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(形像文化の世界へ)

ようこそ。 西洋文化と日本文化の接点を、誤解と理解という視点から眺めています。

鈴木繁夫

性格不一致の離婚と結婚愛の系譜

性格不一致による離婚は認められると、聖書にもとづき公言した最初のキリスト教徒

ミルトンは、離婚は、二人の関係が破綻しているならば認定されるべきだと主張した。キリスト教では、ひとたび結婚が成立したならば、結婚は不解消というのが基本的立場であった(「マタイ福音書」19章3-12節)。この立場は、カトリック教会はもちろん、プロテスタント教会も踏襲していた。


しかしこうした不解消主義に対して、プロテスタント(ピューリタン)であったミルトンは、結婚がきちんと成立したとしても、離婚は可能である、いや、むしろ結婚が本来の機能を夫婦に果たしていないなら離婚すべきであると、主張した。

結婚解消の可能性を主張したミルトンは、プロテスタントの同胞からも非難され、「離婚論者」divorcer というあだ名を付けられた。


ジョン・ミルトン (1608-1674) イングランド人

Articles

ミルトンの離婚論
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2016/01/28

結婚には心の一致

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死ニ至ルマデ

<死>は、本物の愛により手と手が結びあっている者たちの心を分けることはできない。



このエンブレムでは、<祭壇>の上に<燃えている心臓>が

立っており、それとともに、<髑髏>の下には

密接にしっかりと握り合っている

ようにみえる<愛する手>がある。

この現代版聖刻文字――かくも世俗的なまとまり方をしている

とはいえ――は、ためになることを教え、時宜にこの上もなくかない、

まっとうな判断にもぴったりとしている。

この文字は、<手>と<心臓>とが

その愛おしさに共感しながら、互いに招きあい、

その自然な相手と出会い、聖なる<儀式>により

一つになっていることをあらわしている。

さてこのあと、厳格な<義務>を果たす状況になり、

その<義務>にしたがって、二人はあらゆる点で固く結ばれており、

離別という手段も思いも断ち切って、

その<結合>に死ぬまでとどまらなくてはならない。

であるからには、身分がどうであれ――<結婚指輪>により

<契約>は締結完了しているのだから――次のことを肝に命ぜよ。

誰にも見られていないと思い、自分のはたす信義を偽っても、

そのひそかな過ちはいつの日か曝露されることになる。

やりたい放題のあなた、さあ、気をつけるがよい。――とてつもなく

多くの人々がやっているからといって――自ら進んで

<秘め事>をやっておきながら、あとになって

やってはいないなどといわないように。

身辺に<教会>や<聖堂>がない――やったことを証言する

人間は外にはいない――からといっても、

<不可視の力>がいつでもあなたを見ているし、

あなたの見せかけの<愛>をじっと観察しているから、

<死ぬ>まで真実であり続けないなら、

<死ぬ>まで<虚偽>を悔やむことになる。

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2015/11/25

「離婚論」時代の夫婦模様:放蕩の破綻

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English customs(1628) Folger Shakespeare Library

 床にはパイプ、ラケット、割れた酒びんがちらばり、中央の鵞ペンを刺したインク壺からはインクが床に滴り落ち、それをはさむようにして立つ壺は割れるかかけたりしている。壁にかかっているのはリュートとつば広帽子で恋する男性の象徴。ところが当の男性は、借金の債務文書の山に頭を痛めている。そこに男性の恋人がやってきて、不倫から生まれた赤ん坊(この時代の風習からミイラ巻で顔だけ出ている)を男性に認知するように懇願している。女は、「私を騙したのですから、この子を受け取ってください」というが、男性は、「ほっといてくれ。もうみんな無くなちまったんだ」といって破産を盾にして取り合わない。

この場合、男性が結婚を承諾しないかぎり、この子は当然、非嫡出子のままだし、女性は処女を失ったためにその過去を隠さないかぎり他の男性との正式な結婚はできない。

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2015/01/06

<離婚と結婚> 公開講演会:恋愛と結婚

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David M. Notter (慶応大学・教授)
「恋愛と結婚の前近代・近代・脱近代」

日時:2015年 3月6日(金)午後4:00~6:00
場所: 文系総合館 7 階 オープンホール
  入場無料・ 事前申込不要

09:19 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0)
2014/11/19

<離婚と結婚> 公開講演会:家族法の再考

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Elisabeth Alofs (Prof., Vrije Universiteit Brussel)
The (De-)contractualisation of Family Law
(通訳付)

日時: 12月1日(月) 午後1時~2時30分
場所: 文系総合館 7 階 オープンホール

詳しくはこちらをクリック
KakenLecture_Alofs_2014A401.pdf
09:15 | 投票する | 投票数(1) | コメント(0)
2014/10/06

<離婚と結婚> 公開講演会:結婚の絆と聖書

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ホアン・マシア (元 上智大学・教授)
「結婚の絆に関する法学者と宗教者の対立:聖書物語を読み直す哲学の考察」

日時: 11月18日(火)午後3:30~5:30
場所: 文系総合館 7 階 オープンホール

詳しくはこちらをクリック
KakenLecture_Masia_2014A401.pdf


09:11 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0)
2014/09/23

<離婚と結婚> 公開講演会: 「現代日本における別れの理由」

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谷本奈穂 (関西大学・教授)
「現代日本における別れの理由」

日時: 10月29日(水) 午後3時~5時
場所: 文系総合館 7 階 オープンホール


詳しくはこちらをクリック
KakenLecture_tanimoto_2014A401.pdf   
08:54 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0)
2014/05/09

<離婚と結婚> 公開講演会:ヴィクトリア朝の結婚の幸福

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木村晶子 (早稲田大学・教授)
「ヴィクトリア朝小説における結婚の幸福:
ギャスケル、ブロンテ、G・エリオットの作品から」

日時: 6月21日(土) 午後1時~3時
場所: 文系総合館 7 階 オープンホール
入場無料・ 事前申込不要
詳しくはこちらをクリック
KakenLecture_Kimura_2014A401.pdfKakenLecture_Kimura_2014A401.pdf

当日までの準備として、次の小説を読んでおくことを強くお勧めします。
(1)『ギャスケル短篇集』(岩波文庫)
(2) 『ジェーン・エア』(新潮文庫)

13:38 | 投票する | 投票数(1) | コメント(0)
2014/04/14

<離婚と結婚> 公開講演会:ヘンリー八世

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小田原謠子 (中京大学・教授)
「ヘンリー八世とキャサリンとアン:
16世紀イングランドの結婚と離婚」

日時: 4月22日(火) 午後3時~5時
場所: 文系総合館 7 階 オープンホール
入場無料・ 事前申込不要

詳しくはこちらをクリック
KakenLecture_odawara_2014A404.pdf
22:36 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0)
2014/02/18

<離婚と結婚>公開講演会:ジェーン・オースティン『自負と偏見』

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川口能久 (立命館大学・教授)
「結婚とは何か: ジェイン・オースティンの  小説における結婚」

日時: 3月5日 午後1時30分~3時30分
場所: 文系総合館6 階 ( 613 教室)
入場無料・ 事前申込不要

詳しくはこちらをクリック
KakenLecture_kawaguchi_2014A405.pdf
22:39 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0)
2013/06/02

■「結婚」と「離婚」に関係する『聖書』(共同訳)の主要箇所

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■■「結婚」と「離婚」に関係する『聖書』(共同訳)の主要箇所■■
 ●「創世記」1章27節, 2章18-24節 §1:27 
§神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。 §2:18-2:24 §2:18 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」2:19 主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。 2:20 人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。 2:21 主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。 2:22 そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、 2:23 人は言った。「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」 2:24 こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。 

●「申命記」24章1-4節 
§24:1 人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる。 24:2 その女が家を出て行き、別の人の妻となり、 24:3 次の夫も彼女を嫌って離縁状を書き、それを手に渡して家を去らせるか、あるいは彼女をめとって妻とした次の夫が死んだならば、 24:4 彼女は汚されているのだから、彼女を去らせた最初の夫は、彼女を再び妻にすることはできない。これは主の御前にいとうべきことである。あなたの神、主が嗣業として与えられる土地を罪で汚してはならない。 

●「マラキ書」2:16 
§2:16 わたしは離婚を憎むと/イスラエルの神、主は言われる。離婚する人は、不法でその上着を覆っていると/万軍の主は言われる。あなたたちは自分の霊に気をつけるがよい。あなたたちは裏切ってはならない。 

●「マタイ福音書」5章31-32節 
§5:31 「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。 5:32 しかし、わたしは言っておく。不法な結婚[欽定訳聖書「不品行」、ラテン語訳聖書 “excepta fornicationis causa”]でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」 

●「マタイ福音書」19章3-12節 
§19:3 ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と言った。 19:4 イエスはお答えになった。「あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」 19:5 そして、こうも言われた。「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。 19:6 だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」 19:7 すると、彼らはイエスに言った。「では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか。」 19:8 イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。 19:9 言っておくが、不法な結婚[欽定訳聖書「不品行」、ラテン語訳聖書 “excepta fornicationis causa”]でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる。」 19:10 弟子たちは、「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」と言った。 19:11 イエスは言われた。「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。 19:12 結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」 

●「第一コリント書」7章5-10節 
§7:5 互いに相手を拒んではいけません。ただ、納得しあったうえで、専ら祈りに時を過ごすためにしばらく別れ、また一緒になるというなら話は別です。あなたがたが自分を抑制する力がないのに乗じて、サタンが誘惑しないともかぎらないからです。 7:6 もっとも、わたしは、そうしても差し支えないと言うのであって、そうしなさい、と命じるつもりはありません。 7:7 わたしとしては、皆がわたしのように独りでいてほしい。しかし、人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから、人によって生き方が違います。 7:8 未婚者とやもめに言いますが、皆わたしのように独りでいるのがよいでしょう。 7:9 しかし、自分を抑制できなければ結婚しなさい。情欲に身を焦がすよりは、結婚した方がましだからです。 7:10 更に、既婚者に命じます。妻は夫と別れてはいけない。こう命じるのは、わたしではなく、主です。 § なお、7:9は、英訳とラテン語訳は以下の通り。 §But if you cannot restrain your desires, go ahead and marry―it is better to marry than to burn with passion. §「欲求を抑制できないなら、さあどうぞ結婚なさい。情欲で身を焦がすよりも結婚する方がよい」 §quod si non se continent nubant melius est enim nubere quam uri §「もしも満足できないなら、結婚しなさい。情欲に身を焦がされるよりは結婚する方がよい。」(ウルガタ) 

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上記以外で、ミルトンが、性格不一致による離婚は許可されるとしている聖句


●「箴言」3021, 23
(21)三つのことに大地は震え
四つのことに耐ええない。
(23)憎むべき女が夫を持つこと
はしためが女主人を継ぐこと。

●「集会の書」9章9節
(9)太陽の下、与えられた空しい人生の日々
愛する妻と共に楽しく生きるがよい。
それが、太陽の下で労苦するあなたへの
人生と労苦の報いなのだ。
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Common expositors in the 16th and 17th century

ミルトン離婚論と16-17世紀の聖書釈義
2014/08/20

「申命記」24章1-4節

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●「申命記」241-4

24:1人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる。

24:2その女が家を出て行き、別の人の妻となり、

24:3次の夫も彼女を嫌って離縁状を書き、それを手に渡して家を去らせるか、あるいは彼女をめとって妻とした次の夫が死んだならば、

24:4彼女は汚されているのだから、彼女を去らせた最初の夫は、彼女を再び妻にすることはできない。これは主の御前にいとうべきことである。

カルヴァン

■出典:Calvin,The Adultero-GermanInterim, 21. Calvin: Tracts and Treatises Volume 3 Page Break 218)

 

離婚をモーゼはイスラエルの民に許したが、それは彼らの心がかたくなであったためだった。妻が夫に憎まれた場合に、夫が新たに結婚する道を切り開こうと、妻殺しに走り、妻が殺されるよりも妻は追い出されるほうが邪悪の度合いが低いと考えたのであった。

ファーギウス

 

■出典:Pearson_John-Critici_sacri_sive_Doctissimorum-Wing-P994A-894_6_v_1_3,1306-1307 

Quare hinc liquet permitti divortium, &morosis maritsi praecipi, non simpliciter, sed ob duritian cordis.

ですから、この箇所から、離婚は、単純にではなく、かたくなな心からという理由で[「マタイ福音書」19:8]許可されていることが明白であり、またやりたい放題の夫に離婚規制をかけていることも明白です。

Tot enim circumstantiis repudium oneratur,ut maritus alicujus spei facile admoneretur primae institutionis, ac mutandaede repudio voluntatis.

離別は、数多くの状況の重荷を背負わされていますが、たとえば、夫は源制[心と肉において一つになること]への希望を思い出したり、離別により気持ちが変わるといったことがあります。

An non gravate repudium admittat? Datolibello repudii, Lex utrique potestatem facit novum jugendi matrimonium suoarbitratu: Quod hodie Jura Ecclesiastica non admittunt; vetant enim utriquealteras nuptias.

律法は離婚はやむをえなく認めているのでしょうか。離縁状を与えたのち、律法は、男女どちらの側からも自らの意志にしたがって新たな婚姻を結ぶことを許しております。ところがそれは現在の教会裁判所では許されておらず、どちらの側も新たに結婚することを禁じております。
Lex dei in subsidium humanae imbecillitatisdivortium permisit.Non enim cuivis datum est coelibem agere vitam,Christo attestante. Quod Christus libellum repudii antiquaverit, &negaverit suis, nihil obstat.[Nam qui Spiritu illius ad innocentiamrevocati sunt, connubia ex Deo, ejusque ope instituunt. Deinde, molestiasuxorias longanimitate tolerant, quas voluntate Patris excitatas credunt,adeoque mortificationis stadium profitentur.]. Quid hoc ad vulgum, qui adillud perfectionis nondum est eluctatus. [Certum est, initio non sic fuit:at miser atque crassior nondum ad initia reductus est:] Igitur inferioribusproposita medicina non aspernetur.
神の法[律法]は人間[ユダヤ人]の弱さを助けるために離婚を許しています。キリストが証言しているように、独身の生活を送ることは誰にでもできるわけではありません[「マタイ福音書」19:12]。キリストが離縁状を認めず、その民には[離婚を]許していないこと[「マタイ福音書」19:8]とは、なんら矛盾しません。【なぜなら主の霊によって罪なきものへと呼び戻された人々[キリスト教徒]は、神とそして神のみ業によって結婚をするからです。長く苦しみながらももうざい妻に耐え、そういう妻は父なる神の意志によっているのだと信じ、苦しみの競技場にいると公に述べてすらいます。】このことがどうして、努力してあの完成の域にいまだに進んでいない群衆[モーゼ時代のユダヤ人]に向けられるでしょうか。【たしかなのは、結婚はその起源においては耐えるものではなく、また哀れで愚かな人々[ユダヤ人]は結婚の秘儀に加われなかったということです。】だから劣った者たち[ユダヤ人]に示された治療は一笑に付すべきではないのです。【つまり劣ったユダヤ人には離婚は可、キリスト教徒には離婚不可。】

[Proposuerunt Pharisaei hanc quaestionem maligno animo, ut tentarent Christum: at ille mansuete respondit, & non tacuit propter malos veritatem ipsam, adducens scilicet ex Genesi primam hominis creationem, nempe quod Deus creaverti eos in carnem unam, h.e. ut censeantur velut unus homo, & in hac conjunction vir fit caput; & quos Deus ita conjunxit, homo illos separere non debet. Et ex eo patet quod non licet marito ob quamcunque causam, justam vel injustam, repudiare uxorem: multo minus licet uxori. Quod autem Moses jussit dari libellum repudii, ex eo non arguitur licitum esse uxoris repudium: sed si quis[=quae] ob duritiam cordis nolit illi commodum exhibere maritum, jam authroitate non propria sed magistratus licebit hodie, ut olim, dare libellum repudii.]パリサイ人たちはこの点をついて、キリストを試みようとする悪意から質問をしました。穏やかにキリストは回答し、悪の下にあっても真理そのものを黙らせず、まさしく「創世記」から人間の最初の創造を引用しながら、「神は二人をひとつの肉へと創造された」、すなわち一人の人間として見なされ、その結びつきにおいて男が頭となり、「神がそのように結びつけた二人を人が離してはならない」と述べたのです。この言葉から、正当な理由であれ不当な理由であれ、いかなる理由にせよ、夫が妻と離縁することは許されないし、ましてや妻が夫と離縁するは許されていないことが明らかです。しかしモーゼが離縁状を与えよと命じていたことから、妻を離縁することが許されていたことは導かれません。ある人が、夫は妻にふさわしいと判断しないからといって、その人の個人的権威によってではなく長上者の権威によってではありますが、離縁状を渡すことが、かつてのように現在でも許されることになってしまうでしょう。【しかし離縁状を渡すことは現在、許されていない。】

[Nec jam homo illos ab invicem separate, sed Deus per legem repudii Mosi datam illos separat. Quid enim prohibere potest quin Magistratus, cujus imperio externa subjecta sunt, tales ab invicem separet, aut periculo exima, quorum animi jam sunt separati, & alter vivit in perpetuo cruciatu & gravissiomo periculo? Praesertim cum officium Magistratus sit curare ut commode & tranquille in repub. vivature. Interim tamen adulterii resu sit, qui animo suo illam ob duritiam cordis sui abjecit.]. . Et quando Christus subiicit in sua responsione, Qui repudiatam duxerit, adulterium committit, id intelligendum est de eo, qui in fraudem prioris matrimonii repudiatam duxerit.

まさに人間が夫婦それぞれを離縁させているのではなく、モーゼが授与した離婚法を介することによって神が二人を離縁させるのです。[内心にかかわることではなく]外面のことは長上者モーゼの権威に服しているのですから、すでに夫婦の心が離ればなれになっていて、夫婦の一方が間断なく続く苦しみを受けながら重大な危険にさらされて生きるなら、夫婦同士を為政者が離縁させるなり、危険を取り去ってやるなりすることになんの妨げがありうるでしょうか。長上者[モーゼ ここは大文字が書かれていて、直前の神と対照されている]のつとめとは、共同体において人間が気持ちよく静かに生活できるように配慮することにあるとするなら、なおさらのことです。しかしその一方で、心がかたくななために[為政者の権威によらず]自分の判断で妻を捨てた者は姦淫を犯した者となります。キリストが、「離縁された女をめとるような男は姦淫を犯している」という回答を相手に突きつけたとき、そこでいっているのは、離縁された女を前の結婚での不義へと導くような男[再婚する妻に再び姦淫を犯させるような男]と理解すべきなのです。放蕩目的ではない何らかの理由から、夫婦が別居することになり、夫が妻を去らせたり、、妻が夫とはちがう道を行く場合には、二人が和解するか、さもなければどちらかが断罪をうける危険にさらされて生活することがないようなあらゆる方策がこうじられなくてはなりません。

パラエウス

離縁ないし離婚は、パリサイ人が「マタイ福音書」19章7節で言及しているように、命じられていたのではなく、それらは市民法上の譲歩として指示されていた。現在では法律上、離婚は容易にはできないようになっている。離婚はさまざまな事由から承認さるが、その事由についてはイエス・キリストがパリサイ人に囲まれて議論している。どのような事由が結婚の床を解消し、またどのような事由が結婚の絆を解消するのかと。ユースティーニアース帝『新勅法』第22条「婚姻について」。聖書は、姦淫と遺棄の二つの事由、あるいは異教徒の配偶者がキリスト教徒の配偶者から別離するという事由以外では離婚を許可していない。「申命記」24章1節。


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2014/05/26

「創世記」1章27節

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1:27神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。

So  God   created   human  beings,   making   them  to   be   like  himself.   He   created  them   male  and   female,

パーレウス

u27masculum & faeminamcreavit]馬鹿げたユダヤ教徒たちが不遜にも語っているように、男女両性をもった一人の半陰陽者(ヘルマフロディタス)ということではない。男女両性をまとった一人であり、最初は大地の一部から男を、次に男のあばら骨から女、つまり性が異なった二人を創った。だから「彼らをמ ח ר אとして創造した」と複数形になっている。パウロは「第一コリント書」2章[117節]でただ男だけを神の似姿とよんでいるのも、単純にそうだからというのではなく、支配関係という理由からである。あらゆるものの支配権は女性にすらもあるのですが、女性は男性に従属するものなのです。(『モーゼ「創世記」への注解』284-285ページ)

【参考】「第一コリント書」117-9節:「男は神の姿と栄光を映す者ですから、頭に物をかぶるべきではありません。しかし、女は男の栄光を映す者です。というのは、男が女から出て来たのではなく、女が男から出て来たのだし、男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです」。

 

ファーギウス

u27 homines]ヘブライ語の原語では、人間と単数形でも、複数形で種をあらわすという意味で人間たちと複数形にでも訳すことができる。一人の人間において人間という全種がはじまった。ユダヤ教徒は、神格のペルソナが聖三位sacrisabctam Personarum in Divinis Trinitatemであると口にすることは許されていないのでne cogantur、この箇所にはさまざまな註釈を加えている。ソロモン王は

 

 

NOTAEMAJORES

u27 Masculum & faeminam]この箇所にたいして、男人間(homo)という名称によって女性を排除する女性嫌い(misogunoi)があるなどとはいえるわけはない。この箇所から人間(homo)は最初は半陰陽者(ヘルマフロディタス)両性具有(アンドロギュヌス)、つまり男にして女であったであったと類推するのは誤っている。人間(homo)は最初は二つの顔をもっていて、後に神が分けたのだという人々も誤っている。というのもここに続いて、「彼を」ではなく「彼らを創造した」となっているからだ。

 

グローティウス

27 Masculum & faeminam creavit eos]この箇所についてのラビたちの解釈と、プラトンが『饗宴』のなかで述べている説明とが一致するというのには驚きだ。そういう解釈の出所がどこからであるにせよ、その解釈は空論であると疑わざるをえない。

 

 

クリストファー・カートライト

マナセス[コンスタンティヌス・マナセスMANASSES, CONSTANTINUS12世紀中葉の歴史家]は『歴史提要』中の「創世記」にかんする問8において、該当箇所はヘブライ人の間では、女は現実態としてではなく可能態として「あのあばら骨のなかに」、男とともに創造されたのであり、神は後にそこからエバを形作ったのだと解釈されていると報告している。しかし別説ではアダムとエバとは始源において別々の肉体としてあり、声によって男と女と指示されている肉体がアダムとよばれていたとも報告している。したがって、「そして彼のあばら骨から一人の女を取り出した」という読みは、「彼の脇腹から一つの体を」という意見に

Critici Sacri, 51.

 

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2014/05/26

「創世記」2章18-2:24節

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2:18主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」

2:19主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。

2:20人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。

2:21主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。

2:22そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、

2:23人は言った。「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」

2:24こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一つの肉となる。

 

ブリンガー

「独りでいるのは良くない。」[2:18u[主が連れてこられた]すべての被造物のなかに、人は自分自身と結びつくのにふさわしい相手、自分の心を虜にする相手、自分に似た相手を見つけなかったし、また助け手にして慰め手である者として一緒に住みうる相手を見つけなかった。こういう事態にあって、神は「人が一人でいるのはよくない」といったのであった。

「あばら骨で女を造り上げられた。」[2:21u「こうしたやり方によって、神は人のために、人に似ており人にふさわしい同伴者(コンパニオン)を作った。」

「一つの肉となる」[2:24u

 

カルヴァン

uこの聖句はたんにこの意味があるに過ぎない。人(男)が一人でいるのはよくないのだから、妻は夫にとっての助け手となるように人のために妻を創造した。

★→←★

 

パーレウス

「肉の肉」[2:18u本性の相互の交わりと婚姻の掟とが、配偶者同士の手に入り、交わりと掟によって配偶者はひとつの肉となる。……。

婚姻の絆がひとたび形となれば、変えられず解くこともできない。そしてまさに二人の間では「二つはひとつの肉になる」。他方でそのひとつの肉は引き裂かれることがあるべきではない。婚姻の開始については精妙にまるで命令のように受けいれる人もいるし、開始を同居に結びつける人、さらには肉の交合に結びつける人もいる。……複数婚が法に反するように、離婚も法に反している。キリストが解釈し許している売春行為をするか遺棄をするかという理由以外でもし離婚するようなら、その離婚は悪そのものとして責められるべきものです。「マタイ福音書」19章にあるように、キリストは、神が寛恕してだけで公認してはいない、ユダヤ教徒たちの複数婚をまず非難し、……さらに離婚することを批判し、神が結びつけた配偶者たちが人間の力で引き離されるなら、神の掟を覆すことになると宣言しております。

すなわち妻は夫に従い、また夫は妻を愛するようにと勧められているのです。第一に、両者がひとつの肉になる、つまりひとつの肉から生じたものになること、また血のつながりある子孫という合法的な起源を帯びるようになるという婚姻の本性にしたがってそう勧められています。このことはアダムの言葉が示しております。「男は父母を離れて女と結ばれる」。第二に、自分の肉のようにご自分の教会を愛しておられ、またその教会が従属しているキリストの範例にしたがって勧められております。教会が述べているように、私たちはキリストの肉、キリストの骨から成っているキリストの肢体なのです。そういえるのはまさしく二つの理由からです。[神の]言葉が肉となったときに、神の子はひとつの人格として私たち人間の肉と結びついたからです[「ヨハネ福音書」11-3節]。またキリストは聖霊を通してご自分の体の一部のように私たちをまとい、愛し、生かしてくだりながら、私たちとひとつになっているからです。(『モーゼ「創世記」への注解』467-468471473ページ

論題■神によって聖別されている婚姻の目的とは、夫と妻とが相互の助け手として、……子孫を産むことだけではなく、むしろ神がおっしゃっているご命令である密接な交流societatem、生命と自発意思との分かちがたい交流commercium、義務、労働、家政の平等な共有communicationem、そして最後にあらゆる[情欲に負ける]弱さと汚れにたいする清浄な援助remediumのためにあるのです。……婚姻は有用であるばかりか、その値打ちと必要性がどれほど大きいものかは明白です。ですからまさに情欲を発散するために婚姻を結ぶ人々は、婚姻がなんであり、どんな理由からこの大いなる制度が打ち立てられたのかを知らないことは明白ですし、また神の聖なる定めを非常に汚しているのを知らないことも明白です。それに劣らず、eundem破滅へと向かうviolareあの配偶者たちは、

不誠実によって婚姻の絆を解消したり、あるいはお互い助け合うかわりに憎悪、罵倒、意地悪をして互いに苦悶のなかにいる

『モーゼ「創世記」への注解』482ページ

 

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