Omne tulitpunctum qui miscuit utile dulci.
オムネ・トゥリット・プンクトゥム・クゥイー・ミースクゥイト・ウーティレ・ドゥルキー
「面白さに有益さを交えた作家は満票をさらった。」(ホラーティウス『詩論』343行)
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ローマ人はギリシア人と違って、なんであれものは役に立たなくてはならないと小さい頃から教えられている。詩文も例外ではなく、老若の差なく市民全体からこれはいいと太鼓判を押され、著名になった作品には、読んでまた聴いて心地が良いだけでは不十分なのだ。そこには、よりよく生きるための指針などといった有益なアドバイスがこめられていなくてはならない。
文革に抵抗した中国作家・巴金(ばきん)は、「作家は人間の魂の技術者だ。よい作品は人を助け、前進するよう励まし、人々に備わっている素晴らしいものを一層かきたてることができる。」(「祝賀与希望」)と述べて、よい作品には教導的な要素があることを支持している。しかし同時代の日本の作家・批評家である澁澤龍彦は、「人生の求道やら何やらを作品のなかに持ちこむことなどは、要するに田舎者の小説家の勘違いにすぎない。」(『偏愛的作家論』1978年)といい、教導は文学とは本来なじまないのだと述べている。