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(形像文化の世界へ)

ようこそ。 西洋文化と日本文化の接点を、誤解と理解という視点から眺めています。

鈴木繁夫
 

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2011年5月17日開始

紹介

鈴木繁夫
名古屋大学大学院 名誉教授
国際言語文化研究科 (2015年退職)

■学歴
上智大学文学部卒業
大阪大学文学部博士後期課程満期退学

■留学
ウィスコンシン大学大学院 (Rotary Foundation Scholarship)
ハーバード大学客員研究員 (Harvard Yenching Scholarship)
オックスフォード大学客員研究員(文科省海外先進教育研究実践支援プログラム)

■主要著作

Milton in Context(Cambridge University Press,  2010年)共著〔米国Irene Samuel 賞受賞〕

『考える英語習得: アクション・インクワイアリーからグローシアン英語へ』(英宝社, 2007年)

Milton, Rights, and Liberties(Peter Lang,  2006年)共著

『フーコーの投機体験―『これはパイプでない』探求』(渓水社,  2005年)




 

Misunderstanding can go both ways


2019/11/30new

マッカーサー証言「日本人12歳」の意図

Tweet ThisSend to Facebook | by geoschita

 


20世紀末の日本では、20世紀の最大の歴史的出来事であった太平洋戦争・大東亜戦争について、その戦争はそれまで主張されてきたほどに邪悪なものではなく、また国史上でも真っ黒な汚点とのみ評価するのは、「自虐史観」だということが喧伝された。事実、あの戦争について一方的な「自虐史観」の呪縛から国民を解き、啓蒙しようとする中学生向け教科書が文科省の検定を通過した。

うした修正史観に立つせよ、長らく支配的であった「自虐史観」に与するせよ、戦争突入への契機、戦争推進の画策者、戦意高揚の協力者、戦闘中や統治下の残虐行為や蛮行を行った軍人・兵士などを論じる際に、ほとんど必ずといってよいほど頭によぎるのは、東京で占領政策を指導した司令官ダグラス・マッカーサーの「日本人十二歳論」である。、その戦争はそれまで主張されてきたほどに邪悪なものではなく、また国史上でも真っ黒な汚点とのみ評価するのは、「自虐史観」だということが喧伝された。事実、あの戦争について一方的な「自虐史観」の呪縛から国民を解き、啓蒙しようとする中学生向け教科書が文科省の検定を通過した。

 日本の歴史を、言霊への自覚的な信念、穢れへの敏感な意識、怨霊への深い恐れ、和への執着という観点から読み直す作業を続け、日本史を一般読者にわかりやすい文体で物語る井沢元彦は、次のように述べている。

 

半世紀以上前、戦争に敗れた日本人に「民主主義」を指導した、司令官ダグラス・マッカーサーは、「日本人十二歳論」を唱えた。正確に言えば議会での質問に答えて「アングロ・サクソンは(科学や文化において)四十五歳の壮年に達しているが、日本人は生徒の段階で、まだ十二歳の少年である」と言ったのだ。(『「言霊の国」解体新書』)

 

井沢は、この引用に続けて、「こんな屈辱的発言」とこの発言を評価し、なぜ「屈辱的」かといえば、「たとえば美術や工芸について言えば」、「日本の方がアメリカよりはるかに大人だと思う」からだという。とはいえ、この発言が的を射ていると思える分野もあるという。平和と唱えていれば平和が維持されるという言霊信仰に陥り、軍隊であるにもかかわらず自衛隊と呼ぶことで、戦いと死の穢れから自由になっていると思い込む、「国防あるいは平和といった問題」である。

 こうした井沢の主張は、主張の正否は別として、マッカーサーの発言の意図を正確に反映しているとは思えない。マッカーサーは、好戦的で頭ごなしに敵を見下すという軍人につきまといがちなイメージからはほど遠い人物だということが、この「屈辱的発言」の前後を読むだけでもわかる。

 そもそもこの「屈辱的発言」は、「議会での質問に答えて」いるのではなく、上院軍事委員会で委員の一人である上院議員に対しての証言であって、証言にふさわしく、発言の内容は用意周到な表現でなされている。

 

ドイツ人は成熟した民族だった。仮にアングロ・サクソン[英米]が、科学、芸術、宗教、文化といったその成長段階からたとえば45歳であるとすると、ドイツ人[アーリア人]も同じように成熟していた。ところが日本人は、国史の長さからすればはるかに古いが、まだまだ教育を受ける段階にあった。近代文明という尺度からすれば、私たちが45歳であるのに対して12歳の少年のようなものであるだろう

The German people were a mature race. If the Anglo-Saxon was say 45 years of age in his development, in the sciences, the arts, divinity, culture, the Germans were quite as mature. The Japanese, however, in spite of their antiquity measured by time, were in a very tuitionary condition. Measured by the standards of modern civilization, they would be like a boy of 12 as compared with our development of 45 years. (Senate Committees on Armed Services and Foreign Relations (1951), p. 312)

 



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