Top Page (誤解と理解)

 Home Page
(形像文化の世界へ)

ようこそ。 西洋文化と日本文化の接点を、誤解と理解という視点から眺めています。

鈴木繁夫

図像から探るイギリス・ルネッサンス文化

2016/12/30

ロバート・フラッド『両宇宙誌』Part01 <自然>と<人工>の対比

固定リンク | by:geoschita





図像1 フラッド『両宇宙誌』第一巻表紙絵


自然 vs. 人工
 遺伝子組換えの種から取れる穀物は人体に安全かどうかは、20世紀末から問題になっている。遺伝子銃を用いて、自然の種の中にあるDNAを強引に組み替えて、人間が栽培に都合が良く、収穫高も上がるような人工的な新種を作ることは、自然の法則に反するのではないか、反するようなものはきっと人体に害があるに違いないという判断があるからである。この判断の底には、<自然>と<人工>とを対比させ、<自然>が本来の善であり、<人工>には畸形をともなう悪が潜むという、自然礼讃、人工卑下という見方が生きている。
 とはいえ、こういう見方をする私達は、<自然>が作った洞窟に住んでいるわけではなく<人工>の塊である家屋で生活し、そは<人工>の恩恵が数え切れないほど詰まった場所である。そうした人工の恩恵を足元から受けているにもかかわらず、その恩恵は一時的に視界の外に追いやり、<人工>には悪が潜むから遺伝子組換え穀物は危険だと思い込んでしまう。つまり、<人工>に囲まれ<人工>による生産物なしには生活がまったく成り立たない私達は、<自然>と<人工>の対立関係を極度に有徴なものとしては感じていないのだ。
 ところが西欧では、古典のローマ時代から17世紀にかけて、人間をどういうものとして位置づけるか、世界はどのようにあるのかということを考える際に、基軸となったのが<自然>と<人工>という対立であった。<自然>と<人工>の対立軸が、とくにルネッサンスから17世紀にかけて、人間観、世界観を考える際の必須参照枠であったことは、たとえばギリス人神秘哲学者ロバート・フラッド[1574-1637]の『両宇宙誌』(Utriusque cosmi, majoris scilicet et minoris)[1617-21]の挿絵(第一巻目次後に挿入)(図像1)が教えてくれる。


図像2 表紙絵の銘題

銘題(図像2)には、「清らな<自然>の鏡と<人工>の像」(Integrae Naturae Speculum, Artisque imago)とある。銘題を割るようにして光る雲がある。この雲の中央にあるヘブライ語文字は「ヤーウェ」と書かれている。<自然>は、人間が神に対して犯した原罪によりすでに堕落し汚れてしまっているが、ここに描き出された<自然>は堕落前の「清らな<自然>」を映し出したものであるというのだ。ギリシア・ローマの神話に従うなら、銀や銅や鉄の時代ではなく黄金時代の<自然>ということになる。


図像3鎖によるつながり:神, 自然, 人工


銘題を割る雲から飛び出し伸びる腕は誰のものだろうか。「ヤーウェ」(エホバ)は旧約聖書の神の名であるから、神の手ということになる。
 神の手から光とともに鎖が伸びて、裸体の女性の左手の手首の輪(図像3)につながっている。神の手につながれたこの裸体の女性こそ<自然>である。神の手は鎖を操ることで<自然>を自由に操作できること、また<自然>は宇宙世界における神の代理人であることを象徴している。


図像4  『両宇宙誌』のプトレマイオス宇宙像


 <自然>の姿を上から順に負い、その背景にある宇宙図と対応させてみると、(1)頭がある領域、(2)首がある領域、(3)胴体から脚膝までがある領域、そして(4)脚膝下がある領域と、4つの領域に分けられる。これらの領域は、外側から順(図像4)に、

(1)「天国」三層(上位三隊の天使, 中位三隊の天使, 下位三隊の天使)
(2)「恒星天」一層
(3)「惑星天と二元素」九層(惑星天, 火元素, 風元素)
(4)「二元素」三層(水元素, 地元素)(動物界, 植物界, 鉱物界)
となっている。
 ガリレオ[1564―1642]が自ら屈折望遠鏡を作成し、天体観測の結果をもとに『天文対話』を刊行し、太陽中心説を提唱したのが1632年であった。よく知られているように、太陽中心説は、地球が宇宙の中心であることを強く示唆している聖書の記述とは合わないため、ガリレオはカトリック教会の異端審問所に出頭を命ぜられ、異端の嫌疑をかけられる。カトリック教会から離脱した英国国教会のイングランドでは、ガリレオの17世紀には太陽中心説を口にしたからといって異端の嫌疑をかけられるわけではなかったが、太陽中心説よりも地球中心説の方がまだ一般的には人々が信をおく説であった。
 地球中心説は、ギリシアの天文学者プトレマイオス[2世紀前半]が唱えたもので、中世からなんと18世紀に至っても西欧では支配的な宇宙観であった。プトレマイオスの宇宙像は、周転円説といわれ、私達が軌道と現在考えている仮想の円あるいは楕円ではなく、チューブ上の円管が玉ねぎのように層状に地球を中心として包み込んでいると考えていた。フラッドの図像が、地球を中心して同心円状に層が重なっているのは、プトレマイオスの周転円説を踏襲しているからである。
 <自然>の足裏は、大地と海を踏みしめているが、その大地と海に向かって<自然>の乳首からは陽光(左乳房の覆いは太陽)が降り注いでいる。世界という自然の領域は、動物、植物、鉱物の三種類からなっているが、これらは陽光からの恵みなしにはその存在が脅かされる。
 神の手が<自然>を鎖で統制するように、<自然>はその右手から鎖を下方に降ろし、<自然>のちょうど真下にある球の上に座る猿、すなわち<人工>の左腕の輪につなげ、<人工>を支配下におく(図像3)。<人工>が猿の姿をしているのは、猿が巧みに人真似をするように、<人工>は<自然>を模倣するからである。猿は右手に作図・建築用のコンパスを、左手には地球儀をもち、地球儀というミニチュア版の世界にコンパスをあてて、新たな構築物を作ろうと目論んでいる。


図像5人工の象徴・猿


猿が座る領域(図像5)は次のようになっている。
人工:四技能(より自由な学芸, 動物界における自然を補う技能, 植物界における自然を助ける技能, 鉱物界において自然を正す技能)

「より自由な学芸」(Artes Liberaliores)の「より自由」とは、中世では自由学芸は七つの部門とされているが、さらにその部門を増やしているという意味で、時計の12時位置(猿の顔)から、時計回りで、①算術、②音楽、③幾何学、④透視画法、⑤絵画、⑥築城術、⑦工法、⑧時計、⑨地理、⑩天文、⑪土占の11種から成っている。同様の図像は、『両宇宙』の第二部の表紙絵にもあり、そこでもほぼ同じ順番でこれらの学芸(ただし①は数秘術)が配列されている。


図像 6 <人工>の技能2巻の表紙絵


そして『両宇宙誌』第二巻はこの11種の分野について、それぞれ別個の章立てをして数多くの図像を使いながら、詳細な(そして退屈ともいえる)説明を付けている。私達がフラッドを出典として目にすることがある奇妙な図像は多くの場合、この「より自由な学芸」に付けられたものから採られている。
 神秘哲学者であったフラッドは、現在の私達からすると、土占いや数秘術といった奇妙なことにその英知と時間を注いだと思う。その奇妙さは動植物・鉱物に人間が手を加える人工の技能についてフラッドが、図像1に記載していることを追えばさらに募ってくるはずだ。
 動物界における自然を補う技能(Ars naturam supplens in regno animali)では、同じく時計回りで記載すると、孵化術、薬術、養蜂術、養蚕術となっている。つぎの内円にある植物界における自然を助ける技能(Ars naturam adjuvans in regno vegetabili)では土壌改良術と接ぎ木術(品種改良術)の二つ。そして最後の円が鉱物界において自然を正す技能、(Ars naturam corrigens in regno minerali)で二種類の濾過器(ランビキとレトルト)が描かれている。これらについては、「より自由な学芸」のような記載がなく、フラッドのこの著作は未完のまま終わっている。

08:00