象化される土地が視覚的に目の前に提示されても、地名がなく、それがどういう風土でどういう習慣をもった民族が住み、どのような動植物が生息しているかがわからないままであるということは、その部分が空白であることと同値である。表象化された土地は、それがどういう風土であるのか言葉によって充填されることを待っている。幸い、海路や陸路をとって、西ヨーロッパ人にとって未知の土地に実際に旅行をした人々の数は、16-17世紀には増加した。またそういう人たちの肉声の一次情報を、印刷された本の形で言葉による固定化した二次情報として伝達してくれる旅行記の類の数多く出版された。[22]そうした人々がもたらす情報から、古典権威による記述書き換えられ精確化がはかられるとともに、古典古代にはまったく知られていなかった地域の風土書きくわえられていったこうしてミルトンの時代の地図をひらいてみればすぐにわかるように地球の地形と地誌とはごく一部をのぞいて私たちが現在知っているものと大差はない。[23]

 

繰り返される現実的驚異:地誌としての地図における驚異

こうした地図感覚への正確さは、もちろん一方ではもうお定まりの線遠近法にもとづいた距離感覚だとか、17世紀のイングランドに芽生えた経験にこだわる方法論だとかいうことができる。そうした精神的傾向から、地図はただ一面ひたすらに正確さだけで着色されていたわけではない。当時の地図は、地理という19世紀に確立した学問からこの時代の地図を思い浮かべると、間尺にあわないことがずいぶん記述されている。この時代の地図は、宇宙世界地誌図とよぶのがもっとも適切で、その内容はおおまかにわけると、もっとも権威があったプトレマイオス系譜のかぎりなく地形を幾何学的に正確に描こうとする数理地形描出(6 ペトルス=アピアノス(1524)があり、もう一方にその土地の風物や風俗などを記述して、地形と固有名の羅列におわらないストラボン系譜の地誌的記述(7 セバスティアン=ミュンスターがいる。【→図:(お82)がある。

当時の地図には、古典や14世紀の旅行記がその基調としてひきずっている「驚異」への固執があった。ただしここでいう〈驚異〉とは、人間の想像力がかってに生みだした非現実な〔魑魅魍魎%チミモウリヨウ%〕としての驚異ではなく、実地見聞に裏打ちされ、五感と理性によって納得しうる驚異である[24]16世紀以前、大まかにいえば、コロンブス以前の旅行記や航海日誌のたぐいは、「奇怪なことについて誤解をいだかせる誇張」が含まれているとたびたび批判されてきた。マルコ・ポーロしかり、中国の外洋ジャンク船の航海日誌しかりである。[25]しかしそういう針小棒大、事実誇張の記述とは別に、自分たちが当然と考えている分類におさまりきらない異形なる物――見知った規範から逸脱するという意味でアノーマリ――についての記述が、16-17世紀には積極的になされるようになる。足のない鳥として極楽鳥巨大な牙をもちマストドン、食人風習が地図に描きこまれて、それらが実在するものとして流通しだした。そして、ミルトンの唯一の地誌である『ロシア小地誌』ではあれほどまでに単調であった平板な記述が、『失楽園』の地誌ではそれこそ驚くほどまでに<驚異>にいろどられているのだ。そもそも宇宙世界地誌図は、その場に住んでいない人にとっては、異国がどんな場所であるのかに想像を羽ばたかせる刺激剤であり、よく知っている宗教と慣習がいきわたる共同体ではなく異質の宗教慣習が支配する異界でおこっていることであるがゆえに、従来の道徳とは直接には結びつかない。「謙虚にして賢明」であろうとするなら、地球中心説かどうかとほぼ同じレベルで、考えなくてもよいことである。にもかかわらずここにおいてもまた、語り手は「他の世界のことを夢想」する人でなくてはもっていないような知識を披露しているのだ。

 

驚異の例

そもそもこの世界は神によって創造されたものであり、「神による作品のなにもかもが本当に驚異的(3702)である。美しさひとつとってみても、信じがたいほどのイーヴの美しさ(514-15)、知識の樹の美しさ、XXX、霊妙な空気(練金薬)がたちこめ、溶けた黄金が川となって流れる新世界(3606-608)といったことがある。

しかし被造物はただたんにすばらしいだけでなく、常識を圧倒という意味で世界には驚異的でもあった。その現実存在は日常の存在尺度からはとうてい信じがたいが、現実に存在しなおかつそれをこの目で確認し、その存在の証人となれるような、そういう驚異的存在わざわざこの詩のなかでは登場している。島と見紛うばかりの巨大な海獣(1200-208)ヒマラヤ山岳地帯の西にすむピグミー(1780-781)〔屹立%きつりつ%〕する尖塔が燦爛輝く大都会(3548-551)信じがたいほどのイーブ美しさ(514-15)知識の樹の美しさ、

『失楽園』においては驚異的なものは、パンデモニウム、〈死〉、〈罪〉などといったものをのぞけば、いずれも極度の不快感をもたらすものではなく、出会うごとにうっとりさせる喜び

 XXXXXXXXXなどである

驚異による神への自覚

なぜ驚異を語ろうとするのだろうか。地上の別世界も海や陸による物理的距離によって隔てられている。<驚異>と触れることによって、日常性を根底からつきくずし、多種多様性を許容するような方向へと生を切り開いていく。中世の人々が天上の神にむかった運動は、金なり絹なり共通のものを富として認知する共同体の枠外に出ていく遠心運動に代わっていった。

 

 

 

『失楽園』においてそもそも驚異が、「信憑性への問題に注意を喚起しそしてそれと同時に否定不可能性、つまり問題を投げかける経験という緊急事態の力説を力説になっている。すること、問題を投げかける経験をしている緊急事態の力説になっていると指摘したのはグリーンブラットであった。[26]

驚異を記述することによって、あたかも対象を理解したかのような錯覚にとらわれ、それを知的に所有し、言説のなかに流通させることが可能であると思いこんでしまう。加帆車がどんな場所で、どんな人たちを乗せ、その乗り心地がどんなもので、どういう目的でつかわれ、どんな不便さと便利さを兼ね備えているのかといったような、事物がある環境のなかでもっている肌触りや質感はすべて飛んでしまう。表象化され肉眼や心の視線にさらされるようになって具体化されると、皮肉なことに事物が環境のなかでもっている具体性がすべてはぎとられてしまう。

 

 

とくにここで、ミルトンが手にしたりみることができたはずの地図に、実際に図絵として描きこまれている風物地誌とのかかわりとりあげたいのは、加帆車とアメリカ原住民である。

 

『ロシア小地誌』の驚異のトポス

地理と地誌の属領化

教育的配慮 

ミルトンが『ロシア小地誌』(死後出版1682[推定成立年1643])をまとめた動機は、ミルトン自身の言葉にしたがうなら、教育的な配慮があった。ミルトンは天文学や地誌といった、宇宙をもふくめた世界全体について教えるときに、これまで出版されてきた入手可能な本には不満をいだいていた。地域の文化・風物・気候について、「あまりに簡単であったり逆に膨大すぎたりし、そして時にはある特定分野のことについて諸述しすぎていて」、バランスを欠いていると嘆いている。[27]そうした欠点を克服した、生徒たちに教えるのにふさわしく、記述量も適当で、内容もバランスとれているテキストとして、『ロシア小地誌』を書きあげたというのだ。この小地誌が全世界についてではなく、ロシア一国にとどめたのは、この〔地誌%ヒストリー%〕によって、他国を記述するときの範例となるようにもくろんだためだ。

 

地名の定着

ミルトンは『教育について』において、古典ではなく近代の著者から、地誌を学ぶ必要性を説いている。[28]地名についても古典名だけでなくその地域で使われている言語でどう呼ばれているかという現代名も憶えるように勧めている。そうした断片的知識は、これまた実体を欠いた地理上のどこか一点に関連づけられている。動植物も風物も、地理も宙に浮いたかのように定まらない状態を、近代学問の精華のひとつである地理学によって、属領化しようとしている。浮遊の記号が、ある固定した場所につなぎとめられ定着する。

 当時の地学は、まず一方において三次元の球体であることが判明した地球をどのように二次元平面の地図として投影するかという幾何学とかかわっていた。[29]幾何学のほかに地理学がかかえていたもうひとつ別な課題は、地誌であった。コロンブスの新大陸「発見」に象徴されるように、海路や陸路をとって、これまでなじみのなかった地域に実際に旅行をした人々の数は、16-17世紀には増加した。また、使節団のような形で異国の人々が西ヨーロッパを訪れる機会も増えた。【鈴繁:ティントレットの絵と公会議】そうした人々がもたらす情報から、古典権威による記述を書き換えることによる精確化、ときには古典古代にはまったく知られていなかった地域の風土を書き加える必要があった。

これまで曖昧のままであった西ヨーロッパの外部にある土地の博物をできるだけ正確に記述する必要性は、ベーハムに代表されるような地球儀が知識人や商人そして教育機関で使われるようになり、オルテリウスのような手でかかえてもちはこべる世界図が流布していったことと相関関係にある。【鈴繁:èオルテリウスが地図帳を手にしている肖像。メルカトルは地球にコンパスをあてる姿であるのにたいして、オルテリウスのほうは地図帳をもっている。また17世紀においても、オランダ絵画では地図が壁掛けとしてつかわれている。】地球や世界図で、地図として表象化される土地が視覚的に目の前に提示されても、地名がなく、それがどういう風土でどういう習慣をもった民族が住み、どのような動植物が生息しているかがわからないままであるということは、その部分が空白であることと同値である。

表象化された土地は、それがどういう風土であるのか言葉によって充填されることを待っている。幸い、実地見聞した人々がいるし、そういう人たちが提供してくれた肉声の一次情報を、印刷された本の形で言葉による固定化した二次情報として伝達してくれる旅行記の類のものがあらわれた。[30]【鈴繁:図参照 Orteriusの目次。ホッジンによれば、1480年から1600年までのあいだに、イングランドで出版された地理・地誌や旅行記といったタイトルの本は、100冊をゆうにこえている。George Brunner Parks, Richard Hakluyt and the English Voyages (New York: American Geography Society, 1928), 269-277. Hodgen183 】古典によってすでに言及済みだが、言及されているのはここだと、はっきり地図のうえの一点を指差すことができずに曖昧模糊としており、またそれまで知られていなかったがゆえに空白のままである地理上の空間は、言葉によってピントのあった表象であることが要求される。[31]しかし固有名詞が地理上のある領域に割りあてられるとき、固有名詞が他の固有名詞から区別される意味をもつためには、普通名詞とはやや事情が異なっている。固有名詞としての地名は、土地や気候といった普通名詞のように、一般化・カテゴリー化をおこなわない。普通名詞が一般概念をつうじて言及対象と結びつくのにたいして、固有名詞はそのような媒介なしに直接に言及対象を指示している。この固有名詞に独特なあり方を、記号内容を欠いた記号表現になっていると考えることができるから、たとえばクリスティヴァは「空虚な記号表現」とよんでいる。[32]普通名詞がその内包と外延を比較的はっきりともっているのにたいして、記号内容をもたずに言及対象と結びつく固有名詞は、まさにその空虚さゆえに、普通名詞にはない独特の効果をもつことになる。その空虚を埋めて普通名詞にしようとするかのうに、私たちはその固有名に勝手な想像や思いこみを充填してしまい、その結果、空虚であった場がまさにその空虚さゆえにかえって多義性を獲得してしまう。言語学的にいえば、「固有名詞はラングのレベルで記号内容をもたないがゆえに、語る主体たちの幻想を迎いれ、それと同時に、みずからが核となって幻想を増殖させていく」。[33]そういうわけで、たんに地名をある空間に糊づけしていくだけではなく、その地名によって一般的に象徴される風物慣習、そして歴史を言葉と図絵によって埋めていくことになる。歴史を欠いた地理は、「生命をもって運動するが、まったくめちゃめちゃに動き、不安定である」(Peter Heylyn[34])のだ。

『教育について』や『ロシア小地誌』、そして『ブリタニアの歴史』を書いたミルトンが、こうした地理の言葉充填という路線の上にあることはいうまでもない。

 

1.2現実感覚にねざした驚異

前章で述べたように、ミルトンの時代の地理学は、非理性的で幻想的な世界が実在感をもつ段階からかなり脱皮していたといってもいいすぎではない。そこには探検家、旅行家、商人たちによる記述の蓄積がものをいっていた。近代地理学にこだわるミルトンは、伝聞によって二重三重にゆがめられているかもしれない古典の二次情報ではなく、一次情報にもっとも近い旅行記などを重視したのは当然といえる。もうすこし正確にいえば、いくら一次情報といっても、実際に見てきた人は、自然の記述になれた19世紀の博物学者ではなかったし、また20世紀の文化人類学者のように一定の調査項目リストがあってそれにしたがって観察するわけでもなく、さらには自然科学者のように修辞をきょくりょく避けて散文的であろうとするわけではない。乞われて異国の風物の話をするときには、風物が既存既知のものと異なっていればいるほど、それを実際に見聞したみずからの特異性も比例して高まるわけで、ついつい話には誇張が入ってしまう。しかも自然科学者の観察訓練を受けず、他人が理解し自分が用いうる言葉だけで表現しようとすると、その誇張は紋切り型にしたがってますます従来の驚異的なものが事実であることを肯定するということにもなる。[35]è<届かない郵便>

なるほど、『ロシア小地誌』の精確なタイトルが、『ロシアと、ロシア以東から中国までにある他のよく知られていない国とについての小地誌:実地見聞した複数の目撃者による書き物から集めた地誌』となっているのは納得がいく。またこのパンフレットのなかで、ここに書かれているのは、実際に目撃されたか、その目撃者の言葉を記述したものばかりであると、繰り返し書かれている。 もっとも『ロシア小地誌』そのものは、ミルトン自身がハクルートの記述を多少ことなった言葉で書き換えたものであって、かなりな部分が盗用といわないまでもそれに近い記述になっている。そこで特徴的なのは、ハクルートの記述からミルトンが削っていないのは、信憑性の高いことばかりで旅行記にそれまでありがちの「不思議なことども」はほとんどいっていいほど記述されていないことである。しいてあげれば、樹の又に体をとおして分娩する動物と、白夜の気候である。中年期のミルトンの著作にみられる正確な地感覚と該博な地誌知識への意志、そしてよりも事実のみを描写しようとする意欲が、晩年の『失楽園』のなかの地誌・地理描写に反映することは、ごくごく当然のことである。ギルバートはミルトンの地理感覚や地誌が当時の水準にあっていることを示している。

こうした現実感覚への配慮と正確さこだわる方法論の影響をもろにうけてか、古典や14世紀の旅行記がその基調としてひきずっている「驚異」への固執が『失楽園』はそれこそ驚くほどみられるのだ

非現実なものとしての驚異ではなく、現実感覚根ざした驚異にかんする叙述が数多くあることが指摘されている。【鈴繁:Greenblatt 156PL. 3.542-54

 

 

 

21.驚異の信憑性

2.1加帆車

サタン ところが同じような経験を私たちもすることがある。ある文化からみると驚異的な事柄なのだが、実際にはそのような驚異が実在していたと確認できる例もある。加帆車がその例である。

まず、地獄門を抜け、混沌の空間を無事に飛び、サタンは宇宙の硬い外郭にたどりつくと、そこは「生命あるものも生命ないものも見いだしえない」(2XXX)不可思議でアノーマリーアノーマリーな場である。その外郭をサタンが漂白する様子が、餌の少ない寒冷地イマウス山脈にすむ禿鷹が餌食を求めて南下しガンジス河の源流へとむかう姿に重ねあわされている。

16世紀の世界地図には、地球儀型と壁掛け風平面図型とがあったが、後者のタイプでもっとも有名だったのが、メルカトルの世界地図だった。この世界地図では、現在のアフガニスタンから北氷洋にかけて山脈が走っており、その名がイマウス山脈であった。イングランドはアメリカ大陸への最短陸路をめざして旧ソ連への探検隊をいくども送っていたし、またミルトン自身もさきほど述べたように、ロシアの地誌を一冊のパンフレットにしている。こうしたことからもうなずけるように、北への関心は高かった。しかしその幾度もの失敗が裏づけ、地誌もむしろ驚異の風物誌といったほうがよいことからもわかるように、それは17世紀においてはまだまだ未分明な地であった。この明証と混濁の中間地帯ここに隣接してあるのが、中国の北西部の砂漠地帯セリカナ(現在のゴビ砂漠)であったであるここにサタンに比せられる禿鷹サタンは、南下する途中に一時舞い降りるが、そこではなんと驚くべきことに、帆つき荷車が走っている。「中国人が帆と風を利用して竹製の軽い荷車を走らせる」(3441-442)

この荷車は実在しない想像上のもののように、今の私たちは思ってしまう。[36]ところが、実際に使われていたものなののようだ。[37]メンドーザは、『中国の地誌』のなかで次の次ぎように述べている。「帆をつけた乗り物ないし荷車が中国にはたくさんあり、中国人は熱心にまた巧みにたくみにそうした車を作り、やすやすと操っている。このことは、それをみたことのある多くの人々[ヨーロッパ人]によって信憑性のある情報として伝えられている。それだけではなく、インドやポルトガルでもやはり多くの人たちが、売るために当地からもち帰られた布や陶器に描かれた、そんな車を目撃している」。[38]オルテリウスの『地球劇場』(1592)をはじめとしてジョン・スピードの世界地図にもこの加帆車の絵が載っている。[39]中国の明から清にかけての時代、皇帝でいえばおよそ武帝から康煕帝までの170年間が考えられるが、現存する布や陶器にはそのような車は見当たらない。しかしこの時期の地図には、加帆車の図がのっている。図絵として最初に載るのは、ミルトンの地誌研究でもっとも詳細で権威のあるギルバートが、オルテリウスの『地球劇場』(1592)だと説明している。これ以前にも世界地図あるいは中国地図は刊行されていたが、加帆車が図絵として地図に載ったのはこれがはじめてでる。[40]そこには次ような説明が、加帆車の下に書かれている。「中国人は、まるで海をわたる船舶に対応させるかのように、帆と風をつかって平野を走る車を考案している」。[41] 

ミルトンの時代にもっともイングランドで定評のあったジョン・スピードの世界地図にもこの加帆車の絵が載っている。【ジョン・スピード『世界のもっとも有名な地域の広景』(1627) 「彼ら[中国人]が陸地を旅するやり方」という説明が図絵の上部に書かれている。】

 

 

2.2オランダの帆車zeilwagen

 これが実際に中国でつかわれていた形跡は、現代の中国人に尋ねても、この車の存在を知っていることからある程度の事実だと推測できる。しかし、ミルトンが中国でつかわれていた事実を確認することができなかったが、目と鼻の先のオランダではこの加帆車の実物コピーが建造され実際につかわれていた(図●Danile Dumon, Simon Stevin (Lannoo: Uitgeverij, 1948)「オランダ人たちの力がすぐれていないと思うなら、車を見よ。その四輪はほんの軽く風がふけば進むのだ。」Quo non se Batavium vis exerit aspice currus Quos mod quadrupedes nunc levis aura vehit. 【ウイレム・スワネンブフ、コルネリス・ファン・シッケムの銅版画(1600年頃) 図絵上部のラテン語は次のように読める。】それを実用にしたのが、度量衡として10進法を推奨し、現在もちいられているような少数の表記を定着させようとしたオランダ人数学者シモン・ステフィンであった。海岸線の長いオランダで、数学の知識を生かした水門を開発し、海岸伝いに走るにふさわしい帆付き車を加帆車をヒントにして考案した。[42]Danile Dumon, Simon Stevin (Lannoo: Uitgeverij, 1948)「オランダ人たちの力がすぐれていないと思うなら、車を見よ。その四輪はほんの軽く風がふけば進むのだ。」Quo non se Batavium vis exerit aspice currus Quos mod quadrupedes nunc levis aura vehit.

 

【ウイレム・スワネンブフ、コルネリス・ファン・シッケムの銅版画(1600年頃) 図絵上部のラテン語は次のように読める。】

 

 

 

2.3既知なる表象への願望:アメリカ原住民

2.4原住民の図像学

加帆車と同様に、現実感覚に根ざしている驚異経験となっているのが、アメリカ原住民の記述である。加帆車では、仮想の表象空間である書かれた物をつうじての伝聞情報から、自分の眼による確認という実在の映像空間の実地検証という過程をふみ、む。そのことによって描写されている内容そのものの信憑性を増幅させるという効果がある。サタンが宇宙の外郭をさまようという驚異的で信じがたいことも、それが実在する驚異的なものにくらべられることによって、真実味がましていくのだ。同じような修辞効果をもっているのが、アメリカ原住民の比喩だ。

アダムとイーヴイーヴが堕落する衝撃的な出来事がおこり、性に開眼した二人が淫乱な愛欲の眠りから目覚めると、裸体であることが有徴なことがらとなり、しかも恥という意味づけがくわわるをする[43]そこでなんとかその恥ずかしさから外面的にであっても逃れようとして、葉をあつめて縫いあわせ腰にまとう。恥部を葉でおおいかくした二人の姿は、「コロンブスが近頃」(91116-1117)発見したアメリカ住民の姿にたとえられている。そこで強調されているのは、「羽のついた腰紐」(91117)とその帯以外はなにも身にまとわず「全裸」(同巻同行)ということだ。

アメリカ原住民は、コロンブスが第一回航海のときに、原住民6名が奴隷としてスペインまで連行されている。帰欧すると、原住民を先頭に立てて、古代ローマの凱旋行進さながらに、コロンブスたちは諸都市で迎えられた。[44]同じような出来事は、16世紀の初頭にイングランドでもフランスでもおこっている。16世紀の宇宙世界地誌図では、ちょうど豪華な服をまとい、台座にどうどうと腰をかけ貢物を受けとる女性がヨーロッパの象徴であったように、「羽のついた腰紐」と「全裸」の女性は、アメリカ大陸を象徴するときのほぼ定型の姿になっている(図●)[45] オルテリウスと同様に、地図製作者として名高いホンディウスの世界地理図には、アメリカ大陸のしたに、そのような姿の女性原住民が描かれている。また同じような姿はXXXで、<ヨーロッパ>に捧げ物をする<アメリカ>のなかにも描かれている。【鈴繁:ホンディウス (1617) Mapping of the World Plate 230 (Entry 296)および自分の資料Blaeu, America, Quae Est Geographicae Blavianae Pars Quinta (1605)[1662]】【鈴繁:この模倣版として、Pieter Verbiest Plate 342 (Entry 343)もちろんアメリカ大陸は、いつもこのような姿であらわされたわけではなく、ときには中国人のような傘をかぶりなめし皮を思わせる腰巻をしていたり、アルマジロに乗って弓と斧をもった戦闘的姿で描かれたこともあった。[46]【鈴繁:Plate 266 (Entry 349); Plate 267 (Entry 350)】。そのほかにも、銅版画としても残っているものもある。【鈴繁:Greenblatt, FIG 6. Theodore de Bry, America】ちなみにギルバートによれば、「羽のついた腰紐」についてコロンブスは言及しておらず、コロンブスが実際に目撃したのは、全裸か、恥部を木の葉か綿で隠している女性だったという。[47]しかし新世界を実地に渉猟したヴェスプッチ自身による正真正銘の書簡と考えられた『新世界』Mundus novus (1503 付け)には、アメリカ原住民は羽を身につけていている以外は裸であることが述べられている。その書簡に後につけくわえられた、画家の手になる挿絵には、腰紐にだけでなく、頭や腕にも紐をつけそこに羽をとめている原住民の姿が描かれている。この挿絵のうち、正面やや左の後ろで、男女のインディアンが性行為にふけっている。これも書簡で述べられていることなのだが、原住民は、性的に放縦奔放であって、近親相姦もおこなわれていたという。まさに、アダムとイーヴが堕落後に最初にふけったことではないか。【FIG p112鈴繁:Tzvetan Todorov, The Morals of History  trans. Alyson Waters (Minneapolis: Univ. of Minnesota Press, 1995)

加帆車では、仮想の表象空間の伝聞情報から、実在の映像空間にもとづく実地検証という過程をへて、比喩が言及する対象の信憑性が増幅する効果があることを述べた。アメリカ原住民の姿が堕落後のアダムとイーヴイーヴに比喩として適用されることにも、同じ過程を読みとることができる。ミルトンの時代にはイングランドによるアメリカ化の植民地化が進んでおり、個人のレベルでも英国国教会の教義に反対する人々が、メイフラワー号のピューリタンたちの例からもわかるように、アメリカに渡っている。しかもジョン・ホワイトという専属画家も航海に同行し、原住民の記録を残している。[48]伝聞はもはや不特定多数の他人によって確認された実地検証済みのことなのだ。それは現代の私たちが地球が球体であることを自分の眼で見たことはないとはいえ、人工衛星からの映像などで確認するのと同じくらい、信憑性があることだっただろう。ということは、堕落した二人の姿は原住民の比喩によって生き生きと17世紀の読者に伝わったことになる。しかしここにはそれだけにとどまらないものがある。

腰紐で裸体の図像として、ミルトンのここでの描写した姿にもっとも違い姿は、ハンモックに横たわるアメリカ人であろう。【鈴繁:Günter Schilder, Monumenta Cartographica Neerlandica II (Alphen aan den Rijn, Uitgeverij 'Canaletto', 1987), fig. 138 (p. 157)セオドア・ガッレ銅版画「アメリゴ・ヴェスプッチによるアメリカ発見の寓意」(1589)】この図像の前景には二人の人物が対照をなしている。立っている人物はフィレンツェ人で、新諸島ではなくアメリカ大陸に我こそは最初に到着したと主張するアメリゴ・ヴスプッチ。ハンモック(欧州人からみた新大陸の技術品)に横たわっているのが、大陸の原住民である。航海者ではなく学者の服装をまとったヴェスプッチは、十字架と国旗のついた杖を左手にもち、右手には〔象限儀%しょうげんき%〕をもっている。ポルトガルの国旗はこの土地がポルトガル人のものになることを暗示している。なぜならラテン語の銘には、「アメリゴがアメリカ人を保有し、そして同時に名づけた。それ以来、いついかなるときにもアメリカ人は呼び覚まされる」(Americen Americus retexit, et Semel vocauit inde semper excitam)とあるからだ。ローマ法の所有権にかんする法律にしたがえば、「所有は、座ることによって、いわばなされる」(『ユスティニアーヌス法典』41. 2. 1)であり、中世の註解書ではこの「座ることで」sedibusが「足によって」pedibusとも解釈されるようになる。[49]土地の所有は、現地語とは異なったまったく新たな名をその土地につけることによって、もはや土地の所有権が原住民から名づけたヴェスプッチに移転したことを明確にする(ただし原住民に権利の移転が行われたことが、理解されたかどうかは別)。

そうした法律用語を織りこんだ図の銘は、寝ている原住民を異教のまどろみからキリスト教へと覚醒するという意味がある。ヴェスプッチがもっている十字架は、原住民がキリスト教へと改宗することを示している。[50]アメリカ原住民には、潜在的キリスト教徒という意味と、野蛮な異教徒というイメージがからまりあっている。冒険者がこれまでヨーロッパ人の行ったことのない土地にたどり着き、裸体の未開人を見るときの反応は、積極的なものと否定的なものとの二種類あった。アダムとイーヴの直系がここにいるのであって、これこそ自分たちが文明を築いたために排除してしまった無垢の象徴を感じとる態度がいっぽうにあった。このような積極的な見方とは裏腹に、裸体は恥ずかしさを忘れて淫乱にふける罪の象徴であり、原住民の崇拝する神がキリスト教の神と直接には融合しないから、場合によっては悪魔崇拝とむすびつけられた。いまアダムとイーヴイーヴの二人にはまさしく無垢から罪を負った状態へと変転したわけで、改悛すべき人間として表象化されているアメリカ人と同じような状態にある。したがって、堕落後に葉を縫いあわせて恥部を隠すアダムとイーヴが、羽をつけるだけの全裸原住民にたとえられればることによって、その高貴さを失い異教徒同様な野蛮なレベルにまで成り下ったことが暗示される。そしていうまでもないが、サタンが二人を堕落させようとした動機のひとつは、サタン自身が地球を自分の領土とするために「征服し」(4391)て、「征服者」(1323)である神の力がおよぶ版図を塗り替えるためであった。とくにラス・カサスによる原住民を奴隷化することへの反対弁論以来、「新大陸」という言葉にいつもついてまわるイメージは、征服者によって隷従を強いられるアメリカ原住民ということであった。そのイメージにも、アダムとイーヴイーヴは重なっている。

 

叙事詩の語り手も、こと地誌にかんしては、「それ以上のこと」、つまり「目の前にある日々の生活に根ざす」ことからはおおよそほど遠いことを、しばしば私たちに提示する。現実に世界のどこかで出会いうるという意味では実用主義と微妙にかさなりながらも、自分が今いる日常空間では出会いえないという意味では実用主義から蹴飛ばされる、そういう<驚異>のことがらを、語り手はこの詩のなかに織りこんでいるのだ。織りこまれることによって、同じ世界観のなかにとりこみ編入させること、自らが身をおいている見方の居心地のよさに揺さぶりをかける。 そして<驚異>のことがらは、

 

 

3.     分類と未知なるものから既知なるものへ同化驚異またの名をアノーマリー

分類

しかしこうした現実感覚的驚異のオブラートに、それこそ歴史をふりかえりながら驚くことがと同一化が、私たちの直接の関心ではない。ここであぶりだされてくるのは、分類におさまりきらない驚異としてのアダムとイーヴの姿だ。この時代でも現代でも、自分の所属する社会のなかの事物やことがらを私たちが認識するとき、暗黙の前提になっているのは、事物と存在の分類体系である。分類は、言語を習得することによって、社会のなかの「言語ゲーム」に参加するときに必然的に身につけざるをえない不可欠のシステムである。

『失楽園』の時代にはティリヤードやスペンサーが世界像として抽出した、アリストテレスを基礎にした分類観が、人々の願望の投影ないしは社会秩序のたてまえとしてであったにせよ、あるいは倒すべき因習像としてであったにせ、存在していた。すでにリンネの分類感覚を身につけてしまっている私たちには、種は比較解剖学にもとづいてその形態から分類され、種の違いはあくまでも形態の相違であって、種の相互間に異質なものはなにもない。ところがアリストテレスの分類システムにしたがうと、世界は鉱物・植物・動物・人間という類からなるものになる。この分類は、それら四つを独立したものなのだが、相互に連続した連なりとして考えられていた。分類と別な分類とのあいだをまたぎつながるような中間存在が想定されるようになる。人間と魚の中間にあたる人魚、人と鳥の二つの姿をもつハルピュイアなどの幻想怪獣がその例だ。またある分類のなかでもっとも大きなものや、もっとも小さなものも驚異の対象となる。海に住むもののなかでももっとも体のおおきな鯨は、珍しがられた。コロンブスもカリブ海で「人魚」をみたといっている【★:→Greenblatt類と類のあいだばかりか、類内の存在同士のあいだにも、かならずその隙間を埋めるものが存在している。たとえばプリニウスが述べている足の大きなスキアポディス、ミルトンも言及している足のない極楽鳥といった驚異的事物は、まだ発見されていないとはいえこの世界のどこかに存在する可能性のあるものとして想定されていた。いわゆる「大いなる諸存在の鎖」が、世界のなかをうねり貫いている。

 

 

現実感覚拒絶の驚異その鎖のひとつひとつは、八重九重に折りたたまれたパイの生地のように、複層的に互いに連携し幅広い接触をともなっている。その位階同士はフーコーが指摘しているように、類比・類似・XXXといったような四つの関係によってたがいに重複しあいながら、幾層ものXXつくっている。俗化解釈されたフーコーの『言葉と物』によれば、この時代には、たとえばトリカブトの花の形が人間の眼に似ているから、トリカブトは眼病に効くといったような、外面の類似によるその場その場の意味づけが重層的にしかも四方八方にはりめぐらされていた。互いに錯綜し、私たちが知っていてもう変更しようがないと安易に思いこんでいる分類学からみれば、一元的にその位置を特定できない自然の分類は、錯綜し混乱の賜物とすらいえる。[51]

驚異的なものにたいするヴェスプッチの記述は、これまでのプリニウスなどの著述家たちによって記録されていない新しいものの発見であった。驚異的なものにであって、それに興味をひかれることがあっても、見慣れないもとしての興味である。新大陸はこれまで自分が生活してきた圏外にある断絶した世界ではなく、知られていなかっただけで、イスラム圏やアラビア地域のようにそこに浸透していくことが可能な多孔な場である。[52]

基本的にこのアリストテレスの連続分類体系にしたがっているかぎりは、その連続観ゆえに世界のあらゆる事物はすべてその体系内部に統合されることになる。「新世界」mundus novusや「新地域」oribis novusとよばれた現在の極東・東南アジアや南北アメリカで「発見」される事物は、その連続観からするなら、どのような驚異的であっても秩序内に回収されうるものである。大航海時代の実地見聞によって驚異的事物が「〔作り話%フェイブル%〕」としてくつがえされていったのでかならずしもなかった。科学的な「啓蒙」によって宗教の「愚かさ」が否定できないように、作り話は実際の観察にもとづく批判の集中砲火をあびても、かえってその真実味をまして生き延びることにもなった。こんな両刃の剣の役割を実地見聞がはたしたのは、それまであまり知られていなかったか、まったく無知であったその土地で、探検家たちは、それこそ作り話のなかの驚異的事物を、人魚を目撃したコロンブスのように、ときに追認せざるをえなかったからだ。

このような現実感覚拒絶の驚異を、一時代前の現実感覚というものがまだそれほどきちんと働いていなかったときの驚異と混同してはならない。[→図FIG未知への驚異領属化.doc - 驚異の変化]

たとえば学者兼宮廷人である懐疑主義者サー・ウォルター・ローリーは、次のように中世の地誌にみられる驚異的事物について述べている。[53]「マンデヴィルといえばその記述は〔作り話%フェイブル%〕だと長年思われていたが、東インド諸島が発見されてから、マンデヴィルの叙述はこれまで信じられないと思われていたことにあてはまることがわかるようになった」。[54]日常世界という枠からはずれた地域にかんする書物が、地理上の拡大と大航海時代直前の14世紀中葉に、正体不明の作家サー・ジョン・マンデヴィルによって書かれる。この『航海と旅行記』は、自らの実地見聞し旅行家たちによる諸地域の記述を取捨選択し、そこにマンデヴィル自身の脚色をくわえて、自分で旅行し実際に経験したことのように書いている。その内容は、土地の歴史、風俗習慣、宗教、そしてその土地独自の伝説にまでおよんでいる。ローリーがマンデヴィルの叙述する驚異の信者となれたのは、ローリー自身による個人的な航海体験がものをいっていた。この宮廷人は、アメリカ大陸に強い関心を示し、実際に南アメリカまで航海し、金鉱を発見、「〔黄金の国%エル・ドラド%〕」の実在を信じた。もはやかつて、ギリシア人たちがとっていたように、何を信じるかのその様態は、他人が語っているからその言葉を信頼してその言葉がさししめしていることを信じるということではなくなっていった。自らの眼による観察と自分の足で踏破する経験という、このうえなく確かなはずの生まの感覚によって信じられるようになったのだ。

この信の様態の変化は、「正当化された真実の信念」(『テアイテトス』)というプラトンの観念にたいしても、その正当化が伝聞によるものではなく実地見聞という手続きによっておこなわれることになった。この(一見すると)確実な観察によって、エクリチュールのなかにうごめいていた驚異的なものごとがつぎつぎと追認されるようになる。ローリーの言葉が暗に示唆しているように、学識のある人たちたちは驚異的事物にかんしてえてして懐疑的な態度をとるとはいえ、近代の啓蒙主義者のように迷信だの迷妄だのといった既成の常套文句で、てっとりばやく対象を処理してしまう環境ではなくなったのだ。驚異物についての話を読んだり聞いたりするとき、それを即座に直観的に嘘と決めつけない。驚異物がありうるその可能性の度合いは飛躍的に高まった。神奇を啓蒙主義者のように頭ごなしに拒絶することではなく、その分類体系の必要要件として、また追認という観察結果とによって、から神奇の可能性の許容へという態度変更があるのだ。

日常世界の外部に現実感覚に根ざした驚異的事物を発見することは、もはや疑えないことであって、現実感覚を拒絶するような驚異的な事物は実在しないと断言することのほうがよほど誤りの危険性がたかかった。したがって、ローリーよりも二世代あとのミルトンが、『教育について』のなかで、プリニウスと並んで、中世以来かつがれてきたソリヌスを学ぶべき書物としてあげているのは、なんらで意外なことではない。そのソリヌスの著作とは、『驚異的な事柄についての集成』Collectanea Rerum Memorabilium (3世紀頃)は、そのである。この著作全体のうちおよそ七割から九割がプリニウスの『博物誌』からとられており、マンデヴィルと同様に、驚異的で不可思議な事物の列挙になっている。この本は過去から伝えられ現在に目撃されたという、異形の種族、奇形の動物、不思議な鉱物、海や陸での怪奇現象を、地域順にイタリアにはじまって東の国々を渉猟しその東北端はロシアにまでおよんでいる。プリニウスの巨巻にあたるよりもむしろその七分の一の簡約版であるソリヌスのほうが、ルネッサンスでは註解の対象になっていた。【鈴繁:ソリヌスの権威の高さは、世界地理図のなかでストラボーとともにその姿が載っている。Rodney W. Shirley, The mapping of the world : early printed world maps, 1472-1700 (London : Holland Press, 1987) Plate 88.ここでやや歴史偶然としての皮肉なのは、ミルトンは『教育について』ののちに『イングランド国民のための弁護』(1651)を執筆してフランス人古典学者サルウマシウスを酷評するが、この学者の記念碑的著作はこのソリヌスの註解書であった。[55]

 さてこれらの書物は、いまでなら幻想地理学といったジャンルでくくられそうだが、当時はれっきとした地誌としてみなされていた。ソリヌスの権威の高さは、宇宙世界地理図のなかでストラボーとともにその姿が載っていることからもわかる[56]そうであるからこそ、これらの本のなかの記述が、15世紀の地図のなかに、いろいろな形式をとって記述されていった。ただし地誌=事実、幻想地理=虚偽というのは啓蒙科学思想だけが唯一の正しい表象方法だと信じきっている私たちのえてしておこなう、単純な二分法である。事実と虚偽との二分法そのものが無効化されるような風土があった。

 驚異的事物にかんして16世紀に刊行されたもので大部のものをあげれば、ドイツ人ヨハン・シェンクの『珍奇なる考察』(1584)およびフランス人ジャン・ボダンの『鬼憑狂』(1580)などがある。これらはXXXであった。

 いや地誌にかぎらないなら、『黄金伝説』という書名(金鉱とは何も関係ない)で流布していた、

キリスト教殉教者の生涯列伝は、驚異でみたされている。ベルギーのイエズス会士ジャン・ボラン(1596-1665)は、『黄金伝説』張りの『聖人伝』を刊行している。また、ボランディスト派とよばれる、聖人伝説の真偽を判別するために設けられたイエズス会士たちの集まりもあった。[57]

殉教者は、現在の時間より前で、それの外側にあり、それとは異質のものとみなされていた。[58]この指摘が正しいかどうかは別にして、この言い方にうなら、地誌にかかれている事柄は、現在の時間と同時であって、現在時間の内側にありながらも、なおかつ異質と考えられていた。

 

しかしその逆の反応もあった。驚異的なものにたいするヴェスプッチの記述は、これまでのプリニウスなどの著述家たちによって記録されていない新しいものの発見であった。驚異的なものにであって、それに興味をひかれることがあっても、見慣れないもとしての興味である。新大陸はこれまで自分が生活してきた圏外にある断絶した世界ではなく、知られていなかっただけで、イスラム圏やアラビア地域のようにそこに浸透していくことが可能な多孔な場である。[59]ところがコロンブスがやっているのは、驚異的なものの確認作業であって、そのようなものがいるかいないかをチェックしている。これにたいして

 

 

 

2.51.驚異またの名をアノーマリー

アノマリーを生み出さざるをえない。逆の見方をすれば、ひとつの分類体系が成立するためには、分類の境界線上にある要素をアノマリーとして排除することが必要だということである。そうやって分類体系から排除される要素は、特別な象徴的価値を帯びるようになる。それは、ある場合には「不浄」として忌避され、ある場合には並はずれた儀礼的価値を帯びるようになる。  MaryDouglas

 

不確実性は不安感を生み出す。したがって我々はそれをできるならば回避しようとする。

 

 

原住民にたいする感覚は、もはや生命の樹に不可触でなくてはならない二人へと変質し、このたんに質が変わることではなくあきからに貶質であって、そこには初穂に強力な自然の力が宿っているように、穢れの強度がうごめいている。

 

 

 

 

「コムニタス」の感覚、日常生活における合理性にそくした人間関係を支配している階層性という障壁を、一時的に撤廃しもしくは逆転することを可能にするような緊密な社会集団性の感覚である。この「コムニタス」の感覚と関連しているのが、境界的な状況、この世ともあの世ともつかぬ媒介項的な状況なのだ。

                         リーチ聖書46

 

シ 両義性=魔性(その6)−総括:栗本『処女』144

現実の社会は均質なのではなく、中心的なものと周縁的なものとにわけられている。

中心=日常・光・富・権力・健康

周縁=非日常・闇・貧困・弱者・奇形

抑圧された場に貶められていた周縁がなくては、社会全体は停滞する。中心は周縁に触れることによって生き返る。だから周縁は重要である。また周縁にいる異人はあるとき突然全知全能の神に変身したりする。これは周縁による全社会の活性化を象徴している。周縁にあるものは、これゆえ必然的に両義性を帯び、魔性として意識される。

 

 

 

1.両義的分類の<><>

分類世界

とは異なっている。いや現代の分類学ですらも、その多種多様な自然界の事物を網羅しようとして、四苦八苦していることを、博物館や植物園にいけばいやおうなしにうすうす私たちは感じてしまう。自然は整然としてものという存在の鎖に代表されるような上下の階層関係

自然界が多元多様であるがゆえに、むしろそういう自然から超越しているはず神は自然には本来ありえないはずの一元性をもっているのではないかと、考えられる。

 

 

 

è分類:Fish, Surprised, 107-109

 

 

存在の鎖

 

【中沢新一『野ウサギの走り』(思潮社,1986年)397ページ】

 

方法としての分類への嫌悪:

ロベール・エティエンヌが1542年から47年にかけて刊行したパリ出版目録は、文法書・辞書・その他の本という項目に別れ、それぞれの項目の中では、本がアルファベット順に配列されている。我々の眼から見ればごく当り前になっている、グループ別に分けアルファベット順に整理するというこの目録の構成は、「奇跡のごとき明快な分類」と当時にあっては評された。それまでの目録は作り手の好み次第で統一された目録形式いう観念はなく、もちろんアルファベット順の配列は守らなくてはならないという発想もなかった。第一、15世紀の頃でさえ方法(methodus)という用語は、人文主義者も口を揃えて、野蛮といって嫌った言葉の一つであった。項目に分け、区別し、整理し、それが統一性、内的一貫性を保ち、調和を失うことがない、こういうことを可能にしたのは、親プロテスタントに偏りがちだった出版者や編集者に熱狂的に受け入れられたペトルス・ラムスの哲学であった。

 

 

堕落・未堕落・不堕落

『失楽園』の壮大な世界は、その大きさが天国、宇宙、地獄にまたがり、個性をもった霊的存在、人間、道徳的な意味が付与された動物といったように、そのあり方も多様である。しかしその一般的な印象も、意外に単純な分類によって整理できることがわかる。なぜなら、『失楽園』の世界では、未知なるものが数多く堕落しないものと堕落したもの、[à煮たものと生のもの]それくわえて堕落してはいないが堕落の可能性を秘めたものという三項の対立関係から構成されている世界である。そのなかにあって、<><>はすでに堕落したものであるが、堕落したものたちが地獄から抜け出して、堕落していないものたちの領域に入ることを阻止する役割を果している。堕落しないものがだす指示を積極的に守って、地獄にいますでにいる堕天使たちが、その枠外に出ないようにするための安全弁の役割を果しているのだ。堕落しないものの意志に追順するということは、彼らは本当に堕落したものというグループに安易にいったいくくることができるかどうかが、疑問になってくる。

この二人はとりあえず「天の戦争」と呼ばれている戦いには関与していないようだ。神への離反が堕落であり、離反を鮮明にするのは、空間と時間の軸にそった実践において描きだされるが、<><>も、空間的に神の指示を自発的に離れ、時間的には神の定めたリズムからはずれ、実践的には武力に訴えて神の秩序を転覆するようになるのは、人間の堕落が貫徹してからだ。このことは逆にいえば、サタンと地獄門で出会う以前の彼らは、空間的にはたしかに神から離れた場所にいることになるが、それは他の堕天使たちのように自発的に意志によるものではない。堕天使をかつては見張っていた聖天使ミカエルのように、神の指示を忠実に守っているのだ。★

 

時間的には永遠という神的存在に独特の特権を奪い去る機能をもつものではあるが、それは神から離反したものにたいする打擲である。実践としてはその名前からもわかるように、彼らは神が本来定めた秩序の内部には納まりきらず、秩序の外部にあるものごとの存在を指示する機能をもっている。しかし指示するがゆえにその指示は翻って、彼らがやっていることが神の定めた秩序を保守することになっているのだ。

 そもそも<>は、ペストが跳梁跋扈した初期ルネッサンス期において、人間に逸楽にふけることを厳しく警告した。地上で人間が手にいれる栄光・富・身分がどれほどはかなく消え去るものであるかを教えてくれる、不気味で思い出したくもないがそれでいてつきつける事実を思い出さざるをえないきわめて親切な嫌われ役であった。<〔死を憶えよ%メメント・モリ%〕>とは、なにも特定の聖人にだけあてはまる標語でもなければ、一部の宗教的熱情にもえた人々が外部に向かって声高に発したスローガンでもない。ホルバインの版画「死の舞踏」があれほどまでに刷りまくられた事実は、たとえそれが版画をみているだけのほんの短い時間であれ、人々が一方では自らの種によって産む子孫や、才覚によって膨れあがらせる財という形にかえて、自分の生を延長させるという生を視点とした思考パターンから抜け出すことを意味していた。自分がこの世においてなにかを所有することの意義そのものを問い返し、成長を裏返した遡行による、生を死から眺める視点が受容されていったということだ。

 

<><>は、自ら自身のうちに曖昧なゾーンを保守しているのである。この曖昧さをいいかえるなら、完全に規定可能であるにもかかわらず、それがはっきりとした現実体ではないということだ。また別ないい方をすれば、他のものから区別されるという意味において特異でありながら、それでいて前個体的であるということだ。アポロン的な明晰にして判明な理性の分節化を拒み、建築的な思考を破壊し情念を肯定する酩酊のディオニュソス的なものといってはおおげさになるが、存在の鎖のいまだに発見されていない奇妙な一部なのだ。

 

 母なる<>は、「おぞましい異形」(2649)とよばれていて、女でもあり蛇でもある「二重の形をして」(2741)いるが、その姿は、古典のスキュッラやヘカテなどの異形なものとしてすでに描写済みでひとつのタイプとして固まっているものによって、表象されている。[60]ミルトンが特別につむぎだした「異形」というよりは、古典やあるいは古典に準拠した異形なる怪物の描写であって、それはすでに「異形」として定型化しており、不可知というよりは可知のものとして回収されうるのだ。この姿は異形を描きながら、読者には慣れ親しんでいるがゆえに異形なるものに本来は充填されているはずのおぞましさが、生々しいものとして迫ってくるのではないといえる。むしろ古典やその類の同時代文学の描写とくらべても、異形度がより高いかどうかという程度問題になっている。けっして独創性をミルトンが発揮して、生々しいおぞましさを喚起しているわけではないのだ。

またその子である<>も、サタンから「醜悪なexecrableな形」(2681)とよばれるほどであるが、その形相は復讐女神の束にした姿として描写されている。[61]そして<>とサタンとが戦う直前でも強調されていることは、 <>がその異形性を倍増倍化させていくことである。しかしその異形性も、地獄の王と自ら自負する<>がサタンによって犯されることに怒ったことだけが唯一の原因ではない。「至高なる方」(2691)に「傲慢なる反逆」(2691)を企てたことにたいする憤りに近いような感情を抱いているからである。しての統治権を置かされた

 

人間にとっても感覚されうる延長のなかで繰り広げられることによって、かえって逆にまったく抽象的な概念として取り消される。しかし取り消された後においてすらも、ひとつひとつの行為としての死や罪にはそれ自体においては、<><>巻き込まれたまま存在する。228BT

 

 

 

 

2.未知なるものから既知なるものへ

 

 

既知化する薄明の理性

当時の人々が「驚異」とよび、いまの私たちなら妖怪とよんでしまう<><原罪>加帆車、極楽鳥、アメリカ原住民も、世界の事物をとらえるときにすでに既成常識となっているあらゆる分類方法から、かならずしも拒絶されるわけではない。驚異的な事物は、言語化されること照って徹頭徹尾きらい東鉄日拒み、人間の頭のなかで空想されえない、徹底的に非合理な存在として表象されることがない。彼らが本来所属している世界が、常識をこえた特別な驚異世界であることはたしかだとしても、その世界にある事物は人間の常識や空想力を、通常のレベルよりも増幅させて使いさえすれば、理解しうるものになる。その世界へは、理性の力をやや斜めに働かせれば、たちまち道が開かれ、その世界の驚異的事物は理解可能な種類の秩序をもったひとつの物へと変貌するのだ。

そういえば、〔理性%ロゴス%〕の語義のひとつには「〔振り分ける%ロゲイン%〕」があり、ものごとを分類するという運動は、理性のもっとも原初的な働きであった。この語源の基本的な意味に忠実であるなら、理性はいつも最初から判明にして明晰にあるではない。対象を判明にして明晰なある一定の領域のなかで凝集し固めていく以前の段階として、曖昧にして混雑な薄明の境界面上に、理性の視線はむかっている。驚異的事物が生息している地帯は、判明・明晰の焦点が結ばれたなじみのある間尺にあわないとはあわないという意味で非合理であり、る。親しんでいる明瞭な秩序とはかんたんには融和しないという面において闇であるのにすぎないのだ。常識を揺さぶり、空想力を酷使し、理性のピントをずらせば、理解しうる範囲のさまざまなかたちをした驚異的事物があらわれてくるのだ。

そもそも驚異的事物をそのまままるごと全体に述べようとしても、焦点が結ばない対象を薄明下では理性は「おぞましい」とか「奇怪な」といった形容詞しかつかえない。かわりにとられる理性による言出方法は、各部分の記述を順におこない、全体像をつくりあげていくことだ。その記述は、すでに日常の分類法によって既知となっている明瞭な特徴を各部分にあてはめていくわけで、対象にぴったりと合致するような、精密正確な表象をめざしているわけではない。特徴を部分部分にはめこんでいくことで、その驚異的対象は、常識・空想力・理性の枠からはずれそうでいて、既知なるものとして捕獲されうる対象に仕立てあげられる。

 

確認する精神

このようにして境界事物が表象化されることによって、境界事物は通常の分類にあわない属性を有徴の記号としてもち、それが他者性と意識される。ところがこのような事物の他者性は、他者のままにとどまる他者ではない。「同化できない他者」として恐怖心の震源になって語り手にとりつくわけではないし、読者にもそのようなインパクトをあたえるわけではない。[62]語り手は、他者性の記号をもったものをも、手際よく自己中心的な磁場のなかに理解可能なものとしてとりこんでいる。恐怖やアノーマリーアノーマリーなものと出会うときに感じる生々しい恐怖や戦慄は、削ぎおとされ馴致される。他者であるがゆえに本来あるはずの他者性は、なんとなく忘れられ、他者は語り手が言葉をつむぎだすことによって構築している言語空間の文法を、精密化するための注釈になりさがってしまう。単純にそれまで知っていた世界内の分類にあてはまらない「他者」がいるという意識はあっても、それがそういう分類のなかにややいびつなものとしておさまりきる。既成の分類にははまらない同一化不可の意識は、はるか遠くに後退してしまう。その場合、他者にむける視線は、プラトンによる対話のように、「共通の探求」であって、他者とむきあって自らの言葉の網の目で相手を最終的には捕縛する。ここで他者の他者性が馴致されてしまっているがゆえに、自分にとって既知なるものに回収させず、どこまで異質な未知なる怪物として出会っていく対話的精神は深く省みられることがない。

たとえば加帆車。サタンが宇宙の外郭という私たちにとっての異界にたどりつき放浪するが、その世界は本来であるなら理解不可能、理性の明瞭な把握を拒むどろどろしたものである。その他者性はどこまでも保持されるかのようにみえ、実際にその場のサタンの行動に、加帆車という日常分類にはあわない驚異的事物が織りこまれる。ところがこの加帆車は分類にはあわず、秩序に一貫性をあたえるものからいびつにズレ奇妙にれている。そうした逸脱にもかかわらず、その揺さぶりがどこまでも他者性として機能しない。揺さぶれた日常の秩序はたんに一時的な視界のブレを経験するだけで、理性はその判明・明晰の焦点をすぐに結ばせて、おどろおどろしい他者性をねじふせる。新歴史主義がもっとも好む常套事態、「損失回復、封じ込め、理念的融和」がおこる。[63]他者性がそれなりにおさまりのよい異質性にすりかわってしまう。それは確認する精神の働きといってよい。

確認精神が働く結果として、他者性はまさしくその比喩(加帆車)によって言及されている当の対象(サタンの行動)が、いままさに日常の既知なる世界ではない場にいることの証左として機能してしまう。

 

 

1.1.         コロンブス型同化優越感覚

 自己願望を現実と取り違える。ツヴェタン・トドロフ『他者の記号学』26

 1 コロンブスは大陸を発見したと判断を下した際に三つの動機が少なくともあった。第一は人間的な動機(富が豊かで利益が得られる)、第二は宗教的な動機(聖書の記述との一致)、第三は自然との交歓が生み出した動機である(淡水が海の沖の方まで流れている)。19

 こうしてコロンブスが島を誤って大陸と誤読するのは、

「まことに驚くべきことに、人が大いになにかを欲望し、かつ自己の想像力の中でそのなにかにしっかりと結びついてしまうと、見るもの、聞くもの、あらゆるものがそれに都合よく働くような気さえするものらしい」(ラス・カサス『インディアス史』 トドロフ29)からである。「異なった体系とは体系の不在に等しいのである」53

 それは基本的には自然の記号と人間の記号との根本で断絶があるからだともいえる。自然の記号は二実体間の安定して指標であり、記号表現としての存在だけで、ただちにそれがどういう記号内容なのかを結論づけることができる。ところが人間が自然を記号として読み取る場合には、自然に名と意味を同時に付けていくわけで、自然はまるごとの自然そのものではなくて、言葉化された自然となり記号体系として把握される。言葉は音声と事物とを直接に結びつけるのではなく、主体にとってそうであると思われる心的な現実を媒介にしてつなぎあわせる。34

 2 他者にたいしてとる二つの態度がある。

同化主義:他者(インディオ)を自分と同じ権利をもつ人間と考える。だがその場合、彼らを対等であるばかりか、同一と見なし、自分自身の価値間を他者に投影する。平等の原理は、無=差異[無関心]を生む。

優越主義:他者と自分との間には差異があり、差異とは優越と劣等とに価値づけられる。他者を誤認し、そして自分とは異なるがしかし同じ権利をゆうする主体として認めることを拒否する。差異の原理は優越感を生む。

 この正反対の二つの態度はいずれも自己中心主義として括ることができる。自己固有の価値観と価値一般とを同一視し、私と宇宙とを混同し、世界はひとつだという信念にもとづいている。59 69 86

 

驚異の事実化

レヴィ=ストロースの言い方をかりますと、神話とはその中でどういう主語とどういう述語でも結びつきうるような言葉である。つまり日常のわれわれの経験の中で、例えば「人間」という主語に羽が生えて空を飛ぶとか、あるいは地面の中から湧いて出てくるとか、そういった述語は絶対に結び付き得ないのですけれども、神話の中では、そういう日常的に絶対あり得ないような結び付きつまり出来事エヴェヌマンが何でも起る。要するに「不条理」で「不合理」な出来事の連続が、レヴィ=ストロースがそれをセカンスと呼んでいます神話の内容を成すわけです。

吉田敦彦,『神話学と知と現代』(,河出書房新社,1984年)25ページ。(Myth

 

 

不確定化する精神

ただし『失楽園』の語り手はなにもかもが自らの地場のなかで理解されうるものとして知的に所有されるなどという甘い幻想はいだいていない。ラファエルがアダムにいうように、語り手には、自分がいまこうして語り続けていることがかならずしも正確な再現前化になっていないことが意識されている。語ることによる再現前化の限界にたいする意識がもっともはっきりしているのは、におけるサタンの堕落という出来事をラファエルの口をつうじて語るときである。天のことがらは人間の理解をこえる(5XXX572)のであって、「霊的なものを物的なものなぞらえて話をしている(5XXX574)のだから、けっして語っているままのとおりのことがおこったなどと誤解してはならない。

再現前化への不全は、アダムにむかってこの天使がことがらを語るときにたまたまここで顕在化しているだけだ。じつは『失楽園』のなかで再現化される対象となっている、地獄のサタンとその反逆の企て、人間の堕落と神によるその許しといった一連の物事や出来事叙述全体に、不全感がありありと感じられるようになっている語り手がもちいるシンタックス(語法)やイメージは、物事や出来事がじっさいにどのようであったかを一義的に明晰に再現前化することをこばむように機能している。語りに安易に埋没してその語りを判明な表象と思いこむことがあっても、語り手はそんな読者の意識の足下をすくうかのように、られたこと実際の物事と出来事との安易な等値と決定をたえずずらしていく。

シンタックスのレベルでは、主動詞がどれなのか、副詞的でありながら意味は形容詞であったり従属節が房のようにまとわりつき、どこでひとつの文になっているのかが、たえずはぐらかされていく。[64]イメージは、なにかをきちんと正確に語り伝えるための手段としての機能よりは、そのようなイメージではなかったり、そうしたイメージをこえているといったように否定と超越性によってできるかぎり示唆的であろうとする。しかもあるひとつの物事や出来事にそうした否定的で超越的なイメージを複数重ねていくことで、イメージ同士がせめぎあい、物事や出来事の現実像をひとつのくっきりとした焦点に結ばせないようになっている。[65]

 

『失楽園』のうねるような荘重な文体は、意味の決定を遅延させ、多声を演出するし、「それは……に匹敵するものではなかった」、「比較を絶するものであった」(1587-588)、「表現が及ばない」(3591)といったような否定的比喩の連鎖は単一な表象像を思い描くことに歯止めをかけ、記号の単数性からたえず逸脱する力として働く。この詩は、書き方という面でいうならば、科学や宇宙世界地誌といった分野でもちいられる平明な文体や透明な叙述をまるであざけるかのような書かれ方をしている。[66]「否定神学」…な表現を介してのみ捉えることができる何らかの存在がある。少なくともその存在を想定することが世界認識に不可欠だ…「体系的には決して語ることが出来ないものがある」、この地点にまで『失楽園』は到達しているかのようなのだ。

 

優位の確認する精神

にもかかわらず、叙事詩の語り手の言葉によって時間とともに空間を組みたてつつ、その空間のなかで次々とおこる出来事を現前化させながら、そういう空間と出来事によって現実世界を丸ごとそのまま包みこみ、現実世界のなかでまるでわからないことはないかのような伝え方をしている。たとえば、加帆車の比喩サタンの行動に異なった事象をかぶせ巻きこむが、それによってサタンの行動が別なレベルのネットワークにはまりこみ分だけ、あいまいでとらえどころがなくなるかといえば、そうではなく。むしろ逆で、「ちょうど○○であるかのように、××であるという、叙事詩におなじみの表現によって、その姿は十分な具体性がなく一枚岩だった表象から、むしろ鮮明で視覚的にとらえられうる像を結んでいく。もちろん語り手が構築する空間のなかに、私たち読者も埋没し、まるで映画でもみているように出来事に立ちあうことが、語り手とともに、確認する精神に荷担していることはいうまでもない。

こうして確認精神が働く結果として、他者性はまさしくその比喩(加帆車)によって言及されている当の対象(サタンの行動)が、いままさに日常の既知なる世界ではない場にいることの証左として機能してしまう。これは、目と耳と頭脳のなかで同一化してしまうといってもよい。この詩の文字を読みながらリズムをもった言葉を聞きつつある耳は、聞きつつある生成の過程にいつも立ちあっている主体と結びついている。ところが、頭のなかで言葉を理解し焦点のあった表象として再現前化するとき、主体はそんな表象を心の目でしかと見つめることになる。そのとき、どんなに耳では、その表象が指示している起源(オリジナル)が表象そのものと等値ではないと聞いていても、その表象をみてしまった目が力によって、頭のなかでは等値だと理解されてしまう。「かも知れない」の位相が排除され、目が耳におおいかぶさり、決定できないという否定性がもたらす不安が抹消されてしまう。うねうねとした否定的叙述があるにもかかわらず、ソクラテスの無知が皮肉にもひとつの知として回収されてしまうように、物事や出来事の確認記述として真正性をもってしまう。

 

天使が通る

 真正性にかんしてさらにつきつめていえば、この詩では神と人間との中間の位階にある天使がイエスや聖母マリアが存在したように、現に存在するものとして数多く登場している。人間にとって不可視の存在としてではなく、天使たちは人間の気づかないところで間接にかかわるだけでなく、ラファエルやミカエルのように目の前に出現して、長い時間を人間とともにすごす。にこの二人は、人間創造以後に人間を教えさとすため人間の言葉を語るという点でユニークである。この二人の天使はもちろん人間創造以前から存在しているが、アブディエルと同様に、創造以前の世界においてこの二人がおこなっている発言は、天使の語りを経由しての語り、そのままの言葉でないはずの語りである。実際に人間の言葉を話しているといえるのは、5巻から8巻にわたる長いラファエルによる、人間堕落前の語りと、人間堕落後にアダムにむかうミカエルの語りである。

 くりかえすが人間の言葉をこの二人天使は話しているのであって、二人と表現せざるをえないが天使は人間ではないので、同じく人間の言葉で語る叙事詩の語り手とは本質的に異なっている。叙事詩の語り手が人間、それも堕落した人間であるがゆえに、知は「推論的」であるのにたいして、天使の知は「直観的」である。そういう天使が語ってくれる内容は、語り手と同様に「人間の感覚の範囲をはるかに超えていること」(5571-572)であるが人間にも理解できるようにと用いられている比喩は、語り手のそれとは自ずと微妙にことなっている。たしかに天使も語り手も「大きい物事を小さなことで表現する」(6310-311)わけなのだが、語り手は人間、それも堕落した人間であるがゆえに、その比喩は技巧的で長いものになるが、逆に天使のそれは簡潔で牧歌的である。[67]ところがここで奇妙なことは、そういう天使の語りを語っているのは、じつは天使その人ではなく、語り手その人である。いま天使その人という言い方をしたが、天使はたとえ「直観的」であるといっても、その人間言葉記述しているのは語り手その人なのであり、純粋な天使の発言ではありえず、文字通り語り手という人間によって仮構された「天使その人」である。[68]ということは、物事や出来事の確認記述とはいっても、そこにはいつも仮構という陥没点があり、その穴の存在にひとたび気づくと、確固たる確認どころかそれはズブズブの相対主義の泥沼のうえに浮かんでいるあやふやな確認になっているのだ。

 

 

驚異の実用性

自己起源の根こそぎ

驚異は確認する精神と手を取りあいながら、実用主義と結びつく。驚異も実用主義も、確認する精神がたえず認証しつづけてきているそれまでの既成の考え方を相対化するようにみせながらも逆に自己の規範が道理かなう正当性と、まともな血統をもっている正統性強化するようにはたらく。そこでは日常性に揺さぶりがかけられるが、それはほんの一瞬のことであって、日常性はまるでもなかったかのように即座に回復される。自らがひたる制度相対的であるという意識はきわめてうすい。r解消されない

Greenblatt, 48.

 

実用主義というのは、その共同体のなかでの価値観や、価値観を反映した生き方とよりそって、共同体の既成秩序を手放しで肯定するだとふつう考えられてしまいがちである。農耕にかんするウェルギリウスの記述しかり、政治にかんするキケロの発言しかり、道徳にかんするセネカ態度しかりであり、それらをルネッサンスで総合したアルベルティーしかりである。学んだことが頭のなかだけにとどまっているのではなくその知識を、実行にうつす知識実践が実用主義である。共同体の政治という公のレベルから家庭とい私的レベル、そして道徳や宗教という内的境位にいたるまでなにをどうすればよいか考えるのだが、それはえてして既成秩序の補強として機能してしまう。

実用主義のもう一つの顔は、共同体がいまげんにある政治・宗教・家庭にたいするあり方やそのあり方にたいする教導が、共同体にとってふさわしくないと感じれば、即座にそのあり方や教導を批判することである。ミルトンに即していえば、結婚がその本来に意味において機能していない家庭においてすらも離婚が認められないというあり方や、そんな家庭へ離婚を認めないような教導は、徹底的な批判にさらされる。国王を超法規的存在とみなす共同体の慣習にのっとった見方にたいしても、人民の安全権と法の優位性とを根拠にして、挑戦する。議論を展開し自名入りのパンフレットを発表し、共同体が王擁護へと流されていく方向に歯止めをかける実用主義は観照の生活、〔瞑想の人%イル・ペンセローソ%〕の態度と、思索が錬磨されるという面においては同一の境位あるが、その思索は共同体のなかで言葉となって響き、共同体の現状変革をせまる剣としてつきつけられるという面においては、一線を画している。そして瞑想の人が「逃避する修道院の美徳をもつのにたいして、実用主義者はとはちがって、共同体にたいしてあるべき姿を提示するメッセージを流しつづけて、共同体のなかで自分の議論の正しさを展開し、その妥当性ためされていく。実用主義は、自らの生活の全体で受けとめるような要請になっているし、そうならざるをえない。そしてここには思想を実践しようとする自己の意志があり、みずからが信奉する主義・信条自発的にしたがうという意味で、自由な意志がはたらいている。

自律の概念が不可分に結びついている

 

しかしこういう見方そのものは実はフヒィテから来ている。

ここにフィヒテが生涯を通じてその体系構築に精力を傾けた「知識学」が打ち立てられる。「知識学」は、端的に確実な知識、すなわち「私は存在する」という自我意識に立脚する。自我とは自由に行為することにおいて端的に存在する実践的な主体である。これを「事行」(タートハンドルンク)とよぶ。自我・事行は、学問およびあらゆる知識の基盤である諸事実の根底に存し、それを成立させる根源的な活動である。つまり、主観的、客観的を問わず、およそいっさいの事実は、実践的な自我・事行の活動の所産なのである。「知識学」は、こうした自我・事行のあり方を体系化することによって、すべての学問の、さらには知識一般の根拠づけを行うのである。

 

強化するためににたいしてときには強力な批判の矛先をむけるための武器となる。ことになる。

 

 

断言的確信

読者が次々と神の義が貫徹する壮大な道徳詩として『失楽園』を読めてしまうもっとも大きな原因のひとつ、語り手が語りえぬものを語りえるのだという強い確信があるからだろう。「永遠の摂理」「神の道」(126)はそもそも人間理解という布置のなかでは中心にあいた欠如の穴である。そのすっぽりあいた穴は、人間の理解をこえるものであり神が人間の世界におよぼす力とその意味を決定することは人間には不可能なはずである。わかっているのはほんの一部、詳しいことはわからないはずである。このことが読者にもっともあからさまに伝わってくるのは、ミカエルが語る終末までの人間の歴史は、楽園追放からイエスの磔刑までの説明の詳しさにくらべると、イエス復活・使の宣教以降からは記述が抽象的実体を欠き、この詩が書かれた時代以降の出来事についてはほんの数行で終わっていることである。将来おこることを何でもわかっているかのようなミカエルの説明が、新約の世界においてりながらも教えられることは一部だとはいわない。

語り手は、その未規定な意味の深淵のまえで圧倒されない聖霊が詩人を教え(119)き、「照らし、……ささえ(123)てくれているという確信があるからである。もちろん詩人は神と同様にこの詩のなかでは、聖霊そのものがなんであるのかその正体未規定で曖昧なままにしておく。正体の不分明は、なにもかも判明明晰にとらえ、目で耳をおおう読者にとって不興な雑音として響きつづけるが、にもかかわらず、語り手がありありとしめす、聖霊への信頼と聖霊による教示と助けは、けっして実証的に語ることはできないという審級そのものを自覚化しているにもかかわらず語りえないという審級を無効にしてしまう。あるいは場合によっては、この審級むしろ真理なのだと決めつけて、安住してしまい、安易な確定をしりぞける文体、否定的語り口ることに自己満足してしまう。うした無効化と自己満足が、有機的表象にあまりにもなれて無反省に有機的表象をうけいれている読者に語りえない天・楽園・地獄が適切に語られ、表現不可能であるはずの天の戦争・サタンの墜落・人間の堕落詩人によって語られたままほんとうの現象事実としてあるかのような錯覚に陥る。「<楽園>については私は適切に語ることができない。なぜならそこにいったことがないからというジャン・ドマンデヴィル謙虚な譲歩がなく、裏を返せばこの詩にはマンデヴィルにはみられない宗教的熱情の高揚感があるのだ。[69]

 

善意の思考への安住

「読むことの冒険とは、本来、自分自身の軌跡を周到に消し去る[=戸外の思考の内部にはまりながら戸外の思考を否定していく]ことで実践される、本質的に緩慢で希薄は身振りでなかったか」。78

 

 

「批評」:

@   起源を欠いた反復の体験、

A   その反復と自由なる「差異」とを遭遇させる運動の実践

B   遭遇の舞台である時空は、根源的に希薄で底なしの深み109

→起源を欠いた反復と、自由に生じる差異とを遭遇させる運動の実践である。遭遇とは、時間と距離との測定可能な外延的世界ではなく、もっぱら内包的に強烈な緊張感として体験される運動である。111

 

時間と距離との測定可能な外延世界ではなく、

内包的に強烈な緊張感として体験される運動である。111

善意の思考と共有された意味が支配する圏域を離れて、

基礎づけられるべきはずのものがまさに姿をみせようとする地点に口を広げる深淵にまでおもむき、戯れてみる。

思考が身をゆだねる残酷さこそが、思考の「生殖性」である。113

× 自分の思考を模倣しつつ思考の運動を演じてみよ!

◎ 自分とともに、愚鈍の残酷さを実践してみようと招く。

 

 

宗教的熱情と他者不在

世界宗教とは、内部と外部という共同体の空間に対して、もはやその外部がないような「世界」を開示したのです。……一つは、「神を畏れよ」ということであり、もう一つは「他者を愛せ」ということですね。この場合の「神」というのは、共同体の神々のことではありません。「神を畏れよ」とは、むしろ共同体の神々を?けよという意味です。……この世界には、外部も内部もありません。そして、「他者を愛せ」という場合の他者は、不気味な異者ではない。この「世界」でのみ、見出され出会う……あるいは交換しあうようなような他者です。

柄谷行人『言葉と悲劇』(講談社文芸文庫, 1993年)219ページ

サルマシウスへの反論は誹謗中傷が数多く含まれているが、それは自らが主張しようとするひとつのメッセージこそが唯一の真理であるという強迫観念にも似た思いこみがあるからだ。そのような偶像視は、たとえその出発点に理性にもとづく理論構築があったとしても、結果としての建築物には「熱心党」を〔髣髴%ほうふつ%〕とさせてしまう。

 


 

 

 

ここには、わかりやすく簡単にいいきってしまえば、聖書の記述と一致するという宗教的な動機がありありとみてとれる。[70]まさしく「低くして賢明であれ」なのだ。

確認する精神

確認する精神と対照的なのが、対話的精神である。確認的精神とは、普通のコミュニケーションのモデルで考えられているような、話者と聞き手が対等の位置にあって、両者にとって理解可能なメッセージを交換しあうというレベルの対象とのかかわりである。このモデルでは話し手が言葉を終えた瞬間に、話し手は聞き手へと立場が逆転する。いやすこし考えればわかることだが、相手が話し出すその瞬間から、話しは自分がこれから話そうとすることを心のなかで了解しているわけだから、話し手自身が自らの考えを追認していることになる。それは、聞き手についてもいえることで、話し手が伝えようとする内容は、その発話が終わる以前から理解可能であることが前提になっている。

 

ことを逆転がいつもスムーズにおこなわれるから、話者と聞き手が対等の位置関係にあるといえるわけだが、むしろそうであるがゆえにここには他者は不在である。話者はあるメッセージを語るが、そのメッセージは発話が終了する以前から、すでに相手によって理解可能なものとしてある。話者と聞き手の対等な関係は、相互に対称的であって、交わされるメッセージを対称線にして話者は聞き手とぴったり重なりあう。これは、「自分が話すのを聞く」(バンヴェニスト)という関係にあるのだ。

ここには、語り手と聞き手とのあいだに誤解はあっても、語り手は聞き手に了解してもらえるはずだという前提への疑いはない。ミルトンが自ら選択し所属している社会なり思想空間そのものの任意性については、おそろしいまでに鈍感なのだ。理性によって支えられているから大丈夫だ、神がきっとみているから間違いはないという保証があると、安直に思いこまれている。

 

対象をめぐって視界が澄み渡る一瞬を期待し、言葉をイメージを比喩として共有しながら、その一瞬へと向けて存在を組織しているという現実が恐ろしいのだ。

 

 

といってもよい。

 

すなわち「意識」から出発しているからです。バフチンが「他人に語られる」というときに、それは「命がけの飛躍」とも「暗黙の中の飛躍」ともいわれている、通じるかどうかわからないがとりあえずってみて、その反応をみながら相手を了解しつつ自らを相対化していくということである。

柄谷行人『言葉と悲劇』(講談社文芸文庫, 1993年)91ページ

疑いということ必ず一つの共同体から出ることであり、相異なる多数の共同体の差異を自覚することです。いいかえれば、自分の住む共同体の任意性といいますか必然性ではないことを知ることですねそれが「コギト」にほかならない。スピノザはデカルトの「我思う、故に、我在り」は三段論法ではなくて、「我は思いつつある」ことだと述べています。つまり、デカルトの「コギト」とは、そのような「外部性」として在ることなのです。……単独的・私的な実存の在り方です。誰も支えてはくれないし、何の保証もない。デカルトは、まさにそのために、神の存在という問題をもちだすわけです。

柄谷行人『言葉と悲劇』(講談社文芸文庫, 1993年)240ページ

 

確認から旧弊へのおとしめ

もう一世紀も前の、おそらく最初の『失楽園』研究者とよんでいいローリーは次のように『失楽園』の驚異について述べている。「『失楽園』が成立していることそのものが驚異である。不可解なもの、不自然なもの、グロテスクなものという巨大暗黒空間のうえにいつ壊れぬともしれないアーチを渡しているのだから」。[71]この指摘を誤解してはいけない。ローリーは、『失楽園』にみられる観念や思想がもはや現代(19世紀末)には適応できない古臭い内容の遺物であり、そうした観念思想をさして、不可解、不自然、グロテスクといっているのだ。私たちが驚異といっている異界の対象のことではない。

なのだが、それでもいちおう読むにたえる理由として、驚異的であることを指摘している。

 

対話的精神では、自分自身だけに特権的に理解可能で直接所与の個別的なるものを、自ら語る私的〔物語%ストーリー%〕が第一次的である。それを普遍一般化しさらには単純な因果律や相互連関の網の目で整序化してしまう〔歴史%ヒストリー%〕的言明からは、はじきだされている。主体が普遍化された個人として抱く現実性の地平に視線をあわせる歴史的言明では、主体的なもの、個別的なものが捨象されているがゆえに、誰にでもあてはまる真理を語る〔形態%モード%〕となりうる。しかしそもそも肉声で語るとは、他者から区別されうる個人であることを示す機会であったはずだ。

 

 

 

 

 

バフチンは、「言語というものは他者に語られるものだ」ということを非常に強調するのですが、

すでに別稿で述べたことだが、『失楽園』はその強固な概念枠組みと語り手の揺るがぬ確信によって、まるで作品の意図・主題・XXX枠組みがきちんと整形されて、善悪の二元論が貫徹しているかのような言語空間にみえてしまう。「神の道を正当化する」という基本題目にそって、その題目に関係するさまざまな系列がたちあがり、その系列のなかのどこかに個々の要素が結びつけられて、因果や対立などを軸にして諸要素が明確化される。こんな有機的秩序体系のなかでは、他者もどこかの系列に押しこめられてその異性は無徴のものとして無視される。

アフリカ大陸南端の就航、コロンブスの新大陸到着、北極ロシア経路開発といったように、15世紀末から16世紀にかけては、それまで伝聞によって間接的にしか知られてしなかったか情報が皆無であった土地がしだいにその外貌をあきらかにしてきた。その過程でパウサニウスの『ギリシア記』のような地誌が、数々編まれ出版されていく。そこに記述されるのは、従来の種にすんなりと所属されることをこばむ特徴をもった物事や風物であった。足裏を傘にするスキィアポデス、カニバニズムにていくが、から

[72]

そもそも他者の他者性とは、自分がこれまで観念として知っていたかもしれないが生まの感覚として自らの心に即時的に与えられることがなく、意味連関のなかに収容しきれない意味の出現、であって、それはもう謎(enigma)の出現としかいいようのないものである。[73]

 

 

他者理解のパターン

3ラス・カサス型−「多性性」− 262 266 336

他者を理解し、他者の独自の価値体系を認め、同化主義的な愛を捨てて、かわりに分配的な愛をもち、神という絶対的な視点からすべての人間と宗教を相対化させる。これは透視図法での画家と対象との関係に画家を神に対象を人間・宗教に置き換えれば、そのまま通ずる考え方である。またブルーノの宇宙相対主義にも連なっていく。

 しかし神のもとでは人間はすべて平等で差異は存在しないことになると、他者への無関心といっさいの価値の放棄につながる。348

 

4ドウラン型293

一方の文化記号を他方の文化記号に徹底的に翻訳し、他者と自己との差異を無視して、類似性に固執する。→価値次元と実践次元で分裂を起こす

 

5サアグン型

自己を他者に部分的に同化させ、すべての人間に差異を認め、自己によって他者を知ると同時に、他者を通して自己を知る。337

主体としての他者を承認して、ともに共同しあうような他者の外在性の肯定が求められている。347

 

&キリスト教の他者理解−Gal3:28

@神との単一性で人間の単一性を導いた。モース人類下113

A平等だが階級問題には一切触れない。トドロフ他者225

 

 

再び未知なるものへ

<>にしても<原罪>にしても、それはすでに神学のうえではどういうものなのか、おおまかな概念はできあがっていた。

プロテスタントの運動は、しばしば個人化や内面化といった文脈で捉えられてきているが、すでに既知となっている<><原罪>を、それまで通念化され一般概念となってしまいもはや既知なるものの一部としてその生々しさを欠いた<><原罪>を、『聖書』という言語空間のなかでふたたび活性化させ、甦らせる作業であったということもできる。ルターの徹底した罪への意識も、カルヴァンカルヴァンの預定説も、あらためて人間の罪深さを自覚させるという方向で機能した。これらをカトリックの教義体系からはがすことによって、<死>も<原罪>も、未知なるものとして、既知なるものの構造からなお類推、対比、反転などによっては把握しえない知の怪物としてたちあらわれようとしていた。蛇を見たときに多くの人が感じてしまうような、表象不可能な生々しいのっぺりとした感覚をともなっているはずの<><原罪>は、物象化をほんらい受けつけないという意味では物というよりは事といったほうがふさわしい。

 しかしミルトンの<><原罪>の描写はそれを裏切るかのように、私たちにとってこれらを二つの物として提示する。物象化にそれこそ憑依されたかに思えるスペンサーを、詩人ミルトンは、「賢明でありまじめな」詩人として尊敬したわけだから、<><原罪>を物象化するのは当然といえるのかもしれない。しかし、ルターやカルヴィン、そしてこの二人にその影響力こそ匹敵しなかったが、ブラウンや再洗礼派の教祖たちは、それぞれの言説空間を構築することによって、既成のカトリックの神学体系によってあらかじめ決められた聖書の解釈や、それに付随してみえてくる世界への向き合い方を、カトリック模倣という環境からキリスト教徒を解放することであった。詩人ミルトンにとっても、それは同じであったはずだ。というよりも詩人として、神学者とは異なった問題に直面していたはずだ。

 

論理的にわからない描写がある:

1.  the material but invisible Heaven of Heavens =a symbol of ineffable spiritual realities concealed in the Light which surrounds the throne of Deity. (p. 13)

 

 

 

叙事詩として書かれた『失楽園』に演劇は、

 

 

 

 

『キリスト教教義論』と『失楽園』との関係

『失楽園』は詩であって、けっしてある教義の宣言文書ではない。ミルトンは詩と教義とを別なものとして考えている。詩に必要なのは〈本当らしさ〉verisimilitudeと〈秩序正しさ〉decorumであるが、教義では〈考証〉testimonyが要求される。〈考証〉というのは、「あることがらがかくかくしかじかであると誰かがする証言であったり、証言している人のいっていることの肯定や否定のことである。しかし、肯定の証言がないからといって、証言が指している対象が存在しなくなるわけではないし、また否定の証言があるがゆえに証言が指している対象が存在できなくなるわけでもない。」(『論理学』132章)。[74] 神学上の

いい方をすれば、読者に

ΣΣΣそうではなくて、ない。

ΣΣΣ

ΣΣΣしかしここで問題となるとなるのは、書き手が思いもよらない方向に運ばれながらも、書き手はあくまでも自らの「意識にのぼったこと」をそこに文字として書きつけているのだという同定作業を、文字を読むことによってともすればおこなってしまうことだ。この同定作業は、「意識にのぼったこと」と「文字によって書かれていること」とを等値におきかえる単純作業とは異なって、錯誤が含まれている。なぜなら、一方において「意識にのぼったこと」はつぎつぎとズレていくわけで、書かれたことを読むことによって浮かびあがってくる内容は、その微妙なズレと漸次続いている運動とを表現しえないことになる。「意識にのぼったこと」と「文字によって書かれていること」とは、ここでは本来は同定化しえない。しかし読むことによる同定化は、このズレことを忘れさせてしまう。また同定化が可能にしている前提は、書き手が書かれたもの(文字)を読む読み手となるという瞬間瞬間において、主体は読み手として書かれたものになんらかの固定化した意味を読みとれるということである。それと同時に、あたかも固定化した意味が意識にもともとあると思いこめる、そういう思考パターンをもっているからである。意識のなかに生じるなにかを、あたかもそれ自体で存在するものごとのようにとらえているから、物象化現象が起こっているといってもよい。書かれたものを読むことによって、精確には書かれつつあるものを読みつつあるという運動状態において、読みこまれつつあることは、まるであらかじめそのような意味が内的にあったかのように思いこんでいる。物象化が私たちの精神的構えに私たちに気づかれずに深層で及ぼしている影響は、そこに書かれていることを誰もが読みとりうる可能なある特定の意味として回収してしまうことだ。紡ぎだされた文字から、特定の意味が間主観性を共有する共同体全員に理解可能である特定の意味が読みとられる。

 

 

In Nietzsche ’s text one consistent reading continually erases itself and invokes its opposites, and so on indefinitely “ ‘totality of N.’s text,’ even fragmenary or aphoristic.” xxxvii

 

²  a plural style

 

²  the will to ignorance((joyful wisdom))

the will to ignorance : the eruption of arbitrariness in feeling, seeing, and hearing, the enjoyment of the mind’s lack of discipline, the joy in human unreason.

 

ものとは本質的に異なっている

 

 

 

 

 


 

4.     抑圧の機構としての地図学

富のあらわれは、神の領域と人間の世界との、ちょうど境界面上で起る、移行現象として捉えられている。純粋な多次元体である神の領域からは、エネルギーがたえず放出されている。そのエネルギーは人間の知覚世界に触れるとき、激しい次元変化を起こしながら、物質化された富に変容する。

中沢新一『純粋な自然の贈与』(せりか書房,1996年)ページ

「絶対的に独創的なるもの」は、無でもなければ有でもなく、無と有の中間の領域に生起する現象なのだ。…「構造」は、無に内在していて、その無が有に移行する境界の領域で、ある物質性をおびることになる。そのために、有のなかには、その「構造」の痕跡が残ることになる。だが、当の「構造」そのものは、「絶対的に独創的なるもの」として、夢と同じように、実体を持つものとしてとりだすことができないしろものなのだ。

中沢新一『純粋な自然の贈与』(せりか書房,1996年)136/138ページ

ここで地図製作者たちがおこなっているのは、そうした聖霊の力を数学のなかに封じこめてしまうことであった。しかし彼らとてそれがうまくいかないことは知っていた。知りつつも最大限に理性の力を駆使しつつ、それを追行しようとしたのだった。

ところがひとたびその聖霊の力が形となって登場すると、簒奪者として悪名高いピサロのように、

それは富を手に入れるための手段として利用するのにきわめて便利な道具となる。


 

3.5.     驚異のトポスと裂け目

裂け目弥縫

 

脱構築批評の片鱗をもうすでに50年前も示していたウォールドックは、叙事詩としての『失楽園』にはその最初から「裂け目」riftsを縫合する宿命にあったことを、くりかえし強調している。[75]この「裂け目」がいったいどういうことなのか、この批評家は明晰判明に定義をくだすことを避けている。筆者なりに了解可能性という鍵言葉をつかって、こうなるだろう。

 新地への航海者たちは、見聞したこと自体が自分たちがそれまで知っていた日常のあり方とは異なった驚異を経験することになる。<>や〈罪〉のような怪物も、加帆車や羽腰帯のような珍奇なるものも、そして宇宙世界のなりたちのような不可思議なことも、そうした驚異のなかに埋没してしまう。可能な存在と不可能と思われる存在、真なるものと偽なるものといった二種類の相で分類を受けつけないアノーマリーなものが、ここには顕在化する。「謙虚にして賢明であれ」という日常志向に精神をあくまで縛りつけておくなら、そんな未分化なものは視野にはいってくることがあっても、一時的な例外どちらでもよいこと¢diafor…aとして忘れてしまってさしつかえない。【→彌永信美『幻想の東洋』(青土社, 1987年)2021377378

私たちが日常生活をおくっているときには、世界への了解可能性はこうした閉じられた世界としていちおう保証されている。世界は私が信じ考えている意味づけによって了解可能だとすると、世界はどこまでいっても閉じられているはずだから、驚異的なものは私が勝手に案出した空想ということになる。しかしひとたび怪物・珍奇・不可思議なものはいったいなのかなのか、そんな存在がこの世界に可能なのか不可能を真剣に考慮しはじめ、それぞれの存在意義までも考えだすと、それらは日常のあたりまえ性に解消されない特殊イメージであるだけに存在の真偽・可能不可能という水準を突き破って、世界にたいする私たちの了解可能性という根本的信念にひびがはいることになる。ましてや怪物・珍奇・不可思議なものが、実物として自分の眼の前にじかにもってこられたり、動かしがたい証拠によってその存在が確固たる事実として証明されるとき、それらは了解可能性のほうこそが幻想であり、現実は語りつくすことのできない多種多様な意味が雑多に群がっていることを理解せよと迫ってくる。

 

 

 

驚異の叙事詩の信憑性

反対に近代人にとって、神話とはむしろ大事件の報告となろう。そこから、その伝説的な側面が生まれる。大事件は偶然の要素によって損われるどころか、むしろそのことによってますます、叙事詩にふさわしい形で肥大化する。というのも民衆の魂が国民的な大事を肥大化させるからである。伝説は民衆の天分を起源とするが、民衆の天分は、本当に真実まちがいないことを語るために、想像譚を作るものなのだ。伝説のなかでなににもまして真実であることは、まさしく神奇的な事柄にほかならないのである。そこにこそ国民的魂の感動が翻訳されているからだ。まちがいにせよ、ただしい理由があるにせよ、古代人も近代人もトロイア戦争の歴史性を信じている。ただし正反対の理由からである。われわれがそれを信じるのは、その神奇性ゆえにである。彼ら古代人がそれを信じたのは、神奇にもかかわらずである。ギリシア人にとってトロイア戦争は実在した。というのは、戦争には神奇なところがなにひとつないからだ。つまり、もしホメロスから神奇を取り除いたら、残るのはこの戦争ということになる。近代人にとってトロイア戦争は、ホメロスが戦争の潤色に使っている神奇ゆえに真実なのである。なぜなら、国民的魂を揺り動かした真実まちがいのない事件のみが、叙事詩と伝説に生をさずけるからである。ポール・ヴェーヌ,『ギリシア人は神話を信じたか』,111ページ,holly

 

 

地誌の驚異qaàma

裂け目がでてきそうなたびに、すでに既知のものとしてある文学作品や、著名な作品が山脈となって形成されている伝統という山並みのなかを探し回れば、すでに人口に膾炙されているトポスはほとんどかならずみつかる。この時代の文学で誰にでもすぐに思いつくのは、堕落以前の楽園状態をすでに既習済みの〈黄金時代〉に重ねあわせることだ。

また楽園で知恵の樹の実を食べるように誘うべく、イーヴに近づく蛇サタンの姿も、ルネッサンスではとくに賞賛されたウェルギリウスの『農耕詩』にでてくる描写を下敷きにしていることは、一読瞭然である。[76]

そして加帆車もじつは古典に地誌上の〈驚異〉というトポスとして、すでに準備されている。たとえば、ヘロドトスがスキティアの地誌を述べている箇所には、次のような叙述がある。「海とキメリアのボスポラス湖は一面凍結し、その氷上を人々は荷馬車を曳いてわたり対岸のシンディの地にいたる」。[77]

分類におさまりきらない異形なる物については、フランスで「prodigal」という大部の本が出版されていた。

 

裂け目が生じることは、未知なるものとの遭遇として、いっぽうでは驚愕をもう一方では表象による占有によって既知なるものへと転換する。未知から既知へと水路づけをするものとして、既成の文学はかっこうの道具を提供してくれるのだ。その意味では、文学は誘惑の産物であるともいえる。

 

怪物の馴致

 

 

作り話から追認という過程

デズデモウナは、オセロウから驚異的なことを夜な夜な聞いていたようである。「さまざまな旅行の途次の体験談、たとえば広大な洞窟、不毛の砂漠、そそりたつ絶壁、天にもとどく巨岩の高い山、……それからまたお互いに食いあう人食い人種アンスロポファジャイのこと、肩の下に頭のある人種のことなど」(13)

ウリーッセ・アルドロヴァンディUlisse Aldrovandiの『蛇と龍の話』では、観察による正確な記述と、先行する書籍からの引用、伝聞、創作が同じ資格で入り混じっている。その本には、蛇龍の体型、蛇をつかった紋章、その生息地、龍にまつわる神話、また医学や魔術に使うさいの用途が、まじめに論じられている。この記述方法は、今の時代からみれば、実体と虚構とが雑然といっしょになっている世界としてしかみえない。[内田隆三『ミシェル・フーコー』(講談社現代新書、1990年)61ページ]

 

 

6.     唯一真理論VSプラグマティックな意味格率

第二部で教えたかったことは、正確無比な表象を集めたものが知という観念は、プラグマティズムでいう知の観念[〈プラグマティックな意味の格率〉、〈真理にかんするプラグマティズム〉]によって置き換えられる。

クーン的な意味での規範と例外を考え、「正常・規範」的言説と「異常・例外」的言説とを対比させる。前者は同意に到達した範疇を具体的にあらわしたもので、後者はそういう範疇を欠いている言説である。「正確無比の表象」が可能なのだから「合理性」や「客観性」があると主張すると、行きつく先は「正常・規範」的言説の強化補強という自己欺瞞的作業になる。

他者理解をしながら彼らがちょうど数学的自然観をすべてにさきだつ土台と見なし唯一の真理とみなした。またフィッチーノなどのルネッサンス・プラトニズムにもそのような唯一真理をなんとかして獲得しようとする熱烈な願望がある。【→彌永信美『幻想の東洋』(青土社, 1987年)375-376ページ】

真理の断片をにぎるということは、こういう唯一真理論にたいして、プラグマティックな意味格率だったはず。にもかかわらずそこに到達できなかったのは、世界が意味の了解可能性のなかでいつも閉じらうるいう幻想疑問をもたなかったから。

 

 

 

 

4.7.     亀裂の人文主義

亀裂

亀裂

 批評という言葉にこめる意味が、ただたんに作者が、その思想を、潜在的な言葉として時間軸の上に送りだし、それをいささかの距離をおいてうけとめる読者が、読みつつある現在に続く未来の瞬間に、潜在的な起源の顕在化として再現することを助けるということなら、ウォールドックは批評家ではない。しかしそれは批評というよりも研究といったほうが適切だろう。私たちはこの種の研究書が暗黙の前提としているのは、作品には作者がこめた意図というものがあり、作者のその本来の意図が充填されそれを運ぶ媒体としての作品から私たちはその意図を正確に再現することが、正しく読むことなのだということである。作者の意図→作品→読者という三者の関係は、意図を起源として作品と読者がその起源を表象するという作業にほかならない。

しかしウォールドックが批判し、「問い」として提起するのはまさにそのような確固不動の真理であるかのようにうつるその三角構造である。

批評とは、すでに通念化してしまっていることを疑い新たな視野を切り開くことのはずである。とすれば、微細な箇所にまで技巧がこらされ目配りがいきとどいている精巧な建築物を思わせるカトリックの教義体系に、亀裂を入れてそれに対置しうるような神学体系を構築したルターやカルバンカルヴァンは、批評家であった。規模において劣るとはいえ、多くのミルトン研究書のなかにあってウォールドックのその批評性は群を抜いている。

 

ウォールドックを賞賛するだけに終わるなら、筆者自らもウォールドックの批評精神を起源として、その表象再現前化につとめているにすぎなくなる。二度目の模倣は喜劇におわるといったのは、これまた怜悧な批評家マルクスがいったことであるが、喜劇を演じている暇はない。この批評家をさらに批評するそういう視点が、批評の礼賛には必ずつきまとうというねじれがある。そのねじれにあえて忠実にしたがうなら、ウォールドックはあたかも詩人ミルトンが古典を借りることによって、裂け目を縫合しえたと推測しているが、むしろ古典と聖書との齟齬があちこちにみられてしまっている。

 もはや堕落以前のその世界にいたることができずにいながら、いわば「観念のヴェール」をとおしてしかその世界に至りつけないことへの憤り、逆に時間の完成の末にしか「顔と顔を見つめる」(パウロ)関係に入りえないことの不満がある。簡単にいえば、ちょうどデカルトが心について、自己の心のなかで感じられている生まの感情ほど自分によくわかるものはないというあの特権的接近が、詩的世界をもってしてもできないことへの苛立ちである。

 

 

不調和と合わせ鏡(クラットウェル)

 

不調和と合わせ鏡(クラットウェル)

 じつはこうした言葉による表象が、日常において体験する生まのあり方なり体験過程において生起する種々の感情や思惟の微妙な動きを正しくうつしだせないという不満は、時代の風潮として共有されていたようだ。中世に懐古しつつも目の前には新しい現実が広がっているという複雑な精神は、ダンの恋愛詩に典型的に反映している。ダンの詩の主題は愛を中心として、愛する人と愛にかかわる人との状況や、愛するということの経験やその気分であるが、個々の詩の気分が相互に矛盾しても、ちょうど「悲喜劇」というジャンルがなんの不思議のなく成り立つように、矛盾した要素の混交として作者を悩ませることがない。「矛盾したものがひとつのなかで出会う」48のであり、「愛で一番すばらしいのは、その多様性」であり、それはクレオパトラの「無限の多様性」といってもよい。47 また作者自身自分の心の「変わりやすさ」に気づいていて、「時にはぼくは自分の魂の顔を変え、顔がへんげする」49といっている。「これは自分の姿であり、これはまた自分を外側から見た姿であり、これはまた私を眺めるあなたの姿である」というものである。84 

こうした複雑な感覚を、クラットウェルのように「心理的印象主義」とレッテル付けしてしまいのでは、あまりにも安易な解釈へと流れていってしまう。あらゆることを詩にしようと絶え間なく企て、それは精神状態、体調、感情からどんなことが起こっているか、そのためにどんな事態がもたらされたかといった結果の記述にとどまっておらず、そうした状態が生まれる過程にまで及んでいる。過程を詩として記述するというはマーロー、シドニー、スペンサーといった、一時期前の作家には見られないことである。ある状態が生まれる過程を詩にするには、複雑で不調和なものを敏感に感じ取る感覚がなくてはならないが、そのような感受性がこの時期の新しい文学作品の様式を作りあげているのである。この複雑な感覚の典型は、自らが作品として構築した表象に内心で驚嘆しながらも、それでいて最終的には不満足で当惑という不調和になっている。

出来事は人間がそこにいて、外側から説明可能な理由があってその人がなんらかの行動をとるのではなくて、人間がある気分にとりつかれるので出来事が起こるのである。103  あらゆるものを詩の中に取り込むことができ、経験をさまざまな秩序の枠で捉え、それでいてそうしたものをひとつの焦点に収斂させることができるということは、当然社会環境もそれに平行したあらゆる要素を取り入れ、自らの磁場においてそれらを秩序立てる、そういう社会であったはずである。

政治は保守的で宗教は正統派であり、同時に人々はそうした中心が現実とはそぐわないことを知り、心の片隅で混沌の力を敏感に感じ取っていたが、作家は個人として混沌の力を敵と感じその力の支配を巧み避けることが作品に力を与える原動力になっていた。作家は演劇家として混沌の力に人間が敗北していく姿ではなくて、混沌の力にたいして人間が勝利を治めるヴィジョンを描くことに専念した。ここに希望がなぎ倒され悲観主義に染まった文学ではなくて悲劇の文学が当時生まれた理由がある。複合性・多様性というのがこの時期の文学の特色だと主張してきたが、多様性を許すような社会とはそれ事態でモザイクのように多様な要素からできているはずで、多様性とはまとまりを欠いた多元性とは異なって混沌としているのではなくてそこになんらかの秩序がある。貴族的でありながら気取らず、階層を重んじながら階層が石化していないのである。この時代には両極端の力の間を微妙にバランスをとりながら進んでいくところがあり、一時代前のエリザベス朝では貴族の気紛れや粗野にはどことなく青さが漂っていたが、その臭みがこの頃になると抜けてきて、洗練の生きに達する。洗練されているといってもこれは18世紀の貴族の洗練とはまた別で、。そのような複雑すぎる技巧性とはまったく無縁である。[柄谷のマクベス論はここからきている。悲劇とは世界に意味があると思い込んでいるから起こってくる。]114 135 

   

 

インスピレーションという神秘的で、訳のわからない過程、その過程を可能なかぎり意識化しようとしたのです。

 

 そういえば人文主義とはすぐれて懐疑主義的であった。

 

 

5.8.     旅人(自我保持者)と漂流者(幼生の主体

「ヘブル書」

神への反逆者であるサタンは、基本的には漂流者である。ピューリタンが新約聖書のなかでもとくによく言及したのは『ヘブル書の地上の旅人という箇所であった。これは、カトリックのような地縁にもとづいた教会のあり方とは異なった、ピューリタンの教会形成論としてしばしば用いられている。【鈴繁:大木英夫】

ここでいう旅人は、基本的には中世以来の天上志向というベクトルを考えるなら、ベクトルのやじりにこめられた熱意クトルそのものを支える信仰のあり方は変質しているかもしれないが、その方向はまったく同じだといってもよい。

旅人というのは、旅人となる前に長らく住んでいた故郷と、これから旅をして到着する新地との間を取り結ぶ仲介者の役割はたす。仲介するからには、あまりにも当然のことであるが、旅人は、ひとつの世界から別の世界にはいりこんでいく

13世紀のフランシスコ会士でアジアまで宣教にでたルブルックのウィリアムは、「私にはまさしく異なった世界に踏みこんでいくかのように思われたといっている。同じ感覚は5世紀隔てたスペインの科学者ウリョアにもみられる。南米を回にわたって調査したこの軍人は、新大陸を海上遠くから距離をおいてみると、とても奇妙という印象をもち、「まるで自分たちが別世界へと運びさられようである」といっている[78]

同じように、

 

 

 

じめじめして暗い混沌の荒涼たる広き無秩序へとまちまちに飛び、力を込めて、(その力は大きかったが)海上を舞う。

 

 

 

宗教による主体の統一

「私が苦々しく思うのは、食前にも食後にもそれぞれ三度も十字を切りながら、他のあらゆる時刻にはただただ怨恨と欲張りと不正とをこれ事としている者どもを見ることである。」

中島義道『哲学の教科書』(講談社, 1995) 274

同じようにミルトンは『アレオパジティカ』のなかで、8時に出ていってしまう宗教のことを述べている。

主体はそれほど確固としたものであるのか。

 

他者との出会い

世界宗教とは、内部と外部という共同体の空間に対して、もはやその外部がないような「世界」を開示したのです。……一つは、「神を畏れよ」ということであり、もう一つは「他者を愛せ」ということですね。この場合の「神」というのは、共同体の神々のことではありません。「神を畏れよ」とは、むしろ共同体の神々を?けよという意味です。……この世界には、外部も内部もありません。そして、「他者を愛せ」という場合の他者は、不気味な異者ではない。この「世界」でのみ、見出され出会う……あるいは交換しあうようなような他者です。

柄谷行人『言葉と悲劇』(講談社文芸文庫, 1993年)219ページ

サルマシウスへの反論は誹謗中傷が数多く含まれているが、それは自らが主張しようとするひとつのメッセージこそが唯一の真理であるという強迫観念にも似た思いこみがあるからだ。そのような偶像視は、たとえその出発点に理性にもとづく理論構築があったとしても、結果としての建築物には「熱心党」を〔髣髴%ほうふつ%〕とさせてしまう。



[1] 【鈴繁:ガードナー、宗教287ページ】

[2] ミルトン自身は人間の分限をこえて宇宙天文学者が探求することに否定的であった。Kester Svendsen, Milton and Science  (Cambridge: Harvard Univ. Press, 1956), 77.

[3]ルネッサンスからバロックにかけての叙事詩において、一人称の語り手が語るという形式をとり、この語り手が作品全体を統括する視点を提供する。そういう語り手の存在を必要としないのが、演劇である。ラファエルの語りを「セリフ」して読むことは、この時代の文学規範にしたがっていないことになる。Anne Ferry, Milton’s Epic Voice (Chicago: Univ. of Chicago Press, 1983), 10-19.

[4] ティモシー・フェリス『銀河の時代:宇宙論博物誌(上下)』(野本陽代訳 工作舎, 1992年)137ページ。

[5] 望遠鏡がどれほど大きな礼賛をもって迎えられたかは、ケプラーがガリレオに宛てた書簡がよく伝えている。「多くの知識をもたらす道具、望遠鏡!王位より何より貴重なもの」(ティモシー・フェリス『銀河の時代:宇宙論博物誌(上下)』(野本陽代訳 工作舎, 1992年)134ページからの孫引き註365番)。またミルトンは望遠鏡そのものに深い関心をっていた。Nicoloson, Milton and Telescope ELH

[6] 地上から惑星を観察するとき複雑な動きをしているかのようにみえる惑星と地球の関係については、次書参照。トーマス・クーン『コペルニクス革命:科学思想史序説』(常石敬一訳 講談社学術文庫, 1989年)74-82ページおよび

[7] Derek J. Price, ed., The Equatorie of the Planetis (Cambridge:XXX, 1955), 99.この該当箇所はFowlerの註解818ペ−ジによる。

[8] フェリス『銀河の時代:宇宙論博物誌(上)』(野本陽代訳 工作舎, 1992年)34ページ。

[9] 同心円状の宇宙モデルで考えられてしまう最大の理由は、プラトンの弟子たち、すなわちエウドクスとアリストテレスの宇宙構造の影響による。エウドクスは球体である地球を中心に、そのまわりを27同心球を考え、アリストテレスはたまねぎ状の半透明の同心球が55個あると想定した。ティモシー・フェリス『銀河の時代:宇宙論博物誌(上)』(野本陽代訳 工作舎, 1992年)30および33ページ。

[10] また「謙虚であり賢明である」という言葉に直前には、この地球以外の星にも海陸からなる自然世界があり、そこには動物をはじめとして人間も住んでいるという世界複数説への言及がある。これまたラファエルの口をつうじて語る語り手の知識の広さを暗に物語っている。ちなみに、ジョン・ダンは世界複数説が可能だと神の恩寵の偉大さにもとづいて推論している(『説教集』第6154ページ)。

[11] Isidore de Séville, Synonyma de lamentatione animae peccatricis, II, 71 (P.L., t. XXCIII, col. 861)

[12] Helen Gardner, ed., Donne: The Divine Poems (Oxford: Oxford at the Clarendon Press, 1952), 75-76.

[13] ティモシー・フェリス『銀河の時代:宇宙論博物誌(上下)』(野本陽代訳 工作舎, 1992年)92ページ。註339

[14] 「主がアモリ人をイスラエルの人々に渡された日、ヨシュアはイスラエルの人々の見ている前で主をたたえて言った。「日よとどまれギブオンの上に/月よとどまれアヤロンの谷に。」日はとどまり/月は動きをやめた/民が敵を打ち破るまで。『ヤシャルの書』にこう記されているように、日はまる一日、中天にとどまり、急いで傾こうとしなかった」(「ヨシュア記」10:12-13)。

[15] トンマーゾ・カンパネッラ『ガリレオの弁明』(1616)沢井繁男訳 工作舎, 1991年)34ページ。

[16] ティモシー・フェリス『銀河の時代:宇宙論博物誌(上下)』(野本陽代訳 工作舎, 1992年)92ページ。註815

[17] ティモシー・フェリス『銀河の時代:宇宙論博物誌(上)』(野本陽代訳 工作舎, 1992年)79ページ。出典未詳。

[18] ティモシー・フェリス『銀河の時代:宇宙論博物誌(上)』(野本陽代訳 工作舎, 1992年)79ページ。註616

[19] 偶然の一致ともいうべきか、コペルニクスの『天球の回転について』が発刊された1543年はラテン語訳の『アルキメデス全集』が刊行された年でもあった。〔実験%エクスペリメント%〕がたんなる〔経験%エクスペリエンス%〕におわらないためには、測定器械の発明と改良のほかに、一定の法則によって支配されている均一空間という概念が必要である。これがないと、地上でおこっている物質の化合が天の惑星の運行や相対的位置とに関連もっているといったように、外的条件がいつも一定にならないし、外から余計な要素がいつも侵入することになる。ところがアルキメデスはそうした関連を断ちきって、運動する物体ならどんな場所であってもなりたつ法則の発見しようとしている。

[20] 天文学への尊重と礼賛は、ストア哲学にすでにみられるものであって、16-17世紀にこのストア哲学の大々的な復興があった。とくにセネカによる天文学礼賛はラファエルの格言とは真っ向から対立している(セネカ『自然についての問い7巻1)またガリレオ自身、セネカのこの礼賛に共鳴し、天文学探究の重要性を強調している(述のEileen Reeves(63n)にガリレオの原典が掲載されている)Mark Morford, Stoics and neostoics : Rubens and the circle of Lipsius (Princeton: Princeton University Press, 1991), XXX; Eileen Reeves, Painting the heavens : art and science in the age of Galileo (Princeton: Princeton University Press, 1997), 57-90.

[21] リンゴの皮を一続きにむいて、そのひも状の皮をどんなにテーブルの平面に押さえつけようとしても、皮のどこかが平面から離れてしまう。離れるということは、地球という球体を地図という平面に変換する場合には、必ずどこかに誤差をともなうということである。この誤差をどのように少なくするか、あるいは角度・長さ・見栄えという三つの要素のうちのどこにこの誤差を反映させて、三つのうちのどれか一つの要素でも正確に投影できるようにするかという課題を背負っていた。拙稿「メルカトルのコンパス:『失楽園』における揺らぐ〈無限〉」『言葉と文化』1 (名古屋大学大学院国際言語文化部 2000) 275-304ページ。

[22] オルテリウスが自ら記述している、地図作成にあたっての材源として、プリニウスといった古典、マンデヴィルといった中世旅行記にくわえて、ルネッサンスになって刊行された地図・地誌・航海記などが20点以上もあげられている。【鈴繁:図参照 Orteriusの目次。ホッジンによれば、1480年から1600年までのあいだに、イングランドで出版された地理・地誌や旅行記といったタイトルの本は、100冊をゆうにこえている。George Brunner Parks, Richard Hakluyt and the English Voyages (New York: American Geography Society, 1928), 269-277. Hodgen183

[23] オーストラリア、南極、北極、シベリア、そしてアフリカ奥地にかんする地理一般は、17世紀中葉ではまだわからなかった。

[24] 【鈴繁:Greenblatt 156PL. 3.542-54

[25] ティモシー・フェリス『銀河の時代:宇宙論博物誌(上下)』(野本陽代訳 工作舎, 1992年)71

[26] Stephen Greenblatt, Marvelous Possessions: The Wonder of the New World (Chicago: Univ. of Chicago Press, 1991), 20.

[27] A Brief History of Moscovia in Complete Prose Works of John Milton, Vol. VIII, ed. Maurice Kelly (New Haven: Yale University Press, 1982), 474.

[28] 教育の最終目標が道徳的に立派で社会に有用な人材にあった。「地理、農業、建築、築城法、航海術、医術」といった社会生活にとって有用な学問は、教育の第四段階のうち第二段階で学ばれた。

[29] リンゴの皮を一続きにむいて、そのひも状の皮をどんなにテーブルの平面に押さえつけようとしても、皮のどこかが平面から離れてしまう。離れるということは、地球という球体を地図という平面に変換する場合には、必ずどこかに誤差をともなうということである。この誤差をどのように少なくするか、あるいは角度・長さ・見栄えという三つの要素のうちのどこにこの誤差を反映させて、三つのうちのどれか一つの要素でも正確に投影できるようにするかという課題を背負っていた。

[30] オルテリウスが自ら記述している、地図作成にあたっての材源として、プリニウスといった古典、マンデヴィルといった中世旅行記にくわえて、ルネッサンスになって刊行された地図・地誌・航海記などが20点以上もあげられている。

[31] ただし、異国の風俗習慣を詳述するのは、17世紀のイングランドにおいては旅行記がもっとも大きいジャンルであったが、16世紀のヨーロッパでは度量衡にかんする書物に異国の風俗習慣がかなり詳しく、それも図入りで説明されている。異国との商業の発達が、ヨーロッパの度量衡と異国の度量衡との違いをきわだたせ異国の風俗習慣全体を描くことになったと考えられなくもない。しかし度量衡関係の書物の著者たちがアルチャートやボダンのようにローマ市民法の専門家であったことから、むしろ法律の違いがこうした詳述へとかりたてたと推測できる。

[32]立川健二・山田広昭『現代言語論:ソシュール フロイト ウィトケンシュタイン』(新曜社, 1990)102ページ。

[33] 同上105ページ。

[34] ピーター・ヘイリン「宇宙世界地誌」(1621)Hodgen 152.

[35]言葉に敏感な文学者たちがその種の一次情報提供を糾弾しているが、ミルトンとほぼ同時代の人をあげればベン・ジョンソンとロバート・バートン。Hodgen183-184

[36] たとえば『失楽園』において、出来事や物事とそれに対応する比喩との一連の不調和な衝突を指摘したリックスこの加帆車の非実在を根拠にして、ここにも衝突があると述べてしまった。Christopher Ricks, Milton's Grand Style (Oxford: Clarendon Press, 1978), 127.

[37] 「加帆車」という命名は、北京大学国外文学教授●周■『攻玉集』(北京大学出版局1983)所収の論文「▲」によるもの。氏はジョン・ニーダムを援用しながら、中国文明が大航海時代にヨーロッパに与えた影響の一環として加帆車という発明品の偉大さを称揚している。なおこの論文の所在を教示し、筆者に送ってくれた同大学の◎に感謝したい。ちなみに、加帆車の存在については、筆者がハーバード大学客員研究員であったとき、同僚の5名の中国人研究員(いずれも中国の大学教官)にオルテリウスの地図の加帆車の写真をみせたところ、全員が中国の文物としてそのようなものがあることを知っていた。同じくオランダの王立図書館でオランダ人司書にみせたところ、これまたそのようなものがいまでも北オランダにあり、加帆車(オランダ語では風車)を動かすスポーツ・クラブとして残っていることを指摘してくれた。

[38] Mendoza, History of China (Hakluyt Society 1. 32)引用は次書による。Gilbert, Milton and Geography (), 263

[39] 【ジョン・スピード『世界のもっとも有名な地域の広景』(1627) 「彼ら[中国人]が陸地を旅するやり方」という説明が図絵の上部に書かれている。】

[40] ギルバートの指摘どおり、この版には加帆車が載っている。筆者がオランダ王立図書館とハーヴァード大学図書館地図部で調査したかぎりでは、同様な掲載は以下の地図にみられた。Blaeu, wall map of Asia (1608); Hondius, Atlas sive cosmographicae meditationes de fabrica mundi et fabricati figura (1611); Willem Swanenburg and Cornelis van Sichem, CVRRVS VELIFERI ILLVSTRISSIMI PRINCIPIS MAVRITII VOLITANTES (C. 1600)。また図絵がなく加帆車の解説のみであるなら、Pieter van den Keere , NOVA TOTIUS ORBIS MAPPA EX OPTIMIS AUCTORIBIS DESUMPTA (1611)にある。しかしオルテリウスの「地球の舞台」の初版(1567)には、加帆車の記述も図絵もないし、オルテリウスの版でも載っていたり、載っていなかったりする。他の地図にかんしていえば、むしろ載せないもののほうが圧倒的に多く、次のような代表的な世界地図には載っていなかった。Henricus Florentius van Langren, Asia nova descriptio (1598); Willem Janszoon Blaeu, Nova Orbis Terrarum Geographica (1607); Pieter van der Keere, Nova Orbis Terrarum Geographica (1609/1619); Willem Jansz Blaeu and Jodocus Hondius, The Wall Map of the World (1624); Cles Janszoon Visscher, 無題 (1650)

[41]原文はラテン語で以下のとおり。 “Chinae currus excogitarunt quo velis/ ventisque per loca plana, veluti navigia/ per mare dirigunt.”

[42] それを実用にしたのが、度量衡として10進法を推奨し、現在もちいられているような少数の表記を定着させようとしたオランダ人数学者シモン・ステフィンであった。海岸線の長いオランダで、数学の知識を生かした水門を開発し、海岸伝いに走るにふさわしい帆付き車を加帆車をヒントにして考案した。

[43] 裸体が恥という感覚は、『恥辱の文化史』にあるように、社会習慣やキリスト教教義によって仮構されたものであって、人類普遍の意識だとは考えがたい。

[44] ホッジェンによれば、コロンブスの航海では1494年には600人、99年には232。ヴェウプッチの場合には、最初の航海で少なくとも222人の原住民を連行したという。Margaret T. Hodgen, Early Antholopology in the Sixteenth and Seventeenth Centuries (Philadelphia: Univ. of Pennsylvania Press, 1964), 111.

[45] 奇妙なことに、『失楽園』にみられる描写と対応する15-17世紀の視覚芸術作品例を収集したフライは、アメリカ原住民の図像を一枚もあげていない。

[46] アルマジロはなお当時のイングランで発刊された地図は、さきほどのスピードのほかに、ロバート・ウォールトンMapping of the World, Plate297(Entry 397)Peter Stent【鈴繁:Mapping of the World, Plate316 317 (Entry 429430 )】などがあるが、地図の精度は圧倒的にオランダのものに劣っている。

[47] Gilbert, A Geographical Dictionary of Milton, 21.ただし『失楽園』の最新の注釈には典拠をあげていないが1492年の第一回航海でコロンブスとその乗組員たちは、「羽のついた腰紐」をした原住民を目撃したことを報告している、と指摘している。Roy Flannagan ed., The Riverside Milton (Boston: Houghton Mifflin, 1998), 619.

[48] 1590 Hinds

[49] Greenblatt, 28-28.

[50] ヴェスプッチの記録では、ヨーロッパに原住民をおよそ200人連行し、キリスト教に改宗させたとある。Todorov, 115.

[51]ポストモダンの情報分子生物学はいちおう別格として、19世紀の登場までは、世界に存在する多種多様な被造物の分類は、おおむね動物・植物・鉱物の三分法にしたがっていた。これにたいして有機物・無機物という視点による分類を試みて、動物と植物との区別を無効にしたのが、19世紀初頭の博物学者ラマルク。荒俣宏『理科系の文学誌』(XXX)pp.90-91

[52] Todorof, 106-108.

[53] 近年、日本の中南米学者による発掘調査によってエル・ドラドらしき国の存在が確認された。大貫ZZZ<黄金の国>伝説』(講談社現代新書)

[54] Sir Walter Ralegh, The Discoveries of the Large, Rich, and Beautiful Empire of Guiana in Richard Hakluyt, The Principal Navigations, Voyages, Traffiques and Discoveries of the English Nation, x. 406. 引用はStephen Greenblatt, Marvelous Possesions: The Wonder of the New World (Chicago: Univ. of Chicago Press, 1991), 22.このようなマンデヴィルにたいするローリーの意見が、他の冒険家たちによっても述べられていることからすると、「大航海時代には、マンデヴィルは真実の語り手という威信を失墜し、嘘の大家として名をはせた」(ブリタニカ百科事典「Mandeville, Sir John」項目)というのは公平を欠いた評価である。

[55] ここでやや歴史偶然としての皮肉なのは、ミルトンは『教育について』ののちに『イングランド国民のための弁護』(1651)を執筆してフランス人古典学者サルウマシウスを酷評するが、この学者の記念碑的著作はこのソリヌスの註解書であった。

[56] Rodney W. Shirley, The mapping of the world : early printed world maps, 1472-1700 (London : Holland Press, 1987) Plate 88.

[57] ポール・ヴェーヌ,『ギリシア人は神話を信じたか』291ページ

[58] ポール・ヴェーヌ,『ギリシア人は神話を信じたか』,35ページ

[59] Todorof, 106-108.

[60] 古典の材源には、オウィディウス『変身物語』14、ウェルギリウス『アエネーアース』3. 424など。同時代の材源として考えられるのは、スペンサー『妖精の女王』I.i.14, 15<迷妄>、フレッチャー『紫の島』I.xii.27

[61] 材源としては、スペンサー『妖精の女王』VII..46.

[62]岩田靖夫,『神の痕跡』,pp.100

[63] Greenblatt, Wonder, 17.

[64] 前述のリックスは、これを「流体結構liquid textureとよんでいる。Ricks, Milton's Grand Style, 81-

[65] イメージの衝突についてはトマス・ド・クインシーの鋭い指摘がある。またこのような衝突と焦点の曖昧さをきらったのが、リチャード・ベントリーであり、この古典学者による明証化された『失楽園』の改正版がある。Ricks, 15-16.

[66] 平明と透明を狂わすミルトンの文体は、この詩にかぎらずとくに失明以前の政治・宗教・家庭にかんするパンフレット(散文)についてもいえる。散文の文体の分析そのものについては、コンピューターを駆使したXXXによる研究がある。XXXX

 

[67] Ferry, Milton’s Epic Voice, 70-71.

[68] ルネッサンス文学で天使が出現するものはきわめて少ない。天使の存在についてはミルトンの時代にどれだけ信じられていたかは疑わしい。

[69] マンデヴィルの引用はGreenblatt, Marvelous Possessions, 30.

[70] ツヴェタン・トドロフ『他者の記号学』19ページ。

[71] Sir Walter Raleigh, Milton (1900), 123-124.引用はA.  J. Waldock, Paradise Lost’ and Its Critics (Cambridge: Cambridge Univ. Press, 1947), 3.

[72] Stephen Greenblatt, Marvelous Possesions: The Wonder of the New World (Chicago: Univ. of Chicago Press, 1991), 19.

[73] 他者の他者性によって、主体の世界秩序が揺らぎ、ときに粉砕されることについては、レヴィナスのすぐれた論考がある。また他者と接触することによる揺らぎと粉砕については、20世紀文学ではアンドレ・ジッド(『背徳者』)やカフカ(『城』)がたくみに描きだしている。

[74] CPW, VIII. 318.

[75] 批評という言葉にこめる意味が、ただたんに作者が、その思想を、潜在的な言葉として時間軸の上に送りだし、それをいささかの距離をおいてうけとめる読者が、読みつつある現在に続く未来の瞬間に、潜在的な起源の顕在化として再現することを助けるということなら、ウォールドックは批評家ではない。しかしそれは批評というよりも研究だろう。批評とは、すでに通念化してしまっていることを疑い新たな視野を切り開くことのはずである。とすれば、微細な箇所にまで技巧がこらされ目配りがいきとどいている精巧な建築物を思わせるカトリックの教義体系に、亀裂を入れてそれに対置しうるような神学体系を構築したルターやカルバンは、批評家であった。規模において劣るとはいえ、多くのミルトン研究書のなかにあってウォールドックのその批評性は群を抜いている。

[76] Virgil, Georgica, 3:422-424; Aeneid, 5:275-9

[77] Herodotus, 4. 28; Virgil, Georgica, 3:360-361; Ovid, Trist 3. 10. 31-32.

[78] Anthony Pagden, European Encounters with the New World (New Haven : Yale Univ. Press, 1993), 3.