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ようこそ。 西洋文化と日本文化の接点を、誤解と理解という視点から眺めています。

鈴木繁夫

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2011年5月17日開始

紹介

鈴木繁夫
名古屋大学大学院 名誉教授
国際言語文化研究科 (2015年退職)

■学歴
上智大学文学部卒業
大阪大学文学部博士後期課程満期退学

■留学
ウィスコンシン大学大学院 (Rotary Foundation Scholarship)
ハーバード大学客員研究員 (Harvard Yenching Scholarship)
オックスフォード大学客員研究員(文科省海外先進教育研究実践支援プログラム)

■主要著作

Milton in Context(Cambridge University Press,  2010年)共著〔米国Irene Samuel 賞受賞〕

『考える英語習得: アクション・インクワイアリーからグローシアン英語へ』(英宝社, 2007年)

Milton, Rights, and Liberties(Peter Lang,  2006年)共著

『フーコーの投機体験―『これはパイプでない』探求』(渓水社,  2005年)





Misunderstanding can go both ways

Misunderstanding can go both ways
123
2017/02/08

『国富論』の「義理」と「名誉」(1)

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 21世紀になっても読み継がれている『国富論』の邦訳は五種類あるが、そのなかでもっとも読者の手に届かず、稀にしか読まれていないのは竹内謙二訳(1959-60年)であろう。他の邦訳が、岩波、河出書房、中央公論、日経といった大手からのものであるのに対して、竹内訳は慶友社という小出版社であった。初版は1921年(大正10年)、戦後まで改定を重ね1960年には改定5版を出している。1969年に版元を東京大学出版会に移し、竹内の死後、81年には千倉書房へと変えてこの訳は出回ったが、それでも岩波、中公の翻訳に押されて、一般の目に触れることはほとんどなかった。


竹内は大正8年に東大経済学部を卒業しているから、この翻訳は卒業後の大きな業績であったはずだ。現在ではわかりにくくなっているが、当時は、名著を翻訳することは、著作を執筆することと同じ程度の業績とみなされていた。

名著の翻訳は、現在でこそ、翻訳をしたそのことにではなく、いかにうまく訳しているかという翻訳の質から評価されるようになっているが、当時は名著の翻訳というだけで業績として高く評価されていた。その理由は、翻訳には訳者の理解がともなうはずという前提があり、この前提から、名著は訳すものではなく訳者の高い知的水準があって初めて訳せるはずだという先入観が生まれ、多数の辞書を机に積み上げ、あれこれ単語の意味を詮索しながら行う根気のいる作業だと考えられていた。

しかも翻訳という業績には学術吸収という実利が伴っていた。欧米で蓄積されてきた学問を吸収するには、その分野の名著を読破しなくてはならないが、原典(英・独・仏語)で読むスピードと邦訳されたものを読むスピードでは格段に異なっている。翻訳がもたらす学術的貢献は多大なものがあると学会では実感されていた。

ところが、知的に優れているはずの碩学が行った翻訳に誤訳がまぎれており、原典の意味を不正確に、場合によっては原典からまったく離れた内容を伝えているとわかったら、どうであろう。ネズミがかじった跡がある米俵は、俵の中の米全部がサルモネラ菌で汚染されているわけではないが、その米は事故米として捨てられるだろう。同様に、誤訳が何箇所か、それも中級レベルの文法を知らないかのような箇所が十箇所以上もあれば、その翻訳全体の信憑性が薄れ、この文の訳は正しいのかという疑いの眼をもって読者は神経質に文を追って読んでいかなくてはなる。


 実は竹内は、岩波版と河出版の翻訳について、数十箇所にわたって詳細にその誤訳を指摘している。その本のタイトルは『誤訳』だが、副題が「大学教授の頭の程」という手厳しい調子になっている。そこから伝わってくるように、竹内は、岩波版(旧版と新版)、河出版(後に岩波文庫入り)の誤訳を時には誹謗中傷とも取られかねない語り口で次々と挙げていく。しかも竹内はまえがきの中で、

私の正訳を人の誤訳と同日に見、扱われては甚だ迷惑だ。英語の出来ぬ者は何とでも言え。私は独り、私の訳こそは正確無比、と潔き良心にちかつて確信しているのだ。


と述べ、正訳は自分の側に、誤訳は相手の側にありと宣言している。英語を母語としていない日本人がどこまで英語で書かれたものの文意を正確に読み取れるかという疑念の尺度を、まるで持ち合わせていないかのようなのだ。

竹内が誤訳とする指摘を追っていくと確かに納得がいく箇所が多いのだが、本当に誤訳といえるのかどうか疑問を持たざるをえないような箇所も散見される。そんな例が“in honour bound”をめぐる指摘である。


The banks, they seem to have thought, were in honour bound to supply the deficiency, and to provide them with all the capital which they wanted to trade with. [Cannan
(1950) 304ページ]


スミスがこの箇所の前で述べていることをおおまかに要約すると、企業家(原文の
they)が運転資金をうまく調達するために、企業間で次々と融通手形を振り出し、そうした手形を銀行が手形の支払い額面よりも割り引いて受け取ることが、この当時、よく行われていた。銀行が引き受ける手形の額が次第に膨らみ、しかも企業は自らが発行した手形に支払えるだけの準備金を持ち合わせていないという状況が生じていた。しかしそれでも、企業家たちは銀行が手形を引き受け、自分たちの運転資金が提供されることを当然のことと考えていたようだというのだ。

 竹内が生前には目を通すことができなかった大河内訳(中央公論版)では、ここの箇所は次のように訳されている。


[中公版・大河内訳]銀行は、面目にかけてもこの不足分をおぎない、かれらが事業に用いたいと思う資本のすべてを提供してくれなければならない、などとかれらは考えていたらしい


竹内がここで誤訳だとしているのは、
”The banks werein honour boundの訳し方で、岩波版と河出版では次のようになっている。


[岩波・旧版:大内訳]彼等の考えでは、いやしくも銀行たるものは、かくの如き不足を補い、
……資本を供給することを以て名誉と心得るべきであった。


[岩波・新版:大内・松川訳]かれらは、かりにも銀行というからには、この不足分を充足すること、つまり自分たちが事業上必要とするいつさいの資本を調達することを光栄ある義務とこころえるべきものだ、とでも考えていたように思われる。


[河出版・水田訳]銀行は、この不足をおぎなうこと、
……資本を、かれらに提供することを光栄にも義務づけられているのだと、かれらは考えていたらしい。」


竹内はこれらを「とんだ誤訳」、「
とんでもない誤訳」だと評し、honourを名誉や光栄と訳したことにかけて、「名誉でも光栄でもない誤訳」という見出しを付けている。しかし本当にそうだろうか。竹内のいう正訳は、


[竹内訳]彼等は銀行は義理にもこの不足分を補給し、彼等の事業に必要とする資本を十分に彼等に提供すべきだと、考えたらしい。


「名誉でも光栄でも」なく、竹内が訳したように「義理にも」が本当に正訳なのだろうか。

 まず、「義理にも」という訳語を竹内は、斎藤秀三郎『熟語本位英和中辞典』からおそらく拾ってきている。


③(名誉対面を惜しむ)廉恥心、節操、義理。
I am bound (in honour) to succeed.義理にも成功せにゃならぬ。


まず、英文解釈から始めると、
be in honourが元の形であって、このときのin“be in danger”などと同じで、~という状態下にあるという意味で、~の状態にすっぽり包まれている感じである。だからbeの代わりにfeelで置き変えれば、その人の主観として、「自分が~という状態だと感じる」ということになる。

honourは通常であるなら、個人や団体がそれが属する社会において評価されている美徳、社会の中での良い評判のことであり、その誠実さ、業績、貢献ゆえに社会から勝ち得ている信用という意味である。しかしここでのhonourは誠実さや貢献とみなされる振る舞い方、オックスフォード英和辞典の定義にしたがっていえば、法的にはそのような振る舞いをする義務がないにもかかわらず、道義上の責任からそれが当たり前として慣用的に考えられている振る舞い方のことである。だから”you are in honourとあれば、「~のことをしているかぎりは、道義上の責任を果たしている」ということで、逆に「~にあることをしない」ならば、法的には何ら罰則を受けることはなくとも「社会的な対面は失う」ということになる。

念のために~にあたる箇所は、ここではboundで始まっているが、boundは「拘束する」、精確には「人を規則に従わせ、やってよいことの範囲を制限する」で、oblige「義務として人を何かをさせる」と置き換えることもできる。

したがって、“The banks …… were in honour bound”とは、企業家は、発行した手形の額面を引き受けるだけの準備金が不足している場合でも、銀行は手形を引き受け、企業が潤沢な資本を手にできる状態にすることは、銀行側にはそのようなことをする法的義務こそないが、「やってよいこと」であり、道義上そうすることが社会的な対面を保つことになるというのだ。

 果たしてこれが、「義理にも」だろうか。「義理にも美味しいとはいえない料理」というように、「義理にも」は今では「お世辞にも」という意味で使われることが多いが、斎藤秀三郎の「義理にも成功せにゃならぬ」は、「体面やつきあいの上からでも」ということだろう。

義理の対語である人情とからめると、「義理とは人情のないところに、人情がある時と同じように見せかける行為、また見せかけなければならないと思う規範意識」(板坂元『日本人の論理構造』)である。「義理にも成功せならぬ」というのは、成功しなくてはならないとは理性的には導き出せないし、義務があるから成功しなくてはとはどうしても思えないが、成功することを人情として感じなくてはならないから、成功しなくてはと感じているだけのことである。

しかも理性や義務の命じるところを越えて、「主観的衝動的に[自分の感じる]好き嫌いにもとづいて」(板坂・同書)、成功せねばと感じているのである。

 ところが英語の“be [feel] (in) honor boundは、「~することが道義上、社会的な対面を保つことになる」である。

「~すること」の内容は主観的に選択できるわけではなく社会の規範としてすでに決まっていることである。また「~する」ように振る舞うことを選択するのも衝動的にではなく、社会の規範だからと納得しつつその振る舞いを選び取っている。

だから、竹内が訳したように、「銀行は義理にも…提供すべき」とすると、まるで銀行が理性や義務の命じるところを越えて、主観的衝動的に資金を提供するかのように読めてしまう。

銀行が社会的対面を保つために道義的に資金提供が必要というのだから、少なくとも資金提供を「光栄ある義務とこころえる」(岩波・新版)は意味を汲み取った正訳といえるだろう。

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2017/02/07

『国富論』の「義理」と「名誉」(2)

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竹内謙二の生前に出版されていなかったために、竹内が『誤訳』で取り上げられることのできなかった『国富論』の主要な訳書は、本校の冒頭近くで取り上げた中公版・大河内訳の他に、水田洋監修による杉山忠平訳(岩波文庫
――この文庫だけでも総計三種類ある)と、山岡洋一訳がある。

今一度、水田・杉山訳と山岡訳との比較を容易にするために、原文と中公版・大河内訳をあげておくと、

The banks,(1)they seem to have thought, were(2)in honour bound tosupply the deficiency, and to provide them with all the capital which they wanted to(3)tradewith. [Cannan(1950) 292ページ]


[中公版・大河内訳]銀行は、面目にかけてもこの不足分をおぎない、かれらが事業に用いたいと思う資本のすべてを提供してくれなければならない、などとかれらは考えていたらしい。

ここが、最新版の山岡訳では、下線部(2)“in honour”が無視されてしまい、義務“bound”だけの訳になってしまっている。また山岡訳以外の先行する訳では、下線部(1) “they seemed to have thought”という挿入句を、「彼らは考えていたらしい」、つまり彼らは今はそのようには考えていないはずだという言外のニュアンスをきちんと映しているのに対して、山岡訳は無視してしまっている。さらには、下線部(3)“trade”(自動詞)で、「売買や交換などの商業活動を行う」という単語も訳出していない。

[日経版:山岡洋一訳]銀行には資金のこの不足を補う義務があり、借り手が希望するだけの資本を提供する義務があると、商人や事業主は考えているようだ。(『国富論』上 314ページ)

これに対して水田・杉山訳では、該当の箇所は、今述べた下線部(1)(3)をきちんと把握して訳している。


[岩波:水田・杉山訳]銀行は名誉にかけてもこの不足を補い、商売に用いたいと思っているすべての資本を自分たちに提供しなければならない、と彼らは考えていたようである。(『国富論』(二)
70ページ)

水田・杉山訳は、下線部(1)(3)をもらさずに把握した中公版・大河内訳を踏まえての訳のようなので、これら二つは、原文の単語の意味をしっかりと理解し、けっして単語を飛ばして訳さないという点で共通し、いずれも正訳であるといえる。

 しかしここで読者にはふと疑問が生じるはずである。それは、山岡訳には確かに訳し落としがあるのだが、その点を除外して訳の質という観点に立つと、山岡訳は他の訳よりも優れているという印象をもってしまうことだ。
 なぜこのような読みやすさが山岡訳にあるかといえば、該当箇所だけを上のように切り出して比較してみるとはっきりするのだが、山岡訳は読者が文を一読して意味がすっと通るように、冠詞、代名詞、指示形容詞が指しているものを山岡自身が言葉を補填して言い換えている。「この不足」を、「資金の不足」、「彼ら」を「借り手」や「商人や事業主」としている。また
”bound toand toという構文に対して、「~という義務」、「…という義務」と繰り返すことで、商人や事業主が考えていた義務がはっきりわかるようになっている。

『国富論』の誤訳をめぐっては、竹内の『誤訳』からほぼ25年後の1980年代に、ベック剣士と呼ばれた別宮貞徳が、水田洋(当時は河出版の訳者で、岩波文庫の監訳者ではなかった)との間での論争がある。この論争は、雑誌「翻訳の世界」に掲載されたもので、後に、別宮『翻訳と批評』(講談社学術文庫)に収められている。

別宮の立場は、「原文の逐語的な意味をはずさないように汲々としていることが、諸悪の根源」であり、翻訳における訳文は、「日本人の頭にすんなりはいる言葉の組立て方」でなくてならないとするものである。このに対して水田の反論は、「いわゆる達意の日本語は、しばしば外国語の論理的厳密性を犠牲にしてしまう」ので、読みにくい生硬な訳文であっても「論理的厳密性」を活かすならばやむえないという立場である。

ここでは詳述しないが、私自身は、学術書に関しては、「達意な日本語」である必要はないが、山岡訳に見られるような、冠詞や代名詞が指しているものに訳者が言葉を補うことや、原著者の主張の範囲がはっきりわかるように訳者があえて言葉を繰り返すことは必要だと考えている。そして逆に、「頭にすんなりはいる」ことに力点をおくあまり、原文の単語を飛ばし、原著者が原文に含ませている微妙なニュアンスを訳し飛ばすことには、とても抵抗を感じている。


[鈴木訳]銀行は道義上、事業の資金不足を補うべきであり、事業活動に必要だとする資本は全額提供されるべきだと、事業家や商人たちはかつて考えていたようである。


 

 

 

 

 

 

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2017/01/29

『国富論』とダイダロスの翼(1)

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古典を読む場合には、古典が書かれた時代に共有されていた問題意識を知ることが必要であるし、それに加えて古典の古典、つまりギリシア・ローマの政治・文学・神話にもあらかじめある程度精通しようとする意欲が不可欠だろう。
 たとえばスミスが下敷きにしている、スミスの時代に共有されていた問題意識は、「慎重に行われるべき銀行業務」”the judicious operations of banking”である。この言葉が出てくる前の箇所でスミスが述べていることは、当時の商慣行についてである。補って説明すると、農産物や工業製品などの商品を生産者が販売者に売り渡す場合には、金貨・銀貨を介して受け渡しが行われている。しかしスミスの時代のスコットランドでは多くの個人銀行が誕生しており、これらの銀行がそれぞれ自発的に発券業務を営んでいた。発券というと、造幣局による国家業務と今の私たちは考えてしまうが、紙券(paper money)については、個人銀行がその銀行の責任において発券することが可能であった。この銀行券は兌換で、今でいう小切手あるいは手形であった。この紙券は、金額の他に、振出人と受取人の名義、そして多くの場合、償還日が記載されている。これによって、いちいち金貨・銀貨を介する必要がなくなり、売り買いができるようになる。しかし商工業に従事する当時の企業家は銀行券を決済手段としてだけではなく、生産を拡大し業績をあげるための資金獲得手段としても利用するようになっていた。

スコットランドのエア銀行
が発券した手形


しかしこれは紙だから、当然のことながら金銀のように貴金属としての価値によって裏付けられているわけではなかった。また、企業家がなにか事業を起こそうとして資金が必要になって、その資金が自己資本や私人からの信用借りを超えるレベルになった場合、商人間で融通手形を発行したが、その手形に銀行が噛んで手形割引の業務もするようになっていた。そのため個人銀行が手形を、自己資本を超えて乱発することも起こってしまった。手形に対する信用が失われれば、取り付け騒ぎが起こる。そして実際に、スミスの保護者であった貴族が経営者に名を連ねていたエア銀行というスコットランドの個人銀行が、取り付け騒ぎから破綻してしまった。銀行には、「慎重に行われるべき銀行業務」が必要なわけである。

スミスは個人銀行が発行する紙券がその信用創造の力によって、退蔵されている資本を、何か新たに生産するのに役立てる資本に変質させることを認めている。しかし、紙券は正貨ではない。そこでスミスは、金貨・銀貨の現金決済による商取引に対して、紙券の手形決済による取引を比較して、手形決済取引については、前回書いたように、

[鈴木訳]銀行が慎重に業務を行うことで、それはこの国の商工業を拡大することにまあある程度は何かの足しになるかもしれないが、商工業そのものは必ずしも安全ではありえなくなるということは、認めざるをえないだろう。

という判断を下している。

ところで、「必ずしも安全ではありえなくなる」点について、現金決済は下線(2)、手形決済は下線(1)のような比喩を用いて説明されている。


The commerce and industry of the country, however, it must be acknowledged, though they may be somewhat augmented,cannot be altogether so secure,(1)when they are thus, as it were, suspended upon the Daedalian wings of paper money,(2)as when they travel about upon the solid ground of gold and silver.

下線部分は、大河内訳では次のようになっている。



(1)いわば紙券というダイダロスの翼で吊り下げられているのだから(2)金・銀貨という堅固な地面の上を歩きまわる場合にくらべて、絶対安全ということはありえない。

そして下線部(1)の「ダイダロスの翼」の部分に注をつけて説明している。


ダイダロスはギリシャ神話に登場するアテネの名工匠。かれは迷宮の建築家として有名で、その迷宮のなかにその子のイカロスとともにミノス王によって幽閉された。そこで脱出をはかり、蠟の翼を作ってイカロスといっしょに空に飛んだが、イカロスは高く昇りすぎて日光で翼がとけてしまい海中に落ちて死んだという。


ダイダロスが翼を作り出し、その翼を付けたその子イカロスは見事に空を飛べたが、イカロスは高く昇りすぎて海に墜落したことは、ギリシア・ローマ神話のなかでも有名な逸話として、現代でも語り継がれている。この逸話は現代ではイカロスの名前で百科事典の一項目に記載されている。ところで20世紀半ばまで、イギリスでラテン語が大学入学の必須科目であったので、この逸話は百科事典を通じて得る知識ではなく、ラテン語で書かれたギリシア・ローマ神話を読んで直接学ぶことであった。
 その神話教科書としてもっとも代表的なものが、アダム・スミスの時代はもちろんのこと、イギリス経済学の祖ともいえるウィリアム・ペティの
17世紀でも、オウィディウスの『変身物語』であった。この書のラテン語が比較的読解しやすいこともあって、日本の中高生が『竹取物語』を読むような感覚で、大学入学前の教育では『変身物語』は教材として採用されていた。

ところで、この『変身物語』内の記述(8183-235行)は、大河内訳の注の説明とはひとつ大きく異なっていることがある。

Nam ponit in ordine pennas,

a minima coeptas, longam breviore sequenti,

ut clivo crevisse putes. Sic rustica quondam

fistula disparibus paulatim surgit avenis.

Tum lino medias etcerisadligat imas,

atque ita compositas parvo curvamine flectit,

ut veras imitetur aves.       (8189-190)[斜字体は鈴木]

           というわけで、ダエダルスは、一番小さな羽を起点にして

短い羽に長い羽を加え、順に並べていったが、

それは傾斜しながら大きくなっていったと思えるほどだ。ちょうど昔ながらの田舎葦笛が

長短そろっていない葦を長さの順に少しずつ並べて盛り上がらせていくようだ。

[ダエダルスは羽のまとめたものの]中央部分は紐で、基底部は蜜蝋でつなぎあわせ、

こうして整えて、湾曲を多少くわえて、本物の鳥の翼に似せる。

大河内訳の注釈は「蠟の翼」となっていて、あたかもダイダロス(ローマ名はダエダルス)はラテン語が蝋(パラフィン)を使って蝋製の翼を作ったのかのように読めてしまう。しかし、ダイダロスは、蝋製の翼を作ったのではなく、蝋はあくまでも翼の基底部を接着するために使っただけなのだ。またなぜこれが蝋(パラフィン)ではなく、蜜蝋といえるかといえば、言語cerisが蜜蝋(cera)ということもあるが、羽の作り方が田舎葦笛(rustica fistula)の作り方に喩えられているからだ。

 『変身物語』と並んでこれまた大学入学前のテキストとしてよく使われたのが、ウェルギリウスの『牧歌』であるが、そこにこの葦笛の有名な記述がある。

Pan primum calamos cera coniungere pluris

Instituit.               (231-32行)

たくさんの葦を蜜蝋でつなげることを最初に教えたのが、

パンであった。

パンは牧神で、長さの異なる葦を横に並べて連結させ、それを蜜蝋でつなぎ合わせて、笛にすることを、人間に教えたのだという。だから現代でもこの形の笛は、この牧神の名前にちなんでパン・フルートと呼ばれているが、葦をつなぐ接着剤が蜜蝋だった。葦と蜜蝋はそれこそ切り離せない連想になっているので、ダイダロスの翼の作り方が葦笛のそれに喩えられることで、蝋で基底部をつなぎ合わせるといえばその蝋は蜜蝋と容易に連想が働いた

 ギリシア人はもちろん膠(にかわ)を知っており、雄牛や魚から膠を作っていたので、笛用の接着剤を翼の接着剤として利用するには強度が不足することは想像がついたはずだ。逆に、翼がすべて蜜蝋でできている蜜蝋製翼というのは思いつきにくかったはずだ。したがって、「蠟の翼」という大河内訳の注釈はどうしても不正確な説明ということになる。

 

 

 

 
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2017/01/28

『国富論』とダイダロスの翼 (2)

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しかし翼が何製であったのかというよりも、ダイダロスと連想づけられる教訓のほうがここでは重要だ。スミスがわざわざ「ダエダルスの翼」という比喩を使って手形決済による商取引のあり方を説明しているのは、それがやがて「墜落する」からではない。そうであるなら、

[山岡洋一訳]イカロスの翼のような紙幣の力で、いわば空中を飛ぶようになると、金貨と銀貨という堅固な道を歩んでいる場合とくらべて、国の商業と産業は……まったく安全だとはいえなくなる。


このように「イカロスの翼」といってもよいはずであった。翻訳家・山岡は原文のダイダロスをわざわざイカロスと置き換えているのは、墜落のイメージを強く出したかったからかもしれない。しかしスミスがここで翼の製作者であり、イカロスのように墜落しなかったダエダルスの名前を使っていることに、ひとつの意図を感じてしまう。なぜならこの逸話でオウィディウスははっきりと、ダエダルスが息子に語る教訓として、ダエダルスの口を通じてこう語らせているからだ。

 “medio” que “ut limite curras.” (203)

                        程よい道を進むように


高くもなく、低すぎることもなく、中庸の道を飛んで行けと、忠告している。中道こそは、スミスが手形に対して抱いていた感慨であったはずだ。なぜなら、手形を使うことによって、
企業家は手形を降り出すことで、借金が可能になり、より大きなプロジェクや商取引が可能になる一方で、その手形を引き取る銀行は、手形から上がる利子を取得でき、いわばウィン・ウィンゲームとなる。手形による信用創造によって手元の資金が「死んだ資本」にならずに、「活動的で生産的な資本」に転換する。しかし、冒頭で述べたように、企業家の事業がうまくいかなくなった場合、手形が乱発され、そうした手形を銀行側が引き受けると、最後には、手形が焦げつき企業家ばかりか銀行も倒産という憂き目を見ることになる。それはまさに高く飛びすぎた状態である。したがって銀行は、「死んだ資本」と焦げつく手形との間の、中庸の道をその「業務」としなくてはならない。「銀行が慎重に業務を行う」というときに、スミスが考えていたのは、経済史家・竹本洋の言葉を使えば、「銀行は、商人または企業家がときどきの請求に応じるために手元に遊休させて保有しなければならない流動資本部分、つまり手元現金のみに貸し付けを限定しなければならない。」ということであった。この中道を銀行がルーティーン・ワークとして歩むことが、「ダイダロスの翼」という神話を引き合いに出したスミスの意図であったはずだ。

 スミスはここで扱った箇所の直前で、紙券があればこそ起こりえた南海泡沫会社事件についてかなり詳しく言及しているが、スミスの時代の人気作家ジョナサン・スウィフトも、この会社の倒産について言及し、風刺詩を書いている。この詩では、中道を進まなかったこと、蜜蝋が接着剤であったこと、そして翼が紙券であったことがはっきりわかるように描かれている。

In The Bubble              泡沫のなかで

The young Advent'rer o'er the Deep   若き冒険者は、鷲のように
An Eagle's Flight and State assumes,
  堂々と海を渡り飛べると思い上がり、
And scorns the middle Way to keep:
  中道を進むことを馬鹿にする。

On Paper Wings he takes his Flight,  父親が蜜蝋でしっかりと接着してくれた
With Wax the Father bound them fast;
 紙製の翼で空を飛ぶが、
The Wax is melted by the Height,
   高く飛んだので蝋は溶けてしまい、
And down the tow'ring Boy is cast
   真直ぐ舞い上がったこの子は落下する。

A Moralist might here explain     道学者なら、ここで、クレタの若者の

The Rashness of the Cretan youth;   軽率さと解釈し、

Describe his Fall into the Main,    大海への墜落の有様を述べては

And from a Fable form a Truth.     真実を言い当てる逸話とするだろう。

His Wings are hisPaternal Rent,    翼は父親譲りの収益金で、

He melts his wax evry Flame;    熱にうなり、蜜蝋の印鑑を溶かして押し、

His Credit sunk, his Money spent,   信用は沈み、金は使いはたし、

In Southern Sea he leaves his Name. 南海にその名を残していると。34-48行)


スミスはスウィフトの巧みな風刺と簡潔な文体を賞賛しているが、「ダイダロスの翼」という比喩を使ったとき、スウィフトのこの詩が頭の片隅にあったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

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2016/12/28

『国富論』のためらい (1)

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 21世紀に生きている我々が、英語学習の一環としてぜひとも読んでおきたい本として、「チャールズ・ダーウィンの『種の起源(On the Origin of Species)』、「神の見えざる手」で有名なアダム・スミスの『国富論(The Wealth of Nations)』、カントの『純粋理性批判(Critique of Pure Reason)』、そして『アメリカ憲法(Constitution of the United States of America)』」を挙げているのは、自己啓発プログラム開発を行っている苫米地英人だ。これらはそれぞれの分野において、専門家を志す人なら必ず読んでおくべき一冊である。しかしこれらの本を読むことで、英語力増進につながるかといえば、かなり疑問である。
 現代の英文ではスタイルによほど独特の癖がない限りは、一文は一意味を担うようになっている。とくに一文一意味は現代アメリカの論文作法では鉄則になっているおり、現代英語で書かれている著作はこの鉄則に従っている。ところが苫米地が推薦しているものは、18-19世紀の作品で、一文一文が現代英語の水準からすれば長く、接続詞による複数の節の連鎖からなる一文、関係代名詞が入り延々と先行詞を説明する挿入節などが溢れている。一文一意味からすれば、これらの作品の英文スタイルは悪文として添削の対象になるたぐいのものである。もちろん論理の連鎖を頭に保持しつつ書かれた内容を熟考する訓練にはなるが、それは英語力増進ではなく、現代英語とは異なったパタンの読解力養成だろう。
 たとえば、アダム・スミスの『国富論』の次の一文のスタイルは何を物語っているのだろうか。
[1- 原文]The commerce and industry of the country, however, it must be acknowledged, though they may be somewhat augmented, cannotbealtogetherso secure,whenthey are thus, as it were, suspended upon the Daedalian wings of paper money,as whenthey travel about upon the solid ground of gold and silver.


この部分は、大内兵衛, 松川七郎訳(岩波文庫版 1969年)『諸国民の富』では次のように訳されている。

[1 -大内訳]とはいえ、断っておくべきことは、たとえこの国の商業や工業はいくぶんかは増進するにしても、商工業がこういうようにいわば紙幣というディーダラスの翼につりさげられている場合には、必ずしも金・銀貨という堅固な地面の上をあちらこちらと旅行している場合ほど安全ではない、ということである。(『諸国民の富』第2編(第2分冊)319ページ)

同じ部分は、同じ岩波文庫版だが30年後に新訳として出版された『国富論』(水田洋監訳 杉山忠平訳2000年)では次のようになっている。

[1- 水田訳]その国の商業と工業は、いくらか増大するにしても、紙幣というダイダロスの翼で吊り下げられているのであるから、金銀貨という堅固な地面を歩く場合ほどには、全く安全ではありえない。


いずれの訳も、not so secure when…..as when(波線部分)は正確に捉えているが、新訳・岩波文庫版の方がはるかに意味が取りやすく、読者としては読むに耐える訳になっている。
 しかし原文に戻ってみると、主語 "the commerce and industry" が動詞 "be" につながるまでに、挿入語句が三つも詰まっており、スミスはためらいつつ慎重にこの箇所を物語っている。そのためらいの雰囲気を正確に伝えているのは、旧訳の方であろう。

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2016/12/28

『国富論」のためらい(2)

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スミスのためらいの気持ちが出ていることをわかりやすく比較するために、該当箇所を切り出すと次のようになる。
[1-原文]The commerce and industry of the country, however,(1)it must be acknowledged,(2)though they may be somewhat augmented, cannot be altogether so secure,
[1 大内訳]とはいえ、断っておくべきことは、たとえこの国の商業や工業はいくぶんかは増進するにしても、必ずしも……安全ではない、ということである。
[1-水田訳]その国の商業と工業は、いくらか増大するにしても、……全く安全ではありえない。

念のために、[1]の各節・句を現代英語の通常のスタイルで置き直すと次のようになる。
[1-改変](1)it must be acknowledged, however, [that](2)though they may be somewhat augmented, the commerce and industry of the country cannot be altogether so secure,
ためらいの雰囲気は、下線部(1)が"be acknowledged"という語句からもうかがえる。
  "acknowledge" は、認めたくない事実を渋々認めるということだから、その事実に対してスミスは嫌悪感を抱いている。どんな事実に対してかといえば、国の商業や工業が生産活動を行い、生産された商品を供給するにあたって、金貨・銀貨のように実物によってその価値が保証されている貨幣によって人々が取引するのではなく、紙券を介して取引し、その取引が金の価値にリンクしていないため「必ずしも…安全ではない」という事実に対してである。
 しかも "I must acknowledge" ではなく "must be acknowledged" として "acknowledge" する主語をぼかしているから、「必ずしも…安全ではないということは、認めざるをえないだろう」となる。スミス自身は内心では安全だとは思っていないが、安全ではないという事実を認めたくない読者がいることをスミスは承知しているので、自分としても進んで認めたいわけではないがというポーズをとって、そのような読者にも自分の議論を一応は認めさせようとしているのだ。
 したがって下線部(1)は[1- 水田訳]のように、「全く安全ではありえない」と客観的に断定しているわけではなく、また[1- 大内訳]のように「ということである。」と事実を淡々と述べているのでもないのだ。
 次に下線部(2)だが、ここも下線部(1)と同様に受動態になっていて主語が明示していないが、訳文[1]からだけではほとんど類推できない。実は、明示されていない主語は本文[1]の直前にある、これまた長い文の主語(「慎重に行われるべき銀行業務」"the judicious operations of banking")が、ここで明示されていない主語になっているのだ。この点を踏まえて訳しているのが、大河内一男監訳『国富論』(中央公論社, 1988年)である。
[1- 大河内訳]けれども、次のことを承認しておかなければならない。すなわちこの国の商業や工業は、たとえ銀行業の操作によっていくらかは増進するにしても、……絶対安全ということはありえない、ということである。[この訳文は共訳者・玉野井芳郎が担当]

 ここでいう銀行業務は、先に触れたように、銀行券を介して売り手と買い手の決済サービスをするということだ。そうした銀行業務がからむことの恩恵を受けて商工業の規模が大きくなることをスミスがやはり不快に思っていることは、"somewhat" が概して否定的な内容を修飾する副詞であることから推測できる。

[鈴木訳]銀行が慎重に業務を行うことで、それはこの国の商工業を拡大することにまあある程度は何かの足しになるかもしれないが、商工業そのものは必ずしも安全ではありえなくなるということは、認めざるをえないだろう。

 以上のように、[1]の長い一文をここまで考えて読んでいたのでは、全体で約38万語から『国富論』は一生かかっても読み切れないだろう。しかしスミスはこうした微妙なニュアンスを読者にしっかりと感じ取って読み進めてもらうことを期待していたことは、節の配置や単語の選び方から伝わってくる。ただ現代英語を読む私達には、こういう書かれ方をした文章に出会うことはきわめて少ないから、スミスの文章は[1-改変]のように現代英語風に読んでしまい、スタイルから伝わる書き手のニュアンスの陰影ではなく、そこに書かれている内容を読み取ろうと悪戦苦闘してしまう。この苦闘によって文章一般の読解力や思考力は付くだろうが、英語力が付くかといえば、それは副次的な産物だろう。
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2016/12/21

冤罪事件とキリスト教用語

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どの学問分野にも名著といわれるものがあり、その分野の基本的な流れを形成する功績を果たしている。精神分析におけるフロイド『精神分析入門』、社会学におけてヴェーバーの『プロテスタティズムの倫理と資本主義の精神』、ルネッサンス研究ではブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』などである。経済学においては、アダム・スミスのいわゆる『国富論』(原題は『諸国民の富がもつ性質およびその富を生み出す諸原因への探求』)がそうした名著にあたる。


『国富論』という日本語の表題からすると、国が富をできるかぎり蓄積することがよいことで、今風に言うならGDP(国内総生産)を大きくするにはどのような政策が妥当かといった安直な内容を思い浮かべてしまう。そうした漠然とした印象も手伝って、スミスといえば、政府は経済活動に規制をできるかぎり設けず、人々が自由に経済活動を行えるような環境づくりに励み、国家間も自由に貿易ができるようにすれば、市場は暴走するどころか自律的に調整してうまくいくというグローバル資本主義の元祖だと考えられている。つまり、(1)自己調整の市場という像を打ち立て、(2)開かれた経済を唱導し、(3)小さな政府の提唱者として思い込まれている。

経済学者にして思想家と呼んでよい佐伯啓思は、スミスが経済学の端緒を切り開いた最初の学者であることを認めつつ、「スミスが述べたのはこうした命題[(1)-(3)]だったのだろうか、……またこれらの命題に還元してしまうことはできるのだろうか」と疑問を投げかける。その疑問に答えているのが『アダム・スミスの誤算』である。

この著作のなかで佐伯が行おうとしたことは、『国富論』とそれに先立つスミスのもう一つの名著『道徳感情論』を正しく読み直す訓詁の学を復活させようというのではない。スミスが展開した重商主義批判を、現代におけるグローバル資本主義批判として読み替えようという試みだ。グローバル資本主義がグローバルな普遍的価値という名のもとに、様々な国家や多様な社会を押しつぶしていくその一元化のうねりに対して、私たちは国民経済の枠をどうすれば守りつづけられ、グローバル化のこの状況にうまく適応できるのかの指針を、スミスから学ぼうとする。その過程において、(1)-(3)の命題がスミスの意図とは異なったように解釈されていることが明るみに出てくる。新書の内容としては、たんなる概説ではないという点で深いし、その掘り下げ方も思想家としての佐伯の切れ味が生きている。


ただ一箇所、唖然としてしまう記述がある。カラス事件に関する説明と、その事件に対するスミスのコメントを紹介している箇所である。

カラス事件とは、1761年にフランスのトゥルーズ市で起こった、布地を扱う商店主ジャン・カラス(Jean Calas)が行ったとされる殺人事件である。ジャン・カラス(当時63歳)は商店宅での長男(29歳)の死をめぐり、殺害の実行犯として判決を受け、市中で公開処刑される。

この件は、法律学では
19世紀末のドレフェス事件と並ぶ冤罪事件として知られており、法律学の古典といえるベッカリーアの『犯罪と刑罰』(1764年)はこの冤罪をきっかけにして執筆された。「なん人も、裁判官の判決があるまでは、有罪とみなされることはできない。」という有名な言葉は、この古典の「拷問」の章にあるもので、そこでは拷問によって被告から供述を引き出すことの無益さと危険が説かれている。カラス事件が有名になったのは、ひとつにはこの老人が拷問に屈せず、最期まで自己の潔白を主張し続けたことによる。


さてこの著名なカラス事件について佐伯は次のように説明している。

 

カラス神父事件がひとつのきっかけを与えたことは間違いないようである。カラス神父事件とは一七六二年フランスのトゥルーズで起きた事件で、新教徒のカラス神父が、旧教に改宗した長男を殺したとされる事件で、実際無実であったにもかかわらず、世間は彼を有罪だとし、実際、有罪判決の末に処刑された事件である。

 

この事件は、1761年10月13日に起き、二日後のカラス一家は殺人の容疑で逮捕され、第一審がトゥルーズ市役所(11月18日判決)で、控訴審がパルルマン法院(62年3月9日判決)で行われ、控訴審判決の翌日にジャン・カラスのみが公開処刑される。判決文には、「当該カラス父は車刑台の上で二時間生きた後に絞殺される。」とある。

佐伯の記述は、まず事件が起こった年を処刑が実施された年とを混同している。(注1)
なお佐伯はまた「世間は彼を有罪だ」と記述しているが、これはおそらくカラスはプロテスタントで、トゥルーズのカトリック教徒からすれば、プロテスタントは悪という短絡的な考え方に容易に染まる時代の雰囲気があったことを指しているのだろう。まず61-62年はフランスが7年戦争の最中で敵国は、プロテスタントの国であるイギリスとプロイセンであった。また62年はトゥルーズ解放200周年にあたっていた。解放とは、、聖バルテルミーの虐殺まがいのプロテスタント教徒殺害(4000名といわれている)によりトゥルーズがプロテスタントという赤痢から解放されカトリックの都市として復活した。

しかし「カラス神父」とあるから、私たち読者はここで混乱することになる。なぜなら神父とはカトリックの司祭のことであり、カラスが神父なら当然カトリック教徒なので、時代の雰囲気を考えるなら「世間は彼を有罪だ」とはしないはずだからだ。

混乱があるといけなので、用語を整理しておくと、

 

カトリック(旧教)   神父・司祭

プロテスタント(新教) 牧師

 

このような対応関係からすると、「新教徒のカラス神父が、旧教に改宗した長男を殺した」というのは、「新教徒のカラス牧師」としなくては、話の辻褄が合わない奇妙な記述になってしまう。ところがカラス一家は先ほどの述べたように布地を扱う商店の経営をしており牧師職ではなく、しかもこの一家の当主ジャンはもちろん全員プロテスタントであったから、「新教徒のカラス牧師」と書き直したとしてもそれは誤記になる。正しくは、「プロテスタントである父カラスが、プロテスタントからカトリックに改心した長男を殺した」ということになる。「新教徒のカラス神父が、旧教に改宗した長男を殺したとされる」(佐伯)ではないのだ。おそらく佐伯はFather CalasFatherを、長男のCalasと区別して「父」としている記述を、カトリックの神父の呼称Fatherと誤解したのであろう。

1: カラス事件については法学者による詳しい記述がある。石井三記『18世紀フランスの法と正義』(名古屋大学出版会,199922-51

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2016/12/21

「自分に信じさせることができる」冤罪

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カラス事件を支えているストリーは、プロテスタントの一家から、カトリックに転向する息子が出ることに家族が頭を抱え、父は転向を阻止すべく長男の説得にあたるが、それがうまく行かず、ついには殺害したという、熱狂的なプロテスタント家での犯罪というものである。

この事件を冤罪として再審請求のために手紙を貴族などに送り、またパンフレットも書いて文書を読める世論にこの事件の判決への関心を喚起したのが、権力の不当行使への抵抗者ヴォルテ―ルである。この啓蒙思想家の活動は処刑後に始まり、626月には事件に関わる原資料集を刊行し、同年末から翌年にはこの事件を元に宗教的熱狂から生じる他宗派に対する嫌悪が地球規模で見た場合にはどれほど愚かであるかを説いた『寛容論』を完成させていた。ヴォルテールの活動は633月には実り、再審請求が受理され、646月にはトゥルーズ市役所とパルルマン法院がそれぞれ出した有罪判決が破棄され、652月にカラス一家への全員無罪判決が言い渡される。

アダム・スミスはトゥルーズに643月から658月まで滞在するが、その時期はまさに、この冤罪事件の行末が市での話題になっていた。またこのトゥルーズで、スミスは『国富論』を書き出している。

再び、佐伯啓思の記述に戻ると、

 

スミスは六四年から六五年にかけてトゥルーズに滞在し、まさにこの事件に深い関心をもった。罪を告白するよう勧めた修道士たちに対して、カラス神父は、「神父様、あなた自身、私が有罪だと自分に信じさせることができるのですか」と述べた、とスミスは書いている。

 

「スミスは書いている」とあるが、当該箇所にあたるスミスの記述は『道徳感情論』(第6版)にあり、次のようになっている。

 

After he had been broke, and when just going to be thrown into the fire, the monk who attended the execution exhorted him to confess the crime for which he had been condemned. 'My father,' said Calas, 'can you bring yourself to believe that I was guilty?' 

 

この部分の訳を、佐伯が従った水田洋訳(筑摩版)ではなく、数々の名訳を出している日経BPクラッシクス版における『道徳感情論』(村井章子北川知子訳)を見ると、以下のようになっている。

 

車裂きにされ、いままさに火の中に投げ込まれようとするときに、処刑に立ち会った司祭が罪を告白するよう訓戒した。するとカラスは言った。「神父様、あなたまでが私を有罪だと信じておいでなのですか。」

 

車裂き」は公開拷問であり、また公開処刑法でもあった。左の図は、処刑から約50年後にイギリスで出版された行商本(Chapbook民衆向けの安価な小冊子で、版画入りが多く、行商人が売り歩いたもの)の版画である。この版画が正しければ、カラスの肢体の関節や骨を執行人が砕いて車輪の外周に弧状に縛り付け、車輪の台座から伸びるロープでカラスの脚をくくりつけ固定し、車輪を馬が引いて、時計と反対方向に回転させる。馬の力によって、体が上下に引かれて激痛が走るという拷問である。

さて、処刑に立ち会ったのは、この版画では胸に白抜きの十字架を染めた司祭であるが、スミスの原文では “the monk”(隠修道士)となっている。

修道士には実は二種類おり、『ロメオとジュリエット』に登場し二人に結婚の秘跡を授けるロレンス修道士のように、修道院外での活動も行う修道士は “Friar”と呼ばれる。これに対して自分の属する修道院の外に出ず基本的に院内に留まり祈りと労働に従事するのが “monk”(隠修道士)である。『薔薇の名前』は隠修道士の間で起こった殺人事件である。なお隠修道士はとくに、映画『ブラザー・サン、シスター・ムーン』のフランシスコ会と、異端撲滅に活躍したドミニコ会のメンバーをさすときに使われる。

ヴォルテールは、『エリザベス・キャニングとカラス家の物語』(17628月出版)で、カラスの車裂きのあと彼の最期に立ち会ったのが、「ドミニコ会所属の神学教授であるブルージュ神父、そして同修道会のカルダゲス神父」と記述している。(注2)スミスの原文は単数で“the monk”(隠修道士)だが、あえて佐伯が「修道士たち」としている方が正しいことになる。

しかし問題は、この司祭(隠修道士)がカラスに罪を告白するよう諭したとき、そのカラスの返答である。佐伯は「神父様、あなた自身、私が有罪だと自分に信じさせることができるのですか。」(水田洋訳)を引用している。

原文の骨格は “can bring oneself to do”で、bringは意志や力を使って持ってくるで、そこにoneself to doが加わっているから、恥ずかしいことやつらいことを自分の意志の力を使ってあえて自分自身にもってきてみるという意味である。

たとえば、

I can't bring myself to trust him.

 といえば、「(あんな嘘ばかりついている)奴がいっていることを信じる気にはさらさらなれない。」ということである。また

 I wanted to kill myself, but I couldn't bring myself to that.

 とあれば、「自殺したかったが、それに踏み切れなかった」(國弘正雄『私家版和英.朝日出版社, 1986)あるいは「自殺するほどの勇気がなかった」となる。

とすると、「私が有罪だと自分に信じさせることができる」という部分のうち、「私が有罪だ」という箇所は神父にとっては本来認めがたいこととして意識されていることになる。だから、「私が有罪だと信じる勇気が神父様にはおありなのですか」といったほうが、カラスの意図が伝わりやすいことになる。

 

2: Voltaire, Treatise on Tolerance (Cambridge Texts in the History of Philosophy), Ed., Simon Harvey, (Cambridge: Cambridge University Press, 2000) 113.

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2016/12/14

長い広告文に込めたヘンリー・フォードの「理論」

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誰にでも理解できるわかりやすい言葉で、それも聴き手を飽きさせない口調で、私たちがおかれている状況の核心をえぐり出せる人は稀だろう。天野祐吉がそういう稀な人であったことは、最晩年の著作『成長から成熟へ』(2013年)が教えてくれる。

戦後の高度経済成長期から
21世紀の低成長の右肩下がりの時期に至っても、成長はよいことだという物財増進神話は頑として揺いでいない。しかしこの物財増進が日本人を幸せにはしてくれないこと、いやそれは広告媒体によって植え付けられ、動物のように条件反射的によいことをオモされている作為の虚構であることを、主として広告に依拠しながら、見事に示してくれる。

広告を生業とする博報堂に勤務した天野は、同社の広報誌の編集に携わり、広報誌廃刊とともに自ら雑誌「広告批評」を立ち上げる。その創刊のことばのなかで、広告の役割は「人びとの暮らしに対する想像力を切りひらき、生きるための目を鍛える」ことにあると、その本質を喝破する。大衆の欲望を煽り、物を意味もなく買わせる衝動的な方向へと人々を扇動するようなものは、広告の本来の姿ではないというのだ。

『成長から成熟へ』では、「暮らしに対する想像力」を持ち、人間らしく充実して「生きるための目」を持つ方向へと広告を批評しながら読者を誘う。そして、現在の生活水準を見渡すなら、「金持ち暇なし」の成長一辺倒の生活よりも「貧乏暇あり」の成熟した生活が望ましいと、広告を使いながら読者に提起する。

天野が行っている広告の批評のなかでも冴えているのは、ヘンリー・フォードが物財増進礼讃の自動車王ではなかったことをその広告によって説いている箇所である。フォードは、規格大量生産の創始者として知られているが、そこには私たちの誤解が多分に含まれているという。

「大量生産の父とは言えても、大量販売の父とは言え」ない人物、「大衆のためにいいクルマ」を生産する技術者、技術を通じて人々の生活の質を向上させる良心的な人物として描き出している。

そのような人物であることの例証として、また広告が「暮らしに対する想像力」と「生きるための目」を人々に持たせるという広告本来の役割を示す例として、
1908年のT型フォードから約20年ぶりに発表した新型フォード車の広告を、天野はあげる。

「史上、長文の広告はたくさんありますが、こんなに長いのにこんなに読まれた広告もめずらしいんじゃないでしょうか。ヘンリー・フォードさんの哲学がうかがえて面白いので、その広告の冒頭の部分だけでも、読んでみましょう。」

こうして、
1500語の長文スピーチからなる特集記事形式の広告(advertorial)の冒頭部分を訳出する。原文の数カ所を意図的に省略しつつ、読みやすく訳されている。そのため、次のような文章には、この広告が暮らしへの「想像力」と「生きるための目」を読者に伝えようとしていることとあいまって、思わずうっとりと酔いしれてしまう。

 

この一九年間で、私たちは一五〇〇万台のクルマをつくりました。馬力に換算すると三億馬力です。しかし、私はこの機械を、私の名前を冠しただけのものとは考えていません。(1)私はこの成功を、単なるビジネス論をこえた私の持論が、広く受け入れられたからだと考えています。ビジネスとは、私たちが住んでいるこの世界を、生きるに値する楽しい場所にしていくためにあるという持論です

T型フォードはパイオニアでした。それが世に出たときには、人びとはそれがまだ必要だとは意識しませんでした。(2)いい道路は少なかったし、クルマを買おうとするような人もいませんでした。

 

ところが、下線部分のフォードの文章をみると、この自動車王はここに訳出されている以上に謙虚な人で、読者が広告を通じて目を開き、想像力を羽ばたかせる存在だということが伝わってくる。

まず簡単な下線部(2)からいくと、原文は次の通りである。

 

There were few good roads and only the adventurous few could be induced to buy an automobile.字体は鈴木)

 

a fewfewはいうまでもなく、「少し」と「ほとんどない」、またgood roadの対語はdirt roadでこちらは舗装されていない道路だから舗装された道路。最初の部分は、「舗装された道路はほとんどなかった」と訳出すべきだろう。

次の斜字体の部分”only the … few”は、”a few”の派生で「ほんの一握りの」であって、「~ません」ではない。またinduceは「人を説得して~させる」の意味だから、「車を買ってみようなどという気持ちになる大胆な人はほんの一握りであった。


下線部
(2)は合わせると次のようになる。

 

舗装された道路はほとんどなかったし、車を買ってみようなどという気持ちになる大胆な人はほんの一握りであった。


 

これが1920年頃のアメリカで車を買う時に消費者がおかれていた状況であり、心理であった。しかしそうした心理に挑戦して、車を使えば移動時間が短縮され、行動半径も広がり、生活が便利で充実したものになるとフォードは確信していたので、T型モデルの生産に踏み切った。

また機械にしろ、物財にしろ、それらは人間が制約からより解放されて自由に生きられるための道具であって、そのような道具をみすみす利用しないまま放っておくのはそれこそ「暮らしに対する想像力」の欠如だと考えていた節がある。実際、フォードは自叙伝(
My Life and Work, 1922)の中で、そういう文脈で、下線部(1)の原文を、そっくり使っている。

 

I take (1-1)them as concrete evidence of the working out of a theory of business, (1-2)which I hope is something more than a theory of business—(1-3)a theory that looks toward making this world a better place in which to live.

 

(1-1) themT型フォードで、訳文のように「成功」ではない。フォードはここで、この車は短時間で人が移動することを可能にするたんなる機械ではなく、「あるビジネス理論がうまくいった」ことの「物証」だと自分は考えていると述べている。“concrete evidence of the working out of a theory of business”の斜字体部分は、名詞構文といわれるもので、動詞に変えて書き換えれば、“a theory of business worked out”あるいは” a theory of business is working out”となる。work outは自動詞で「うまく機能する」という意味。したがって、「私は、T型フォードはあるビジネス理論がうまくいったことの物証とみなしています。

(1-2)その「あるビジネス理論とはたんなる一理論にとどまらないものであることを願っています」であって、「単なるビジネス論をこえた私の持論」(天野訳)としては、フォードはかなりの自信家になってしまい、原文にこめられた、間をおいた謙虚さが消えてしまう。


(1-3)
ここまで読者を惹きつけ待たせておいて、フォードは初めて、その「ある理論」がどんなものなのか、誰もが知っている心に響く言葉(ゲルマン系の言葉)で述べる。「世界をもっと生きやすい場所にしていく方向に、目を向ける理論」。こうして「理論」(ラテン系の学術言葉)が実は「ビジネス理論」ではなく「ビジネスの自前持論」だったことがわかる。理論が精緻に組み立てられたものではなく、自分の人生哲学から生まれた持論へと落とし込んでいくことに、この文の妙味がある。

したがって下線部(1)は次のようになる。

私は、T型フォードはあるビジネス理論がうまくいったことの物証とみなしています。その理論がたんなる一理論にとどまらないものであることを願っていますが、その理論とは、世界がもっと生きやすい場所になるよう目を向けるという持論です。

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2016/06/21

英国とヨーロッパ大陸

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英国がEUに現在のまま留まるのか、それともEUから離脱するかをめぐる選挙が一週間(2016年6月23日)たらずで開催される。この選挙は、「EU国民投票」(EU Referendum) という見出しで英国のマスコミは取り上げている。この選挙について予備知識がない人には、見出しの日本語あるいは英語を見せられて、それが、EUへの残留か離脱かについてイギリス人が国民投票をするということを必ずしも読み取れるわけではない。EUの国々の市民がEUについて何か意思決定するために投票するのかとも誤解しかねない。

日本の新聞もEU国民投票について記事をさくようになってきたが、産経新聞と日経新聞が、英国の霧にからめながらなぜEU離脱派が勢いをつけているのか解説している。

英紙に伝説の見出しがある。「英仏海峡濃霧――欧州大陸孤立」。天気によって、大陸の人たちはこんな目にあう。なんと不幸なことか。島国の目線がよく分かると、英国のジャーナリスト、パクスマン氏が「前代未聞のイングランド」(小林章夫訳)で指摘している。(日経新聞6月18日付 「春秋」)

ここで英紙の伝説の見出しといわれている原文は、"FOG in CHANNEL; CONTINENT ISOLATED"である。

この見出しの英語を簡単に確認しておくと、the Channel(見出しのためtheは省略)はブリテン島の南の部分が、大陸のフランスと向かい合っているイギリス海峡のことだ。
この海峡は、感覚的には英国側はドーバーからペンザンスまで、大陸のフランス側はカレーからブレストまでがあたる。この海峡で英仏がもっとも接近しているのが、ドーバーとカレーとの間で約32キロ、泳いで渡った人もいる距離である。
快晴の日にはドーバーから対岸のカレーがみえるが、そういう日は4月か5月が主で、一年を通じて曇が多く、太陽と雨を見る確率が同じくらいという気候だ。そんな気候からも類推できるように、そもそも英国海峡は視界がよいところではない。
さらに視界を悪くする濃霧が発生するのは、どの程度の確率なのかは断定できないが、濃霧による船舶の事故は過去に何度も起こっており、とくに記憶に新しいのは、2002年冬にノルウェーの自動車輸送船が、フランスのダンケルク沖(ドーバーからやや北東)で霧のために他船と衝突事故を起こし船体の一部が沈没、航行不能になったことだ。海上にさらされたまま残っていた何十台もの高級車の姿は無残であった。
ちなみにタイムズ紙上で "fog in the Channel" という表現は200年間(1785-1985年)に293回で、一年に1.5回の割合になっている。さてこうしてみると、"Fog in Channel"は「英国海峡に立ち込める霧」ということになる。

ところが産経新聞では次のように書かれている。

「Fog in the channel continent isolated」(海峡から濃霧 大陸から孤立)かつてドーバー海峡に霧が立ちこめた際、高級紙タイムズがこう報じたことはよく知られている。 (産経新聞3月7日付 「視線」ウェブ版)

"Fog in the channel"の部分の訳は「海峡から濃霧」となっている。これでは、海峡で発生した霧がドーバーから英国本土に押し寄せたような印象を読者はもってしまう。
また海峡をドーバーに限定しているが、ドーバー海峡は英語ではDover Straitあるいはthe Strait of Doverで、日本語では同じ海峡という言葉を使っていても、channelよりも狭いものがstraitであって、使い分けている。だから「ドーバー海峡に霧が立ちこめた」と限定してしまうのは正確ではなく、小林訳を採用した日経新聞のように「英仏海峡」とするのが正確である。
またこれは地名
だから、産経のように先頭を小文字でchannelと書くのも正しくない。このことは、たとえばタイムズ紙の天気ページの海路欄(1967年10月17日)を見れば、北海、ドーバー海峡、英仏海峡と区分けして説明していることからもわかる。


また産経は「高級紙タイムズがこう報じたことはよく知られている」と記載しているが、日経は「英紙に伝説の見出し」として、どの新聞が霧の報道をしたのかを明記していない。これも実は日経が正確だ。タイムズ紙(The Times)はたしかに世界でもっとも古くから続く日刊新聞だが、この「高級紙」がそのような見出しを掲載した記録は皆無である。ただしタイムズ紙に次のような投書が寄せられたことならある。

前世紀[19世紀]の80年代に、貴紙のコラムに次のような見出しがあったといわれており、私共の島国根性を物語るこの「尊い栗」を…ドイツ人に話したことを覚えています。Dense Fog in Channel: Continent Isolated for Three Days
(The Times 1939年11月3日) [下線鈴木

投書の中の「尊い栗」(a venerable chestnut)は、本当かどうかわからないが、ありがたみのある古臭い話という意味で、この投書の見出しにもなっている。また文中に「ある見出しがあったといわれており」の「といわれて」は原文ではallegesで、これは不当なことをしたと証拠もなく言い立てることで、実際にこのような見出しがタイムス紙で使われたという証拠があるわけではないのだ。

海峡への誤解、出典の誤断に加えて、産経の説明でさらに奇妙なのは、"continent isolated"を「大陸から孤立」と訳していることだ。continentの直前にコロンないしはセミコロンが必要なのはいうまでもないが、この訳では「英国がヨーロッパ大陸から孤立」と読めてしまう。しかしisolatedは過去分詞で isolated from Englandが正しい読み方。つまりThe Continent is now being isolated from Englandと考えるべきなのだ。したがって「ヨーロッパ大陸は孤立せり」と読めるのだ。小林訳を踏襲している日経は、「欧州大陸孤立」としているが、「EU国民投票」と同じでややわかりにくい。

霧がかかって、英国のブリテン島と大陸とが交通不能になる。そのために、小さな英国が大きな大陸から分断され孤立してしまう。だから本来なら、「英国は大陸から孤立」と見出しがあるべきで、それなら"Britain isolated"という記載になる。ところが自国中心に考える英国人は、小国の自分たちが霧のために孤立したのではなく、ヨ-ロッパ大陸が英国から孤立させられたしまったと表現しているのだ。 "Fog in the Channel"に続いて、BritainではなくContinentとなっているので、イギリス人の島国根性がすけてみえてしまい、思わず笑ってしまうのだ。

さらに上述の英国人の投書子によれば、この見出しはそういったジョークでありながら、もうひとつ意味が込められているともいっている。この見出しは、「イギリス人による作り話で、イギリス人が誰か他のイギリス人を楽しませるためのもの」、つまり自分たちの島国根性の頑強さやその素晴らしさをつつくための諧謔まで含んだジョークなのだという。

念のためだが、この見出しをイギリス人に見せたところ、Continent isolatedのところでやはり笑っていた。また見出しの英語に関していえば、過去分詞が一語の場合は名詞の後ろではなく前に置くという、かつての受験英語の通説(一語で修飾)は誤りであることを、最近の受験参考書は指摘するようになっている。

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