この小説が書かれた19世紀の工業化社会において,時間が客観的・計量可能な存在として意識され,いわば「男性化」した。その影響がこの作品にもみられることを指摘した。
エラスムスの『格言集』に反映している知識人という新人間像が,エラスムス肖像画という視覚化された形になっている。異なった言語体系と,それと抱き合わせになっている文化との接触から,自らの思考基盤を問い直すその知的人間像のあり方は,現代ではギリシア・ローマ古典文学の格言との接触から可能になることを論じた。
名称目録説の否定から恣意性の肯定へというソシュールの提起は、表音文字(アルファベット)世界で成り立つことであり、「表形文字」(漢字)にはあてはまらない。表形文字は、物質性を孕みもち、記号表現と記号内容とほとんど同時に喚起させる。しかも表形文字は、人為的な法にたいする「無為の自然」(ピュシス)と密着しつつ、人間技術(テクネー)に対抗する「自然の技」(ピュシス)になっている。表形文字(漢字)までをも、恣意的としてしまうと、表形文字がもっている象徴形態を矮小化することになる。