Top Page (誤解と理解)

 Home Page
(形像文化の世界へ)

ようこそ。 西洋文化と日本文化の接点を、誤解と理解という視点から眺めています。

鈴木繁夫
 

英語感覚

Grammatical Misunderstandings
12345
2018/02/12

so muchの使い方

Tweet ThisSend to Facebook | by geoschita

相手にお礼をいうときには、Thank you very much for your helpの類型として、Thank you so much for your helpともいえます。so muchsoを強く発音する)を使う場合は、相手が目上であったり、あまり親しくない間柄で「ありがとうございました」というケースに用います。ここではsoは「非常に」、「とても」という意味です。

これがわかると、次の「私」の愛の深さは浅いのか、深いのかは自明でしょう。

I have loved you for most of my life, and always shall. You are the love of my life. I love you so much.

「それほど深く愛している」という意味です。

否定文では、スマホでゲームをやりすぎだから、それを戒めるときには、

 

You shouldn’t play games on your smartphone so much.

となります。

いままでは、副詞句として使われていた例ですが、so muchが名詞句として使われることもあります。

There’ll be so much to do tomorrow.

明日はやらなくてはならないことがたくさんある。

ところがso muchには、直前に言われた内容に呼応として、「そんな程度のもの」という意味もあります。たとえば能力主義の軍隊ではLGBTlesbian,gay, bisexual, and transgenderの頭文字を合わせたもの)であるかどうかは問題とならないと選挙中にいっていたのに、当選すると政治家が言葉を翻して、LGBTの入隊不許可と言い出すと、

So muchfor his promise to protect LGBT rights.

LGBTの権利擁護するという公約なんてそんな程度

つまりもうそれでおしまいという、いままでの so much の意味とは逆転した内容を指すことになります。

このときの much は多い少ないの多いという意味ではもはやなく、程度の単位

を表しています。程度の単位とはどういうことかというと、oldtallを思い出してください。oldは単独では若くなく「歳をとっている」、tallも単独では背が低くなく「背が高い」ですが、二歳ですというときにtwo years old、身長80センチというときに180 centimeters tallというように、old や tall は程度の単位を示しています。So much for his promisemuchも同じく、so muchで「その程度」という意味で、soが付くことで、直前に述べたことから想定されるような、「限られた」その程度ということです。

There's onlyso muchyou can do.

             やれることは限られている。

その人のためにもう十分にやれることはやったからこれ以上、やる必要はないという意味です。

次の文は、「それほどたくさん」と「限られた程度」というそれぞれの意味で使われています。

There's so much to do, but only so much time in a day.

やることはこんなにたくさんあるのに、一日の時間はこんなにも限られている。


02:42 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0) | 副詞
2018/02/10

数量のあらわし方

Tweet ThisSend to Facebook | by geoschita

「今、二十歳です。」、「背の高さは180センチ。」までは中学1年生でもいえます。

ところが、「ヒモの長さは2メールだ。」、「キリンの体長は8メートルだ。」、「恐竜の体重は15トンある。」という文になると、途端に、長さ・体長はlength、体重はweightという名詞をあてて、

The length ofthe rope is two meters.

The height ofthe giraff is eight meters.

The weight ofthe dinosaur is fifteen tons.

 

といったような英語を書いてしまいます。

しかし今一度、基本に戻れば、「今、二十歳です。」は年齢にあたる名詞ageを主語にして

×My current age is twenty.

とは表現しないはずです。

(1) I am twenty years old now.

 

同じく、「背の高さは180センチ。」は

×My height is180 centimeters.

ではなく、

(2) I am 180 centimeters tall.

といえるはずです。

 

(1)(2)のような言い方をする見方は、主体と属性、やさしく言い換えると、主体は本人そのひと、属性は、その本人を本人らしくしている特徴とを切り分けて考えるということです。

 


主語には主体であるIがおかれ、補語 twenty years old 180 centimeters tall という属性がきます。

主体と属性の二分法がわかると、

「ヒモの長さは2メールだ。」→「ヒモは、2メールの長さだ。」

「キリンの体長は8メートルだ。」→「キリンは8メートルの体長だ。」

「恐竜の体重は15トンある。」→「恐竜は15トンの体重である。」

と読み替える必要があるのです。

次に問題になるのは、「2メールの長さ」、「15メートルの体長」、「15トンの体重」ですが、ここでもう一度、

(1) I am twenty years old.

(2) I am 180 centimeters tall.

これらの文に注目してみると、補語の部分は

 

    数字+単位+属性

 

になっています。

(数字+単位)に当たるところを切り取ってみると、

(1) I am old.

(2) I am tall.

となり、どういう種類の属性なのかを old や tall が示していることがはっきりと見えてくるはずです。

これがわかると、

「ヒモは、2メールの長さだ。」

The rope is two meters long.

 

「キリンは8メートルの体長だ。」

The giraff is eight meters tall.

 

とすればよいことがわかります。

では「恐竜は15トンの体重である。」は?

 

The dinosauris fifteen tons heavy.

 

といえるはずですが、どういう理由からか、体重の場合は動詞 weigh (名詞 weightの末尾のtを落とすとできる動詞)を使います。

 

The dinosaur weighs fifteen tons.


11:41 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0) | 形容詞
2018/02/10

We’ve gotは There is の類型

Tweet ThisSend to Facebook | by geoschita
there is構文はなぜあるのか」に続く内容です。

旧情報から新情報に流れるという英語の原則がわかってくると、日本語の場合、この原則に逆行することが多いことに気づいてくるはずです。例えば、

 

「冷たいビールとおいしいおつまみの用意できている。」

 

ビールとおつまみは相手にとって新情報ですが、この新情報が日本語では文頭にきています。ではこれを英語に直すとどのようになるでしょうか。

私たちは多くの場合、

Cold beer and tasty snacks are ready.

といってしまいますが、ビールとおつまみは新情報なので文頭にくると不自然なのです。

We’ve got (We have got)を文頭にもってきて、

 

We’ve got cold beer and tasty snacks ready.

 

という形で表現します。

 

とはいえ、新情報が文頭に来ることもあります。それは、疑問文に対しての解答です。

「何の準備ができているの?」というイライラした相手の疑問に対して、心配するな、私はちゃんと準備をしている、「冷えたビールとおいしいスナックはもうテーブルに並べてある」

Cold beer and tasty snacks are ready.

となります。


09:01 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0) | 文の種類・文型
2017/12/26

can: 実現の可能性

Tweet ThisSend to Facebook | by geoschita

このペアの違いはほとんどどの辞書にも載っていますが、違いの説明のほとんどはそれぞれの語の時制における形の話ばかりで、未来形ではどういう形か、過去形ではどういう形になるかといったことが説明されているだけです。日本人である私たちはそういう説明はわかりきっています。むしろこのペアの意味はどう違うのか、イコールではないとするとどう違うのかが知りたいわけです。

canは能力を示すのではなく、現時点での実現可能性という説明があります。能力と実現可能性がどう違うのでしょうか。ガールフレンドと夏に浜辺に出かけました。しかしパラソルを立てても風で飛ばされそうになるし、落ちていたガラスの破片で脚を切りそうになるし、ロマンチックな気分にはとてもなれません。そこで浜辺の遠出から戻った翌日に、同僚にぼやきます。

 

I discovered how exhausting going to the beach with a girlfriend can be.

 

これは疲れることになることもあれば、そうでないこともあるということです。つまり楽しくロマンチック気分に浮かれる実現可能性を話し手は否定していないのです。もしもcan beでなくisとすると、必ず疲れるものだという断定になり、浮かれる可能性が出てきません。

さて浜辺に懲りたので、今度は映画に彼女を誘うことにしました。ところがなんと彼女はホラーものが好きで、気の弱い私にはとても一緒に見る気になれません。そこで今はどの映画を見るかをいわずに、週末に誘って実際に会ってから決めることにします。しかし彼女がホラーを見たい気分を害してはなりません。そこで威力を発揮するのがcanです。

 

I’ll pick you up on Saturday, and then we can talk about what movie to see?

 

その時になってからあらためて話し合おうというならwe willとなりますが、canを使うことで、その時になってから話し合うことになるかもしれないし、君のホラー好きをよくよく考えてもう土曜日にあった時点ではホラーに決まっているという可能性もあるのです。

このようにcanは実現の可能性にかかわりますが、それだけではありません。まだメタボリックではないのですがお腹の筋肉が出てきていわゆる何段腹(flat tiers)になってきそうで、

I can’t keep up with youth fashions anymore.

 

これは若者が着ているような派手なデザインや色の水着を着る能力があるなしということも含まれていますが、着ようと思えば着られるその可能性がなくなっているというのです。

アジア系の彼女はフルタイムではたらける事務職につくことができました。最近の日本人女性とは違って、きめ細かくていねいに、それもどのような仕事も気持ちよく引き受けるので、会社ではとてもかわいがられます。しかし日本人男性の悪い癖で、そういう気のよい彼女に次から次と仕事を回してしまいます。私は彼女の話を聞くにつれ、

I’m glad to hear you’re enjoying your job

といいつつも、次のように付け加えてしまいました。

 

I know it can be difficult to raise the issue of your pay raise with your supervisors.

上司に対して昇給の問題を持ち出すのは難しいことはわかっています。

 

この場合のcanはどういう意味でしょうか。もしもここで

I know it is difficult to raise the issue of your pay raise with your supervisors.

 

といってしまえば、昇給の話をするのは客観的に難しく、難しいことを断定していることなります。しかしここでcan be difficultとすることで、「現時点での実現可能性」もあるかなという謙虚なメッセージになります。

 

そこで問題になるのが、「上海に行ったら摩天楼がたくさんみられる」とか、「ディスニーランドに行ったらスペース・マウンテンが楽しめる」といったように、

上海に行く→摩天楼が見られる

ディスニーランドに行く→スペース・マウンテンが楽しめる

 

といったように「見られる」や「楽しめる」の実現可能性については、canは使うとやや傲慢なニュアンスを含んでしまいます。

 

You can see alot of skyscrapers in Shanghais.

You can find alot of skyscrapers in Shanghais.

You can enjoySpace Mountain in Tokyo Disneyland.

 

Shanghais hasbeen filled with a lot of skyscrapers.

Tokyo Disneyland features enchanting Space Mountain.

 

のようになります。

これは「見る」、「楽しむ」という行為に、話し手の主観として、君には見たり楽しんだりする実現可能性があるという意見が入ると、あたかも話し手は相手に向かって、どういうことを楽しめ、どういうことが楽しめないのかということを知っていて助言しているという感じになります。

私の経験では、最初にアメリカに行った頃には、日本人がアメリカ人には珍しく映る時代で、ウィスコンシンの田舎のビジネスマンがわざわざアメリカ的なレストランに連れて行ってくれました。レストランにはいると、雑然としているにもかかわらず清潔な雰囲気でした。とても珍しかったのですが、その押しの強いアメリカ人がメニューを見て指さしながら

You can enjoy any of these vegetarian foods.

といったときに、なんだか少しいやな気持ちになりました。

これは、俺はこのレストランにこれまで何度も来ていろいろと食べてきたから、味は知っている。お前は初めてだろうから、なにがなんだかわからない。でもなぁ、このメニューの「ベジタリアン料理」に載っている食事は前に試したことがあるから、味はまあまあ、君の口に合うだろうという少しばかりの高慢さが漂う言い方だからです。

グーグルでyou can enjoyyou can seeを検索してみると160万件ありますが、最初の150例を見てみるとそのほとんが日本人作成のサイトからの引用です。ネイティブ作成のサイトにもyoucan enjoyがありますが、それは

With outdoor lighting you can enjoy your garden into the evening hours.

庭灯があれば夜でも庭が楽しめる

You can see the Milky Way clearly with using this telescope.

この天体望遠鏡を使えば天の川がはっきりみえます

 

というように明らかに実現の可能性にかんすることです。つまり本来はそういうことができないのだが、なにかの助けを借りることによって、楽しむことができるようになるというような場合に使われます。

see, find, enjoyはそもそも誰にも実現可能性があるわけで、そうなると実現可能性の有無を問題にする自体が不自然なわけで、さきほどのような傲慢な雰囲気が出てきてしまいます。


11:50 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0) | 助動詞
2017/12/16

「~ができた」could: Part 01 「合格できた」could pass?

Tweet ThisSend to Facebook | by geoschita

問題などが解けたときに、「できた!」といいますが、「できた」のは今の時点よりも前なので、過去形、そして「できる」はcanなので、これを頭のなかで英訳して、

×I could do it!

としてはダメです。これは、私はまだその問題を解けていません。

なぜでしょうか。まず日本語の「~できた」という場合は、「試験に合格できた」とはっきり「できた、できない」が言葉の上で示される言い方があります。もうひとつは、「遅刻せずに会議に間に合った」といったように「間に合うことができた」とわざわざ「できた」といいませんが、明らかに「できた」と意味が含まれている言い方があります。

英語では、「間に合うことができた」といわずに「間に合った」で済ませてしまうことが圧倒的に多いことを頭に入れておいて下さい。

ですから、運転免許証試験に先週、合格できたというときには、

×I could pass my driving test last week.

I passed my driving test last week.

となります。

しかし日本人としてはなんとなくこのように「合格する」という動詞だけでかたづけてしまうことにすっきりしません。それには大きな理由が2つあります。

第一の理由は、「試験に合格できた」という場合には、「合格」には自分の大きな苦労がともなっているのに、それを「合格した」か「合格しなかった」という事実passedとして述べてしまうことに、抵抗があるのです。「会議に間に合った」という客観的な事実とはわけが違うのです。合否の事実という客観的なことをいいたいだけではなく、合格には努力が伴っていたという主観的な気持ちも入れたいからです。そういう気持ちを込めたいときには、couldではなくmanaged toを使います。

I managed to pass my driving test last week.

最初の述べた、問題が解けて、「できた!」は
I did it! 
となります。また困難なことをやり遂げたような場合に、相手に「できたね!」というときには、
You made it!
となります。

★動詞過去形 ~できた

managed to苦労して~できた


02:00 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0) | 助動詞
2017/12/16

Part02 「合格しようと思えばできた」could pass

Tweet ThisSend to Facebook | by geoschita

運転免許証試験に先週、合格できた

×I could pass my driving test last week.

 

ではなぜ、couldは不要なのでしょうか。それが第二番目の理由、過去形のcouldがもつ2つの意味にかかわります。

couldはたしかにそれだけ取り出してみると過去形だけにみえてしまいます。実はcouldは仮定法の形にもなっています。

仮定法というのは、直接法のように事実に即して述べるのではなく、「もし宝くじに当たったら」とか、「もしノーベル賞をもらえたら」といったように、夢想して述べる場合に使う様態です。

英語以外の他の西欧の言語、たとえばフランス語やドイツ語などの場合、直接法と仮定法(辞書には「接続法」として掲載)では動詞の活用形は変わります。ところが英語では仮定法をあらわすときには、私たちが主として過去形として習う形で代用してしまいます。

 

 

フランス語・ドイツ語

英語

直接法(事実を述べる)

直接法の動詞活用

直接法の動詞活用

仮定法(夢想を述べる)

仮定法の動詞活用

直接法の動詞活用

 

これは逆にいうと、フランス語・ドイツ語では動詞の形をみれば、それが事実として述べているのか、夢想で述べていることなのかがわかるのですが、英語では、事実として述べているのか、夢想として述べているのかがわからないということです。

問題のcouldですが、たしかに直接法の過去形「~できた」と、私たちには読めてしまいますが、仮定法の形でもあるということがわかると、実際にはできなかったが、その事実は違うことを夢想して、「しようと思えば~できた」という意味にもなることがわかります。

I could pass mydriving test last week.

という英文は、「文法的」には

(1)先週、運転免許試験に合格できた。

(2)先週、運転免許試験に合格できなかったが、合格しようと思えば合格できたかも。

正反対の2つの意味を伴ってしまいます。つまり、(1)は実際に合格したことになりますが、(2)は合格していないことになります。おそらくこういう大きな混同が起こることを嫌って、「合格できた」という事実を述べるときには、couldは使わないのだと思います。というよりも、日本人としては、実際にできなかった場合で、やろうと思えばできたというときにcouldを使うと覚えておけばまず、間違いがありません。

 さらにそのことをはっきり示すためには、couldの後に来るものを、動詞原形ではなくhave+過去分詞の形にして、時制を一つずらした擬似的な過去形をcouldの後につけてやり、仮定法であることを明示すればよいのです。

I could have passed my driving test last week.

といえば、私が夢想していることを述べている仮定法だと相手に伝わります。

 

couldcould have過去分詞  やろうと思えばできた



01:54 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0) | 助動詞
2017/12/15

Part03 couldは<線>なのだが…

Tweet ThisSend to Facebook | by geoschita


それをやろうと思えばやることができたが、実際にやらなかった場合には、

I could havedone it.

が正しいとわかりました。では、

I could do it.

は、実際にはどのようにネイティブには聞こえるのでしょうか。

前段で、

I could pass mydriving test last week.

という英文は、「先週、運転免許試験に合格できた。」とも訳せませすが、それは「文法的には」そうだと断っておきました。なぜなら、この意味でなら、couldは不自然に響くからです。

別な箇所(点(瞬間動作)ではなく線(状態)Part01)で述べたように、英語の動詞には点として使うものと、線として使うものとがあります。

点と線の区別は、たとえば、上の「試験に合格できた」と、「10歳のときにはピアノが弾けた」とを較べてみると、合否はある一時点で一発で合格か不合格かが判明しますが、10歳のときにピアノが弾けたということは、10歳という時間の流れなかで継続的にピアノが弾けたということです。ですから、合否は点、10歳のピアノは線ということになります。

couldは、「~しようと思えばできた」(仮定法)という意味の他に、「継続的に~ができた」という意味もあるのです。これに対してwas able toは、点にも線にも使えます。

 

 

瞬間動作として~ができた

継続的に~ができた

could

×

was able to

 

×I could pass my driving test last week.

I was able to pass my driving test last week.

I could play the piano when I was ten.

I was able to play the piano when I was ten.

 

なお二重丸がついているのは、I was able to playというよりもI could play の方が言いやすく好まれるからです。

最初の問に戻って、

I could do it.

の意味ですが、基本的には、「継続的にそれをすることができた」、そして言外に、いまはそれをおそらくできないだろうという意味を含んでいます。しかし対応する日本語は、「それをすることができた」という瞬間動作ですから、この瞬間動作をあらわそうとするなら、

              Iwas able to do it.

が正しい言い方となります。

さて、couldの点と線との区別をわかりにくくしているのは、could notと否定形を使うと、

 

 

瞬間動作として~ができなかった

継続的に~ができなかった

could not

was not able to

 

couldでは使えなかったはずの瞬間動作に対して、使えてしまうからです。

I couldn't makeout what he said.

彼がいったことを理解できなかった。(瞬間動作)

I couldn'twait for my girlfriend any longer as time was running outbefore the concertstarted.

             彼女をそれ以上待ってはいられなかった。コンサート開始に間に
合わなくなってしまうからね。(継続的)

 

could継続的に~ができた。

could not 瞬間動作でも、継続的でも、~ができなかった。


01:47 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0) | 助動詞
2017/12/15

Part04 「合格できるか」 can かwill be able toか?

Tweet ThisSend to Facebook | by geoschita

面接に行った会社で、いつからここで仕事を始められるかと尋ねられる場合があります。これに対する英文は、2つ考えられます。

 

(1)When can you start to work here?

(2)When will you be able to start to work here?

 

(1)は面接官が相当にあなたに好印象をもち、合格のサインを出していることになります。これにたいして(2)は、面接でまだ可もなく不可もないという状態にあなたが置かれていることになります。

(1)は、現在の時点で働ける条件がそろっているということを前提にして面接官が述べているからです。働ける条件とはもちろん合格してその会社の社員になっているということです。これに対して、(2)の場合は、働ける条件が現段階ではまだそろっていないが、そろった場合にはできるかどうかを尋ねているわけで、合格するかどうかは不明です。

これがわかると、明日のその時間は会議があるけど、会うことができるかもしれませんというときには、

 

I'm having a meeting tomorrow at that time,but I might be able to see you.

 

とすることがわかります。

また何かしようとしている相手を励ますときに

 

(3) I’m sure you can do it.

(4) I’m sure you will be able to do it.

 

(3)を使えるのは、あなたがその相手をよく知っていて、条件がそろっているとわかっている場合で、あまり知らない相手に対しては白々しく響きます。あまり知らない相手で、頑張ってという気持ちを伝えたいときには、(4)になります。

canが単独では現時点での条件がそろっている、助動詞+be able to~は~をするための条件が現時点では満たされていないということが見えてくると、「ここから最寄りの駅まで歩いて12分で着きます。」といいたいときには、

 

You should be able to walk to the nearest station in twelve minutes.

であって、これを

You can walk to the nearest station in twelve minutes.

 

といってしまうと、「一番近い駅までは、ちゃんと歩いていけば12分だな。」という意味合いだということがわかります。なぜなら相手がどのくらいの速度で歩けるのか、脚に不自由はないかといった条件をすべてこちらは知っていることになるからです。

では否定形ではどのような意味合いになるでしょうか。

(5)I’m sure we can’t make the deadline of the report.

(6)I'm afraid we won't be able to meet the deadline of the report.

 

(5)は現時点で締め切りに間に合わないという条件をすべて把握しているのですから、仲間内でいう確認のようなことになります。(6)は、報告書を受け取る側にむかって、報告書を書いて提出する側である私たちが、締め切りに間に合う条件がそろっていませんという申し開きをしていることになります。


01:02 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0) | 助動詞
2017/12/14

点(瞬間動作)ではなく線(状態)Part 01

Tweet ThisSend to Facebook | by geoschita

こんな簡単なことなのにいつも間違えてしまうというのが、この区別です。たとえば昨日は見かけなかったけれどもどうしたのかと聞かれて、カゼをひいてしまったというときです。

I caughtcold and stayed at home all day long.

ところがカゼをひいたのですが、それはほんの昨日のことで、寝込むほど大変で、症状が今すっかり消えているわけはありません。そんなときはいまでも風邪引き状態が期間をともなって継続していることになります。ですから

I had a cold yesterday

としなくてはいけません。catchcatchする動作が一回起こったということ、それにたいしてhaveはその持っているものがある程度の期間を続いていたことです。

これと同じことが、get  marriedbe marriedについてもいえます。ご両親は結婚して何年かときかれて、

My parentshave got married for twenty-five years.

とすると、25年間、結婚の状態を継続していたではなく、25年間何度も何度も結婚式を挙げたことになります。ですから正しくは、

My parents have been married fortwenty-five years.

です。これがわかると離婚して何年になったということへの返事としては、

My parents have got divorced for three years.

ではなく

My parents have divorced for three years.

が正しいことがわかります。

中国人の彼女に、日本では玄関で靴を脱ぎスリッパをはくことになっているというときには、

You are supposed to put off your shoes andput on [×wear] slipperswhen you walk into a Japanese house.

となります。もしもwearといいたいなら、

You are supposed to wear slippers afteryou walk into a Japanese house.

となります。家の中にいるときにははきつづけるという状態が継続するからです。でも家にはいるのは玄関をくぐるときのただの一度だけですから、put onになります。
01:49 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0) | 二項対立
2017/12/14

Know: まぎらわしい点(瞬間動作)と線(状態) Part 02

Tweet ThisSend to Facebook | by geoschita
ところが動詞のなかには、状況によって瞬間の動作、別な状況では継続的な状態をあらわすものもあります。しかもそうした変怪する動詞は、私たちがもっともよく使う動詞のなかでも、have, know, rememberがそうなのです。

私自身の失敗談になりますが、同僚の結婚しているアメリカ人女性がお目出度(懐妊)ということを、他の同僚から耳にしました。彼女とばったり会ったとき、
              I know you are expecting.
と言ってしまいました。
knowは「知っている」ですから、「あなたに子供が生まれることを知っている」という線(状態)で、相手にいってしまいました。これだと、なにかまずい事情があって本当は子供を宿したことを隠そうとしているが、隠そうとしても宿したことを私はちゃんと「知っている」という意味になってしまいます。
私の他の同僚からお目出度を聞いて、「おめでとう」とこの女性にいいたいだけですから、今会って気づいたのではなく、過去においてそういう情報を得て、その時点で「知った」といえばよいだけですから、
              I got to know you are expecting.
となります。
ところが、knowの前に get to を付けなくとも、knowはある時点で「知った」、「わかる」という点(瞬間動作)の動詞として使われることがあります。これは「~してみれば」、「~したときに」という点の時点が示されるか、あるいには示されなくともその時点が含意されている場合に、そうなります。このお目出度の場合でいえば、
I knew you are expecting when I happened to see you walking very slowly on the corridor.

電話をかけてみれば、相手が不在かどうか「わかる」という場合も、かけてみた時点で、「わかる」という瞬間動作が起こるので、
You will know whether he is at home when you call him on the phone.
となります。

01:03 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0) | 二項対立
12345