1巻

 

 

●2巻

註:こまのみそすり運動:地球は傾いた軸のまわりを自転しながら、太陽のまわりをまわっている。このような地球のすりこぎ状の運動ために、一定の緯度で空をみていると、ある星が昇ったり沈んだりする時刻が、夜毎に変化することになる。【鈴繁:ティモシー・フェリス『銀河の時代:宇宙論博物誌(上)』(野本陽代訳 工作舎, 1992年)】24-27ページ。

 

633

商人たちが香料を買いつけるベンガラから、あるいはテルナテ、ティドールの島々から、その香料を積んだ商船隊は貿易風を正面から受けて帆走し、貿易航路上を広漠なエチオピア海から喜望峰へとむかい、夜ともなると南極方向めがけて潮路にさからって南下していくのだが、海上はるかかなたから眺めると、その姿が雲のなかに浮いているようにみえることがある。飛翔しつづけているサタンの姿は、遠くからは、まさにその商船隊のようにみえたのだ。

 

888

突如として、かれらの眼の前に、灰色に包まれた深淵の秘められた世界が、境界もなければ拡がりもなく、ただ冥々茫々としてはてしない大海原が展開した。

 

 

923

ついに飛び立つことを決意したサタンは、風を受けた帆さながらにその翼をひろげ、怒涛のようにまきかえす煙にあおられ、地面をけった。……無我夢中で彼は翼を動かし羽ばたかせたが、その甲斐もなく、急転直下、落ちることじつに一万リーグにも及んだ。

 

946

サタンは、沼を越え、断崖を超え、平坦なところ、荒れ果てたところ、密なところ、希薄なところを突き抜け、ときには頭を、両手を、翼を、またあるときには足を用いながら、おのれの道をたどっていった。ときとして、泳いだ、沈んだ、渉った、這った、そして飛んだ。

 

 

1011

余裕もなく、もうすぐ自分の航海も終わって、めざす岸辺につけるという思いに欣喜雀躍し、新しくみなぎってくる生気と力を感じつつ、上方の広漠な虚空にむかって、炎をあげて燃えるピラミッドといったかっこうで飛びたっていった。

 

 

1018

それは、互いにせめぎあう岩礁のあいだを縫いながら、ボスボラス海峡を通過したときのアルゴー船が、あるいは左舷ではカリブディスを避け、右舷では渦巻きすれすれに進路をとったオデュッセウスが直面したものよりさらにはなはだしいものであった。こうやって、彼は激しい困難と辛酸をなめながら進んでいった。まさにそれは困難と辛酸の極地といえるものであった。

 

●3巻

1

幸あれ。聖なる光よ。天が始めに生みし子よ。永遠に共存したまう永遠の光をお前をとがなく●●と呼んでいいのだろうか。神は光であり近づかれることのない光のなかの他どこにも永遠からお住みになっておらず、お前の内に住んでいたのだから。お前は創造されることなく存在する輝かしき本質より生まれる輝きしき輝き。それとも、お前は清純な永遠の流れと呼ばれないか。その流れの源を誰が語れよう。太陽がある前、天がある前にお前は存在しており、み声に従いおおいのように、暗く深い水の世界を空虚で形なき無限より勝ち取りおおった。

 

そのお前を大胆にもはばたき再訪する。かの曖昧とした滞在に長く引き留められていたとはいえ地獄の河をのがれ、飛翔するうちに暗黒と、暗がりとを通って昇るうちオルフェウスの竪琴とは異なった調子で混沌と永遠の夜とを歌った。そして天の詩神に教えられて暗い下降を思い切って行い、困難でほとんどやられたことはなかったが、再上昇をした。おお、光に無事に再訪し生々とした至高のあかりを感ずる。

 

しかしお前はこの目(M.自身の目)を再訪してはくれず、目はつきさす光を見つけようと、曙をみつけようと、虚しくくるくるとまわる清純なるしずくは眼球を厚くおおって消し、あるいは、ぼんやりとしたものにおおわれる。だが、(目が見えぬだけ)いっそう詩神が足繁く訪れる澄んだ泉、影なす森、日のあたる丘を聖なる歌への愛に魅せられてさ迷うことはやめず、とりわけ、おお、シオン、そしてその下にあってシオンよ、お前の足を洗う花なす、せせらぎの流れに夜な夜な訪問する運命が私と等しい二人の者を時折忘れたりはしない。名声においてもまた等しかったから。盲目のタミリス、盲目のホーマー、老予言者テレジアスとフィネウス。

 

2

調和のとれた調子を吹き込む思いを私は食べる。ちょうど暗闇の中で目を醒ました鳥がうたいおぐらき隠れ場に隠れて夜の調べを歌うように。こうして年とともに季節はめぐるが、日も、朝な夕なのこころよき訪れも、春の花咲く光景も、夏のバラも、羊や牛の群れも、光々しき人の顔も私には戻って来ない。しかし、代わりに雲と絶えず続く暗闇とに私は包まれ私は陽気な人の道より隔絶され、美しき知識の書のかわりに私の場合にはめぐい去り消された自然の技が持つ全くの白紙を提示される。知恵は一つの戸口(目)で全く追い出される。むしろそれだけいっそう、天の光よ、心の中で輝け。心の力の限りをつくして心を照らせ。心に目を植えよ。心の目より霧を振り払い、散らせ。やがて朽ち行く目には見えないものを見、語ることができるように。

 

さて今や全能の父は、天上、あらゆる高きものより高く気高く座する清火天より、その目を下に向け、み業と人の業とを同時に見る。神の周辺には天のあらゆる神聖さが星のようにべっとりと厚くあり、神がごらんになられるため、言うに言われぬ至福を受けた。神の右手には真の栄光を示す輝ける似姿神の御一人子が座す。 地上に神は初めて我々の始祖をみるが、また、たった二人で幸多き座に置かれ、喜びと愛、即ち妨げられることのない喜びと無敵の愛という不滅の果実を至福なる孤独のうちに刈り取る。神はそれから地獄と天と地との間の深遠と清火天の側の、夜になっている天の壁に沿って進む魔王をみた。魔王は崇高で陰気な風に、いまや疲れたる翼と喜べる足取りで宇宙のあらわなる外殻の上に身をかがめる。そこは大空のなく囲まれた堅き地のようで、海のなかか、空気の中かどちらかはっきりとしなかった。

 

3

魔王を神はいと高き見晴らしの場より眺め、その場所で、過去、現在、未来を見て御一人子に向かって先を見通されながら語った。

 

一人子よ、我々の敵はいかなる怒りにかられているかわかろう。敵には定められた領域も、地獄のかんぬきも、地獄で敵をつないでおいた鎖も、さらには広くて邪魔となる大深遠も食い止めることができない。敵は絶望的な復讐にかくも熱中しているようである。その復讐は結局反抗する自らの頭に振り戻ることになるが、そして今、あらゆる束縛を解きほぐして、天よりさほど離れておらぬ道を翔んで行き、光の境域のなかを進み、新世界、世界に置かれたる人の方へとまっすぐ向かう。その目的は人を力づくで倒すことができるか、それとも虚偽狡猾さによって邪道に陥らせることができるかどうかをためすために。人は邪道に陥るであろう。というのも魔王のもっともらしい嘘言に耳を傾け、容易に唯一の命令、人の従順の唯一のあかしを破ることになろう。だから人とその不●の子孫とは堕落することになる。誰の過失か。人のではなく誰のであろう。恩知らず人が所有できるものをみな私から得たのに。私は人を正しく適切に造った。自由に落ちるとはいえ、正しくあるのにも充分であった。そのように天使たちも造った。天使には立つ天使もいれば落ちる天使もいる。立つものは自由に立ち、落ちるものは自由に落ちた。自由でなければ、(神への)本当の信義変らぬ信仰と愛へのいかなるあかしを、誠実に示すことができよう。自由でない場合には、あかしを示さねばならないだけで、あかしを示そうとすることはあらわれない。その場合いかなる称賛を受けられよう。意思と理性−理性もまた選択であるが−とは役立たず、無駄で、意志も理性も自由を奪われ、ともに受動的になっていて、必要に仕えるのであって私に仕えることにならない場合に義務で支払われる従属からいかなる喜びが得られよう。天使と人とはそれゆえ義に属しており、自由に選択できるよう作られたのだから。

 

4

造り主を、また造られたこと、自分の運命をも正当にとがめることはできない。ちょうど運命の予定に自分たちの意志が支配され絶対の運命やいと高き先見に定められているかのようにして、堕天使は自分で反抗を命じたのであり、私が命じたのではない。たとえ反抗を予見していたにせよ、予見は、天使らが罪を犯すことになんら影響を及ぼすことはなかった。予見されていてもきっと予見されぬままとかわらなかったろう。だから衝動や運命が持つかげりを少しも持たず、また私が不変と予見したことなどなく、天使らは罪を犯し、判断すること、選ぶこと、あらゆる点において自分で取り行なった者なのである。というのも堕天使を自由な意志を持つものとして造り、堕天使らは自らを奴隷とするまで自由であらねばならなかった。自由でないなら、本性を変え、永遠に不変という至上命令を取り消し、取り消すことで、自由はきちんと保障され堕落を自分で定めることになる。堕天使は誘惑にかられ誘惑に負け、堕落した。人はまず堕天使によりあざむかれ、そして堕落する。人はそれゆえ恩寵を受けるが、堕天使はそうではない。天地にあまねく慈悲と正義とにおいて我が栄光は勝るであろうが、慈悲は終始一貫して最も照り輝くであろう。

 

こうして神が語られると、芳しき香が全天に満ち、祝福を受けて選ばれた天使たちの間に口に出して言えないほどの新たなる喜びが広がった。そうした天使のなかでも比類を絶して神のみ子はこの上なく輝かしくみえ、み子のうちに父のすべては輝き、実体として表出し、み子の顔には神のあわれみが限りなき愛、はかりしれない恩寵がありありと現われていた。あわれみ、愛、恩寵を物語りながら、み子は父にこう語った。

 

5

ああ父よ、至高なる宣告を結ばれるみ言葉人は恩寵を見出すとは恩寵にあふれる。その言葉ゆえに天も地もあなた●への称賛を賛歌と聖歌という数え切れない歌でいとも気高くほめたたえるでしょう。天使に取り囲まれた玉座はその歌で絶えず祝福されるあなたをたたえることでしょう。というのも、人は結局ほろぶべきか。近頃かくも愛されし被造物、一番若き子である人は、自らの愚行と手を結んだとはいえ、策略によってこのように欺かれ堕落すべきなのでしょうか。そんなことは、父よ、あなた●にはあるまじきこと、あるまじきことでございます。あなた●は造られしあらゆるものの裁き手で、ただ正しきことのみを裁かれる。それとも、敵はこのようにして目的を達成させ、お父●の目的をくじき、悪意を完成させ、お父●の善を無に帰させるのでしょうか。それとも、下された重き宣告に向かうとはいえ、復讐を遂行したといって戻り、地獄へ向かう自分のあとに魔王によって破滅させられた人類全体をひいておごっていかせるのでしょうか。それとも自らの創造を撤廃され、お父●の栄光となるように、お造りになられたものを、敵にかわって破壊されるおつもりなのでしょうか。お父●の善性と偉大さとが守られることなく問題視され、冒●されることでしょう。

 

み子に向かって大いなる創造者はこう答えた。

 

み子よ、お前のなかに我が魂はこの上なく喜びを感ずる。我がふところの子。み子よ、お前だけ我が言葉、我が智恵、成就の力持つ子。お前が今語ったことはことごとく我が思いにある通りのことだ、永遠の目的と決めておいた通りのことだ。(3:170-172)

 

6

人はことごとくほろぶわけではなく、救われたいと思う者は救われるが、人が持つ意志によるのではなく、私のうちにある恩寵が自由に与えられることによって救われるのである。もう一度人が失った力を新たにしよう。罪により法外にも誤った望みに隷属し、没収されて失なったとはいえ、私がささえてもう一度、恐るべき敵に互角に反抗して人は立つことになろう。私がささえて人が罪を犯した状態はいかにはかないものか、人の解放はことごとに私に負っており、私以外の誰でもないことを知ろう。特に恩寵を授かる他のものよりも優れた者を何人か選んだ。そうすることが、私の意志である。選ばれぬものは、私が呼ぶのを耳にするが、自ら罪を負う状態と申し出された恩寵が招くうちに怒られた神性をしかるべき時になぐさめるよう警告されるのをしばし耳にする。というのもそうした者の暗き感覚を十分と思われるだけ澄んだものとし、石のような心を柔らげて祈り、悔い改ため、しかるべき従順をもたらす。誠実なる意図をもってただ努力されたのであっても祈り、悔い改ため、しかるべき従順に対して、我が耳はやぶさかではなく、我が目は閉じることもない。そうした人々の心の中に導き手として公平なる良心を置こう。良心に耳を傾けるなら、光を善用して次から次へと段々多くの光を得ることになり、世の終わりまで忍耐して行くと安全に目的を達することになる。長き忍耐と恩寵の日とを、怠り侮蔑する者達は決して知ることはない。かたくななるものはますますかたくなに、盲目たる者はますます盲目となり、つまづきながら進み、一層堕落することになる。慈悲をかけぬ者とはまさしくそうした者、しかしすべてがなされたわけではない。人は不実であるから、不義にも神への忠誠を破り、天の主権に反対して罪を犯し、神聖を得ようとしてあらゆるものを失い、自らなした反逆をあがなうために何者をも残しておらず、ただ破滅に向かうことを運命づけられていて、子孫とともに死ななくてはならない。

 

7

人は死ぬが、さもなくば義が死することになる。もし人に代わって他の能力があり、その能力にふさわしく喜んできびしいあがないを(人の)死にかわる死を支払うことがないなら。天使よ語れ。どこにそうした(人に対する)愛をみつけられるか。お前たちのうち誰が死んで人の大罪をあがない、正しくも不義の者を救うのか。全天にかくも尊き愛は住むのであろうか。

 

神はたずねたが、天の合唱はことごとく沈黙したままであり、天上には沈黙があるだけだった。人のために人の保護者も仲裁者も誰も現れなかった。ましてや、致命の罪、定められた贖罪を自分の身に引受ける者は誰もいなかった。さて今やあがないなしにあらゆる人はみな死と地獄行きと判決を下され、滅ぼされたことであろう。もしも神のみ子、そのみ子のうちに神々しき愛があふれており、み子がこういとも尊き神との仲介を果たすことがなかったなら。

 

父よ、人は恩寵を受けるというお言葉はおえられました。そして、恩寵は手段を持っていないのでしょうか。その道を見出し、お父●の翼持てる伝え手のなかの最き者として、お父●のお創りになったものたちを訪れ、祈らずして、嘆願せず、求めずして万物にやってくる。もし来たらば人にとっての幸い、人は恩寵による救いを決っして求めることがない。一度罪に死に滅ぼされるなら。負債を負って支払い切れずいる人は、自らに対するあ●●いも、犠牲もふさわしい何ももたらすことはできない。で、私をごらん下さい。人にかわる私を、命にかわる命を私は捧げます。私にお父●のお怒りをお下しください。私を人とお思い下さい。私は人のためにお父●のみ胸を去り、お父●につぐこの栄光を喜んで退け、人にかわって最後には満足しつつ死を向えます。

 

8

私に<死>はその怒りをことごとく下せて下さい。陰うつなる死の力の下で私は長いこと屈すまい。お父●は私のなかに永遠の生命を持つよう定めて下さいました。お父●のおかげで生きることになります。たとえ今死に屈するにしても。そして死ぬことができる私のあらゆる部分は当然死に支払われるべきものであるけれども、負債が支払われると、お父●はいやでたまらぬ墓のなかに私を残しておかず、死のえじきともされず、しみのない我が魂は永遠に墓の中で腐敗とともに住むことをお許しにならない。しかし、勝利を得て立ち上り、死の誇りとするえじきを奪って征服者をおさえつけるでしょう。死は自ら致命傷を受けて、致死の●をはく奪されて不名誉にも屈服することでしょう。私は広き空気の中を通っていと高き勝利のうちに地獄のかわりに地獄のとらわれ人を導き、地獄の堕天使を珠数つなぎにして神にお目にかけます。お父●はその光景に満足されて天から下を見おろされ、ほほえまれ、お父●によってあげられた私は敵をみな、最後には死を破滅させ、<死>自らの死かばねで、墓を飽かしめ、私によってあがなわれた者の大半とともに長きに渡り不在であった天国に入り、戻り来てお父●のみ顔を見る。お顔には怒りの曇りが全くなく、約束された平安と和解とがある。み顔より怒りはもはやなく、お父●がおられるところに完全な喜びがある。

 

9

み子の言葉はここで終ったが、み子の柔和な顔つきは語らずして語っており、死者に向って不滅の愛をやがて死する人間に向って示し、それにも増して輝くのは子としての従順のみ。犠牲としてさし出されるのを喜びつつ、み子は大いなる父のみ、意志を待った。驚嘆に全天は包まれ、み子の言葉はどうした意味を持ち、どういう方向に向うのかといぶかしく思ったが、すぐに全能の神はこう答えた。

 

ああ、汝は天と地において怒りの下にある人間のため見出しうる唯一の平安、ああ汝我が唯一の満足、よくぞ知っていた。我が被造物はいかに私には高価であり、最後に創造されたとはいえ決して高価でなくはなく、人にかわってお前を我が胸、右手より離し、しばらくお前を失うことにより、破滅せし人を救う。それゆえお前はお前があがなえることができる人の本性をまたお前の本性に結びつける。自らは地上の人間の一人と、時が満ちて乙女の種より、驚くべき誕生によりて化肉されてなる。汝はアダムの代わりに、たとえアダムの息子であるにせよ、全人類の頭となろう。アダムのなかであらゆる人間が破滅するようにお前のうちに第2の根からのように回復されうる限りの人が回復されることになるが、お前なくしては誰も回復しない。アダムの罪により、その息子らはみな罪を負い、お前によって転嫁された功によって、正しき所業も不義なる所業も捨てて、お前のなかに移されて生き、お前から新しい生命を受けるものだけを許すこととなる。

 

10

この上なく正しくあるように、人は人のためにあがない、裁かれ死ぬことになり、死んで立ち上り、自ら立ち上るとともに、その兄弟たちを、自らの高き生命を支払うことで復活させる。そして、天上の愛は地獄の憎しみを打ち破り、死に属し、死んであがなわれる。地獄の苦しみがかくも容易に破壊したもの、そして恩寵を受けられるのに受けない人々の胸の中でたえず破壊を繰返すものをあがなうには、いとも高な天上の愛。子よ、お前は下って行き人の本性をまとうことになるが、自分自身の本性を低く卑しめるわけではない。というのも、神と等しき気高き至福に座して神にも似た喜びを(神と)等しく受けてはいるものの、あらゆるものをあきらめて、完全な破滅からこの世を救おうとし、生得権から得られる以上の功によって神のみ子たることをあかすから、その善たることによって、気高い、偉大といった言辞を越えた神のみ子たることが、最高の価値あることわかる。というのも、お前の心には栄光があふれるというより愛があふれており、それゆえお前が卑下することによって、人性はこのみ座まであがり、この座でお前は受肉して座し、この座で神として人として治め、神の子であり、人の子でもあり、油を塗られた普遍なる王としてあらゆる力をお前に授ける。永遠に治めお前の功をまとえ。最高の頭としてのお前の下に宝座、君権、威力、統治の諸天子を置く。天、地、黄泉の国に住むあらゆる者はみなお前に対して膝をかがめる。

 

11

その時天上から堂々とつき従われたお前は空のなかにあらわれ、召喚を行う大天使を送り出し、畏ろしい裁判所を開廷する。すぐに四方から生けるもの、またすぐに召喚された昔からの死者は、最後の審判へと急ぐ。それほど大きなとどろきに人々の眠りから起きることになる。そして、聖徒が一同集められた後、悪しき人々と悪しき天使とを裁き、起訴された者は、お前の裁きを受けて地獄へと沈む。地獄は一杯になって、それより永遠に閉ざされることになる。その間にこの世は燃え、焼えさしより、新天地が生じ、新天地のなかに正しき者は住み、長き苦悩をことごとく経た後の黄金の日々、黄金の行いの実りある日々を喜び勝ち誇れる愛をもってながめ、さらにすばらしき真理をながめる。お前は王権をわきによせる。というのも王権はその時もはや必要ではなく、神はいっさいが万事となる。天使らよ、あがめよ。このすべてをなし遂げるため死ぬ者を、み子をあがめよ。私のごとくみ子をたたえよ。

 

全能の神がこう言い終えるや、群がれる天使たちはみな数限りなき口より出ずるかのように大きく、祝福された声から生ずるかのように甘美な声で喜びを述べ、天は大声で響き渡り、ホザンナの大いなる声は、永遠の国、天国中に響き渡った。どちらの王座にも天使らは身をかがめ、アマラントと黄金とで編まれた冠をうやうやしく敬意を払いなげた。永遠のアマラント、かつては楽園の中で生命の木のすぐそばで花を咲かせたが、すぐさま人が罪を犯したために、始めに咲いていた天国へとうつされ、今では天国で育ち、花を咲かせ、生命の泉を隠すほど高く茂る。

 

12

そして、至福の河が天の中央を抜けて天上の花野を通り、琥珀のように透明な流れを転すあたりをおおう花、決っしてしぼむことのないこの花で選ばれし霊は、光を編み込んだ輝くばかりの髪を結ぶ。今や厚くつもれる花輪のなかに碧玉の海のように輝いていた。きらきら光る敷石は天のバラに華かに色づけられていた。そして再び冠をいただくと、天使らは黄金の立琴を取り、その立琴はたえず調律してあって、天使のわきに矢筒のようにささげられきらきらと輝いていた。人を魅する調和を持った、甘美なる序曲付きの聖歌を歌い始め、気高き恍こつをめざめさせる。どの声も例外なく、調子よく合わぬ声はなく、そのような調和が天にあった。

 

まず天使たちは歌った。汝、父よ、全能にして変ることなく、不死で無限なる永遠の王よ、万物の造り主、光の泉、近づきかたきみ座にすわられ、栄光の輝きのなかにあって不可視であられる方。とはいえ、光線の十全なる輝きをくもらせ、輝ける社のようにあなたのまわりにひかれる雲を通していやまされる輝きを持つあなたの掌すそが暗くみえる時は別ですが。その輝きは天の目をくらませこの上なく明るいセラフは近づくことなく、両方の翼で目隠しをする。

 

すべての被造物のなかでも第一等のお前を次に天使たちはうたった。生まれし息子、神の似姿、そのきわだった表情にはくもりなくはっきりと全能の力が輝き、父以外のどのような被造物もその顔をみることができない。

 

13

神の姿が刻印されたみ子には栄光の輝きが宿り、父の広大な霊が注ぎ移されてみ子に宿る。神はいと高き天とそこに住む天使とをみ子のために創造され、思い上った天使らをみ子のために投げ落とした。み子はかの日に(審判の日に)父のおそろしきいかづちをおしまれることなく燃え上る戦車の車輪をとめることなく天の永遠の枠組はその車輪に揺すぶられ、隊列を乱した戦う天使らの首の上を進んでいった。堕天使の追跡から戻ったみ子の側の天使らは大いなる称賛の声をあげてみ子をほめたたえた。父の力を持つみ子よ。あなたは父の敵におそるべき復讐を行うが、人にではない。人は悪意によって落ち、慈悲と恩寵との父であるあなた(神)は人を大変きびしく裁くことなく、大いに憐みへと傾く。あなた●の唯一の価値あるみ子は、弱き人をかくもきびしく裁くべきではないともくろまれているあなた●のことを気づくや、いやましに憐みへとみ子は傾かれ、怒りを静め、あなた●のみ顔にみてとれる慈悲と正義との争いを終らせようと、あなた●の次位にあって座につく至福を省みずに、人のとがのために自らを捧げて死ぬ。ああ無比なる愛、幸あれ、神のみ子、人の救い主、み子の名は我が歌の豊かなる内実。これから、わが立琴は、み子をほめたたえることを決して忘れることなく、み子の父をほめたたえることと分けへだてることもないでしょう。

 

 

416

こうして天使らは、星よりはるか高くにある天上で喜び、歌を口づさみながら幸ある時を過ごした。こうしているうちに、堅い透明のまるき宇宙の上−宇宙の原動天は混沌と暗黒の来襲とからつつまれているが、その他の輝ける天体を(混沌より)分け−サタンはその宇宙の上に乗って歩く。はるか遠くと思われた宇宙は今や暗く、荒れ果て夜がしかめ面をして、星もなく広がり、あたりに吹きすさびたえずおびやかす混沌の嵐、荒れすさんだ空。ただし遠くに離れているとはいえ、大いなる嵐であまり立騒ぐことのないきらきらと輝く大気を天の壁から受けている宇宙の外殻のところは別。

 

ここの広々としたところをあてもなく魔王は歩いた。喩えてみれば、さまよえるタタール人が進むことをはばんだ雪の嶺を持つイマウスで育てられたはげ鷹がえじきのそう見つからぬ領域を去って、羊やヤギが飼われている丘で、羊や生まれたてのヤギの肉をむさぼり喰おうと、インドの河川、ガンジスやインダスの川の源まで飛ぶが、飛んでいる途中、シナ人が帆と風とを使い竹製の軽い車を運転するセリカナの不毛の地に舞い降りるかのよう。そのように風吹きすさぶ海のような陸の上で上に下にとえじきのことだけを考えて歩いていた。それもたった一人で。この場には生けるもの、生を持たぬ者(死んだ者)何一つ見つけられなかった。まだみつけられないだけで、後で原罪のため人の行いは虚栄で一杯になる時、地球からここへと蒸気のように移ろいやすいくむなしいあらゆるものがあまた飛んで昇って来て。虚しいあらゆることと、虚しいことのなかに栄光とうち続く名声、現世とあの世とにおける幸福などといった愚かな希望を打ち立てた者達。それに地上で報いを受け、痛ましい迷信と盲目の熱狂から生まれる産物を持つ者。

 

15

人から称賛されること以外に何も求めない者たちはここで適切な天罰、その行い通りに虚しいものを受ける。自然の手で成就することない業は不首尾で巨大で、不自然に生まれたもので、地上で溶解し、こちらへとみだりに飛んで来るが、最後の消滅に至るまでここをさまよい夢想されているようにお隣の月にさまようのではない。月という銀世界にはもっとふさわしい者、天に移された聖徒、天使と人との間にある霊が住む、ここには、悪しく結ばれた息子と娘とから始めて生まれた巨人が当時は名高かったとはいえ、多くの空しい偉業をなしとげたという巨人が古の世界からやって来た。次にはバビロニアのセナルの野でバベルの塔を建築者、資力があるなら新バベルの塔を空しい意図をこらして建てるであろう。他の者達は一人づつやって来た。神と考えられていたために愚にもエトナ山の炎のなかに飛び込んだギリシア哲学者エンペドクレス。プラトンの極楽を楽しもうと海の中に飛び込んだクレオンブロタス。語れば長くなるさらに多くの者達。えたいの知れぬ者白痴、隠者、修道士−カルメル会士、ドミニコ会士、フランシスコ会士がみかけ倒しの儀式にうつつをぬかす天国で生きておられるのに、ゴルゴダに死んだ方を求めてさまよいすらもする巡礼の放浪。死んで楽園に入ることを確かにしようとしてドミニコ会士の修道服やフランシスコ会士の修道服を着て変装すれば楽園にまで行けると考える。こうした者達は七つの天を通り抜け、恒星天をすぎ、水晶球を抜けていった。その狂わぬ均衡は●論のある恒星の振動の釣合いをとっている。そして原動天を抜ける。そして今や聖ペテロは天の小門で●を持ってその者達を待っているよう。

 

16

そして今天の階段の下のところに足をかけようとすると、みよ激しい風が四方から吹き寄せ、この者達を1●リーグも離れたはるか遠くに吹き飛ばされ、頭巾、僧侶、修道服、着るものととに吹き飛ばされ、ぼろとなり、聖遺物、ロザリオ、免罪符、特免券、●恕令、剥書など、風にもてあそばれる。こうしたものたちはみなはるか高く上向きに旋回し、はるか世界の●をはるかにこえて大きくて広い●獄の中へと飛び込んで行く。それより愚者の楽園と呼ばれ、長いことほとんど誰にも知らぬこと●●●今は人も住まず足も踏み込まれることがない。この暗い球体を、通りつぎながら魔王はみてとった。長いことさまよったが、とうとうぼんやりとした夜明けの光が、魔王の方に向かって足早に疲れた歩みを進めた。●●●●●●一歩一歩昇って行き、天の壁にまで達する。そのかいだんの頂上にはダイヤモンドと黄金とで装飾された●妻の王字の門のごとくであったが、きわめてすぐれて豊かなものと思われた。きらきらと輝く宝石で厚く飾られた門は地上では模型によっても濃淡で描く絵筆によってもあらわせない。階段は天使ら、輝ける守護天使の一団が昇り降りするのをエサウからのがれ、パダン・アラムへとのがれ、ルズの野で夜野営していてヤコブが夢にみて、目ざめて、「これが天の門」と叫んだ、そのような階段。階段は一つづつ神秘的な意味があってそこにいつもかけられているわけでなく、時々天へと引上げられてみえなくなるが、下には碧玉の、あるいは流体の宝石からなる輝ける海が流れる後に地球から渡ってやって来る者達は天使に運ばれるが、燃立つ馬にひかれた戦車に乗って湖の上にふわふわと浮んでやって来た。

 

17

魔王が容易に昇ることを挑もうとしてか、至福の戸口から魔王が悲しくも出て行くのを一層重くするためか、階段はその時降されていた。その階段は、下の方、至福の座たる楽園の真上から開いているが、それとちょうど反対側に地球に下る道があり、広く、後にシオンの山の上、そして神にとっていとしき約束の地にかかる広いであろう道よりもはるかに広く、この地球に下る道によってかの幸なる部族を、訪れようと気高き命令を帯びて神の天使達は頻ぱんにいったり来たりし、また神の目も、注意深いまなざしでヨルダン河の泉パネアスから聖地の教会がエジプトとアラビアの海岸となるベルサーバに至るまで頻ぱんにご覧になる。いとも広くその道の入口はおもえ、入口のまわりはしきってあり、暗黒があって、海の波をしきるほどである。サタンはここから黄金の段で一段一段造られ天の門へと昇る階段の、その下の方に昇り下を眺めると、一眺にして全世界をぱっと見渡せるのに驚く。それを例えれば、危険を被りながら暗くさびしい道を抜けて行った時、とうとう楽しげな夜明けに高くそそり立つ岡の上に着き、その岡から始めて目にする外国のすばらしい眺望を、あるいは、昇り行く太陽の光線につつまれる輝けるせん塔、小せん塔で飾られた名ある都を予期もせずにみてとる。そのような驚嘆に魔王はかられた。天国をみたあとにうたがいやましに、いとも美しきこの全世界の光景をみて嫉妬にかられた。あたりを見回す。広がった夜の影が造るまるい天●よりはるか高くに立っていたので見回すことができた。天秤宮の東端から、大西洋のはるかかなた地平線のずっと向こうでアンドロメダを上にささえる白羊宮に至るまで。そして次に地軸から地軸まで北から南へと眺め、長く息つき間もなく宇宙の第一区へと真っさかさまにすばやい飛しょうを行い、輝ける清純な空中を通り、数多き星の間をぬってゆうゆうとはすにとんでいく。

 

560

星は遠くでは輝いていたが、近くでは別世界と思われた。星は別世界と思われたが、それはまた、昔から名高いヘスペリデスの園のように幸いの島、あるいは幸いの野、森、花咲く谷、とてもすばらしい幸いの島とも思われた。しかしそこで幸に誰が住むかを●おうとして魔王は立止まりはしなかった。諸星のうちでもことに黄金の太陽はその輝きという点で天国に似ており、魔王の目を誘った。そちらの方に魔王は穏やかな空を通って進む。ただし、(宇宙の)上へか下へか、中心の方へか中心から離れた方へか、或は横にか、よくは分らない。太陽の目からみるとしかるべき距離を保ってびっしりと並ぶ普通の星々から離れてはるか遠くから光を放つ大いなる発光体の方へとともかく進む。星々は日、月、年を数える調子で踊りながら風を喜ばせしめるあかりの方に(太陽の方に)●々な動きをすばやく向けて、太陽のもつひきよせる光線によって星は向き変える。その光線のおかげで宇宙は穏かにあたたまり、星一つ一つの内部へと見えずとはいえやさしくしみ込んで行き、深奥にまで不可視の感応力を投ち込む。驚くべきも、輝ける星の位置は、このように定められた。

 

輝ける星、太陽に魔王はおり立つ。その斑点おそらく天文学者が輝ける太陽のなかにレンズをはめ込んだ筒を通して決してみたことがないはん点のようであった。(Satanが太陽面に降り立ち、そこが黒点のように見える)その場所は言語に絶する程、地上のどのようなもの、金属、岩石に較べても輝いているのがわかった。とはいえ一律に同じなのでないが、それでも炎で赤々となった鉄のように輝ける光がしみ込んでみな同じようだった。もし金属で(太陽面が)出来ているとするならあるところは黄金のようであり、あるところは●銀のようであった。もし岩石で出来ているとすると、紅宝石、貴橄●石、ルビー、トパーズ、アロンの胸当てに輝く12の石肉眼で見えるというより

 

19

ずっと頻ぱんに想像される石でこの地上で学者が長きに渡り空しくも求めた石。またそのたぐい。力強き業によって移り気のヘルメス神を縛り、●々な姿をする老プロテウスを縛らずに海から呼出し、蒸留器にかけて本来の姿に返らせようとしたとはいえ。太陽の野が清純なエリクサをはきだし、河は液状の黄金を流し出してなんの不思議霊能ある一触れで我々のところからずいぶんと離れている錬金術師の太陽が、地上の湿気と交わっても、地下で。、壮麗なる色と、けうなる効果を持つあまたの価値高き石を生み出すのだから。この太陽で見るべき新たなものに悪魔はたじろぎもせずに出会った。遠く広く眺望する。視界はここではさえぎるものも、かげりも全くなく、ただ太陽の光ばかりであった。それを喩えてみれば、天球赤道から真昼最高点に達して光を放し、その場所からでは不透明な物体からどこにも影が落ちない。それと同じで、太陽光線がたえず真上に光を放ちアクマの影はできない。空気はどこにもないほど澄み渡っており、可視光線はそのため鋭くなって遠く物体にまで届く。この光線のおかげで魔王はみえるところに壮麗な天使が立っているのをみた。その天使はヨハネが太陽のなかに見たのとまた同じもの。背を向けてはいたが、その輝きは隠されてはいなかった。輝ける太陽光線でできた金冠に天使の顔はおおわれ、同じように翼のついた肩の上に輝ける後髪が波を打っていた。

 

20

なにか大きな役目についているようで、また深い思索にふけっているようであった。人の幸いなるみ座−旅路の終りであり、我らのかなしみの始め−へと魔王のさまよえる飛しょうを指示することのできる者をみつけようという希望にふくらむので、不浄の霊は喜んだ。しかしまず本来の姿にかわろうともくろむ。そうでなければ、そのままの姿では危険や遅帯が起ろう。そして今や若きケルビム、若いといっても壮年ではなく、顔に輝かしい若さがほほえむそうした若さをたたえて、肢体のいたるところにしかるべき優美さが広がっているようにみえて、いともたくみに魔王は変装した。小冠の下には流れるように神がちぢれて両頬にあそび、黄金を散りばめたあまたの色した羽毛でできた翼をつけていた。着物ははやい速度にふさわしいぴったりとしたものを着ており、優雅な足取りの前には銀の杖を持っていた。魔王は悟られずには近づかれなかった。輝きの天使は魔王が近づく前に輝かしい光を自分の耳に注意をうながされ魔王の方に向ける。すぐさまそれは大天使ウリエルとわかる。神がおられるところ(天国)では、神のみ座に最も近いところに立って、命令をいつでも受けられるようにしており、神の目の役目を果し、天のいたるところに目をくばる。また湿ったところ、乾いたところ、海や陸を越えてかけ、神の使いを果そうと地球へと下る。

 

21

「ウリエルよ、神の気高きみ座の眼前に立つ七人の天使の一人で、第一等のさんぜん輝ける天使●、あなたは、権威ある神のおおいなるみ意志を●●●●者として、至高の天からもたらすことを常として、また神の子ら、天使はみなあなた●の派遣を待っている。この場ではあなた●は至高の命令を受けて同じように名誉を多分受けるのでしょう。また神の目として、この新世界を訪れるのでしょう。神のおどろくべきこの業をすべて見て知りたいという言うに言われぬ望みを持っております。なかでも見たいのは、人、神がこの上なく喜ばれ、好むもの。人のためにこうしたおどろくべき神の業をみな定められた。この望みにかられて私はケルビムの合唱●を離れて、一人こうしてさまよっております。この上なく輝かしきセラフ●、お教え下さい。こうした輝ける星を●●では人は選んで住むのかを。人をみつけられますよう秘密のうちにながめたり、あからさまに賞賛して人をみらますように、お教え下さい。人に大いなる創造主は世界をさずけ人にこうした恩寵をそそがれている。そうした人とあらゆる被造物とをみて、普通の神をふさわしく賞賛できるようにお教え下さい。神は正しくも●逆の敵らを深き地獄へと追いやられ、追いやった者らをおぎなおうと、人という幸ある新たな種類を創造し、神に(追いやった者よりよく)仕えさせる。賢きは神の道。

 

22

こういつわりの偽善者はさとられずに語った。というのも人も天使もどちらも偽善を見破れない。みえずに歩く唯一の悪。ただし神●だけにはみえみえで、神●のみ意志に許されて天地を歩んでいるのである。●●●<智恵>は目醒めているのだが、<疑い>は<智恵>の●でねむりにつき<疑い>の役目を<単純>に委ね、<悪>が表に現われぬ場合に<善>は<悪>と考えない。太陽の統治者であり、天上の天使のなかでもこの上なく鋭い視力を持つ天使と考えられてはいるが、ウリエルは一度だけ今や偽善にだまされることとなた。ウリエルは、欺瞞の不浄のペテン師に向かって正しき心で返答をこうした。

 

美しき天使よ、神●のみ業を知り、知ることで大いなる造り主をたたえるというお前の望み、その望みにかられて非難を受ける過度に向うのではなく、むしろその望みが勝ちすぎる分だけ賞賛に値する。その望みにつられてこうして唯一人天のすみかを出てこちらにやって来て、うわさに満足する天使らが天国で耳にたけしていることを 目で見ようとした。

     天国でうわさを耳にたけして満足していることを

実際神のみ業はみなことごとくすばらしく、知るに快く、たえず喜んで記憶されるにこの上なく価値あるもの。しかし、いかなる被造物の心が神のみ業をもたらし、み業の深き理由を隠したはかり知れない智恵あるいは被造物の数を把握しえるでありましょう。み言葉とともに形なきかたまり、この宇宙を造る物質が山のようになった時のあのあり●をみた。<混乱>は神の声を聞き、野蛮な<叫び>は治められ、はかり知れる広大な<無限>はしきられ、神が次に命じられると暗黒は飛び去り、光が照り、無秩序から秩序が生まれる。そしてすばやく重々しい元素、地、水、空、火はそれぞれの持ち場に進み、天上の第五元素は上昇して行き、回転している●々な形体に生気を吹き込み、数限りない星となり、星はどのような動きをするか、それはこうしてお前がみてのとおり。

 

23

それぞれ定められた場所があり、定まった行路があり、それ以外の第五元素は、まるくなってこの宇宙のカベとなる。下をみよ、この太陽から光を受けたこちら側が単に光を反射しているにすぎないのだが、輝いている星がある。それこそ地球、人間のみ座、光は昼、その光がないともう一方の半球のように夜が侵略する。しかし、その夜の半球では近くの月(月と反対側にある美しい星をそう呼べ)が、適時助けを出し、中空を通って一月でまわり終えると始める。(太陽からの)借り物の光で、三つの顔を持ち、地球を明るく照らすため、満ち欠けをする(月の)青白いところには夜の力をおさえる。私が指さすあの点が楽園、アダムの住むところ。そびえ立ち影なすところ、そこがアダムのすみか。行く道を誤ろうはずはなく、私は行くところがある。

 

こう言うと、天使はきびすをかえし、サタンは低く腰をかがめたが、その●は天国で目上の天使にいつもするようにであった。天国ではしかるべき栄誉と尊敬とを誰も怠ることがなかった。いとまをつげ、地球の方、下方へと黄道●り、成功の希望にかられて空中をいく旋回しつつ、けわしい飛しょうを行い、ニファテ山頂に降り立つまでとまることはなかった。

 

 

●4巻

1−31

黙示をみた者が、天上で大声で叫ぶのを聞いたあの警告の声−地に住まう者の悲しみ−が聞けたら、あの時、龍は二たびの敗走においやられることになる。怒り狂って降りて来て人に復讐を果たそうとする。

今、まだ間に合ううちに、我らの始祖はその秘かなる敵がやって来ることを注意を受け、敵の致命的なワナを、幸にものがれることができるかもしれない。

 

というのも今やサタンは、怒りに燃え立ち、(地上へと)●めていまや下り来る。人をとがめる者というより人を誘惑する者として、か弱き無垢なる者に始めの戦いでの敗北と地獄への失墜を復讐してやろうとして。

とはいえ、はるか(地球より)遠くでは大胆不敵、おそれ知らずではあったが、(ここまでうまく来た)成功に心はずまず、その成功を誇りとする理由もなくて、悪魔はおそるべき企てを始める。その企ては誕生まじかく今やぐるぐるとまわり、荒れ狂う胸の中で沸き立ち、悪魔の砲づつのように自らに逆戻りする。恐怖と疑念とは、悩める思いを混乱させ、自分自身の心の底から地獄をかき立てる。というのも心のなかに、自分のまわりに地獄をつれているのであり、場所を変えたからといって自分自身から飛び去ることができないように地獄から一歩も出ることはない。

さて今<良心>は眠っていた<落魂>を目ざめさせ、自分の以前の姿、現在の姿、さらに悪いことにはあるべき姿の<記憶>をにがにがしく思い起こさせる。悪しき行いのために悪しき苦しみを受けることになる。今や視界に快くあるエデンの方に時折苦しみのまなざしを悲しくも向け、また時折、天と子午線に高く立った燃え立つ太陽との方に向けた。

そしてあれこれと考えため息をもらしてこういい始めた。

 

32−57

おどろくばかりの栄光を戴き

この新世界の神の如くに、

唯一人で支配する座より眺めるお前よ。

お前の姿に星はみな影うすき頭を隠す。そのお前に俺は呼びかけるが、友達のように声をかけるわけではない。ああ太陽よ、お前の名をこうして言うのも、お前の光線のおかげで、おごりと、おごりにかられた野心のために、即ち天の比類なき王にさからって、天上で戦うという野心のためおとしめられるまで、どのような位階から俺が落ち、かつては、お前のいるところより高いところでどんなにか光輝あるものであったかを思い出し、そのお前の光線をどんなにか憎んでいるかを告げるため。

 

ああいかなるための戦いか。戦いをいどむという、俺からの返報などあの方は受くるに値しない。あの方は、かの輝かしき高位についたあの俺を創造し、恩恵を施しながら他人を咎めたことはない。あの方に仕えることも大変なものでない。あの方を賞賛することほど大変でないことはありようはずはなく、この上なく容易な報いである。あの方に感謝するのはいかにしかるべきことか。

とはいえ、あの方の持つ善という善はみな俺には悪であり、ただ恨みをもたらすだけ。

いとも高い位階にあげられてはいたが、屈従などは侮蔑し、もう一段高くあがると俺は一番高くなり、一瞬にして限りなき恩寵という大きな負債、大変な重荷でいつも払っているのにいつも責負うことになる負債を帳消しにできると思った。

あの方からいつも受けているものを忘れて。しかも感謝の思いは負債を負ってはいても、負うことはなく、たえず支払ってはいるが、負債があると同時に負債を免除されていることがわからなかった。それがいったいどんな重荷だというのか。

 

58−86

力強きあの方の定めによって俺がもっと低い位の天使であったら、幸福なままでいられただろうに。際限のない希望にとらわれ野心が起こることもなかっただろう。

 

でも野心が起こらぬことなどあっただろうか。大いなる他の天使が立ち昇ろうとし、たとえ俺は卑しい天使であったとしても、その天使の側にひかれていたろう。

 

しかし(ラファエル、ミカエルといった)他の大天使らは、堕ちず、心揺らがず立ち、心の中からも外からもあらゆる誘惑に心がまえがある。お前も堕ちずにいる同じ自由意志と力とを持っていたのか。そう持っていた。皆に等しく下る天の自由な愛、この愛以外にとがむべき何があり、とがむべき誰がいるのだろう。〔なまじ皆に下る愛があったから俺は堕ちた。〕

ならばあいつの愛こそがとがめられよ。愛や憎しみはどちらも俺にとって同じもの。永遠の悲しみを加えるのだ。

 

いや、呪われるべきはお前、あの方の愛にさからい、今、いとも正しくくやむものを自由にお前の意志は選んだのだから。あわれな(嘆き)俺、どちらにのがれよう。どこも無限の怒りと無限の絶望から、どちらにのがれても地獄、自分自身が地獄。この上なく深い深遠にても、俺をたえず飲み込もうとおびやかすさらに深い深遠がぽっかり口を開け、その深遠に較べると俺が苦しむ地獄は天国のよう。  ああとうとう降参か。

後悔の余地は残されていないのか。許される余地はあの方への屈従による以外は残されていない。屈従など頭から侮蔑して受けつけない。第一、屈従とはほど遠く全能者をこの俺がへこましてやると誇りで約束し広言してかどかわした、手下の天使らに俺の面目がつぶれるのがこわい。

 

86−113

ああ、あいつらは、あのむなしいおごりにどんなにか苦しんでいるか、いかなる苦しみにかられ、心からうめき声をあげているかほとんどあずかり知らぬ。

地獄のみ座で王冠と王杖をいただき、いとも高くあげられた俺をあいつらはたたえながら、たたえられるだけいっそう深く俺は堕ち、至高者と言っても悲しみがこの上ないだけ。

(手下から)賞賛を受ける喜び、逆に苦しみを受けるそんな程度の喜びがあるから、野心など起こるのだ。だが、悔いて恩寵を求めることにより以前の姿を取り戻すことができるとしよう。

高みにいることで、気高き思いがすぐに目醒めて、みかけだけ、屈従して誓ったことをすぐに取消すことだろう。安楽になれば苦しかったときにした誓約を無理無効だとして取消したくなるだろう。致命的な憎しみという傷がいとも深く差し込んだ場合、本当の和解は決して生まれえないのだから。

誓いを取消したりすればさらにひどく逆戻りし、いっそう厳しい堕落に落ちることだろう。だから俺は二重に苦しんで買われる短い幕合いを、高値で買うことになる。このことを買い手のあいつは認知している。ならば、あいつが俺のことを和平●認めぬようにあいつとの和平を乞おうとは俺はしない。

こうして希望という希望をみな追い払って、外にほうり出された我々のかわりに、あいつの新たな喜び、創造された人と、人のためのこの宇宙とをみよ。希望よさらば。希望といっしょに恐怖もさらば。自責もさらば。俺にしてみれば善と善をみな失った。悪よ、お前は俺に善。悪よ、お前のおかげで少なくとも分割された帝国を、天の王とともに始治め、俺は、帝国の半分以上を治めることとなろう。まもなく人もこの新世界もわからせてやろう。

114−147

こうして語っている間にも、激情の一つ一つ、怒り、嫉妬、絶望、に顔が曇り、蒼白となって三度変わった。そして借り物の表情に傷がつき、うわべだけの姿にすぎぬことを、もし目でみてみるなら、わかった。というのも、天に住む者の心は、そうした不浄な混乱からいつも清潔であるから。

そのことにすぐに気づくと、欺瞞の創造主は、外面だけおだやかにして混乱の一つ一つをしずめた。みかけは天使で、深いところに悪意を隠し、復讐を秘めて、偽りを行うのは、この者が初めて。

しかし、一度いましめを受けたウリエルをだますに充分なほどの偽りを行えはしなかった。ウリエルは目でこの者が行った方を追い、アッシリアの山でこの者が姿を変えるのをみた。その変化たるや幸いの天使に起こりうる以上のもの。そのおそろしいしぐさと、狂える態度とにウリエルは気づいた。魔王は一人であり、誰にも気づかれず見られもしなかったと思った。

そこで魔王は進み、エデンがある境のところにやって来る。エデンでは気持よき楽園が今までよりずっと近くにあって、田園の小丘のような緑(木々)と険しい荒地を持つ平たんな頂上は、冠のようにいただく。頂上に至る側はしげみに、無雑作におおわれ、近づくことを許さなかった。頭上には、この上なく高貴な影をなす、越えるに越えられる高さに、杉、松、もみ、枝広げるしゅろ、がのびる、森の舞台。そして観覧席が段々に上っていくように、木の影の上に、また影が続く。この上なく壮観な眺めの森の劇場。しかし、木のこずえより高く、楽園の緑の壁はそびえ立っていた。

その壁から、我らの始祖は、あたり一面の下の世界への大いなる眺望を得ていた。そして、その壁よりも高く、美しい果実で枝もたわんだこの上なくよい木でぐるりとまわる垣がめぐる。

148−183

花も果実も金色で、華麗なるとりどりの色にそめぬかれてあらわれた。花と果実とに、神が地に雨をそそぐときに出来る虹や晴れた夕べの雲のなかにさし込むよりももっと●ましく、太陽の光をさし込んだ。

いとも美しくその風景は思われた。清純な空気からもっと清純な空気が出て、その空気に、楽園に近づいた魔王は触れた。心には若々しい喜びと楽しみとが吹き込まれ、絶望以外の悲しみという悲しみが追払われた。

そよ風は香ある翼を打ち、この土地特有の芳香を放ち、そんな香をどこから奪い、取って来たかそっとささやく。それを喩えてみると、喜望峰を越えて航海し、今やモザンビイクをすぎる者達の方に、モザンビイクのはるか沖合で、北東の風が吹き、地味豊かなアラビアの芳香放つ海岸からシバの香を運ぶ。そんな風が吹き遅れることに十分満足し、船足をゆるめ、何リーグも快い香を楽しんで、大洋もほほえむ。ちょうどそのように、甘美な芳香に魔王は酔った。その香りを破壊しに来たのだが、魚の臭いのためトビトの息子の妻に惚れてはいたが、その女から逃げ、大急ぎでメディアからエジプトへと行き、そこでがっしりとゆわきつけられたアスモデウス。その悪霊が魚臭に喜ぶよりも魔王ははるかに満足した。

 

さて魔王は険しいごつごつの丘を昇ろうと思いにふけり、ゆっくりと旅路を進んでいった。しかし、そこから先への道をみつけることはなかった。道はずっと続いた藪のように厚く茂り、低木ともつれ合ったかん木との下ばえにその道をいく人も獣も道はことごとく入り組んでいた。一つの門がただそこにあるだけで、向こう側で東を向いていた。

しかるべき入口をみた時、それを鼻で笑い、一足飛びに、丘、一番高い壁などのあらゆる境界を越え、なかに降りたつ。

183−217

それを喩えてみれば、飢えてえじきのいる新たなそう窟を捜し求めることにかりたてられ、こそこそ動き回る狼が、羊飼いが夕べに羊の群れを、安全な野の中の葉隠れの小屋に追い込んでいるのをみていて、柵を楽々と越えて囲いに入る時のよう。あるいは喩えてみれば、金持ちが現金を引き出すのをみた泥棒が、十字にかんぬきをかけられ、しっかりとボルトで留められたがっちりした戸口で、侵略されるおそれがないので、窓のところから、あるいはかわらをよじのぼる時のよう。そのように大泥棒は神の囲の中に押し入った。

そのように、その時以来神の国に悪しき雇い人が押し入る。そこから魔王は飛び上がり生命の木、はえている木の中でも中央にあって一番高い木の上に鶏のようにすわった。そうすることで真の生命を回復したわけでなく、生きる者達に死をもたらすことを考えてすわっていた。また、生命を授ける木の効能を考えていたのではなく、見晴らしのためにただ使っただけだった。善用すれば不滅の契約となったものを。いかなる者も神を除いては、眼前に善を正しく評価する術をほとんど何も知らず、この上なく善いものを邪道に導き、この上なくひどくただ乱用するだけか、自分達の卑しい目的にただ使うだけである。

魔王は眼下を新たに驚き、人が感ずる限りの喜びにひたり、今や眺めるのは狭き空間のなかにあふれる自然の富。いや、それ以上で、地上の天国。至福なる楽園は神の庭であり、その庭はエデンの東に神によって建てられたもの。エデンの領域の広さは、ハウランから東へと進み、ギリシア王が建てた大セレウシアの堂々たる塔のところ、あるいはエデンで生まれた子供達が、はるか昔テラサールに住んだところまで。この快き地に、いやましに快き庭を神は定められた。

218−251

肥えた地より、見るによく、かぐによく、味のよい、この上なく高貴な種類の木をみな育てられた。その中に生命の木が立っていた。堂々と高く、植物のような金色の非常に美味のある果実をつけており、生命の隣には我々の死、死もたらす知識の木がすぐ隣りに生えていた。悪を知ることにより高く買われる善の知識。

南へとエデンを通り、大きな河が流れており、流れの筋を変えず、険しい丘を抜けるが、丘の下で飲み込まれて流れていった。というのも、神はあの山を庭の母体として、速い流れの河の上に投げられたが、その河は水の通る地の筋を伝わって、自然のかわきで上へと引き上げられ、新鮮な泉となって湧き、数多くの小川で庭を潤した。そしてその後、一つにまとまって険しい林間地を下り、暗い地下の通路を抜けて今現れる。山の地下を流れる河と出会い、そして4つの大河にわかれ、それぞれの方向に多くの著名な場所や国を漂う。ここでその場所について述べる必要はあるまいが、語れる技量があるのなら、語るべきはいかに、楽園のあのサファイアのように青い泉から、波立つ小川が輝く真珠、黄金の砂の上でまろび、たれさがった小影のもとに曲がりくねって、神酒を流し、草花の一つ一つを訪れ、楽園にふさわしい花々をはぐくむ。花々を、園芸が花壇や数奇を凝らした花床に整えたのではなく、自然が惜しみなく丘、谷、野にふりそそいだものであった。

そうした場所は、朝日が始めて暖かくさす広い野のであったり、光をささぬ影が昼のあづまやをお暗くするあたり。こうしたところが、この場所のあり様。様々な光景のある幸なる田園の座。森があり、その豊かな木々は芳しい樹脂と甘液とを流した。その他の森では木の果は黄金の皮で光っており、愛らしくさがっており−もしヘスペリデスの園の話が本当なら、この場のみがそうなのであり、−その果はすばらしい味がする。

252−287

森の間には林間地、平らな原、柔らかな草をはむ羊の群れがあり、しゅろの小山、おしめのある谷が抱く花のひざは、貯蔵を広げていた。あらゆる色どりの花やとげのないバラを。反対側には、涼しき隠所となる葉の茂れる岩屋とほら穴があり、その上にはおおいかぶさるようにツタが広がり紫のブドウをつけ、やさしく豊かにはい広がっている。そうしているうちに、さらさらとささやく川は傾斜した丘を下り、飛び散り、あるいは天人花でまわりをふちどられた岸辺に、水晶の鏡を持つ湖のなかでその流れがまとめられる。鳥は合唱し、そよ風、春の旋律は野と森との香を吹き出し、うちふるえる葉に調べを合わせ、普偏なるパンは三美神、時を守る三女神といっしょになって踊り、永遠の春を導き続ける。

花つみするプロセルピィーナが−もっとも女神自身は一段と美しい花で、むごいプルートによって集められ、そのため、娘のプロセルピィーナを求め世界中を押しまわるというあの苦労を母のセレスはすることになったが−そのプロセルピィーナが花つみをしたエンナの美しい野も、オロンテス河はんのダフネの甘美なる森も、霊感授けるカスタリアの泉も、このエデンの園と争うことはできなかったであろう。トリトン河で周囲を囲まれたニセイア島も−その島で、異邦人はアンモンとかリビア・ユピテルと呼び、老ハムと妻のアマルテアと、息子若きバッカスと、継母のレアの目から離したところ−またアッシリアの王たちが、その子孫を護るアマラ山も−この山は、真の楽園と考えられているにはいるが、輝く岩にかこまれて、ナイルの水源エチオピアの赤道下で一日の旅路でつくところ。−しかし、このアッシリアの庭もこの楽園におよばなかった。この楽園で魔王は喜びもせず、あらゆる喜びをみ、見る目に新しく奇妙な、あらゆる生き物をみた。

 

288−318

直立してすらりと高い、ずっと高貴な姿の二人、神のように立ち、裸であったが威厳をそなえて、生まれながらの栄誉をまとって、万物の主のように思われ、主たるにふさわしいと思われた。というのも、二人の神々しい顔立ちには、輝かしい造り主の似姿が輝いていた。真理、智恵、厳しくも清らかな神聖があり、それらは厳しいとはいっても、本当の子としての自由に根ざしていた。人間の持つ真の●威はその自由より生じている。

とはいえ、二人は等しくないが両性が同じようにみえぬのと同じである。瞑想と勇気にと男は造られ、柔しさとうっとりひきつける美質にと女は造られている。男は神のためにのみ、女は男を通じての神のためにのみ造られる。美しく大きな男の顔と崇高な男の目とは、絶対の支配を表していた。ヒヤシンスのようなおぐしは額のところで分かれて堂々と房のように下るが、広い肩の下にまで下ってはいなかった。女はベールのように細い腰の下まで飾りをつけず乱れた金髪をたらしていたが、つたが巻ひげにまくように豊かな巻き毛となって揺れていた。その髪型が表しているのは服従であったが、服従が必要とするのは、やさしい支配。女の側が譲歩し、譲歩を男がこの上なく巧みに受けとめる。おとなしく服従し、謙虚な誇りを持ちつつ、愛らしくいやいやながらもじもじとしてのろく譲歩する。

 

あの神秘の器官はこの時には隠されていなかった。この時には罪を感じ恥とはなっていなかった。

自然の勤みへ不正な恥よ、罪より生まれし名誉とはならない名誉よ。お前達は、どのようにして、見せることに人の心を苦しませるのか。清純と思わせる外観を見せるにすぎないことに。

そして、お前達はどうして、人の命から最高に幸福な命、清純とけがれのない潔白とを放逐したのか。

 

319−352

二人は裸のまま歩いて行き、神や天使の視線を避けもしなかった。というのも、二人は何ら悪しきことと思っていなかったから。二人は手に手を取って歩いていった。かつて愛の抱擁をしたなかでこの上なく愛らしい二人。アダムは生を受けた男のなかでも一番立派な男。子孫の娘のなかでも一番美しい女イーブ。草の上にやさしくささやいて立つ木影の下、新鮮な泉のきわで二人はすわる。楽しい庭仕事という労働のあとでは、西風も涼しく、安逸はいやましに安逸となり、健全なかわきや食欲をずっと感謝に満ちたものとし、二人は夕飯の果実にとりかかる。従順なる枝が二人のために生んだ神酒のような果実。花で様々な色をつけたふさふさと柔らかな土手に二人は寝そべり、おいしい果肉をはみ、果実の外でのどがかわくと、あふれんばかり小川の水をすくい上げる。やさしい会話も、人の心を引きつける笑いも欠けることはなく、美しい二人にふさわしい若い恋愛遊戯も、事実二人だけであったから、婚姻の幸ある夫婦にふさわしく、欠けることがなかった。

二人のそばを、地上のあらゆるけだものがふざけまわっていた。人間の堕落後、野生となり、森、荒野、森林、ほら穴で狩られる動物達。ライオンはふざけて後足で立ち、手のなかで小羊をゆすってあやし、熊、虎、大山猫、豹は、二人の前ではね回った。不細工な象は二人を喜ばせようと、全力を振り絞りしなやかな鼻をからませた。すぐ近くでは、取り入るように巧かつな蛇が、尾をからませてゴルディウスの結び目をつくった。致命の狡猾を、誰にも気づかれなかったが、現していた。他の動物達は草の上に寝そべって、牧草を食べて腹一杯になって、あたりをながめ、眠る前に反すうしようとしてすわっていた。

 

352−380

というのも、傾いた陽は急いで降下し、西海の島々の方に向かい、天の天秤の上りながら、闇を招き入れる星が昇った。その時サタンは始めに(生命の木の上に)立ったように、まだながめていたが、こうして、失った言葉をみつけて悲しげにいった。

 

ああ地獄よ、俺の目で悲しみつつ眺めるものは我々の至福の座にこのように高くあげられた。異なった物質で出来た生物、おそらくは土より生まれ天使ではないが輝く天使にはほとんど劣ることがない。こいつらを考えてみるつけ、驚異にうたれるし、愛することもできん。それほどこいつらに生々として輝く、神々しき似姿。そして、それほどの好意を、あいつらをあの姿に作った手が、そそいだ。

ああ、やさしき二人。お前らは自分達がまもなく変わることなどほとんど思ってもいまい。その時にはこうした楽しみがみな無残して、お前らは悲しむことになる。今喜びの味をかみしめればその分だけ悲しみも一潮、幸福ではあっても、守り方が悪いのでそんな幸福は長くは続くまい。この高いみ座、お前らの楽園は守り方が悪くて、今侵入しているような敵を締出すことはできはしない。とはいえお前達に対してとくに目的を持った敵でない。そんなお前達がこうして見捨てられているのを、俺は憐れんでやることはできても、俺は憐れまれたりしてはいない。

お前らと協力し、ご眠懇の親睦を願いたい。そうなれば俺はお前さん方と地獄で暮らし、お前さん方は俺と地球で暮らす。俺のすみかに偶然にも、この美しい楽園のようにお前さん方の気持ちが満足しなくても、造り主がお造りになったものとして受け取れ。

 

380−410

造り主が俺に授けたものだ。それをこの俺がお前さん方に同じように気まえよく授けようとする。地獄はお前ら二人をもてなそうと、広き門をあけ、地獄の王者達を送り出す。そこは広くて、このような狭い所ではない。だからお前達のあまたの子孫をも受け入れる。もし楽園ほどよくないなら、俺をいやいやながら、俺に悪いことをしたあいつのかわりに俺に悪いことをしもしないお前達に、復讐にとかりたてるあいつに感謝せよ。

お前達の罪のない無垢に、憐憫の情を、今現にそうであるように催すべきなのであろうが、正当なる公義、即ち栄誉と復讐して拡大する●●とにかられ、この新世界を征服することで、公義がなければ、いかに自分が堕落していても忌み嫌うことを行うことになる。

 

こう魔王は語った。そして僭王の訴える「必要性」ということで悪魔の行いの弁解をした。あの高い生命の木の上で立っていたところより、四足獣のなかに降り立つ。ある時にはある獣、またあるときには別の獣の姿をし、えものを見に段々と近づく目的にこの上なくぴったりの姿を取って、相手(えもの)に気づかれず言葉や行動をみてとって、相手の様子で知りうる限りのことをみてとった。今やライオンの姿となって、炎のような目つきをし闊歩し、次に、偶然、森の外べりでやさしい鹿のつがいが遊んでいるのをみつけた虎のように、はうようにまっすぐ進み、そして、うずくまって観察し頭をもたげる。しばし監視のかまえをかえ、場所を選び、そこから飛び出たし、しっかり両腕に二人をつかまえるもののようであった。

第一の男アダムは、第一の女イーブに、このように話し始めた。セタンは●●●耳を貸し、続く言葉に注意を払った。

 

411−439

こうした喜びすべてを共に分かす唯一のもの、喜びのなかでも無比なるもの、君は何にも増していとしい。僕らをお造りになり、僕らのためにこのあふれる世界を造った力ある方は限りなく善く、力ある方の善は限りないと同時に惜しみなく自由である。僕らを塵より起こし、この幸のなかに僕らを置く。僕らはいかなるものも受けるに値せず必要とされることを何もできず、僕らに求めておられることは、ただこれ一つ、この容易な義務、様々な実をつける楽園の木のなかでも、あの知識の木だけを味わぬということだけ。あの木は生命の木のそばに植えられている。死がどんなものであれ、きっとなにかおそろしいものであろうか、<死>が<生命>にそんなに近くに生えている。というのも君も知っての通り、神様はあの木の果を食べると、死を宣告されるだろう。僕らにかされた支配と統治、地、空、海をしめる生き物に僕らが行う支配、それを現す数多くの印のなかでも僕らに残された唯一の従順をあかす印。さあ、簡単なたった一つ禁じられたことを難しく考えるのはよそう。僕らは他のことならなんでも全く自由に許されており、数多くの喜びを限りなく選べる。でも、たえずあの方をほめたたえよう。その賜物を賛美しよう。この生い茂る草を刈り込み、花の手入れという楽しい仕事を行おう。こうした仕事はつらいだろう。でも、君とならまた楽しい。

 

440−469

アダムに向かってイーブはこう答えた。

 

あなた、あなたのため、あなたから私は造られ、あなたの肉から生まれた私。あなたがいらっしゃらないなら、私は何の目的もない者。私を導き、私の主であるあなた。おっしゃることはもっともで正しいわ。ほんとうに私達、あの方を賛美するだけしなくては。いとも幸福な運命をずいぶんと受ける私は、あなたというすばらしい人を、身にあまる運のよさから受けています。そしてあなたは、ふさわしい相手をどこにもみつけられはしません。あの日のこと、よく思い出すわ。あの日眠りから始めてさめると、花の小陰におかれていて、自分が何で、どこから、どうやってここに運ばれて来て、どこにいるかずんぶんいぶかしく思っていると、ほど遠くないところのほら穴から、さらさらとわく水の音がしていた。水は、湖となって広がり、空の広がりのように澄んで動かぬままだった。そちらの方へ経験したこともない気持ちにつられていき、緑の岸辺に横になり、澄んでなめらかな池の中をのぞいた。水面はもう一つ別な空のように思われた。身をのり出してみてみるとちょうど真向かいに水面の輝きのなかに、腰を折って私を眺める姿があった。私はおどろいて後ろにもどると、その姿も後ろに戻った。で、うれしくなって私はずぐにまたのり出すと、(相手も)うれしくなってのり出し、同情と愛情のまなざしで答えていた。今でも私は自分の目をすえて、むなしい望みにやつれはてていたことでしょう。あの声が私にこう注意してくれなかったら。「お前がみているもの、そこにお前が美しい者と思いみているものは、お前自身だ。お前がのり出せばのり出し、もどればもどる。私についていらっしゃい。

470−491

これから、影ならぬものがお前の到来とやさしい抱擁を待っているところに連れていってやろう。相手はお前の似姿である。彼に、その彼をお前は自分と別けへだたることのない自分自身として受けることであろう。彼のためにお前に似たものを数多く生み、それゆえお前は人類の母と呼ばれることであろう。すぐに従う以外に、私に何ができたでしょう。見えずとはいえ、導かれる以外に。

とうとうあなた、本当に美しくすらりとしたあなたをすずかけの木の下に認めた。だが私自身はなめらかな水面の姿よりずっと見ばえがせず、愛らしく柔しくも、おだやかでもないように思った。私は後ろに振り向くと、ついて来たあなたは大声で叫んだ。

『美しいイーブよ、戻っておいで、誰から離れて行くんだい。君が離れていく者から、君は生まれた。いわば骨肉。君が生まれるよう胸に近い肋●から、まことの生命をあたえた。自分のとなりに君を持つことは、それゆえ離れがたいいとしい慰め。君の心のなかに僕の心を捜し求め、君を同伴者たると思う。』

そのお言葉とともに君のやさしい手に私はつかまり、負け、その時からわかったことは、男らしい優しさや、男が持つ智恵に美しさはなんと及ばぬかということ。やさしさ、智恵こそのみが真に美しいのであると。

 

こうすべての人の母は言った。罪のない夫婦の愛嬌がみせる目つきと、やさしく屈服して半ばいだきつつ、始祖なる父によりかかった。

結んでいない髪の流れるような黄金の下に隠された、半ば裸けた豊かな胸は、アダムの胸と出会う。アダムは、女の美しさと従順なる魅惑とに喜び、主にふさわしく愛しながらほほえんだ。

 

499−527

ちょうど、五月の花を降らす雲をユピテルがはらませ、ユノーにほほえみかける時のよう。アダムは妻の口びるに清らかなキスをした。嫉妬にかられ悪魔はわきを向いたが、嫉妬深い毒々しいながし目をしながらこうぶつぶつと言った。

 

いまいましい光景、心苦しい光景。互いに抱き合いいやましに幸福なエデンにいる。これら二人の者が至福の上にも至福なることを十分に楽しむがよい。一方俺は地獄に押しやられ、そこでは<喜び>も<愛>もなく、おそろしい<欲望>が、−他の苦しみのなかでも決して隅にはおけない−<欲望>が、望みという苦痛にたえず満たされることがないばかりに、俺を苦しめる。

だが、あいつらの口から知ったことを決して忘れまい。どうやらここにあるものみなが、あいつらのものではない。智恵の木と呼ばれる死をもたらす木があって、食べることを禁じられている。知識が禁ぜられているだと。うさんくさく理由もないこと。どうしてあいつらの主はそんなものに惜しむのか。知ることが罪なのか。知ると死を迎えるのか。無知であるままであいつらは正しいのか。そんなことがあいつらの幸福な状態か。無知がやつらの従順と信仰の証か。あいつらの破滅を打ち立てるのになんたるすばらしい土台。

それなら知りたいといういやましの欲望、けちけちした命令を退けるという欲望をあいつらに起こしてやろう。神の命令はあいつらを低くしたままにしておくためのたくらみであって、知識を得れば高く上り神と等しくなると。そうなろうと望み、やつらは食べて死ぬことになる。

 

527−554

これほどありそうなことはない。だが、まず手始めにこの庭をまわり、じっくりと調べねばなるまい。隅々まで見ておかなくては、運よくうろついている天使と出会わぬとも限らぬ。泉のきわ、奥まった茂みで。そいつからさらに聞き出せることを聞き出そう。生きていられる間に、幸せなお二人さん、生きよ。俺が戻るまでの短い楽しみを楽しめ。というのも長いこと悲しみは続くことになるのだから。

 

そういうとおごった足取りで軽蔑したように踵を返したが、狡猾にあたりを見回すと、森を抜け、荒地を通り、丘を、小谷を越える。

 

そうしているうちにも、大空が地と海と出会う西の方に、日没の太陽はゆっくりと沈み、楽園の東の門とちょうど向きあって、水平に夕べの光を放った。門は大理石の一枚岩で、かなりな高さ、雲にとどかんばかりにもり上がっており、登り道はひと●うねり、地上から近づきうる。高いところに門となった(楽園)への入口がある。その門のところを除いてはごつごつした絶壁であり、崖が上になるにつれてますます突出していて、昇ることは不可能。この門柱の間にガブリエル、即ち守護天使団の長はすわって待っていた。まわりでは武装をといた若い天使らが勇ましい競技をしていたが、みじかに、天の武具、楯、甲槍がダイヤや黄金のようにもえる光を発してかけられていた。

 

555−584

すると、こちらに、ウリエルが、やって来る。夕空をすべって陽の光の上をすべり、その速さたるや、流れ星のため蒸気に火がつき、空気が燃える秋の夜空を走る流れ星のよう。あるいは、羅針盤のどの方向から激しい風が来るかを水兵に流れ星が注意を促す、その流れ星のよう。ウリエルはこうあわてていった。

 

「ガブリエルよ、偶然にも順番で、この幸ある楽園に悪しきものが近づいたり入らぬようよくよく警備するという義務が申しつけられる。今日、真昼に、私のいる太陽に天使がみうけたところ熱心に、全能者のなせる業を、そしてとりわけ、最近のもの、神の似姿たる人のことをもっと知りたいようであった。全速力で行こうとするこの天使の道筋を教えてやり、天使の軽快な飛行振りに注意していたが、エデンの北方にある山に、その天使が始めて降り立つと、すぐに私は気づいたのは、あの天使の顔つきは、天のそれとは似つかぬもの。悪しき激情で顔色が暗くなっていた。さらに目で追い続けると、小影にかくれて見失ってしまった。追放された堕天使の一人が、深淵より出で、新たに騒乱を起こすのではないかと思う。

そのものを、そちが注意して必ず見つけ出せ。」

 

ウリエルに向かって、翼持つ戦士はこう言い渡した。

「ウリエル殿。貴殿の眼光はすぐれ、席しておられる輝かしい日輪のなかにあって、広く遠くをごらんになれることがはっきり致しました。天からやって来る顔なじみの方以外には、ここで見張っておりますので、誰もこの門を通れません。陽が子午線にある時からは誰も通っておりません。別のたぐいの天使で、そうした下心があってこの地上の境界を意図的に終えたのだと致しますと、

 

584−609

ご周知の通り、霊のものを肉の障壁で排除するというのは困難、だがもしこの楽園の監視区域内で、いかなる姿をとっているにせよ、貴殿のおっしゃるそのものが、徘徊いたしているなら、朝の明けるまでに知れることでしょう。」

 

そうガブリエルは約束すると、ウリエルは自分の役目に戻るべく陽の光に乗った。今やアゾレス諸島のはるか下に沈んだ太陽が光の輪を空に上げるとそれにのって、ウリエルは運ばれた。輝く球体は信じられない程速く動き、日中に東から西へと回転していったのか、それとも、このあまり回転しない地球は短い飛距離を東へ進み、西の王座にかしずく、陽を照りかえす紫と金色に染まる雲で飾られた太陽を西においてきぼりにしたのか定かでない。今静かな夕べが帰ってきた。灰色の夕日は落ち着いた装いで万物をまとわせた。

沈黙が続いた。獣と獣とは緑のねぐらに、鳥は巣へとそっと行っていた。ただ一つ目をさましている夜鳴鳥を除いては、一晩中こぶしのきいた愛の歌をうたい、沈黙はこれを喜んだ。今大空は生々したサファイアで輝く。群星を導く宵の明星は、この上なく明るく上り、ついに雲に囲まれ威厳を備えて昇る月は、争わぬ女王として無双の光を明らかに暗闇に銀のマントを投げかけた。

 

610−634

その時、アダムはイーブにこう言った。

美しい君よ、夜だ。万物は今休みについた。僕らも休みにつかぬかと気にかかる。というのも神様は、昼と夜という続いたものを人に定めたように、労働と休息とを定められた。眠りというやわらかな重みとともに今落ちるしかるべき時の眠りというおしめりに、僕らの目は閉じる。他の動物達は、一日中仕事につかず、なすこともなく動き、あまり休息は必要でない。人は体と心との日々の仕事を定められ、こうしたことは、人の尊厳と、人の道に天が注目していて下さることを現している。ところが他の動物達は働くことなく、その行いに神様は注意を払われない。明日、新鮮な朝が東に初光の条をひく前に、僕らは起きていて、楽しい仕事にとりかかる。むこうの花つけた樹木、あっちの緑の小道、僕らが昼に散歩するところ、枝が茂り僕らがたいして手を入れられぬことをあざけり、のび放題にのびた枝を刈り込むため、僕らよりももっと手が必要という。この花々もそう。あのしたたる樹液も、目にとまるほど荒々しい散らばりよう。もし僕らが容易に歩むつもりなら、取り除く必要がある。

それまでは、自然が望むとおり、夜が我らに安息を命ずる。

アダムに向かって、完全なる美に飾られたイーブはこう語った。

 

635−664

私の造り主、支配する人、あなたがお命じになられることを、口答えせず従います。そのように神はお命じになりました。神はあなた様にとって律法、あなたは私には律法、これを知ることこそが女の幸福、女の幸福。あなたと話していると時間も忘れてしまう。時もすぎるのがわからない。なんでも同じように気に入ってしまう。楽しきその<朝>の息吹き。早起き鳥の声とともに、昇りゆく朝も。甘美なるは太陽。この喜ばしき地に、草、木、果実、花−それらは露で洗われ、きらきらと輝き−に輝かしい光線をぱっと広げる。

やさしいおしめりの後に肥えた土地は芳香を放つ。楽しいのです。やさしい夕べの訪れ、そして、この今聞こえるおごそかな鳥の声と、あそこに見える美しい月、この天の宝石、星という月の従者を連れて来る、静かな夜。

しかし、でも早起き鳥の声ととともに昇る朝の息吹も、この楽しき土地、露で洗われきらきらと輝く草、木、果実、花も、この荘厳な鳥を連れた静かな夜も、きらきらと輝く星明や月の夜歩きも、あなたがいなくては楽しくもない。

しかも、何のため、こうしたものは一晩中輝き、誰のためにこの輝かしい光景が、万物は眠りつき目を閉じているのに輝くのでしょう。

 

イーブに向かって、我らの始祖はこう答えた。

神と人との娘、全きイーブよ、ああしたものは、地球をひとめぐりして、明日の夕方までに終わるべき行程があって、徐々に国から国へと進み、国の民らはいまだに生まれていないが、その者たちに準備され、(夜を)支配する光として昇り、そして沈む。

 

665−697

さもないと<夜>をつかって<暗闇>が、古の領土を再び取り戻し、また、自然や万物の生命を絶やすであろう。そうしたものは、こうした柔らかな光を受けるばかりか、様々な感応力を持った自然の熱で暖められはぐくみ、また、このなかのあるものは地上に育つあらゆるものに星の力をそそぎ、この力によってずっと力ある太陽の光から完全性を受けるにふさわしいものとなる。だから、夜の深淵にあって目にはみえないけれど、無駄に輝いているのでない。たとえ人なぞいなくとも、大空を眺めるものがいない、神様が大空をほめなくてはなどと思ってはいけない。

幾多の天使は、目には見えぬが地上を歩き、それは僕らが目を覚ましている時も寝ている時も。こうした天使たちがたえまなく、昼も夜もみ業を眺め、ほめたたえる。声響く丘の斜面ややぶから夜のしじまに向かう天使の声が。一人の天使が歌い出すと、その調子に答えるものがあって、大いなる創造者をたたえるのを聞いたことか。天使らは見張りをし、夜の巡視にあたりながら、すばらしい和音の天の楽器をかきならし、それに合わせてうたう歌は、夜警交替の時刻を知らせ、その歌に我々の思いは天上にも昇る。

 

こうして手に手を取り合って二人だけで、至福の東屋へと向かった。「至高の植手」である神が、万物を人間が楽しく使えるようにとお造りになった時、お選びになった場所。厚くおおわれた屋根は、月桂樹と天人花、そしていっそう高く茂り、堅い芳香のする葉とで編まれた木影。両側はアカンサスで香のよい茂れる枝が緑の壁となって立つ。

 

697−724

あらゆる色を持つアイリス、バラ、ジャスミンといった美しい花の一つ一つは、花を飾れる頭を、その壁の間に高く立て、モザイクをなしていた。足下には、スミレ、クロッカス、ヒヤシンス。豊かなはめ込みの模様をなし、地面を飾り、金をふんだんにかけたはめ込み細工の石版よりも、ずっと色とりどりであった。動物もいた。獣、鳥、昆虫、地虫。しかしいずれも、この東屋には入ろうとはしなかった。それほど人の威厳があった。ずっと神々しく奥まった木影のなかの東屋には、いつわって空想せられたものであろうが、牧神のパンや森の神シルヴァヌスは決して眠ることなく、ニンフもファウヌスも足繁く訪れることはない。この奥深き隠所に、花、花冠、よい臭いの草で始めて婚姻の床を、結婚したイーブは飾った結婚の美を、天使らは合唱した。

いつの日に、婚姻の天使は我らの始祖に、裸のまま美しいイーブをつれていったのか。神々のあらゆる美質を受け持ったパンドラよりももっと美しく、もっと飾られたイーブを。ああ、悲しき結末はあまりにも似すぎる。ヤフェトの愚かな息子にヘルメスが連れていったパンドラは、その美ぼうで人類をわなにかけ、ゼウスの権威を現す火を盗んだプロメシウスにたいして復讐をはたしたときの出来事と。

 

こうして、木陰なす東屋に着くと二人は立ち、天を仰ぎ、晴れた夜空の下で、神をあがめた。天、地、大空と大気を二人はみやった。そして、また光り輝く月、蒼天を。それらはいずれも神様がお造りになったもの。

 

724−757

全能なる造り主、夜をお造りなり、また昼をも造られ、昼に定まった仕事につく私達は互いに助け合い、互いに愛し合って幸のうちに今日一日を終えました。それも、あなた様に定められた至福の絶頂のなか、私達にはあまりにも大きすぎるこの楽しき園で。ここは主の豊穣を分かちあう者がたらず、集められずに地面に落ちられる。だが主は、私達二人から出た一族がこの世を満たすことを約束された。私達の子孫は私達とともに限りない善を、私達が起きている時も、今のように眠りという賜物を求めている時も限りなき主の善をほめたたえることでしょう。

 

こう二人で声をそろえて言い、神様が一番お好きな清き崇拝の他は、儀式をなんら行わず、東屋の奥にと手をとりあって行った。我々が身にまとうやっかいな衣を脱ぐ手間もなく、すぐに二人は添い寝し、アダムは美しい花嫁に背を向けることも、イーブは結婚の愛という不可思議の儀式を拒みもしなかった。偽善者は清純、場所柄、純潔といったことをあれこれ語るが、神様が清いとおおせになり、ある人々に命じ、あらゆる人々に自由にまかせたことを、不潔といって冒涜しているのである。我らの造り主は増えよと命じているのに、さし控えよと命ずるのは我らの敵、神と人との敵以外の誰であろう。

 

幸あれ、結婚愛よ、不可思議の法、子孫の繁栄の真なる源泉、他では皆が分け持つ楽園で唯一の私有財。結婚愛よ、お前のおかげで、獣のやからの間に徘徊する不義の愛は人から追い出される。高貴で正しく清純な結婚愛よ、理性に根ざしたお前のおかげで、大切な関係、父子の愛、兄弟の愛が始めて経験される。

758−787

お前のことを罪、咎と述べることなど思いもよらぬ。またお前が、至上の清き場所にふさわしくないなどとも思ってもみない。お前は楽しい家庭の源泉、その寝床は汚れず純潔と呼ばれ、今も昔も、聖者や家長の寝床のように純潔。ここでは愛の神は黄金の矢を使い、消えることのない燈に火をつけ、紫の翼をはばたき、ここを治め大いによろこぶ。娼婦がもらす買われた微笑みにも、愛に欠け喜びもなく、いとしくも思われぬ一時の娯みにも、また淫とうな宮廷にある男女入り乱れた踊りや、みだらな仮面劇や深夜の舞踏会、寒さにふるえた恋人が傲慢な婦人に向かって歌い、侮蔑をもってひとけりするにもっともふさわしい小夜曲にも見いだせない。

二人は夜鳴き鳥の声に心安らぎ抱き合って眠りについた。二人の裸の肢体には花の屋根からバラの雨、そのバラも朝になればまた枝に咲く。眠れ、幸福な二人よ。ああもし、これに勝る幸福な様を求めず、これ以上知らぬことを知るならば、この上なく幸福であるだろう。

 

今、夜は円錐形の影をともなってこの広大な月下の天を頂上に向かって半分まで進み、象牙の間からケルビムが決まった時間になると出て来て、戦闘さながらの隊列を組んで、夜警にと武装してつくと、その時ガブリエルは力では一段と劣る天使に向かってこう言った。「ウジエルよ、一隊の半ばを率いて南側を縦行し、しっかりと見張れ。残りの者達は北をまわり、互いにちょうど西で出会うことになる。」

炎の如く天使達の半分は、左手に向かい、また残りの者は右手へと向かった。ガブリエルは、自分の近くに立っていた強くて目ざとい天使二人に声をかけ、このように役目をおおせつけた。

785−818

「イスリエルとゼフォンよ、翼を打って迅く、この楽園中をさぐり、どんな奥まったところも調べぬままにするでないぞ。特にあの美しい二人がいるところは。今頃は、無邪気に寝ているであろう。今宵、日没の頃、こちらの方に堕天使が(誰が思いもよろう)地獄門をのがれてやって来たのをみたと報告する天使が到着した。きっと悪い使いで来たのだろう。そやつをみつけ次第、ひっとらえ、こっちにつれて来い。」

 

そういうと、月の目もくらませる輝かしい隊列を率いていった。この二人だけはまっすぐに東屋へと向かい、求める相手を捜した。その相手を東屋に見つけたが、蛙のようにしゃがみ、イーブの耳元にぴったりとついて、悪魔の技を用いて、幻惑の器官に働きかけ、自分の思い通りの妄想を、幻想と夢とを造ろうとしたが、あるいは、毒液を吹き込んで、清らな川から起こる穏やかな水気のように清純な血から立ち昇る血気をけがし、そして少なくとも、調和の崩れた不満な想念、傲りを生む高ぶったうぬぼれにあおられる虚しい望み、虚しい目的、ふしだらな欲求を引き起こそうとしていた。熱中した様子のこの相手にイスリエルは槍で軽くつついていた。というのも、おおよそ嘘偽りというものは、天で鍛えたものにふれられてたえられず、いやおうなしにもとの似姿へと戻るのだから。発見され不意打ちをくらわせられはっと驚き、その様をたとえてみれば、うわさになっている戦争に備えて火薬庫にたくわえておくため、いつでも樽詰めになるよう山積みしてある硝薬の上、ちょっと火花が散り黒い粉が突然燃上がって、空を焦がす。

819−849

ちょうどそのように驚いた敵はもとの姿に戻った。この美しい二人の天使は半ば驚き後づさりした。突然みたものは、ぞっとする程おそろしい魔王だったから。だが、おそれおののかず、近づき二人はこういった。

 

地獄へ落とされたあの反乱天使のなかの誰だ。獄をのがれ、姿を変えて、寝ている者達の枕元で●視しているとは。

 

「知らんのか、俺を知らんのか」と、侮蔑を浮かべてサタンは言った。「かつてはお前達の相手でなかった。お前らが近づけもせぬような高いところに座っていた俺を。俺を知らんのでは、天使のなかでも位の一番低いお前達を俺が知らんのも道理。仮に俺を知っているとしたら、どうして誰だと尋ねるのだ。なぜ余計な口上を述べるのだ。どうせ余計なままで終わるであろうに。」

 

魔王に向かってゼフォンは、侮蔑に侮蔑をもって答えた。反乱天使よ、お前の姿は前のままだと思うな、輝きも劣っていないとも。天で正しく清くあった時のように、外にはあらわれぬ。もはや善ではなくなった時にあの栄光はお前にはなく、暗き汚れた運命の場所、罪に似る。だが来い。いいな。お前は我々をつかわした方に申し開きをするのだ。その方の任務は、この場所を神聖なまま、害悪から守ることである。

 

こうケルビムは言った。若々しい美しさのなかにも厳しさがあって、重々しい反駁は無敵の気品があった。悪魔は恥じ入って、善性のすさまじさを感じ、姿をとった徳がどんなにか美しいかを知った。知って、自分が失っていることを嘆いた。

850−576

だが、特に恥じ入ったのは、自分の輝きは目にみえてはっきりとそこなわれたことだった。だが、臆した様子はなくこう言った。

 

俺が戦わねばならぬなら、強者には強者を。遣わされるものでなく遣わす者を。それとも一度に全員と。いやましに栄光は勝り、負けても栄光が劣ることはなかろう。

 

ゼフォンは大胆にもこういった。

お前はびくびくしていて、悪しき故に弱いお前には、最下級の天使ができることで充分。

 

敵は答えなかった。怒りににえくりかえっていたが、御された気高い馬のように、鉄のはみをぎしぎしかみながら、横柄に進んでいった。戦うことも、飛んで逃げることも所せん無駄と考えた。天上からの畏れに心が弱くなるか、弱くならぬならうろたえていた。

さて、天使とセタンは西に近づいた。西のそこでは半周した天使らが出会い、方陣をなして次の命令を待った。

 

天使らに向かってガブリエルは、前方からこう大声で叫んだ。

 

皆の者、明敏な足どりでこちらに進んでくるのが聞こえる。ちらりと木影にみえたのは、イスリエルとゼフォン。二人とともに、王者のような態度であるが、青ざめた者がやって来る。その足どりとおそろしい態度から地獄の王らしい。

一戦を交えずにここを立ち去ろうとはしない様子。微動だにするな。敵の顔色には<挑戦>がうかがわれる。

 

ガブリエルが言い終えるや否や、この二人の天使がやって来て、手短かに誰を連れて来たのか、どこで発見し、どのようにしており、どんなしぐさで、潜んでいたかを告げた。

877−901

敵に向かって厳しいまなざしを向け、こうガブリエルは言った。

 

サタンよ、どうしてお前は、罪ゆえに定められた仕置場を破り、お前の前例があるからといって、罪を犯すことを認めず、この場でお前が大胆にも侵入したことを問い正す権威と力のある他の天使達の務めをかき乱すのか。お前の役目は眠りを、そして神様がこの至福のうちに定められたすみかの人間をかき乱すことにあるらしい。

 

ガブリエルに向かってサタンは、侮蔑を顔に現していった。

 

ガブリエルよ。天上では賢きほまれたかく、俺もそう思っていた。だが、今のように問われては、そのほまれも怪しいもの。あんなところに住む者の、いったいどいつが苦痛を好きになるのか。出口をみつけ、破って地獄を出ようと誰が思わぬか。所詮、地獄にいる運命であるにせよ。悲嘆を歓楽によってすぐにも慰められるところなら、ともかくどこにでも大胆にも乗り込もうとするだろう。その場所を俺は、ここに求めただけ。

お前にはわかるまい。ただ善を知っているだけで、悪いことはしたことがないのだから。俺達を閉じ込めている奴の意図を、お前は反対理由としてあげるのか。あの暗い幽獄に俺達を閉じ込めておこうとするなら、鉄の扉のかんぬきをもっとしっかり閉めさせろ。これで答われたこと全部だ。後は全部あの二人の言う通り。でも人間に害や暴力を加えたわけじゃない。

902−929

こう侮蔑していった。猛き天使は怒りを感じて、薄笑いを浮かべて軽蔑してこう答えた。

 

ああ、サタンが堕ちたので、賢きことと判断する者が、天ではなくなったとは。もともとサタンは愚かだったから堕ちたが、獄からのがれて愚かにも天に戻り、尋問する者が賢いかどうかおおまじめに疑ぐっている。尋問は、どうして大胆にも地獄に定められた仕置場から許しもなくこちらに出て来たかということなのに。

そして、苦痛をなんとしても離れて飛び、罪をのがれることが賢明だと考えている。僭越な者め。お前はまだそう思っていても、飛んで逃げても、起こるみ怒りは、光の七倍にも及び、どのような苦痛も、挑発された無限の怒りに匹敵はできない。今をもってこれほどお前にふさわしいはずの智恵にムチをくれ、地獄に戻ることを教えよう。

だがどうしてお前一人なのか、どうして地獄のものたちがそろっていっしょうに脱獄して来なかったのか。苦痛はあまり苦痛でなく、逃げ出すほどの苦痛でないか、それとも他の者よりもお前の方が耐えられないかだ。勇敢な大将、苦痛から逃げ出した筆頭の方、お前が見捨てた仲間達に飛び出したこの大義を申し出るなら、きっと一人で逃げてはこれなかっただろう。

 

これに厳しく顔をしかめて敵は答えた。

我慢できなかったとか、苦痛を避けたわけでもない。侮蔑天使よ、知っての通り、俺はお前の最強の敵であった。戦いでは、すぐにお前の助けて火を吹く雷光が一せいに放たれ、雷光さえなければ恐れることはない槍を後押ししたが、

930−961

しかし、相変わらずでたらめなお前の言葉から、過去の難行と不首尾とから、忠実な指揮官には必要なことに未経験であることがわかる。今までやられたこともない危険な道に全員を立たせることなどあるまじきこと。俺はたった一人でも、荒涼とした深淵を飛翔し、この新世界をかいまみようと試みた。新世界の風評は地獄でささやかれ、ここに、快適なすみかを求められ、苦しんでいる天使らが、この地上、中空に居を構えられるという希望を抱いていた。とはいえ、占領するためには、お前とうわついた麾下とがあえて反対することを、もう一度やることになろうが。戦うことより、お前らのたわけた務めといったら、天のいと高きところの主につかえ、歌なぞうたって賛美し、遠くで尻込みしているとは。

 

サタンに向かって戦いの天使ガブリエルはすぐに答えた。

言うと、すぐに取り消す。

始めに苦痛から逃れることは賢いといい、次には新世界を探るためだという。それこそ指揮官どころか、嘘つきだとかぎつけられる。

サタンよ、それでも「忠実」などと言えるのか?ああ、名よ。忠実という聖なる名が汚されるとは。誰に忠実であるのか。貴様の反乱軍にか。敵軍、その将も将なら、麾下も麾下。これがあなた方の因律であり忠実、そして軍人としての従順か。至上と認められた権威に忠誠を誓うことをやめることが。そしてお前は、狡猾な偽善者、自由を擁護するような顔をしても、かつては、お前ほど畏しい天の君主に甘え、尻込みをし、隷属的に称えていた者はない。主を押しのけ、自らが治めるという希望なくして、どうしてそんなことをしたのか。

962−990

今お前に注意しておく。さっさと退いて、お前が逃げていったところへと飛んでいけ。

もし、今後、この聖域にお前が現れるなら、地獄へと鎖をつけて引きずっていき、封印をして、以後、軽すぎた門で容易に破れる地獄門をあざ笑えないようにしてやる。

 

そういって威脅したが、サタンは威脅などおかまいなく激怒して答えた。

 

俺がつかまった時に、鎖の心配はするがよい。辺境守る傲る天使殿。それまでは勝れる俺の腕から、ずっしりと重き●を受けるのを楽しみに待つがよい。たとえ、天の王が、お前の翼に乗り、お前の、軛になれた仲間とともに、星を散りばめた天道を凱旋車で進むことになろうとも。

 

こうサタンがいっているうちにも、輝ける天の軍団は、炎のように真っ赤になり、三日月の角のように方陣をさらに鋭く組み、槍を斜めに構えて、天使を取り囲み始めた。その集まりたるが、農耕の神セーレスの野は、熟して刈り込みを待ち、ひげをはやした穂が林立し、波のように風の吹く方に揺れる時のよう。農夫は、そんな時心配そうに、穂打ちすると望みをかけていた穂の原も、殻ばかりになりはしないかといぶかしがるのだが。

反対側では、武●をとったサタンが、全力を振り絞って大きく膨れ上がり、火山テネリフや巨人アトラスのように泰然としていた。その姿は大空に達し、甲には<恐怖>が羽飾りをつけて控えていた。槍や楯と思われるものを握っていなくはなかった。

991−1015

そして今、おそるべき行動が起こり、その激動に楽園ばかりか、おそらくは、天の星のとばり、あるいは天の元素という元素がみな破壊され、この騒乱の力でばらばらに、こなごなになっていたろう。もしも、すぐ様、そのように恐ろしい争いを避けようと、永遠なる方が、天に黄金の天秤をさし出さなかったなら。

天秤はいまだに天蠍宮と処女宮との間に印としてみえるが。天秤のなかで始めて創造されたものをみな秤にかけた。宙づりのまるい地球はバランスをとる空気と平衡を保つ。今やあらゆる出来事、争い、領土を測り、天秤の両皿に二つの重し、去ることと戦うこととのそれぞれをのせ、結果を示す。戦うことはさっさと上にはね上がり、秤棹を打った。それをガブリエルはみつけて、敵にこう言った。

 

サタンよ、お前の力量を知っているが、お前も私の力を知っていよう。我々いずれの力も授けられたもの。ならば、腕前をほこることはどれほどの愚行か。というのも、お前の力は天が授けるだけ。私とて同じ。とはいえ、私の力は今や二倍にして、お前を泥沼のように踏みにじることができるが。嘘と思うなら上をみろ。お前が秤にかけられた、あの向こうの星座に、お前の運命が読み取れる。なんと軽く、弱々しいだろう、もしお前が反抗し戦うなら。

敵は見上げ、天秤皿が高く上っているのを知った。もはやそれまで。ぶつぶつ言って逃げるばかり。サタンとともに、夜の闇も飛んでいった。


●5

1−27

さて朝は、バラ色の歩みを東の方に進め、地に輝ける真珠を蒔いた時、アダムは目醒めた。そのような習慣であったが、というのも睡眠は清純な消化と、中和にして適当な発散より生まれる空気のような光。眠りは葉と水気をさてるさざ波の音だけが、つまりアウロラの扇の音に軽く散り、また枝にとまるかん高い鳥の朝の歌声に軽やかに目ざめさせた。

髪を乱して、頬を照らして、あたかも不安な安息をしているかのように目醒めぬイーブをみつけて、それだけアダムの驚きは大きかった。半ば身を起こし横になり、愛するイーブに珠玉の愛のまなざしをそそいで身を持たせ、寝ていても起きていても独特の気品を放つ美しさを眺めた。そして、西風がフローラに吹きかける時のように優しい声で手をやさしく握り、こうささやいた。

 

起きなさい。美しいお前。新妻、天が最後に授けた最上の贈り物。たえず新たに喜ばしてくれるお前。目をおさまし。

朝日は輝き、さわやかな野は僕らを招く。夜明けを無駄にしてしまう。手入れした草が芽をどんなに吹き、シトロンの林は花をどんなに咲かせ、没落・香木の花はしたたり、どんなに自然は色どられ、甘い蜜を吹く花に、どんな風にハチが席わっている。

 

そんなささやきにイーブは目をさましたが、驚いてアダムを見つめると擁き、こう言った。

22−63

ただあなたとだけ。こうしていて、気持ちがほっとしていられるのは。私の栄光、私を完成する人、お顔が見られてうれしい。朝が来たのね。私は今夜みたいな夜をすごしたことはないわ。夢をみたんだわ。夢だったなら。夢なんかいつもみるのはあなたのこと、昨日の仕事、今朝の段どりなのに、みたのはこのいやな夜までついぞ知らなかった罪の犯しともめごと。私の耳もとで呼ぶ声がしたの。とってもやさしい声で。あなたかと思ったわ。『イーブ、どうして眠ってるんだい。ちょうど今がよい時、涼しくて静かで。静かといっても、目をさました夜啼き鳥は、悩ましい恋の歌を、この上なく美しくさえずっている。今、満月が治め、美しい光で物の表面をぼんやりとおおう。誰もみないなら、まったく無駄というもの。大空は目を見開いて目ざめる。お前じゃなくて誰をみてるんだい。自然の生きるのぞみ。お前をみて万物は喜び、お前の美しさにうっとりとなってまだみつめてる。』あなたに呼ばれたのかと思って起きみると、あなたがいないの。みつけようと歩き道をずっと行くと、突然禁断の知識の木のところについたの。美しかったけど、昼間よりはどっと美しく見えたわ。不思議に思ってみていると、木のとなりに私達がしばしみかける天からの使いのような姿をし、翼をつけた方がいるの。そのしっとりとした髪は天香を放っていて、その方も木を見ていた。こういったわ。

美しい木、果で枝もたわみ、誰にもお前の重荷を楽にし、おいしさを味わってもらえぬとは。天使にも人にも。知識はかくもみくびられている。惜しんではいるのか、それともどのような隠し立てで味わうことを禁じておるのか。誰が禁じようとも、これ以上お前が捧げるよいものを差し控えることはなかろう。でなくて、どうしてここに置かれているのか。

64−94

こういうと間も置かず、向こう見ずにも手をのばし、もいで味わった。私は恐ろしさで身もこおりました。そんなに大胆な行いに裏打ちされたそんなに大胆な言葉がはかれたのに。でも、喜んでこういうの。

『神々しき果、一人でにおいしく、このように摘めばおいしさもひとしお。神にただふさわしいから、ここに禁ぜられているようだが、人を神にすることができる。なぜ人が神になってはいけないのだ。善なのだから、相通じ合えば合うほど、もっと善は豊かになり、主はそこなわれることはなく、もっと讃えられるのではないか。

ここで、幸福な人、美しい天使のようなイーブよ、お前もいっしょに食べなさい。幸福であってももっと幸福になれる。それにふさわしい人、これを味わえ。これからは神の仲間入りをして女神となり、地にとどまることなく、我達のように時には空にも昇れ。時には、自分の力で天にも昇り、神々がそこでどのような生活をしているかをみて、そんな生活を送るがよい。』

そう言うと、私のところにやって来て、私の方に、口元まで自分でもぎとった果を出したの。とってもいい匂いがして食欲が起こって、どうしても食べてみなくちゃと思ったわ。するとすぐに、その方といっしょに雲まで昇り、下には大きく広がった地球が見えたわ。広くて様々な眺望。私が飛べて、こんなに高くまであがれるように変わったことを不思議に思っていると、突然導き手がいなくなって落ち、眠ったらしいのです。目が覚めてみて、これが夢とわかってなんとうれしいこと。」

こうしてイーブは夜の出来事を話したが、アダムは重々しく答えた。

95−128

僕の似姿、いとしい半身。

今夜寝てお前が思えたことに苦しむと、僕まで苦しくなってくる。僕もこんな奇妙な夢は好きじゃない。悪から生まれたものと思う。しかしどこから悪が生まれるのか。清く造られたお前の心に宿っているわけはない。だが知っての通り、心のなかには、理性を長としてつかえる多くの低い能力があって、なかでも<理性>の次位に<想像>はその役目を行う。目ざとい五感が差し出す外的なものから、<想像>は空想、つまり幻想を造る。

それを、理性が合わせたり離したりして、僕らが肯定したり否定したりすることをことごとく形造り、知識や意見を造り上げる。

そして、肉体の休らう時に自分の寝室に戻る。しばし理性がいないときに、物まね師の<想像>が目ざめて、理性をまねようとする。しかし、形を誤って結びつけ、ひどいものをしばし造り上げ、おおかたは夢の時に、ずっと前と今の言葉や行いを、妙に結びつける。昨晩の話でどこか似ていることがお前のその夢のなかに、妙なつけたしがあって、あるみたいだよ。でも悲しむことはない。<悪>は天使にも人の心にも出たり入ったりするけれど、理性が認めたりしないなら、後に汚点や咎めを何ら残すことがない。このことから、お前が寝てみた夢を嫌うことに目ざめて決してなびこうとしないだろう。気落ちしないで。顔を曇らせないで、美しい<朝>が地にほほえむよりも、いつものようにずっと陽気にすがすがしく。

新鮮な仕事にとりかかろう。森で、泉、花の中で。夜になってから取ってあった選び抜かれた花の香を今開き、お前のためにたくわえておいた花を。

 

124−159

そういって美しい妻の気を引き立たせ、妻は気を取り直した。しかし静かに、やさしい涙が両目からこぼれ、涙を髪ではらった。今にもこぼれそうな大切な二粒の涙は、それぞれ水晶の源にあって、落ちる前にアダムは口で吻った。それは罪を犯したのではないかというやさしい侮いと敬虔な畏れとを現す印、をアダムは●めでて。

 

すべてがすっかりはれて、野辺へと急いだ。木影なす屋根の下から二人がすぐに出るや、夜明けの光景がぱっと開ける。太陽は昇ったばかりで、日輪は大海のふちの上を舞い、露をてらす光線を地面と平行に放ち、広い光景の中でも楽園、幸あるエデンの野の東一帯をあきらかにし、身を屈して二人は讃え、祈りを始めた。

毎朝様々な言葉できちんと行われた。様々な言葉も聖なる恍惚も二人には造り主を讃えるため欠けることはなく、あらかじめ決めもせず、適切な調子で声を出して歌い、そうすることで二人の口からは(かえって)流れるように言葉が、話し言葉であったり、いろいろな韻文調で出て来て、必要とされるリュートヤハーブよりももっと調子がよく、その美しさは増す。二人はまずこう言って祈りを始めた。

 

こうしたものは、あなたの栄光のみ業。善なる父、かくも驚く程美しい宇宙の全能の方、あなたはどれだけもっと美しいことでしょう。それは言語を絶しています。私達にはみえず、もっとも低きにあるみ業にぼんやりとしかみえないあなたは、天という天を超えて座し、思いも及ばぬあなたの善と神聖なる力とを申し上げます。

 

130−192

光の子らよ、天使よ、誰がこの上なくほめたたえられるかを語れる者よ、あなた方は神をみ、声をそろえて一日中歌をうたい、天にてみ座のまわりを喜び取り囲む。地上では万物よ、始めにして終わりであり、終わりのない神をほめたたえよ。

星の中でも一番美しく、しののめのものと見る方がよいのだが、そう見ないとすれば夜のもので、夜の従者の中では一番最後にあらわれる星よ。日の訪れをしっかりと約束し、ほほえむ朝を、お前の明るい光輪を冠として授け、朝の一番気持ちよい日が昇るうちに主をほめたたえよ。

汝、太陽よ、この世の目にして魂よ、主を、お前よりは大いなるものを認め、不変な天道を進むうちに、神の賞賛を打ち鳴らせ。お前が天道を昇るときにも、真昼に達したときにも、お前が下るときにも。

月よ、輝く太陽とある時には出会い、またある時には天といっしょに釘付けにされた、恒星とともに飛ぶ月よ、そして歌うことなくしてでなく不思議な踊りをして動く五つのさまよえる星よ、暗闇から光を呼び起こされた方の賞賛を響かせよ。

気よ、元素よ、自然の胎から一番始めに生まれたものよ。四つどもえで、円環で、様々な形をして動く、そして万物をまぜあわせ、はぐくむ。お前達の絶え間のない変化は、大いなる造り主への賞賛とせよ。

霧よ、蒸気よ、丘やもえ立つ湖から今や起こり、その色たるや黒ずみ灰色で、ついに陽は羊毛のような毛すそを黄金で塗る。この世の大いなる造り主をたたえて立ち上れ。その様は、ただ一色の空を雲で飾り、乾いた地を、流れ落ちる雨でぬらし、昇るにせよ、落ちるにせよ、たえず主の賞賛を勧めようと。

四隅から吹く風よ、神への称賛をやさしく、あるいは大きく吹き出せ。

松よ、こずえを、草とともに、礼拝の印に揺すれ。

泉よ、流れつつ音階をさざめく流れよ。小気味のよくつぶやき、歌い、神を称賛せよ。

生けるものよ、声をそろえよ。天の内にまで昇りゆく鳥よ、翼に乗せて歌って賛美せよ。水の中を滑り行く者よ、地を歩き、堂々と踏み進み、低く地をはう者らよ、証明せよ、たとえが私が歌っていないかどうか。丘、谷、泉、新鮮な木影が私の歌で声を立て、神への称賛を数えられていないかどうか。

万物の主よ、いつも慈悲深く、我々に善のみを授けて下さる。たとえ夜が悪を集め隠したとて、光が今闇を散らすように悪を散らし給え。

 

このように、無垢の二人は祈り、思いは堅い平和と、いつもながらの平静さを取り戻した。朝の庭仕事へと二人は急いだ。美しい露と花とが吹き、枝をあまたつけ果もつかぬ枝を抑えることを必要とし、二人はそれを行った。あるいは、二人はぶどうを、楡の木と娶せるようにした。楡に嫁いだぶどうは、妻として腕を巻きつけ、持参に、養子となったぶどうの房をつれて来て、まばらな葉を飾る。このように仕事をする二人を、憐れんで天のいと高き王は眺めた。世話好きの天使ラファエルを呼ばれた。トビアスと伴に旅し、七度求婚を受けた娘との結婚を無事にすませてやった。

神はおっしゃった。「ラファエルよ、地上で起こっていることは聞いての通り、サタンは地獄から抜け出し、暗い混沌界を抜け、楽園に降り立った。そうして、どんなにか今夜、人間達の心をかき乱したことか。どんな風にして全人類を一度に破滅に導くことをもくろんだかを。

 

229−260

行き、今日の午後、友人同士の語らいのようにアダムと、真昼の暑さから避けられる東屋や木影で語り合い、昼の仕事を、休息と食事でねぎらえ。そして話をするのは、幸福な状態についてで、意志の自由を与えられたアダムの力に幸福はかかっており、自分自身の自由意志にかかっていること。そして、意志は自由だが、変わり易く、それゆえ、安心しすぎて揺るがぬように注意しておきなさい。なおその上に危険と、誰が危険で、近頃天から堕ちた敵がどんな敵で、その敵は今、天と似た至福の状態から他人をもおとそうとたくらんでいる。

暴力によってか。いや、暴力だったら耐えられる。裏切りと嘘によって。このことを人に知らせてやりなさい。狡猾にも罪を犯した人がふい打ちを受けた、忠告を受けていなかった、注意されていなかったと主張することのないように。」

 

こう永遠なる神は語り、義をことごとく果たした。翼つけた天使は任務を受けると、遅れることなく行った。華麗な翼で囲まれて立つ、何千という輝ける天使のなかから光の子(ラファエル)が飛び上がり、天の真ん中を走り飛び、天使の合唱隊は両側に分かれ、急ぎ行く天使に天の道をあけてやった。

とうとう天の門に至り、門は一人でに大きく、黄金の蝶つがいのところでまわった。神々しきみ業に基づいて、至高の建築者が造ったものだった。その門から視界を妨げる雲一つなく、どんなに小さい星もなく、ラファエルは、他の輝く星と似た、地球と神の庭、どの丘よりも高くそびえた杉で囲われた庭とを見る。

 

261−294

ちょうど、夜のうちに、しっかりしてはいないが、ガリレオの望遠鏡で、月の想像上の国々を観察する時のよう。あるいは、水先案内人がシクラデスの諸島の中からデロス島、サモス島が、一点の雲のように現れるのを見つける時のよう。

そちらの方に飛び急ぎ、広大なるエーテルの空を世界と世界との間を進み行き、しっかりと羽ばたき、ある時は極の風に乗り、またある時には素早く箕を打って逆らわぬ空気をあおぎ進み、ついに天に沖する鷲の飛行圏内を飛び、鳥にはかの不死鳥のように天使の姿は思われる。鳥という鳥にみつめられた。それは、輝ける陽の寺院で遺骨を奉ろうとエジプトのテーベに飛んで行く時の無類の鳥のよう。

 

すぐ様、楽園の東の絶壁の上に降り立ち、もとの姿、翼をつけたセラフに戻る。六つの翼を持ち、神々しき体を震う。広い肩を包む一対の翼は、堂々とした飾りとなって、胸へふわりとかぶさっていた。星を散りばめた帯のような中央の対は、腰と腰のまわりをぐるりと、黄金の羽毛と天の光彩を帯びた色をして囲む。第三番の対は、どちらも足元から、空色がかった鎧のような羽毛でおおった。ヘルメスの息子のように立ち、羽を振り動かすと、天の香であたり一面よい匂いがした。すぐにラファエルのことを警護の天使達は知り、その地位と、尊き命令とに敬意を表して立ち上がった。尊き命令を果たす最中なのだと天使らは思った。きらきらと輝く幕屋をラファエルは通り、至福の庭に入った。没薬の森、香放つ花、肉桂、甘松、バーム、即ち、雑然たる野生の芳樹のなかを抜ける。

 

294−323

というのも、ここでの自然はその若さの絶頂で豊かに茂り、処女らしい空想に意のままにうつつとなり、規則も基準をも越えて野生のまま、芳香を吹き出していた。大いなる至福、ラファエルが香り豊かな森を抜けて来るのをアダムは気づいた。その時アダムは、涼しい東屋の戸口のところにいて、今や昇った太陽はその熱い光を真上から放ち、地の奥深きところまで暖め、アダムが必要とする以上に暖かかった。

東屋のなかでイーブは、ちょうど食事の時刻と思い、風味豊かな果実をしつらえた。味は本当の食欲を満足させ、折々飲む牛乳のような液や、漿果やぶどうからしぼりとった甘露のような飲物をまずしくない、そういった果実であった。イーブに向かって、アダムは呼んだ。

 

早く、こっちに、イーブ、あの木の間、東の方に、こちらにやってくるのをみてごらん。あの輝かしい姿は見るに値する。真昼に朝日がまた昇る。天からの大いなる命令を授かって僕らのところに多分やって来るのだろう。きっと僕らの客となってくれることだろう。さあ急いで、貯えてあるものをみな持って来て、どっさりとお出し。天の客をおもてなしするにふさわしいように。我々に物を授けて下さる方々にその授かり物を送り物とするのは当然。大いに頂いているのだから、大いにお返ししよう。

ここでは、自然は多産。刈り取ればもっと豊かになり物惜しみをせぬことを教えてくれる。

 

アダムにこうイーブは言った。

アダムよ、土より作られ神より息を吹き込まれた聖き人。少ない貯えで間に合うのです。一年中、取って食べられるように熟して、枝にずいぶんと多く下がっているのですから。

324−367

つつましく貯えておくことで栄養分がかたまって、余分な湿気がなくなるものは別ですが、でも急いで行って大枝小枝から草つゆしたたるとうまごから、天のお客様をお迎えするためにもいで来ましょう。

きっとよりによって選びますので、お客様もこの地上では、神様は天国と同じように豊かに授けて下さっていると言うことでしょう。

 

そういうと、せわしいまなざしをして振り向き、お迎えすることを考えて、この上なくおいしいものを選ぶため、何を選び、味が混って、うまく合わず、ぎこちなくならず、味わっても味わっても、美味が次々と続くにはどういう順番にしたらよいかを考えた。

しなやかな枝の一本一本から、万物を授ける母なる大地が、東インドと西インド、地中海、ポントス、カルタゴの岸辺、あるいは、アルシノス王が治めたところなどで産するものを集めた。果実は堅い、あるいは柔らかい外皮をしているものや、柔毛のからやさやに収まったものなどあった。大いなる貢物をテーブルの上には惜しみない手で授けられ山のよう。飲料にぶどうをしぼるが、人を酔わさぬぶどうの新酒。多くの漿果からジュース、甘い仁をしぼって甘いクリームを練る。こうしたものを入れるぴったりとしたきれいな器にことかかず、地にバラを散らし、かん木をいぶさずにとった香を撒く。

そうしている間、始祖は、神とみまがう客人に会おうと歩いて行く。客人はきつなきおのが完全を一人だけで供回りを連れておらず、客人のなかに全く堂々としたものがあり、王の従者が、長い馬列を率い、金を塗った馬丁で人々の目をくらまし、唖然とさせる時、王に侍る仰々しい華麗な行列よりもずっといかめしかった。

368−383

天使のいる方になに畏れることなく、従順にも柔和にも敬い、アダムは近づいて行き、あたかも高い本性を持つものに向かうように、低く頭をたれた。そして(アダムは)こう言った。

 

天で生まれた方。他の場所では天以外のなにものも、そのような輝かしいお姿を含みますまい。天のいと高きところより降りて来られ、しばらくはあの幸多き場所からもったいなくも離れられ、この楽園をたたえて下さるとは。たった二人ですが私達めのもとにいらっしゃって下さい。主の送り物としてこの広き地を授かっており、向こうの木影となった東屋、あそこでお休み下さり、この庭がつける、選びぬかれた果をすわって味わって下さい。いずれはこの真昼の暑さも終わり、太陽が傾きますころには涼しくなりますから、それまでは。

 

アダムに向かって天使は柔しく答えた。

アダムよ、そのつもりでやって来た。天使がお前のところにやってくるといってもそう頻ぱんには招けぬような場所に住んでいるわけでもなく、主人たるにふさわしくお前は造られていなくはないから。木影なすお前の東屋へと連れていってくれ。昼の間、夜がやってくるまで、自由なのだから。

 

こういって、二人は森の家へと行った。その家は果実の神ポモナの木のように、小花で飾られて、芳香を放ってほほえむ。しかし、飾らぬもののない(自分自身の他は)イーブは森の精よりも、ずっとかわいらしく、イーダ山で裸のまま争った三女神のうちで一番美しかったという、作り話にある女神よりも美しかった。イーブは天から客人をもてなすために立っていた。

383−412

ベールをイーブは必要としなかった。それは徳の証。薄弱な思いにかられ頬を染めることはなかった。イーブに天使は祝福を授けたが、ずっと後になって、第二のイーブ、祝福されたマリヤにその聖なるあいさつを送った。

 

めでたし人の母、汝の豊かな胎より生ずる子らは、神の木々がこの食卓に積み上げた様々な果実よりもずっと多く、この世に満ちるであろう。芝より起こった食卓は、苔なる席を回りに持ち、この豊かな方形の食卓にはすみずみまで秋のみのりが積み上げられている。

とはいえ、秋と春とは、ここでは手を取り合って踊っているが。しばらく三人は話していたが、食べ物がさめるという心配はなかった。そして、我らの始祖はこうきり出した。

 

天からのお客様、この豊かなものを味わい下さい。一点のけがれなき善が測り知れずに生ずる我々の養育者が降りて来られ、食物を喜びとして、我々に地より授けて下さいました。天使様のお口にはおそらくあわないことでしょう。私が存じ上げるのは、天にまします唯一の父がすべて授けて下さっているということだけ。

 

アダムに向かって天使はいった。

父(父に対する称賛はたえず歌われよ)がなかば霊的な人に下さる賜物には、清純な霊にも受けつけられる食物がある。お前のように理性を有する霊物が必要とするのと同じく食物を、純粋で知的な霊物も必要とする。天使も人も、感覚という低い能力を持っており、感覚によって、天使も人も、聞き、見て、かぎ、触れ、味わい、味わって消化し、消化して吸収し、

413−446

肉のものを霊のものに変える。(404-409

というのも、知っての通り、創造されたものはいかなるものであれ、体を保持するために食べることが必要。元素は、あらいものが清純なものを、地は海を、地と海とは大気を、大気はエーテルの火なる星を、一番低いところにある星はまずは月を養う。だから、月の丸顔には純化されていない蒸気でまだ固体になっていないはん点がある。月も滋養をその湿った陸地より一段と高い天球へ全く吐き出していないわけでない。

万物に光授ける太陽は、養分を与えた返報に、湿気となったものを受け、夕方に大洋と晩さんをする。とはいえ、天では生命の木が、神饌の実をつけ、ぶどうは新酒を生み、さらに枝から毎朝落ちる甘美な露をはらい、地は真珠のような小粒でおおわれているのを見つけるが、神はここでも天と肩を並べるほどに新たなる喜びによって豊かさを様々授けておられる。我が好みをやかましいとは思ってくれるな。

 

そして二人は腰かけ、食事にとりかかり、天使は神学者が一般に言うように食べるふりだけしていたり、霧の姿などではなく、本当に空腹をいやそうとさっさと食べ、変質する消化作用の熱を起こし、余分なものは容易に霊体を通って雲散する。こうしたことは何の不思議もない。もし、すすを出す石炭の火で経験豊かな錬金術師が、卑金属から純金を、金●から出すように、現実に変えること、いや変えられると主張するなら、それも不思議はない。そうしているうちに、裸のまま食卓をおさめ、甘い飲物をあふれる器になみなみと注いだ。ああ、楽園にふさわしき無垢。これならば、この時に、

447−478

神の子ら天使は、その光景に魅惑される言い訳を持っていた。しかし、心のなかには衝動的な愛は統べておらず、嫉妬も理解されない。嫉妬は傷ついた恋人には地獄。

 

こうして、食欲を満たして飽きるに至らなかったとき、ふとアダムの心に、天使と大いに語らう、自分に与えられた機会を逃さぬように、ということが思い浮かんだ。この世より高いところのこと、天に住む人々、自分自身をはるかに越えてみられる天使のすばらしさ、天使の輝ける姿、その姿から出ずる神々しき輝き、その力は格別人を越えるのをみた。注意深い言葉を、その御使いに向かって言った。

 

神とともに住まわれる方、人にして下さるこの名誉、人に対してして下さったご好意のほど痛み入ります。人の住む低い屋根の下に入って下さり、この世の果実を味わい、天使が食べるものでもないのにこのように受け入れて下さり、これ以上喜んで天の食卓でもいただいたとは思われない程。だが天と地の食卓とでは変わらぬよう比較がなされましょう。

 

アダムに向かって、翼をつけた天使は答えた。

アダムよ、唯一の全能者がおり、万物はその全能者より出て、戻る。もし善から堕ちずば、創造された万物はそのようにして完成に向かい、万物は同一の原質からなっているので、様々な形態、様々な段階を与えられている。生なきものには物質の、生あるものには生命の。それぞれあてがわれた活動範囲で順々に神に近い位置を占め、神に向かうにつれていっそう浄化し、霊化し、純粋となる。

478−512

そして肉体は霊に向かって、それぞれの種類にふさわしい程度で動いていく。だから根より軽く緑の茎が生まれ、そこからもっとふわりとした葉が生まれ、最後に明るい花が、絶頂として咲き、芳香を放つ。花と果実とは人間の取る栄養であり、段階を経て昇り、<活力><動物生気><知性的霊気>となり、生命と感覚、想像と理解力を授け、想像と理解力とから魂は理性を受け、理性は魂の宿るところで、帰納的、あるいは直感的な存在、帰納はしばし人のもの、直感はおおかた天使のもの、程度の差こそあれ質は同じ。だから、神がお前のために適すると、みたものを、私が退けず、お前のように自分の本質に同化するのを、不思議と思うな。やがては、人が天とともに食事をし、口に合わないとも軽すぎるとも思わぬ日が来る。この肉体のための栄養物からおそらくはお前の肉体はやがて時がたてば、何もかも霊となり、羽根が生えて軽く、私達のように天に昇り、自由に、ここでも天の楽園にでも住むことができるかも知れない。もし、お前が従順であり、変わることなくしっかりと十全なる、父なる神の愛を保持するならば。それまでは、この幸福な状態にあるだけの幸福を充分楽しむがよい。それ以上は容れられないのだから。

 

ラファエルに向かって人の始祖は答えた。

天使よ、恵みゆたけき(慈悲深き)天使よ。我らの知識を方向づける道を充分に教えて下さいました。中心から外円に向かう自然の階梯をうまくおかけになりました。その階梯にのって被造物を観想することによって、一歩一歩神の方に近づいていくと教えて下さいました。

512−543

だが、つけ加えられた注意とはどんな意味でしょう。「もしも、お前達が従順であるならば」とは。私達には神への従順が欠けているのでしょうか。それとも神の光を棄てることができましょうか。上から我ら人を造り、人間の欲望が求め理解しうる限りの、最大限度の至福を授けて、この楽園に住まわせた神を。

 

イーブに向かって天使は答えた。天と地の子よ、お聞き、お前が幸福なのは、神様のおかげ。そうしていられるのは自分自身のおかげ、つまりお前が従順たるおかげということ。そこにお前の幸福はかかっている。これがお前に述べた注意、忠告である。神はお前を完全に造ったが、揺るがぬようにではない。善に神はお前を造った。しかし、それを保つのはお前の力に委ねられた。お前の意志は生まれながら自由に造られ、手のほどこしようのない運命によっても、厳しい必然にあっても押さえつけられたりはしない。我々の自発的な奉仕を神は求めておられるのであり、必要に迫られた奉仕をではない。そんな奉仕を神は受け入れず、また受け入れらるはずもない。自由でない心は、自発的につかえているのかどうかどうやってためされよう。心は運命によってそうせねばならず、他に選択がないなら、誰が自発的につかえるのか。

王座についた神のみ前に立つ私とその他の天使達も、お前達が幸福をささえているように、従順である限り幸福をささえている。それ以外は幸福でありえない。自由に我らはつかえるが、自由に愛しているから、愛する愛さないは我々の意志にかかっているから。我らが立つも落ちるもこの点にかかっている。落ちるものもいる。不従順のために落ち、天から深淵の地獄へと。ああ堕落。至福の最上の状態から悲しみの様に落ちるとは。

544−575

天使に向かって大いなる祖先は言った。

「天使の先生、お言葉を注意深く、喜ばしき耳でお聞き致しました。その喜ばしさたるや夜近くの丘からする、ケルビムの歌声以上。意志と行いとが自由に造られたとは、知らなくはありませんでしたが、我らの造り主を愛することを決して忘れることなく、造り主の正しいご命令だけに従います。そのことをたえず私は確信していましたし、今でもそうです。天で起こったこととおっしゃっていることに、心のなかでいかばかりか疑問があります。もしよろしいのでしたら、その点を充分にお聞きしたいのですが、奇妙なことで、じっと黙って神々しく聞くに値することに違いありません。まだ日はたっぷりあります。やっと半分の道のりを日は終えたところで、やっと残り半分の天道を進もうというところ。

 

こうアダムはお願いすると、ラファエルは少し黙ったあとでうなずいて、こう始めた。

 

始祖よ、気高き事柄を話してくれというが、悲しくもつらい務めだな。どうしたら人間の感覚に天使の戦いという目にみえぬ偉業を述べられよう。悔やむことなしに、どうしてしっかりと立っている間には完全であったあれほど多くの栄光の天使たちが破滅したのかを語れよう。別世界の秘密を、おそらくは解き明かすのは法にかなわない秘密を、あきらかにすることができよう。とはいえ、君には善いことだから、特別に語ることとする。人間の感覚の手が届かないことが一番うまく表出されるように、霊的な形相を肉的な姿に類比させて、描出することにしよう。とはいえ、地球は天の影にすぎず、天と地にあるものはそれぞれ類似しており、地上で考えられている以上に類似しているかも知れないとするとどうであろう。(5:563-576

 

576−615

この宇宙がいまだなく、荒れる混沌がこの諸天が今回るところ、地球がその中心を置かれているところを支配した。そんな時のある日(永遠下にも時間は運動にあてはめられ、現在、過去、未来によって類従するあらゆるものを測るのであるが)天の大いなる年となる日に、天使達は神様の召喚によって呼ばれ、全能者のみ座の前にはその数限りなく、すぐさま天上のあちこちから天使が順序正しく、階層のもとに輝かしくも現れた。何千何万という旗が高くかかげられる。前衛と後衛との間には連隊旗、小旗、空には吹き流し。それらはいずれも階層、身分、等級を区別するのに役だつ。

輝ける布地には聖なる記念、目立つように記された熱心と愛との業績をつける。こうして名状しがたきほどの円周のある円形を作って、円また円と重なり合った。その時無限なる父のそばには至福に包まれてみ子はすわっておられ、父は輝きのあまりに見ることはできない燃え立つ山のごとく中央から、こう語られた。

 

天使達よお聞き、光の子らよ。宝座、統治、君権、徳能、威力の諸天使よ、我が命令をお聞きなさい。その命令は取り消されることがない。今日、私が申し述べる子は、私が生んだ子。この聖なる山で塗油した子。我が右手に座す。この子を諸君の頭に任命する。私にかけて誓うことは、天にいるものはみなこの子に膝を折り、この子を主と告白すること。我らはみ子の代理の統治のもとで心を一つにして永遠に幸福に暮らすことだろう。み子に従わず結びつきを破る者は、私に従わぬ者で、その日から神とその姿とを見ることからはずされ、天外の暗闇のなか、深淵

 

615−

あがなわれることなく、終生定められた場所へと落ちる。

 

こう全能者は語った。その言葉にみな満足した様子。様子だけで、実は全員ではなかった。祝日らしく、山のふもとでその日歌を歌い踊りを踊った。不可思議の踊り、それに一番似ているのは、惑星、固定した天球の動き。複雑に動き、中心を異にし、互い巻き込みはしているが、この上なく不正解に思えるが正解で、その動きは神聖なる調和があってうっとりするなめらかな調子を奏し、神ご自身のお耳にも喜ばしくひびく。夕べが今や近づく。(天国にも昼と夜があるが、必要のためでなく、楽しみのため。)すぐさま、踊りから楽しい休息にと熱心に天使らは向かう。みなまるくなって立つうちに、テーブルが置かれ、あっという間に天使の食物が積まれ、ルビーのような神酒が、真珠、ダイヤモンド、金のかたまりのうつわにあふれ流れる。おいしいぶどう酒、天の産物。花の上で休み、新鮮な花で編んだ冠をつけて天使らは飲み食いする。

楽しき語らいのうちに不死と喜びとを飲み干し、満腹から免れている。充分に食べることが、過度を抑える天使らは、豊富に手であびせる豊かな王の前で大いに喜ぶ。

 

 

○6

 

 

 

●7

1−25

ラファエルは、アダムの要せいに応じて、この世がどのようにしてなぜ始めて造られたかを語る。即ち、神がサタンとその天使らを天国から追放したあと、もう一つの世界と、そこに住むべき(堕天使以外の)生けるものどもを創造することは、自らの喜びとおおせになり、栄光をまとい、天使らをつきそえた御子をお送りになり、六日のうちに創造のみ業を行う。天使らは聖歌をもってみ業の完成と御子が再び昇天されることをことほぐ。

 

 

ウラニアよ、天より下れ。その名によりて正しく汝が呼ばれているなら、汝の神々しき声のあとを追って、オリンピアの丘の上高く私は飛ぶ、ペガサスの翼の高揚よりも高く。

私が呼びかけるのは、天のものであり、古のミューズ、ウラニアでない。汝は九人の詩神の出でもなく、古のオリンピスの頂上に住んでいたわけでもなく、天上で生まれ、丘が表れ、泉が流れるよりも先に表れ、汝は永遠の智恵と伴におる。智恵は汝の姉妹、智恵とともに全能の神のみ前で遊び、神は汝の天上の唱に満足される。汝に天高く導かれ、清火天のただなかへ。地上からの客人として進んでいき、清火天の空気を吸う、汝はその空気を適当なものとして下さった。行きと同じく無難に地上へと導かれ、私をこの地上に連れ戻す。馬勒を付けぬ空を飛ぶ馬から、(低いところではあるが、かつてのベレロフォンのように)降り落とされて、アレイアンの野に落ちて、そこであちこちにあてもなく一人さまよい、放浪することなきよう。だが、まだ半分歌われぬままに残る。ずっと狭くかこまれた、一日で動く可視の球の中のこと。

宇宙と天をつなぐところよりも高くは上げられていないこの地上に立って、ずっと安全に、やがて朽ちいく声で、かれて声の出なくなるまで、変わることなく歌う。

26−54

悲しき日にめぐり合わせたとはいえ、悲しき日にめぐり合わせ、また悪しき舌にめぐり合わせたとはいえ、暗闇の中、危険にまわりをぐるりと囲まれ、孤独でいる。それなのにたった一人でないのは、汝が夜な夜な眠り入りし時訪れ、あるいは朝が東をしらじらと明るくしてくれる時。

たえず汝は我が歌を治める、ウラニアよ、たとえ数少なでも、適切なる聴衆をみつけておくれ。

でも、バッカスとその仲間達の野卑な不協和音を遠くにやってしまうよう。そんな下卑た連中は、その山では木や岩が聞く耳を持つロダペの山に住むトラキアの詩人オルフェウスをずたずたにさき、ついにはその卑俗なものの叫び声は琴と声とをしずめてしまった。詩神Calliopeはその息子を守ることができなかった。そんな二の舞を故に嘆願するものに、汝ウラニアよ、することはできぬ。

というのも、汝は天の存在であり、詩神は虚しい夢だから。

 

 

語れ、ウレニアよ、何が起こりしか気立てよき天使ラファエルがアダムにおそろしき例をあげて背信に気づかうよう。即ち、あの背信の徒に天上でふりかかりしことにより、同じようなことが、楽園でアダムとその仲間にふりかからぬように、あらかじめ警告した時、続いて何が起こりしかを。アダムらは禁断の木に触れぬよう命ぜられており、もし、その唯一の命令を犯しなおざりにするなら ―――変わりいくとはいえ、食欲を満足させるために、その木の他はあらゆるものを味わい選べるので、いともたやすくその命令には従えるのだが、――― 同じようなことがふりかかるが、そういうことのないようにと。アダムは配偶者のイヴとともにその話を注意深く聞き、おどろき入り、じっと考え込んで、いとも気高く奇妙なことども、天上での憎しみのように彼らの思いには想像を絶することや、

55−85

至福なる神の平和にしごく密接している戦さのことを、ひどく驚き入って聞いた。また、悪はすぐに追われ、悪の源たるものどもに洪水のごとく流れ戻り、至福とは混じがたきことを聞いた。

 

その話を聞いて心の中に起こりし疑いを、アダムはすぐに撤回すると、罪なきにではあるが、自分にもっとかかわりあることを知りたいという望みにさらに導かれ、目に見える天と地というこの世が始めにどのように始まり、さらにいつ、何からできたか、何の原因でか、エデンの内外には、アダムの記憶する以前に何があったかを知りたくなった。それを例えれば、いまだかわきをほとんどいやされずにいながら、たえず流れる河をじろじろとながめ、その水のささやきを聞くにつけ、また新たなかわきを起こすもののよう。アダムは、かくて天の客人に問い始めた。

 

 

人の耳には、大いなる事ども、不可思議にあふれること、この世界とはあまりにかけはなれたることどもを、汝、神聖なる説明者はあかしてくれた。好意の心から、清天火より送られ、折よくも知らずば我々の損失となっていたであろう、しかも、人智には及ばぬことを警告して下さった。そのことに対する不朽の感謝の念を、無限なる善である神に抱き、神の警告を受けるにあたっては、最高のそのみ意志を、即ち、我らが存在するということの目的を遵守するという、崇高なる決意をする次第でございます。

しかし、汝は親切にも我々を教えさとそうと地上の者の思いを超えたことどもを告げて下さったが、それらは最高の智恵にてらしてよき我らが知るに大切ではあることだと思われる。もっと話を落として、おそらくは同じように知るに役立つこと、即ち、

86−114

見るにつけ、かくも高く遠くにあり、動ける数限りなき炎で飾られているこの天と、そしてあらゆる場所を満たし、またその場に従いもする物、即ち華麗なるこの地球を抱き、広く混じり合ってすっぽり取り囲む空気とが、どのように始めて始まり、どんな原因があって、永遠を通じてずっと聖く休んでおられる創造主は心動かし、(       ) 混沌の中に造り上げるお気持ちになり、手をつけた仕事はどんなにかはやく完成せられたのかを語れ。もし、禁じられていないのなら。我々が神の永遠の国を問うのは秘密をさぐるためではなく、多く知ることで、神のみ業を知り、賛美するためですから。問うことをつまびらかにして下さいますよう。

そして、日の大いなる光は、行路の大半を下りかけているといえ、まだ駆けなくてはならず、そして日は汝の声に足を止め、天で停止しなくてはならず、汝の力強き声を聞き、ずっとぐずぐずとして、汝が日の生まれた次第として、ぼんやりとした深淵から生まれ出ずる自然の誕生を語るのを聞くことでございましょう。あるいは、たとい夕べの星ヘスペルスと月とが、汝の話を聞く者として急ぎやって来るとしても、夜は<沈黙>をつれ、汝に聞き耳たてる<眠り>は目をさましたままになるか、<眠り>にごぶさたを、汝の歌が終わるまでお願い致しましょう。そして、朝日の輝く前に去ることを許しましょう。

 このようにアダムは、光輝ある客人に懇願した。するとこのように神に似た天使は穏やかに答えた。

「注意深く願い出られたこのこと、このこともまた汝の願いであるが、その願いを聞き届けよう。だが、全能者のみ業を詳しく話すにはセラフのどのような言葉や舌が、また人間のどのような心が把握するのに充分でありえようか。

115−149

だが、お前が理解しうることで、造り主をほめたたえることにこの上なく役立ち、またお前がさらに幸福になるとはっきりしていることは、お前が聞こうとすることを退けるいわれはない。そのような任務を天上から私は授かっており、お前の知りたいという望みを範囲内で答えよう。その範囲を超えて答うことをさしひかえ、お前の論究に、解明されておらぬこと、闇のうちに全能の神が隠しておき、天地の誰にも伝えられぬことを望ませるな。究め、知ることはその他のことで充分である。だが、知識は食物のようなもので、食欲を節制が治めるように、知識の節制も必要で、心が含めてもかまわぬことを適切に知らなくてはならない。そうでなければ、食べすぎに悩まされ、すぐに智恵は愚となり、それはちょうど栄養をガスに変えるようなものです。

知れ、ルシファ(と彼を呼び、数多い星の中のあの星よりも、天使の一隊の中で光り輝いてかつてはいたのだが)、そのルシファが天から、燃え立つレギオンとともに深淵を通り、定められた場に落ち、偉大なる御子が聖徒らとともに勝利を収めてもどり、全能なる永遠なる力がその御座より、その軍勢をながめ、御子にこうおおせになったことを。

 

少なくとも、我らの憎むべき敵はくじかれた。その者はみなが自らのように反乱を起こし、その助けをかりてこの到達しがたく気高き力、最高の神性という御座を我々からはく奪しようと考え、差し押さえたかと思ったが、多くの者らを欺まんに引き込み、その者らをこの場はもはや知らず、しかしずっと多き者らが彼らの座●治めているのは、みての通り。天は今だに住む者の数多く、広大とはいえ領地を治るに足るその数。このいと尊き神殿をしかるべき奉仕と荘厳なる儀式のために満たすに足る数。

150−179

だが、セイタンの気持ちの上で、●に犯した害に、即ち、天から人を減らしたことを、愚かにも損害と考えて、高慢になるといけないので、その害悪を繕うことができる。―――もし自らの意志により、堕落せし者を失うことが害悪であるというなら。――

そして、一瞬のうちにもう一つの世界を創造し、一人の人間から、数知れぬ人々の種を生み、そこに、ここではなくそこに住まわせ、ついには長き従順を試みられた後、次第に高く功により上げられ、自分達の向かう道を、天上へと向かう道をついには切り開き、地上は天上とかわり、天上は地上とかわり、一つの王国、終わりなき喜びと和合となる。

 

その間、安楽に生きよ、天の子らよ。汝、我が言葉。生まれし子、汝によりてこのことをなし、汝が語れば、そのことはなされるであろう。我が陰らせる霊と力とを汝とともに送る。さあ、進みいき、深淵に向かい、定められた所、天と地になれと命ぜよ。深淵は限りない。なぜなら、私は無限を充満するものであるから。深淵は空虚ではない、たとい私は周囲を囲まれておらず、退いており、善性を放たぬとはいえ。善性が活動するもせぬも自由なのだ。必然と偶然とは私に近づかず、私がしようとすることは運命である。

「そのように全能者Omnipotentは語り、全能者の語ったことを、全能者の〈〔言%ロゴス%〕〉、全能者の神なる子は実在化させた。神のみ業は即座で、時間や運動よりもすばやいが、それが人間の耳に語られるとすれば、発話の過程を経なくてはならない。だから、、この地上でそれが受け入れられ理解されるように語るまでだ」(7: 174-179


 

180−215

全能者のみ意志が公にされるのが耳に届くと、偉大なる勝利と喜びとが天上にあった。

天の子らは、いと高き者らに栄光を、後の人々には善意を、その住みかには平安をうたった。また、御子には栄光、その復讐の正しき怒りによりて正しい人々の住みかとみえるところから、神ではない者らを追い払う。子には、栄光と賞賛。その智恵は悪より善を生み出し、悪霊にかわりてよき人々を空虚な場にもたらし、そして自ら持てる善を限りなき世界と世々に至るまで広めることをお命じになった。

このように、天使らは歌った。そうしているうちに御子は、自らに対する大いなる遠征に出ようと、今やあらわれ、全能の力をまとい、冠には神々しき威厳の後光、限りなき智と愛とをいただき、御子には父のあらゆるものが輝いていた。

御子の戦車のまわりには、数限りなきものはあふれる。cherub,seraph,potintates,thiones

virtues,winged spirits,神の武器等から出てきたwinged chariots.

そこには昔より無数のものらが、青銅の山あいの中に荘厳なる日に備えて住んでおり、手近に天の装備をつけられており、今や降ってわいたように現れる。というのも、その者のなかには霊、主の従者が息づいていたからである。天はその永遠に続く門を広く開けて、調和のとれた音が黄金のちょうつがいにのって動き、栄光の王を通す。その力強き言葉と霊を用いて、新世界を創造するために進みいく。天の子らは天の地に立ち、その岸辺より

広大な測り知れぬ深淵をながめる。海のように怒り狂える。暗く、荒れはて、激々しいおそろしき風と山のごとくさかまく波により底よりもりあがり、ころがる。空の高さをおそい、地の中軸を地軸とごっちゃにする。

216−250

静まれ、荒れる波よ、汝、深淵よ、黙れ、汝らの不和をやめよ。と万物造る言葉が語った。その言葉ここで終わらず、ケルビムの翼にのり高くかかげられ、父なる栄光につつまれて、はる混沌の、生まれもせぬ世界の奥深くに進む。混沌がその声を聞けるようにと。

御子の後に、その従者らがみな明るく輝いてつき従い、創造と御子の力による驚異のことどもを見ようとした。そして燃える車輪がとめると、御子は神の永遠な蔵のなかに用意されていたコンパスを手にとると、円を描いてこの宇宙世界とすべての被造物を囲もうとされた。コンパスの一方の足を中心に据え、もう一方を広大でもこもこした深淵のなかでぐるりとまわした。

『世界よ、かくまで広がり、かくまでが汝の境。これがまさしく汝の周囲。』

このようにして神は、天を、そして形さだまらず、空虚な物質、この地を創造された。

深く闇は深淵をおおっていた。しかし水の静穏の上を御子のひなを抱くように広げた翼が神の霊を、また生き生きとした力を、生き生きとした暖とを、堂々としたかたまりの中に一面に広げ、命に敵対する黒く、陰うつな、冷たく、忌むべきかすを下へとしずめた。

次に基礎をかため、まるめて、同類のものをあつらえのところに、他の余りを別個の場所へとわけて、その両者の間に空気を紡ぎだし、地球は自ら平衡を保ってその中心にさがる。

 

「光あれ」と神はいわれると、すぐに精気なる光、万物の始めのもの、清純なる第五元素が深淵より起こり、その生地の東より、鮮やかな暗がりを抜けて進み始め、さんぜんと輝く雲につつまれる。というのも今だ太陽はなかったから。光は雲なす住居にあってしばらくただよう。神は光をみてよしとされた。そして、光の半球と暗闇の半球とを分けられ、

251−284

光を日、闇を夜と名づけられた。こうして第一日目は夕が来て朝となる。天使らは東方より光が暗闇より始めて立ちのぼるのをみて、天の合唱をせず、ほめたたえることもせずにすませたのではなかった。天と地の誕生の日、喜びと叫びとをもってうつろな天球を一杯に天使らはみたし、黄金の竪琴をかなで、唱和して、神と神のみ業とをたたえて、創造者と神をほめうたい、それは始めての夕と始めての朝とがあったときずっと続いた。

 

再び神はいった。

「水の中に大空よあれ、大空よ、水と水とを分けよ」

神は大空を、透明で純粋で透き通った、四大の空気の広がりとし、その大空を、この大いなる球(元動天)のすみずみまで、まるく散らばした。

堅くしっかりとした部分が、下方の水を上方の水から分ける。というのも地に行ったように、神はこの世を周囲を囲む穏やかな水の上に、水晶のように広い大海のなかに築き、おそろしく接触する混沌の熱と冷とが、骨組み全体をかき乱さぬように、混沌の大いなる混乱をはるか遠くに押しやった。天と神は大空を名づけた。そして、夕な朝な合唱は第二日目をうたった。

 

 

地が形づくられたが、いまだに水の胎のなか、未熟の状態に包まれており、現れてはいなかった。地の表に一面、大海が流れていた。無●にではなく、生産力のある暖かい体流をともなって、地球をことごとく柔らかくし、大いなる母を生殖のしめりではらませた。その時神はいった。

「汝ら、その下にある水よ、一つの場所に集まりかわいた地をあらわしめよ。」

285−321

すぐさま、巨大な山が現れ、むきだしたあらわな背が隆起し、雲をもつき、頂上は空をも登る。ふくれ上がった丘はいとたかく持ち上がり、同じほど逆に低く、広く深い、うつろな底、水の広き床は沈む。そちらの底の方へと、水は喜び勇んで進み、ほこりについたしずくのように、かわいた地よりまるまって一つになって。あるいは、●ぐあまり、水晶の壁、まっすぐな隆起の線となってのぼり、そうした逃走を大いなる命令がすばやい水に下す。ラッパの合図で軍隊が、(軍隊のことをお前は耳にしていよう)軍旗の方へと進軍するように、水の大群は波また波が逆巻き、そこに進んでいく。もし険しいなら、篠のような推進力で、もしなだらかなところならやさしく引いていく。また岩も丘も水を妨げることなく、水は地下に、あるいはぐるりと巡行し、蛇のようにうねりくねり、水路を見つけ、湿った泥土に深い峡を掘った。神が地にかわけと命ずる前に、今や河となって流れ、たえず湿った裳すそをひいている上手のなかを除いてはみな波立つことはなかった。

かわいた土地を地面と、水の集まった大いなるところを海と呼んだ。そしてそれをみてよしとされ、「地に緑なす草、種生む植物、その種に従って果を結び、自らは種をつける。木が芽をふくように。」と神がおおせになるとまもなく、裸の地上は、その時まで荒れて裸であり、見苦しく、何の飾りもなかったのに、柔らかな草を生み、その新緑は、地上の全顔を快き緑で包み、突然咲いた草は、様々な色を開き、その胸をはなやかにし、芳香を放ち、咲くやいなや濃くぶどうの房は育ち、ふくらんだひょうたんは広々とはいのぼり、麦は、戦場で隊列を組むように立っていた。

322−358

低地にはえる低木もかん木も細かくカールした枝葉をからませられている。最後には踊っているかのように、おごそかな木が立ち、その枝を広げてあまたの果実をさげて、あるいは花を咲かせていた。いと高き木々で丘はおおわれ、草木で谷や泉のあたりはおおわれ、河は長いふちでおおわれる。そのため地上は今や天とみまがうようであり、神々が住み、あるいは喜びさまよい、聖なる木影を足しげく訪れることを愛するみ座、神は今だに地上に雨を降らせこそせず、地を耕すものは誰もおらず、地上から湿った霧が昇り、地と平野の一つ一つの植物と草とにおしめりを与え、地のなかに植物がある前に、神がお造りになり、また茎より育ち生ずる前に神がお造りになっていた。

神はそれをみてよしとされた。

そして夕べと朝とが第三日目をうたうたった。

 

再び全能者は語った。「いと高き天の広がりに光あれ、そして夜から昼を分けよ、光は印、季節、曜日、まわりめぐる年をあらわすものとなれ。光は我が命に従って地上に光を降らす、大空での役目を果たす光となれ。」そしてそのようになった。

そして、神は2つの大いなる光、人には大いに役に立ち、昼間を支配するものは大きく、夜を支配するものは小さく造った。そして星を造り、大空にそれらを据え、地上を照らし、かわるがわる昼と夜とを支配させ、光を暗闇から分けた。神はごらんになり、御自分のみ業を見渡すと、よしとされた。天球のなかでも第一に太陽を大いなる球につくられ、初め光るのではないが、霊気でできていた。そして球体の月を、次には様々な大きさの星を造り、星を天上に平野のように厚く蒔いた。

 

359−394

光の宮居より移して、光の大部分をとり、太陽におき、その太陽は透明な光を受けて飲む孔を、集められた光線をしっかりと保つよう作られており、今や光の大いなる宮居、その宮居の方へ、あたかも自らの泉の方に向かうように他の星々は行き、黄金のつぼのなかに光をおさめ、そして明星はそのつのをかがやかす。

太陽の光を吸収するか反射するかして、星々はわずかながらのたくわえを増す。人の目からはあまりの遠く離れていて小さな天体とみえるとはいえ、まず始めに、東に、輝かしい明かりがみえた。

日の統べるもの、あたりの水平線は一面、明るい光線でかざられ、天のいと高き道をたどり、東から西へと喜び走る。どんよりとしたしののめ、プレアデスは太陽の前で踊り、甘美なる影響をそそぎだした。

劣って輝くは月、しかし逆の真西にあって、太陽を写しだすものとなっていた。その顔一杯に太陽から光を借りており、その場所にあっては他の光を全く必要としておらず、その距離をたえず夜まで保ち、天の軸のまわりをまわり、ついに自分の番となって東に輝き、何千という弱いあまたの光、何千何万という星で、月は自らの支配を行い、天球を飾るものが表れた。そして初めて天球は、沈み昇った明るい光体で飾られ、喜びの夕と喜びの朝とが第四日目を飾った。

 

 

そして神がいった。「水は豊かな卵から地にはうものを、生けるものを生めよ。鳥は地の上を飛び、広々とした天で翼を広げよ。」

神は大いなる鯨を創造され、生き物の一つ一つ、地にはうものの一つ一つを、ふんだんに水はその種類に従って生み、また空飛ぶ鳥をその種類に従って生んだ。

 

395−410

それをみてよしとされ、それらを祝福しておおせになった。

「生めよ、殖えよ、海に湖に、走り流れる河の水に満ちよ。鳥は地上に殖えよ。」

すぐさま、海峡、海、入り江、湾を数え切れない幼魚の大群でみたす。ひれとまぶしいうろことで、海のまなかでしばし堤なして集まる、緑なす波のもとで輝かす。あるものはただ一つ、また仲間をつれるものもあり、牧草の海草をはみ、サンゴの森を通ってさまよい、あるいはすばやく目をかわしてあそび、太陽に向かって黄金をちりばめた波模様の仕着をみせたり、静かに真珠貝のなかにいたりして、湿った栄養分を持つが、結んだよろいを着て岩のかげで食物を待つ。静かな海で、アザラシや身をくねらせるイルカは遊ぶ。

 

412−432

あるものは、大きさが大きくぶざまにころがり、その進みざまは巨大で、大海を嵐とする。そこには生きるもののなかで一番大きなリバイアサンが、大海の底に岬のように寝そべって寝るかおよぐかし、陸地が動くようであり、一海をえらで吸い込み、胴のところではく。そうしているうちになま温かい洞穴、沼地、岸辺は海におとらず数かぎりなく卵を生み、卵は自然と分かれてすぐに若いひなをかえすが、すぐさま羽がはえて、羽をなめて整わせると、かん高い声を上げていと高き空を舞い上がり、雲なす鳥の下、地上を見下ろした。そこには鷹とコウノトリとが絶壁と杉とに高巣をはった。あるものは上空を一匹ずつ飛び、あるものはずっと賢明に群れをなして、くさびの形となって空を切って進む。季節をしり、洋上はるかに陸の上を、空の隊商となって、それぞれ羽を休めて進む。賢明なる鶴は、風に乗って毎年の旅を行い、通過しながら数え切れない羽であおがれ、空気が上昇する。

 

433−465

枝から枝へと小鳥は歌をうたい木々をなぐさめ、明るい色の翼を広げ、とうとう夕べになる。その頃になると、ナイチンゲールはおごそかに啼くことをやめず、一晩中やさしい歌をうたった。他の鳥は、銀色の湖や河で柔毛の胸を洗った。白鳥は弓形の首をして、誇り高く羽広げ、白い翼のあいだに立てて、おごそかな姿勢でオールの足でこいでいく。だのにしばしば水を離れ、しっかりした翼をはばたきのぼり、中空を飛翔する。他のものは地上をしっかりと歩いていた。とさかをいただいた鳥の声は、静かな時を告げ、孔じゃくのはでやかな裳すそは美しく飾り、その色たるや虹の赤らんだ色、飾りは星の如き目。水はこうして魚であふれ、空は鳥で、夕と朝とが第五日目を荘重にした。

 

 

第六日目、最後の創造に、夕べの竪琴と朝の竪琴とともに始まり、その時神がいわれた。「地は、その類の生きる物を生め。家畜、地にはうもの、けものを、それぞれをその類に従って生め」

地は従い、すぐさま肥えた胎を開くと、一度に数限りない生き物を生み、その姿は完全、肢体を持ち、充分に成長していた。地面からはあたかも宿る巣のように、野のけものがあらわれ、野の森、藪、草むら、ほら穴のなかに。木のところでは、つがいになってあらわれ、歩いていった。緑なす野や原では家畜、野のけものはちらばり単独で、家畜は群れをなし、ともに草をはみ、あたり一面をおおい現れる。草のかたまりは子を生むや、なかば茶のライオンがあらわれ、後部を足でかき自由にし、そして、じゃまを打ち破ったようにとびはねて、

 

466−498

縞のたてがみを振らして、後ろ足で立っている。大山猫、ひょう、虎はモグラのように(土から)はい出し、こなごなにした土を小山に投げた。地下からのすばやい雄鹿が枝のようなつのもつ頭をもたげ、ほどなくその地から、地から生まれるもので一番大きな象が、その巨体を持ち上げた。植物のように毛でおおわれた羊はなきながら立ち上がった。海とも地とに住むカバとうろこ持つワニ。すぐさま地にはうあらゆるものがあらわれた。昆虫に害虫、昆虫らはしなやかな羽を翼として振り、その小さくぴったりした外形は黄金、紫、空色、緑のはん点で夏の誇りのお仕着せを着ている。害虫は一列になって長々と続き、地面を豊かな跡でしまにするが、そのすべてが自然のなかで最も小さいものではなかった。あるものは蛇の形をして大きく、長さはおどろくほどでくねくねうねり蛇のとぐろをまき、翼をつける。まずはうのは、倹約な蟻、未来を予見し小さな胸に安き心をおさめ、こののちおそらくは正しき平等の模範、共同社会という評判よき族に加わっていた。次に群がるのは雌蜂。うなり声を立てる雄をおいしく食べさせ、蜂房を貯蔵する蜂でたてる。その他のものは数知れず、汝はその本性を知り、名を与えているから、繰り返すのは避けよう。野のうちでもっとも狡かつなけだもの蛇は知らされずにはおくまい。時にはその大きさは大きく、あつかましい目とふさふさとしたたて髪を持ち、汝(アダム)には害なく、汝の呼び声には従順。

 

499−535

さて天はその栄光のうちにあって輝き、回転運動を始め、あたかも偉大なる婚約者の手が始めてその巡行を進めた。地球は豊かな完璧の装いをして愛らしくほほえんだ。空には鳥、水には魚、地にはけものが、飛び、泳ぎ、歩きまわっていた。

 

今だ残れる第六日目には、主要なる仕事が今だ欠けていた。今まで造られたすべてのものの目的物。その生き物は他の生き物のごとく表を下げておらず、理性に欠けておらず、理性という尊厳を授けられ、身の丈を立てて落ち着いた額を持ち直立し、他の生き物を統べ、自らを知り、それゆえ寛容で、天のような広き心を持つが、どこから自らの善が下れるかを知り感謝し、天に向かっておごそかに心、声、目を向けて最高の神をたたえほめる。神は人をみ業のなかでも最高のものと造られた。それゆえ永遠なる全能の父は(というのも父がいらっしゃらぬのはどこであろう?)聞こえよがしに御子にこのようにいった。

「我らの姿に似せて人を造ろう。人は我々に似ており、海と空とに住む魚と、鳥と、野と地、一面のけもの、地をはうあらゆるはうものをおさめさせよう。」

こうおっしゃられると、神は汝、アダムを形造られた。地の塵、汝の鼻孔に生命の息を吹き入れられた。神ご自身の姿に、汝をつくり、神のお姿にそっくりと。そして、汝は生けるものとなった。男に汝を造ったが、汝の配偶者女性を、一族のために。そして人を祝福されておおせになった。

「生めよ、殖えよ、そして地にみちよ。地を治め、その治める地いる海の魚、空の鳥、地を動くあらゆる生き物をおさめよ。」

535−571

このようにしてどこで造られたにせよ――というのもどのような場所も今だ明確に名づけられていなかった。――それゆえ、汝も知るように、神は汝にこの喜びの森につれ込む。この庭、神の木を植えられ見るにつけ味わうにつけ快く、自由に食物として甘美なる果実を汝に授け、地上が生むあらゆるものがここにあって、その種類は限りない。しかし味わえば善悪の知識を生む木からとって食べてはならない。汝が食べた日は死のみ。死が与えられし罰、注意せよ、汝の食欲をよく治めよ。罪、黒き従者死とが汝を突然襲わぬように。ここで神は語りおわりになり、自ら造られたものをことごとくごらんになりみなよしとされた。そして夕がやってきて、第六日目が成就した。

 

お疲れになっていずとはいえ、創造者はみ業を思いとどまるようになるまでにお疲れになっていて、天へと、自らの住居へと戻っていき、そこからこの新たに創造されし世を、神のみ国が広がったことをごらんになった。み座より見渡してそれがいかにみえ、大いなるみ意図にかなって、いかに善く、いかに美しいかを。

昇りゆくと、天使の調和に合わせた何万という竪琴より出ずる協和音とかっさいとが後に続く。地と空とは響きわたり(汝、覚えていよう、聞いていたのだから。)天と星座はことごとく鳴り渡り、星はその場に立ち止まり耳を傾け、輝かしい行列が歓喜に輝いてのぼりゆく。天使らはうたった。

「開け、永遠の門よ、開け、天よ、生けるとびらを。大いなる創造者はみ業から堂々と帰りますのを。創造者を招き入れよ。六日かかってのみ業、世界。開け、これからもしばし。神はいみじくも喜んで義人の住居をしばし訪れようとし、

572−609

ひんぱんに行き来しようとして世界に、翼持てる使者を、天の恩寵の使いに送ろうとする。」このように、栄えある行列は歌いのぼりゆく、御子は燃え立つ門を広く開けた天を通り、神の永遠の家へとまっすぐに進む。その道は広く大きく、その塵は黄金、敷石は星、その星は、あの天の河にみえる星のよう。かの天の河は夜な夜な星でまぶされてみえる。さて今や地上では第七日目の夕がエデンに起こった。太陽は沈み、東からたそがれが来たり、夜を知らせる。その時、天のいと高き頂、聖なる山の神の威厳あるみ座、永遠にかたくしっかりと据えられしところに御子がつき、大いなる父とともに座った。神もまたいつも不可視のままどこへと行き、そこにとどまったままだが、(そのような特権を偏在者は持っていた)み業を命ぜられていた。万物の造り主、完成者。み業より今や休まれて、第七日目を祝福し聖別された。その日にすべてのみ業から休んだこと故に。しかし、聖日を沈黙のうちに保ってはいなかった。竪琴、荘厳なる笛、風笛、甘美なる音色持つオルガン、フレットの弦や黄線より出ずる音は柔らかな調子で合わされる。全員による声、斉唱で混じる。黄金の香炉よりかわれる香の煙で山は隠れる。創造と第六日目を天使らはうたった。「エホバよ、汝のみ業は偉大、汝の力は限りない。いかなる思いが汝をはかりうり、いかなる舌が汝を語りえよう。汝の帰還は、巨天使からのそれよりもはるかに偉大。かの日には汝の電光により、汝をほめたたえる。しかし、創造は創られしものを破壊するよりも偉大。偉大なる王よ、誰があなた様をそこない、あるいはあなた様の御国を仕切ることができましょう。

609−

容易に、背教の天使らのおごれる企てと、虚しき忠告とを撃退した。不遜にも天使らは汝の位を下げ、汝をたたえる天使らの数をへらそうとしていたのに。汝を低くしようとするものは、その意図とは逆に、いっそう汝の力をしろしめすこととなる。そのものの悪を汝は用いて、そうして、いっそうの善を創造する。

この新世界、天の門よりもあまり離れておらぬもう一つの天にごらんになれ。見るからに透明な水晶、ガラスのような海に立てられし世界。広さは無限といってよく、星は数限りなく、星の一つ一つはおそらくは定められし居住の世界。しかし汝はその李を知ろう。この星のなかに人のみ座、水で周囲をぐるりとかこまれる地、ここちよき人の住居。幸多き人、その子らよ、神はかく高めた。その姿に似て創り、そこに住まわせ、神を拝ませ、むくいとして神のみ業、地、海、空のみ業を支配し、聖く正しい拝めるものらを増やす。人がその幸を知り、正しくたえるなら幸多きこと。

 

そのように天使らはうたをうたい、清火天はアレルヤと響き渡った。このように安息日はたもたれた。汝の求めは、今や成就されたと思う。汝はこの世界と物の外見とがどのように始まったかを、そして汝の記憶以前に始めより何がなされたかをたずねた。それらのことを汝に教えられる、子孫が知る。何か他のことを知りたいなら、人の分を越えず言うがよい。

 

●8巻

1−24

アダムは天の動きに関して問うと、疑問を残したまま答えられる。そして知識にずっとふさわしいことを、むしろ求めるように勧められる。アダムは同意し、さらにラファエルをひきとめようとして、創造されたあと自らが覚えていることをラファエルに述べる。楽園におかれ、孤独とふさわしい仲間とについて神と話をかわし、イヴとの始めての出会いと結婚、そのあとでの天使との対話。忠告を繰り返してから去る。

 

 

 

天使はおえると、アダムの耳には天使の声がいとも魅力的に残った。そしてアダムはしばらく、まだ天使が話しているのだと思い、ずっと聞き耳をたてていた。すると目をさましたばかりのように、このように感謝して答えた。

「いかなる十分なお礼、どのような等しい繕いがあなたにせねばなりませんでしょうか。聖き語り部よ。知識へのかわきをかくも大いに安らげてくれ、親切な謙遜から、自分では捜し切れないことどもを語ってくれ、今やおどろきもて、喜びを当然のこととして、いと高き創造者に帰せられる栄光をもて聞かれる。しかし疑問がいくばくか残っている。それは他でもない天使様の答えが解いて下さる。このよき構造、天と地からなる世界をみ、その大きさを測るに、この地球は空と、数多き星と較ぶれば、ほんの一点、粉、微塵、星は測り知れない空間を通り進むよう。(というのも、距離ははかり知れぬようにみえ、すばやくも一日で戻る)そして、ただそれは、この暗き地球、小さな地のあたりに光り、昼と夜とをそれぞれ与える。星らは、みなそろって広大にも地球を観るが、光を与えずしては意味がない。

 

25−58

この思いこそ、私がしばし驚たんすること。賢明にして質素な自然は、そのような不均衡を許し、ありあまるほどの技もてかくも多くの高貴なる天体、大いなる数多き天体らをこの一つの有益さのために生み、我々が判断する限りでは、日ごとに繰り返される休むことのない回転をその軌道に押しつけ、不動の地球はずっと小さな範囲で動いているのかもしれぬが、自分よりもずっと高貴な星らを従えて、ほとんど動きもせずその目的を達成しており、貢物として霊的な速さの無数の旅、暖と光、その速度を述べるには、どのような数字もあらわすにことかく。

 

 

そのように、我らの祖は語ると、その顔色からみるに難解で慎重な思いにかかわっているようであった。それをイヴは気づくと遠慮がちにみえるところにいた自らの座より、威厳ある謙そんと、イヴがいることを望むようにと誰にも思わせる好意とをもて立ち上がり、果実や花は、イヴがやってきて芽をふき、手を触れて世話をされると、いやましに喜びのびた。だが、アダムと天使との話が楽しめぬとか、いとも崇高なることがわからぬのなら、イヴは行きはしない。こうした楽しみ、アダムが語ってくれ、自分はただ聞き手にまわるという楽しみをとっておいたのだった。天使よりも夫が語り手であるのを好み、彼に問うのをむしろ好んだ。夫は感謝に満ちる余談をまぜ、崇高なる議論を夫婦の愛撫をそえてときあかす。夫の口びるより出ずる言葉だけが自分を喜ばせるのではない。愛と相互の信頼とにより結ばれし、そのような夫婦が今、いつまみえよう。

 

59−92

女神のようなふうに進みいくが、付き従われずにではなかった。女王のように人をひきつける<Grau>という従列をたえずはべらし、イヴのあたりからは、みえるところにずっといて欲しいという願望の矢が、目持つ物に放たれていた。ラファエルは今やアダムが申し出た疑問に優しく軽妙に答えた。

 

だずね求めることをせめはしない。天は神の書として汝の前に置かれ、その中にあるおどろくべきみ業を読み、神季、時、日、月、年とを学ぶことであろう。これを知るため天かそれとも地が動くのかということは、正しく判断するなら重要ではない。しかしそれ以上のことを人や天使から隠すため大いなる建築家は賢明にも行い、むしろ賞賛すべきものらによって議論されるため、その秘密をあかしはしないのだ。あるいはもしあて推量をするのを好むなら、神は天の構成を論ずるに任せ、人々が天の模型をつくり、星の数を数えたりするようになるあかつきには、おそらくは的外れで奇妙な人々の意見に笑いを催すであろう。いかにして人は強き構成を支配し、建て、こわし(天体の)現象を済度することをはかり、「中心球と離心球、導円と周転円」(884)とをかきつらされた天球をどうやってはかるのか。

すでに汝の推論により、上のようなことが起こるとおしはかる。汝は子孫を導くことになり、明るく大きな天体は小さくて明るくないものにかしずくはずはなく、天は運行するのに地球は自分だけ恩恵を受けているのにたえずじっとしているわけではないと考えている。

 

まずは考えよ。大きく明るいものが優透さを意味するのではない。地球は、天と較べるとずいぶん小さいし、輝いてもいないが、しっかりした善性を、不毛に輝く太陽よりは多くもっている。太陽の自らには何ら効果ないとはいえ、この地上にはある。地上に第一に日の光を受け入れられそうでなければ、不活発なのであるが、その活力をみいだす。

98−132

とはいえ地球にこうした明るい発光天体が仕えているのではなく、汝、この地球の住人に。天の広大な広がりについては、かくも広く建てられた造り主の崇高なる威厳がときあかされる。測りの縄は遠くに渡ってのび、人は神がその住居にはおらぬことを知ろう。神が満たすにはあまりに広く大きすぎる大建造物。小さなあるところに住み、残りはこの上なく知られたる主が用いるよう定められている。周期の速さは、数字で表せぬとはいえ、全能者に帰せられ、ほとんど霊的と言える速度を周期的なものに加えることができたのであった。天使の私は、汝は、ゆっくりではないと考えている。今朝から神の住みたもう天より出発し、昼にならぬうちにエデンに到着し、その距離はいいあらわせる数でははかりしれない。しかし、このことを力説する。

天での動きを認めるとしよう。汝をして、天の動きを疑わせしめたものが価値のないものであることを示すために。天が動くように、この地上に住む所をもつ汝にはみえようが、汝ほどそれを肯定したりはしない。神はその道を人間感覚から取り除こうとして天を地よりいとはなしておき、地上で行う判断は高のぼりして、いと高きことにおいては誤りをおかし、なんら利点もないことになる。

仮に太陽が宇宙の中心であり、他の星は太陽の引力的な力と自らの力とによって触発されて、太陽のまわりを様々に踊り回るのか。星のさまよえる進行は、ある時高く、またある時は低く、そしてかくれ、進み、反向し、じっととまるのを6つの星にみいだし、そしてこれらに加えて七番目の星が天体であって、不動のようにみえながら、気づかぬうちに三通りの運動をしているとしよう。もし地球が運動していないなら、地球にいくつものいくつもの天球を考え、そのせいにしなくてはならず、まがった角度で反対方向に動かされているとするか。

 

133−167

あるいは太陽にその仕事を除外し、あの速い夜と昼との輪を創造し、すべての星より高きにあってみえぬ夜と昼との輪を。とはいえそれは汝の輪を必要とはしない。もし地が熱心に自ら日をとらえようと東に進み、太陽の光を嫌って夜と出会い、他の部分がたえず日の光で輝いているなら。地球からいでて、広く透明な空気を通るかの光が、地球からみえる月からは、昼間は月を照らし、夜にはこの地球を照らす星のようにみえたらどうなるだろう。相互に照らし合っていることになる。もし陸があり、野や住む人がいるとするなら、月の点を雲のようにみて、雲は雨を降らし、雨は柔らかな土に果を結ばせ、そこに住む人がそれを食べる。おそらく他にも太陽があって、月を付き従えているのを見つけるであろう。太陽と月とは雌雄の光を交わし、その大いなる性は宇宙を生きずかけ、一つ一つの星にはおそらくは生き物がいよう。生けるもので占められていない自然のこの大いなる空間は、生物の住まぬ荒涼とした場所でただ輝くためにあって、それぞれの天体に光のきらめきを与えることがまさかにもなく、その光ははるかに遠い、この人の住む地にまでは送られて、地球は光を天体に戻しているというのは議論の余地がある。

 

しかし、今述べたようであれ、そうでなかれ、天を支配する太陽が地球の上に昇るにせよ、あるいは地球が太陽の上に昇るにせよ、太陽が東よりその燃え出ずる道を始めるにせよ、月が西よりその静かな運行を邪魔されずに行い、こまのようにまわり、柔らかな軸のところで休むように動き、水平にゆっくり歩み、また、やさしく円滑な空気とともにもたらすとも。

 

168−197

汝の思いを隠された事柄にてわずらうことなかれ。思いを天上の神に委ね、神に仕えおそれよ。神の意のままに(他の星の)生き物を、どこに住んでいようと神に委ねよ。神が汝にあたえたまうもの、この楽園、美しき汝のイヴに喜べ。天は君にはあまりに高く、そこに起こることを知ることはできない。謙虚にして賢明であれ。お前とお前のあり方にかかわることのみ考えよ。他の世界のことを夢想するな。そこにはどのような生き物がおり、どんな段階、境遇、階位になっているかなどと。地球ばかりかいと高き天について今まであかされてきたことで満足せよ。

 

天使に対して、こう、疑問を一掃したアダムは答えた。

なんと十全に満足して下さいましたことか、清らな天の知、おだやかな天使よ。混迷なことより自由にせられ、容易なる道を歩むこと、生きる楽しみを妨げる困惑させる思いにかかわらぬことを教えられました。それゆえに、神は困惑させる心配よりことごとく遠ざけられて(人に)生きることを命じ、私たち自らが、さまよえる思いと虚しい思いとで、そうしたことを求めぬ限りは、我々を苦しめません。しかし思いや空想はえてしてとりとめなくさまよい、そのさまよいははてしない。注意されるか経験でわかるかして始めて、役に立つとはほど遠く、あいまいで捕らえにくいことを十分に知ろうとするのではなく、目の前にある日々の生活に根ざすことを知るのが第一級の智恵、それ以上のことは毒、空虚、愚行であり、この上なく大切なことにおいて、我々は未熟で、不用意、たえずとまどうことになる。

 

148−228

それゆえこの高みより降り、低きを歩み、手近にある役立つことを語りましょう。そこから偶然にも許しと、いつもながらの好意とを認められ、問うにも適切でなくはないことについて言及されるかもしれません。

私の記憶以前に起こったことを汝が語って下さったのを聞きました。さて、私が、天使様の前聞きにはおそらくなっていないことを申し上げますのでお聞き下さい。日はまだ落ちてはいない。日の落ちるまで。ご承知の通りどれほどお引き留めの術にたけているか。天使様をいざなって私が語る間に聞いていただくことにたけているのを。もしも天使様のご返答を望めないなら愚かなことでございます。あなた様と座っていると、天にもいるここち。あなた様とのお話は我が耳には労働のあとの心地よき休息の時にかわきと飢えとにこの上なく気持ちよいしゅろの実はあき、すぐに一杯になりますが、同じように快きとはいえ、神聖なる恩寵で足りている言葉は、その甘美さに満ち足りることはない。

 

アダムに対してラファエルは天の柔和さもて答えた。

人の始祖よ、汝の口びるは見苦しいことなく、その舌は言葉に欠けることがない。神は、その美しき似姿、汝に豊かにもその才能を内と外の両方にそそいだ。語るにせよ、黙るにせよ、みめのよさと魅力とがつきまとい、一つ一つの言葉と挙動とを形作る。

天にいるとき我々が仲間のことにおとらず、地上の汝を考え、喜んで神の道を人とともに吟味しよう。我々の知るところでは、神は汝をたたえ(我々に対するのと)等しい愛を授けていらっしゃるから。では、語れ。

 

229−261

というのも、その日には、たまたま未知のおぐらき旅路に、地獄内に向かう旅につきはるか遠くに向かっていた。命令を受けていたのだが、あまたの数の天使が方陣をなし、偵察や敵が出てこぬよう見張るため。その間に神はみ業をなされた。それというのも、そうしただいそれた突発事件にお怒りになり、創造の技に破滅を混ぜぬようにと。とはいえ、堕天使は神の許しなくて出られるわけはないのだが、我々を最高の君主として、そのいと高い命令におそれ従わせて送るのは、神へのすばやき従順になれるためである。暗く、強固な門がしっかりと固く閉ざされ、がっちりとかんぬきをとめられているのがわかった。しかし我々が近づくよりもずっと前に、内側からがさつな音が、踊りや歌とはまた違った音が、苦しみ、大きな嘆き、狂える怒り。喜び我々は光の岸に、安息の夕べ前に戻った。そのように命ぜられていた。さて、今は汝が語れ、汝が私に満足するのに劣らず、私も汝に満足して、注意して聞こう。

 

そのように神々しく述べると、我らの始祖は語った。

人が人間生活の始まりを述べるのは難しい。というのも誰が自らの始まりを知っていましょう。天使様とさらに長く歓談したいという望みにかられます。ぐっすりと花咲く草の上で穏やかな眠りから新たに目ざめたように、自分が香りよい汗をかいて寝ているのに気がついた。汗は太陽の光線ですぐにかわき、立ちのぼる霧を陽は食した。

すぐさま天の方へとさまよえる目を向け、しばらくの間広大な空をながめていると、すばやい本能的な動きで立ち上がり、そちらの方に立ち上がろうとするかのように、足で直立した。

 

261−295

自分の周囲に丘、谷、影なす森、明るく日のさす野、さらさらと水流れる小川をみた。これらのかたわらに動き、歩き、飛ぶ生き物、枝でさえずる鳥。万物がほほえみ、我が心は芳香と喜びとにあふれる。それから自分の体を吟味してみた。手足を次々と調べ、しなやかな関節で進んだり走ったりし、生々とした活気に導かれて。しかし自分が誰で、どこにいて、いったいどういう理由でそこにいるのかがわからなかった。言葉を出そうとしてみると、すぐさま語り、我が舌は従い、たやすく自分のみたものを名づけることができた。”汝太陽よ美しき光、汝かくも新鮮にしてきらびやかな陽受けし地よ、汝ら丘、谷、汝ら河、森、平野よ。生き動ける美しき動物よ。語れ、語れ、もしみていたなら、どうやって私がこうしてやってきたのか、どうやってここに来たのかを。自分自身の力ではなく大いなる造り主により。その善と力とは何よりもまさる。語れ、どうやって神と近づきになってたたえられるのか。神のおかげで私は動き生き、自負以上に幸福であると感じている”こうして私が叫んで、どこだかわからぬが、私が始めて息をしたところからさまよっていると、この幸ある光を始めてみたが、どんな返答もえられず、花咲き乱れる影なす緑の堤に物思わしげにすわった。そこでやさしい眠りに始めてみいだされ、とろとろとした感覚は柔しい圧迫感にとらえられ、かき乱されることなく。とはいえ、その時無感覚の前の状態にいくように。そしてすぐさまとけてしまうのかと思ったが、その時突然頭に夢が宿り、その心の中の絵姿は我が空想をやさしく動かし、自分がまだ存在を保っており生きているものだとおもった。

 

295−330

神性なる姿をとったようなものがやって来ていった。

「汝の住居は汝が欠けている、アダムよ、おきよ、始めの人、数多き人々の始めの父に定められし者よ、汝に呼ばれて至福の園、しつらえられし御座へ案内としてやってきた。」そういうと私の手を取って起こし、野を越え海を越え、それはちょうど足ふれることなく静かな空を滑るようで、とうとう私を木々の繁れる山にとつれていった。そのいと高き頂上は平地で、広い周囲を持ち、閉じられており、この上なく善い木が植えられ、小道やあづまやもあり、前の地でみたものはほとんど快いとは思えぬほどであった。木の一本一本に美しい果がたわわにつき、目を誘い、突然もぎとり食べる食欲が起こった。そこで目ざめると、夢は本物そっくりに写し出すので、目の前のものはみな本物となった。ここに新たに我がさまよいが始まったであろう。もし、我が導き手であるあの方、神がこちらの方に木々の間から現れなかったら。喜んだが、崇拝の気持ちから従順に畏れもて、足元にひれふした。私を起こすと、「汝が捜しているのは私である。」と柔和におっしゃられた。「汝の周囲のもの、上のもの、下のものをみな造ったものをみているのだ。この楽園を汝に授け、耕しその果実を食べることを汝の分と考えよ。園にはえ、いずるそれぞれの木から喜びの心もて自由に食べよ。欠乏をここではおそれるな。しかし、善悪を知る働きをもたらす木を、生命の木のかたわらの庭の中で汝が私に対する従順と信仰とのしるしとしての木、警告することを覚えていよ。その木の果を味わうことを避けよ、にがにがしい結末を避けよ、汝がその果実を食べる日、我が唯一の命令を犯す日には、必然的に死ぬことになることを知れ。

 

331−364

その日からは死すべきもの、そしてこの幸ある境遇を失い、ここより、悲痛と悲哀の世界へと追放されるであろう。」いかめしく、きびしい禁止を命じたが、その禁止はいまだに我が耳にはおそろしく響いている。とはいえ、そうしたことに走らぬのは我が選択するところ。しかし、すぐに曇りなきみ顔が戻りありがたい話を再び始められた。「この美しき地ばかりか、地上をもみな、汝とその子孫とに授けよう。主(ぬし)として、この地を領有し、地、海、空に住むもの、けもの、魚、鳥をみな所有せよ。所有の印で、それぞれの種類にしたがって、鳥とけだものとをみよ。それらをつれてくるのは、汝が名をつけるため。そしてよろしく卑下して汝に信義をつくすためである。水を住居として住む魚についても同じく理解せよ。ここには呼び集められてはおらぬが、それというのも固有の領域をかけて、薄い空気を吸うわけにはいかぬから。」このように語ると、2匹ずつ近づいてくる鳥とけだものとをみた。けだものは、へつらいひくくちぢこまり、鳥は羽をはばたいて下りてくる。私は通り過ぎていくものを名づけると、その本性を理解したが、そのような知識で神は我が突然の知覚力を授けた。しかし、このなかにたえず望んでいたと思われたものをみつけることができなかった。

天のみ姿に向かってこう言い始めました。

 

 

「ああ、いかなる名によりてたたえん、――汝はあらゆるものに、人に、人よりもいと高きものであり、我が命名をはるかに越えておられますので。この宇宙、人にとってはよきものの造り主。その幸福のために、かくも十分にまた豊富に御手ずからこれらの物をさずけて下さりました。しかし、私には共にする者がありません。

 

365−397

孤独にあって、何が幸福でしょう。誰が一人で楽しめましょう。すべてを持っているとて、いかなる満足をみいだせましょう。」私は僭越にもいった。すると輝かしい姿がいやましに輝ける微笑みを浮かべたかのようにしてかく答えた。「何を孤独というのか、様々な生き物で地も空も満ちている。これらはみなお前の命ずるがままに、お前のところにやってきてたわむれるのではないか。生き物の言葉とそのふるまいとを知らぬのか。動物もまた理解力を持ち、あなどりがたい考えをする。これらと余暇をみつけよ。支配をせよ。汝の国は広い。」このように普遍なる主は語り、命じているようであった。私は話をする許可を受けて、お願いし、また卑下した非難もて答えた。「我が言葉がみ怒りを買いませんよう。我が造り主よ、我が言葉述べる間はお慈悲を。私をこの地上に造られたのは、代理人としてであり、これらの劣れるものを私よりもはるか低く据えられたのではありませんか。等しくないもののうちにあってどのような交わりがふさわしいのでしょうか。いかなる調和、真の喜びがございましょうか。そういうものは相互関係であり、しかるべき割合であたえ授けられているときにあり、人は気高く知があるのに、動物は卑しく知を欠いております。人と動物とがうまく合うはずはございません。かえってすぐに人も動物もあきることでしょう。私が求めている仲間は、理性にかかわる喜びをことごとく分けるにふさわしいもので、その点ではけだものは人間の相手たりえません。けだものは、その類のものと互いに楽しむ。雄ライオンは雌ライオンというように。かくも適切にけだものをつがいにつくられた。雄牛が猿とよく交われず、鳥は獣と、魚は鳥とにおいておや。ならば、人はけものと悪しく交わるにやとりわけ交わることはできはしません。

 

398−431

その言葉に全能者は、気持ちを害さずに答えた。

「アダムよ、お前の仲間を選ぶにあたり、気むずかしく微妙な幸福を求めており、楽しみのさなかにありながら楽しみではなく孤独を味わっているのがわかった。ではお前は、私をどう考え、また私の境遇も。十分に幸福をえているか、それともそうではないように思われるか。永遠の過去よりただ一人である私は、私に次ぐものや似たもの、ましてや等しいものを知らない。被造物、私より劣れるものたち、お前より劣れるものらの限りないものらの他に、いったい誰と話をする方法があるというのか。」

 

言い終えると、卑下して私は答えた。「万物の至高者よ、永遠のならわしの高みと深みとに達するためには人の思いはことごとく受けております。ご自身において完璧であり、なんら欠けるものもみいだされません。人は完全ではなく、相対的に完全であるだけ。相対的であるためには、人は欠けたることを助け和らげるため、似姿と交わることを望みます。神様は自ら殖える必要はございません。もう無限なのですから。一者でありながらあらゆる点において完全である。しかし人は数においては一者であることは不完全をあらわし、自分の似姿から似たものを生み、自らの姿を増さねばなりません。一人でいる限りは欠けたるものなのでございます。それには対等の愛と尊き友愛とが必要です。そして表し、生むためには、つれそう愛と大切な親睦とを必要とするのでございます。主はお隠れになって一人であらせますとはいえ、この上なくよいことに自らを伴侶とされ、仲間との交わりをもとめず、それでいてその気になれば、被造物を合一の交わる、神の高みへと持ち上げることができるのである。

 

 

432−459

私は、動物たちと交わって、うつむいているのをたててやることも、動物たちのならわしに満足することもできません。」こうして大胆にも、私は語り、神から許された自由を用いました。神がお認めになったのがわかった。認められたので神性なる慈悲深き声でこうした答えをえた。

 

「かくまでお前を試みて、アダムよ、私は満足した。お前は適切に名づけたけだものばかりか、自分自身をも知り、お前のうちにある自分なる霊をたくみに現す。我が似姿は、けだものには与えられておらず、それゆえ、けだものとの交わりは、汝にはふさわしくなく、その交わりを自由に憎むのもまことに故あってのこと。たえずその気持ちでおれ。お前が語る前から、人が一人でいるのはよくないことはわかっていた。名づけるときにお前がみた動物のどれ一つもお前の仲間にするつもりはなかった。試みをしてみて、適当でふさわしいものを、お前がどのように判断するかを調べるためであった。今度私がもたらすものに、きっと満足しよう。お前の似姿、適切な助け、もう一人のお前、お前の抱く望みにぴったりかなうお前の望み。」

 

神は言い終えたのか、それともそれ以上聞かなかったのか。今や我が地上の本性は、天の本性に圧倒されて、天の本性はずっと地上の本性に従われていたのだが、地上の本性はその最高のたかみにまで、天上との崇高なる対話に緊張させられ、あたかも感賞を越えるものに目をくらまされ、疲れ切ったかのようになり、いきおいも静まり、眠りという償いを求めた。眠りはすぐに私をおそい、自然に呼ばれて私を助けようとするかのように、眠りがやってきて、我が目を閉じた。

 

460−496

我が目を閉じたとはいえ、空想の小空、内なる目を開いたままにしておいた。眠っているとはいえその目によって、恍惚の状態にいるかのように別個に自分が寝ているところをみた。そしてさらに、自分は目を開いたまま立っていたとき、目の前にいた輝かしい姿を見たように思われたが、その方はかがむと、左のあばらを開き、そこから●がな心臓の霊気と、新鮮に流れ出る生き血とともに、肋骨を一本抜き取り、傷口は広がったが、にわかに肉で満たされ、いやされた。あばらを御手をつかって形づけ作っていった。形づくる御子のもとで、ある生き物が育っていた。人のようであるが、性が異なり、大変愛らしくも美しく、この世で美しいと思っていたものは今やいやしく、あるいはその創造物の姿のうちに集約され、含まれ、以前には感じられなかった甘美さがその時より入り込み、愛と愛する喜びとが、そのしぐさからあらゆるものに入りこんだ。

イブの姿が消えると、暗闇に取り残された。目が覚めてみるとイブの姿を見いだすか、それとも永遠にイブがいないのを嘆いて、すべての喜びをことごとく捨て去るかであった。その時、望むに望めぬイブをあまり離れていぬところにみた。夢で見たとおりのあの人で、イブを愛らしくするため天と地とがこぞって与えられるもので飾られていた。イブはやって来て、天の造り主に導かれ、その造り主の姿みえずといえ、み声に導かれて。婚姻の神聖も婚姻の儀式も教えられずにてはなく。優雅さが、その足どりにあり、天界がその瞳に、一つ一つのしぐさには威厳と愛とが。あまりにうれしくなって大声で叫ぶのを我慢できなかった。

 

「この好意は繕いをして下さった。主はその約束を果たされた。恵み深くいつくしみ深い創造主よ、美しきものの授け手。しかし、汝が授けしもののなかでこれこそがもっとも美しいもの、また惜しまずに下さったもの。今や我が骨から生まれし骨、我が肉より生まれし肉、目の前の自分の姿。女というのがその名。

 

496−528

男より抜き取られたゆえに、これゆえに男は父と母とを捨て妻につく。2人は一つの肉、一つの心、一つの魂。

 

イヴは私がこう言うのを耳にすると、み言葉に導かれてはいたが、無垢と女にふさわしい謙虚、美徳と尊厳への自覚とがあった。彼女は得ようと求められてあるが、求められても得られるものでなく、また求めにすんなり応ずるわけでも、でしゃばりでもなく、控えめで、それだけいっそう好ましい。つまり自然が●っても罪の思いにけがれておらず、口説かれぬようにイヴの心の内で働いていた。つまり私をみるや、顔をそらした。イブを追いかけていくと、名誉というものを知っており、追従の威厳もて、私が願い出る言い分を認めた。しののめのようにあからむイブを婚姻の園へとつれていった。天と星とはことごとくその時に極上の感応力を放っていた。地と丘の一つ一つが喜びの印を表していた。鳥は喜び、みずみずしい風とやさしい微風とが、その喜びの声を森へと運び、羽ばたける翼からバラを発散させ、香ばしい灌木からは香気をただよわせ、楽しんでいると、とうとう恋の夜鳥が婚礼をうたい、夜の星に急いで丘の頂上に立って、婚礼の灯火を照らすようにと促した。

 

さぁ、天使様にはこれでみな我が有り様と我が物語を、地上の至福の極致まで進めました。至福を享受しておりますが、はっきりもうしますと、イブ以外のものにたしかに喜びを見出しますが、その喜びは以前にあったにせよ、そうでないことにせよ、心には何の変化も、熱烈な望みも引き起こしは致しません。こうした喜び、つまり味覚、視覚、嗅覚、草、果実、花、散歩、鳥のさえずりなどの喜びをいっているのですが


 

529−560

しかし、このエバにあっては喜びはずっと別のよう。みるにつけうっとりとして、触れるにつけうっとりとする。この床で情欲を始めて感じた。奇妙な興奮。この他のあらゆる喜びには見下し、心動かされずにいられるが、エバでは、美の力強いまなざしにはただただ弱いばかり。自然は過ちをし、そのようなものをささえるに十分たえるように、ある部分をしておかなかったのか。それとも我がわき腹よりとり、おそらくは十分すぎる以上にとったのか。少なくとも女の方に多ずりほどの飾りがさずけられ、外見では手は込んでいるが、内面はさほど精密ではなく、自然の第一目的は、女は精神と、何よりもすぐれる内なる能力において劣るものであることは充分しょうちしていた。外面においてもまた女は、男女を作られた主の似姿にあまり似ておらず、他の被造物を支配する性格をあまりよくあらわしてはいない。だが、女の持つ愛らしさに近づくと、いとも完全にみえ、自らは完結し、完全のようで、また女自らをよくわきまえているので、女が行ったり言おうとしたりすることは、この上なく賢明で、徳に溢れ、慎重で最善のように思われる。イブのいるところではいとも気高き知識がおとしめられ、話していとも智恵は恥じ入って負け、愚のようにみえる。権威と理性とか、始めに造られることももくろまれたので、偶然にも次に造られたものでないかのように、女にかしづく。まあいってみますれば、寛容と気品とはこの上なく美しい女にそのみ座を建て、あたりに畏れを生み、あたかも守護の天使がおかれているかのようである。

 

アダムに対して天使は眉をひそめていった。

 

「自然を責めるな。自然は役目を果たしたのだ。お前は自分の役目をただ果たせ。あまりすぐれぬものを過度に受けることに走り、自然を近くにとどめおく必要がある場合に、もし自然を見捨てぬのなら、自然もお前を見捨てぬ。それはお前も気づいているはず。何をお前はたたえ、何でお前はうっとりとなるのだ。外見か。たしかに美しい。それはお前が慈しみ、たたえ、愛するにきっと値しようが、お前が仕えるにはではない。女とお前ともよく測り較べて判ぜよ。しばしば自己尊敬よりも益なるものはない。尊敬とは正と義とに基づきよく修練されている。その尊敬を知れば知るほど、女はお前を頭と認めるであろう。そして、女の外見をことごとく内実に屈するのである。自分が喜べは、それだけ女はうるわしく畏れをます。そうして、名誉の心をもて伴を愛し、その伴は、お前はこの上なくかしこくないときを理解するのである。しかし、もし触覚、――それによって人は殖えるのだ――が他の喜びにまさっていとおしい喜びのようであるなら、同じ喜びが家畜とけものに与えられていることを考えよ。喜ぶうちに授かるものが人の魂を押さえつけ、人の情欲をかりたてるに値するなら、それは動物にも等しく与えられなかったであろう。女との交わりにおいて一段と高く心をひき、人間のものであり理性にもかなうことをたえず愛せよ。愛することにお前は立派にやってのけるのであり、情欲においてではない。情欲に真の愛は根ざしているのではなく、愛はこころにみがきをかけ、心を広くし、理性にその座をもち賢明であり、さざはしで蟻、これによりて天上の愛へと昇り、肉の喜びに沈むのではなく、そのゆえをもってけもののなかに、お前にふさわしい

 

594−617

仲間をみつけられなかったのである。」

 

天使に対して半ば恥じらいつつアダムは答えた。

「かくも美しく作られたる外見たるや、あらゆる動物に共通する生殖の営み(婚姻の床においては、ずっと気高いもので、神秘の畏れを抱いてみておりますが)美しい行い、即ち愛と甘美なる服従とが混じった言葉と行いとから日々に沸き出ずる数知れぬ礼節ほどに私を喜ばしてはくれません。イヴの愛と服従とはいつわりのない心の合―――二人にして一つの魂であることをあかす。結婚した二人のなかにみられる和合は、耳に響く調和の音より心にかなったもの。とはいえイブの美しさにかられ、隷従するのではございません。和合より生ずる心のうちに感ずるものを天使様にお話ししたのであって、その感ずるものに負けてではございません。とはいえ私は感覚から様々に生ずる様々なものに遭遇するが、だがたえず自由に最善のものを認め、自分が認めることに従おう。愛することを天使様は責めない。というのもおっしゃいますように、愛は天へと導かれ、天への道程、導き手であるからです。私が求めることがもし法にかなうなら、ご寛大であって下さい。天使様は愛のいとなみがないのでしょうか、愛をどう表現するのでしょうか。表情だけでしょうか。光を交えるのでしょうか。仮に、それとも直接触れるのでしょうか。

 

618−

アダムに向かって天使は天上のバラの赤らみ、愛に固有の色をあらわす笑いを浮かべて答えた。

 

「天使は幸福であることを知るだけで満足せよ。愛なくしては幸福もない。体で清純な汝が楽しむものを、(お前は清純に創造されたのであるが)天使はいちじるしく楽しみ、皮膜、関節、手足といった邪魔、外的な障害などない。もし天使がだきあうなら、空気が空気とだきあうよりも容易に、完全に交わり、清純なものとものとの望ましい結合。肉と肉、あるいは魂と魂とが交わるように、交渉の制約を必要とはしない。しかし、今やこれ以上は話をしていられない。去りゆく日の光は緑のみさき、緑の島を越え、西に沈む。我が去りゆくしるし。

強くあれ、幸福に生きよ、愛せよ、しかしとりわけあの方を愛するとは従順であること、またその方の大いなる命令を守れ。自由意志が認めないことはない、何事かをしようとする汝の判断を情欲が揺すぶらぬよう心せよ。お前とその子孫との幸も悲しみもお前にかかっている。心せよ。お前が堅忍することを喜び、すべてが祝福されていることを喜んでいる。しっかりと立て。立つにせよ落ちるにせよ、それは汝自身の自由な選択にかかっている。心のうちにおいて完全たれ、外面の助ける必要とはしない。あらゆる誘惑は命を破ることとして撃退せよ。

こうおっしゃると、天使は立ち上がり、天使のあとから、感謝の言葉でこういった。

「お別れの時なのですから、お行き下さい。天の客人、霊の特使、あがめし至高の善より送られし方。天使様のご親切はやさしく、あいそのよいものでございました。そしてたえず感謝の記憶(おもいで)でたたえられるでしょう。人に対してたえず思いやりあり親切たれ。そしてしばしご訪問下さい。」

そして二人は別れ、天使はしげみより天へ、アダムは園へといった。

 

 


●9巻

あらすじ

サタンは地球をぐるりとまわると、よく練られた策略を胸にいだいて、霧のごとくまいもどり、夜のうちに楽園へ戻り、寝ている蛇に入る。アダムとイブとは朝仕事に出かけるが、イブが提案するに、仕事をいくつかの場所に分担し、それぞれ別れて働こうという。アダムは応じず、警告されていた敵が、イブが一人でいるのをみつけようとするのでないかという危険を主張した。イブは自分が、充分に用心深くもなく、またしっかりもしていないと考えられることを嫌い、別れて働くことを力説し、むしろ自分の力を試練することを切に望む。アダムはついには折れる。蛇はイブが一人でいるのをみつける。巧みに近づき、始めはみていたが、すぐに話しかけ、おせじをならべたて、万物のなかであらゆるものにすぐれるという。イブは蛇が語るのを聞きいぶかしく思い、今までそうでなかったのに、どのようにして人間の言葉を話せるようになり、理解力を持つに至ったかをたずねる。

蛇は庭のある木の実を味わって、話もでき理性を持つようになったのであり、その時まではともになかった。イブは蛇に命じて、自分をその木のところにつれていかせると、その木は禁断の知識の木であるとわかる。蛇は今や大胆になり、多くのわなと理屈を重ねて、ついに食べさせる。その味に満足したイブはアダムにもっていこうかとしばらく思案し、ついには木の果を持っていき、木の果をとって食べるようどうして促されたかを語る。アダムは始めおどろいていたが、イブが失われたのに気づいて、愛に熱烈にかられて、イブとともに死のうと決心する。そして罪を軽くみて、アダムもまた木の果を食べる。その効果は二人にある。裸姿を隠そうとし、そして不和になり、お互いを責める。

 

1−39

神や天の客人が友人のように人間と親しく、寛大にも席り、田園の従事を共にし、人間がしばしの間、話すことのできぬ話をとがめられずに許されていた場での話はこれ以上ない。今やその調子を悲劇的なものへと変えなくてはならない。人の側には卑劣な背任、不実の違背、反行、不従順、遠くにさかれる天の側には、不和と嫌悪、怒り、正しき遺責、そして裁断が下され、この世界を不幸の世界、原罪、その影死、死の使者、苦痛の世界とされる。悲しき仕事とはいえ、その主題は、仮借のないアキレスが、敵に対する怒りにかられ、トロイの城壁を三度まわり、逃げる相手を捜し求めたその怒りや、ラブニアとの婚約を解消されたテュルニスの激怒、ギリシアやキプロスの子を長きに渡り苦しめたネプチューンやジュノーの憤り、といったものに勝るとも劣らぬ主題。もしも願いもしない夜な夜なの訪問をして下さり、まどろむことを私に口授し、労せずして考えもつかなかった詩行を私に吹き込む、天の保護者より、みあうだけの文体を得ることができるなら。始めから英雄の歌にふさわしいこの主題は、長いこと選んだままで、書き始めること遅くして、私は満足であった。生まれつき戦争を丹念に描くことに周致ではなかった。――戦争は今まで英雄的と考えられてきた唯一の主題であり、作られた戦争で、長く退屈にも強奪をするのを語られる騎士を、こまごまと解くことを大いなる技とし、堅忍不抜、英雄の殉死というもっとよいものが歌われぬままとなる。あるいは描いても試合、競技、槍試合の馬具、飾られた槍、精巧な紋、飾り馬具、駿馬、馬衣、金銀糸の織物、馬上槍試合の目のさめるような騎士、席順のきまった宴会、――それも大広間で給仕頭、家令に給仕されながら――いやしい技量、役目のなす技を描くのであり、

 

こうした手の書き手や、書かれた詩に英雄の名を正当にも授けるものではない。私はといえば、こうしたことに技たけているわけでも熱心なわけでもなく、もっと気高い主題が残っており、時代が遅すぎず、寒い気候、湿った年齢がもくろんだ飛翔を押し下げぬ限りは、英雄という名をあげるのに充分である。そして夜な夜な我が耳に訪れる女神ではなく、私に、すべてがかかるのなら、私は挫けるかもしれない。

 

 

太陽は沈み、そのあとにヘスペルスの星が務めを果たすべく、たそがれを地上にもたらし、昼と夜との短き間の裁定者、そして今やはじからはじまで夜の天球が地平をぐるりとおおった。そのとき悪魔は近頃ガブリエルに威赦され、エデンを出て、今や、いやましにひどい考え抜かれた策略と悪意とを抱き、自分にさらにおそろしいことがふりかかるかもしれないのに、人の破滅を決意し、恐れも知らず舞い戻った。夜の間飛び、地球を一周して真夜中に戻って来た。日の光を警戒していた。というのも、太陽の執権者ウリエルは入口を見張り、その戸を管理するケルビムにあらかじめ注意を促していたからだった。そういうわけで、苦悶に満ちて、続く7日間の晩、夜の空間を走り、三度昼夜平分線をまわり、四度夜という車の地軸をよぎり、季節線をそれぞれ通過していき、八日目の晩に戻ったが、そこは入口、ケルビムの見張るところとは逆の場所で、こっそりと怪しまれぬ道をみつけた。ある所に、(今ではないが、とはいっても時ではなく罪がその変化を始めてもたらしたのだが)楽園のふもとでチグリス河は、地下を通ってはんりゅうとなって、あるものは泉となってのぼり、生命の木のもとに沸きいずる。サタンは河とともにしずみ、昇りいく霧に包まれてサタンは河とともにのぼり、隠れ場所を捜し、海となく陸となくさがしまわった。

 

77−113

エデンから、黒海、アゾフ海を越え、北に進み、オビ河を越え、さらには南に下り、南極まで。また西は、シリアのオロンテス河から、太平洋をせきとめるカリブ海、さらにはガンジスやインダスの流れるところまで。こうして地球を、線密にさがしてさまよい、鋭い洞察で生き物を一つ一つ考え、なかでももっともてごろに自分の悪だくみにかないそうなものを。そして目をとめたのは蛇、野のなかでも最も狡猾なけもの。蛇を、長く論じ、思いめぐらす思案に決心つかぬまま、とうとうかっこうの器と決めてしまった。悪だくみにはかっこうの悪霊。そのなかに入り、その暗い誘惑を、するどい視線から隠した。というのも策略にたける蛇には、誰も疑ってもみないような手練が、知性と生まれつきの狡猾さから出てくるかのように、そなわり、その手練は、他の動物に発見せられては、けだものの感覚を越えて心のうちに生々と働く悪しき力ゆえにと、疑念をさしはさまれる。こうしてサタンは決心をしたが、初めて内なる悲しみを感じて、燃え上がる激情は、悲しみへとそそがれていった。

 

 

「ああ地上よ、なんと天国に似ていることか。もっと適度に好まれていなかったにせよ、神々のみ座たる価値があり、いにしえのものを改革し、考え直して建てられたよう。神は、よきものにまねて、悪しきものを建てることがあろうか。地上の天国。輝ける他の天体により、ぐるぐると踊りめぐり、かしづかれる灯、光よりもすぐれる光を持つ。ちょうど、聖なる感応力持つ高貴な光線をお前のところに集めているよう。天では神が中心にいながら、万物にまで及ぶように、お前は中心にいて、他の天体からことごとく光を受けているのである。そうした天体にではなく、お前に、知られる天体の力が現れる。草本を生み、成長から感覚、感覚から理性という

 

113−142

段階のある生命で息づく生き物という高貴なる生まれのもの、そしてすべては人に集約される。いかなる喜びを感じて、お前のまわりを歩けたであろう。もしもなんにでも、丘、谷、河、森、野、陸、海をいただいた岸辺、岩、ほら穴、どう窟と次々と美しくも移り変わるものをたのしめたら。しかしこうしたもののどれ一つとてすむべき場、避難所は見あたらない。自分のまわりに喜びをみればみるほど、心のなかにそれだけ苦痛を感じ、それはいむべきにも正反対のものに攻囲から生まれてくるようである。善はことごとく私にとっては害悪のもと、そして天においてはもっとひどいのが、私の状態。しかし、ここにも、天上にも俺は居すわろうともせぬ。すべてを天の至高者を征服してからなら別だが、まだ俺が居すわろうなどとして、自らを少しでも悲惨から浮かび上がろうとは望まず、俺のようなものに他の奴らもしてやろうと思っているのだ。たとえそれによりもっとひどいことが俺に降りかかろうとも。というのも、破壊することによってのみ、容赦のない思いが和らぐのだから。全き堕落の方向にひきずりこむ。泣き落とすか、あるいは破壊するかしてしまおう。失うというのも、この目の前のものはみな人のために作られ、だからこれらのものもすぐに破滅するだろう。幸も不幸も人に結びついているから、今度は不幸へと。破滅は広範に及ぶかもしれない。俺に対する栄光を、地獄の天使から一手に受けることになる。一日のうちに、全能なる者が名を与え、六日六晩かかってずっと作り続けたものをだいなしにしてしまうということで。誰が知ろう、どんなに前から創造の業を練っていたかを。前とはいっても、おそらくは俺がある夜、天使の半数ほどを、不名誉な隷従から自由にしてやってからとも遡ることはなかろう。

 

142−178

そして神を拝む者らをわずかに残しておいた。神は復讐をすべく、またこうして減った数を償おうと、――そんな力は、とっくの昔に使い切り、天使をさらに創造することができなくてか、(もし天使が被造物ならの話だが)それとも、俺様たちをもっと困らせようとしてなのか――俺様たちの位に地からできた創造物をのぼらせ、かくもいやしい始源より●められ、人に天からの戦利品、俺様たちの戦利品を授ける。神が定めることを、神は成し遂げた。

人を神は造り、人のためにすばらしいこの世界を、人のみ座、地球を建てた。そして人を主と宣告する。なんたる侮辱。翼持つ天使、炎出ずるみ徒を、人の奉仕に服従させ、地上の者をあづかり、見張り番をするとは。こうした天使らの警戒を俺はおそれているのだ。目をのがれるために、真夜中の蒸気でできた霧につつまれて、お暗き中をすべるように進み、しげみをやぶを、一つ一つのぞき、そこに偶然にも寝ている蛇を見つけ、そのとぐろに我が身を隠し、黒いたくらみをもたらす。ああ愚劣なる下降、至高にみ座する神々とかつては争った俺様は、今や身をすくめてけだものになり、けだものの粘液とこの霊気とを、化身し獣化するために混ぜさせられるとは。神の高みを求めてやまなかったのに。しかし、大望と復讐とが何に向かって下らぬことがあるのであろうか。大志を抱く者は高く飛び舞うだけ低く落ち、おそかれはやかれもっとも卑しい者になることを免れない。

復讐は始めは甘美であろうが、まもなく厳しくなって逆にはね返ってくる。

そのままに。私は気にとめはしない。よくねらいをつけて燃え上がらせよ。高いところを目ざして、及ばなかった以上、次に俺をうらやむ者に、この土くれの人間に、恨みより生まれし子、俺たちをもっと困らせようと造り主は人を塵よりあげた。ならば恨みには恨みをもってこの上なくうまく返報されよう。

 

179−214

そういうと、乾いたやぶや湿ったやぶを、黒い霧のように低くはいすすむと、真夜中の捜索を続けた。すぐさま蛇をみつけることができた。すぐにみつけたのはぐっすりと寝ていて、何重にもなって、迷路のようにとぐろを巻いていた。まんなかに頭があり、するどい狡猾さを備えていた。いまだにおそろしき小影や荒涼としたほら穴にいるわけでも害あるわけでもいまだになく、緑なす草の上で恐れられず恐れもせずに寝ていた。その口のところに悪魔は入り、獣の感覚にとりつき、そこに知性の活力が吹きこまれた。しかし蛇が寝ているのを妨げはしなかった。朝の近づくまでもぐりこんだまま待っていた。さて聖なる光がエデンにあけそめる頃となる。朝の香はくしっとりぬれた花々。この時、息吹する者はことごとく、地球の大いなる祭壇から静かな賞賛を創造者に向けて送り出し、神の鼻孔は感謝のにおいでみち、人が二人あらわれ、声を立てられぬ動物の合唱に合わせて声を出してお祈りをした。それがすむと甘美なる香とそよ風の朝の時を共にする。そして、その一日、どうやってうまく増えいく仕事にはげめるかをむつまじく語り合う。二人の仕事、かくも広いところを栽培する、二人の手ぎわの早さをはるかにしのぎ、イブがまず最初に夫のこのように始めた。

 

「アダムよ、たえずこの庭を刈り込み、草花をたえず手入れをするという申し付けられた楽しい仕事をするのもよいですが、もっと多くの手だすけができるまで、私達のする仕事はとどまるところがなく豊かに増える。おい茂ったものを、昼間のうちに刈り込み、おろし、ささえ、結びつけるものは、一晩かそこらで豊満な成長をとげ、はびこるのを刈り込もうとするのをあざ笑う。あなたは、私の心に初めて思い浮かんだことを助言するか聞き入れて下さい。仕事を分担しましょう。

 

214−250

あなたはこれと思ったところ、必要があるところ、このあずまやのまわりにスイカズラをまくとか、巻きつくつたをからめるしかるべきところに向けるかして下さい。その間に私は、天人花と混ざる●いバラの茂みの方に行き、昼まで草木の世話をいたします。いつも近くで一日中自分の仕事を選んでいるのでは何の不思議がありましょう。笑いと視線とをこれほど近くでかわし、また新しいものに何気なく話を続け、その日の仕事を中断することになり、早くから始められても、ほとんどすすまず、夕げの時が、労せずして訪れようとも。

 

イブに対しておだやかにアダムは返答した。

「ただ一人のイブ、ただ一人の仲間、僕にはあらゆるいとしい生き物にまさって、比較を絶するほどいとしい、この園で神が定めた仕事をこの上なくどうして果たせるかを、よくぞ君は申し出て、考えてくれた。僕が賞賛せずとも、君はすぐれている。これ以上素敵なことが、女性にみられるだろうか。家庭の幸に心がけ、善行を夫にすすめるとは。とはいえ我らの主は、疲れ休みをするのが必要な時に、とってはならぬほど厳しく仕事を押しつけたわけではない。おやつを食べ、心のおやつ、ころあいにかわす話、やさしくかわす視線と笑い、笑いは理性より出でるもので動物にはなく、愛という食物でできていて、その愛は人生のもっともいやしい目的ではない。というのはうんざりする苦労にではなく喜びのために主は僕らをお造りになり、それも理性に結ばれた喜び。

僕らが歩くあたりの小道やあずまやは、僕らの手が共同しても荒れてしまうのをくい止められるのは確かだが、やがては若い手が僕らを助けてくれよう。しかし、もし話しすぎておそらくは君はあきているなら少しくらい目の届かぬところにいるのは認めよう。孤独は時折最高の友であり、少しいなくなると

 

250−280

喜んで戻ってきたくなるもの。しかし、他の疑念にとりつかれている。僕から離れている君に何かわざわいがふりかかりはしないかと。知ってるだろ。僕らが何を注意されたかを。悪意を抱いている敵がどんなもので、僕らの幸福をうらやんでいるか、そして自分自身の境遇に絶望し、陰険な攻撃を加えて、不幸と不名誉とをもたらそうとしているのを。どこか近くで、きっと見張っているに違いない。強欲な希望をいだいて、自分の望みをかなえる好機をつかもうと。離ればなれの僕らを見つけようと。二人いっしょにいるのを計略にかけようとしても無駄というもの。二人なら、必要なときにすぐさま手を貸すことができるから。そいつがいの一番にやろうとしていることは、神様への僕らの帰依をとりあげることにせよ、夫婦の愛――それに勝る至福はおそらくはなく、それで嫉妬をことさらかりたてるのであろうが――をかき乱すことにせよ、あるいは、今述べたことにせよ、もっと悪いことにせよ、君を生み、守る信頼たりうる者のそばを去らず、妻は、危険や不名誉が徘徊する場合には、妻を守り、妻とともに最悪にたえる夫のもとにとどまるのが、この上なく安全でふさわしいというもの。

 

アダムに対して、貞潔の威厳備えたイブは愛していながらつれないしうちを受ける者のように、美しくも厳しい態度でこう答えた。

「天と地から生まれし子、地上の万物を治める主(あるじ)、そのような敵がおり、破滅を望んでいることは、あなたに教えられて知っておりますし、また去っていく天使様がおっしゃるのを、影なす炭のところで後ろに立っておりまして、――それはちょうど夜の花が閉じる時で、その時に私がちょうど戻りまして――小耳にはさみました。しかし、あなたが私の神やあなたに対する堅信を、敵がいるといってお疑いになっていることを聞こうとも思っていませんでしょう。

 

280−310

その力をあなたはおそれてはいません。我々のような者なら、死や苦しみを受けず、そのような力を受けることもありませんし、またはねつけることもできるでしょ。敵の欺瞞をおそれているなら、やっぱり我が堅い信仰と愛とが敵の欺瞞によって揺さぶられ、そそのかされることを恐れていらっしゃるのが、手に取るようにわかります。アダムよ、あなたの胸に宿る思いが、たといどのようにあるにせよ、あなたにとって大変大事な妻のことを思い違いしているのではありませんか。

 

イブに向かっていやしの言葉でアダムは答えた。

神と人の娘、不死のイブよ、その名がふさわしい君は、罪ととがめとから完全無欠の人。君を信じられず、僕のところからいなくなるのをやめさせようと説いたのではなく、我々の敵がもくろむ、企てそのものを避けるように説くのだ。というのも、誘惑する者は、――どうせ無駄にはなるのだろうが、少なくとも誘惑される者にいまわしい不名誉を浴びせ、信実は純でなく、誘惑にかからぬわけでないと思わせ、そうした敵のする悪事は効果がないとわかってもいかるであろう。それだったら思い違いはしないでくれよ。ただ一人である君から、そうした不名誉をそらそうとしているのだから。その不名誉を、僕らがそろっているところに敵は、いくら大胆とはいえ、あえて投げかけようとはしないだろうし、たとえするにせよ、まずは僕に攻撃を加えるだけだろう。それに君は敵の害力と不実の策略とをあなどってはいけない。狡猾に違いない。天使をだませることができたのだから。それから君は他人の助けを余計と考えてはいけない。僕だって、君の視線の感応力を受けて一つ一つの徳の力を増し、君のみているところでは、

 

310−336

ずっと賢く、もっと用心深く、そして外的な力が必要とあらばもっと強くなるのだ。でも同時に恥辱、君がみているなら恥辱は圧倒され、打ち負かされて、この上ない活力を引き起こし、そうなると徳と同一のものとなる。僕といっしょにいる時、君の心のなかに同じような気持ちを感じないのかい。僕といっしょに試練を受けてみてはどうかい。試練された君の徳の最高の証人に私はなろう。

 

そのように家庭の幸福を願って保護と結婚愛の心をアダムは述べた。しかしイブは自分が神にも夫にも純粋な誠意にほとんど恵まれてないと思い、やさしい口調で返答をした。

「これが、こうして狭いところに、敵に囲まれて住むなんていうのは、敵は狡猾で力を振るうのかもしれませんが、私達、一人でも、敵の狡猾や力にみあう防ぐ力を備えられてはいないのでしょうか、害力をたえず恐れていて、どうして幸でいられましょう。でも害力は罪に先立ってあるものでないでしょ。誘惑をしようとする敵は私達の正しさにさげすむ考えを抱いて、私達を侮辱しますが、そのさげすみの考えにより我々の額はなんら不名誉をあずかることにはならず、むしろ敵にそのいまわしさが戻ることになる。それなら、いったいどうして、私達に近寄られ恐れられるのでしょうか。私達は誤っているとわかった憶測をして、いやましの名誉をむしろ得て、心のなかには平安、結果の証をする物、天からは寵愛、信仰、愛、徳は外からの助けに支えられず一人立ちしているときにためさずして何でしょう。

 

337−363

それなら、私達の幸福な状態を疑うのはよしましょう。このあり様は、一人あるいは二人していっしょにしても安全でないほど、不完全なまま、賢き造り手によって委ねられたのだと。もし行った通りなら、私達の幸福な様ははかない。喜びの園エデンはこんな様ではエデンではない。

 

イブに向かって熱っぽくアダムは答えた。

「ああ女よ、神様の意志が定めたままにあるのが、万物にとってこの上なくよきこと。造り出す神の手は創造されたものの何事をも不完全で欠けたものとしておかれなかった。人、あるいは人の幸ある様を、守る、それも外の力から守るものはいうまでもない。人の心のうちに危険が潜むが、人の支配力のなかにおさまる。己の意志に逆らって、なんら害力を受けるはずはない。しかし神は意志を自由としていた。理性が命ずるものは自由であり、神は理性を正しく造った。しかし理性によく注意するように、たえず警戒するように命じた。

美しく善しとみえるものによって不意打ちをくらい、不実を命じ、神様がはっきりと禁じられているものをしようと、意志をゆがめないようにと。つまり不信ではなく愛情にかられて僕はしばし君に注意を与えるのだよ。そして君は私にね。しっかりと暮らしはしているが、正道を踏みはずすこともありえる。というのも理性は敵が勝ちとったみかけだおしのものに出会うと、気づかずにだまされて、注意されていたようにきびしい警戒を続けないことにならない可能性はなくはない。

 

364−389

それだから誘惑を求めるな。誘惑を避けることはずっとよく、それには僕から離れぬのが、一番適当というもの。試練は求めずにしてやって来る。君は自分の志操の正しさを立証しようとするなら、なによりも従属を立証せよ。しかし、君が試みられるのをみていないのに、誰がそれを知り、証明するのか。しかし、もし君が、こちらから捜し求めもしない試練に僕らが出会って、君が用心しているよりはずっと不用心と思うならいけ。というのは、君がここにいても、君は自由に選んでそうするのではなく、むしろ、君はいないことになる。生まれながらの無垢のうちに行け。君の徳がもちうる力にたよれ。力を奮い起こせ。神は君にその役目を果たしたのだから、君は自分の役目を果たせ。

 

そのように、人類の族長はいった。しかしイブは自説を曲げず、最後に言葉をさしはさんだとはいえ柔順に答えた。

「ではお許しを得て、とりわけ、あなたの最後におっしゃった理にかなったお言葉が触れたことに、ことさらに警告を受けました。私達は試練を、少しも捜し求めぬなら、試練に出会っても、おそらくは、少しも覚悟ができていないという。よろこんで私は行きます。それほど傲慢な敵は弱いものをさきにみつけようとしないと思います。もしそのようなことに熱心ならそれだけ敵の行う敗北に敵は恥じ入るというもの。

 

こういうと、イブは夫の手から自らの手をやさしく引くと、軽やかな森の精、森の妖精、山の妖精、あるいはダイアナの従者のように森へと進んだが、その姿は歩き方においても、女神のようなふるまい方もダイアナそのものを越えていた。

 

390−419

とはいえ、矢と矢筒で身がまえたダイアナのようにではなく、技、いまだに粗雑のままで火を知らぬ、その技が形づくった、あるいは天使がもたらした庭園用の道具をもっていたとはいえ、こうして飾られると牧者の神パレスが花の神ポモナにこの上なくよく似ているようであった。ヴェルトムナスを逃げたときのポモナあるいは花のさかりにゼウスの手をのがれプロセルピナの母でいまだなかったあのセレスに。

イーブを長いこと、熱心なまなざしでアダムは追い、喜んでいるとはいえ、イーブがとどまることをもっと望んでいた。幾度もアダムはイーブにはやく戻るようにと教え、イーブもアダムに同じように約束して、あずまやへ昼までには戻って来るといった。そして、なにもかもきちんと整えられて真昼の休息、昼下がりの休養をむかえるともいった。

ああ不幸なイブよ、お前が予測する帰りに、大いにあざむかれ、また帰りをおおいにしくじる。正道踏みはずした出来事よ、お前はかの時より楽園に甘美なる休息、健全なる休養を決して見いだすことはない。そんな伏兵が美しい花や小影に潜んでいて、恐るべきさしせまった憎しみを抱いて、お前の道を妨げ、無垢、信仰、至福をはぎとられて送りかえそうと待っている。というのも今や夜があけそめてから魔王は、見かけは単なる蛇であるが、進み出て、そして捜し求めているところであった。どこに行ったら一番、人間というあのたった二人をみつけられるかと。たった二人といっても、二人の中に人全体が含まれ、それこそ目指すえじき。あずまやの中、野をとさがした。その辺は森や庭の茂みが快くはえ、喜んで二人は庭地のめんどうをみ、また植えこんだりもする。

 

420−449

泉のそばや影なす小川のところでも敵は二人を捜してみたが、偶然にもイーブが一人でいるところを見つけられるか願ってであった。願ったといっても、きわめて稀に起こることに望み抱いてはなかったが、その折りも折、願った通りに望みがかなった。一人のイーブを敵は認めた。芳香の雲につつまれ、イーブは立ち、半ばみえており、イーブのまわりにはびこるバラはうっそうと茂り、燃えるようであり、イブはしばし腰をかかげ、細い茎の花を一本一本支えていた。そのバラの頭ははでな赤、紫、あい色、黄色のふいりもあり、ささえられなければうなだれて下っており、その花をイーブはやさしく天人花のひもでささえ、その間は花に気をとられていて、自分のことを注意していなかった。この上なく美しくささえられていない花で、自分をささえるものからかくも遠く離れ、嵐も間近だというのに。

魔王は近づき、堂々たる杉、松、やしの森の多くの小道を横切って進んだ。そして大胆にもするすると、堤の両側にしきりとなるよう植えられたうっそうと茂る樹木や花の中に、ある時には隠れ、あらわれて。樹々や花々はイーブの手仕事。その場所は架空の庭よりもずっと気持ちのよいところであった。例えばよみがえったアドースの園、かのラルテの息子のもてなしたことで名高きアルチアノス王の園、あるいは、――この例は不可解なものでないが――賢者ソロモンが。美しきエジプトの乙女と戯れた園よりも。おおいに魔王はその場所をたたえ、人はいやましに。そのたたえようは、あたかも人多き町に長いこと閉じ込められていた者のよう。町では密集した家と下水とで空気はひどく、夏の朝に表にでて、近くのここちよい村や農園で息をつき、出会うものから

 

449−480

次々と喜び感ずる。穀物、干しに広げられた草、雌牛、酪農場といったものの香、田園風景、田園のもの音に。もし偶然にもニンフのような足どりで美しい乙女が進むなら、快く思われていたものは、そして今やその乙女がいるためいっそう快い。乙女はこの上なく美しく、その姿にはあらゆる喜びがまとめあげられてあった。蛇はそうした喜びをもって、この花咲く地をながめた。かくも早く、かくも一人でいるイーブの甘美な奥所を。イーブの姿はこうごうしい天使のようだが、ずっとやさしく、女性らしく、その無垢はおくゆかしく、しぐさやこまかな態度の一つ一つにまで、魔王の悪意を威圧するものがあり、やさしくも悪意のもたらすおそろしい意図からそのおそろしさを奪い去ってしまう。その場所に、悪魔はぼう然と立ち、自分が悪人であることは忘れ、しばらくの間愚かにも善人のままであった。敵意、策略、憎しみ、嫉妬、復讐から解放されていた。しかし暑い地獄はいつも魔王のなかで、天のただ中にいてさえ燃えて、喜びもつかの間で、一層今や悪魔を苦しめ、それだけに喜びは自分にあてがわれたものでないことを悟る。それはすぐにおそるべき憎しみを呼びあつめ、イーブに会ったことを喜びつつ、災いをことごとく思い出す。

 

「思いよ、お前たちは俺をどこへといざなうのか。こうしてうっとりさせる甘美なる強制の力をつかって、ここまで我々がやってきた理由を忘れさせようというのか。憎悪、愛ではなく、地獄の住人のための楽園をうる希望でも、快楽を味わうという希望でもなく、破壊するものを除いて破壊するという楽しみ。他の喜びは俺にとってはないのだ。今やほほえむ好機をのがしてはならない。

 

480−510

みろ女は一人だ。あらゆる企てにかかりやすい。というのもあたり一面見渡しても、女の主人は近くにいない。主のもつ高度な知性をもっと俺は避ける。またその力、精神においては気高く、体格は勇ましく、とはいえ土からできていて傷を   おそろしくなくはない敵。俺も傷を負うが。

地獄は、天国に俺がいたころに較べると俺をずいぶんと堕落させ、苦痛は俺を弱くしたものだ。あれは美しく、神のように美しく、神々が愛するにふさわしい奴。こわがるまい。美と愛には恐れがあるが、美と愛に、それにまさる憎悪により近づけば俺はこわがることもない。勝れる憎悪は、愛をみせかければうまくいつわれる。こんな風にして、俺はあいつを破滅へと導こう。

 

と、人類の敵は語る。蛇に身を包む悪しき同居人。イブの方にと向かっていくが、この時にはまだジグザグに地面にひれ伏してではなくしっぽの方をとぐろの台座として、いくえにもとぐろをまいて塔となり、頭はとさかのように高く立て、その目はルビーのように赤い目を、まだ首は緑黄に光っており、ぐるぐるとまいたとぐろのなかに立ち、草の上を波のように浮いていった。快く、愛らしきは蛇の形。この時より、蛇でこれよりも愛らしきものなく、――イリリアで蛇に姿をかえられたヘルミオネとカドマスや、エピダウラスの神も。蛇に姿かえられ、衆人にみられたアンモンのジュピィターやカピトリヌスのジュピィターも。アンモンの方は、ローマの偉人スキピオを生んだものと交わった。

 

510−538

まずは斜めに進むが、それを例えてみれば、近づこうとはするのだが、邪魔になるまいかと思い、斜めに徐々に進む。ちょうど技術にたけた舵取りの乗る船が河口やみさきの近くにいて、川向きがしばし変わり、そのたびごとに舵をとり、帆の向きを変える。そのように様々に方向を変え、イーブの目をそそのかそうとイーブのみえるところで、ぐねぐね巻いた尾で、多くの放らつな輪を描いた。

忙しかったイーブは、かさなりあう葉音を聞いたが、気にはとめなかった。あたかも野ではイーブの前でそうした戯れをするのをなれているかのように。キルケの一声で集まる姿変わった手下よりは、イーブの一声で集まる獣の方がずっと、従順であった。今や蛇は大胆になり、呼ばれもせずにイーブの前に立った。とはいえ、ほれぼれとした目つきをして、しばし蛇は塔のように立ったとさかと、つやのある雑色の首をさげ、へつらい、イーブが踏んだ地面をなめた。蛇のやさしいおしだまった表情にとうとうイーブの視線は、蛇の戯れに引きつけられた。蛇は注目されたのをうれしく思って、蛇の舌を器官として、あるいは発声に必要な音を出して、たばかりの誘惑を始めた。

 

「最高の女主人よ、おどろかないで、もしおどろくことができても、あなたがたった二人の驚異であると。ましてや、柔和の天上たる君の姿を、私がこうして近づき、私はこの通り一人でいて、飽くこと知らずながめ、だからといって気を悪くして、不蔑をもって装うことのありませんよう。荘厳な額を崇拝し、その額は、こうして一人でいるときの方がずっと荘厳でございます。

 

539−561

あなたは、美しい造り主にこの上なくよく似て美しい。生けるものはあなたをみつめ、生まれながらにさずかったあなたのものとその神々しい美とをあがめ、恍惚のうちにながめられる。それは普通に賞賛されるところでこの上なくよく眺められるが、地上、この自然のままの神の国では、これらのけだもの、未開の眺め手、君に宿る美しさを半分も見きわめる力のない者ら。――ただ一人例外はいるが――のなかにあって、誰があなたを見て理解するというのか、(そして、理解できるが、たった一人では――話にならない。)

あなたの従者、数知れぬ天使によってあがめられ、つかえられる、神々のなかの女神として誰があがめられるべきなのか。

 

と、誘惑者はおせじをいい、ことはじめを調子よく言った。誘惑者の言葉は、イーブの心の中に入っていたが、とはいえ、その声に大いに驚いてであった。とうとう驚かずにはいられずこのように答えた。

 

「これはいったいどうしたこと。人の言葉がけだものの舌で話され、そして人の気持ちを表現するとは。少なくとも人の言葉はけだものには与えられていないものの、神様はけだものをお造りになった日に人の発音はできぬようにお造りになったのだ。ただ人の気持ちのことではとまどってしまう。けだものの顔立ちには多くの理性が宿り、その行動にもしばしそれがあらわれるから。あなた、蛇さん、野のなかで一番狡猾なけだものとは心得ていますが、人の声を備えているとは知りませんでした。

 

562−593

ではこの奇跡をさらに増し、そして言ってごらんなさい。どうして、おしのあなたが話せるようになり日々みられる他のけだものよりも勝って私にこれほどまで親しくなれたのかを。いってごらんなさい。そうした驚きはしかるべき注意を払う必要がある。

 

イーブに向かって、狡猾な誘惑者は答えた。

「この美しき世の女王、まばゆいイーブよ、君がお命じになったことをことごとく申し上げるのはいとも容易、また君に服従してしかるべき私。始め、踏まれた草を食むけだもののようで、食べ物のように卑しく、さもしい思いを抱いており、食物と性のほかは区別がつかず、気高きことは何もわかりませんでした。ところが、ある日、野をさまよっておりますと、たまたま姿形よき木をはるか遠くに認めた。赤らんで金色のこの上なく美しい色とりどりの果で枝もたわんでいた。さらに近づいてみてみた。すると枝からおいしそうな香がただよい、食欲をさそい、(芳香の)セリのにおい。自分の子供たちが、乳もはまずに遊ぶを番をする、夕方に乳がふくらんでたれている雌牛や山羊の乳首よりもずっと私の感覚を喜ばせた。おいしそうなリンゴを味わおうという強烈な願望を満たすため、これ以上引きのばすまいと決めた。

空腹とかわきとが同時に、力強い<説得者>となってかの心いざなう果実の香に活気づき、私を強くかりたてた。苔むす幹のまわりにからみついた。というのも、地面から高いところにある枝は、あなたやアダムが背のびしてやっと届くところにあった。木のまわりには、同じような望みを抱いてほしいと思い、そねんで立ってみていて、とどきはしないけだものというけだものがおりました。

 

594−624

今や木のところにつき、そこでは多くの果がさがり、いとも近くで心をいざない、もうがまんできずに折って腹一杯食べた。そのときまで      にも、それほどの喜びをみいだしたことはなかった。とうとうたらふく食べると、ほどなく奇妙な変化が身体で起こっているのを感じ取ることができた。その変化は、内なる力に理性を授けるほどで、また言葉は長いことないままではなかった。とはいえ、この姿におさまっていてはいましたが。そのときから深遠で高度な思索に考えむけ、広い心で、天上、地上、空にみえる万物、美しくよきもののことをことごとく考えた。しかし、美しくよきものはことごとく君の神々しい姿、絶妙な美の光のなかに合体しているのをみた。君の美しさに匹敵するもの、あるいは一歩見劣りのする美しいものはない。それでこうして、おそらくはご迷惑なのでしょうが、やってきて、被造物の王者、宇宙をすべる女主人と宣言されるにふさわしい、あなたの姿を拝見し、拝んだのです。

 

と、悪霊にとりつかれた狡猾な蛇は話した。イブはさらにおどろき軽率にもこう答えた。

 

蛇よ、私を、ほめちぎってみても、お前にはじめてはっきりとあかされた、その木の果の力は疑わしい。いってごらん。どこにその木がはえており、ここからどれほどのところかを。楽園においしげる神の木のその数は多く、種類は豊富。私達の知らぬ木もある。手を触れずにある果の方が触れたものよりもずっとたくさん残っている。それほど大量にあって、私達が選ぶのにまかされている。触れずにおかれた果は、くさらずに枝にずっとさがったまま。人は授かったものに手助けを借りて、自然が生むものを摘み取るようになる。

 

624−653

イーブに向かって陰険な蛇は陽気に楽しくいった。

 

女王様、道程は手近、長くはなく、天人花の並ぶ向こう、低地のところ、泉のすぐそば、花咲くミルラやバルムの茂みを起こしたあたり。もし、私の案内でよろしいのなら、そこまですぐに連れていきましょう。

 

「では連れていって下さい」とイーブはいった。

導く蛇はすばやくとぐろを巻き、くねる道をまっすぐとみせかけ、すばやく災いへと向かった。希望は高まり、喜びはとさかを輝かした。それを例えれば、油ぎった蒸気でできた鬼火におどろいた夜の旅人が、鬼火に道を迷わされ、沼やぬかるみ、そして時折池やよどみへとたどりつくようなもの。鬼火は夜、蒸気が凝縮され、冷気につつまれてゆらぐと炎をはなち、――悪い霊がその炎に時々ついているのだといわれているが――人を誤らせる光はなって舞い燃え上がる。そのため、旅人は救助からほどとおく、そこで身をすべらせのみこまれ、消えてしまう。そのようにおそろしい蛇はきらめき、信じ易き母イーブを、謀略のなかへ、禁断の木、あらゆる悲痛の源へと導いた。それの木をイーブは見ると、導き手に向かって言った。

 

「蛇よ、ここへは私達はこなくてもよかった。果はありあまるほどここにあるとはいえ、私は果のりなくやってきた。信頼するにたる力がお前にあるのだろうが、この木がそうした結果を生む原因であるなら驚くべきこと。だが、この木の果実を味わいまた触れてはならない。神様が、そうお命じになり、その命令を、神の声の唯一の娘として残していかれました。

 

653−683

その他のことについては、自分自身に対する律法を実践するのです。理性が我らの法。

 

イーブに向かって誘惑者は狡猾に答えた。

「本当ですか。ではこの庭の木のなかの果実をみな食べてはいけないと神はおっしゃったのですか。あなた方は、地と空とのあらゆるものの主と言明されているのに。」

 

蛇に向かってこうイーブは未だに罪なく答えた。

庭の木の果からとって食べていいのですが、庭のなかでこの美しい木の果は別。「この木の果実を食べてもまた触れてもならない、そうなると死ぬ』と神はおっしゃいました。

 

イーブがほとんど言い終わらぬうちに――話は短かったが――今やもっと大胆に誘惑者はなり、人に向かってうわべだけの熱心さと愛、さらには人に対する、悪行への憤りをみせて、猫の皮をかぶり、憤がいにかられたように体うねらせ、――とはいっても美しく、しぐさはすぐれていたが――ちょうど重大なことをいい始めるようなかっこうであった。

それを例えてみれば、今はおとろえているが、雄弁が栄えた古の、ギリシャや自由なローマでの名高き演説家たちはある大義をひっさげて自己統制して立ち、そして一挙一動、言葉よりも聴衆の注意をひき、正義への熱意にかられ、時折直接(じかに)問題に触れ、助言を労して遅れをとらぬようにした。そのように蛇は立ち、動き高まり、熱烈に語り始めた。

 

「ああ、聖なる木、賢明にして智恵授ける木。智恵の母よ。お前の力が心のなかにあるのを感じ、万物の原因をわきまえ、さらには神隠のものであっても、いと高き至高なるものの動きを

 

683−709

たどれる。この宇宙の女王様、死という厳格な威かくを信ずるな。あなた方は死んだりはいたしません。どうしてそんなことになりましょう。果のためですか。果からは智恵に加えて生命をえます。そう威かくした人のためにですか。私をごらん下さい。果に触れ味わった私を。触れて味わったといえ、私は生きており、自分の運命よりも高かろうくわだてることで、運命が私を認めたよりもずっと完全な生命を得た。動物には平気なことが人間にはだめなのでしょうか。それとも神様はそのようなささいな不法に激怒するのでしょうか。いや神様はそうした不風の徳をむしろほめるのではないでしょうか。死がたとえどんなものであれ、死の苦しみに弾がいされながら、いや増しに幸福な生活、善悪の知識に導くものに到達することにぐずぐずしなかったあなた様を。善については、その知識はなんと公正なものでしょう。悪については、もし悪なるものが実在するなら、いともたやすく避けられるのであるから、どうして知られぬままなのでしょうか。それゆえ神は、あなた様を傷つけることができず、またそれで公正というもの。公正でないなら神でない。そうなれば、おそれられもせず、従われもしない。死にたいする恐れそのものが、(神への)恐れを取り除く。ではどうしてこれは禁じられているのか。畏れさす以外にいったいなぜか。あなた方、拝む者を卑しく無知にしておく以外にいったいなぜか。神は知っているのです。あなた様方が木の果を取って食べたあかつきには、あなた様方の目はたいへん澄んではいますが、まだぼっとしておりますが、そのあかつきには目は完全に開き、澄み切って神々が知るように善と悪とを知る、そういう神になるでしょう。

 

710−734

あなた方は、私が(外面はともかく)内面では人となったのですから、神のようになるのはまことにふさわしく、私は獣から人、あなたは人から神となる。だからあなた方はおそらく死んで人を脱ぎ捨て、神をまとうことになる。死は望むべきこと。たとえ威かくされているとはいえ、脱ぎ捨てまとうということ以上にひどい災いがふりかかることはございません。人は神に似ていて、神のような食物を相伴しているのに、その神になれないとは神は何ものでしょう。神は人にさきだってあり、あらゆるものは神々から生まれ出ているという私達の信念につけ入っている。その信念を私は疑う。というのも、私のみるところ、この美しい地球は太陽に暖められて、あらゆる種類のものを生みますが、神々は何も生みません。もし、神々があらゆるものを生むなら、善悪の知識をこの木のなかにとじこめ、この木の果を取って食べるものは誰であれ、すぐさま神の許しなくても智恵を得ることになるようにしたのは誰か、人がこのようにして知ることになるといういったいどの点に罪があるのか。どれくらいあなた様が持つ知識によって神は傷つけられるのでしょう。それとも、知識という知識がみな神のものならば、神の意志に逆らってまで、この木は知識をあなた様にどれほどさずけられるのでしょうか。それとも、あなた様が知識を持つのを嫉妬しているのでしょうか。そして<嫉妬>が天上のけだものにも住んでいるのでしょうか。今まで述べましたこと、こうしたこととさらに多くの理由があるために、あなた様がこの美しい果実を必要としているのです。人なる女神よ、さあ手をのばし、自由に味わいなさい。

 

と誘惑者は語り終えた。その言葉は狡猾にみち、心のなかにいとも容易に入っていった。

 

735−762

体をこわばらせて、イーブはその果実を眺めた。どの果実が心いざなうかをただ眺めようと。イーブの耳には、蛇の説得力にあふれる言葉の響きがいまだに鳴り渡っていた。理性と真理にみちあふれ。

風が近づき、激しい食欲は目醒め、その果実のいとも食欲をそそる臭いに起き上がった。そして、手に取るか賞味するかというまで大きくなった欲望にかられた物欲しそうなイーブのまなざしをその果はこいせがんだ。だが始めしばらくはためらっていてこう考えた。

 

果のなかで最高のものよ、お前の力は偉大であることに疑いない。人の手より離れて置かれているとはいえ、賞賛するに値する。その味は長いこと禁じられていたが、始めてためしてみると言葉語らぬものに語る力を与え、話すようには作られていない舌に、お前をほめたたえるように語らせ方を教えた。お前を食べることをお禁じになった方もまた、お前をほめたたえることを、私達から隠されてはいない。お前を知識の木、善と悪とを知る木と名づけている。そして私達は味わうのを禁じてはいるけれど、お禁じになることでいっそうお前は願わしいものになっている。お禁じになっていることからわかるように、お前によって私達にはかけている善が伝えられる。知らされていない善は確かに私達が持ってはいない善であり、仮に私達が持っていて知らされていない善があるなら、その善を私達は持っていないことになる。簡単にいうと、まさしく知ることを禁じているものによって私達は善を禁じられ、賢くなることを禁じている。そうした禁止には拘束されない。もし死により重ねての禁止で拘束されているなら、私達の内なる自由になんの益あるというのでしょう。

 

762−794

この美しい果実を食べる暁には、私達は死ぬ運命にあるという。蛇はどうやって死ぬのでしょう。食べたのに生きてます。物知りになり、話し、理性を使い、物を見分けます。その前までは分別がなかったのに。ただ私達二人の人のために死が造られたのでしょうか。それとも私達には禁じられているこの知なる食物はけだものにとっておかれているのでしょうか。どうやらそうらしいが、始めて味わったあのけだものは、嫉妬することなく、自分にふりかかった善を喜んで知らせる。疑う余地もない提供者、人には親切で、あざむきだますことからほど遠い。では、私は何をおそれているのか。むしろ善悪、神や死、律法や罰に今のように無知の重みで何をおそれていいかわかりません。ここに万物をいやすものが茂る。この神聖なる果、見目うるわしく、賞味へと誘い、賢くする力を持っている。いったいどうして手をのばし、体と心とをすぐに満たすのがいけないのか。

 

そういうと、軽率な手をいまわしき時よ、果実へとのばし、折って食べた。地は苦痛を感じ、自然はその御座より、あらゆるものを通じて嘆息をもらし悲しみの印をあらわした。なにもかも失われたと。茂みの方へと罪犯した蛇はこそこそと動いた。そうするのも道理。今やイーブは全くその味に心うばわれ、他のことは何ら省みず、その時までそうした喜びを果実を食べて味わったことはないようだった。とはいえ、それが本当であろうと、あるいは知識へのいと高き期待があって、そう思われたのであろうと。

神になったとおもわれた。

がつがつと自由に食べ、死を食べているとは知らなかった。とうとう満腹になり、ワインを食んだかのように意気盛んになり、陽気に愉快に楽しげにこう言い始めた。

 

795−825

ああ、楽園の木のなかでこの上なく高く、力あり尊いもの。その効果は知識を授けるまでにめぐまれている。今まで人目につかず評判よくなく、お前の美しい果を枝にならせたままで、あたかも無目的に創造されたかのよう。でもこれからは毎朝早朝より歌をうたいつつお前を世話し、ほめたたえもしよう。万人に惜しみなく与えるたわわに実る枝から、その肥沃な重荷を楽にしてあげましょう。そしてついにはお前を食べたおかげで知識においては完全な女神になるでしょう。たとえ神々が授けるはずのないものに神々が物惜しみされるにせよ、私は万物を知る神々のようになるでしょう。というのも、もしその賜物(知識の木)が神様方の占有物であるなら、ここにこうして茂っているわけがない。<知識>の次に私が負っている<経験>は最高の導き手。お前に従わなければ私は無知のままであったろう。お前は智恵の道を広き智恵に近づけてくれたとはいえ、智恵はひそかに隠れている。そしておそらく私は隠れて見えはしない。天は高く高く遠くて、天から地上の一つ一つをはっきりとみられない。そして、おそらくは他のことの関心が向いて、(人間を)たえず観察することに、偉大なる禁止者はそっちのけであろうし、またおそばづきの偵察者もいるので、安心している。でもアダムにはそのような者と私は会おう。今ではもう私は変わっていることを知らせ、私といっしょに十全な幸福にあづからせようか。それともむしろ知識という長所を私の力として一人じめし、配偶者に授けぬままにしておこうか。女性には欠けているものを加えると、それだけアダムが私に対する愛も増え、私はアダムと(今より)もっと等しい人、おそらくは望むらくは、いずれは高い者となるでしょう。というのも、劣れるものであって、誰が自由でしょう。

 

826−855

それもそうだが、神が(私を)みていて死をもたらすとしたら。そしたら私、もういなくなってしまい、アダムは別なイーブと結婚し、喜んで暮らすことでしょう。私はいないのに。●ふのは死、はっきりと決心が付く。アダムは楽しみであれ、悲しみであれ私とともに運命をわかちあうでしょう。アダムを大変愛しているから、あの人とともにあらゆる死も耐えましょう。あの人おらずしては生きてはいけません。

 

そういうと、木からきびすを返していったが、始めて、木の内に住む力があるかのようにその力に崇敬をした。その力があることで木には知識をさずける樹液がたまり、その樹液はネクターから生まれ、神々が飲んでいるかのように。その間アダムはイーブの帰りを首を長くして待ち、選りすぐった花で花冠を編んで、イーブの髪に飾り、耕作の仕事の栄誉をむくいようと。例えてみると、刈り手が収穫の女王によくするように。アダムは大いなる喜びと、かくも遅れているイーブが戻ったときの新たなる慰めとを自分の思いとした。だがしばしアダムの心は、不吉なことを予言していて心配になっていた。アダムは震える鼓動を感じていた。イーブに会おうと、初めて二人が別れたあの朝にイーブが行った道を行った。知識の木のそばをとおらなくてはならず、するとそこでイーブに会った。イーブは木のところから戻るか戻らぬかもせぬところであった。手には美しい果のついた枝。その果は綿毛がついていておいしそうで、今拾い集められたものでアンブロシアの香を放っていた。アダムの方へとイーブは急いだ、その顔にはわびが<序>としてやって来て弁明を指令する。物柔らかな言葉で意のままにイーブはこう弁明した。

 

856−885

アダムよ、私がここにいることをいぶかしがってはいないの。いなくてさびしかったわ。あなたがいなくなってからは時間がたつのがおそいように思ったわ。愛の苦しさというのは今まで感じたことはなかったし、二度とないでしょう。というのも二度と決して、いまだにやってみたこともないことを性急にもしようなどという心づもりはありませんから。あなたのいるところから離れるという苦痛を。でもいわれというのは不思議で、聞いてみると不可解なもの。この木は、教えられているように、味わったなら危険をもたらす木でも、私達の知らない悪へと通じる道を持つ木でもなく、目を開かせ味わうものを神にするという神聖な効果を持っている。そして(実際)そのように味わわれた。賢き蛇は私達のように束縛されておらず、また従いもせず、果を食べ、威嚇されていますように死ではなく、食べてからというもの、肉声と良識、賞賛にみあう判断力とを授けられ、たいへんうまく説得するもので、私もまた味わってみて、同じぐあいに効果があらわれました。始めうす暗かったのに、私の目は開き、心は広がり、気持ちも大きくなり、神様に近づいた。そうしたものを、あなたのためにもっぱら捜し求めたのです。あなたがいないのでは、そうしたものを私は鼻であしらうこともできますが。至福というのはあなたと分かち合ってこそ私に至福なのであり、分かち合わずして、退屈になり、すぐさまいやでたまらなくなります。だからあなたも味わって。私と同じ運命、今の等しい愛のように等しい喜びを分かち合いましょう。もし味わわないなら、二人が等しくなくなる。私が神性を捨てるのはもう手遅れ、運命が許してくれないもの。

 

886−920

こうしてイーブは楽しそうな顔つきをして自分の話をした。しかし、その頬にはぱっと赤く燃える興奮があった。他方、アダムはイーブがなした致命的な罪を聞くや驚き仰天しぼんやりと立ちすくみ、ぞっとする悪寒が背すじを走り、関節ががたがたになった。アダムの手はゆるみ、イーブのために編んだ花輪が落ち、しぼんだバラの花弁がこぼれた。言葉もなく真青に立ちすくみ、こうしてとうとう初めて、内なる沈黙を破った。

 

被造物のなかで最も美しいもの。神のみ業のうちで最後に造られた最上のもの。見るにつけ思うにつけ心にかなうあらゆるものに勝れる被造物。神々しく、聖く、善く、愛らしく、やさしい。どうやって堕落したのか。どうやってかくも早く堕落したのか。醜くなり美を奪われ、今や死へと運命づけられているのか。いやむしろどうしてお前は厳しい禁止を犯すことに同意してしまったのか。どうして聖なる禁断の果を犯したのか。いむべき敵のぎまんにひっかかり、いまだに敵が蛇と知らずにいて、そのぎまんで僕をもお前とともにほろぼしたのだ。お前と死ぬという我が決心にかわりはない。お前いずしてどうして生きていけよう。かくもいとおしく結びついた愛と、お前との楽しい話なしにどうやっていけよう。この手を加えられていない森で、また孤独に生きていくためか。たとえ神がもう一人のイーブを造り、僕はもう一本ろっ骨をさし出すにしても、お前を失ったことは心から決してぬぐえない。いや、いや、自然の絆にひかれる自分を感ずる。お前は肉から生まれし肉、僕の骨から生まれ死骨なのだ。お前をおいて僕は離れることはない。たとえ災いがあろうとも。

そういうと悲しむべき困惑から再び慰められ、かき乱された思いのあといやしようのないと思われたものに屈して、冷静になってその言葉をイーブに向けた。

 

921−954

大胆なるイーブよ。大胆な行いをお前はした。また大いなる危険を冒した。お前はあの聖なる果、禁欲を祭った果をほしくなってながめ、しかも触れることが禁じられた果を味わうことまであえてしたのだから。しかしすぎてしまえば、誰がしてしまったことを取り消し、もとにもどせようか。全能なる神でも、運命でもできはしない。たとえ取り消し、もとにもどせぬにせよ、おそらくおまえは死にはしないし、おそらく罪は今となってはさほど極悪ではない。果はすでに食べられており、まずは蛇によって汚されて、まずは蛇によって僕達が味わう前に、平凡な果、聖別されぬ果となっている。しかし今では死ぬはずの蛇は、いまだに生きており、お前のいうように生きて、生命の最高の段階、人として生きられるようになり、僕らには強い刺激でちょうど、同じように味わえば、同じ位上昇できて、それによって神々か、神に近いものにならないわけはない。神は、賢い創造者で、威嚇しながらも、本気で、その第一の被造物の僕らを滅ぼすことはとうてい考えられない。僕らは、いとも尊く高貴であり、あらゆるみ業を支配している。僕らが堕落すれば万物は僕らのために創造され、僕らに依存しているから、必ずや滅びることになり、僕らに服従することになる。そうなると神は、もとの形に戻し創造は益なくなり、創造を行い、もとにもどしだめにするとは、神のすることとは思われない。神は自らの力によりて創造を再びすることができるにせよ、僕らを絶滅させることは好まぬであろう。敵は勝利を得てこう言わぬように。『神がこの上なく慈しみ、人その人の様はうつろいやすい。長いこと神を満足させることが誰ができよう。俺をまずは破滅させ、今では人を。次には誰を、敵に授けられない軽蔑の様を。』とはいえ僕はお前とともに僕の運命を定める。同じような運命を被ることはたしか。たとえ死がお前と交わっても、死は僕には生のようなもの。

 

955−981

僕の心のなかでいとも強く、自然の絆にひかれて、自分が自分自身のもの、お前のなかの僕自身のものにひかれるのを感ずる。というのもお前の姿は僕の姿、僕らの様は分けへだてられない。僕らは一者であり、一つの肉、お前を失うことは、自分を失うようなこと。

 

そうアダムが言うと、イーブはこう答えた。

 

ああ並はずれた愛を輝かしくも試練する。はなばなしいあかし、尊き例、あなたとせり合っていることにかられますが、あなたの完全性には足りず、どうやってその完全性に私はいたれるでしょう。アダムよ、あなたのいとしい肋骨より私が生まれ出たことを誇りに思います。また喜んであなたが私達の一心同体を語るのをお聞きします。一心同体であることの充分な証拠があなたが述べられた決心で今日はっきりしている。死というよりも、死よりももっとおそろしいもののために私達は、こんなにいとしく愛して結ばれているものに離ればなれになるなら、私とともに、もしそういうものがあるなら一つの罪、一つの犯罪、この美しい果実を味わうことをすると。この果の力によって直接にせよ間接にせよ、善よりたえず善がいずるので、あなたが私に対する愛をめでたくもためされる。さもなければその愛はかくも明白に知られることはないでしょう。しかし威嚇されております死をこの我が企て、――果を食べていただく――より生ずると私が思っているなら一人で最悪に耐え、あなたにお願いするのは、私一人見捨てて死なせてくれということで、あなたの平安に有害な罪を犯してくださいということではありません。

 

981−1015

私はかくもまことで比類なく忠実なあなたの愛を今、はっきりと第一番に確かめられたのですから。でも私、結末は全然別に感じるの。死ではなく生命が増え、目は開き、新たな希望、喜びが沸き、いとも神々しい味を味わい、今までだと私の感覚に触れておいしいと思っていたものは、この果に較べると味が落ちにがい。私の経験にかけて、アダムよ自由に食べ、死のおそれを風に流せ。

 

そういうと、イーブはアダムを抱き、喜びのあまりやさしく泣き、アダムが自分への愛を、自分のために神の不興を買う選択、死を伴にしてくれるほど高潔にしてくれたことに大いに心動かされた。償いに、(そのような悪しき追従には、そうした償いが最高に見合う)惜しげもない手で、枝からかの美しき誘惑の果をアダムにさし出した。アダムははばかることなく、よき知識にさからって食べた。あざむかれたのではなく、愚かにも女の魅惑にかられて。地はその内部より震撼し、その様は再び苦しんでいるかのよう。自然は第二のうめき声をあげ、空模様は邪悪となり、雷はごろごろとなり悲しげな雨つぶを致命的な原罪の完成に涙流した。一方アダムは何も考えず、充分に食べ、またイーブも何も考えずに、(アダムによって)おそれられていた一足前の罪を繰り返した。また食べたものも、自分も食べる仲間であるところをみせてアダムをなだめるため。そして今や二人は新しいワインに酔いしれたかのように喜びのなかを泳ぎ、心のなかに神性を感じ、その神性は翼をはやして、翼で地上を侮蔑する。しかしその虚偽の果実は、全く違った作用を始めに示し、肉欲を燃え立たせ、アダムはイーブにみだらな目をなげかけ始めると、イーブはアダムに浮気そうに報いた。肉欲に二人は燃える。

 

1016−1045

とうとうアダムはイーブの心を動かし戯れ始めようとした。

 

イーブよ、今や僕はお前が賞味をしっかりとしやかましく、智恵もなかなかあることがわかる。というのも味を味と理解という二つの意味にとり、味覚を賢明と呼んでいるのだから。僕はお前をほめる。今お前は十分にたくわえをしたのだから。楽しみを多く失っていた。この喜びの果を食するのを控えていて、今まで本当の風味というものを味わって知ることがなかった間は。たとえそうした喜びが僕らには禁ぜられていたもののなかにあるにせよ、その喜びが、この一本の木のかわりに十本が禁ぜられたればいい。でもおいで、大変元気づけられた。さあ遊ぼう。そんなおいしいごちそうのあとにはふさわしいように。というのもお前の美しさはお前に初めて会い、結婚した日から全く完全な美しさで飾られ、僕の気持ちはお前と楽しむという熱心さにこれほど燃え上がったことはない。今までよりも今はずっと美しく、この力ある木の恩恵。

 

そういうと、愛の思い込めたまなざしと愛撫とにアダムはがまんできず、またイーブのそうしたまなざしと愛撫とをよくわかった。イーブの目は有害な火を放っていた。イーブの手をアダムはつかむと、頭上にあつく緑の屋根でこんもりとおおわれた影なす台地へとなんら嫌がることのないイーブをつれていった。花が寝床。パンジー、スミレ、水仙、ヒヤシンス。地上で最も新鮮で柔らかいひざ。そこで二人はもっぱら愛を満喫し、愛の遊びにふけった。二人して犯した罪の封印、二人の罪の慰め。とうとうさわやかな眠りに二人はしいたげられた。それも二人の愛の遊びに疲れて。

 

1046−1066

その過てる果の力は、心地よい気分を浮き立たせる瘴気を起こして、二人は遊びまわり、内なる力に罪を犯させたが、今や蒸発し、じんじょうではない罪にめざめた眠りに妨げられ、臭気から生まれた鈍い眠りを今や残すと、とたんに二人は起き上がった。ちょうど不安にかられたように。互いに顔を見かわし、すぐに目がどんなにか開き、心がどんなにか暗くなったかがわかった。ベールのように、悪を知ることから二人をおおっていた無垢は今なくなった。正しき信頼、生まれながらの正しさ、名誉は二人から去り、●●のままで罪深い<恥>へと委ねられた。隠してはみたが、服はかくせない多くのところがあった。ちょうど力強いダン人ハーキュリーのようなサムソンをペリシテ人ダリラの売奴の膝より起こし、当のサムソンは力を奪い取られているといったように二人は、二人の持っていた徳力に欠けている。黙って困惑した顔つきで二人はすわり、無言になったようだった。とうとうアダムは、イーブのように恥じらっているとはいえやっとの事で口を開いていった。

 

1066−1109

ああイーブよ、悪しくもかの悪しき蛇にお前は耳を貸した。誰か、教えられて人の声を似せる蛇に。僕らの下降は真であり、昇進という確約はいつわり。なぜなら僕らの目が確かに開いたのはわかり、善と悪との両者を知っていることをも。それも善は失われ、悪を得、知識という果は悪しきもの、もしこれが知るということなら。知識の果のため僕らはこのように裸で名誉、無垢、信仰、清純を欠き、日頃の飾りも今や汚しよごされ、顔には悪しき好色の印がはっきりと現れる。悪はたくわえられ、悪のなかでも最悪の恥辱さえも。軽い悪はもちろんのこと。これから、神や天使といかにまみえよう。         

天のみ姿には今では耐えがたいほどの明るい炎のため、この地の僕らは目もくらむであろう。ああ、この地上にあって孤独で野人のように生きるとは、暗い森のなかで。木は高く星や陽の光も適さず、その影を一面に広げ、夕方のようにとび色をしている。松よ、僕をおおってくれ。杉よ、数知れぬ枝で僕を隠しておくれ。もう二度と天のみ姿と会えぬように。さあ、僕らはぶざまなかっこうをしているから、今恥辱となりやすくみ苦しい大事なところを隠そう。ある木の大きく柔らかな葉は、それをつなぎあわせ、腰に締めて恥部を隠せ、そしてこの新来者の恥辱はそこにすわり、不浄といって責めることもない。

 

そうアダムは忠告し、二人はいっしょに茂れる森へ行き、そこですぐにいちじくの木を選んだ。それは果実という普通に知られているものでなく、現在インドに知られていて、マラバやデカンで広く長くその腕を広げ、地面にたわんだ小枝が根をはり、それが娘となって母の木あたりは育つ。高くアーチの形となった柱の影となり、その木々の間には、こだまする小道があった。そこではしばし暑さを避けて、インドの牧夫が涼を求めて宿り、茂れる影を通り抜ける狭間から

 

1109−1142

草を食む羊を見守る。この葉を二人は集めたが、その広さはアマゾンの盾ほどで、技の限りをつくして縫い上げて腰にまとう。その罪とおそるべき恥辱とを隠すためなら空しくおおうもの。初めの裸のままの栄光となんと似ぬことか。羽のベルトを腰にまとい、その他は裸で島や木茂れる小影の木々の間で狂乱している姿をコロンブスはアメリカ人がしているのをみつけた。そんなようにおおって、恥部を一部分かくせると思ったが、おちつかず心休まらず、座ると、泣き、涙が目から雨のようにこぼれるばかりか、心のなかではさらにひどい強い風、激情、怒り、憎しみ、不信、疑惑、不和が起こり始め、内なる心のさま、かつてはおだやかな場、平安満ちる場をひどく揺さぶり、今や上に下にとかき乱される。というのも<理解>が支配せず<意志>も今や<食欲>に服従し、<食欲>は低い身分だてらに至高の理性を侵害し、すぐれる支配を主張した。このような異常な胸から、アダムは表情も変わり、変わった語調で、中止に終わった話をこうイーブにしかけた。

 

ああ、お前が今朝僕の言葉を聞きわけ、お願いしたように僕といっしょにいてくれたら。あの時にお前がさまよいたいという望みを、どこからかわからぬその望みを抱いたのか、聞いてくれたら、今でも幸福のままで、今のように僕らの善性を奪われて、恥辱で、裸で、みじめであることはない。これからは誰にも信頼をためすという不要な主張を求めさすな。そんな証(あかし)を本当に求めようものなら、堕落しだしていると決めてよい。

 

1143−1167

アダムの非難に心動きイーブはアダムに言った。

 

なんという言葉をおっしゃるの、きびしいアダム。それを私の過ちのせいにするの。あなたの言葉を借りると、さまようという意志のせいにするの。たとえあなたがそばにいても、悪しくも起こっていたかも、そうあなたにふりかかっていたかもしれないじゃない。あなたが仮にその場に居合わせても、そうあなたが一人のところにその誘惑があったなら、あなたにだって蛇の計略、蛇が語るような話をみ抜けはしなかったわ。恨みを抱く理由など蛇と私との間にはないわ。どうして蛇は悪しきことを私にもくろみ、また害しようとする理由など。あなたのそばを決して離れてはならなかったのでしょうか。生命持たぬあばら骨のままあなたの肋骨についていた方がよかった。そのような私を、頭であるあなたはなぜ決して行くなと、あなたがおっしゃっていたような危険に向かうなと命じてくださらなかったのでしょう。あの時大変優しかったあなたは多く反駁もせず、いや許し、認めて、親切に手放してくれた。あなたが首を振らぬことにしっかりと心決めて下さりさえしたら、私は罪を犯すことなく、またあなたもそういうことはなかったでしょう。

 

イブに、初めて怒りを覚えたアダムは答えた。

 

これが愛か。これが僕の愛がお前に対する報いか。忘恩のイーブよ。私でなくお前が堕落した時に変わらぬ愛を示したその報いか。朽ちはてることのない至福を楽しみ生きることができたのに、喜んでお前といっしょに死を選んだのは私だ。

 

1168−

お前の罪の原因として、僕は今責められるのか。お前をとどめるのにきびしくするのがたりなかったようだというので。あれ以上何ができたろう。注意し、警告し、危険とひっそりと待ち受けている敵とをあらかじめ言っておいたではないか。これ以上のことをするのは暴力。自由意志への暴力などというのはこの場合のどんな点にもない。しかし、僭越にお前はかられて、危険にあわないとか栄光の試練という口実をもうけるまで大胆になる。そして僕もたぶん誤っていて、どんな悪もお前を●●●と思うほどの完全さをお前が持っているようなことを過度に賞賛しすぎて。だが今僕はその誤りをくやむ。その誤りは僕の罪にふさわしくお前はそれを告発するもの。女の価値を過信して、女の意志に従う者にその誤りはふりかかる。おさえられる女はその侮辱にがまんできず、たった一人になり、そのために悪が生ずると男のもろい甘やかしを女は責めるであろう。

こうして二人は互いに責めて、自分を責めることなく、実ない時間をついやしたが、むなしい争いはいつ果てるとも思われなかった。

 

10

1−33

そうしている間に、楽園でなされた魔王の極悪な忌むべき所行と、蛇の形をした魔王がいかにイーブを邪道に導き、またイーブは夫を導いたかが天で知られていた。あらゆるものをみている神の目からは何事がのがれられ、また全事を知る神の心を何事があざむけよう。神は万物において賢明で正しく、魔王が人の心を誘惑することを妨げはしなかった。人の心は全き力と自由意志とで武装され、敵、みかけだおしの友人のいかなる悪だくみを発見し撃退しえたほどに完全であった。誰に誘惑されようと、その果を食べるなという至上命令をたえず知っていたし、またたえず覚えておくべきだった。その命令に人は従わず、そのために罰が下った。罪は増し加わり、人は堕落に値していた。楽園から天上へと急いで警護天使は昇っていった。黙って人のことを悲しみながら。人の様をこの時までには天使らは知っており、狡猾な蛇が、みつからずに入口をみつけ入りこんだのをおおいにいぶかしがりながら。

ありがたくない知らせが地球より天の門のところにとどくや、知らせを聞いた者は気分を悪くし、その時ばかりは悲しみにかられ天使の顔が曇った。とはいえ、その悲しみにはあわれみがまじり、天使らの至福を冒とくはしなかった。到着したばかりの天使らのところに、天上の人々は群れをなして走りよった。そしてことの次第を聞き知った。警護天使は至高のみ座へと急ぎ、正しく申し述べて警護を弁明しうるものとした。その最高の警護は容易に認められた。その時至高なる永遠にまします父はその秘かなる雲のなか、雷のなかからその声を発した。

 

34−67

集まった天使らよ、そして成功せぬ務めより戻った天使らよ。地球からの知らせにうろたえるな。また困惑するな。それは、汝らの誠実なる保護によって避けえず、またこの誘惑者が地獄を出て深遠を渡っていった時に何が起こるかをごく最近予示していても。その時言っておいたが、誘惑者は勝ち、悪しき使いに成功を収め、人は誘惑され、あらゆる点でこびられて自分の造り主の趣旨とは違う虚偽を信ずる。私の命令は、人の自由意志と協力して、人の堕落を必然のものとし、衝動という一番軽い力でさえもその自由意志に触れることはなく、自由意志の傾くままに、平衡にしておいた。しかし人は落ちた。今となっては残っていることは、人の罪に死の宣告をすることだけだ。堕落の時に宣告される死を。この死を人はもうむなしく力ないものと、おそれているように直接、いまだに示されていないために考えてはいる。しかしすぐに、慎んでいることが債務消滅でないと、堕落の日が沈む前に知ることになろう。正義は、施しが侮蔑されたために戻ることはない。人を裁くために誰を送ろうか。お前の他いったい誰が。名代の息子よ、お前にあらゆる判断を、天であれ、地であれ、地獄であれ委ねよう。お前を送って正義と組した慈悲をもくろんでいることを容易にみてとれよう。お前の人の友、私と人との仲介者、人のためにもくろまれた自発的に償いあがなうもの、堕落した人を裁くために自ら人と定められたもの。

そう父は語り、右手の方に向かって、輝かしい栄光を示すと、一点の曇りなき神性がみ子に向かって炎のように燃え上がる。み子はまばゆくきらきらと輝き、父の姿をはっきり表して神々しくも柔和にこう答えた。

 

68−102

永遠にまします父よ。あなた様の役目は命ずることであり、天と地での私の使命はあなた様の崇高なるみ意志を実践すること。あなた様が、愛しておられる息子、私にいつも満足していられますように。地上へ行きあの罪人らを裁断いたしますが、ご存じのように誰が裁かれようとも降誕の時がやってくれば、私にこの上なくひどい災いがふりかかります。というのもあなた様の前でそう約束いたしましたから。とはいえ約束したことを悔やんではおらず、正しきこととしてこれを達成し、自分に転化される人間の運命を和らげられるよう。だが十分に満足するまで正義と慈悲とをこの上なくはっきりあかし、あなた様をなだめられるように、正義に慈悲を盛りましょう。従者や付き人は必要ありません。そこでは裁かれる二人の他は、裁断をみることが誰もできません。逃亡によって罪をあかし、あらゆる法に反逆する第三のものは、誰もいないところでこの上なく罰せられよう。罪の自覚が蛇には全くない。

 

こう語ると、神とならぶもののその輝かしき栄光を伴うみ座より立ち上がった。み子に天の門のところまでついていったのは、宝座天使、威力、君権、統治の各天使ら。門のところからエデンとその一帯とが一望にみえた。すぐさま降り行った。翼を時間たつごとに打つとはいえ、神の速さを時は測りえず、さて陽は、真昼の高さより、西に低く沈み、その頃には当然のこととしてやさしい風が今や目ざめて、地上をなで、夕べの冷気を導き入れる。その時、み子は怒りよりさめて、人を裁く柔和な裁き手、仲介者としてやって来た。庭を歩く神の声が、やさしい風に乗って二人の耳に伝わるのを聞いた。日は沈んでおり、二人は声を耳にしたが、姿をかくそうと茂れる木々の間にかくれた。夫もその妻もともに。とうとう神は近づいてくると、アダムに大声でこう呼ばあった。

 

103−131

アダムよ、どこにいる。お前は喜んで遠くにみえた私の到着を迎えていたのに。ここにお前がいないのが残忍だ。こうして孤独に出迎えを受けるのに気分はよくない。ここではしばらく以前には出迎えという義務が求めずしてあった。私の方がはっきりみえないのか、それとも何か偶然にもひきとめられているのか。出ておいで。

 

アダムは現れ、またイーブもともなっていた。イーブはもっと嫌がっていたが、とはいえ初めに罪を犯していた。二人は共に恥じらいつつ、不安な様子であった。愛は二人の表情にはなかった。神に対しても互い同士にしても。しかしはっきりとしているのは、罪、恥辱、困惑、絶望、怒り、強情、憎しみ、狡猾であった。現れたところよりアダムは長いこと口ごもりながら、こう手短かに答えた。

 

庭にいるあなた様の声を聞き、そしてあなたの声をおそれています。裸なので身をかくしています、

 

アダムに対して慈悲深い裁き手は悪口を言わずに答えた。

 

私の声をお前は幾度も聞き、恐れはせずたえず喜んでいた。今お前にはどうしてこの声がそんなに恐ろしくなったのか。お前が裸と誰がお前に言ったのか。食べるなという義務を課しておいた木の果をお前は食べたのか。

 

神に向かってひどく動転してアダムは答えた。

今日悪しき窮境に立たされている。罪をすべて自分で被るか、それとももう一人の私、生きわけた者を責めるかという。妻の堕落を妻が僕を信頼してくれている限りは、隠しておき、不平を言って責めるべきでありません。

 

131−158

しかし、どうしてもやむえず、隠さずに申し上げます。また悲惨な災いを受けているので。私の頭にさもなくば罪と罰とが、たとえどんなに忍び難いものであれ、みなふりかかるように致しましょう。たとえ私が黙っているにせよ、容易に私が隠すことをお感じとりになるでしょう。私の助け手としてお造りになり、完全なたまものとして私に下さったこの女は、有徳で、私にぴったり合い、相性もよく、大変に神々しく、この女の手から悪しきものを受け取るとは寸分も思っていませんでした。この女のすること、したこと自体が何であれ、その所業は、行いを正当化しているようにみえた。女は私に木の果をくれ、それを私は食べた。

 

アダムに向かって至高なる存在者はこう答えた。

 

女はお前の神か。それでお前は神のことばよりも女に従ったのか。それとも女を、一段高い導き手、あるいは等しくとも導き手として、男の権利と地位とを放棄したのか。権利と地位とは、神が女よりもお前を高きに定めたもの。そして女はお前より生まれ、お前のために造られた。お前の完全性は、その現実の尊厳において、ことごとく女のそれにはるかに勝っているのに。なるほど女は飾られて、美しく、お前の愛を引き付けるが、お前が女に払う服従をではない。女の才能は、支配下にあってふさわしいものであり、支配するにはふさわしくない。支配するのはお前の役目、役割。もしも正しく自分自身を知っているなら。

 

そうおっしゃると、神は言葉少なにこうイーブに言った。

さあおっしゃい。お前がしたことが何なのかを。

 

159−187

神にむかって恥辱を受けて、気も圧倒せられんばかりに悲しんでいるイーブはすぐに告白したが、とはいえ裁き手の前では大胆にではなく、また言葉も多くなく答えた。

 

蛇が私をあざむき、私は食べました。

 

それを主なる神が聞くと、遅れることなく、裁定を告発された蛇に下した。

蛇は動物とはいえ、自分を悪巧みの道具にし、神の創造の目的からそらして汚してしまったものに罪を帰せることができなかった。本性が汚れたものとして、まさしくその時にのろわれた。蛇が道具であったこと以上を知るのは人にかかわることでないし、(というのも人はそれ以上を知らなかったのだから。)また、人の罪に変わりない。

その時一番よいと考えられていた不可解な言い方であったが、神は最後には、罪を最初に犯したサタンに判決を下した。そして蛇にはこのようにのろいをかけた。

 

お前はこれを行ったから、あらゆる家畜、野のあらゆるけものに勝ってのろわれる。お前は腹ばいになって進む。そして土を生きている間中お前はくらうであろう。お前と女の間に敵意をおき、また女の種とお前の種との間に。女の種はお前の頭をくだき、お前は女の種のかかとをかむであろう。

 

こう託宣を語れるが、それが立証されるのは、第二のイーブ、マリアの、その息子のイエスズが、サタン、中空の王が天より雷光のように落ちるのをみた時であった。その時イエスズは、サタンの墓より昇り、支配と権威をいためつけ、たからかに凱せんとして、かがやける

 

187−217

昇ると、中空を捕虜を引きつれていく。中空はサタンが長く強奪していたところ。サタンをイエスズは結局我々の足もとに踏みつける。まさしくその方が蛇のする致命的な打撲を予告し、女に今度は宣告を下した。

 

お前の悲しみを、お前がはらむゆえに私はおおいに増やそう。子供をお前は悲しみのうちに生み、天の意志にお前の意志は従い、夫はお前を支配するであろう。

 

アダムには最後にこう裁きを下した。

 

お前は妻の言葉に耳を傾け、木の実を食べた。その木のことで、お前に「木の実を食べるな。」という義務を課しておいた。お前のために地は呪われ、お前は悲しんで生涯ずっと地からとれるものを苦しんで食べるであろう。刺もアザミもお前のために命ぜずして生まれ、野の草をお前は食べることになろう。顔に汗流してお前はパンを食べ、ついには地へと戻る。というのはお前は地より取られたもので、お前の出生を知れ。お前は塵だから塵に帰る。

 

そう神が人を裁いたが、裁き手でもあり救い主としてもつかわされていたので、その日に宣言された死、その即座の打撃をずっとさきにのばした。そして、自分の前に今や変化を被らなくてはならぬ大気にさらされ裸で二人が立っている様をあわれに思い、その時より下僕の形をまとうことを潔しとされなくはなかった。神がその下僕の足を洗ったときのように、そのように今二人の裸形をおおってやった。

 

217−

神は人の裸姿を獣の皮でおおったが、その皮が殺害された獣のものか、蛇のように脱皮して残った皮のようであった。そして、神の敵である人をまとわせるのを面倒と思わなかった。神は外面が獣の皮でおおわれているのを面倒と思わなかったばかりか、内なる裸姿をはるかに不快なものとしてお考えになり、義の衣で、父の目からは隠れるようにいとわずまとわせた。父のもとへと急いで昇り戻り、父は子を古と同じ栄光のうちに、父の至福のみ胸に受け入れられた。心安んぜられた父に向かってことごとく、――全部父はご存知だったとはいえ――人間に起こったことを順を追って快き取りなしを交えて語った。

 

こうして罪が犯され、地上に裁きが下る前に、一方では地獄の門のところに罪と死とがすわっていた。今や広くあけはなたれた門の内側のところで反対向きになって、ものすごい炎が、大敵がとおり、罪が開いてからというもの、混沌の奥深く吐き出ていた。罪は今やこう死に向かって語り始めた。

 

息子よ、どうして私達はここでお互いをむなしくすわっているのでしょう。我らの大いなる造り主のサタンが別世界で成功を収めて、そのいとしき子孫の我らのために幸多きみ座を与えて下さるというのに。サタンの行くところ常に成功ということに疑いない。もし不運があったら、もう前に復讐者の怒りに追われてもどって来ているでしょう。というのも、この場ほどあの方の罰に、そして復讐者の復讐にふさわしい場所はないのだから。

 

243−278

なんだか新しい力がわいてきて、羽がはえ、この深遠の向こうに私に大きな支配力が授けられる気がする。こうして何かが私を引きつける。共感であれ、同性の引く力であれ、秘密のひそかなる親近により遠くに離れている同種のものを結びつける力を持っているような気がする。お前は切っても切れない影だから私といっしょにおいで。というのも、どんな力も死と罪とを切り離せはしない。が、この道もなく、通行不能の溝を越えて戻ることに困難があって我らの父の帰りがおそらくはのびることのなきように冒険的な仕事をしてみよう。お前の力と私の力とにはいまだふさわしくなくない仕事を、この大海の上に地獄から新世界への道を建ててみよう。新世界では父サタンが今や勝利を収めていて、この道は地獄の者らにはいと高き功を示す大建造物。これからは運命の導くところに従い、行き来、永住のために、地獄の者には安楽な道。私はまた、この新たに感じられた魅力、本性に強く導かれているので、道をまちがえることはない。

 

罪に向かってやせおとろえた影がすぐに答えた。運命や強い好みに導かれるところに行け。遅れをとらず、あなたが導いて下さるから、道をあやまたずに私は行く。死がいの山、数限りないえじきの臭いを吹い、そこに生きているものから死の味を賞味する。あなたが着手する仕事を手伝えぬわけはなく、あなたがするのと同じ力を払いましょう。

 

こう言うと、喜んで地球に起こる死の変化の臭いをかいだ。その様は、飢えた鳥の群が、たとえ何リーグとなく離れていても、戦いの日に備えて、軍隊が野営している野へと、翌日血なまぐさい戦闘で死へと定められている生ける屍の臭にさそわれて飛んで来た時のように。

 

 

●279−320

そのようにきびしい顔をしてにおいをかぎ、こんなに遠くからでも、獲物を感じ取るその広き臭孔を陰気な空気のなかへと向けた。すると二人は地獄の内より出でて、じめじめして暗い混沌の荒涼たる広き無秩序へとまちまちに飛び、力を込めて、(その力は大きかったが)海上を舞う。そこで出会うものは、中身のあるねばねばしたもので、上に下にと揺れる荒海のなかにいるようで、いっしょにつめこまれ、両側からつみあげられて、地獄の門へと押し込まれる。それをたとえてみれば、北極海上で逆に吹く、北風と南風とがあわさって、シベリアの河ペトソーラの向こう、東の方に抜けるキャセイの豊かな地へと続く想像上の道をくいとめる氷山を動かす時のよう。

集められた、冷たくかわいた土を死は、三又ほこで打つかのように杖で石化させ、昔浮かんでいたデロスのようにしっかりととめた。もう一人の死、その視線は動かぬようにと、ゴルゴンの堅さで、そしてアスファルト質の粘りでつなぎとめた。(地獄)門の広さに、また深く、地獄の根底にまで、その集められた小石をつなぎとめ、あわ立つ深遠にかかる巨大な港をつくり、この今や防備のない世界の不動の壁に、巨大な長さの橋をつなぎとめる。ここから地獄に下る道は広く、なだらか、容易、邪魔がない。もし大なるものを小なるものにたとえてみるならば、クセルシィーズはギリシアの自由を軛につなごうとして、いと高きメムノニアの宮殿、スーザより海に出でて、ヘレスポントにかかる道を築き、ヨーロッパをアジアと結びつけ、憤った波を幾度となくムチ打ったそのようなもの。今や二人はすばらしき橋造りの技によって、その仕事、張り出した岩のうねをかき乱された深遠にかけ、サタンの進んだ道を追い、飛しょうより初めて降り、混沌を抜けて無事に上陸した場、即ち丸い世界のむきでた外面、その場所まで。アダマント製のピンと鎖とで、万事をしっかりとつなぎとめたが、大変がっちりとまた不変にもつように

 

320−356

さて今や小さな場所で至高天とこの世との領域が出会い、左手には地獄が長い広がりでもって間におかれた。三つの違った道がみえており、この三つの場所のそれぞれの所に通じている。さて今や二人が作った地球への道を二人は認めて楽園へとまずは向かう。その時二人はサタンが輝ける天使の姿をして、白羊宮から太陽が昇る間に人馬座とさそり座の間を全頂に向かって進むのをみた。返送をしてやってきたが、とはいえ、いとして二人の子供たちは、変装したその両親をすぐに見分けた。サタンはイブを誘惑したあとで、気づかれずにすぐ近くの森のなかへとこそこそ入って行き、姿を変えて事のてんまつをながめ、自分がした狡猾な仕わざが、全く知られずにイーブによってその夫に繰りかえされるのを見届け、むなしいおおいを求めた二人の恥辱を確かめた。しかしサタンは神の子が下り降りて二人を裁くときには、おそろしくなって逃げたが、逃げおおせるという望みを持ってではなく、罪あらばみ子の怒りが突然課するものをおそれて。それがすぎると夜までにははい戻り、不幸な二人がすわって、悲しい話をし、あれやこれやと嘆いているところに聞き耳をたてて、それで自分の運命をおしはかり、即座にではなく、将来の運命であることも理解した。喜びと知らせとに満ちて、地獄へと今や戻った。この驚くべき新たなる橋のたもとの近く、混沌の波打ちぎわで、希望もせぬのに自分に会おうとやって来る者、いとしい子孫らに出会った。彼らが出会ったときの喜びは大きく、あの驚くべき橋をみて、サタンの喜びはました。長いこと賞賛して立ち、ついに<罪>、美しく魅惑的なサタンの娘はこう述べた。

 

「ああ親よ、この橋をご自身のものとみておられませんが、これはあなた様がなした壮麗な仕業記念物、あなたは、この仕業をなしたるもの、最初の建築家。

 

357−391

というのも、(私の心は、秘かなる調和の力でたえずお父様の心と、素敵な交わりをして結びついているので、動いていて)お父様が地球で成功をおさめたことが、心にピーンと来まして、――成功をおさめられたことはお顔に書いてありますが――すぐさま世界をへだててお父様からは離れているとはいえ、この我が息子と共に後を追わねばと感じたのでした。そうした運命のてん末で私達三人は出会ったのです。地獄はもはや私達をその領域にとどめおくことができず、またこの旅を不能にするこの暗黒の深みがあるからといって、お父様の輝かしい軌跡を追うことを引きとめられはしない。お父様は、今まで地獄の門に閉じ込められていた私達の、その自由を勝ち得て、こんなに遠くまでこの巨大の橋をつくり、暗い深遠にのりきるまでにしてくれた。今やこの世界のものはみなお父様のもの、お父様のお力によって、お父様が御手づから造られたのではないものを勝ち得、お父様の智恵によりて有利に戦争で失ったものを得て、天上での敗北を充分に果たしました。この地、地球でお父様は統治することになります。天上にいたときには統治していらっしゃらなかったのに。天上は、戦いによって決まったとおり、勝者であるものにたえず治めさせ、この新世界よりその勝者自身の判定として手を引かせ、以後、お父様と王国のあらゆる所の主権を分かち合い、至高の天の領域によって、正方形の都と、お父様の円形の世界から分けさせるが、あるいは勝者のみ座にはずっと危険なものであることを知らしめよ。

 

この娘<罪>に向かって暗黒の王は喜び答えた。

「美しい娘よ。そしてお前、息子にして孫よ、サタンの一族たることを気高くもお前たちはあかしている。(というのも我が名は栄光、天上にいる全能の王の敵対者)お前たちは、俺と、地獄の仲間たちとに報いてくれた。そのことは勝利の天の扉のかくも近きところで勝利の技に、即ち俺の技と、この[橋という]

 

391−429

お前たちの仕事とみあい、地獄とこの輝ける地球とを一つの世界、一つの領域、容易にかよえる地続きとした。それゆえ、俺が暗黒を下り、安々とお前たちの造った道を通り、俺の仲間のところに行く間に、お前たち二人はこちらの方、すべてお前たちのものである、この数ある天球のなかでも楽園へとまっすぐ下れ。そこで至福のうちに住み治めよ。そこから中空の支配を行え。とりわけ、万物の唯一の主といわれる人を。人にまずはお前の奴隷とし、そして最後には殺せ。我が代理者としてお前を送り、地上で全権を有し、俺より出ずるたぐいなき力持つものと創造している。この新王国の俺の支配は今やお前たちが共に行う活力にかかり、俺の偉業で罪ゆえに死にさらされているが、もしお前たちの合体した力が勝利を収めるなら、地獄のものごとは、なにか害の加わることを恐れる必要はない。行け、そして強くあれ。

 

そう言うと、サタンは二人を行かせ、二人は迅速に群がる星座へと進路をとり、害毒を広める。害された星は悲しそうにみえ、惑星は悪影響を受け、真の蝕をその時被った。別な方向へ地獄の道へとサタンは下り降りた。両側では道を建てられ引き裂かれた混沌が叫び声をあげ、はねかえる大波で道の仕切をおそったが、仕切りは混沌の憤りをあざ笑っただけであった。広く開き、見張りのいない門を通っていくと、あたり一面人がいないことがわかった。というのもそこに住まわるよう定められた者、 <罪>と<仕>とはその持ち場を離れて、上の世界へと飛び去っていったからである。他の地獄のものどもは、みなはるか奥地へ、伏魔天の壁のあたりにいた。そこはサタンにたとえられるあの輝ける星、類推によりルーシィファと呼ばれる星の名を持つ都、誇れるみ座。そこではレギオンが警備にあたり、一方では首脳が会議の席につき、どんな偶然がわざわいして、自分達の、派遣された皇帝の帰還が妨げられている

 

429−466

のかに気をもんではいたが、離れていた者が命じたように、彼らはその命令を守っていた。それを例えてみれば、タタール人が敵ロシア人からアストラカンを退き、雪の平原を越えていったときのよう。またペルシャの王がトルコの三日月のつののためにアラドゥール領域以東をことごとく荒廃のまかすままにし、タウリスやカスビンに退いた時のよう。そのように、近頃天を追われた者達、天使達も、何リーグにも渡り、一番はての地獄を荒れ果てたままにしておき、退いて首都周辺を注意深く偵察していた。そして今や時経つごとに自分達の偉大な冒険者が、外の世界の探索より戻ることを期待していた。サタンはその中心に気づかれずに、低い階級の兵士姿をした天使に身をやつし入って行った。かのプルートのホールの戸から姿も見えずに至高のみ座へと昇り、そこは豊かな織物の天がいのもとに広がり、上手にあって王の輝きがあった。しばらく、サタンは腰をおろしたが、みつからずにあたりを見渡した。とうとう雲から出たように、サタンのきらめく頭と、星と輝く姿が現れた。その輝きは星よりも明るかったかもしれず、堕落以来サタンに残された許される限りの壮観、虚偽の輝きに包まれていた。突然のきらめきに、一同は驚き地獄の者どもはそのまなざしを向けた。その者をみることを彼らは望んでいたのだった。彼らの力強き首領(おさ)は戻ったのであった。かっさいは大きかった。談合していた首脳らは、暗き御前会議より立ち上がり、急いで進み出で、他の天使と同じく祝福するような喜びようでサタンに近づき、サタンは手で静粛を促し、次のような言葉で注意を引きつけた。

 

宝座、統治、君権、徳能、威力の諸天使よ、権利の上でばかりか、そのようなものを持つという点でそう呼び、諸君に今や希望を絶するほどの成功をおさめて戻り、勝利収めに諸君を、この忌むべき、呪われし地獄のくぼみ、悲惨の家、我らをおさえつける僭王の土牢から導き出そう。

 

466−503

さて今や主として広き世界、我らが生まれし天にほとんど劣らぬ世界を所有せよ。それは我が困難な冒険により、大いなる危険を持って勝ち取られた。私のしたこと、どんな苦しみを受け、どんな苦痛を受けて、おそろしく混乱した、実体のない、広大で、限りのない深淵を渡ったかを語れば長くなる。深淵を越える、<罪>と<仕>とに今や舗装された広き道があり、諸君の栄光の行進もはかどることであろう。しかし、私は苦心して我が孤独の道を歩み、御しなどできぬ深淵を乗っていくことを余儀なくさせられ、創造者をもたぬ夜と野蛮な混沌の胎のなかへとつき進んでいった。混沌は、その秘密をおおいに用心して、見知らぬ私が渡り行くことをおそろしくも反対し、大きな叫び声をあげると、至高の運命に訴えた。そこからいかに私は新世界を発見したことか。その風評は天で長いこと予言されていた。完全な姿をしたすばらしき造物。その中の、楽園に人は置かれ、我々が出ていったおかげで幸福にしてもらっている。人を謀略によりかどわかし、創り主からそらし、それも諸君いやましに驚かれるであろうが、リンゴでかどわかした。創り主は、――諸君は笑われるであろうが、――それに憤り、その愛する人間と全世界とを見捨て、<罪>と<死>のえじきにし、そして我々には、危険も、労苦も、心配もなく、この地球におり住み、人が万物を支配していたように、人を支配するようにした。確かに私もまた神は裁いたが、むしろ私でなく無知の蛇を出会った。その形を借りて人を私はだました。私にかかわる裁きは、きゃつが私と人との間におこうとする敵意だけである。私は人のかかとをかむことになっており、人の種は、時は決められてはいないが、私の頭をくだくことになっている。誰がひとかみ、いや嘆かわしい苦痛で世界を買わぬ者があろう。諸君は、私のしたことの精算をする。諸君、神々よ、立ちあがり、充分祝福されて世界に入る他に何が残されていよう。

 

504−237

そういうと、しばらく立って、仲間が全員歓喜の叫び声をあげ、いとも気高く賞賛して、自分の耳をつんざくかと思ったが、その時逆にサタンがあたり一面から聞いたのは、数限りなき舌より出ずるおそろしい全軍のシューシューという音。あからさまな侮蔑の音。サタンはいぶかしく思ったが、充分な猶予もないうちに今やもっと自分自身をいぶかしく思った。自分の顔立ちが鋭くほっそりと引きのばされ、腕は肋骨に押されつき、足は、互いにからみつき、とうとう足をさらわれてサタンは倒れ、腹ばいになった巨大な蛇となった。逆らってはみたものの無駄であり、大いなる力が今や彼を支配し、サタンが罪を犯した形をとって、蛇に下された裁きに従って罰せられた。サタンは話そうとはしてみたが、シューシュという音は、先の割れた舌より出でて、シューシュという音となって先の割れた舌に戻った。というのは、今や皆同じ姿へと変身した。皆、サタンの大胆なる暴逆の従犯として蛇へと変身した。そのホールの中にこだまするシューシューという音の騒音はおそろしいものであった。頭と尾とが互いにからみあう獣が厚く積もる。サソリ、マムシ、両頭蛇、角蛇、水蛇、熱蛇、(かつてゴルゴンの血の滴が落ちた地、あるいは蛇島も、これほど蛇が厚く積もってはいなかった。)しかし、一番大きなサタンは中央におり、今や竜となり、その大きさたるや、太陽がパイソの谷の粘土から生んだもの、大パイソンよりも大きかった。またその力を他のものにひいでて今まで同様保っているようであった。蛇らはみなその竜の後ろにつき従い、広い野へと出た。そこでは反逆の群衆、天より落ちし者らのうちいまだに残っていたものが、全員、部署についていたが、きちんと整列しており、いったいいつ、自分達の栄光の首領(おさ)が勝ち誇って現れるのかに、期待に燃えていた。

 

238−270

その者どもらはみたが、他の光景を、醜い蛇の群をであった。恐怖に一同おそれ、また恐ろしい共感をも感じた。というのも一同がみたものに自分達も変わっていくのを今や感じたからである。腕はたれ、槍と楯とはともに落ち、と同時に倒れ、おそろしいシューシューという音を出し始め、一同は罪に陥っていたので、その罰を受けたかのように伝染して恐ろしい姿をとった。こうして、一同がもくろんだ賞賛は、シューシューという音となって発せられる。勝利の喜びは、恥辱へとかわり、恥辱は、口より出でて自らにふりかけられる。すぐ近くにはこの、天使らの変身とともに森が沸き起こり立ち、天上を治める方のみ意志は、天使らの罰をもっと重くしてやろうと、楽園に育った実、誘惑者により、イーブの餌のような美しい果で枝もたわわにした。その奇妙な光景に、彼らの熱烈な目を向け、一本の禁断の木のかわり、それらがあまた出たのは、彼らにいやましの悲しみと恥辱とをもたらそうとの考えと思った。天使らは燃えるかわきとおそろしい空腹とは、あざむくために起こる感覚でありながらもからからになっていたので、ひかえることはできず、群がって体をうねらせ、木によじのぼり、その群がる厚さたるや、メガエラの頭にからみつく蛇の髪よりも厚かった。がつがつと蛇らは見た目に美しい果実をかじった。ソドムが燃えた死海のほとりにはえる果実のよう、こちらの方がずっと惑わすが、感触ではなく、その味覚にあざむかれる。蛇らは愚かにもその食欲を、舌つづみを打って静められると思ったが、食物のかわりに、にがい灰をかみ、エホッエホッという音とともに、その味に胸わるくなり吐き出した。しばし蛇らは、空腹とのどのかわきとにかられて試したが、そのたびごとに、ススと消しズミとで一杯になり、この上なく憎むべきひどい味にあごがのたうちまわるかのように吐き気をもよおした。

 

270−295

それほどしばしば、蛇らは同じ幻覚に陥ったが、過失を犯したことを蛇らが勝ち誇った人とは違った様(ざま)であった。こうして蛇らは長い飢餓と絶え間のないシューシューという音に苦しめられ疲れた。ついには失った姿を神に許されて蛇らは再び取った。人の語るところによると、一年のうちある日数、毎年この卑下を受けるように命ぜられ、蛇がかどわかした人間に対する誇りと喜びとを粉砕するという。しかし、蛇は、自らが勝ち得たえじきについての伝説を異教のなかに広め、蛇、おそらく広く侵略するイーブのことか――エウリノーメとともにオフィオンといわれる蛇が、いかにいとも気高きオリンパスの支配を最初に行い、それから、サターンとオプスとに、ディクテ山のゼウスが生まれる前に追い出されたかを物語っていた。

 

その間にも、楽園に地獄の親子は、あまりにも速く至り着き、<罪>は可能性として楽園に今まであったが、ひとたび行為として罪を犯すと、今や化体となって楽園に住むものとなる。<罪>の背後には<死>がいて、一歩も遅れずにぴったりと続いていたが、今はまだ青白い馬には乗っていなかった。<死>に向かって<罪>はこう言い始めた。

 

サタンより生まれし第二番目の者、万物を征服する死よ、我らの帝国をお前はどう思うかい。難儀な骨折りで得たには得たが。地獄の暗い入口で、名もなく恐れられもせず、自らは半ば飢えてすわって見張っていた方がずっとよくはなかったかい。

 

296−227

<罪>に向かって、<罪>から生まれた怪物はさっそく答えた。

 

あっしにとってはいつも飢えにやつれているから、どこも地獄。たとい楽園だろうと天国だろうと。一番いいのは、略奪物とこの上なくよく出会うところ。それはここだが、なるほど物はたくさんあるが、みな、この胃を満腹にするにはあまりに小さすぎるよう。このあっしの皮だぶだぶの体には。

 

<死>に向かって近親相姦した母親は答えた。

じゃ、お前は、草、果実、花をまずは食べな。それからけだもの、魚、鳥、どれもなかなかめずらしいもの。時の大鎌が刈り取るものは何でも惜しみなくくらえ。そしてそうなる頃には、私は、人類全体に住み、人の思い、容ぼう、言葉、行為をことごとくけがし、人を、お前の最後の甘美なえじきと調味しよう。

 

こう言うと、二人は別々な道を、破壊するため、あるいはあらゆる種類のものを不死でなくするために。そして破壊が遅かれ早かれ成就するために、別々な道を行った。それを全能者がご覧になり、聖徒のなかより超越せるみ座、そこより輝ける天使らに向かって言った。

 

ごらん、地獄の犬たちが、熱烈に進み行き、かなたの世に破壊と荒廃とをもたらすのを。かくも美しく善きものと創造し、これからもずっとそうであったろう。もし人が愚行をせず、この荒廃もたらす復讐者を招き入れなかったなら。この復讐者たちは愚行を私のせいにし、また地獄の首領とその仲間たちも。なぜならいとも簡単にアダムとイーブをかくもこうごうしき場所に入り所有するままにし、そうして許してやっていることは、横柄な敵を満足させているよう。だからあの笑い。あたかも激怒にかられて何もかもあの者達に委ね、無差別にこの者達のなすがままにしているかのように、

 

627−664

楽園に呼びよせ引きよせ、くずと汚れをなめつくさせようとしているとは、地獄の犬達もわかってはいない。そのくずと汚れとが汚点をもちけがれている人の罪のために清純なものにふりかかっている。その時まで、この犬達は腹一杯になり、満腹になって腐肉で腹もさけんばかりになる。が、満足せし息子よ、お前の勝利の腕の一撃で、<罪>と<死>、口を開けた墓も結局混沌の向こうへと投げ出され、地獄の口を永遠にふさぎ、がつがつ食べるあごを封印する。そして新生の天と地とは清純にされ、一点の汚れのない聖所へとなるであろう。その時まで、天地には宣言された呪いが幅をきかす。

 

神は言い終えると、天国の聴衆は大声でハレルヤを歌い、海の音のように、何千という天使の間にひびいた。

正しきは神の道、義なるは、神がみ業に定め給うこと。誰があなた様をないがしろにできましょう。次には人類を回復するものと定められたみ子に。み子によって新天地は、至福千年に起こり、あるいは天国より下る。こうした歌を天使らは歌ったが、その間に創造主は力強き天使らの名を呼び上げて、いくつかの役目を授けた。現在の事態にこの上なくよく合うように。太陽はほとんどたえられない寒暑で地球に影響を及ぼすほど動き、輝き、そして北から老いた冬を呼び入れ、南からは猛暑の熱を招き入れるという神の命令を始めに受けた。青白い月に、力強き天使らは太陽の役目を授け、他の五つの惑星にはその動きと相関的位置とを、悪しき効果を持つ60度、90度、120度、180度に、また悪しき会合の時を定め、恒星には忌まわしき感応力をいつ降らすべきかを、そして、恒星のなかで太陽と共に昇り沈みするものにあれ狂うべきかを教えた。

 

664−703

風にはそれぞれの場を決め、海、空、陸を荒だてる時を。またいつ恐怖を起こさしめる暗き空の空間を響きまわるかを雷に教えた。また伝えるところによると、神は天使に、太陽の軸よりも地軸を20度以上も斜めに曲げるようお命じになり、天使らは苦心して中央に座す地球を斜めに押したという。また伝えるところによると、太陽は昼夜平分線の道より、同じ位の幅(20度以上)七人のアトラスの娘と、スパルタの双児をつれた金牛宮の方へ、夏至線のカニ座の方まで上り、そこからまっしぐらに下り、獅子宮、処女宮、天秤宮を経て、磨羯宮にまで至り、季節の変化を、おのおのの地域に導き入れるよう、手綱の向きを転ずるように命ぜられた。さもなくば、永遠の春がたえず春の花々を咲かせる地球にほほえみかけ、極圏を越えたところに住むものを除くと、昼と夜との長さは等しいままであったろう。極圏では日は夜もなく光り輝き、低く太陽がその距離を補うべく、地平線のまわりをまわり、視界にたえずあって、東も西もわからなかったろう。そして太陽は雪を禁じたのは、寒い北アメリカからの地と逆に同じほど下った南のアルゼンチンにも雪を禁じていたことだろう。その果実を味わって、太陽はあたかもサイエステーズの饗宴から目をそむけ沈んだ時のように、定まった軌道をそれた。堕落以前もそれていたら、人の住む世界は、罪なきとはいえ今以上にさすような寒さとやきつくような暑さとを避け得なかったであろう。こうした変化は天上では遅速にではあったとはいえ、地と陸とに起こった。星の感応力、腐敗し有害な瘴気、霧、熱い大気。今や北アメリカのノルンベーガやシベリアのサモアの岸より、その騒々しい牢を破り、氷、雪、あられ、嵐と吹く突風、雪まじりの嵐で武装をして、北風、北西風、北北西風があらわれ、森を裂き、海を荒らす。アフリカ西岸のシエラレオネより雷雲をつれた真っ黒な南風と南西の風が、南より逆風をもってあらわれ、北風たちをひっくり返す。

 

703−737

北と南の風とは逆の方向に同じように恐ろしい日出と日没の風、東風と西風とが、横合いの騒風、南東の風、南西の風を引きつれて急に現れて、生命なきものより乱暴が始まった。しかし<罪>の生んだ最初の娘<不和>は、理性なきものたちのなかに恐ろしい反感によって死を招き入れた。けだものは今は、けだもの同士争いを始め、鳥は鳥同士、魚は魚同士、動物達はみな草を食むことをやめて互いに食い合った。また人をおそれうやまって立つこともなく、通りすぎ行く人を恐ろしい形相をしてにらみつけるか、飛ぶように逃げていくかである。こうしたことは、外面より起因する増しいく苦痛であり、小暗き森影に隠れていたとはいえ、ことの一部をすでに見届けていたアダムは、悲しみに自暴自棄となったが、さらにひどく心のなかで感じ入り、激情の荒れ狂う海のなかでもてあそばれ、みじめな哀訴を並べて重荷をはらそうとした。

 

ああ幸福より変じたる悲惨。これが輝かしき新世界のなれのはてか。近頃まで、かの栄光のなかにあって栄光であった私のはてか。今や祝福されたものゆえにのろわれ、神のみ顔より姿を隠す。あの方を観ることは、あの頃幸福の最大の高みであったのに。もしもこの私で、この悲惨がはてるなら、悲惨を受けて、自分自身の功罪に耐えよう。しかし、これは何もならない。私が飲んだり食べたりし、私が生むものにはみな呪いが伝え広まっている。かつて喜び聞いた「生めよ、殖えよ」という声よ、お前を今聞くのは死に値する。というのも、自分が生み殖やすものは、自分の頭への呪いに他ならないではないか。これからずっと続くあらゆる時代の人々は私がもたらした悪を感じて、私の頭を憎むもの以外のいったい誰であろう。罪にけがれたる祖先に罪のあわんことを、このことをアダムに感謝しよう。感謝はされても憎しみの心からであろう。

 

737−768

そして私に巣喰う私自身に対する呪いに加えて、私自身より出ずるすべての呪いは、おそるべき逆流をもって私自身に返り、その自然の中心に帰るがごとくに私に重く――重心は重くはないはずなのに――ふりかかるであろう。ああ楽園でのうつろい行く喜び、打ち続く悲しみを代価に高価に買われる。創り主よ、私を土くれから人間にかたどって造ってくださいとお願いしましたでしょうか。暗闇より私をあげて、この甘美なる庭に置いて下さるよう懇願いたしましたでしょうか。私の意志は、私が創られることに同意したわけではございませんので、私を塵に戻されることは、全く正しく公平であり、私が受け取ったものをことごとくあきらめ戻すことを切に願います。それにあまりにも厳しすぎるあなた様の契約を守り行うことができず、その契約に私が求めていもしない善を保たねばならなかったのですから。それを失うことは、充分な罰でございますが、失うことの他に、どうして果てることのない悲しみをお加えになったのでしょうか。あなた様の公平は説明のつきようがありません。だが真を語るには遅すぎ、こうして言い争っても遅すぎます。その手の契約ならどのようなものであれ、申し出されたときに拒んでおけばよかった。その契約をお前はでも認めたではないか。お前は善を楽しみ、そしてそれからその条件につまらぬあら探しをするのか。神様はたとえお前をお前の許しなくお造りになったとはいえ、お前の息子が不従属となり、「どうしてお前は私を生んだのか。たのみはしていない。」といって責め咎めたらどうか。お前に対するその侮蔑を支持して、かの傲慢な言い訳を認めるのか。だが、子を生んだのは私ではなく自然の必要性だ。神様はご自身で選択されてお前を造り、ご自身の選択で人に仕えさせ、その報いが神様からの恩寵であり、その罰はまったく正しくも神様の意のまま。

 

769−801

そうなら、私は塵だから塵に帰るという神様の審判は公平と申し上げましょう。いつ来ても歓迎すべき時。どうして神の手は、その命令により本日決められたことを決行なさることを遅らせるのか。どうして生き長らえるのか。どうして死になめられ、不死の苦しみをぐずぐず引き延ばされるのか。どんなにか喜んで、自分に下された宣告、死ぬべき運命に出会い、無感覚の土となるであろうか。どんなにか喜んで、母親の膝のなかにいるように横になるであろうか。地では休み、心配なく眠ることになろう。神のおそろしい声は、私の耳のなかでこれ以上鳴り響き渡ることはなく、私をその子孫とにとってのいやましの恐ろしさのために、残酷な予想をして私自身が苦しむこともなかろう。だが、一つ疑念がたえずつきまとう。私というすべてが死なず、生命というあの清い息、神様がお吹き込みになった人の精神は、この肉のかたまりとともに滅びないのだろうか。そうなら墓やどこか他のいまわしい場所で、私が生きながらの死を被っていることを私自身以外の誰が知ろう。もし本当ならおそろしき考え。だがどうしてそんなことがあろう。罪を犯したのはただ生命の息だけであったと。生命と罪とをかかえたものの他いったい何が死ぬのか。肉体は厳密な意味でどちらも持たない。それなら私のすべてが死ぬのであろう。こういうことで疑念を静めよう。人知ではこれ以上のことは及ばぬ。万物の主である方は無限であるが、その方のみ怒りもまたそうなのか。神は無限であっても、人は無限ではなく、死へと定められている。神は、死が生を必ずや終わらせる人間にたいして、限りない怒りをなげかけることがどうしてできよう。神は死なきを造ることができるのか。それでは奇妙な矛盾ができあがってしまうことになる。矛盾は、神にはありえないことで、矛盾があるなら、それは神の権能の証ではなく神の弱点を明かすことになる。

 

801−831

神は、人を罰する場合、み怒りゆえに有限なものを無限へと引きのばし、満足してあがなわれることがけっしてないその厳格な励行を満足させようとされるのか。それでは、土と自然法との領域を越え神の宣告を引き延ばすことになってしまうではないか。自然法によれば、その宣告を除いたすべての原因は、その原因のかかわる領域の広さにではなく、その質料を受けるだけ

にたえず応じて働いているのに。だが死が、思っているように一撃でではなく、また感覚を奪うのでなく、今日という日からずっと続く限りなき悲惨であるなら。その悲惨を自分自身の心のなかと、外とに感じており、永遠にまでその悲惨が続くのだとしたら。ああ、おそろしく渦を巻き無防備の私の頭に恐れが雷となって下り来る。死も私も永遠であり、伴に二者一体であり、また私の場合は、一人ではなく、私のなかに含まれるあらゆる子孫が呪われているのだ。息子たちよ、お前たちに私が残さねばならぬよき世襲財産。この財産を私一人で使い切ってしまい、お前たちに何も残すことができなかったなら。だから相続権を奪われたらどんなにかお前たちは、私を呪いに値する私を祝福してくれることか。ああ、どうして人類全体がたった一人の人間の堕落のために罪なく、もし罪なくばではあるが、責められるのであろうか。しかし、私より出ずるものは、ことごとく腐敗しており、精神も意志も堕落していて、私と同じことをたんに行うのではなく、欲することの他は何を欲するであろう。どうして息子たちは神様がごらんになっているところで許されていられましょうか。いろいろと論じてみたが、神様をお許しするはめになる。私のむなしい逃避や、あらゆる論拠にたよっても、迷路のなかを行くだけではあるが、いつも自分自身の持つ確信に至る。

 

831−859

最初にも最後にも私、私だけにあらゆる腐敗の根源として、あらゆる責めがしかるべくかかる。そしてまたみ怒りも、愚かなる望み!地球を支えることよりももっと重い荷は、全宇宙合わせたよりも、たとえあの悪女のイーブと分けるにせよ、ずっと重いということに賛同できるか。こうしてお前が望むことと、恐れることとは同じように逃避するという希望をことごとく打ちくだき、先例もこれからの例をもはるかに越え、罰と裁きの点で似ているのはサタンにだけ。お前を悲惨なものと結論づけよう。ああ良心よ、なんという恐怖とおののきとのどん底にお前は私を陥れたのか。そこから出る道はなく、深きところより、さらに深いところへと落ち込んで行く。

 

こうしてアダムは大声で静かな夜の間中嘆いたが、人が堕落する前のように今では健全で涼しく温和ではなく、暗く大気、湿気、おそろしい闇を伴っており、そうしたものは大の悪しきにおののく良心に、二重の恐怖をもってあらゆるものがうつった。地べたに、冷たい地べたにアダムは横になり、しばし自分が創造されたことを呪い、また同じように、人の犯した罪が宣告された日から、死がぐずぐずした執行せぬとがめだてした。

 

どうして死はやってこないのか。やって来て私を終わらせるため、とても快い一撃をもって。<真理>は約束を守れず、聖き<正義>はあわてて正しくあろうとはしないのか。しかし死は呼ばれて来るものでなく、聖き<正義>も、祈りや涙のためその遅々とした歩調を直しはしない。

 

860−886

ああ森よ、泉よ、丘よ、小谷よ、木陰よ、近頃まで他のこだまで、お前たちに答えるよう、全く別の歌で響き返すよう教えてきたのに。

 

そのとき悲しげなイーヴはこのように痛める姿を見て、自分自身は座って寂しかったが、アダムに近寄り、そのおそろしい激情に言葉をかけた。しかしイーブにアダムは険しい目つきをしてこう反駁した。

 

「見えぬところへ、蛇さんよ。蛇というのが、あいつと手を結んだお前にふさわしい。お前は虚偽と憎しみとしてある。お前に欠けているのは、蛇のような姿をして、膚の色が蛇のようで、お前の心のなかの不正をあらわし、忌むべき虚偽を隠すあの天上の姿、形によって人をわなにかけぬように、これからはお前が自分で人に注意することだけだ。お前がいなければ俺は仕合わせでいられたろう。お前が傲慢と、一人で行きたいという虚栄心とにかられ、ほとんど安全でない時に、俺の警告を拒んで、自分は信頼されていないことを潔しとしなかった。たとえ悪魔にであっても、みつけられても、思い上がってきやつのところまで行こうとするが、蛇と出くわすと愚弄されだまされて、悪魔にお前は、お前に俺はだまされた。自分の脇腹より離したのはお前を信じ、賢く、忠実で、慎重、あらゆる攻撃にたえられるものとお前を推し量って来たが、そうしたものは確固たる美徳というより単なる見せかけにすぎなかったことを理解しなかった。すべては俺から引き出され、生まれながらしてまがったあばら骨にすぎなかったと、今見えるように左側にずっと曲がっているのだ。

 

887−913

私が持つ正しい(あばら骨の)数に照らして、必要以上のものとしてみつけられたのだが、投げ捨てた方がどれだけよかったろうか。ああどうして神様、賢き創造者よ、いと高き天に男の天使らを住まわせているのに、結局地上ではこの目新しきもの、自然の持つこの美しき欠陥を創造され、世界を女性のいない天使のように、男だけでこの世をただちに一杯にされなかったのでしょう。あるいは人類を生み殖やすために他の手段をみつけられなかったのでしょうか。それを考えて下さったならこの害毒は起こらなかったでしょうし、これからは、今以上の害毒も。女のわなと直接の交わりから数限りない騒乱が起こるであろう。というのも男は適当な相手を見つけることなく、不幸や見誤りがもたらすような相手を見つけることになるか、あるいはこれと思う相手は、その相手の強情さのためにめったに勝ち得ず、相手が、はるかに(自分より)見劣りする者によって勝ち得られている憂き目をみるか、あるいは相手がその気になっても親に引きとめられるかし、あるいは、おそるべき妻、憎しみと恥辱の的と契りをかわし結びついていて、この上なく幸福な選択にあまりおそく出会うことになる。こうした結婚により、人間生活には数限りない災難が起こり、家庭の平和がかき乱されることになるだろう。

 

これ以上アダムは語らず、イーブから顔をそむけたが、イーブはアダムのように反駁したりはせず、止まることのない涙を流し、髪の毛を振りみだし、アダムのひざのところに卑下して倒れ、かきいだき許しを求め、こうして嘆きながらいい始めた。

 

914−942

アダムよ、こんな風にして私を見捨てないで下さい。天もご存知のはず、いかに真実なる愛と崇敬とを心のなかに抱き、また知らずに罪を犯し、不幸にもだまされたということを。あなたへの嘆願者の私が、お願いをし、あなたのお膝をかき抱いております。私が頼りにして生きている、あなた様のおやさしいお顔、助け、そうにもならなく困った際のあなた様のご忠告、私の唯一の力とささえとを、私から奪い去らないで下さい。あなた様に見捨てられて、どうして生きていけましょう。どこをささえとしていきましょう。

まだ私達が生きている限り、おそらく小一時間あるかないかで将が、仲良くしましょう。傷を受けた点で結びついたように一つとなって、私達に、はっきりとして宣言を下された敵、あの残虐な蛇に対して一丸の敵意を持つのです。この降りかかりし悲惨に対するあなた様の憎しみを、私にかけることはしないで。すでにほろんだが、あなた様よりももっと悲惨な私を。私達はともに罪を犯しましたが、あなたは神様にだけ、私は神様とあなたに。私は裁きの場所へと戻り、そこで私は叫び天に、「宣告はことごとく、あなたから取り除かれ私に、あなたにとってこのすべての不幸の原因たる私にふりかかるように。私にだけ、神のみ怒りの正しい対象。

 

イーブは泣きながら言い終えると、自分で認め嘆いた咎から許しを得られるまで動こうとはしない、イーブの卑下した姿にアダムは心のなかで同情を感じた。すぐにアダムの心はイーブ、ほんの前まで自分の体の一部、唯一の喜び、今や困ってひざまずくイーブの方へと傾いた。

 

943−966

かくも美しき被造物が、夫との和解、自分がないがしろにした夫からの忠告、助言を武装解いた者。アダムは怒りをなくし、平安の言葉をかけて、イーブを起こした。

 

今までのように今も自分が知りもしないことに、不注意にも望みすぎる。自分一人に罰をことごとくかぶせることを望むとは、ああ、まずは自分自身に下される罰に耐えよ。いまだに神様のみじんの怒りも感じていないのに神様の怒りをことごとく受けるなぞ、お前にはほとんどできず、私から不興を買うことにほとんどたえられないのに。もしお祈りをしていと高きお裁きを変えられるなら、裁きの場へとお前よりさきに急ぎ、「私の頭にあらゆる罰が訪れ、誘われやすく、か弱き、私に委ねられ、私が危険にさらした女が許されるように」と声を上げて聞き入れていただくだろう。でも、お立ち。けんかはよそう。責め合うのもよそう。他の場所で充分に責められる。愛し合っていきどうやって僕らが不幸を分け持って互いの重荷を軽くすることができるかを努めよう。今日という日に死が宣告されて、私のみるところではいきなりのではなくゆっくりとした調子の死、僕らの苦痛を増やす長い月日に渡り、僕らの種―すえ―(ああ不幸なる種)にまで下る死であることがわかるだろうから。

 

アダムに向かってイーブは、気を取り直し答えた。

 

967−991

アダムよ、悲しい経験によって私の言葉が、あなたにはほとんど重みも持たぬことがわかります。私の言葉は、かくも誤っており、それゆえ正しき結果によりてかくも不幸であるとわかります。にもかかわらず、あなたのおかげで、下劣な私にもかかわらず、よりを戻していただき、新たに喜んでいただけるとは、あなたの愛を、生きても死んでも私の心をただただ満足させて下さるその愛を勝ち得る望みを抱き、私の不安の胸よりいかなる思いが出るかを包み隠さず申し上げましょう。その思いは、私達の立つ逆境を楽にすること。生を断つことなのです。たとえさすように悲しくとも、私達はそうした悪に染まっているのですから耐えられ、生き続けるより、より安易な選択でございます。もし私達の子孫のことが心配になってさいなまれているのなら――子孫はある不幸のもとに生まれるに決まっていて、最後には死に喰われるのですが、(私達から生まれるということが、子孫には悲惨の原因であり、私達の腰よりこの呪われた世界に、不幸な種族がもたらされ、みじめな生活を送った後でついにはけがれた怪物の食物になるというのは哀れなこと)――あなたのお力にかかっております。今はまだ胎を宿す前で不幸な種族を断ち切り、いまだに生まずままにすみます。子供がおらず、子供なきままでいるでしょう。ですから死は、満腹になることをあざむかれ、私達二人にそのがつがつした胃を満足させることを強いられるでしょう。

 

992−1019

でももし話を交わし、見つめ、愛していながら、愛のしかるべき権利、甘美なる婚姻の抱擁を慎むことや、欲望があっても希望がなく、同じ欲望に思い悩む眼前の私のところで思いなやみ、そうした様は私達がおそれるどのようなものにも劣らず、悲痛であり苦しめるので、そうしたことが行い難いとご判断されますなら。私達とその子孫(すえ)とを同時に、私達がおそれるものから解放するために、手っとりばやくしましょう。もし死がみつけられないなら、私達が自ら手で、私達に死の務めを果たしましょう。終わるのは死をもってであるということにおそれおののきどうして立っているのでしょうか。死ぬために多くの方法があるなかで、手短かな選択をする力、破滅に破滅をもって破壊するという力を私達は持っているではありませんか。

 

ここでイーブは言い終えた。すなわち激しい絶望にかられ、後のことを言うのをやめた。死についてイーブの頬が青白く染まるほど、かくも多くのことがイーブの思いをしめていた。しかし、アダムはそのような忠告に全く揺るがされず、よりよき希望へとアダムのもっと注意深い気持ちは働き●っていき、こうイーブに答えた。

 

イーブよ、生命と快楽とに対するお前の侮蔑はお前の心が軽べつするものよりも、もっと崇高ですばらしいものをあかしているようだ。しかしそれゆえに求められた自己破壊によってお前のあのすばらしい思いの誤りを明らかにし、お前が払う侮蔑よりもいつくしみすぎた生命と快楽とを失うことに対する苦悶と後悔とを意味する。

 

1019−1050

あるいはもしお前が悲惨のいきつくところとして死を望み、宣告された刑罰を避けようと思っているなら、疑いなく神様はそんな風にして機先を制せられるよりももっと賢明に執念深いみ怒りで武装されている。より以上に僕がおそれているのは、そうしてつかまれた死によって僕らの運命によって支払わなくてはならない苦痛から免れはしないということだ。むしろそうした不従順の行いによって至高者をおこらせ、我々に宿る死を生かすことになろう。だからもっと安全な解決をしよう。その解決をもくろむのは、お前の種が蛇をくだくという下された宣告を注意深く思い起こしながら、もくろもうと思う。償いはいたましい。もしも、僕の考えている者、僕らの大いなる敵サタンが、僕らに対してこの欺瞞を蛇の姿をしてもくろんだのでないというなら。蛇の頭をくだくということはまさしく復讐であり、君が提案したように自分達にもたらされる死、あるいは子供のいない日々を決心するなら、復讐がとげられないこととなろう。そして僕らの敵は定められた罰をのがれ、僕らはかわりに、自分たちの頭に二倍の罰を負うことになろう。僕達に手を加えることや意図的な不妊について、これ以上言うな。そんなことは希望を断ち、神と僕らの首にかけられる神の正しき軛とに対する憎しみ、傲慢、短気、軽侮、反抗とをただただ好むことになる。思い起こせ。なんと柔和で寛大なご気分でお聞きになり、怒りも悪口もいわずにお裁きになったことを。僕らはすぐにも破滅すると思ったが、その日には、みよ

 

1050−1084

お前には子供を生む時にただ苦しみだけが告げられ、生めばすぐにお前の胎の成果たる喜びですぐに償われる。私への呪いは斜めに地面にそれて、骨折って自分の糧を得なくてはならない。なんで罰か。怠惰はもっといけないことであろう。自分で仕事をして自分を養うことになる。寒暖で僕らが痛めつけられぬよう神の時を得た保護が求めずして与えられ、み手によってあたいなきものをきせて下さり、お裁きのなかにもあわれみをかけて下さる。もしお祈りをするなら、どれだけ多く神様の耳は開き、み心は哀れみへとかたむき、険悪な季節、雨、氷、あられ、雪をいかに避けるかをさらに教えて下さるだろうか。そうした変化を今や空は様々な顔つきをして、この山にいる僕らにみせ、風はじめじめと身を切るように吹き、このように美しく広がる木々の優美なる髪を散らす。僕らはもっとよい避難所と、僕らのかじかんだ手足をこの陽の星の太陽が夜の寒さを残さぬうちにはぐくむよりずっとよい暖かさと、それに僕らが屈折して集めた光線をかわいたものでくるみ、あるいは二つの物をぶつけこすりあわせてこすられた空気を火にする仕方とを求め探さなくてはならぬ。空気を火にするのは、近頃荒い風が吹いて押し合う雲や、ぶつかり合う雲がその激突のさなかに斜めに走る光を点火し、その斜めの炎は地上に落とされてもみや松のねばねばした外皮を燃やし、遠くからここちのよい熱を送り、その熱をもって太陽のかわりとできるかもしれぬ。そうした火、それに僕らの悪行がもたらした悪への救済といやしとなる火以外のものとその使い方を神様は祈り、恩寵を求める僕らに教えて下さるでしょう。そして僕らはこの生活を便利に、神様による多くの慰めにささえられて送ることに恐れる必要はない。

 

1084−

そしてついには僕らの最後の休憩所、生まれ故郷の塵となって終わる。神様が僕らを裁いたところに行き、敬虔なる神のみ前に倒れ、そこで卑下して僕らの罪を告白し、許しを乞い、悔いた心からいつわらざる悲しみの印と、柔和な卑下をして送り、涙で地面をぬらし、ため息で空気を一杯にする。これ以上よいことがあろうか。まちがいなく神様はやわらぎ、ご不興をおそらせになるだろう。神様のすずしいお顔には、たとえこの上なくお怒りになり、この上なく厳格であられる時でさえ、好意、恩寵、慈悲の他に、いったい何をお示しになるでしょう。

 

そう深く罪を悔いた父は語ったが、イーブも劣らず自責を感じた。二人はすぐさま神様が二人を裁いた場所へと向かい、崇高なる神のみ前にひれ伏し、謙虚に自らの罪を告白し、許しを乞い涙流して地をぬらし、悔いた心から偽らざる悲しみと柔和な屈従との印として送られたため息で空気を一杯にした。


11

 

こうして二人はいとも低き姿勢で悔いてお祈りをした。というのも、天上の贖罪所より下る人に先だつ恩寵が二人の心からかたくなな気持ちを取り除き、新たなる生れ変わった肉をかわりに成長させ、うめきは今や祈りの霊が吹き込んだ言い得ぬものをはき、翼をつけて天国へ大声立てる雄弁よりもすばやく飛んでいった。とはいえその二人の態度は、卑しい願者のそれではなく、その願は、昔物語の古の二人、昔といってもこの二人よりは昔ではないが、デウカリオンと貞淑なピーラとが、おぼれた人間の種族を回復するためにテーミスの☆☆☆☆敬虔にしていた時に劣らず重要である。天上へと二人の祈りは飛上がり、恨みの☆に吹かれて挫折し、さすらい道に迷うことなく。二人の祈りは、形なく天の門を通り抜け、そして大いなる仲裁者によって芳香につつまれた。そこでは黄金の祭壇が香を放っていた。そして父のみ座の☆☆☆☆☆☆。祈りを喜んだ息子が示すと、こうとりなしを始めた。

 

「父よ、ごらん下さい。父が人に植えられた恩寵よりいかなる果実が地上に始めて生まれたかを。うめきと祈り。その二つはこの黄金のつり香炉のなかで芳香とともにまじっております。父の司祭たる私が☆☆につれてまいっております。人の心のなかに悔恨の心で蒔かれた種より生まれし果実は、無垢より堕落せし☆に楽園の木々を人間自らの手でいじっていた。果実よりもずっと快き香がいたします。さてそれでは耳を<嘆願>にお向け下さい。無言とはいえその<吐息>をお聞き下さい。どのような言葉で祈るかに技たけてはおりませんが、人にかわって説明をさけて下さいませ。私は人の<擁護者>、<慰撫>、人の行うことは善きことであれ善くなきことであれ、私に継ぎ木され、私の功によりて人の行うことは完成せられる。そして人の行いに代えて我が死が支払われることになりましょう。私をお受け入れ下さり、人間への平安の臭いを私のうちにあるこの祈りと吐息とから受け取られ、父と和解して人間を生かしめよ。少なくとも、悲しいとはいえ、限られた日まで。そしてついに死、人への裁きによって(そのお裁きをこうしてお願いし、柔らげ変☆ていただこうとしているのですが)人はよりよき人生を許され、その際に私とともに私によってあがなわれたものはみな喜びと幸福のうちに暮し、私が父と一者であるように私と人は一者となる。

 

キリストに向かって神は曇なく平静におおせになった。人に対するお☆の要望は受け入れら☆息子よ、達成され、お☆の頼みはことごとく私の命令。しかし、これ以上楽園に住むことは私が自然に授けた法が禁じる。一点のしみも、調和のとれぬ汚らわしいものの混合を知らぬ清純で朽ち果てることのない元素のためけがれた人は今や追放され、一層あらゆるものを☆☆☆病めるものとし、腐敗せぬものより腐敗するものとした罪によって引起こされた死がこの上なく人をうまくいただくようなやがて朽ちる食物として空中へと消散させる。

始めに二つのよき贈り物を創造した人に授けた。幸福と不死。幸福を愚かにも失いもう一つの不死は悲しみを永遠にするのにただ役立つだけ。ついに私は死を授け、死は人の最後のいやしとなり、きびしい困苦のうちに試みられ信仰と忠実な行いとにより洗練された生のあとには、義の刷新のなかで第二の生へと目ざめ、新たにせられた天と地とに引渡される。

しかしまず広い天上にくまなく呼びかけ祝福された者たちを会☆へと召集しよう。天使から裁きを、即ち人をいかに扱い☆隠しはしない。それで、近頃まで見ていた罪深き天使をいかに扱ったかを隠さず善き天使らは今の状態で☆☆とはいえもっとしっかりとなったのであったから。

 

神は語終えると、み子はいと高き印を見張りする輝ける天使に送ると、天使はラッパを鳴きならしたが、その音は神が下ってから以後ではシナイ山で聞かれおそらくもう一度最後の審判に鳴り響き渡るのが聞かれよう。天使のラッパの音は天上にあまねく行渡った。光の子らが喜びの交情をかわす、☆☆☆の影なす至福の園、泉、小泉から、生命の河辺のそばから子らは急ぎ、いとも気高き召喚に従って進み、その席についた。ついにその至高のみ座より全能者がその至高の意思を宣言した。

 

ああ子らよ、我らの一員のごとく人も善悪を、あの禁断の果を味わってから知るようになった。だが善の知識を失い悪の知識を得たことを人に誇ってもらおう。善だけを知り悪を全く知らぬことで満足していたらどれほどよかったことであろう。人は今や悲しみ、悔やみ、痛悔を祈る。それは人の心のなかに私が起した刺激であり、自分の刺激の☆くなった後では人の心は独り残されてはどんなにか変りやすくむなしいかを知っている。それゆえ今や大胆になった人の手が生命の木の果へと手をのばし食べて永遠に生き、少なくとも永遠に生きることを夢見ぬように人の出奔、楽園よりいでて自らが生まれ地、今よりふさわしき地を耕すことを命ずる。

ミカエルよ、この命令がお前の任務。智天使のなかから、即ち燃え出ずる戦士からお前は選び、つれて行け。敵が人をだしにしたりいなくなった所有地を征服しようとしたりして新たなる問題を起さぬように。急ぎ行き、神の楽園より慈悲なく罪犯した二人を追い出せ。聖なる地より、聖からぬ者を追い出せ。そして今より後二人とその子孫らはたえず追放と宣言せよ。

だがきびしく強いられた悲しい宣告に気がくじけぬよう――というのも二人がめめしくなって涙流して違反を嘆くのをみたからだが――恐れをことごとく隠せ。もし忍耐強く人がお前の命令に従うなら、人をうら悲しいままで去らせるな。未来にはどんなことが起るかをお前に解き明すようにアダムにあかせ。女の種に宿る新たなる契約を☆☆☆。そして悲しんでいるとはいえ平安のうちに二人を送り出し、☆の☆☆、そこはエデンから天上へと容易に登る入口があるが、そこにケルビムの警護と大きく揺れてあらゆる近づくものを遠くでおびやかす剣の炎とを置き生命の木の方へと近づく道を守れ。楽園が汚れた霊のたまり場、木がみなその霊のえじきとならぬよう。その盗まれた果実のため人をもう一度あざむくことがないように。

 

神は言い終えると天使長はすばやく(地球への)下降を準備し、見張りのケルビムの輝しい一隊をつれていった。ケルビムはそれぞれ4つの顔を持ち二面相のヤーヌスを二つ合せたようにで、その姿は百の目を持つアルガスの目よりももっと多い目を散りばめられていて、アルカディアのあし笛、あるいはアヘンの苔でうっとりとし、うとうととするどころか、ますます目がさえる。そうしているうちにこの☆を聖なる光で再びあいさつしようと目をさまし、新鮮な露で地は芳香にあふれた。その時アダムと妻のイーブは今やお祈りを終えて、力が絶望から生まれる新たな希望が、恐怖はまだあったが喜びが天上から加えられるのを感じて、堕落以前のようにイーブに喜ばしい言葉を繰返した。

イーブよ、容易に<信仰>によって僕らが享受する善はことごとく天より下ることが認められよう。しかし、いとも賞賛されし神の心に影響を及ぼし、あるいはみ意志を傾かせるほど優勢な天へと僕らから昇るものがあるというのは信じ難いかもしれない。だがお祈りや人間の息から生まれる短かなうめきはこれを果して☆☆、神のみ座にまで運ばれる。というのも、お祈りをして怒れる神をなだめようとしひざまづいて、☆☆の前で心をいやしくしてからというもの☆☆は寛容で温和にあなりになって、耳を傾けて下さったのがわかったように思えた。僕は好意をもって祈りが聞き届けられた確信がする。僕の記憶では君の種が僕らの敵を打ちくだくという約束が果される。平安が僕の胸に舞い戻り、そういうわけであの時困惑して気づきはしなかったが、死のにがみが消え、僕らは生きるということを今や確信しているのだよ。これからは、お前への呼びかけはイーブ(生命)で正しかろう。全人類の母、あらゆる生き物の母で。というのもお前の力のおかげで人は生きることになり、あらゆるものは人のために生きるのだから。

 

アダムに向かってイーブは悲しげではあるが柔和な☆☆で答えた。そのような名称がもし法を犯す私のものとなるなら私はふさわしくない。私はあなたのために助け手たることを命ぜられていたのにあなたを誘惑するものとなった。むしろ<非難>(という名が)、<不信>と<そしり>(という名が)私のもの。しかしお許しになるに際して私の裁き手は限りなく万人に死を始めてもたらした私は生命の源泉という名を与えられる。次にこうしていとも気高く、私を呼んで下さるあなたは好意的な方であり、(Adamではなく)ずっと他の名に値する。しかし野は私たちを仕事へと――眠らぬ夜の後とはいえ、汗を強いる仕事へといざなっています。ごらんください。朝です。私達の不安とはまったくかかわりなく朝がほほえむバラ色の進行を始める。

 

さあいきましょう。私達の一日の仕事がたとえどこにあろうと、――とはいえ今では日の沈むまで骨を折るように命じられていますが――私は決っしてあなたの脇からこれからはさすらうことはありません。ここに私達が住む限りはこの気持ちよい小道のなかでは何がつらいでしょう。ここで私達は堕落した状態にあるとはいえ満足に生きましょう。

 

そう言い、ずっと謙虚になったイーブはそう願ったが、運命は支持をしなかった。自然は始めて印を与え、その印を鳥、けだもの、空気にあらわした。空気は突然朝赤らんで少したつと暗くなった。朝のみているすぐ近くにはゼウスの鳥、鷲が空高くから飛びかかって、目の前のあでやかな羽を持った二匹の鳥を追った。園のある丘から下ったとこ●、森を治めるけもの、ライオンは、その時に最初にあさるものとなり、高貴なるつがい森中のなかで一番立派な雄ジカと雌ジカとを追い求めた。まっすぐに東の門へとけだものたちは進む、アダムはみて目でその動きを追っていき、心ゆすぶられずにではなくイーブにこう語った。

 

ああイーブよ。何か別な変化がすぐせまっているよ。天が物言わぬ印を使って自然のなかにあらわしている。その印は天の目的をあらかじめ告げるもの。我々を警告するものであって、僕らが何日かの間死をのばされるからといって、罰から僕らが免かれるとおろかにも確信することをいましめている。どれ位の間、死ぬまでの僕らの生活がどんなもので、僕らは塵だから塵へと帰り、もはや何ものでもなくなるということ以上何がわかろう。●●●●他のことが、同じ時に同じ方向に地と空では追われて逃げるという、この●●●●●目に映ることに●●●●あるのはどうしてか。どうして東の空は、日がまひるにあらぬうちに暗く、朝日はあの向うの西の雲のところでずっと明るいのはなぜか。その雲は晴天の中を輝ける白光を引いてゆっくりとおり立ち、光々しいものをいっぱい積んでいる。アダムは誤ってはいなかった。というのもこういっているうちに天の一隊は碧玉の空から今や楽園に降り立ち、丘の上で立ち止まった。もしも肉の疑いとおそれとでその日にアダムの目がくらまなかったなら、すばらしい出現物。天使がヤコブにマハナイムで出会い、そこでは平野が輝ける守護天使が陣営をはっているのをみたあれも今のこの天使の一隊ほど輝しくなく、一人の人、エリシャを急襲しようと暗殺者のように戦争を宣戦布告もせぬ戦争を始めたが、そのシリアの王に敵対して火の陣営でおおわれたドタンの燃える山の上にあらわれたものもこれほど輝くなかった。その輝しきところにいた堂々とした天使は警護の天使たちを庭を差しおさえるためにそこに残し自分一人だけでアダムが休むところをみつけてそこへアダムに気づかれずにではなく進んでいった。アダムは大いなる訪問者が近づく間にイーブにこう語った。

 

イーブよ、さあ大いなる知らせをお待ち。その知らせはおそらく僕らを終らせるか、あるいは守るべき新しい法を定めるであろう。丘をおおう向こうのきらめく雲から天使の一隊の一人をみとめる。その歩き振りから決して卑しくはなく、大いなる支配者であって、あるいは●座天使のものと思う。そのような威厳が、やって来る者を包んでいる。だが僕がこわくなるほどおそろしくはなく、信頼できるほど、ラファエルのような社交の心を持ってはいず威厳にあふれ崇高で、お怒りを買わぬよう崇敬をもってお出向しなくではならない。君はさがっていて。こう言い終えた。大天使はすぐに近づいて来たが、天使の姿をしてではなく、人と会うために衣をつけた人として。その輝く腕は平和な時に昔の主や英雄が着、メリボエアやサラの紫よりもずっとくっきりとした紫色の軍服がたれていた。虹の神アイリスがそのむらさきを染めた頭からとった星と輝く甲は若さが終った男盛りにあることを示していた。その腰には輝ける黄道帯の一官のごとく輝ける剣がありその剣はサタンがひどくおそれたもの。その手には槍を持っていた。アダムは身を低くし、天使は王者のようにその姿勢をくずさず、訪れをこのように語った。

 

アダムよ。天の至高の命令にはなんの前置きもいらない。お前の祈りが聞き届けられ、死は、お前が罪を犯した時の宣告に従って長き時に渡って自分の獲物に失望し、その長き日々は神の好意によってお前に授けられたものであり、その日々にお前は痛悔し、一つの悪しき行いを多くの善行がなされることで保護することができる、お怒りを静められた主は、強奪行う死の●●からお前をあがなって下さる。しかし、これ以上楽園に住むことは許されない。お前を立ちのかし、この庭より送り出し、お前が生まれた地、もっとふさわしい地を耕させるためにやって来た。

 

天使はこれ以上言わなかった。というのもアダムはその知らせに身もふるえる悲しみについばまれて、心を打たれ五感はしばりつけられた。イーブは、目につかぬところにいたが、全事を聞いて、声をあげて嘆き、その場所はすぐにわかってしまった。

 

ああ予期せぬ打撃、死よりもひどいもの。こうして楽園よ、お前を去るのかい。私の生まれたところ、幸ある小道と小影、天使や神●があらわれるにふさわしい場所を去るのかい。私達二人にとっては致命となる日までの猶予期間を悲しくとも静かにすごすための希望をどこにみつければいいのでしょう。ああ花々よ。他の気候では決っして育つことのない花。朝な夕なお前達のところへ行った。始めてつぼみに花を咲かせてからやさしい手で私が育てたもの。お前達を名づけたが、誰がいったい今お前達を起して陽にあて、その種によって並べわけ、アンブロシアの泉から水をまくのだろうか。最後には婚姻の四阿、私が見るにつけ、かぐにつけ甘美なものでお前を飾っていたが、お前からどうして私は別れ、この園にくらべれば暗く野蛮な下方の●界のどこへとさまよいでるのか。不滅の果実になれいた私達はあまり清純でない他の空気のところでどうして呼吸をいたせましょう。

 

この者に天使は柔和に説明をした。嘆くなイーブよ。お前がまさしく失ったものを忍耐強くあきらめよ。こんな風にあまりに好みすぎて自分のものでないものに心を向けるな。お前が出て行くとはいえ一人でではなく、お前とともに夫も行き、夫のあとをついて行くことになっている。夫が住むところ、そこをお前の生地と思え。

 

アダムはこの時までに突然の冷たい失望から立ち直り、ほっとした気持ちから立ち帰り、ミカエルに謙虚な言葉をのべた。

 

天のまろうどよ、座天使のなかの一人が座天使のなかでも一番位の高き者と言われている方かとお見受けいたしますが、そのお姿は、王のなかの王でいらっしゃるようでございます。穏やかにお告げをして下さいました。穏やかにして下さらなければお話をうかがうだけで傷を負い、実行される段には私達は破滅していたかもしれません。悲しみ、落胆、絶望のなかで私達の心の弱さが経験するあなたの知らせがもたらすものは、この幸ある場甘美なる四阿からの出立。私達の目には親しげな唯一の慰め。ここ以外の場所はみなすげなく荒れたようで、私達を知りもしないし、私達もなじみがない。もし絶え間なきお祈によりあらゆる事柄を換えうる方のみ意志を換える希望が持てますのなら、私はたゆみのない泣き声をあげてその方をわずらわすことは致しませんでしょう。

 

しかし絶対のご命令にそむくお祈りは風にはむかう息であり、その息が吹き返されて●をはき出す者を窒息させることと同じで役にたたないなら、大いなるご命令をお受け致します。ここから去ることは、み顔から隠されることになるので、幸多きお顔を奪い去られるということが私をこの上なく苦しめます。ここで礼拝しながら、場所から場所へと訪れ、ここで神●が神々しき姿をいみじくもあらわされ子供達にこう教えてやることができたら。「この山上に神はあらわれ、この木のもとではっきりとお立ちになり、この松の木のなかでみ●を聞き、ここでこの泉のもとでともに語り合ったのだよ。」と。草でできたいとも多くの快適な祭壇を立て小川より運んだ光沢ある石を一つ一つ積み上げ――それらが記憶に残り、幾星霜へても記念碑となり――そしてその上に甘美な香のする樹皮、果実、花々をさ●たものだった。向うの低き●男で輝しきみ姿、その足取りをどこに追って行くことができましょう。お怒りになった神●から逃げたとはいえ、生き長られる生命と約束された人類へと回復されて、今や喜んで、たとえ栄光の掌すその一番はじであれ、拝見させていただきたとえ遠くからであれ、その歩みをたたえまつります。

 

アダムにミカエルは親切なまなざしで答えた。アダムよ、天は神●のもの、そして地もみなそうであるのを知っていよう。この岩ばかりでなく、地も海も空も生きものはどのようなものも神は遍在し給い、それらすべては効果的な力で暖められている。地上をことごとく所有し支配するよう神はお前に授けたが、卑しはない贈り物。楽園あるいはエデンといったこの狭い場所に閉じ込もった存在が神●と思うな。

 

この地はおそらくお前のすばらしき御座となり、ここからあらゆる人の子らが広まり、地上のてからもあまねくここにやって来て、お前を大いなる祖先とたたえあがめたであろう。しかしこの特●をお前は失い今やお前の子供たちと平地に住むようにつれていかれる。が、神はここにおわしますように谷や平野にもいらっしゃり、同じようにいらっしゃることとなり、神●がいらっつしゃる多くの印は、たえずお前についてまわり、たえずお前を善と父の愛とで取り囲み、お顔をあらわし、足の神々しき跡を表わす。そのことを信じ、ここから去る前に確信できるようにお前とその子孫らに未来にやって来ることをお前に示すために私がつかわされたことを知れ。悪をもって善を聞くことを、人の罪深さと至高の恩寵とが争い合うことを期待せよ。それによって真の忍耐を学び、喜びをおそれと敬虔な悲しみをもって柔らげこのましくあれ逆境にあれ中庸によって等しく耐えることに慣れよ。そして間違いなく人生を送り、この上なく準備ととのったことになり死の宣告が下る時にその宣告にこの上なくよく耐えるよう。この丘をのぼれ。イーブは、めをぬらしておいたから、ここに眠らしておき、お前は目ざめて将来のことをみるのだ。ちょうどかつてお前が眠っていて、イーブが生命あるものへと形づくられたように。

 

ミカエルに対してアダムはこう喜んで答えた。「お昇り下さい。後について行きます。確たる導き手の方よ。道を導いて下さり、天の手に、たとえ苦難がありましょうとも身を委ね、このあらわな胸を悪へと向け、受難に合うことで打ちかつためによろい苦難より勝ち得た安息をもしできることなら得たい。」そこで二人は神の幻影につつまれ昇っていた。

 

楽園のなかで一番高い丘であり、その頂上から地球の半分がはっきりした様子で見晴らしのよい地形の充分な広さにまで広がっていた。二人の立つ丘は荒野にあって、そこに別の目的で誘惑者が第二のアダムをつれていき、地上のあらゆる王国、その栄光をみせていた。あの丘もこの丘ほど高くはなく広くはなかった。アダムの目で、どこの古今の名高き都、巨大な帝国の中心地も見渡せた。中国の王の御座、クビライ汗の手になるカンバルーの将来建てられることになる長城とチムールの御座、中央アジアに流れるオクス河の河辺のサマルカンドとから支那の王達の都ペキン、さらにモンゴルの大帝の住むアグララホー:さらに下りて黄金産するマレイ半島、エクバタンのペルシア人が座したところ、あるいは以前にはヒスファンに住んだところ、あるいはモスクワに住むロシアの皇帝がビザンチンに住むターチェスタン生まれのトルコ皇帝の住むところにいたるまで。また目はアビシニア帝国をその辺境の港、エルココまで。さらに群小の名高い海辺の町、モンバサ、キルワ、メリンダや、黄金の産地オフルと考えられソァーラ。さらに下って南の果てコンゴやアンゴラの国にいたるまで。そしてニジェール川よりアトラスの山にまでおよぶアルマンスルの領国、フェス、チュニス、モロッコ、アルジェ、トレムセン。さらにヨーロッパ、ローマが治めることになる●界。霊眼でおそらくアダムは富めるメキシコ、モンテズームのみ座、ペルーのクスコ、アタウアルパ王のいやましに富めるみ座。やがて三つの頭持つジェリオンの息子スペイン人らに黄金の都と呼ばられる町、今だに征服されていないギアナの国、高貴なものをみられるよう、マイケルはアダムの目からはっきりとした視界を約束したかの偽の果実が生んだ薄膜を取除き、こごめ草と芳香とで視神経を清め――これからみるものがたくさんあったのだが――生命の泉より三滴そそいだ。これらの成分の力はたいへん深くしみ込み、心眼の真ずいにまでしみ渡りアダムは今や目を閉じることを余儀なくされうちくずれ、精神はことごとく忘我となった。しかしアダムの手をとって高貴な天使は持ち上げ、その注意力を喚起した。アダムよ、お前の目をさあ開け。お前から生まれる子孫に原罪がもたらす結果を。取りのけてあった木に触れることなく蛇と気脈を通じず罪を犯さずのに原罪からもっとおそろしい行いを生む腐敗を生まれる。

 

アダムが目を開くと野がみえた。耕地のところには新たに刈られた束があり、羊のかこいがしてあるところもあった。耕地と羊のかこいとの間には、祭壇が境界標としてあり、ひなびて、芝地でできていた。そちらの方へすぐに汗をかいた刈り人が耕地から最初の果実、緑の穂、選り抜かれていない小麦の束を、手にかかえられるかぎりもって来た。次にずっと柔和な羊飼いが、選び抜かれた最高の羊のうい子をつれて来て、犠牲を捧げ、内臓と脂肪とを香をまき散らして裂いた木の上におき、しかるべき儀式を行った。その供物を天から下れる慈悲深き火がすばやくみつけ、感謝のかおりを立てて焼いた。もう一人の者の供物は、誠実でなかったために焼かれなかった。それに腹を立てて、その二人が話しているうちに、もう一人の胸を生命を出す石で打った。倒れて真青となり、ほとばしる血が流れ出ずる魂をうめいて出した。その光景にアダムは心中おおいに困惑し、あわてて天使に叫んだ。

 

先生、犠牲を十全にささげたあの柔和な人に大いなる不幸がふりかかりました。敬虔な行為と清らかな献身とはこうして支払われるのですか。

 

アダムにマイケルは、やはり心動かれていて、こう答えた。アダムよ、この二人は兄弟で、お前の腰から生まれるはずのもの。不正なものが正しきものを、兄弟の供物が天に受け入れられたという嫉妬のために殺した。しかし血を流すという行為は復讐され、殺されたものの信仰は認められて、なんら報いを失うことが、たとえこの場では、塵と血のりにまみれて死んでいるがみえようとも、ないのだ。マイケルにアダムは言った。

行いも原因もなんとか●●●。しかし今死を目撃したのか。生まれた塵に戻らねばならない道なのだろうか。おそろしい光景。見るにつけけがれてみにくく、考えるにつけおそろしく、感ずるにつけなんとおそろしいことか。

 

アダムにマイケルは答えて、人の姿をまとった死の形を始めてみた。しかし死は多くの姿をしており、そのいまわしい洞窟に導く道は数多くあり、それらはみなことごとくおそろしい。とはいえ、死のなかに入るよりも入口のところでもっとおそろしく感ずる。お前がみたように、強力な打撃を受けて死ぬ者もいれば、火、洪水、飢饉で死ぬものもおる。おそろしい病を地上にもらす飲食の度をこして死ぬ者はきっといる。病という怪物たちのなかから一群がお前の前にあらわれ、そしてお前はイーブの不節制が人にもたらす悲惨がいかなるものかを知ろう。すぐさま、アダムの目の前にある場所があらわれた。そこはさびしく、騒音にまみれ暗かった。病院らしくそこには数多く、あらゆる病と疾病。ぞっとするけいれん。見を裂く苦しみ、胸の痛みの発作、あらゆる種類の熱病。ひきつけ、てんかん、烈しいカタル、腸結石、かいよう、腸の痛み、つかれた狂気、気ふさぐそううつ症、月にうたれた狂気、痩衰病、消耗いちじるしい結核症、まんえんする疫病、水腫、喘息、関節を痛めるリューマチ。七転八倒の苦しみ、うめきのふかいごと。<絶望>は病床を次々といそがしくみとり、病床の上では勝ち誇って<死>がその矢を振りまわしていたが。投げおろすことには手がかかった。最●●最後の希望としての願いを持ってしばし呼ばれるが。

 

そのようにゆがんだ光景を乾いた目で長いことどのような石の心が眺められよう。アダムは乾いた目で見ることかなわず、女から生まれたものではないが涙いた。哀みに男らしさの最善を静め、しばらく涙を流しついにかっこたる思いが過度を抑制し、やっと言葉を取り戻し、嘆き始めた。かわいそうな人間よ。なんたる堕落へと落しめられなんたるみじめな様に運命づけられていることか。ここに生まれてこぬのが、よりよき結論。どうして生命はこのように私達から無理にねじり取られるのか。というより、どうしてこのように(生命が)押しつけられるのか。授かるものがなにかを知るなら、申し出された生命を受け入れることをしないが、あるいはすぐに捨て去ることをお願して、平安のうちに去ることを喜ぶでしょう。かつて人のなかにいともよく正しきものとして創造された神の姿は、そのご罪を犯したとはいえ、そのような見るにたえない苦痛にまでおとされ、人間らしからぬ苦しみをかせられるのか。どうして人は、部分的にも神様の似姿をたえず保って、そのような醜さからまぬがれ、造り主の姿であるために免除されないのか。

 

マイケルは答えた。「造り主の姿は、人が自ら卑しくて統制とれぬ食欲につかえ、人がつかえる食欲の姿を人はとり――食欲はイーブの罪のもとであったが――けだものの悪徳を受け入れる時に、その時に人を見捨てる。それゆえかくもおとしめられていることが即罰であり、神の似姿ではなく、人自らの姿をゆがめ、あるいはもし神の似姿をゆがめたとしても、人が自らのうちにある神様の似姿をうやまわぬために、純粋な自然の建前な法則をいむべき病えとゆがめる間にそうした行いにふさわしく人自らの手で、その似姿を忘れてしまっているのだ。

 

アダムは答えた。私はそれを正当なものとしてあきらめ、服従致します。これらの痛ましい死にざまの他に死に至り、生来の塵と交わることができる他の方法はないのでしょうか。

 

マイケルは答えていった。「ある。幾年もが●めぐる●あまり過度に渡らぬことを守りお前が食べ飲むものを節制によって教えられ、それによって、しかるべき滋養を求め、飽食の喜びを求めずにいれば。そうすれば死が熟して熟した果実のように母親のひざのなかに落ちるが容易に取り集められ、荒々しくもぎとられることがない。これが老年だ。その時、お前の<若さ>、<力><美しさ>を経験もおわっており、<若さ>は衰え、<力>はなえ、<美しさ>は枯れる。お前の感覚はにぶり、あらゆる喜びの味わいはお前が持っているものにくらべ減少することになろう。<若さ>の気分、希望にあふれ、陽気な気分のかわりにお前の血に冷たくかわいた湿った憂鬱が支配しお前の活気を静め、ついには生命の芳香をついやしてしまう。

 

マイケルにアダムは答えた。「これからは死からのがれず、生命をひきのばそうともせず、むしろ明け渡すことになるが、約束された日まで持っていなければならないこのやっかいな重荷から、けがれなく容易にどうしたら免れるかを熱心に考えます。そして忍耐をもって自分が消滅することを待ちます。

 

マイケルは答えた。「生命を愛しもせず、憎みもするな。どの位生きられようと、よく生きよ。人生の長短は天に委ねよ。さあもう一つ別な光景を心せよ。アダムはみてみると、広大な平野が目にとまり、そこでは色とりどりの幕屋があり、そのそばでは家畜の群れが草をはんでいたり、あるいはある幕屋からは、調和のとれた階調をかなでた楽器、ハープや牧笛の音が聞こえて来た。そして●●や弦を動かす者の姿がみえた。その飛ぶような弾奏ぶりは、あらゆる階調に渡って本能的に鳴り響くフーガを●●●においたてる。他のところでは炉のところで●き、鉄と銅の二つの大きなかたまりをとかしていた。

 

(偶然に火が山や谷の木をもやし、地球の鉱脈にまで下り、そこからあついままにどこかの洞窟の口にすべり出て来たのを見つけたのか、地下の流れによって打ち寄せられたところを見つけたのかであろうが。)液状の金属を準備された適当な型に流し込んだ。そこからまず自分用の道具を造り、次にそうしたものの他に金属で彫って鋳造してできるものをつくり、そのあと手前の方に別の種類の人々が、自分達のすみかである近隣の高い丘からこの平野へとおりて来た。その姿からすると正しき人のようで、その努力をことごとく神を正しくうやまうことに向け、隠されてはいない神のみ業を知り、人にとっての自由と平安とを保つことはおおよそかかわりないものでないものを知っている。その者たちは平野をさほど歩まぬうちに、美しい女達が幕屋から彼らをみつけた。女達は貴くはでで宝石とみだらな服を着て、ハープに合せて調子の軽い恋愛歌をうたい、踊りながらやって来た。男達はいかめしい人達であったが、女達をみつけると統べることなく目をきょろきょろさせ、ついには恋の網にしっかりとかかり、好きになって、自分の好みの者を選んだ。そして今や夕べの星(宵の明星)、恋愛の先駆者が現れるまで愛を語り合う。興奮して婚姻の灯をつけ、その時始めて結婚へと呼びよせられるハイメ●を呼ばしめた。宴と音楽とでどの幕屋もこだました。●●●●●愛と若さとそのような幸福な話と●かれなき出来事と、歌と花輪と花と、うっとりする調和にアダムの心はとらわれ、すぐに本性の性向である喜びに働くようになった。その気持ちをこうあらわした。

「我が目の開眼者。幸ある天使長よ。あの前の二つよりはるかによくこの光景はみえ、平和の日の希望のおおいなる前●となっている。お前の光景は憎しみ、死、さらにひどい苦痛でできていたが、この光景では、自然はあらゆる目的において完成しているようだ」

アダムにマイケルは答えた。たとえ、自然に合致してみえようとも楽しみによって最善たるものと判断するな。お前は、もっと高貴な神聖で純粋な目的、即ち神との合一へと造られた。あの幕屋をお前はいとも快きものとみているが、あの幕屋は邪悪の住める幕屋。そこには兄弟を殺した者、あの者の種族が住むことになる。生命にみがきをかける技に熱心なようで、稀なる発明者である。しかし、精霊に教えられても造り主のことを心にとめず、神様から授かる才能を全く感謝しない。やがてこれらのものは美しい子孫を生むだろう。というのも、あの美しい女の一群をみたであろうが、あの女達は女神のようで、いとも陽気で、なごやか浮き浮きしてはいるが、女性が持つ家庭的という名誉、最高の賞賛が根源たるあらゆる善性に欠けている。情欲の欲望の味にただかなうように育てられ、またしつけられ、歌はうたい、踊りをし、着飾り、べらべらとまくしたて目をくるくるまわす。この女たちに、その神々しい生活ゆえに、神の子らと呼ばれていたあのまじめな男たちが、自分達の持っていた徳をことごとく委ね、その名声をことごとく卑しくもこの美しい無神の女どもの誘惑とほほえみ委ね、今や喜びにひたり(すぐに一同ひたりきることになる――洪水の中を泳ぐことに――)笑う。●界はそのために大量の涙をすぐに流すこととなる。

 

ミカエルにアダムは短かった喜びを味わっただけで答えた。あああわれ、恥辱。けがれなくよく生きようとするものは踏みそれて遠回りの道を歩み、中途で弱るとは。にもかかわらず、人間の苦悩は(私が経験したのと)同じ進路を取り続け、女から始まることがわかる。

 

天使は言った。それは男らしくないなまけから始まるのだ。男は知恵と授かったいと高き才能とによって自分の地位を保つべきであるのに。しかしさあ別な光景を準備せよ。

 

アダムは目を向けると、広々とした場所が目の前に広がっているのがみえた。町とその町の間には、田口の●があり人の住む、高貴な門と塔とがある都市、武装したもの同士がにらみ合い、戦いを威嚇するおそろしい顔、大きな骨格をし大胆な企てをする巨人、武器をふるう者もいれば、あわを吹く馬をおさえる者もいて、単独で、あるいは武闘体系をなして騎馬の兵士も歩兵もむなしく集められて立ってはいなかった。一方へ、鋭兵は馬糧徴発をしようと肉牛と美しい雄牛、美しい雌牛の一群を、肥えた牧草地から追い立て、野に広がる雌羊、メェーメェとなくその子羊、ふさふさとした羊たちを略奪品とする。命からがら羊飼いは逃げ、助けを求めるが、血を洗う争いとなる。おそるべく槍をまじえ、戦隊と戦隊とが加わる。近頃まで家畜が●●●●●●●●●●●●荒れはて、死体と武器が散らばっている。他の一隊は、堅固な都市を包囲し陣をはっていた。大砲とはしごと雷坑とで攻めていた。相手がたは城壁から矢と投げ槍、石、いおうの火とで応戦する。双方に殺りくと大いなる武勲、別なところでは、王しゃくを持った伝令官が、市の門のところで評議を招集したが、すぐに白髪のいかめしい男たちが、兵士に混って集まり、熱弁が聞かれるが、すぐに党利党略の反対に会い、最後に中年の重々しい賢明な態度をした男が立ち上り、善悪、正義、宗教、真理と平和、天からの裁きを大いに語った。その男を老いも若きも壇上から追い出し、わしづかみにしたであろう、もしも天上から下る雲が下り、そこからその男をつかみ出し、見えなくしなかったならば。そして乱暴が、圧政が、武断政治が野にあまねく広まり、避難所は一つとしてみつからなかった。

 

アダムは涙ぐみ、導き手に向かって全く悲しくなってこう嘆いた。ああこれは何たる様、死の死者であり、人でない。非人間の如く人に死をもたらし、弟を殺したカインの罪を何万倍にも増やしている。いったいあの者どもは、自分達の兄弟以外のいったい誰にあのような殺りくを、人は人に殺りくをするのであろうか。しかし、天がもし助け出さなければ、自分の正しさゆえに命を落としていた人は誰か。

 

アダムにミカエルは答えた。これらはお前がみた悪しき配偶者との結婚から生まれたもの。善は悪とは連れ添うがそれ自体結びつくことを嫌いながら軽●さによって混わると(軽●なために結びつくと)、心も体も不自然な生れを持つ。それが、この巨人たち、いと悪名高き名声を持つ男達。というのもこの頃、力だけがたたえられ、勇敢、英雄の徳と呼ばれるようになる。争いで勝利を得、人民を圧迫し、数限りない殺人で戦利品をもちかえることが、人としての栄光のこの上ない頂点と考えられる。勝利がもたらす栄光のおかげで大征服者、人類の被護者、神、神の子と呼ばれるが破壊者、人間の呪いと呼ばれる方がずっと正しい。こうして名声が確立されるが地上の名声であり、●の名声をたかめるものは沈黙のうちに隠されている。しかし、お前から数えて7代目の者は、お前もみてのとおり、正道踏みはずした世界のなかにあって唯一の正しき者。それゆえ憎まれ、正しくあって、神は聖徒とともにやって来て人々を裁くという憎まれる真理を語る勇気の唯一のものであるゆえに敵に取り囲まれる。その者を至高なる神は芳香の雲につつみ、翼をつけた馬で、お前がみたように受け入れる。その者は救いのなかを、至福の国のなかを、いと高き神とともに死から免れて歩む。善人には何が待っているか、善人以外のものにはどのような罰があるかを教えよう。さあ目を向けよ。すぐにそれがみえよう。

 

アダムが目を向けてみると、物事の様相が全くかわり<戦争>が持つ真ちゅうの●はとどろきやみ、あらゆるものが今や浮かれ騒ぎや競技、色欲や放縦、宴会や踊り、結婚か売春かはその時しだい。いともうるわしい女が人を誘う場合●●●●●●●酒呑みから人々のけんかへと。とうとういかめしい老人がそのなかからやって来て、人々の行いに大いなる嫌悪をあきらかにし、人々の生活があやまっていることをあかした。祭りやお祝の人のあつまるところにどこでも出入りし、迫り来る裁きを受けるとらわれ人に対するごとく●心と改悛とを人々に説教した。しかし全く無駄であった。無駄な様をみると、言い争うのをやめて自分の幕屋をずっとむこうに押しやり、山からたけの高い木を切り倒し、巨大な船を建て始めた。キュービットぎめで測った長さ、幅、高さを持ち、全体はピッチで塗られ側面にはドアが造られ、人と動物用の大量の食糧が用意されていた。その時みよ、奇妙なる不可思議なこと。おのおの獣、鳥、小さな害虫のなかから7つずつ、つがいで、その順番を教えられ、たかのように入って行き、最後にはその男と、男の息子たち、それにその妻が入って行った。神は舟の戸びらをしっかりとしめた。そうしているうちに南風が起り、黒い翼をつかってあまねくまい、空中から雲という雲をあつめ、丘はそれを助けようと暗い霧と蒸気とを、力のかぎり出し、今やあつくつもった空はどす黒い天上のように立ち、激しい雨が降りそそぎ、地面はもはやみえなくなるまでとなった。激しい雨が降り地面がもはや見えなくなっていた。浮んだ船は打ち上げられて走り、とがったへさきで波をかきわけて安全に進んでいった。この船以外の住居はみな洪水で水没し、華麗を誇った住居も水中深くころがされる。海が海をおおい岸のない海となる。淫蕩が近頃まで支配していた宮殿のなかで、海獣が子を生みそこに住み込んだ。

 

人間に関して言えば、最近までいともおおかったのに残されたものはみなたった一つの小さな船に乗ったものだけ。アダムよ、お前の子孫の成りの果て絶滅悲しい結末をみるのにどうして涙を流すのか。お前をもう一つ別な洪水、涙と悲しみという洪水がお前をおぼれさせ、お前の子孫たち同様にお前を沈めた。ついにやさしく天使にささえられて、慰められずとはいえ、ついにお前は自分の足で立つ。ちょうど子供達が目の前で殺されるのを一部始終た父親が、その子供達のことをなげくかのように。かろうじてお前は天使に向かってお前の嘆きをのべた。

 

悪しきことを予言する光景よ、未来のことになぞ無知なままでいたらどれほどよかったろう。日々の運命を充分に耐えられる自分が犯した悪にだけたえられていたら。多くの時代に渡り重荷として振り分けられたものは、今や早産をした先見のためにすぐ様私にふりかかり、そうしたことが実際生まれる前に、そうなるに違いないと思って、私を苦しめる。これからは人とその子供たちにふりかかることを予言するよう求めぬようにして下さい。悪、その悪をきっと予見はしても避けられはしないばかりでなく、その未来の悪を実体として感じもし、像などしておそろしくて耐えられない。しかし、その心配は今やすぎ人は警告されるべきものでない。飢饉とみ怒りの意志とがのがれたほんのわずかのものも最後にはあの水の砂漠をさまよううちに食い尽くすであろう。乱暴がやみ地土のあらそいがなくなった時、すべてがうまく行き、平和が幸福な長き日々に渡り、人類を飾るであろうという希望を持った。しかし私はずいぶんあざむかれた。というのも戦争が荒廃をもたらすのと同じく平和が腐敗をもたらすのをみる。天の導き手よ、お打ち明け下さい。ここで人類が終ってしまうのかどうかを。

 

アダムに向かってミカエルはこう答えた。お前が先ほどみた勝ち誇り淫蕩につつまれ富にひたるものたちは、すぐれた武勇と大いなる功績を果すが、真の徳に欠けた、始めにみた者たちのことだが、このものたちは、多くの血を流し多大の荒廃をもたらし、●●を屈服させ、それによってこの世に名声と気高き称号と高価な戦利品とを得て、快楽と安楽と怠惰と飽食と肉欲とに方向を変え、ついには放縦と傲慢とが友情を破壊し敵性を示す行いを平和の中に起す。征服されたものもまた戦いで奴隷とされて自由を失うと同時にずべての美徳と神への恐怖とを失う。神様から、その者たちの(始めからの)いつわりの信心は戦いのきびしさのなかにあって、侵略者に抵抗する力をえなかった。それゆえそれ以来、熱心さもさめて、領主たちが楽しみとして許すものをかてとして安逸に、世知にたけ放縦に生きることをくわだてる。というのも●●●●●●●●●●●●●●●●そしてあらゆるものは堕落し、腐敗し、正義と節制、真理と信仰とが忘れ去られる。ただ一人の人を除いては。暗い時代にあっての光の子。今述べた十分な例に●い、誘惑、慣習、●の怒に抗する。非難や侮蔑、暴力をおそれず、人々に悪しき道を警告し、人々の前に正義の道を示し、その道がどれだけ安全で平和に満ちているかをあかし、人々のかたくなに下る来るべきみ怒りを告げる。そして人々にあざけられて帰るが、神に生きている唯一の正しき人と認められて、神の命令に従っておどろくべき箱船を、お前がみているように造り上げ、破滅へとあまねく運命づけられた世界のさなかから、自分と家族とを救う。この男が生きるように選ばれた人と獣とともに箱船のなかに住み、まわりのものから守らるやいなや開いた天窓は地上に昼夜雨を降らせる。

 

深淵からさけて泉という泉が大海はもりあがらせ、あらゆる領域を越えて略奪し、ついには一番高い丘さえも越える大波が起る。そして、楽園があるこの山も波の力で動き出し、枝わかれした洪水によってことごとくそこなわれた楽園の緑と波に漂う木とともに押し流され大河を下り、広く口を開けた湾に至り、そこには●の塩気を含んだ島となって根を張る。そこはアザラシ、イルカの溜まり場、海カモメの●く所。しばし訪れ、あるいは住む者が何も●らかさを持っていないなら、その場を神は聖●としないということをお前に教えるため。では今将来起ることを見よ。

 

アダムは目を向けてみると今や和らいだ洪水に浮ぶ船体を見た。というのも空は激しい北風に追われ、追い込まれ、北風は乾いた風を送り洪水の表面をちぢまらせ、なえたように●せた。そして広大な水面の上の明るい太陽が暑くみつめ、新鮮な波から大いに、のどのかわきのあとであるかのように飲み、波はその流れをよどんだ湖からしたたる潮の方へと引きさがり、やさしい足どりで大海へと向かい、大海は天上がその窓を閉じたように、今や水門を閉じた。箱船はもはや浮ぶことなくある高い山の頂上にしっかりと据えつけられて地上にあるようである。そして今や岩のような丘の頂上が現われる。大音響をたてて、速い流れが、退きつつある海に向かって、そのおそろしい潮を向わせる、それとともに箱船から大ガラスが一羽飛び、それを追って、確実な使者鳩が、一度、そしてもう一度送られ、鳩が舞い下りることのできる緑の木や地の偵察に行った。2度目に戻って来た時、そのくちばしにオリーブの葉、平和の印を持って来た。

 

すぐに乾いた土地があらわれ、その箱船から●祖が、その一向とともに降り下る。そして手をかかげ敬虔な目つきで天に感謝し、頭上に露したたる雲をみる。そして雲のなかに、帯をなしたきらびやかな三色できわだった虹をみる。神様から下れる平和の印、新たな契約。それをみて、始め悲しかったアダムの心は喜び、こうその喜びを述べた。

 

未来のことがらを現在のことの如く現わせるお方、天上の教師よ、この最後の光景をみて私は生き返り、人はすべての被造物とともに生き、その種を保存することを確信しました。今私は悪しき息子たちのために破壊される全世界を嘆くよりも、いとも完全で正しいとあかされた人のことを喜ぶ。神はその男からもう一つ別な世界を起すことを許され、そのみ怒りをことごとくお忘れになる。しかし、和らいだ神様の額のように、天に広がる色の帯はどんな意味なのでしょうか。雨降らす雲がほころびて、再び地上を水浸しにしないように雲の流体のへりをとめる花のようなふちとして役に立つのでしょうか。

 

天使ミカエルは答えた。「巧みに着眼する。喜んで神はみ怒りを免ぜられた。神は下をみて地上がことごとく乱暴にあふれ、いけるものが人の道を汚しているのをごらんになった時、堕落した人間を悔いて心からお悲しみになったが、それらを取り除き目にかなう一人の義人が大いなる恩寵をうけ、神はふびんに思われ、人類を消さぬように契約を結び、洪水で再び地上を破壊したり、海はその領域を越えたり、雨は地に住む人とけだものとをおぼれさせたりはせず、地上に雲をもたらす時には、そのなかに三色の虹をおき、それをみて神との契約を思い出すように。日と夜種蒔く時と刈り入れの時、暑さと白い霜とによりその推移を定めることになろう。そしてついには火はあらゆる新しいものを、天と地とを清め、そこに義人が住むことになる。

 

急ぐことに心傾いてはいるが真昼にその旅を休むもののように、ここでつまり破壊された世界と回復された世界との間で、大天使はアダムが何か言葉をはさ●ぬかと間を入れたが。そして甘美なる変化をもたせ新たに話し始めた。

 

こうしてお前は一つの世界が始まり、終るのをみた。人は第二の親木より生ずる。お前はまだ見るべき多くのものがあるが、死を免れないお前の視覚が役に立たないのを感ずる。神聖なるものは必ずや人間の感覚をそこない疲れさせる。これからは、起るはずのないことを述べることにし、お前はしかると注意して聞け。

 

第二の人の源は、未だ数少なではあったが、下された裁きのおそろしさが、人々の心に生々しく残り、神性をおそれている間、公平と正義とにおもんばかって人生を送り、すぐさま●え土地を耕やし、穀物、ブドウ酒、油をとり入れ、家畜の群れの中から牛、羊、ヤギをしばし犠牲にささげ大いに流されたぶどう酒という供物と聖なる●とで非難されぬ喜びのうちに日々を過ごし、族長支配のもとに家族や種族ごとに長く平和に暮した。ついに、傲れる心持ち正しい公平と友愛の状態に満足せず、兄弟に対する不当の支配を我が物としようとし地上から和合と自然法とを取り上げて、(獣ではなく人がこの男の獲物であり)、暴虐の帝国に服従を拒むものを、争いと憎むべき罠とで狩る。力強き狩人とその男は以後主の前で天を侮蔑し、天から離れて第二の主●者と言われることになる。そしてその名は他人が反乱することを責めるが、反乱に由来する。

 

この男は、同じ野心を持ってこの男と結びつき、あるいはこの男のもとで圧制をしようとエデンから西へと向い平野を見つけ、そこには黒いせきれいの渦巻きが地下、地獄の口から沸き出すレンガとせきれいとで頂上が天にも届く都市を建てることを決め、はるかに広まり外地で、よい名声であれ、悪しき名声であれ、ともかく都市の記憶が忘れ去られないようにと。

 

しかし神はしばし姿を現れずに下り人を訪れ、そのすみかを通り歩き、人々の行いを目に留め、人々のあり様をすぐみると、塔が天の塔を妨げぬうちに都市をみに行かれ、あざけられて人々の舌に争いの霊を授け、母国語をまったく消し去り、かわりに知られてはいないがちゃがちゃした言葉を蒔く。すぐに憎むべきわけのわからぬ言葉が建設者らの間で声高に昇る。お互いが互いに理解されずに声をあげ、皆怒り、あたかも愚弄されたかのようにみなののしりあった。大いなる●いが天にあり、見降ろすと、奇妙な騒ぎがみえ騒音が耳に入る。こうしてその建物は冷笑のまとと残り、混乱と名づけられた。

 

アダムは父親らしく大いに不満げに答えた。卑むべき息子、自分の同胞を越えて昇り神から授ったわけではない略奪した権威を我が物とする。神様は我々人に獣、魚、鳥に対してのみの絶対権威を授けて下さった。神様の寄付により、その権威を持っている。しかし、人の上に人を神様はつくらなった。人の上の人とは神様のためにとっておかれ人は人から自由である。しかしこの簒奪者は人へのおごれる侵害をずっとし続ける。神様に対する挑戦と攻略として、塔は立つ。卑劣漢、いかなる食物をそのような高みにまで運びあの男とその無分別な軍隊とを維持するのか。

 

あの高みにあっては雲の上の薄い空気のために下等な内臓がおとろえ、食物でないにしても呼吸に飢えるであろう。

 

アダムにミカエルはこう答えた。正しくお前はあの息子を忌み嫌う。人の安らかな状態にあれほどの混乱をもたらし、理性の自由を押えつけることを好む者を。だがこれによって、お前が始めに誤りを犯してからというもの真の自由は失われたということを知れ。<真の自由>とは<正しき理性>との双児となって住み、<正しき理性>から分けられないもの。人に宿る<理性>は、暗くせられて、(他の●●から)服従される権威を失うとすぐ様過度の<欲望>と成上がりの<激情>とが、<理性>から支配を捕縛し、自由になれるまで人間を隷属させる。それゆえ心の中で価値のない力が自由な<理性>を統治するのを人が許すゆえに神は正しき判断をされて、外側から暴虐のに人を隷従させる。そのどもはしばし(心の中の価値のない力同様)人の側面の自由を隷従する。このことによって暴君への何ら弁護にはならないとはいえ、暴政と必ずやなる。だが時折諸国民は徳、即ち理性から卑しくも堕落し、●●●正義が悪と結びついた致命的な呪いとが、諸国民の外面の自由、失われた内面の自由を奪う。箱船を建てた者の不敬なる息子をみよ。その息子は父親に対して行った恥辱ゆえに、その悪しき種族にこの過酷な呪いを、しもべのしもべとなれという呪いが下るのを聞いた。こうして、第一の世のようにこの世は悪よりいや増しの悪へと絶えず変化していき最後には神は人々の邪悪に疲れ、人々の中からその存在を退き、聖なる目をそむけ、その時から人々をそのけがれたる様のままにすることに決心する。そして、あらゆる国民のなかから選ばれた特定の一国民、一人の忠実な者から起る国民に、神自らを祈り呼ばしめようと決意される。

 

ユーフラテス河のこちら側に住み、偶像崇拝のなかで育った者から。(お前は信じられるだろうか)今だに族長が生きている間に、あの洪水をのがれた男達が生ける神を見捨てて、木や石で造ったものを神々として礼拝するように堕落するまでに愚かとなるとは。だが、ある男を至高なる神は啓示によって親切にも父の家、親類誤てる神々を去り、神が示す土地に行き、その男から力強き国民を起こし、祝福をその民に降りそそぎ、その子孫によりあらゆる国民は称賛される。その男はすぐにどこの土地へ向うのかもわからないが、堅い信仰を持って従う。神々のもと、友人、生地カルダエアのウルを去り今や浅瀬を渡りハランへと向う。その男の後には牛や羊の数多くの奴隷の荷●列が続く。貧しくさ迷うのではなく見知らぬ土地であらゆる富を、自分で呼ばわった神に委ねてである。カナンに今や着き、シケムのあたりでその近くのモレの平野、幕屋をはるのをみる。そこで約束に従い子孫に対する賜物、その土地のすべてを得る。北はハマテから、南はジンの荒野(今は名づけられていないが、その名に従って呼ぶことにする)東はヘルマスから西は大海[地中海]まで。ヘルモン山、向こうの海と、一つ一つの場所をお前にさししめすまま見晴らす。死海のほとりにカルメル山。源二つ持つ河、東の真のきわ、ヨルダン河。しかし、息子たちはあの長い山のみねの方、セニルに●●住む。地のあらゆる民はその男の種のうちで祝福されるということを考えよ。その種というのは、大いなる解放者、蛇の頭を砕く者による。そのことについてはすぐにお前にもっとはっきりとあかされよう。この祝福されし族長は、後に信仰厚きアブラハムと呼ばれることになり、息子を残し、その息子から孫を残す。その者たちは、信仰、知恵、名声において父と似る。

 

孫は増えた12人の息子とともにカナンを去り、後にエジプトと呼ばれ、ナイル河に分けられた土地へと向って去る。その河が流れるところ、7つの口で海にはきだすところをみてごらん。飢饉の時に若い息子に招かれ、その土地に寄留するようになる。その息子の価値ある行いにより、ファラオの王国で第二の土地を占めることになる。そこで[ヤコブは]死にその一族は国民となり、次の国王に嫌疑をかけられるようになり、王は寄留人があまりにも大きくなりすぎたので、増え続けることを止めようとする。そのためにすげなくもこれらのものを奴隷とし、男の児を殺す。ついに神からつかわされて人々の解放をする二人の兄弟、モーゼとアロンと呼ばれるが、のおかげで。栄光と獲物とをたずさえて約束の地へと戻る。しかし、始め無法な●王は神を知ることを拒み、託宣を省みず、おそるべき印と裁きとをしいられることになる。流れてはならない血と河は変る。カエル、シラミ、蝿が、王の宮殿を忌むべき侵入をしてみたし、国中があふれる。家畜は腐敗と疫病とで死ぬ。できものと水腫とに、王の体そして人々の体もおおわれる。あられまじりの雷、火まじるあられがエジプトの空を裂き、地上に輪がまわり、まわるところを破壊する。破壊しなかったもの、草、果物、穀物を、真黒な雲と群がるイナゴが降りて来て食べ、地上に緑のものを何も残さない。暗黒が王国全土をくもらせ、それとわかる暗闇が三日間覆い隠す。最後に、真夜中の一撃のうちにエジプトの初子はみな死ぬ。こうして十の打撃を受けて飼いならされた河の竜パロは寄留者が去ることを甘受し、そしてしばしかたくなな心を卑しくするが、まだ雪どけのあと一層固くなった氷のようで対には怒ってさることを許したばかりの人々を追い求めると、海は王の軍隊もろとものみこむが、寄留者はあたかも水晶の壁が両側にある乾いた地面の上のように通りすぎる。モーゼの杖に服従し、救われた寄留者らが対岸に着くまでそのように分かれる。天使の形をとってあらわれ、そのようなおどろくべき力を神は聖徒モーゼに貸す。人々の前を雲の形、火の柱、昼に雲、夜には火の柱となって進み、心かたくなな王が追いかける間人々の旅を導き、また人々の背後へと移動する。

一晩中王は追いかけようとするが、暗闇が両者の間を朝の見張りが現われるまで見守る。そして火の柱と雲とを通して神はご覧になり、王の軍隊はみなこまらせ、戦車の車輪をこわす。その時命令によってモーゼは再び海の上に杖をかざす。海は杖に従う。戦陣を組んだ戦列に波は戻り、兵士らを圧倒する。選ばれた民は安全にカナンへと紅海の岸辺から荒れた砂漠を通っていく。しかし直接道ではない。驚いたカナン人の土地に入るための戦争に腕に覚えのない人はおそれ、そのおののきのため、人々はエジプトに戻り、服従して不名誉な生活を送ることを好まないように。武器を持って訓練を受けていない人々は、●ぜんをとわず、生命はずっと甘美なものだから。●●が先立たぬかぎりは、遅れている間に荒野のなかでこういうことをする。イスラエル人は統治を築き12部族のなかから大いなる●●●●●●を撰び(神様によって)定められた法に従い始めることとなる。神は灰色の頂上にうちふるえるシナイ山から下り雷稲妻、大いなるラッパの音とのなかで、人々に法を定める。世俗の正義に関するものや犠牲の儀式に関するものもあり、予表と影とによって、あの定められた種が蛇をくだき、いかなる方法によって人類の解放に到達するかを告げる。しかし神の声は必ず死を向える人間にとってはおそろしいもの。モーゼが人々に神のみ意志を伝えるよう、恐怖を治まるようにと懇願する。人々が求めることを認め、神から仲介者なしに神に近づいてはならず、仲介者という高い地位を●●●としてモーゼが担い、さらに偉大な方の●●●としてその方の来たる日を告げ、それまでのあらゆる予言者らは、偉大な救世主の時代を歌う。こうして律法と儀式とが定められ、み意志に従順な人に神は大いにお喜びになり、幕屋、やがて死ぬ人とともに住む聖なる場を立てて下さる。神様の命じられた通り黄金でおおわれ、アカシア材でできた聖所ができており、そのなかに箱があり、その箱のなかに神の証しなる契約の記録があり、その記録の上には輝けるケルビムの翼の間に黄金でできた●しょくさい所がある。その前には天の体を象徴する黄金帯のように7つの燈が燃える。幕屋の上には旅する時を除いて昼間のうちには雲がとどまり、夜の間には火のような輝きがある。そしてついにイスラエル人は天使に導かれてアブラハムとその子孫に約束された土地に着く。これ以上のことを語れば長くなる。数多くの戦いがどれだけ行われ、どれだけ多くの王が壊滅されて王国が勝ち得、また人の太陽が中空にあって一日中昼となり夜はそのいつもの道のりを延期し、人の命ずる声に「太陽はイスラエルが勝つまでキベオンに立ち止まり、月はアヤロンの谷間に。」そしてアブラハムから三代目のもの、イサクの息子はこう呼ばれ、その者から全子孫を呼び、こうしてカナンを得る。

 

ここでアダムは言葉をさしはさんだ。ああ天から送らし我が暗黒を照らすもの。恵み深きことを明かして下さった。正しきアブラハムとその種とにかかわる大いなることどもを。さてまず目が本当に開き、心がずいぶん楽になりました。一頃は私とあらゆる人間がどうなるかという考えになやまされてはいましたが今では、その方の勝利をまのあたりにします。その方にあってあらゆる国民は祝福され、禁ぜられた方法によって禁ぜられた知識を求めた私には分にすぎた好意。だがこれが今だにわからない。神が地上に住むのにふさわしいとお考えになる種族のなかであの特定の人々に対してかくも多くの、しかもかくも様々な法が授けられるのか。法の数が多いことは、それだけ罪も多いこと。いかに神はそのような者とともに住まれるのか。

 

アダムに向ってミカエルはこう言った。<原罪>が人々の間にはびこることは疑いない。お前から生れた子達なのだから。それゆえ人々に授けられた法は生来の堕落を法に敵対してたたかう原罪を引起こすことによってあらわす。法は<原罪>をあらわしうるが、それを取除くことはできず、影なす弱きあかない、即ち、牛やヤギの血によって救える●●であるとわかるや、人々は人間のためにもっと高貴な血が支払わなければならず、それは不義な人間に対する正当な支払いと結論を下す。その結果(キリストへの)信仰によって人々に転嫁されるかくも大いなる(人々が所有することになる)義において、神に対する(人自らの)正さと良心の平和とを見出す。良心を儀式に基づく法は静めることはできないし、また人は徳を積むことによってもそれらを達成できず、また徳を積まずして生きることはできない。だから法は十全なるものでないままあらわれ、よりよき契約の時まで人々を委ねる目的で授けられているのである。影なる型より真理へと、肉より霊へと、厳しき法の負担より大いなる恵みを自由に受け入れることへ、奴隷の恐れより子としての恐れへ、律法のわざより信仰のわざへと、訓練されていく。それゆえモーゼは神からいたく愛せられてはいたが、ただの法を治める者であって、モーゼはイスラエルの民をカナンへとは導き入れることはない。しかしイエズスと異邦人は呼ぶヨシュアは、その名と任務とをおびて、敵の蛇を静め、知の荒野をへて長くさまよわされた人間を安全に永遠なる休息地へと連れ戻る。その間に人間はこの世のカナンに置かれて長く住み栄えるが、国民の罪によって公の平和がかき乱され、神はお怒りになり、イスラエルに敵を起こす。敵から神はイスラエルの人々がくいるごとにまずは士師により、次いで王様によって救う。王のなかでも第二の王、信仰と勢力ある行いゆえに名声高き王。変ることのない約束、即ち王位は永遠に続くという約束を受けることになる。似たことをあらゆる託宣が歌う。ダビィデ(そう私は名づけるが)の王の家系より息子、お前に予言せられた女の●、アブラハムにはその●にあらゆる国民がたよろうと予言せられ●●●●●。

 

王のなかの最後のものと予言された。というのも御子の支配に終りはないから。しかし、まず長い(王位の)継承(王政)が起り、知恵と富とで名高いダビデの子は、その時まで幕屋のままでさまよっていた神の群雲の箱を、栄光の神殿の中にまつる。この子に続く王は、善き王と悪しき王として記録され、悪しきことの方が長い巻き物となって記録される。その●●の偶像崇拝と、その他のとがと人々が犯した誤ちも加わって、、人々を見放し、国土、都市、神殿、聖なる箱を聖物とともに混乱ままになっている●●●●●いと高き壁を持つあのおごれる町、後にバビロンと呼ばれることになる、のえじき侮蔑の種とするほどお怒りになる。そこに捕われのまま神は人々を70年間に渡り住まわせ、慈悲と天の日の数のごとくにダビデに約束された契約とを思い起こされて、イスラエルの人々をつれて返る。神が仕向けたイスラエル人の主たち、王の許しを受けてバビロンから戻ると神の屋形をまず再建し、しばらくの間卑しい状況で中庸を保ち暮しており、ついに数も増し富も増えると、まがいものとなる。しかしまず祭司の間では不和が起る。祭壇につかえ、平安を何よりも●める人であるのに。祭司の争いによって神殿そのものに不浄がもたらされる。とうとう祭司らは王杖をつかぬとダビィデの子らを●●●●●王杖を見ず知らずの者に渡し、そのために油を注がれた真の救世主はその権利をさしとめられることになる。だが、その方が生れると以前には見えなかった星が、救世主の到来を告げて、東方の賢者を導き、賢者らは救世主の居所を問い、香、もつ薬、黄金を捧げるようとする。ご生地を聖なる天使は夜の間中見張りをしていた質素な羊飼いらに告げるかれらは、その地へと喜び急ぎ、隊列を組んだ天使の合唱で、救世主の賛歌が歌われるのを聞く。母は乙女であるが、父は至高の力持てる方。救世主は世襲のみ座を昇り、地上の広い領域を自ら統治され、天にはその栄光を満たされる。

 

ミカエルはこう言い終えると、悲しんでいた涙を流すかのような喜びに圧倒されるアダムを見てとった。言葉のはけ口もなく、こうアダムは切れ切れに語った。

 

喜ばしき知らせを語る預言者、最高の希望をかなえてくれる者。間断なく続く我が思いが空しく求めていたもの、どうして私達の大いなる期待が王の種と呼ばれるのかを今はっきりとわかります。幸あれ乙女なる母、天に愛さ●いとも大くが、我が腰より生まれ、お前の胎より至高なる神のみ子が。だから神は人と合体する。蛇は必ずや今、その頭をくだかれて、致命の痛みを受けることを予想する。だが、いつどこで戦いがあり、勝者のかかとをどのような一撃をもってくだくのでしょうか。

 

アダムにミカエルはこう答えた。その戦いが、対決のようなものであるとか、頭やかかとといった局部の傷などと夢思うな。またそれゆえにみ子は、大いなる力をもってお前の敵を打ち負かす人であって、●●●●●●●●●。また悪魔も力で打ち負かされない。悪魔は天上から落ち致命傷を受けていて、お前に死の傷を与えることはできないなくは●●。死の傷を、お前の救い主として来られる方がいやされるが、悪魔を打ち倒すことによってではなく、お前とお前の種に働くセタンのなせるわざを打ち倒すことによってである。しかし、お前に欠けたもの、違反をすると死の罪を与えられ●●、神の法に従順を成就し、お前の罪に対して、それにお前から生れる者たちに当然の刑罰としてイエズス自ら死を被ることによってのみ、救世主への予言は達成せられる。だから、いと高き義は充分に満足させられることになる。十全なる神の法を救世主は従順と愛とによってのみ正しく果す。とはいえ、愛のみが律法を成就するのであるが。救世主は肉の形を取ってやって来て、恥の生活と呪われた死を被り、お前の罰を受ける自らの贖罪を信じ、人にかわってなされた救世主の従順は(キリストを信じることで)信じる者の従順となり、人を救おうとする救世主の功はたとえ律法の行いによっても、人自らの行いによるものでないと信ずる。

このために憎まれて生き、冒涜を受け、無理やり捕まえられ裁きを受け、呪われ恥じとなる死刑を宣告され、同国人によって十字架にはりつけられ、生命をもたらすかどで殺される。しかし、十字架にお前の敵を釘付けにしており、人類すべての罪とお前に●●●●法とは十字架にキリストとともにはりつけにされて、このキリストの行う罪の償いを正しく信ずる者をこれ以上傷つけることはない。そして、キリストは死ぬがすぐによみがえられ、死はキリストに及ぼす力を長く奪っておられない。三日目のあけぼのが戻り来る前に、朝の星はキリストがあけぼののように水々しく墓から昇られるのをみとどけ、お前のみの代が支払われるのをみる。それによって人は死から救われる。受けた生命を怠らず、わざのかけることのない信仰によって恩恵をうる者のためのキリストの死。この(贖罪と復活という)神にふさわしき所業は、罪によりとこしえに生を奪われて死ぬべきであったお前の運命を消滅させる。(キリストの死という)所業は悪魔の頭をくだき、悪魔の力を打ち滅ぼし、悪魔の大いなる助力<原罪>と<死>とを打ち負かし、●●●●●●●●●かりそめの死が勝者の、いいかえるなら勝者たるキリストがあがなう者たちのかかとをくだくよりもとげをはるか深くに打ち込む。かりそめの死は、従って眠りのような死、不朽の生命への静かなる変転。

また復活ののちに、キリストはこの世に長くとどまらず、しばらくキリストと生涯をともにした弟子達にあらわれているだけである。弟子達に、自らから学んだこと救済とをあらゆる民に教える任務を授ける。また信ずる者にはとうとうと流れる河で洗礼を、即ち罪のけがれより洗い清め、清らかな生命とし、もし起らばキリストに似る死を心構えする象徴、を施す任務を授ける。あらゆる民を弟子達は教える。というのも、復活の日より、アブラハムの腰より生れる子ら(イスラエル人)ばかりが、いたるところ世にあまねくアブラハムの信仰を持つ子らにも(イスラエル人以外の人々、即ち異邦人にも)救済が説かれる。だからアブラハムの子孫においてあらゆる国民は祝福を受ける。

 

そして天上へとキリストは自らと汝との敵に打ち勝ち勝利を持ちて中空を昇りいく。中空で長たる蛇をとらえ、●●の王国全土に渡って鎖にしばったまま引いていき、そしてそこに打ち破られたまま後に残す。そして栄光を受けて、神の右手の自分のみ座に戻り、天のあらゆる存在を越えて高くあげられる。そして、この世の崩壊が完成せられる時がやって来よう。その時に栄光と力もて生きる者と死せる者とを裁き、死せる不信のものを裁くが、信仰ある者に報い、天にもあれ地にもあれ至福へと受け入れにやって来る。というのもその時地は全土楽園となり、エデンの園よりもはるかに幸多き場となり、幸ある日々が続くことになるであろう。

 

こう天使ミカエルは言うとこの世の大終局にのぞむ如く間を置いた。喜びと驚きとに満ちて我らの父祖はこう答えた。ああ限りなき善、広大無辺の善。こうした善はことごとく悪から生まれ、悪は善へと返る。創造の際に暗闇よりまず光を出したもの(物質)よりもはるかにすぐれたること。でも疑いに満ちております。いったい私がして誘因となった罪を悔やむべきなのか、それとも罪からの善がいやましに生まれるのをもっと喜ぶべきなのでしょうか。神に対してはいやましいの栄光、人に対しては神から下る●●●●●の善が生れ、怒りにまさる恩寵がみちあふれる。だがいって下さい。もし、我々の解放者イエズスが天に昇ったなら、信仰ある少数の者に何が振りかかりましょう。真理の敵、不信の群れのなかに取り残されていて。その少数の者を誰が導き、誰が守るのでしょう。イエズスを扱ったよりもひどく、イエズスに従う者を扱うのではないでしょうか。

 

天使は答えて、きっとそうするだろう。しかし天から神は自らに従う者に、慰め手を送る。それは父が約束せしこと、父は人々の心に精霊を住まわせ、愛を通じて働く信仰の律法を人々の心に書きつけ、あらゆる真理へと導き、また悪魔の攻撃に抵抗できるよう霊のよろいをつけて武装させ、火の矢を消し止めるようにする。人が信者に行うことに、たとえ死に至るともおそれずにたちむかい、そうした残虐さに心からの慰めを持って報いられる。おごれる迫害者おどろかせるほど彼らはしっかりとしている。

というのも精霊ははじめつかわして国の民に福音をさずける使徒●●●●次に洗礼を受けたあらゆる者に対してそそかれ、あらゆる言葉を話すというすばらしい才能や目前で主がしたようにあらゆる奇跡を行う才能をさずけられる。こうして、天からもたらされる知らせを喜んで受ける多くの国の民を得て、聖職をはたし、人々をよく指揮し、教義と●伝とを書き残して死ぬ。しかし、使徒の部屋にはあらかじめ注意していたように狼が教師として受け継ぐ。嘆かわしい狼ども。これらの者は天のあらゆる聖き奥義を私欲と野望という悪しき利益にかえ、真理を迷信と言い伝えとでけがす。真理はただ●●書かれた記録のなかにだけであり、霊によってのみしか理解されない。そして、これらの者は、名誉、地位、称号を利用し、こうしたものに世俗の力を加えて、口では霊によって●●●●だといつわるあらゆる信者に等しく約束され、授けられた神の精霊を専有し、その主張を盾にとり、肉の効力によって霊の法を良心に押しつける。誰も書かれて残されているのをみつけない法、内なる霊が心に刻みつけることのないもの。この者らがしていることは、恩寵そのものの霊を押し付け、霊の●●自由を縛り上げること。霊のいける富をこわし、他の者ではなく自分達自身の信仰、その信仰によって建てられる官であるのに。というのも、信仰と良心とにさからって誰が全く誤りがないと聞かれようか。だが多くの者は差し出がましく舞う。そのため、霊とまこととを持って正しく礼拝するものに迫害が加わる。

 

残りの者は、数はずっと多く、外面の儀式とみてくれのよいていさいとに信仰は満足すると考える。真理は悪口雑言の矢を打ち込まれ、信仰の業はほとんど見られることがない。この世は進み、善人には悪しく、悪人には快適に。それ自身の重みにうめき声をあげ、とうとう義人には休息の日、悪人には復讐が、お前の助けと近頃約束された者、女の種の再来とともに起る。罪を犯した時にはあいまいに予言されていたが、今や充分にお前の救い主、お前の主として知られ、ついに雲にのり天上より父の栄光を現わしてやって来て、悪魔を邪道に陥った世界とともに滅ぼし、燃え上がったかたまりより清められ、洗練された新天地を起こし、それは果てしない日々、時代に渡り、成果として喜びと永遠の至福とを生むために、義と平和と愛とに打ち立てられる。

 

こう言っていい終えるとアダムは最後に答えた。祝福されし方よ、あなた様の予言は時が停止するまでうつろい行く世界、時の経過をどんなにか速く測って下さいましたことか。あらゆるものを越える深遠、永遠があり、その終局にはどのような目も及ばない。大いに教えられた私は平安の思いに大いにかられ、ここを去り、この器が含みうる限り知識をいっぱいにつめて。その知識を越えることを望むのは我が愚行。これからは、従うことを最善、畏れもて唯一の神を愛すること最善とし、みまえにあるがごとくに歩み、たえず神の摂理を守り、あらゆる業において慈悲深く神様だけにたよることを最善とし、善をもってたえず悪を圧倒し、小さきことにより大いなることを行う。弱しと考えられたことにより、この世の強きことを失墜させ、ただただ柔和であることにより、この世の●しきものを失墜させることは善きことと。

 

真理のために苦しむことはいとも気高き勝利に向う剛勇。信仰ある者にとっては死は生命の門。私は今たえず祝福されしあがない主と認める方の例をもって以上のことを教えられました。

 

この者に向って天使は最後に答えた。今このことを知った以上、お前は知恵の骨子に到達した。これ以上高くのぞむ●い。あらゆる星の名を知り、天上の天使、深遠のあらゆる神秘、自然のあらゆる業と天、空、地、海で、神がなされた業とを知り、この世のあらゆる富とを享受し、あらゆる支配、一つの国を享受しようとも、お前の知識にふさわしい行いを加えよ、信仰を加えよ。徳、忍耐、節制を加えよ、愛をその名も慈愛と呼ばれることになる、これこそその他のものの神髄。そうならばお前はこの楽園を去ることを嫌らず、心の中にはるかに幸福な楽園を所有する。それゆえこの頂上より(の展望)降りよう。というのもまさしく時がここから去るのを強要する。向こうの丘で私に命ぜられて野営をはる見張りが、進軍を待っているのをみよ。見張りの前面には、立ち退きの印としておそろしく燃上る剣がゆれる。我々はもはやとどまってはいられない。行き、イーブを起せ。イーブもまた私は善を現わすやさしい夢でなだめ、その気持ちを柔和なる従順へと鎮めておいた。お前はしかるべき時に、お前が耳にしたことをおもに、イーブの信仰にかかわる知っておくべきこと、イーブの種によって大いなる解放が(女の種のために)人類すべてにやって来ることを共にあづからせよ。これから長年生きることになるお前は、悲しいとはいえ、一つの信仰において一致し、過ぎ去りし悪があるとはいえ、幸ある終末を瞑想しいやまいによろこびて。

ミカエルは言い終えて、二人はともに丘を下った。下り来ると、イーブの眠っているあづまやへと天使よりさきに走っていたが、イーブがめざめているのをみつけた。こういう悲しくはない言葉でイーブはアダムを受入れた。

 

あなたが帰って来る時、どこへ行っていらしたかを存じております。神様は眠りのなかにもおられ、吉兆を示すものとして送られ●が大いなる善をあらわすものを知らせてくれます。というのも、悲しみと心の困惑とに疲れた私は眠入っておりましたので。さあどうぞ導いて下さい。私は遅れることはありません。あなたと行くのはここにとどまること。あなたおらずにここにとどまることは不承不承にここを出ること。私にとってあなたという人は天の下にあるものすべて。あらゆる場所。あなたこそ私の●●の罪のためにここから放逐される人。このさらに大きな慰めをずっとしっかりとした私はここから抱いて行きます。あらゆるものを、私のために失うとはいえ、卑しい私はかくなる好意を賜るとは。私によって約束された種があらゆるものを回復すると。

 

と我々の母イーブが語り、アダムは大いに満足して聞いたが、返事はしなかった。というのもすぐま近かに天使が立っており、向こうの丘から定められた●●に向って輝ける隊列を組んで警固天使が降りて来た。川から舞上った夕闇のもやが沼地をすべるようかかり、すばやくすすみ家路に向かう働く者のかかと●ところにまとわりつくよう輝ける流星のようにかかる。前面のいと高きところにあげられた神の剣は振りまわされ、二人の前で彗星のようにおそろしく燃上っていた。それは燃上る炎とリビアのこげつく空気のような熱気で温和な気候をあぶりし始めた。それをみて急いだ天使はぐずぐずしている万人の始祖の手をつかみ、まっすぐ東の門へと導き、歩調をおとさず崖を下り、下方の平野へとつれていき、そして消えた。

二人は振り返ると、楽園の東の方をみた。そこは近頃まで二人の幸多き座、今やその一面燃上る剣が振られおそろしい顔と火器とが群がった門。自然と涙がこぼれたが、すぐにぬぐった。

 

世界は2人の前にあり、そこに安息の場を選び、摂理を導き手とし、2人は手に手を取りさまよえるゆっくりとした足どりでエデンを通り、孤独の道をいった。