Videomeliora proboque, deteriora sequor.
ウィデオー・メリオーラ・プロボーケ・デーテリーオラ・セクオル
「よりよいことはわかっていてそれを良しとしても、より悪いことに従ってしまう。」(オウィディウス『変身物語』7巻20行)
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イアーソーンに恋する王女メデーアーの独白。ギリシアのテッサリア地方の王子イアーソーンは、黄金の羊皮を手に入れるべく、ギリシア各地から募った勇士を引き連れて、コルキス(現在のグルジアの西、黒海の東岸沿いの小国)に向かう。コルキスに行くには、エーゲ海を通り、マルマラ海を抜けて、ボスポラス海峡を通過し、黒海の南西端に入り、そこからさらに黒海東岸までの遠距離航海が必要だった。その苦難を乗り越えて、イアーソーン一行(その船名アルゴーから「アルゴナウタエ」と呼ばれる)はコルキスに到着し、王アエエーテースに黄金の羊皮を求めた。ところが王は、羊皮が欲しいならと、イアーソーンが確実に命を落とす難題を出し、その課題達成の後に羊皮を渡すと約束する。イアーソーンに一目惚れしてしまった、王アエエーテースの娘メデーアーは、イアーソーンを助けるべく魔法薬を与える。
メデーアーの独白は、通常の理性的判断は恋心には無力であることを示している。よりよいこととは、外国人であるイアーソーンへの恋心を捨て、祖国の男性と結婚すること、それに対してより悪いこととは、父親の意図を無視してイアーソーンを救い、その暁に結婚し、コルキスを去ること。
メデーアーの直截な独白は、愛は常識的判断を覆す、さらに広くいえば、感情が一般認識に優位に立つとも理解される。ところがこうした優位は、近代人にはなかなか受け入れがたいことであったようだ。哲学者スピノザは、近代からポストモダンに至るまで多大な影響を与えている『倫理学』のなかで、この独白を3度も引用している。またホッブス、ロックもそれぞれこの独白を引用している。
日本では、メデーアーの独白を裏書きするかのように、好色物にも手を染めた井原西鶴は、「欲は人の常なり、恋は人の外なり。」(『本朝二十不孝』(1686年) 二・三)といっている。欲望にふけるのはどんな人間にも見られるが、恋というものは人間の分別・意志によって抑えきれないものであると教えている。とはいえ、醒めた近代人・芥川龍之介は、「我々を恋愛から救うものは理性よりもむしろ多忙である。……ウェルテル、ロミオ、トリスタン―古来の恋人を考えて見ても、彼らはみな閑人ばかりである。」(『侏儒の言葉』(1923~27年))と皮肉っている。男性の名前ばかりだが、メデーアー、そしてアエネーアースに恋したカルターゴーの女王ディードーを子男に付け加えてもよいだろう。

メデーアー(1世紀頃・ナポリ考古学博物館