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(形像文化の世界へ)

ようこそ。 西洋文化と日本文化の接点を、誤解と理解という視点から眺めています。

鈴木繁夫

お知らせ

■同一の歌・篇あるいは同一の巻からの記事の場合、最初の段落はほぼ同じ内容が記載されていることがあります。
■ラテン語はローマ字読みでも西欧人に通じます。しかし、ラテン語の母音は長く読むものがあり、それをきちんと踏まえた方が正確な読みに近づきます。また詩では、韻律の関係から、単語の末尾の母音などが省略されることがあります。読み方に<詩>とあるのは、韻律を踏まえた読み方です。

Witty Remarks in Latin

ラテン語格言
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2017/02/08

利子は子を産むか

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Pecunia pecunium non parit.
ペクーニア・ペクーニウム・ノーン・パリット
貨幣は貨幣を産まない。」(教会法)

 利子を取ってはならないという戒めは、旧約聖書の「申命記」に銘記されている。「同胞には利子を付けて貸してはならない。銀の利子も、食物の利子も、その他利子が付くいかなるものの利子も付けてはならない。」(23章20-21節)。
 この戒めは、金を誰かに貸したり預けたりしても、その行為によってその金にいわばおまけが付いて元金よりも多くなることはあってはならないと、中世ヨーロッパでは建前上、信じられていた。言い換えるなら、預金者の預金に利子をつけることも、債務者から利子をとることも、カトリックの教会法によって禁止されていた。利子がつかないことを象徴的にいいあらわしているのが、「貨幣は貨幣を産まない。」,つまり貨幣(女性名詞)が石女であるということ。
 利子は悪しきものとしてキリスト教徒がしてはならないことであって、金を急場で必要になった場合、異教徒であるユダヤ人に借りていた。キリスト教徒でも中には、利子という名目は使わなかったが、差益や前倒しといった形で金を貸し、実質上利子をとっていた人もいた。そういう人がいつの時代でもそうなのだが、社会からは密かに白眼視されるわけで、教会でミサにあずからうとしたところ、教会の門の入口のところで、上から石が落ちてきて死ぬといった話がまことしやかに語れている。
 利子を取ることが事件の鍵として展開するのがシェイクスピア『ヴェニスの商人』である。利子を取るユダヤ人シャイロックが、無利子で金を貸すアントニオに対して、無利子で金を貸すが、無利子の代わりに付けられた貸出条件は、返済が期限内に行われなかった場合には、アントニオの肉一ポンド(重量および貨幣の単位)であった。
 日本では利子には抵抗感がなかったようで、「金(かね)が子を生む」とか、「金が金を儲ける」といった俚諺がある。例えば、「かねの子を 産はとり揚(あげ) ぢぢい也」(雑俳・柳多留)。
21:14 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0) | 中世ラテン
2017/02/07

大衆という悪しき証人

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Oculi et aures vulgi testes sunt mali.

オクリー・エト・アウレース・ウルギー・テーステース・スント・マリー

大衆の眼と耳は悪しき証人。」(バルブス『哲学者たちの駄弁』[2世紀頃] 63)

 大衆は複雑な事柄を単純化して考え、感情に流されて浅はかな判断を下してしまう。大衆の判断に、裁判官(ローマでは元老院議員)が眼を向け耳を貸せば判決が歪んでしまう。このような判断を下さないことへの注意。

 「大衆は大智識である。」(吉川英治『大岡越前』1953年)と、日本で名高い名裁判官・大岡越前は感じていたという。どのような政治上の秘め事も大衆はその独特の嗅覚で嗅ぎつけてしまい、なんでも知っているという意味。

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2017/02/07

良心はごまかせない

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Conscientia mille testes.

コーンスキエンティア・ミーレ・テーステース

良心は千の証人」(クインティリアーヌス『弁論家の教育』巻5, 11, 41).

 クインティリアーヌスは弁論において、自説に説得力を持たせるためには、権威ある人の言葉の引用したり、諺を入れるとよいとしている。「良心は千の証人」はそうしたことわざの例。この諺の意味は、後にキリスト教の倫理観がからんで、罪をこっそりと犯そうとしても、良心はごまかせないから罪は犯すことはないようにと考えられるようになっていった。法廷で証人が千人出てきて、この人はそのような罪を犯していないと証言したところで、当人の良心はその罪を犯したことは知っているので、罪は良心には隠しきれないということである。「良心は千の証人」とは、現在では、こっそりと罪を犯すなという警告になっている。

なお「良心」にあたるラテン語conscientiaは、con+scientiaからなり、接頭辞のconは「~とともに」という意味で、scientiascius「知る、意識する」なので、共知という意味が原義であった。この原義は、自分の言動に対する、自分以外のもう一人の証人という意味へと膨らんでいった。「良心は千の証人」という諺には、あなた自身とともに知っているあなたの良心という証人は、他のどんな証人よりも優るというのが、本来の意味だと考えられる。
 日本では「理は証(あかし)多きに就(つ)く。」(景戒『日本霊異記』(810-824)中・五)とあり、地獄で判決が下されるとき、その判決の根拠が正しいか正しくないかは、証拠や証人が多ければ正しいものになるという。

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2017/02/07

罪には罰を

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Culpam poena premit comes.

クルパム・ポエナ・プレミト・コメス

罰は罪の後を同志として追いかける(ホラーティウス『歌章』4524)

 ホラーティウスは、ローマ初代皇帝アウグストゥスが遠征からローマに戻ること(紀元前13年)をどれほどローマが待ちこがれているかを語る。そして皇帝が、ひとたび帰還すればローマがきわめて秩序だった社会へと変貌することを歌う。皇帝帰還により実現する秩序社会のひとつのあらわれが、罪には必ず罰がともなうということであった。

罪を犯せば法廷で判決が下り、罰っせられるというのは、当然あってしかるべきことだが、この当然のことが、社会において必ずしも実現されていない。これがきちんと実現することを詩人は願っているのだ。

なおこの当時のローマでは裁判は元老院で行われ、元老院議員が弁護士や検察の役割を果たしていた。

日本では、「同志」よりもさらに一歩踏み込んだ言葉が残っている。「主人たる者は、賞罰正しき所にあり。然るに多くは其悪をあらため、これを罰すばかりにて、善人を尋ね出し、賞を与ふる事まれなり。」(板倉重矩『遺書』(1673年頃)」。臣下を従える主人は、罪を犯した者に罰を加えるだけでは不十分で、善いことをした者には褒美を与えるべきだという。

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2017/02/04

無知の知

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Nosce te ipsum.

ノスケ・テ・イプスム

「汝自身を知れ。」

ギリシアのアテネから北西150キロ(高速バスで3時間程度)ほどのところに、パルナッソス山という文学上とても有名な山がある。この山の中腹にはデルフィー(デルポイ)という名の小さな町があり、この町は、世界の中心(へそ)といわれる石を擁する、アポッロー神に捧げられた神殿で有名である。神殿やその周囲からは、現在でも霊気が漂ってくるが、古代においてこの神殿の巫女はトランス状態になり、神のお告げを下していた。その託宣は、ときにはアテネの政策に大変に大きな影響を与えていた。

この神殿の入り口には三つの格言が記されていたとされる。三つのうちのひとつが、この「汝自身を知れ」であった。


人間はその生涯において、経験や対話から多くの知識を蓄積し、また仕事に就き結婚し子供を育てるという生活段階を当然視しているが、それらのほとんどは自分の外にある世界にかかわることである。いったい自分自身は何者なのか、、何のために生きているのかといったことは日常生活を送る努力の影に隠れてほとんど考えることがない。汝自身を知らない―そういう生活が、私たちが死ぬまで送る生活なのだ。


 「汝自身を知れ」
という格言が、他の二つの格言に比べて格段によく知られているのは、古代ギリシアの哲人・ソクラテスの逸話が人の心をはっとさせるからだろう。デルフィーの神託は、「ソクラテスよりも智恵のある人間はいない」とあるとき告げた。神託の中に名指された当の哲人ソクラテスは、自分が智恵ある者ではないことを自覚していたので、アテネで
知者と評判の人たちに尋ね回り、自分ではなくその人こそが智者といえる人物を探し当てようとした。

 そこでこの哲人が発見したことは、「わたしは、知らないことは、知らないと思う、ただそれだけのことで、まさっているらしい」(プラトン『ソクラテスの弁明』21D [田中美知太郎訳])」という、無知に自覚であった。つまり、自分自身は「知らないと思っている」という点でこれらの人たちよりも賢いのだと気づくに至った。格言に即していうなら、「徳その他のことについて、毎日論談する……問答しながら自分と他人を吟味する」(38A)そういう精神的活動が人間として生きいくための根幹になくてはならないというのだ。

 「士たるものの貴ぶところは、徳であって才ではなく、行動であって学識ではない。」という幕末の志士・吉田松陰の言葉には、知識の量よりも徳の高さを尊び、徳へと人格を磨きあげていくソクラテスの姿を髣髴とさせるところがある。しかしソクラテスの生涯は吟味をする対話にそそがれ、不等な裁判を行うアテネ社会への改革には向かわなかった。「非常の人」吉田にあった「至誠留魂」、すなわち真心をもって事にあたれば、その真心に共鳴し、志を継ぐ同志が現れ、道が開けるという発想は、ソクラテスにはなかったようだ。




ソクラテス像 1世紀頃 ルーブル美術館蔵



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2017/02/04

世間の評価は割れる

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Rumor in ambiguo est.
ルーモル・イン・アムビグオー・エスト

<詩>ルーモル・イン・アムビグエスト

「世間の評価は右に左にと揺れた。」(オウィディウス『変身物語』3253行)

女神ディアナは処女を保つことを旨とし、乙女に敬われる神である。この眼女神が、ある昼下がりに、侍女にかしづかれて森の洞窟の入り口にある泉のほとりで沐浴をしようとしていた。たまたま着物を脱ぎかけていたところに、昼までで鹿狩りを切り上げた王子アクタエオンが通りかかった。王子は、女神の半裸の姿を眼にしてしまった。

 見られたことに気づいた女神は、アクタエオンを呪い、鹿の姿に変えてしまう。王子はその森から出て、狩りの仲間たちのところに戻ろうとすると、鹿に変身した主人とは気づかない自分の猟犬たちに追いかけられる。ついにこの大鹿は、追い詰められ、猟犬に体中を噛まれて、死んでしまう。


 たまたま見ただけで鹿に変身させるこのような女神の処置に対して、「世間の評価」は二つに割れた。一方では、意図的に見たわけでもなく偶然の出来事なのだから、処置が厳しすぎるにも程があるという意見であった。他方には処女としての厳格な純潔さという観点からすれば、女神の処置はこれで真っ当というものであった。


 このように、人間が下す評価はどこを見て理由付けするのかによってまったく正反対のものにすらなる。

 たとえばあることで名声を得たとしても、その功績について何か理由を付けて非難されることもある。「誉れはまたそしりの本(もと)なり」(『徒然草』第
38段)と兼好法師(鎌倉・南北朝時代のエッセイスト)は述べている。



アクタエオンの死ギリシア壺絵 470年)ボストン美術館


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2017/02/03

自分を愛する者の長生き

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Si se non noverit

シー・セー・ノン・ノーウェリト

「もしも自分自身を知ってしまわないなら。」(オウィディウス『変身物語』3348行)

自己愛という心理学の用語は英語ではNarcissism  (ナルシシズム)というが、この用語を性的倒錯と同類のものとして最初に用いたのは、同性愛を研究したドイツの精神科医ポール・ネッケ (Paul Adolf Näcke)である。自己愛をナルシシズムという用語としたのは、イギリスの心理学者ハヴェロック・エリス(Havelock Ellis) だともいわれているが、エリスが当初行っていたのは「自体愛」autoeroticismの記述であって、「自分の姿や自分の肉体にのみ愛や性欲を感じる」ナルシシズムではなかった。

 他人の姿に関心がなく、他人の肉体に性欲を感じることがない自己愛がナルシシズムだが、シズム(
ism)を取ったナルシス(Narciss)というのは、河の神に陵辱された妖精(ニンフ)レイリオペが産んだ子であった。


 このハンサムな男の子は、思春期になっても、男性にも女性にも興味を示さず、また水や野山の妖精たちの誘いをことごとく蔑んだ。相手にされないことに憤った若者が、「あの若者も、恋する相手をものにすることができませんように」と祈ったが、その祈りが復讐の女神に聞き届けられた。

ナルシス(ローマ名ナルキッソス)が、あるときに喉の渇きをおぼえ、泉の湧き水に口をつけ飲んだ。飲んでいるうちに、泉に映った自分の姿に魅せられて、その映像にキッスをしたり、抱きついたりするが、もちろん映像が乱れるだけで、思いを果たすことができない。そしてしまいにはその自分を愛する恋の炎で衰弱し、死んでしまい、黄色い水仙の姿に変わってしまう。

「もしも自分自身を知ってしまわないなら。」とは、自己愛に陥らなければ、若死にせずに老年まで生きながられるという意味。
 
 聖書(「第二テモテ書」3:1-5)は、終末が近づくと、人間の気質が変わり生きるのに困難な時代がやってくると警告している。その時代に顕著となる人間気質の筆頭が「自分を愛する者」、次が「金を愛する者」、三番目が「大言壮語する者」となっている。

 自己愛が時代の風潮として容認され、マネーゲームに人々がうつつを抜かし、実行すれば社会の混乱を招く公約を公言する政治家が顕在化してきた21世紀の今は、「身を知る」(nosce te ipsum)こと、分をわきまえることが必要であることは間違いない。


カラヴァッジョ 「ナルシス」 1594-96年 Galleria Nazionale d'Arte Antica

 

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2016/12/30

過失は罪ではない

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Quod enim scelus error habebat?

クオド・エニム・スケルス・エッロル・ハベーバト

「というのも、偶然の過ちがあったからとて何の罪があったであろう。」(オウィディウス『変身物語』3巻142行)

王家の血筋をひく若者アクタエオンは、狩りで疲れた体を休めようと森の中に入っていった。そころがそこはたまたま狩りの女神ディアナが沐浴をする泉がある場所であった。さらに偶然が重なり、アクタエオンが森に入ったとき、この処女神は侍女たちの助けられ裸になって沐浴し始めたところであった。その場面にこの若者は遭遇し、女神の裸体を見てしまう。それに即座に気づいた女神は、見れられたことの怒りで、この男を雄鹿の姿に変えてしまう。

 アクタイオンが裸姿を見てしまったことは瀆神の罪であるが、彼は覗き見をしようと企んでのことではなく、たまたまそういう場面に遭遇するという偶然の過ちがあったにすぎない。


 中国の故事は、偶然の誤りから罪を犯してしまうことも、自分の行いが招いた結果であって、偶然を責めるのではなく、自分自身の普段の考え方や振る舞いについての反省を促している。「悪の来たるや己(おの)れ則(すなわ)ち之(これ)を取る。」(『春秋左伝』(宣公十三年)」。なお『春秋左伝』は魯の歴史を書いた解釈書で、宣公十三年は西暦・前596年にあたる。

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2016/12/25

子宝の幸せと不幸

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Dicique beatus/Ante obitum nemo supremaque funera debet.
ディキーケ・ベアートゥス/アントビトゥム・ネーモー・スプレーアントビトゥム・ネーモー・スプレーマケ・フーネラ・デーベト
死んで最期の葬儀を迎えるまで、誰であれ、幸せな人と呼ばれてはならない。」(オウィディウス『変身物語』3巻136-137行)

フェニキアから父王により追放された王子カドムスは、ギリシアのテーベに都市を建設し、また沢山の子供、多くの孫を授かる。流浪から一転して安泰の生活が続いたが、孫アクタエオンの死は最初の不幸であった。狩猟で疲れた体を休めようとした若者アクタエオンは、女神ディアナが沐浴する場面を偶然、見てしまい、女神の怒りを買い、鹿に変身させられてしまう。鹿になったアクタエオンはまたしても偶然に、自分の猟犬たちと出会い、身体中を噛みつかれて、殺されてしまう。
 この詩の語り手は、至福の絶頂期にあったカドムスがこうした不幸に遭遇することを語り始めるにあたり、「幸せな人と呼ばれてはならない」と読者に注意を促している。
 中国では、「子(こ)有れば万事足(た)る」(蘇軾(そしょく)[11世紀頃の政治家・詩人]「賀子由生第四孫斗老」)にあるように、たとえ地位や財産などなくても、子供がいさえすれば十分に幸福であると考えられていた。また日本でも万葉集(巻5・803)ですでに、「銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに勝(まさ)れる宝子に及(し)かめやも」(山上憶良)とあって、銀も金も宝石も、優れている宝である子どもには及ぶわけがないといい、子宝に恵まれることを尊んでいた。ところが、その子供が死んでしまったら、親のそれまでの至福はたちどころにして消え去ってしまう。だから、親は子供が立派に育つのを見届けてから死ぬのではなければ幸福とはいえないことになる。
 

中央の裸体のディアナ女神を見てしまったアクタエオン(右端)「美神の行列の邸」の床面モザイク 2世紀後頃-3世紀初頭 (モロッコ  ヴォルビリス)https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Volubilis_mosaic_Diana_and_her_nymph.jpg
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2016/09/26

神の永遠

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Aeternitas est interminabilis vitae tota simul et perfecta possessio.

アエテルニタース・エスト・インテルミナービリス・ウィータエ・トータ・エト・ペルフェクタ・ポッセッシオー

「永遠とは、終わることのない生命を全体的にかつ同時に完全に所有することである。」(ボエーティウス『哲学の慰め』5巻第6散文)

東ゴート王テオドリクスの執政官であったボエーティウスは、王への反逆計画に加担した疑いで囚人の身となる。神学者でもあったボエーティウスが、獄舎において自分の魂が観想により神への知を深め救いに入る過程を記したものが『哲学の慰め』(524年)で、この書は中世からルネッサンス期の西欧の必読書であり、16世紀以降には多くの翻訳が出版されている。

5巻からなるこの本の最初は、自分の冤罪にたいする不平で始まるが、巻をヘていくごとに<運命>による富の虚しさ、真の幸福の重要性、悪運を通じた修錬、そして最後の第五巻で人間の自由意志と神の全知との関係が論じられ、ボエーティウスの心が落ち着いていく。本書の韻文部分は、擬人化された<哲学>である師が学生である私ボエーティウスの放つ疑問に答えていくという対話形式で進んでいくが、第6散文では、神は全知であるがそれは神が物事がどう進展するのか決めているということではなく、時間の流れから超越し因果の領域から自由である永遠の神のおいては、この世の時間の中で起こるすべての物事は同時的に現在であると教える。こうした永遠の観念を引用の言葉で表現している。

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2016/09/26

昔の風習

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Utinam modo nostra redirent/ In mores tempora priscos !

ウティナム・モド・ノストラ・レディーレント/イン・モーレース・テンポラ・プリースコース

「私たちの時代が先祖の習わしへと戻りつつあってくれたら。」(ボエーティウス『哲学の慰め』25韻文23-24行)

東ゴート王テオドリクスの執政官であったボエーティウスは、王への反逆計画に加担した疑いで囚人の身となる。神学者でもあったボエーティウスが、獄舎において自分の魂が観想により神への知を深め救いに入る過程を記したものが『哲学の慰め』(524年)で、この書は中世からルネッサンス期の西欧の必読書であり、16世紀以降には多くの翻訳が出版されている。5巻からなるこの本の最初は、自分の冤罪にたいする不平で始まるが、第二巻では人間がこの世に生きている間に<運命>によって授かる富が死を前にしては虚栄にすぎないことが説かれる。引用の言葉は、作者が自らが生きている時代と太古の先祖の時代とを対比させ、大地が生み出してくれる食物で満足し、海を渡る交易もせず、戦争もなかった太古とは異なり、憎しみから戦争に走り、黄金を求めて大地を掘り起こす現代の気質を嘆いている。

03:04 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0)
2016/09/25

威厳を捨てさせる愛の力

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Non beneconveniunt nec in una sede morantur/ maiestas et amor.

ノーン・ベネ・コンベニウント・ネク・イン・ウーナー・セーデ・モラントゥル/マーエスタース・エト・アモル

「威厳と愛とはうまく両立せず、同じ玉座に納まってはいない。」(オウィディウス『変身物語』2846-7行)

ローマの神ユッピテルは、フェニキアのシードーン(現在のレバノンの海港都市サイダ)の王女に恋をし、王女を手に入れるべく、最高神でありながら牡牛の姿に変身し、他の本物の若牛たちに混じってモーモーと鳴きながら草地をぶらぶらと歩き回り、王女の気を惹く。王女の名はエウローパで、ヨーロッパの地名と同じだが、ユッピテルによるエウローパの略奪と地名とは関係づけられない。地名としてのヨーロッパはギリシアの哲学者アナクシマンドロス(前6世紀)が使っており、オウィディウスとほぼ同時代の地誌学者ストラボーもそう呼んでいる。



牡牛に変身したユッピテルの角に触れるエウローパ

ギリシアの坪絵 前480(タルクイーニア美術館)

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2016/09/25

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Inmedicabilecancer

インメディカービレ・カンケル

「不治の腫瘍」825

女神ミネルウァが<嫉妬>の住む洞窟に行き、<嫉妬>に向かって言い放った言葉。<嫉妬>を嫌うこの女神は、ケクロプス王の貪欲な王女アグラウルスは、妹に恋するメルクリウス神の訪れに強烈な嫉妬を抱き、やってきたメルクリウス神に向かって、妹の部屋の扉の前で、あなたが立ち去るまでこの入り口から自分は動かないと言い放つ。その言葉尻をとらえて神は、ならはそのようにしようといい、杖カードゥーケウスを振り、アグラウルスを石化させてしまう。しだいに冷気が爪先まで浸透し、血管から血がなくなっていき、人間から彫像へと変わっていくこの王女のありさまを、不治の腫瘍が這うようにして体に広がり、健康な部分を次々とその病に犯していくさまにたとえている。

腫瘍と訳した言葉cancerは蟹という意味で、転じて癌をも含めたさまざまな腫瘍の病気をさしていた。癌が蟹と呼ばれるのは、医学の父・ギリシア人ヒッポクラテースが腫瘍を「蟹」(ギリシア語でカルキノス)と呼んだが、腫瘍を作る細胞には、指のように飛び出している部分があって細胞全体が蟹の形に似ているためだという。オウィディウスとほぼ同時代のローマの百科全書家・ケルススは、腫瘍をラテン語の「蟹」カンケルと呼び変えて説明している。



顕微鏡で見たがん細胞

http://www.slideshare.net/drmcbansal/presentation-for-public-awareness?qid=10036cc3-a998-4385-8dbd-f4b129796bc9&v=&b=&from_search=3
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2016/09/25

よろしく頼む

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Sic opus est.

シーク・オプス・エスト

「そうする必要があるのだ。」(オウィディウス『変身物語』2785行)

女神ミネルウァが<嫉妬>の住む洞窟に行き、<嫉妬>に向かって言い放った言葉。<嫉妬>を嫌うこの女神は、<嫉妬>がその毒を使ってケクロプス王の貪欲な王女アグラウルスに嫉妬心を起こさせるように依頼する。なぜこの王女にどういう理由からそのような仕打ちを依頼するのもいわずに、ただそうするようにとこの言葉を使う。深いわけがあるのだから、それをあえて依頼するこちらに尋ねて詮索してくれるな、君の十八番だから進んでやってくれ、君なら間違いなくこの依頼を遂行できるはずだという意味合いが込められている。

 

<嫉妬>の洞窟の前で依頼をするミネルウァ女神
ヘンドリック・ホルツイウス作 銅版画
(1589/90)

http://www.geheugenvannederland.nl/?/nl/items/BVB01:BDH13372PK













 
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2016/09/08

嫉妬が止む時

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Pascitur in vivis livor, post fataquiescit.

パスキトゥル・イン・ウィーウィース・リーウォル・ポスト・ファータ・クイエスキト

「嫉妬は生ける者を餌食とし、死を迎えると黙る。」(オウィディウス『恋の歌』11539).

オウィディウスは、それまでの恋愛詩の前提であった愛の真剣さを覆し、男女が互いに相手の心をつかみつなぎとめる恋のゲームとして描き出した。この59歌からなる恋愛詩では男女のどちらが愛の主導権を握るのか、さらにはそのようなゲームはそもそも愛の神アモルを演出家とした人間がでっち上げた虚構の戯れとまで達観している。愛をただひたすら誠実に求めるという恋愛詩の前提を崩して、嘘と真、戯れと真面目とが混交する恋愛詩の新たなパタンを打ち立てた。この詩人は、こういう文学的大事業を行ったことを自覚し、それまでの様々なジャンルの著名作家の名前を挙げながら、自分も同等の評価を受け、大作家の殿堂入りを果たすだろうと心情を吐露する。そして暗に、そういう評価を受ける自分は今現に嫉妬を受けているが、死後にはそうした評価に落ち着くだろうと述べている。

ここでいう嫉妬(livor)は皮膚が青黒くなることから派生している。「嫉妬の胸は胆汁で青黒い」(オウィディウス『変身物語』778行)とあるように、西洋古典医学で考えられていた四性説(四種類の体液のバランスで人間の性格・病気が決定するとする説)では、胆汁という性(humour)が過剰に体内で生産されると嫉妬深くなるとされていた。

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2016/09/08

嫉妬と名声

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Invidia gloriae comes.

インウィディアム・グローリアエ・コメス

「嫉妬は名声の伴侶」(コルネーリウス・ネポース『著名な人物について』).

ローマ共和制末期の歴史家ネポース[109-27以降]は、のちのプルータルコスの『英雄伝』のように、自国人と外国人との対比という形で著名な人物、すなわち英雄についての伝記を著した。アテナイの名将カブリアス[4世紀]は、エジプト遠征し勝利を手にするが、アテナイはペルシアからエジプトはペルシアの領土でありカブリアスの行為は領土侵犯という訴えを受ける。アテナイから帰還を命ぜれた将軍は、勝利の実を確固たるものにすることもできたが、必要な手立てを打つだけですぐさま命令にしたがい帰還する。急遽の帰還を将軍をして決断せしめたのは、アテナイの民衆の嫉妬をかってもしかたがないほど、豊穣の地エジプトで贅沢で優雅な生活をしていたからで、将軍は、「嫉妬は名声の伴侶」というアテナイの民主制につきものの性向を知っていたから嫉妬を避けるべく帰還したという。

「何処の里でも、成功に嫉妬は形の影で離れぬ。」といい、成功には嫉妬が影のように必ず付き従うと指摘したのは明治のキリスト教作家・徳富蘆花の自伝的小説『思出の記』[1899-1900]にある言葉。一時マルクス主義に傾倒した蘆花とは異なり、ネポースは、「何処の里でも」ではなくある種の人々、つまり平民の間で、名声には嫉妬が伴うと考えている。これは、ローマ共和制が一方において目先の自己利益しか念頭になく大局を把握する見識のない民衆に翻弄される姿をみていたためなのだろう。

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2016/09/06

勝利の後にご用心

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Post gloriam invidiam sequi.

ポスト・グローリアム・インウィディアム・セクイー

栄光の後には羨望が続く」(サルスティウス『ユグルタ戦記』55)

 サルスティウス[81?-35]は、ルネッサンス以来、西欧でもっとも評価の高かった歴史家。ユグルタ[160-104]は、北アフリカの最強国ヌミディアの王子(養子)で、他の二人の王子(実子)に対して王国の継承権を争い、王国全土を最終的に手に入れる。しかしローマ滞在中のヌミディアの王族の暗殺をきっかけに、それまで同盟関係にあったユグルタに対してローマは軍団を送る。ところがこの軍団はユグルタ軍に敗れる。この屈辱に、貴族メテルスを総指揮官としてローマは軍団を送り込み、初戦でローマは勝利(前109年夏)を得、ユグルタを追いやる。メテルスの勝利はローマを喜ばせ、ヌミディアの完全制圧への期待が高まるが、それは敵ユグルタにしてみれば、自分が逆の立場であればという羨望を生み出すことになる。司令官メテルスは、「栄光の後には羨望が続く」ことを知っていたので、護衛を強化し、自らが敵の手に陥らないように配慮した。
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2016/01/18

やすりで推敲

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Limae labor et mora.

リーマエ・ラボル・エト・モラ

「やすりをかける労苦と時の経過」(ホラーティウス『詩論』291)

詩人ホラーティウスは、ローマの軍人の勇気や軍事的成功がすばらしいものとして人々の口にのぼるのは、勇気や軍功を讃える詩を詩人たちがねりねって作り上げてきたからだという。詩人が詩作のために行う推敲を、この引用句のようにいう。ここでいう「やすり」は、大工や石工などが形や寸法がきちんと整うように材料を削るためのもの。石をやすりで削ることを考えればわかるように、そこには労苦がともない、多大な時間がかかる。しかし材料を目的の大きさにするには、この労苦と時間がどうしても必要になる。詩文も字句を十二分に吟味して何度も練りなおすことが必要なのだ。

日本語でいう推敲は、中国の故事に由来している。唐の詩人・賈島(かとう)が、自作の五言律詩を書いているとき、「僧推月下門」(僧は推す月下の門)という詩句について、「推す」がよいのか「敲(たた)く」とするほうがよいのか、迷いに迷った。そこで自分の詩才を認めてくれている韓愈(かんゆ)に尋ね、その助言にしたがい、「推」を「敲」と改めた。

 

 









賈島779843

「歴代君臣図像」(国立国会図書館蔵

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2016/01/17

演出は言葉に勝る

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Segnius irritant animos demissa per aurem/Quam quae sunt oculis subiecta fidelibus.
セグニウス・イッリータント・アニモース・デーミッサ・ペル・アウレ/クアム・クアエ・スント・オクリース・スブイエクタ・フィデーリブス
「信頼のおける眼にさらされるものよりも、耳から入るもののほうが、魂をゆさぶるのが緩慢なのだ。」(ホラーティウス『詩論』180-181行)

残虐なシーンやそれが起こった後での惨事を、映画やテレビは映し出し、私たちの気持ちを揺さぶるのは、こうしたメディアの常套手段になっている。それとともに、私たちは残虐さや惨事を映像を通じてみることに慣れてしまっている。古代ローマの詩人ホラーティウスは、劇(当時は詩の形式で書かれていた)を作成するにあたって、そうした場面を観客に見せれば、観客は嫌気がさしてしまうと注意を促している。残虐場面は、語るだけ、つまり「耳から入るもの」にして、観客の「眼」に触れるような場面にしないようにする必要があるというのだ。ただし、眼から入る情報のほうが、言葉を通じた情報よりも、魂をかき立てるという。

映画・テレビという「動く絵」が日常生活の中で当たり前になっているので、私たちは聞いて理解するよりも、見て理解することのほうが自然のように感じている。しかしこれは21世紀になってからの人間の感覚のようだ。叙情詩・叙事詩はもちろんのこと演劇も詩として書かれていた。声に出して読まれるものというのが近代の捉え方であった。演劇についていえば、近代以前において、演劇はもちろん演じられるものであったが、劇場に行くのは演劇を観るためであると同時に、劇を聴くという体験が大きな比重を占めていた。だからこそ、ホラーティウスよりも少し前に活躍した弁論家キケローは、視覚が有益だとしながらも、聴覚の補助手段のように考えていたことを示す、有名な言葉ある。「五感の中でももっとの鋭いのは視覚である。頭で反芻したり耳でとらえるなりして認知したものが、眼を介して心に運ばれていった場合には、頭に簡単にこびりつく。」(『雄弁家論』II, 87,357)。つまり21世紀の私たちとは異なって、聴覚のほうが視覚よりも優勢であるのが、これまでの西洋文学の歴史であった。だからこそ、アリストテレスは、西洋文学の基本提要となった『詩学』のなかで、演出まで含めた広義の「舞台の視覚性」(1449 b)については、詩人としての仕事ではないと考えている。映画監督や演出家は詩人でない、つまり文化的に低い職業という考え方が西欧文化には強固にあったのだ。


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2016/01/17

上る歳と下る歳

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Multa ferunt anni venientes commoda secum,/Multa recedentes adimunt.
ムルタ・フェルント・アンニー・ウェニエンテース・コッモダ・セークム/・ムルタ・レケンデンテース・アディムント
「やってくる歳には楽しいことが多くあるが、去っていく歳は多くの楽しみを持ち去っていく。」(ホラーティウス『詩論』175-176行)
詩人ホラーティウスは、演劇を書くときに、どういう年齢の登場人物にはどういう性格や振る舞いが適切なのかを教えている。古代ローマでは、45歳までが人生の上り坂で、それ以降は下り坂と考えられていた。ホラーティウスは、楽しいことが45歳までにはたくさんやってくるが、この歳を過ぎると、最近の若者はなっていないなどと口走るようになり、不平が先にたつようになる。
江戸の商人は、このようには考えなかった。「人は四十より内にて世を稼ぎ、五十から楽しみ、世を暇になすほど、寿命薬はほかになし。」(江島其磧『浮世親仁形気』1720年)とあって、40歳までは働いて蓄財し、50歳からは地位や権限を譲り、風流な生活を送ることが理想としている。つまり、古代ローマの人々とは異なり、歳が下り坂のときに、自分が楽しいことを満喫できると信じていた。ただ満喫するためには、上り坂の時に蓄財という神経も観もすり減らす労苦に励まなくてはならなかった。

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