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(形像文化の世界へ)

ようこそ。 西洋文化と日本文化の接点を、誤解と理解という視点から眺めています。

鈴木繁夫
 

英語感覚

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2017/12/26

can: 実現の可能性

Tweet ThisSend to Facebook | by geoschita

このペアの違いはほとんどどの辞書にも載っていますが、違いの説明のほとんどはそれぞれの語の時制における形の話ばかりで、未来形ではどういう形か、過去形ではどういう形になるかといったことが説明されているだけです。日本人である私たちはそういう説明はわかりきっています。むしろこのペアの意味はどう違うのか、イコールではないとするとどう違うのかが知りたいわけです。

canは能力を示すのではなく、現時点での実現可能性という説明があります。能力と実現可能性がどう違うのでしょうか。ガールフレンドと夏に浜辺に出かけました。しかしパラソルを立てても風で飛ばされそうになるし、落ちていたガラスの破片で脚を切りそうになるし、ロマンチックな気分にはとてもなれません。そこで浜辺の遠出から戻った翌日に、同僚にぼやきます。

 

I discovered how exhausting going to the beach with a girlfriend can be.

 

これは疲れることになることもあれば、そうでないこともあるということです。つまり楽しくロマンチック気分に浮かれる実現可能性を話し手は否定していないのです。もしもcan beでなくisとすると、必ず疲れるものだという断定になり、浮かれる可能性が出てきません。

さて浜辺に懲りたので、今度は映画に彼女を誘うことにしました。ところがなんと彼女はホラーものが好きで、気の弱い私にはとても一緒に見る気になれません。そこで今はどの映画を見るかをいわずに、週末に誘って実際に会ってから決めることにします。しかし彼女がホラーを見たい気分を害してはなりません。そこで威力を発揮するのがcanです。

 

I’ll pick you up on Saturday, and then we can talk about what movie to see?

 

その時になってからあらためて話し合おうというならwe willとなりますが、canを使うことで、その時になってから話し合うことになるかもしれないし、君のホラー好きをよくよく考えてもう土曜日にあった時点ではホラーに決まっているという可能性もあるのです。

このようにcanは実現の可能性にかかわりますが、それだけではありません。まだメタボリックではないのですがお腹の筋肉が出てきていわゆる何段腹(flat tiers)になってきそうで、

I can’t keep up with youth fashions anymore.

 

これは若者が着ているような派手なデザインや色の水着を着る能力があるなしということも含まれていますが、着ようと思えば着られるその可能性がなくなっているというのです。

アジア系の彼女はフルタイムではたらける事務職につくことができました。最近の日本人女性とは違って、きめ細かくていねいに、それもどのような仕事も気持ちよく引き受けるので、会社ではとてもかわいがられます。しかし日本人男性の悪い癖で、そういう気のよい彼女に次から次と仕事を回してしまいます。私は彼女の話を聞くにつれ、

I’m glad to hear you’re enjoying your job

といいつつも、次のように付け加えてしまいました。

 

I know it can be difficult to raise the issue of your pay raise with your supervisors.

上司に対して昇給の問題を持ち出すのは難しいことはわかっています。

 

この場合のcanはどういう意味でしょうか。もしもここで

I know it is difficult to raise the issue of your pay raise with your supervisors.

 

といってしまえば、昇給の話をするのは客観的に難しく、難しいことを断定していることなります。しかしここでcan be difficultとすることで、「現時点での実現可能性」もあるかなという謙虚なメッセージになります。

 

そこで問題になるのが、「上海に行ったら摩天楼がたくさんみられる」とか、「ディスニーランドに行ったらスペース・マウンテンが楽しめる」といったように、

上海に行く→摩天楼が見られる

ディスニーランドに行く→スペース・マウンテンが楽しめる

 

といったように「見られる」や「楽しめる」の実現可能性については、canは使うとやや傲慢なニュアンスを含んでしまいます。

 

You can see alot of skyscrapers in Shanghais.

You can find alot of skyscrapers in Shanghais.

You can enjoySpace Mountain in Tokyo Disneyland.

 

Shanghais hasbeen filled with a lot of skyscrapers.

Tokyo Disneyland features enchanting Space Mountain.

 

のようになります。

これは「見る」、「楽しむ」という行為に、話し手の主観として、君には見たり楽しんだりする実現可能性があるという意見が入ると、あたかも話し手は相手に向かって、どういうことを楽しめ、どういうことが楽しめないのかということを知っていて助言しているという感じになります。

私の経験では、最初にアメリカに行った頃には、日本人がアメリカ人には珍しく映る時代で、ウィスコンシンの田舎のビジネスマンがわざわざアメリカ的なレストランに連れて行ってくれました。レストランにはいると、雑然としているにもかかわらず清潔な雰囲気でした。とても珍しかったのですが、その押しの強いアメリカ人がメニューを見て指さしながら

You can enjoy any of these vegetarian foods.

といったときに、なんだか少しいやな気持ちになりました。

これは、俺はこのレストランにこれまで何度も来ていろいろと食べてきたから、味は知っている。お前は初めてだろうから、なにがなんだかわからない。でもなぁ、このメニューの「ベジタリアン料理」に載っている食事は前に試したことがあるから、味はまあまあ、君の口に合うだろうという少しばかりの高慢さが漂う言い方だからです。

グーグルでyou can enjoyyou can seeを検索してみると160万件ありますが、最初の150例を見てみるとそのほとんが日本人作成のサイトからの引用です。ネイティブ作成のサイトにもyoucan enjoyがありますが、それは

With outdoor lighting you can enjoy your garden into the evening hours.

庭灯があれば夜でも庭が楽しめる

You can see the Milky Way clearly with using this telescope.

この天体望遠鏡を使えば天の川がはっきりみえます

 

というように明らかに実現の可能性にかんすることです。つまり本来はそういうことができないのだが、なにかの助けを借りることによって、楽しむことができるようになるというような場合に使われます。

see, find, enjoyはそもそも誰にも実現可能性があるわけで、そうなると実現可能性の有無を問題にする自体が不自然なわけで、さきほどのような傲慢な雰囲気が出てきてしまいます。


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