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(形像文化の世界へ)

ようこそ。 西洋文化と日本文化の接点を、誤解と理解という視点から眺めています。

鈴木繁夫

エンブレムの世界

Emblem入門
2014/09/25

ペトラルカとルネッサンス文化 Part01: 手書きの摸倣

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■横顔を私達の側に向け、どこか左奥の遠くを見つめているこの女性は、右腕の指を伸ばしながら本を開き、私達が本の文字を読めるように誘っている。左側のページの一行目の冒頭は"Se voi"という文字が、右ページの6-7行目の冒頭には、"Che"と"Non"という文字がくっきりと見える。そして左右両ページとも14行からなっており、ルネッサンス期に流行したソネット形式の詩だとわかる。これらことをヒントにして、この本はペトラルカの恋愛ソネット集『カンツォニエーレ』(1350年)で、左側はソネット64番、右側がソネット240番だと判明している。

アーニョロ・ブロンズィーノ「ラウラ・バッテイフェッラの肖像」1547-53年頃







■これらの詩がどのような内容のものであるかに入る前に、今一度、この本の文字をじっくりとみれば、手描きであることは一目瞭然である。ペトラルカのソネット集はルネッサンス期にはもっともよく読まれた詩集であり、印刷術は1400年代後半には確立していた。この絵は1550年前後の作品であるから、指で開いてみせる本は印刷本であってもよいはずだが、手書きの写本なのだ。
本というと私達は、活字がきちんと組まれ、行が一直線に走り、各ページの余白や文字の大きさが一定の幾何学的整序のあるものを思い浮かべるが、ルネッサンス期にはまだ中世の写本の伝統が生きていた。
原本の文字を手書きで羊皮紙に書き写し、それを閉じて一冊の本にするが、書き写す書字生などの字体やレイアウト配置などにより、一冊の一冊の本が異なっていることが、なんら不思議なことではなかった。手書きで、書き写しであるからこそ、原本の配列を変えて、64番と240番が向き合う形で見開きに収まることも可能であった。
そして写本所有者の判断と裁量によるのは、順序だけではなかった。実は元の本の文中でしっくりとかみ合わない奇妙な語句があれば、筆耕の誤記であるとか作者の筆の誤りと判断し、写し手はそれらの語句を変えていった。これは当然といえば当然で、原本は一冊しかなく、写し手はそれを参照できないことがむしろ通例で、写し手が目にするのは書き写された複本からの書き写しがほとんどだったから、今の私達の感覚からすれば改ざん、当時の人達からすれば再生(
plaingenesisするという積極的な貢献であった。配列までも含めた広義の再生とは、原典を模写しつつ、本来の原典へと回帰し、自分にとって意味のある所有物とするという行為であった。
■ところでこの写本を開いている女性は、20世紀初頭の研究成果により、女性詩人ラウラ・バッティフェッラ(1523-1589年)だと推定されている。貴族の非嫡出子として生まれるが、10歳代で教皇の権威により嫡出子として認知され、正式な結婚をする。しかし夫はわずか数年後に亡くなり、寡婦としての暮らしを始めるが、詩人としての名声が高まっていく。
 20歳代で当時としては第一級の彫刻家・建築家と再婚し、夫の仕事の関係からローマを離れ、フィレンツェに住居を移す。フィレンツェの知識人サークルには入れなかったものの、当地の芸術家たちと親交をもち、彼らと詩のやり取りをしながら、詩人としての名を確立していく。
■バッティフェッラの詩集『トスカーナ語作品集』(1560年)には126篇のソネット、13篇のマドリガル(無伴奏多声歌曲)が収録され、画家ブロンズィーノと間の贈答歌(4篇)もそこに収められている。その贈答歌のなかで、ブロンズィーノは、この女性詩人の名がラウラであることから、ペトラルカがその恋愛詩のなかで歌っている恋人がラウラであったことにかけて次のような構造を使っている。

(1) ペトラルカ ⇔ラウラ(ラウレ・デ・ノーヴェース)を原点(原典)として、
(2) ブロンズィーノ⇔ラウラ・バッティフェッラの関係がその原点を模写しつつ、
(3) ペトラルカ⇔ラウラのそれぞれの相手に対する関係を意識しながら、
(4)  ブロンズィーノ⇔ラウラ・バッティフェッラのそれぞれが自分たちにとって意味のある関係を作り出す。 

                                                         再生(plaingenesis)
原点の人物:ペトラルカ              ラウラ(ラウレ)
人物の模写:ブロンズィーノ            ラウラ・バッティフェッラ
原点の関係:精神的結びつきの希求      諦めさせる努力
関係の模写:妖精ダフネへの見立て       画家としての自負心を喚起

■本のテキストを手で写し書きし模写を生み出したように、ブロンズィーノはペトラルカとラウラの関係を自分とバッティフェッラの関係に喩え模写している。もちろんブロンズィーノは200年前のペトラルカと自分が同一人物ではないことを知っているが、同じ人物になぞらえることで、ペトラルカがその詩の中で吐露している感情、思い、経験を追体験しつつ、自分独自の感情なり思いをそこに加えて独自の体験もしている。ここでも再生(plaingenesis)が起こっているのだ。
■もう少し具体的にいえば、男性であるブロンズィーノの側は、プラトン的愛によって、ラウレ・デ・ノーヴェースがそうであったように既婚夫人であるバッティフェッラと精神的に結ばれることであり、バッティフェッラの女性側からすれば、自分とは別な女性にブロンズィーノが熱い想いを傾け、自分への思慕を断ち切るように仕向けることであった。ここまでは(3)の追体験である。ところが、ブロンズィーノ
はバッティフェッラを、月桂樹(ラウラと同じ語源)に変身した妖精ダフネにたとえ、その木陰で暮らすことができたらと告白する。これに対してバッティフェッラは、ブロンズィーノはそのソネットの腕が示すように詩人であるが、画家でもあるのだから、画家として私の姿を模写してその模写姿とともに暮らすほうがよいと返答している。これはペトラルカの元々のソネットには見られない二人の独自の関係であり、ここにおいて(4)が達成されている。
■ではこうした構造にささえられた意味ある関係は、ソネットの贈答歌という場においてではなく、ブロンズィーノが描いたバッテイフェッラのこの肖像画からも生まれているのだろうか。生まれているかどうかを教えるのが、開かれた写本に書かれている二篇のソネットである。

◆ポイント:原点があって、模写がでてくる。◆
◆ポイント:模写は原点に新しい関係を加える。◆


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2014/09/25

ペトラルカとルネッサンス文化 Part02: 模写から逸脱へ

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■女性が開く本の左ページあるソネット64番では、何が語られているのだろうか。ペトラルカの恋愛ソネットは、独身男性ペトラルカが既婚夫人ラウラをその神聖さと美しさゆえに一目惚れする。男性は自分の肉眼では女性の外面の美に牽引されるが、自分の心は清らで精神的な愛を大切にするという肉体的愛と精神的愛との葛藤に陥る。しかも女性は肉体的にも精神的にも夫への貞操を守るために、男性側の思慕を頑として受けつけようとしない。
■この64番でもこの枠組で語りが展開する。ペトラルカがラウラに向かって自分のことに心を傾けてくれるよう祈っているのに、ラウラは既婚夫人であるゆえに、夫ではないペトラルカには冷たく振る舞わざるをえない。ペトラルカはラウラが離婚をしてでも自分を思慕してくれることを望んでいるが、それは「許されないのが 君[ラウラ]の運命」。思慕ができないなら、自分を憎むことだけはやめてほしいと、ペトラルカはラウラに願いを吐露する。
■こうした内容のソネットを読むように仕向けている人物は、『カンツォニエーレ』という原典においてはペトラルカ自身であったが、このブロンズィーノの肖像画においては、ラウラ・バッティフェッラ自身である。そして言うまでもなく、この詩は原典を書き写したものであり、この肖像画はバッティフェッラという実在の女性を描き写している。つまり肖像画においては、すべてがオリジナル(原点)のコピー(模写)になっている。これらコピーが誰に向けられているかといえば、この絵を見ている鑑賞者に対してである。

     (1)  原点(原典):男ペトラルカ から女ラウラ(ラウレ・デ・ノーヴェース)へ
     (2) コピー(模写):女ラウラ・バッティフェッラから男性・鑑賞者へ
しかし(2)では(1)と性が逆転してしまい、奇妙である。男性・鑑賞者は(1)を想起しつつ、この肖像画のなかに今一度、(1)の関係を発見しようとする。

     (2')  コピー(模写):男・ブロンズィーノから女ラウラ・バッティフェッラへ
というつながりが見えてくる。鑑賞者の心の中でのこの<折り返し>からこの肖像画は焦点を結ぶ。そしてちょうどペトラルカがラウラに自分を憎まないでほしいと祈っているように、ブロンズィーノもバッティフェッラに祈っている、その気持がこの肖像画となって結実していることになる。なるほど、バッティフェッラの視線はこの絵の正面に立つ鑑賞者の視線にも、やはり描く際にはこの絵の正面に身をおかざるえなかったブロンズィーノ自身の視線とも出会うことがない。それは貞操を脅かす視線であり、そういう視線にバッティフェッラは目を合わせるわけにはいかないからだ。
本の右ページの240番では、ペトラルカは肉体的な交わりをラウラと持ちたい情欲が募っていくが、それほどまでにラウラは魅力的なのだと告白する。そして情欲にかられてしまう自分を蔑むことはやめてほしいと、ラウラに向かって願っている。

     (1)  オリジナル(原典):男ペトラルカ から女ラウラ(ラウレ・デ・ノーヴェース)へ
というこの流れも、先ほどと同じく、鑑賞者の心の中で<折り返し>を起こすことによって

     (2')  コピー(模写):男・ブロンズィーノから女ラウラ・バッティフェッラへ
というつながりになっていく。ブロンズィーノからバッティフェッラに宛てたソネットの中で、ブロンズィーノはバッティフェッラを「外面は鉄で、内面は氷」といった表現でその振る舞いを柔らかく批判しているが、バッティフェッラの心はブロンズィーノの情欲を受けつけないどころか、それを氷で冷ますような力すら持っているのだ。この肖像画の冷めたような表情、髪を隠しベールをかぶり、白と茶系の地味な服装に身を固めて男性に隙をあたえないのは、鉄と氷の女性だからなのだ。これはペトラルカのラウラに勝る貞淑な夫人ではないだろうか。
■このようにオリジナルをコピーしつつも、オリジナルの枠組みから写し手は違いを自らの力で生み出して、オリジナルから逸脱していく。原点への回帰はある過去の事態をそっくりと再生することではなく、今を生きている自分にとってそれがどういうことなのかを内省させ、新しい趣向のもとに今の状況を捉え直す演技となっている。

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2014/09/16

ペトラルカ写本 Part03:字義から寓意へ

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■二枚の巻紙は巻かれておらず広がっているが、広がっていられるのはなぜだろうか。上の巻紙の右端と下の巻紙の左端を、前腕付きの手が、それも肘頭から翼が生えた手が押さえつけているからである。翼があるということは、この二枚の巻紙は宙に浮いているのだ。
■超自然的ななにものかによって、文字が書かれた紙が宙に浮いたままになっているというのは、西欧の象徴体系の中ではそれほど奇妙なことではなかった。
■マルティーニと同じシエーナの画家で、マルティーニが教皇庁のあったアヴィニョンで活動するためシエーナを去った後に、シエーナの筆頭画家となったのは、アンブロージョ・ロレンツェッティであった。ロレンツェッティは、シエーナ市庁舎の一室に善政と悪政を主題とする巨大フレスコ画(1338-9年)を部屋の四面の壁に描いている。そこにはいくつも文字が
■書かれた紙が宙に浮き、それを支えているのが美徳や悪徳の名のついた天使たちである。たとえば悪政の壁画には、空を舞いながら右手に剣をにぎり、左手で帯状の巻物をもち広げている<恐怖>の天使がいる。そこに書かれているのは、「各人が自己利益を追求するためにこの国では正義が僭制に屈する」[前半部分]というイタリア語の寸鉄詩である。 










■ペトラルカ写本とほぼ同じ頃に描かれているこのフレスコ画でも、画像と文字が同一空間に共存し、文字が画像を解説し、画像を見る人の意識を描き手の意図どおりに誘導する役割を果たしている。ところでこの天使の頭のすぐ上にはTIMOR(恐怖)とあり、この天使の画像が恐怖という、誰もが知り経験していてすぐにそれとわかる抽象概念を表しているのだと、描き手は誘導している。巻紙に書かれた寸鉄詩が画像全体の出来事を説明しているのに対して、このように一人の人物像、場合によっては一個のものの像の説明することもあるのだ。詩や一単語があらわす抽象概念をひとつの画像として表現することは、西欧の中世ではひとつの思考習慣として定着しており、それはペトラルカ―マルティーニの14世紀には確実に根を張り生きていた。このような画像は寓意(アレゴリー)とよばれていた。ロレンツェッティのフレスコ画は、「善政と悪政」ではなく「善政と悪政の寓意」とよばれることがむしろ普通になっているが、「寓意」とわざわざことわるのは、これが善政・悪政が実際に行われて、たとえば善政なら人々の食卓に食べ物が豊富にあるといったような実情を前面に押し出して描いているのではなく、クッションに肘をついてシュロの枝を膝から立てている穏やかな顔立ちの女性の姿(平和の寓意)を描いているからである。
■定型の抽象概念を一つの画像に凝縮して表現する形態が寓意であることはわかった。しかし、ここですでに触れたセルウィウスの秘密に戻ってみよう。流れ星とその軌跡についての記述のなかに、この文法学者は字義通りのレヴェルの向うに、アエネーアースの将来の出来事が象徴されているように読み込んだ。ウェルギルスは、あるひとつの事柄を述べながら、それと同時に、その事柄とは別の象徴的なことも伝えているのであり、字義通りにしか読まない読者はその象徴的意味を読み落としてしまう。文法事項、語法、過去の類例など字義レベルの説明は注解(glossa)とよばれ、字義の背後に隠されている象徴的意味の説明は釈義(commentaria)として区別されていた。そして象徴的意味もまた寓意とよばれていた。
■中世において、非キリスト教であるにもかかわらず古典がその伝統をほそぼそとではあっても維持できたのは、7世紀にセヴィリアの司教を勤めたイシドロスの功績が大きいが、なかでも決定的だったのは『語源論』(Etymologiae)である。これは分野別にその分野に関連する単語をあげて、その単語の語源と意味を解説したもので、取り扱っている単語の数といい、その的確なわかりやすい解説といい、現代の百科事典の前身を思わせるものになっている。この文法学者にして神学者でもあったイシドロスは、解説にあたり、アウグスティヌスなどの初代教父の文献からだけではなく、ウェルギリウスはもちろんのこと、古典の詩人や歴史家たちの著作や、ギリシアではホメーロス、プラトン、アリストテレスからの引用もしている。
■この学者による寓意の説明は次のようになっている。

ある事柄を音にだして述べながら、別な事柄が理解される。ちょうど「三匹の雄鹿が海岸をさまよう姿を彼は見た」[『アエネイアース』1巻184-5行]というのが、ポエニ戦争における三人の将軍あるいは三次のポエニ戦争を意味しているようにである。(『語源論』1巻37章22節) 

■トロイアから船で脱出したアエネーアースが海上で暴風雨に遭遇し、船がアフリカのカルタゴに漂着したときの出来事が、ローマがやがてハンニバル率いる強敵カルタゴと戦うポエニ戦争を象徴的に示しているというのだ。
■20世紀の古典学者による注釈は、注解(glossa)であることを心がけ、釈義にまで踏み込もうとしないので、イシドロスの寓意の説明は掲載されていない。20世紀の古典の読み方は寓意にまで踏み込まないという線で展開されているといってもよい。これは、テキストに寓意を読み取ることが、物語の本来の筋と基調音に対して雑音を入れ、筋の流れを見失わせることになりかねないからであり、それに加え、寓意釈義は釈義者による解説が作者の意図から離れた恣意的な説明ではないことを証明することがきわめて難しいからである。 
■もちろんテクストの中に著者が明らかに意図的に仕掛けておくという場合もある。たとえば『薔薇物語』(1275年)では、若者が夢の中で見たバラの蕾に恋をし、それを手に入れようとする筋よりも、恋愛をするときに湧き起こる感情の葛藤が寓意によって提示されており、それを知ることの方がむしろこの物語を読むという行為に正当性をあたえている。
■ペトラルカの時代から17世紀まで西欧の文化は、作品制作者の制作意図からはずれることを極度に恐れるあまり、作品に無理矢理押しつけた二義的解釈というレッテルを嫌うわけではなかった。イシドロスの釈義のように、字義の層における直接的な文脈の至近距離のなかにではなく、将来の出来事などをあらかじめ象徴的に表現していると解釈したり、『薔薇物語』のように、作品の外にあって作品を実はささえている価値や観念の体系である宮廷恋愛の掟と作品を照合させて読解をすることは、空想的というよりも創造的として肯定的に評価された。
■では寓意が字義通りとは異なった別な意味をもち、その別な意味は直接的には不明だというなら、推測によって正解にたどりつく謎とどう違うのだろうか。これもイシドロスが回答を与えてくれている。

謎(aenigma)とは、説明がなくてはなかなか解答できない曖昧な問題。「食べる者から食べ物が出た。強いものから甘いものが出た。」[「士師記」14:14 サムソンが披露宴で出した謎]のようなものである。…寓意と謎との違いは、寓意には二重の力があり、ある一つの題材を別な複数の題材の様相のもとで比喩的に指し示すが、謎では[指し示す]意味がただ曖昧なだけで、イメージを通じてその解答が暗示されている。(『語源論』1巻37章26節)

■言葉によって指し示される事柄が何であるかによって、寓意と謎との違いがでてくるのではなく、言葉と事柄とがどういうかかわりになっているかによって違いが生まれるというのだ。謎の場合には、事柄がイメージ化されていて、言葉はそのイメージの一端を指示するだけなのだ。サムソンの謎の場合には、解答はライオンの口からとった蜂の巣だが、食べる者、強いものはライオン、食べ物、甘いものが蜂の巣ということになる。一方、寓意の場合には、流れ星の落下という一つの題材が、別な土地でのトロイアの再興、アエネーアースの脱出と航海といった別な題材との関連で、それら別の題材を間接的に指示する働きをもっているのだ。
■これを本来の寓意とすると、ロレンツェッティの絵画のように、鋭く尖った剣をもつ恐ろしい形相をした天使という一つの具体的な画像であり、その天使であり剣を表現していながら、その画像が恐怖という一つの抽象概念を表現することも寓意ということになる。なぜなら、剣をもつ天使という題材が、悪政によってもたらされる市民への恐怖という別な題材を指示しているからである。そして『薔薇物語』の挿絵がそうであったように、何の寓意になっているかを描き手は文字を使って一語で表現までしてくれている。


■■■ポイント:言葉は、別な文脈に置き換え二重読みする必要がある■■
■■■ポイント:二重読みが可能な表現方法を寓意という■■

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2014/09/15

ペトラルカ写本 Part02: 画像と文字の協力

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■前節では画像と文字が垣根をもって相反することなく、同一の場に共在していることがわかった。では共存することによってどのような効果を生み出しているのだろうか。

■その効果を教えてくれるのが、二枚の巻紙(カルテッロ)のうちの二番目の寸鉄詩(エピグラム)である。

Servius altiloqui retegens archana maronis

vt pateant ducibus pastoribus atque colonis

秘密が将軍、羊飼い、植民者にもわかるように、

高所から語ったマローの秘密を明かすセルウィウス

 




■私達の名前は姓と名の二つからなっているが、ローマ人は自由人男性であるなら、個人名・家門名・家族名の三つからなり、個人名=名前
(prenomen)と家族名=姓(cognomen)の間に家門名(nomen)が入っていた。ジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)は家門名・家族名で、個人名はガイウスだったから、家ではガイウスと呼ばれていた。さてこの巻紙のマローとは、ウェルギリウス・マロー(家門名・家族名)で、ローマ文学史では家門名で呼ばれることが通例である。ローマの最高峰と評価されている詩人で、田園詩、農耕詩、叙事詩を書いたが、そのいずれも後代の手本となっている。

■ この寸鉄詩でペトラルカは、ウェルギリウスを「高所から語った」(altiloquus)という造語をわざわざ使って形容している。その意図は、ウェルギルスの詩は、田園・農耕・叙事詩のいずれであれ、そこには詩が文字通り述べていることとは別に、「秘密」が隠されているからで、文字通りの意味だけを追っていき誌を味わい鑑賞することはもちろんできるのだが、それだけでは不十分だと教えているのだ。ではどんな秘密が隠されているというのか。それを教えてくれるのが、セルウィウスだという。

■ セルウィウスは4世紀の文法学者だが、20世紀中頃の文法学者のように言語習得のための文法や単語の用法などだけを論じる学者ではなく、19世紀の言語学者(フィロロジスト)のように、文法や語法知識だけではなく、言語の成り立ちそのものや言語が使われる背景となる文化や歴史までも研究の対象とする、そういう学者であった。セルウィウスの直接の師ではないが、同じく4世紀にアエリウス・ドナートゥスという後代にもっとも影響力を与えた文法学者がいた。ドナートゥスはウェルギルスの詩作品に注釈をつけたが、その注釈にさらに注釈を加えたのがセルウィウスであった。そのセルウィウス注釈版にさらに7-8世紀頃に注釈が加えられ、それが写本の形で伝っていた。この写本は、通例「セルウィウス・アウクトゥス」(増加したセルウィウス)と呼ばれているが、そこではラテン語の単語解釈や語法の前例からローマの風習や政治制度に至るまで幅広い解説がなされている。ではこれらが「秘密」だったのか。もしろんそのようなことはない。

■セルウィウスの本領は、予兆や何気ない言及の裏に将来にかかわる預言を読み取り、それを開陳していることにある。たとえば叙事詩『アエネーイス』のなかで予兆として有名な箇所(2691-698行)に、トロイアの城壁都市が陥落し、主人公アエネーアースが脱出しようとするが父親が留まるといって進退窮まったときに、雷鳴がし、流れ星が下る箇所がある。星の軌跡は左側から都市近くの森へと落ちていくが、軌跡は消えずに光り輝き、森一体に硫黄の煙が立ち込める。その説明としてセルウィウスは、光は、アエネーアースの家の将来の栄光、軌跡が残るのは、全員ではなく何人かがここに立ち止まること、軌跡が長いのは、今後の道のり(トロイアからローマ)が長いこと、また軌跡が畦として記されるのは、道のりが海路(畦sulcusは船の航跡という意味もあった)であること、硫黄の煙はイタリアでのアエネーアースの死あるいは戦争をさしているという。流れ星についての一節には、流れ星が流れて落下したという表示的意味だけではなく、文字通りの意味の廃語に隠れてこうした意味が潜んでいると、作者の意図を説明してくれるのだ。だからセルウィウスは「秘密を明かす」のであり、「明かす」(retegens)という言葉は覆いをはがすという意味なので、この画像の上側にあるように、中央に立つセルウィウスが、執筆中のウェルギルスをさえぎっていたベールをその右手で手繰り寄せ、ウェルギルスの姿が見られるようにしている。

このように画像だけからは読み取れないことや誤解して読み取ってしまうことを文字は防ぎ、正しい画像の読み方を教えてくれるのだ。一瞬のうちに見て取れる画像は、言葉が進んでいく時間の流れの中でその表層の意味が開示されていくのである。では逆に、画像は言葉を説明してくれないのだろうか。

■この問題に答える前に、まず私達は、言葉がもつ二重性、すなわち字義通りの意味とそのレベルを超えて言葉が詩として抱え込んでいる内事の象徴的な意味について考える必要がある。

 
■■ポイント:文字は画像の正しい読み方を指示する■■

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2014/09/14

ペトラルカ写本 Part01:画像と文字の共生

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■これは絵画ではない。しかし日本の中学の美術の教科書に載るほど著名な画家の作品である。なぜ絵画ではないのか。私達が絵画というときには、壁に飾って鑑賞するためのものであり、それが一つだけで独立した世界を作り出している。だから漫画がどれほど視覚的に訴えようとも、それを絵画と呼ばないのは、漫画は一コマで独立することはできないし、鑑賞するためのものでもないからだ。実はこの画像は、完成した写本の扉の部分用に、写本の所有者が自分の友人でもあった著名な画家に依頼して描いてもらったものなのだ。写本と一セットになってこの画像は意味をもつのであって、写本の内容から切り離してこの画像を鑑賞することは、それが形態の美の鑑賞であるとしても誤読への一歩となりかねない。
■そういわれてみれば、この画像には、私達が知っている絵画の特性にはないが、漫画にはいつもあるはずの決定的特性がある。文字である。右端で樹に寄りかかりながら羊皮紙本に鵞ペンで書きつけている人物の脚の下には、二枚の巻紙(カルテッロ)が広げられており、それぞれ二行からなる短い詩(エピグラム)が書かれている。そのうち、最初のものは、


Ytala praeclaros tellus alis alma poetas
Sed tibi Graecorum dedit hic attingere metas
豊かなイタリアの大地よ、汝は名高き詩人たちを育んでいるが、
これは汝がギリシア人たちの到達点に至ることを許した。
 
■到達点(meta)というのは、馬にひかせる戦車のスピードと機動力を試す競技で、競技場内の方向転換点のことをいう。到達点をギリシア詩人の水準に見立てて、その地点にローマの詩人たちのうち「これ」が到達したというのだ。「これ」とは、この画像とともに綴じられている詩集の著者ウェルギリウスのことである。この詩集は、活字印刷本ではなく、グーテンベルグによる活版印刷が技術的に可能になった14世紀後期よりも300年ほど前のものだと、本の見返しに記載されていた手書きメモからわかっている。印刷術ができる前の本だから、これは画中の人物が持っているような、羊皮紙製の写本なのだ。この写本の持ち主は、ルネッサンス最初の詩人と位置づけられているペトラルカである。もう少し正確にいえば、詩人ペトラルカの父ペトラッコが所有していたものを、ペトラルカが譲り受けたものである。
■ペトラルカは、今の私達には恋愛詩、人妻であったラウラに一目惚れし、ラウラの美しさとラウラに対する深い恋の想いを317篇ものソネットで切々と歌い、ルネッサンス恋愛詩の始祖として評価が定まっているが、実は、熱狂的な写本収集家であった。
■そしてそのソネット(第77番)の中で、ペトラルカの友人であった画家シモーネ・マルティーニの名を挙げて、マルティーニがラウラの肖像画を描けたのは、マルティーニが天上にシモーネ自身の魂を上昇させ、ラウラの純粋な美を観照することができたからであったという趣旨のことを述べている。マルティーニの描いたラウラ像は現存していないが、現代まで伝わっているここで扱っている画像はこのマルティーニが描いたものなのだ。ペトラルカは当時すでに名高かったジョットとともにマルティーニとも交友があった。[1]そのマルティーニの名を知らしめている作品の一つが受胎告知像である。
■現在はフィレンツェ・ウフィツィ美術館に所蔵されているが、もともとはフィレンツェの隣国であったシエーナの司教座聖堂の主祭壇画(祭壇の後ろに置かれ、後陣との仕切りの役目を果たす)であった。受胎告知部分だけでまるで独立した一枚の絵画のようにして鑑賞されることが多いが、全体図からもわかるように、告知する天使ガブリエルから仕切られてシエーナの守護聖人である聖アンサヌスが立ち、また同じく聖母の側には聖女マクシマが立ち、上部の正円窓には、旧約時代の四大預言者、エレミヤ、エゼキエル、イザヤ、ダニエルの上半身像が描かれている。ここまでくれば、この像が鑑賞のためではなく祈りのためのものであり、受胎告知という出来事そのものが聖書という文脈から切り離せず、聖人や預言者に囲まれ、教会内の他の図像や彫像などが織りなす空間のなかで意味をもつことが教えるように、この主祭壇画が一つだけで独立した世界を作っているわけではない。これも絵画ではないのだ。そして漫画のように、実はこの画像にも文字が描きこまれているのだ。それは天使の口から聖母の右耳を結ぶ線を目で追っていくと、そこには大文字で次のような記載があることがわかる。


















AVE・GRATIA・PLENA・DOMINUS・TECUM
めでたし、聖寵満ちみてる人よ、主は汝とともにいる
■これは、男性との肉体的交わりによる受胎ではなく、聖霊による受胎を告げる場面を記述した「ルカ福音書」の一節からの引用である。私達のよく知るバッハの「アヴェ・マリア」もこれと同じ箇所を題材にした作品である。
■19世紀の風景画や20世紀の抽象画は、私達が日常使い慣れ、生活には不可欠となっている文字を画面上に描き入れることはまずない。絵画と文字とは不可視の線引によって、絵画が聖なる崇高な芸術を志向するのに対して、他方は文字は日常性にべったり張り付いた世俗と関わりを持つものであるかのように取り扱われている。ところがペトラルカの時代にはそのような線引はなかった。
■18世紀批評家レッシングの芸術論書『ラオコーン』での指摘を待つまでもなく、言語表現は一過的で時間の流れにそっているが、視覚表現は言葉とは異なってそこに何があるか、伝えたい内容を一瞬のうちに理解させる。ペトラルカの時代には、文字は音読されるものであり、黙読は一般的でなかった。発話は聴き手の心を誘導する言葉であり、その言葉を聞く人の精神を、直線という二次元世界の軸と時間という四次元の世界の軸に釘づけにする。これにたいして視覚表現の作品は、鑑賞者を空間という三次元世界にとりこむ。時間の助けを借りないという意味で時間の流れとなじまない視覚表現は、三次元空間のなかにすっぽりとおさまる存在なのだ。言語表現によって、視覚表現は時間のなかで起こる出来事へと変容する。受胎告知は今まさにこの場のこの瞬間に起こり、ウェルギリウスはこの写本に収められた詩集を読み始める読者によって、ギリシア詩人たちが到達した地点に立つことになる。
 
■■ポイント:文字と画像が相反することなく、同一面に共在する。■■

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[1] 『近親書簡集』5:17。

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2014/09/05

エジプト熱にかられて:ウァレリアーヌスPart 01

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ウァレリアーヌス『聖顕図像文字:エジプトの聖なる文字の解説』 1556年



力は知恵に屈する

アンティオケアの貨幣に、ライオンが地面すれすれに這っていて、フクロウがその上を飛び去っていく姿が描かれている。これは夜の黄昏を表していると考える人が少なからずいる。なるほど、太陽が沈むと、この鳥を介して夜になったことがわかり、夜が出てくるという意見である。しかし私は、このたぐいの聖顕図像文字の図は、力は知恵に屈することを示しているのだと確信している。というのは、ライオンは頑強を、夜は[知恵の]ミネルウァ女神を、かの箇所[ここではライオンに関する古典の文献でアポロニウスとウェルギリウス・エウァンドルス]における記述は示しているからだ。


【解説】
▶本の概要◀
この本には、当時としては珍しく、タイトルが書かれた本の扉と同じページに、「読者へ」というメッセージがあり、そこにはこの本に記載されている内容について、三つの種類のことが述べられている。

読者諸賢よ、本書は、歴史、貨幣、古典作家の記述からの様々な説明だけではなく、エジプトやその他おおくの奥義に加えて、…共有告論の巨大な森、…宗教文献を探求した解釈を記載したものである。

この本がカバーするの領域は歴史、貨幣、古典文学、宗教文献などである。奥義というのは、キリスト教とは関連がないと思われている異教のことだが、それらは実は異教ではなく、歴史的にキリスト教と密接に関係する宗教であり、その宗教が教える教義やその宗教が利用している象徴をさしている。また共有告論(locus communis)とは、もともとは弁論術の用語で、ある論題を扱う際に、話者が共通して用い、そして聴き手が必ず納得できる論点のことであった。たとえば16-17世紀になると、「専制君主は暗殺可能」という論題が出てくるが、そこで話者が共通して用いるトピックは、「君主は臣民の安全を守る義務がある」という、聴き手・読み手が必ず納得する論点である。ヴァレリアーノのこの本には、そうした論点が森のごとく数多く記述されているというのだ。

▶配列法に体系を◀
こうした博物学事典のような知の集積からこの本はできているため、この本についての簡略な解説には「百科事典」として説明されることが多い。私達にとって百科事典とは、学術の網の目ですくい出せるできる限り多くの事柄を、五十音順か項目別といった配列しているものだが、この本はそうした期待をもって手にすると、百科事典とは言いがたいことに愕然とする。まず配列は、ヴァレリアーノが関係した宮廷人の中で自分の人生にとって大事な貴族の順番になっている。宮廷人と項目配列に何の関係があるかといえば、ある事柄を記述するときに、その記述は貴族に捧げる形になっているのだ。宮廷人は58人おり、単純に考えれば項目数は58となるのだが、貴族によっては1事項ではなく7事項にも及んでいるものもある。知りたい事項があれば、巻末の「記憶すべき事柄と言葉についての豊富な索引」をあり、そこから記載の該当ページに行けるのだが、ちょうどプリニウスの博物誌がそうであるように、基本的には最初から読み進んででいく読み物であった。事項は最初からあげていけば、ライオン(コジモ・デ・メディチ宛)、象とサイ(グイドォー・スフォルツァ宛)、牡牛とその類(レリオ・トレッリ宛)と続き、植物から人間の身体、そして本などの事物へと移っていくが、これはあくまでも大まなか流れであって、体系をしっかりと意識した順にはなっていないように思える。

▶タイトルと内容の齟齬◀
また、
この本のタイトル『聖顕図像文字:エジプトの聖なる文字の解説』と、各項目で説明されていることとの間には齟齬がある。タイトルからすれば、聖顕図像文字そのものの解説、あるいは聖顕図像文字を使って事項の象徴的な意味が説明されているかのような印象を与える。ところがここでいう聖顕図像文字とは、ある事項と別な事項との組み合わせによって図柄のことである。上に和訳したもののように、伏せるライオンとフクロウの取り合わせの図柄が聖顕図像文字なのであり、その図柄の説明が、「聖なる文字の解説」なのだ。ホラポッローからの引用は400ページ以上に及ぶこの大著のなかで20回を満たない。逆にいうと、16世紀前半のローマではエジプトから持ち込まれた、聖刻文字が刻まれたオベリスクがヴァチカン広場に設置され、また「イシス女神の銘版」(Mensa Isiaca)と呼ばれる聖刻文字が刻まれた色彩付きの銅版がもてはやされた。事物が組み合わさり、それがある象徴的な意味をもっていると認知されれば、エジプトの聖刻文字とはまったく関係がなくとも、聖顕図像文字として通用してしまった時代とかんがえるべきなのだろうか。







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2011/08/27

心象風景としてのエンブレム

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エンブレムの揺籃から興隆期は「エンブレムの世紀」(1531年-1647年)という用語で括られるが、この世紀に出版されたエンブレム集の中でもその図像がもっとも精巧で洗練されているものといえば、ファン・フェーン『愛の神アモルたちのエンブレム』(1608年)をはずすことはできない。


 このエンブレムの出版年が、光学原理に依拠し、まるでレンズに映し出したようなオランダ絵画の勃興期にあたっていたことを考えれば、その精巧さは当然といえば当然だろう。しかもフェーン自身はイタリアでの修行留学経験をもち、オランダでは画家ルーベンスの師匠であったから、図像の下絵に指示や修正を求めたことも可能性としては十分にあり得る。 このエンブレム集は、図像が精巧なだけではなく、図像中の美的洗練にも目配りが行き届いているのも言わずもがなである。


 愛の神アモルが何かをしている、まさにその動作が起こっている瞬間を図絵は現代で言うなら写真を思わせるかのように正確にとらえようとしている。アモルは女性から視線を向けられながら、ためらいつつ近づこうする。しかしアモルの手にかかった矢筒のひもを野ウサギ(臆病のシンボル)が引っ張り、近づくのを妨げている。まっすぐに背筋を立てた女性は両手を開いてテラスの欄干に平行にきちんと置いている。背景には直線に走る道ときちんと刈り込まれた樹木が茂る広大な畑が広がっている。女性も風景もいずれも日常世界の一場面を切り出したものだ。しかし女性が見つめているのは同じ歳頃の男性ではなく、愛の神アモルだ。

 フェーンのエンブレム集に収められたこれら図絵の集積体には、精密に計算しぬかれた秩序があるわけではない。にもかかわらず、その集まりには、まるで周回して楽しむ庭園のように、魅力的な変化、ざわめき、軽い驚きがいたるところに出没している。その効果は、文字と図絵を読者の心の空間に向かって軽く打ちこみながらも、読者の側の注意を一時的にそこはかとなく引き留める。いうまでもないが、エンブレムは読みつつ見ながら楽しむものとして制作されている。それは当初から文字を介して見られるための<風景>として作られている。<風景>とは、世界や社会の秩序はこうなっているはずです、もっとよく見て下さい、ここにあるとおりでしょう、といった形で断片化されいるが、世界全体に通じる明瞭で即了解可能なよくわかる道徳的表象ということだ。

 しかし個々のエンブレムが読者の心に誘発する魅力の源泉は、一枚一枚のエンブレムがそうした道徳的表象にリンクしつつ、どのエンブレムも、むしろまるでこの世のものでありながらそうではありえない日常現実から離れた地点へと読者をたぐりよせることにある。その地点は、エンブレム集合体として提示しようと意図されている、硬直したといってもよいような明解な道徳世界とは異質なものであり、またその地点が提示される以前の何となく感じられていた日常の世界とも異なっている。
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作品解説: パス『オウィディウス 変身物語』
原典のタイトルは次の通りである。
METAMORPHOSEon Ouidianarum typi aliquot artificiosissime delineati, ac in gratiam studiosae juuentutis editi per Crispianum Passaeum Zeelandum chalcographum. Anno salutis humanae 1602
オウィディウス『変身物語』に基づく、きわめて精巧に描かれた若干の挿絵: 芸術を愛好する若者の喜びとなるよう、ネーデルランドの銅版画家クリスピン・ドゥ・パスがキリスト歴1602年に出版

クリスピン・ファン・ドゥ・パス(1564-1637)は本人も自負するように、その精工さと柔らかいタッチで、数々の挿絵を出版し、エンブレム本の挿絵をいくつも手がけている。彼の先輩格にあたる銅版画家ヘンドリック・ホルツィウスがそうであったように、他の画家が描いた絵画作品を銅版画にして、それを本の挿絵として出版した。

この著作も、他の画家による原画から銅版画として起こしたものがほとんどといってよい。ただし、銅版画に添えられた短詩は、パス自身による選定になっている。

Opera Emblematum

エンブレム作品集
2017/07/08

ナルキッスス 自己愛

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Cum propriam vidit speciem Narcissus in Vndis,
   Ardere insano coepit amore sui.
Scilicet hoc homines vitio plerumque laborant,
   Vt placeat nimium quilibet ipse sibi.
ナルキッススは波に映る自分の姿を見て、
 自分自身への狂える愛で身を焦がしだした。
人間であるならもちろん大抵は、誰であれ、
自分自身を愛しすぎるというこの悪弊に悩むものだ。



出典『変身物語』3巻(411-490行)

■解説
 河の神に陵辱された妖精(ニンフ)レイリオペが産んだ子ナルキッススは、ハンサムで周囲から愛された。しかし思春期になっても、男性にも女性にも興味を示さず、また水や野山の妖精たちの誘いをことごとく蔑んだ。相手にされないことに憤った若者が、「あの若者も、恋する相手をものにすることができませんように」と祈ったが、その祈りが復讐の女神に聞き届けられた。
 ナルキッススが、あるときに喉の渇きをおぼえ、泉の湧き水に口をつけ飲んだ。飲んでいるうちに、泉に映った自分の姿に魅せられて、その映像にキッスをしたり、抱きついたりするが、もちろん映像が乱れるだけで、思いを果たすことができない。そしてしまいには自分を愛する恋の炎で衰弱し、死んでしまい、黄色い水仙の姿に変わってしまう。
 ナルキッススのように自分自身をあまりにも愛しすぎることを自己愛(英語でナルシシズム Narcissism)というようになった。評者は、自己愛を警告をしているが、これは人間なら誰しも持っているものとして自己愛を持つことをやむなしと考えている節がある。ルネッサンス期のこの評者の見立ては、ルネッサンスより少し遅れて起こったプロテスタントの教理では到底受け入れられない邪欲(コーンスピケンティア)として糾弾している。プロテスタントの創始者ともいうべきルターは、「人は、自己自身を愛すること以外の何事も為すことが出来ない。人は隣人をも、神をも、自己自身のために愛するにすぎない」(北森嘉蔵『愛における自由の問題: ルター『キリスト者の自由』を中心として』)とまで述べている。
 自己愛を拒絶するのではなく、過渡の自己愛を悪弊としつつも、それなりの自己愛はうまく付き合う必要がある相手として、今の私達は考えるが、そうした態度の根には、ルネッサンスの人間観が反映しているといってよい。

08:22
2017/02/07

セメレ― 嫉妬と焼死

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Infelix Semele Iunonis fallitur astu,
Sub specie Beroés se simulantis anum

Atque amplexa Iouem, conflagrat; sospite prole.
Nempe hominum debent vota tenere modum.

セメレ―は不幸にも、乳母ベロエーの姿を借りた
ユーノー女神の策略にはまり、

大神ユッピテルを抱きしめ、燃え上がる。孕んだ子が無事であるために、
人間のやり方で、決め事が守らなくてはならない。

出典『変身物語』3(253-315


解説
 カドモスの娘セメレは、大神ユッピテルの子を身ごもった。ユッピテルの妻である女神ユノーは不倫を重ねるユッピテルを責めようかと考えるが、責めたところでその場かぎりの取り繕いをされ、大神の女漁りは留まることを知らない。それならいっそうのこと、大神の不倫相手であるセメレーを冥府送りにしてやろうと決断する。

ユノー女神は天上から地上に降りると、セメレーの乳母ベロエーの姿をして、長いおしゃべりをする。そしてユッピテルの名が出た折、女神は、本物のユッピテルかどうかを確かめる必要があると説く。確証を得るために、ユッピテルが天上の姿でセメレーを抱擁するようユッピテルに懇願するとよいという。
 その言葉を真に受けたセメレーは、その通りのことをユッピテルに頼む。ユッピテルはあらかじめ彼女の願いはなんでも叶えるといった都合上、その願いを実行せざるをえなくなる。天上の姿の大神は怪物を倒す雷霆を持っている。この姿でセメレーの家に大神が入ると、セメレーは抱擁されるまでもなく、この雷霆の火で焼け死んでしまう。

図像では、この出来事が雲の上の天上で起こっているように描かれている。また乳母の姿のユノーがセメレーと長話をしている場面も、画面左上の雲の上で起こったように描かれている。

図像の右側で、子供を抱いて走り去ろうとしているのは大神ユッピテルだが、この子供こそ酒の神バックス。大神は、セメレーの胎内に宿った子を焼けこがせまいと、セメレーの胎から子供引き出した。その後、大神は自分の太腿にこの子を縫い込み、九ヶ月になるまで育てたという。


07:50 | パス 『オウィディウス 変身物語』 
2016/12/25

アクタエオン 過失から死へ

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Inscius Actaeon vidit sine veste Dianam
Praeda suis canibus non minus ipse fuit. 
アクタエオンは、我知らず、服をまとわぬディアナ女神の姿を目にしてしまった。
そして、自ら、自分の猟犬のまさに餌食となった。

■出典
短詩は『変身物語』3巻138-252行からではなく、同詩人の『悲しみの歌』2巻105-6行

■解説
 フェニキアから父王により追放された王子カドムスは、ギリシアのテーベに都市を建設する。また自分の妃として、軍神マルスと愛の女神ウェヌスの娘ハルモニアを迎え、沢山の子供、そして多くの孫を授かる。流浪から一転して安泰の生活が続いたが、孫アクタエオンに不幸が迫った。 
 若者アクタエオンはいつもの山に多くの猟犬を連れて狩りに出ていた。獲物がたくさん取れたので、昼までに狩りは切り上げ、午後は休息し、明日の狩りへの英気を養うことを仲間に告げる。そしてこの若者は休もうと普段は行かない森の奥へと脚を運んだ。ところがたまたまそこには、泉を擁した洞窟があり、この泉で処女にして狩猟の女神であるディアナが、沐浴する場所であった。そこにさらに偶然が重なった。なんとディアナが侍女たちから着物を脱がせてもらい、水を浴びていたところに、アクタエオンはぶつかってしまったのだ。
 裸体を見られたことに激怒した女神は、その場でアクタエオンを鹿に変身させてしまう。
  鹿になったアクタエオンはどうしていいかわからず森をさまよい出る。ところがまたしても偶然に、自分の猟犬たちが鹿のアクタエオンを見つけ、主人とはわからず飛びかかり噛みつき、アクタエオンを殺してしまう。
01:27 | パス 『オウィディウス 変身物語』