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(形像文化の世界へ)

ようこそ。 西洋文化と日本文化の接点を、誤解と理解という視点から眺めています。

鈴木繁夫
 

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2011年5月17日開始

紹介

鈴木繁夫
名古屋大学大学院 名誉教授
国際言語文化研究科 (2015年退職)

■学歴
上智大学文学部卒業
大阪大学文学部博士後期課程満期退学

■留学
ウィスコンシン大学大学院 (Rotary Foundation Scholarship)
ハーバード大学客員研究員 (Harvard Yenching Scholarship)
オックスフォード大学客員研究員(文科省海外先進教育研究実践支援プログラム)

■主要著作

Milton in Context(Cambridge University Press,  2010年)共著〔米国Irene Samuel 賞受賞〕

『考える英語習得: アクション・インクワイアリーからグローシアン英語へ』(英宝社, 2007年)

Milton, Rights, and Liberties(Peter Lang,  2006年)共著

『フーコーの投機体験―『これはパイプでない』探求』(渓水社,  2005年)




 

Misunderstanding can go both ways


2019/12/14

意趣返しとしての米兵残虐行為

Tweet ThisSend to Facebook | by geoschita

日下公人『いま日本人に読ませたい「戦前の教科書」』(祥伝社, 2013年)

本書のいう「戦前の教科書」とは、小学校がまだ尋常小学校と呼ばれていた大正末から昭和15年まで使われていた教科書をさしている。「戦前の教科書」とはいっても、小学校が国民学校と改名された昭和16年からのものではない。日下は、尋常小学校の国語や修身の教科書には、民主主義や自由主義が進展した大正デモクラシーの精神が反映されており、各人が興味のある道を見つけて進みなさいというメッセージが伝わってくるという。そしてその時代の日本の小学校教育は、現代のそれのように知育に変調しておらず、日本人としての誇りや品格を「知情意」(知識→情熱・感動→意欲)の三層にわたり育む「世界最高水準」であったという。

そういう教育を受けた日本人は、太平洋戦争において「洗練された兵隊ばかりだった」という知日派ドナルド・キーン(海軍・情報将校)の言葉を引用して、日本兵の精神的な質の高さを匂わせる。それにたいして、「アメリカ軍やオーストラリア軍による残虐行為」がどのようなものであったか、チャールズ・リンドバーグの日誌に基づいて次のように述べている。なおこのパイロットは、大西洋を単独で無着陸で横断飛行した最初のパイロットとして、戦前から戦後にかけては英雄であり、日本には1931年に、大西洋横断ルート調査の一環として来日している。また日誌は、米陸軍航空隊のアドバイザーとしてガダルカナル方面の戦場を視察した1944年、日本が無条件降伏をする一年ほど前のものである。

 

リンドバーグの記述によると、アメリカ軍は、投降しようとしている日本兵や捕虜にした兵士を射殺することに、まったくためらいがない。<中略>2000人ほどの捕虜のうち、本部に引きたてられたのはわずか100人か200人だったというくだりもある。暗黙裏ながら「捕虜をできるだけ取らない」ことを当然としていたのだ。<中略>当時、日本兵はアメリカ軍にとって、サルみたいな汚らわしい連中という動物同然の扱いだったのだ。(46ページ)

 

2000人の日本人捕虜がいると、その10%5%しか捕虜として取らず、あとは射殺するのだから、ジュネーブ協定(「俘虜の待遇に関する条約」1929年)違反もはなはだしいし、「残虐行為」といってよいだろう。しかし、この例を日誌に記したリンドバーグは、あわせて次のように記録している。

 

Oh, we could take more if we wanted to,” one of the officers replied. “But our boys don’t like to take prisoners. (1)We had a couple of thousand down at____,but only a hundred or two were turned in. They had an accident with the rest. (2)It doesn’t encourage the rest to surrender when they hear of their buddies being marched out on the flying field and machine guns turned loose on them.”

“Or after a couple of them get shot with their hands up in the air,” another officer chimed in. Well, take the ____th. They found one of their men pretty badly mutilated. After that, you can bet (3)they didn’t capture very many Japs.” (Lindbergh, The Wartime Journals of Charles A. Lindbergh.New York,: Harcourt, Brace, 1970: 856) 

将校の一人がこういった。「ああ、捕虜にしようと思えばもっとできるが、うちの子供らは捕虜にしたがらねーんだ。(1)XXXには[日本兵が]何千人もいたが、捕虜になったのはたったの100人か200人だった。あとの奴らは、ちょっとしたことがあったのよ。うちの子供らは、仲間が飛行場を行進させられて、奴らに機関銃でめった撃ちされたって聞いてるから、(2)奴らに俺たちの捕虜になれなんていう気になれんわな。」

すると別な将校が相づちをうってこういった。「またな、降参と手を上げている仲間が撃たれたと聞いたならな。そういえば、XXX部隊では、仲間のひとりが体がズタズタにされているが見つかって、それからというもの、(3)よけいなジャップは捕虜にしないっていうのがわかるでしょう。」

 

捕虜は10%~5%しか取らず、残りの兵士は射殺というと協定違反(III.1.7)にあたるはずだ。しかしこの将校(下線部(1))が言いたいのは、違反している理由であって、違反行為そのものではない。将校は、捕虜の総数を“a couple of” で表現しており、生きた捕虜の数も“only a hundred or two” といったように、明確に数を意識して述べているわけではない。捕虜として引き渡された日本兵の数は少なかったといいたいだけだ。下線部(2)(3)からわかるように、アメリカ兵(うちの子供ら)の間には、捕虜はあまり取らないという気分が蔓延していたようだ。しかしよけいな捕虜を射殺するのは、民主主義や自由主義の教育が失敗していたからでも、アメリカ人としての誇りが低く、品格がなかったからではない。日本兵が捕虜となったアメリカ兵に対して行った残虐行為の恨みをはらしているだけである。

 さらに日下は続けて、そういう残虐なアメリカ兵が、日本兵の死体に何をしたか、そしてそれについてリンドバーグがどのように感じたかを述べている。

 

そんな兵隊たちだから、日本兵の死体を見つけると、棒で口をこじ開けて金歯を抜き取ることが横行し、金歯を蓄える小袋を持っている海兵隊員もいたという。耳や鼻を切り取り、乾燥させてスーベニア(土産物)として持ち帰る者もいたと書かれている。リンドバーグは<中略>こうした残虐行為には人一倍心を痛めたのだと思う。「アメリカ人はひどいものだ。同胞として恥ずかしい」とも書いている。(47ページ)

 

ここの記述は、異なった二箇所からの要約だが、リンドバーグが、「同胞として恥ずかしい」(原文はもっと強い調子)といっているのは、金歯の抜き取りや耳鼻の切り取りというよりも、死者の威厳をもっとそこなう卑劣な行為についてである。

 

 

Before the bodies in the hollow (4)were“bulldozed over,” the officer said, a number of our Marines went in amongthem, searching through their pockets and (5)prodding around intheir mouths for gold-filled teeth. (919)

その将校がいうには、穴に入れた[日本兵の]死体を「ブルドーザーでならす」前に、海兵隊員のなかには、死体のなかに入っていって、ポケットを探ったり、口をこじ開けて金歯探しをやるものもいた。

 

下線部(5)prodは、指や先の尖ったものを押し込むという意味で、「棒で口をこじ開けて」というのは、やや不正確だ。こうした些細な点よりも、はたしてリンドバーグが金歯取りにたいして、「ひどいものだ」と感じていたかどうかだ。金歯取りについては日誌の別な箇所にも出てくるが、その箇所でもここと同様だが、リンドバーグが「ひどいものだ」、「恥ずかしい」と感じているのは、下線部(4)にある「ブルドーザーでならす」と、引用符がついている行為だ。

 リンドバーグがわざわざ引用符を付けているのは、ブルドーザー埋めとは次のような「埋葬法」をさしている。

 

(6)I have never felt more ashamed of my people. To kill, I understand; that is an essential part of war. Whatever method of killing your enemy is most effective is, I believe, justified. But for our people to kill by torture and to descend to throwing the bodies of our enemies into a bomb crater and dumping (7)garbage on top of them nauseates me. (882-883)

これほど我が同胞を恥ずかしいと感じたことはなかった。殺すというのは、戦争の本質だというのはもちろんわかっている。敵をきわめて効率よく殺す手段は、それがなんであれ、言い訳は成り立つと思う。だが、我が同胞が敵を激痛をあたえたあげく殺し、爆弾で空いた穴に、卑劣にもその死体を放りなげ、その上に廃棄物を投げ捨てるというのは、見ていてヘドが出そうだ。

 

下線部(7) garbageは文字通りの意味は生ゴミだが、品格のあるリンドバーグは人間の排泄物までも含めた「生ゴミ」のことをさしているのだろう。死体は「生ゴミ」をかけられたあと、その上をブルドーザーがならして平にする。それを、「ブルドーザーでならす」といっている。そこには、死にたいする畏れもなければ、敵の示した勇気への尊重もなく、礼儀・道義・美徳といった人間として大切な見えないものに対する敬意がないことに、リンドバーグは吐き気をもよおしているのだ。


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