Top Page (誤解と理解)

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(形像文化の世界へ)

ようこそ。 西洋文化と日本文化の接点を、誤解と理解という視点から眺めています。

鈴木繁夫
 

お知らせ

■同一の歌・篇あるいは同一の巻からの記事の場合、最初の段落はほぼ同じ内容が記載されていることがあります。
■ラテン語はローマ字読みでも西欧人に通じます。しかし、ラテン語の母音は長く読むものがあり、それをきちんと踏まえた方が正確な読みに近づきます。また詩では、韻律の関係から、単語の末尾の母音などが省略されることがあります。読み方に<詩>とあるのは、韻律を踏まえた読み方です。
 

Witty Remarks in Latin

ラテン語格言
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2019/10/20

恋の力

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Videomeliora proboque, deteriora sequor.

ウィデオー・メリオーラ・プロボーケ・デーテリーオラ・セクオル

「よりよいことはわかっていてそれを良しとしても、より悪いことに従ってしまう。」(オウィディウス『変身物語』720)

イアーソーンに恋する王女メデーアーの独白。ギリシアのテッサリア地方の王子イアーソーンは、黄金の羊皮を手に入れるべく、ギリシア各地から募った勇士を引き連れて、コルキス(現在のグルジアの西、黒海の東岸沿いの小国)に向かう。コルキスに行くには、エーゲ海を通り、マルマラ海を抜けて、ボスポラス海峡を通過し、黒海の南西端に入り、そこからさらに黒海東岸までの遠距離航海が必要だった。その苦難を乗り越えて、イアーソーン一行(その船名アルゴーから「アルゴナウタエ」と呼ばれる)はコルキスに到着し、王アエエーテースに黄金の羊皮を求めた。ところが王は、羊皮が欲しいならと、イアーソーンが確実に命を落とす難題を出し、その課題達成の後に羊皮を渡すと約束する。イアーソーンに一目惚れしてしまった、王アエエーテースの娘メデーアーは、イアーソーンを助けるべく魔法薬を与える。

メデーアーの独白は、通常の理性的判断は恋心には無力であることを示している。よりよいこととは、外国人であるイアーソーンへの恋心を捨て、祖国の男性と結婚すること、それに対してより悪いこととは、父親の意図を無視してイアーソーンを救い、その暁に結婚し、コルキスを去ること。

 メデーアーの直截な独白は、愛は常識的判断を覆す、さらに広くいえば、感情が一般認識に優位に立つとも理解される。ところがこうした優位は、近代人にはなかなか受け入れがたいことであったようだ。哲学者スピノザは、近代からポストモダンに至るまで多大な影響を与えている『倫理学』のなかで、この独白を3度も引用している。またホッブス、ロックもそれぞれこの独白を引用している。

日本では、メデーアーの独白を裏書きするかのように、好色物にも手を染めた井原西鶴は、「欲は人の常なり、恋は人の外なり。」(『本朝二十不孝』(1686) 二・三)といっている。欲望にふけるのはどんな人間にも見られるが、恋というものは人間の分別・意志によって抑えきれないものであると教えている。とはいえ、醒めた近代人・芥川龍之介は、「我々を恋愛から救うものは理性よりもむしろ多忙である。……ウェルテル、ロミオ、トリスタン―古来の恋人を考えて見ても、彼らはみな閑人ばかりである。」(『侏儒の言葉』(192327))と皮肉っている。男性の名前ばかりだが、メデーアー、そしてアエネーアースに恋したカルターゴーの女王ディードーを子男に付け加えてもよいだろう。

メデーアー(1世紀頃・ナポリ考古学博物館
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2019/09/05

徹底した工夫

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Nil intemptatum nostri liquere poetae

ニール・インテンプタートゥム・ノストリー・リークエーレ・ポエタエ

「我が国の詩人はあますところなく工夫を試みた。」(ホラーティウス『詩論』285).

 ギリシアの悲劇と喜劇は、ローマでは正統(カノン)として認知されてはいたが、ローマの詩人(当時の文学作品は韻文であったので詩人だが、現代なら作家)たちは、そうした正統なものからはみ出るような独自の文体を編み出し、ローマ独特のテーマを扱った劇作品を試みていった。しかも熱心に飽くことなくやっていった。こうした努力を詩人ホラーティウスは――どこまで真剣にかは疑わしいが――賞賛している。

日本には、「作者の作り倒れ」といったように、作家があまりにも文体にこりすぎたり、意表を突くようなテーマを扱ったりし、作品として成り立たなくなるような失敗がある。


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2019/09/05

作品による教導

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Omne tulitpunctum qui miscuit utile dulci.

オムネ・トゥリット・プンクトゥム・クゥイー・ミースクゥイト・ウーティレ・ドゥルキー

「面白さに有益さを交えた作家は満票をさらった。」(ホラーティウス『詩論』343)

ローマ人はギリシア人と違って、なんであれものは役に立たなくてはならないと小さい頃から教えられている。詩文も例外ではなく、老若の差なく市民全体からこれはいいと太鼓判を押され、著名になった作品には、読んでまた聴いて心地が良いだけでは不十分なのだ。そこには、よりよく生きるための指針などといった有益なアドバイスがこめられていなくてはならない。

 文革に抵抗した中国作家・巴金(ばきん)は、「作家は人間の魂の技術者だ。よい作品は人を助け、前進するよう励まし、人々に備わっている素晴らしいものを一層かきたてることができる。」(「祝賀与希望」)と述べて、よい作品には教導的な要素があることを支持している。しかし同時代の日本の作家・批評家である澁澤龍彦は、「人生の求道やら何やらを作品のなかに持ちこむことなどは、要するに田舎者の小説家の勘違いにすぎない。」(『偏愛的作家論』1978年)といい、教導は文学とは本来なじまないのだと述べている。


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2019/09/05

地獄で仏

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Homohomini deus.

ホモー・ホミニー・デウス

「人間にとって、人は神である。」(エラスムス『格言集』69).

 もうだめだと思っていたときに、助けてくれる人が突然現れることがあるが、そういう人は神に見えてくる。これは、そういうときに使う諺。エラスムスは、宗教改革期に、プロテスタントに対するカトリック教会の教義の擁護者であった。当然のことながら、被造物である人間を創造主である神に喩えることははばかれる。「しかし」と続けて、この論争家は古典に精通した当時の超一流人文主義者として地についた人間らしさをちらりと見せて、苦難を救ってくれた人には「まあここだけの話だが、こういうギリシアの諺がぴったりだね」といって使えると述べている。

エラスムスも簡単に触れてはいるが、キリスト教化される以前のローマ人たちは多神教の世界に生きており、人間の生活に恩恵をもたらしてくれた人は神として崇められた。その典型が皇帝であり、帝国を外敵や天災から守り、生活の安全を確保してくれたとして、死後は神として祭られた。

日本には「地獄で仏に会ったよう」あるいは「地獄の地蔵」という諺がある。この諺は、すでに『平家物語』にあり、「地獄にて罪人どもが地蔵菩薩を見奉らむもかくやと覚えて哀れ也」[巻之二]という喩えがある。また福沢諭吉は長崎からの帰り道の船代で船頭ともめたとき、船客のひとりに助けられ、「地獄に仏と心の中に此男を拝みました」(『福翁自伝』)と述べている。


初代ローマ皇帝アウグストゥスの霊廟(ローマ)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b8/Roma-mausoleo_di_augusto.jpg


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2019/09/04

騙す人

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Homo homini lupus.

ホモー・ホミニー・ルプス

「人間にとって、人は狼である。」(参照 プラウトゥス『ロバ物語』24495行)

いまだ私と会ったこともない人にしてみれば、その人にとって私は人間などではなく何をするかわからない狼だというのが、この格言の元になったプラウトゥスにおけるそもそもの意味であった。ところが、狼には、『アイソープ寓話集』(イソップ寓話)に登場する狼の振る舞いからもわかるように、貪欲、狡猾、略奪などといったイメージがある。そのために、人間はたとえ仲間同士であっても、自分の利益のために他人のものをだまし取ったりしても平然としていられるというように人口に膾炙されるようになっていった。

日本でも、「狼に衣着せたる如し」(松江重頼編『毛吹草』(けふきぐさ)二[1645年])」というように、悪巧みをする人間が、法衣をまとって慈悲深い善人のように見せかけて、うまく相手を信用させて騙すことが、狼に喩えられている。


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2019/08/29

大きな度量

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Ovium noncurat numerum lupus.

オウィウム・ノーン・クーラト・ニュメルム・ルプス

「一匹狼は羊の数を気にしない。」(参照ウェルギリウス『牧歌』751-2行)

一匹狼はその気になればいつでも羊を見つけてそれを獲物にできるが、そのように力のある人は目先の利害を大きさに一喜一憂しないこと。

 この諺は、参照としてあげた『牧歌』が元になっている。『牧歌』では二人の羊飼いが粗末な小屋で冬の寒さをやせ我慢しながらしのいでいる。そのやせ我慢の心意気を、一匹狼の例と、土手を気にしない激流の例で言い表している。しかしこの言葉からいつの間にか、やせ我慢という響きが抜け落ちて、この言葉は度量の大きな心意気を表すようになった。

 日本には、「天(てん)空(むな)しくして鳥の飛ぶに任す。」(『諺語大辞典』1910年)という諺があった。これは、空(そら)は鳥がどこに飛んでいくかに一切拘泥しないが、それと同じく、大きい度量の人は些細なことにいちいち細かく拘泥しないということ。



ヤギを背負う牧人(ローマの床モザイク)
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2019/08/29

裏切る友人

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Latet anguis in herba.

ラテット・アングイス・イン・ヘルバー

草の中には蛇が潜んでいる。」(ウェルギリウス『牧歌』 393)

二人の羊飼いの歌合戦の中に出てくる言葉で、花やいちごを摘むとき、その草むらには蛇が待ち構えて襲われるかもしれないから気をつけろと、注意を促している。ここから転じて、"a snakein the grassというと、善良に見せかけてその実、友人を裏切る人、とくに友達の妻を寝取る人をさす。

中国には「隙穴(げきけつ)の臣」(韓非『韓非子』用人)という言葉がある。隙穴とはすきまのことで、主君に忠実なふりをして、実は敵と内通し、主君を倒そうと企む裏切り者のことをいう。


イチゴの草に蛇が潜み、待ち構えている。
ジェフリー・ウィットニー『エンブレムの清華』1586
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2019/08/28

類焼

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Iam proximus ardet Ucalegon.

イアム・プロクシムス・アルデト/ウーカレゴーン

「今や、隣のウーカレゴーン家が燃えている。」(ウェルギリウス『アエネーイス』2 311-2)

 出火した家のその隣家にまで火が移り燃えているときの状況を言い表している。

トローヤ[トロイ]戦争は開始後から10年目にして、都トローヤは、都に運び入れられた木馬の体内に潜んでいたギリシア軍の夜中放火によって大火災となり、混乱のうちに落城する。ウーカレゴーンはトローヤの長老の一人で、都内に構えていた屋敷もその大火により燃え落ちる。いまでも、もらい火をして焼ける、いわゆる類焼の家は、「ウーカレゴーン」という。なおこのように何かの代名詞として固有名が使われることを、エポニム(eponym)という。

 

 

 

 

 











『象徴の栄光』(Symb[olorum]Gloria 1634[ポーランド])(大英博物館)


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2019/08/28

危機の打開

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Grande doloris / ingenium est.

グランデ・ドローリス/インゲニウム・エスト

「ひどい目にあうと、そこから生まれる知恵はすばらしい。」(オウィディウス『変身物語』3574-5)

この言葉は、アテネ[アテナエ]の王女フィロメーラが、その姉妹プロクネーの夫テレウス王によって陵辱されたばかりか、小屋に一年以上も監禁されていたとき、フィロメーラがプロクネーにテレウスの酷い仕打ちを伝える方法を思いついたときの有り様を描写している。

フィロメーラが編み出した方法とは、ギリシアの女性にとっての嗜みにして家事でもあった布織りにかこつけて、模様のなかに自分の窮状を伝える特別な印を織り込んで、その布をプロクネーに届けることであった。この策は見事に成功し、実情を知ったプロクネーはフィロメーラを救い出し、姉妹で力を合わせ、テレウス王に復讐を果たす。

「翅(つばさ)がほしい羽根が欲しい。飛んで行きたい。しらせたい。」(近松半二・三好松洛『本朝廿四孝』(1766) 四段目)というのは、歌舞伎の「三姫」のひとり八重垣姫が、許嫁であった武田勝頼に追手が迫っている危機を知らせられたらと願ったときの言葉。姫は、「法性の兜」(諏訪湖美術館に現存)に向かって祈願すると、諏訪明神の使いである白狐が姫にのりうつり、姫は氷の張る諏訪湖を渡り勝頼に追いつき、勝頼を救う。
 

中央で二人の女性が機で織っている。

ギリシア油壷(メトロポリタン美術館・ニューヨーク)


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2019/08/23

真意を見抜く

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Quantummortalia pectora cæcæ noctishabent.

クワントゥム・モルターリア・ペクトラ・カエカエ・ノクティス・ハベント

「ひとの胸には、盲目の夜がなんと多く占めていることか。」(オウィディウス『変身物語』6472-3)

神であれば人の真意を見通すことができても、人間となると、相手の真意がどこにあるのか突き止められず、まるでその理解力が及ばない暗闇を見ているようだということ。

この言葉は、トラキア王テレウスがその真意を隠して言葉巧みに説得している有り様を見抜けないアテネ[アテナエ]の王パンディオンの態度を、評したもの。テレウスは、義理の父親パンディオンに向かって、その娘フィロメーラをトラキアにしばらく連れて行く申し出をする。しかしテレウスの真意は、パンディオンの娘プロクネーと結婚はしていたが、フィロメーラに一目惚れしてしまったため、トラキアでフィロメーラを陵辱し、そのまま監禁しておこうというものであった。しかしパンディオンは、その真意をまったくつかむことができないまま、テレウスがフィロメーラを連れて行くことに同意してしまう。

 人の真意をきちんと見抜ける人を、兼好法師は「達人」とよんでいる。「達人の人を見る眼は、少しも誤るところあるべからず。」(吉田兼好『徒然草』第194段)。法師は、うそを受け入れる人の態度を十種類に分けて述べたあとで、達人(「道理にあかるい人」)が、人のの心に宿る真意を見抜くことは、手のひらの上にあるものを見るように、至極かんたんなことだと述べている。

左端のコマでは、テレウスが冠をかぶるパンディオンに挨拶している。

中央コマでは、パンディオンがテレウスにフィロメーラを紹介している。

右端コマでは、テレウスが自分の船にフィロメーラを乗船させている。

『オウィディウスに登場する君主の詩的歴史大成』1532



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2019/07/28

有益の表裏

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Usque adeo latetutilitas

ウースクエ・アデオー・ラテット・ユーティリタース

「有益はこれほどまでに隠れている。」(オウィディウス『変身物語』6438行)

アテネが外国(夷狄)の軍団と交戦状態にあったとき、アテネを救ってくれたのは、トラキアの領主テレウスであった。アテネの領主パンディーオーンは、長女プロクネーをテレウスに嫁がせ、テレウスとの盟友関係を確立する。二人の間には男の子イティスが産まれ、その関係はますます強固になる。その意味で、この結婚はまさに「有益」である。

 ところが、この結婚は大変な破局を5年後に迎える。きっかけはプロクネーがアテネにいる妹フィロメーラとの再会を望んだことだった。その望みをかなえるべく、テレウスはアテネに行き、パンディーオーンにしばらくフィロメーラをトラキアに置かして欲しいと伝える。ところがテレウスはフィロメーラを一目見るなり惚れてしまい、トラキアに着くなりフィロメーラを陵辱する。陵辱が発覚しないよう、フィロメーラの舌を切り、小屋に軟禁する。そして妻プロクネーにはフィロメーラが事故で死んでしまったと不実な嘘をつく。しかしフィロメーラの機転により、プロクネーはこの妹の生存に気づき、妹を救い出す。そして二人で力を合わせ、テレウスに対する復讐として、イティスを殺し、その肉で作った料理を、何も預かり知らないテレウスに食べさせる。有益をもたらした結婚も、こうした大きな不幸をひそかに抱え持っていたのだ。

有益と思われることが不利益を抱え持つという意味に近い日本のことわざは、「禍福は糾(あざな)える縄の如し」があたる。縄は二本の藁の紐を交互により合わせることによって作るが、そのように人間が経験する幸いは実は不幸につながることがあり、またその逆もありうるという。

イティスを殺害しようとする母プロクネーとその妹フィロメーラ

マクロン 480年頃 ギリシア皿絵


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2019/02/26

ごちそうの産地

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Siculae dapes.
シクラエ・ダーペース
「シシリアの宴。」(ホラーティウス『歌章』3巻1歌18行)

フランス料理というと、おいしさ、高級という語感があるが、シシリア料理というとそれらに加えて量の豊富さというニュアンスがある。シシリアは僭王による支配が代々続いたので、富が一人に集中し、財力のはけ口、威信誇示の場としてごちそうが機能した。ヴィスコンティの映画「山猫」はシシリアのそんな場面を彷彿とさせる。なお古代ローマ時代にはフランスは蛮族の住む土地で、とうてい現在でいうフランス料理は存在しなかった。プラトンには、「シシリア料理法の本を書いたミタイコス」(『ゴルギアス』518C)とあり、すでに古代ギリシア時代からシシリア料理が有名であったことがわかる。
 中国では、「食は広州にあり、住は蘇州にあり、衣は杭州にあり、死するは柳州にあり。」といわれ、料理は広州[広東省]、住むのは風光明媚な蘇州[江蘇省]、絹の衣類は杭州[浙江省]、死ぬのは棺桶にふさわしい木が多い柳州[広西チワン族自治区]ということになっている。

 
シシリア名物のアランチーニ(ライス・コロッケ)
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2019/02/26

恋の薬

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Nullis amor est sanabilis herbis.
ヌッリース・アモル・エスト・サーナービリス・ヘルビース
「恋はどんな薬草を使っても治療できない。」(オウィディウス『変身物語』1巻523行)

 アポッロー神が、アモル神[キューピッド]に向かって、その弓矢にはアポッローの弓矢のように、敵に傷をおわせ倒す力がないではないかと馬鹿にした。それに怒ったアモルは、恋を掻き立てる効能のある矢をアポッロー神に打ち込む。そして恋を退ける効能のある矢を河神の娘ダフネーに打ち込んだ。アポッロー神はこのダフネーに恋するが、ダフネーの方は神から逃げ去る。なんとしても自分のものにしようと神は追いかけ、走るダフネーを説得するべく語りかけた言葉の中の一節が、引用の言葉。
 日本の小歌には、「笑止(しょうし)や憂世や恨めしや、思ふ人には添ひもせで。」『隆達節(りゅうたつぶし)』(1592~1615頃)とあって、好きなあの女の子と夫婦としてともに暮らすことができないのは、辛い、苦しい、恨めしいと嘆きがある。そして俗諺には、「心の病は心の薬にて治すべし。」とあって、嘆いたところで、それを治す薬がないことを教えている。
 
アポッロー神から逃げる乙女ダフネー(2-3世紀頃)(ハタイ考古学博物館[トルコ])
07:49 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0)
2019/02/26

失恋の果て

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Amor crescit dolore repulsae.
アモル・クレスキト・ドローレ・レプルサエ
「拒まれたので悲しくなって、愛が募る。」(オウィディウス『変身物語』3巻 395行)

 山の妖精エコーは、女神ユノーから女神を騙した罰として、相手の話の末尾部分だけ声に出せるようになってしまった。ある時、美貌の青年ナルキッススを見つけて一目惚れし、しばらくは隠れていたが、ついに茫然自失し、飛び出して青年に抱きつく。誰にも恋心を抱かないこの青年から、手を放し、自分を自由にしてくれと、即座に拒まれる。エコーは手を放し、森に再び隠れ、洞窟で暮らすようになるが、ナルキッススへの恋心は募るばありかであった。愛を拒まれて悲しくなり、その悲しさゆえにかえって恋心が高まることを、引用の言葉は教えている。そしてエコー(こだま)は、そのかなわぬ恋から憔悴し、ついに声だけになったという。
 日本の小歌(民謡)では、「ともすれば振られ候身は、さて棒か茶筅(ちゃせん)か。」(『宗安小歌集』(江戸時代初期) 95)とあって、相手に言い寄っても振られる自分を、棒や茶筅に自嘲的にたとえている。
 

妖精エコーを拒む青年ナルキッスス (ポンペイ壁画)
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2019/02/26

高まる金銭欲

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Crescit amor nummi quantum ipsa pecunia crescit.
クレスキト・アモル・ヌッミー・クゥァントゥム・イプサ・ペクーニア・クレスキト
「金(かね)への愛欲は金が貯まるほど募る。」 (ユウェナーリス『風刺詩』第14歌139行)

 風刺詩は、ローマのラテン文学において独自に進展したジャンルで、人や社会がかかえる欠陥をあからさまに暴露する。ユウェナーリスは、風刺詩人として資格でのみ名高いといってよいが、暴露した欠陥に対して非常な憤りをぶつけている。引用は、日常での親の不適当な振る舞いが子供にとっての悪い見本となり子供にも影響するという枠の中で、蓄財に励む不適当な振る舞いに注意を促している。
 日本の浮世草子は江戸時代に開花した一大ジャンルで、ローマの風刺詩のように社会の風俗を描写しても、その振る舞いに対してはほとんど肯定的であった。だから浮世草子作家として名高い井原西鶴は、「銀(かね)をこのみ申候(もうしそうろう)はよろしからぬ事ながら、今の世の風義に御座候(ござそうろう)」(『万の文反古(よろずのふみほうぐ)』(1696)巻二の一)と述べて、金への愛欲が良いことではないと分かってはいても、金銭万能の社会風潮なのだからそれも仕方がないと肯定する。
 なおコンスタンティヌス帝(在位310~337年)以前の帝政ローマは、江戸時代の上方と同じく、銀貨で商取引が行われる「銀本位制」であった。したがって、「金への愛欲」の「金」の原語nummusは「貨幣」であり、銀貨が想起され、また西鶴の「銀」も「かね」と読み、銀貨(丁銀)が想定されている。
 

ユウェナーリスとほぼ同時代に発行された、アントニウス・ピウス帝(138-161年)のローマ銀貨(デナリウス)。
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2019/02/25

顔に出る

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Quam difficile est, crimen non prodere vultu.
クワム・ディッフィキレ・エスト・クリーメン・ノーン・プローデレ・ウルトゥー
「罪を顔に表さないことはなんと難しいことか。」(オウィディウス『変身物語』2巻447行).

あるときユッピテル大神はアルカディアの乙女カッルリストー[カリスト]を一目見るなり気に入ってしまい、浮気が妻のユーノー女神にバレることがあっても、この乙女と交わりたいと思う。ユッピテルは乙女が信奉のする処女の女神ディアナの姿に?身すると、乙女に近づき、乙女を騙し、抵抗する乙女を力づくで自分のものとする。乙女は、その後、本物のディアナ女神のもとに戻るが、処女を失った罪への在籍感から、これまでのように乙女の近づくことができず、伏し目がちになる。引用の言葉はそうしたカッルリストーの態度を評したもの。
 日本では「性格が顔に出る」、「生き方が顔に出る」というが、その一方で、「心は顔に似ない」、「顔と心は裏表」、「顔と心は雪と墨」のようにその人の性格や生き方はそのまま顔の人相に反映されないという見方もある。しかしなにか犯罪を犯したなら、「様子がおかしい」ということになるが、それは挙動が不審ということの他に、表情がいつもと違うという意味で、それを引用の言葉はずばり言い当てている。
 
ディアナ女神のもとで、妊娠を暴かれるカッリストー
(ヒッリス・クウィニエット 1580年)
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2019/02/25

年の功

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Seris venit usus ab annis
セーリース・ウェニト・ウースス・アブ・アンニース
「歳を取ると役立つことがある。」(オウィディウス『変身物語』6巻29行)

 機織りの技を誇るアラクネーは、その技を授けてくれたのが女神ミネルウァだと認めようとしなかった。女神は、自分の神威がないがしろにされているばかりか、ないがしろにされながらアラクネーが罰を受けないことに憤りを覚えて、アラクネーの真意をただそうとする。女神は老馬に変装し、アラクネーの元を訪れ、女神には一歩譲る必要があるという忠告をする。その仲保句をするにあたっての口火が、引用の言葉。
 日本では、老人がその経験にもとづいてよい解決策やうまい忠告をするときに、「亀の甲より年の功(こう)」というが、引用の言葉にこれにあたる。なお、本来は功は劫(こう)で、劫はとてつもなく長い時間をいう。亀は万劫を経て仏になるというのが下敷きになっている。
 
ローマ皇帝ディオクレティアーヌス (イスタンブール考古学博物館)
自発的に退位した初めてのローマ皇帝。退位61歳、享年65歳。以後は、ローマではなくクロアチアのスプリットで隠棲した。
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2017/07/11

恐るべき美貌

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Inopem me copia fecit.
イノペム・メー・コーピア・フェーキト
「豊かなために私は貧乏になった。」(オウィディウス『変身物語』3巻466行).

泉の水面に映る美貌の青年の姿にうっとりとなったナルキッススは、それが映像であり、それも自分の姿の映像であることに気づく。心のなかではその青年映像への愛の炎が燃えるが、愛する自分が、他ならなぬ、愛されている自分であるために、その愛を遂げることはできない。この入れ子状の矛盾した状況に対して、ナルキッスス自身が、あまりにも素晴らしくすぎるこの可愛さという豊かさがあるがために、自分で自分を愛するという思いの遂げられない、相手がいない哀れな「貧乏」の状態に陥ってしまった、と嘆いている。
 ナルキッススのこの言葉は、こうした矛盾した状況を、文字通り、資産の豊かさと、いくら豊かであってもさらにもっと資産を欲しがり、今の資産は十分ではないと感じてしまう金銭的状況に転じて用いられるようになった。
 日本でも「金持ちの貧乏人、貧乏人の金持ち」という格言がある。金持ちは金を持っているがゆえにもっと金を増やそうと貪欲なり、これで十分ということを知らない。ところが貧乏人は貧しくはあっても、これで十分だということをわきまえれば、たとえ傍目には貧しくとも、それで金持ちということになる。この格言の典拠のひとつは、『遺教経(ゆいきょうぎょう)』(仏陀が死の直前に述べた教えを集約したもの)にある次の言葉であろう。「足るを知らざる者は富むといえども貧し、足るを知るの人は貧しといえども富む」(不知足者雖富而貧、知足之人雖貧而富)。
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2017/07/08

細工と材料

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Materiam superabat opus.
マーテリアム・スペラーバト・オプス
「材料より細工が勝っていた。」(オウィディウス『変身物語』2巻5行).

パエトンが父である太陽神アポッローの神殿を訪ねた。その神殿の銀製の門扉の細工には、海、大地、天上を背景としてさまざまな神々、動植物などが巧みな浮き彫りとなって描かれていた。これを評して、詩人オウィディウスは上のように述べている。
東洋では、「大巧(たいこう)は拙なるが若し」(『老子』45章〕)といい、すぐれた匠は小細工を用いないし、また自分の技量を自慢することがないのので、素人目にはその作品は逸品とは見えないという。これに対して、匠の技量は見ればわかる、これがオウィディウスの言葉の前提になっている。


 

貴族の邸宅の扉 (ポンペイの壁画)


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2017/07/08

恋の炎

Tweet ThisSend to Facebook | by geoschita

Quo magis tegitur, tectus magis aestuat ignis.
クオー・マジス・テギトゥル・テクトゥス・マジス・アエストゥアト・イグニス
「炎は包み込めば包み込むほど燃え上がる。」(オウィディウス『変身物語』4巻64行)

 イギリス文学でもっとも悲運な恋人のカップルをといえばロメオとジュリエットだが、ローマ古典文学ではバビロンの都のピュラムスとティスベーということになっている。この二人は両親の反対があり、相思相愛であったにもかかわらず、互いに会うことができなかった。
 障害があるために恋の炎はますます燃え盛ったということを、詩人オウィディウスは上のように表現している。炎は何かで覆えば酸欠になり消えるはずだが、恋の炎ではその逆の現象が起こる。


ライオンにピュラムスが殺されたと嘆くティスべー
(ポンペイ ディオニュソス館のモザイク床画)

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