Top Page (誤解と理解)

 Home Page
(形像文化の世界へ)

ようこそ。 西洋文化と日本文化の接点を、誤解と理解という視点から眺めています。

鈴木繁夫
 

Search

Calendar (Eastern Standard Time)

Counter

COUNTER50378
2011年5月17日開始

紹介

鈴木繁夫
名古屋大学大学院 名誉教授
国際言語文化研究科 (2015年退職)

■学歴
上智大学文学部卒業
大阪大学文学部博士後期課程満期退学

■留学
ウィスコンシン大学大学院 (Rotary Foundation Scholarship)
ハーバード大学客員研究員 (Harvard Yenching Scholarship)
オックスフォード大学客員研究員(文科省海外先進教育研究実践支援プログラム)

■主要著作

Milton in Context(Cambridge University Press,  2010年)共著〔米国Irene Samuel 賞受賞〕

『考える英語習得: アクション・インクワイアリーからグローシアン英語へ』(英宝社, 2007年)

Milton, Rights, and Liberties(Peter Lang,  2006年)共著

『フーコーの投機体験―『これはパイプでない』探求』(渓水社,  2005年)




 

Misunderstanding can go both ways


2016/12/21

冤罪事件とキリスト教用語

Tweet ThisSend to Facebook | by geoschita




どの学問分野にも名著といわれるものがあり、その分野の基本的な流れを形成する功績を果たしている。精神分析におけるフロイド『精神分析入門』、社会学におけてヴェーバーの『プロテスタティズムの倫理と資本主義の精神』、ルネッサンス研究ではブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』などである。経済学においては、アダム・スミスのいわゆる『国富論』(原題は『諸国民の富がもつ性質およびその富を生み出す諸原因への探求』)がそうした名著にあたる。


『国富論』という日本語の表題からすると、国が富をできるかぎり蓄積することがよいことで、今風に言うならGDP(国内総生産)を大きくするにはどのような政策が妥当かといった安直な内容を思い浮かべてしまう。そうした漠然とした印象も手伝って、スミスといえば、政府は経済活動に規制をできるかぎり設けず、人々が自由に経済活動を行えるような環境づくりに励み、国家間も自由に貿易ができるようにすれば、市場は暴走するどころか自律的に調整してうまくいくというグローバル資本主義の元祖だと考えられている。つまり、(1)自己調整の市場という像を打ち立て、(2)開かれた経済を唱導し、(3)小さな政府の提唱者として思い込まれている。

経済学者にして思想家と呼んでよい佐伯啓思は、スミスが経済学の端緒を切り開いた最初の学者であることを認めつつ、「スミスが述べたのはこうした命題[(1)-(3)]だったのだろうか、……またこれらの命題に還元してしまうことはできるのだろうか」と疑問を投げかける。その疑問に答えているのが『アダム・スミスの誤算』である。

この著作のなかで佐伯が行おうとしたことは、『国富論』とそれに先立つスミスのもう一つの名著『道徳感情論』を正しく読み直す訓詁の学を復活させようというのではない。スミスが展開した重商主義批判を、現代におけるグローバル資本主義批判として読み替えようという試みだ。グローバル資本主義がグローバルな普遍的価値という名のもとに、様々な国家や多様な社会を押しつぶしていくその一元化のうねりに対して、私たちは国民経済の枠をどうすれば守りつづけられ、グローバル化のこの状況にうまく適応できるのかの指針を、スミスから学ぼうとする。その過程において、(1)-(3)の命題がスミスの意図とは異なったように解釈されていることが明るみに出てくる。新書の内容としては、たんなる概説ではないという点で深いし、その掘り下げ方も思想家としての佐伯の切れ味が生きている。


ただ一箇所、唖然としてしまう記述がある。カラス事件に関する説明と、その事件に対するスミスのコメントを紹介している箇所である。

カラス事件とは、1761年にフランスのトゥルーズ市で起こった、布地を扱う商店主ジャン・カラス(Jean Calas)が行ったとされる殺人事件である。ジャン・カラス(当時63歳)は商店宅での長男(29歳)の死をめぐり、殺害の実行犯として判決を受け、市中で公開処刑される。

この件は、法律学では
19世紀末のドレフェス事件と並ぶ冤罪事件として知られており、法律学の古典といえるベッカリーアの『犯罪と刑罰』(1764年)はこの冤罪をきっかけにして執筆された。「なん人も、裁判官の判決があるまでは、有罪とみなされることはできない。」という有名な言葉は、この古典の「拷問」の章にあるもので、そこでは拷問によって被告から供述を引き出すことの無益さと危険が説かれている。カラス事件が有名になったのは、ひとつにはこの老人が拷問に屈せず、最期まで自己の潔白を主張し続けたことによる。


さてこの著名なカラス事件について佐伯は次のように説明している。

 

カラス神父事件がひとつのきっかけを与えたことは間違いないようである。カラス神父事件とは一七六二年フランスのトゥルーズで起きた事件で、新教徒のカラス神父が、旧教に改宗した長男を殺したとされる事件で、実際無実であったにもかかわらず、世間は彼を有罪だとし、実際、有罪判決の末に処刑された事件である。

 

この事件は、1761年10月13日に起き、二日後のカラス一家は殺人の容疑で逮捕され、第一審がトゥルーズ市役所(11月18日判決)で、控訴審がパルルマン法院(62年3月9日判決)で行われ、控訴審判決の翌日にジャン・カラスのみが公開処刑される。判決文には、「当該カラス父は車刑台の上で二時間生きた後に絞殺される。」とある。

佐伯の記述は、まず事件が起こった年を処刑が実施された年とを混同している。(注1)
なお佐伯はまた「世間は彼を有罪だ」と記述しているが、これはおそらくカラスはプロテスタントで、トゥルーズのカトリック教徒からすれば、プロテスタントは悪という短絡的な考え方に容易に染まる時代の雰囲気があったことを指しているのだろう。まず61-62年はフランスが7年戦争の最中で敵国は、プロテスタントの国であるイギリスとプロイセンであった。また62年はトゥルーズ解放200周年にあたっていた。解放とは、、聖バルテルミーの虐殺まがいのプロテスタント教徒殺害(4000名といわれている)によりトゥルーズがプロテスタントという赤痢から解放されカトリックの都市として復活した。

しかし「カラス神父」とあるから、私たち読者はここで混乱することになる。なぜなら神父とはカトリックの司祭のことであり、カラスが神父なら当然カトリック教徒なので、時代の雰囲気を考えるなら「世間は彼を有罪だ」とはしないはずだからだ。

混乱があるといけなので、用語を整理しておくと、

 

カトリック(旧教)   神父・司祭

プロテスタント(新教) 牧師

 

このような対応関係からすると、「新教徒のカラス神父が、旧教に改宗した長男を殺した」というのは、「新教徒のカラス牧師」としなくては、話の辻褄が合わない奇妙な記述になってしまう。ところがカラス一家は先ほどの述べたように布地を扱う商店の経営をしており牧師職ではなく、しかもこの一家の当主ジャンはもちろん全員プロテスタントであったから、「新教徒のカラス牧師」と書き直したとしてもそれは誤記になる。正しくは、「プロテスタントである父カラスが、プロテスタントからカトリックに改心した長男を殺した」ということになる。「新教徒のカラス神父が、旧教に改宗した長男を殺したとされる」(佐伯)ではないのだ。おそらく佐伯はFather CalasFatherを、長男のCalasと区別して「父」としている記述を、カトリックの神父の呼称Fatherと誤解したのであろう。

1: カラス事件については法学者による詳しい記述がある。石井三記『18世紀フランスの法と正義』(名古屋大学出版会,199922-51


11:47 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0)