Top Page (誤解と理解)

 Home Page
(形像文化の世界へ)

ようこそ。 西洋文化と日本文化の接点を、誤解と理解という視点から眺めています。

鈴木繁夫
 

お知らせ

■同一の歌・篇あるいは同一の巻からの記事の場合、最初の段落はほぼ同じ内容が記載されていることがあります。
■ラテン語はローマ字読みでも西欧人に通じます。しかし、ラテン語の母音は長く読むものがあり、それをきちんと踏まえた方が正確な読みに近づきます。また詩では、韻律の関係から、単語の末尾の母音などが省略されることがあります。読み方に<詩>とあるのは、韻律を踏まえた読み方です。
 

Witty Remarks in Latin

ラテン語格言 >> 記事詳細

2019/02/25

顔に出る

Tweet ThisSend to Facebook | by geoschita
Quam difficile est, crimen non prodere vultu.
クワム・ディッフィキレ・エスト・クリーメン・ノーン・プローデレ・ウルトゥー
「罪を顔に表さないことはなんと難しいことか。」(オウィディウス『変身物語』2巻447行).

あるときユッピテル大神はアルカディアの乙女カッルリストー[カリスト]を一目見るなり気に入ってしまい、浮気が妻のユーノー女神にバレることがあっても、この乙女と交わりたいと思う。ユッピテルは乙女が信奉のする処女の女神ディアナの姿に?身すると、乙女に近づき、乙女を騙し、抵抗する乙女を力づくで自分のものとする。乙女は、その後、本物のディアナ女神のもとに戻るが、処女を失った罪への在籍感から、これまでのように乙女の近づくことができず、伏し目がちになる。引用の言葉はそうしたカッルリストーの態度を評したもの。
 日本では「性格が顔に出る」、「生き方が顔に出る」というが、その一方で、「心は顔に似ない」、「顔と心は裏表」、「顔と心は雪と墨」のようにその人の性格や生き方はそのまま顔の人相に反映されないという見方もある。しかしなにか犯罪を犯したなら、「様子がおかしい」ということになるが、それは挙動が不審ということの他に、表情がいつもと違うという意味で、それを引用の言葉はずばり言い当てている。
 
ディアナ女神のもとで、妊娠を暴かれるカッリストー
(ヒッリス・クウィニエット 1580年)
06:12 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0)