ポストコロニアルの世界像: 広瀬隆『資本主義崩壊の首謀者たち』

 21世紀の最初の金融危機は、アメリカの金融貸付業者が返済能力のない低所得層にまで家を買わせるネズミ講まがいのゲームが破綻したことが引き金になり、世界の資産が暴落したリーマン・ショックとよばれる事件(2008年9月)でした。

 この事件に対して、資本主義が制覇しているグローバル社会で起こっていることは、金融危機ではなく金融腐敗であるという視点に立つのが本書です。

 腐敗は、投機家たちがどん欲にかられて農作物などを投機の対象にしていること、一握りの家族やその協力者による富の奪取が行われていることを例証としてあげています。また金融危機の安定化策を打ち出したオバマ大統領は投機家ではないし協力者でもないが、彼の政権を支える人物、とくに経済関係の閣僚やブレーンはすべて「協力者」であることを、本書は教えています。 

オバマ大統領に期待するのではなく、私たち自身が腐敗の実体に対して敏感になり、労働に見合う応分の生活が送れるような経済構造をたえず考えるべきだと、著者・広瀬隆は提言しています。ただしここで述べられている提言そのものは、半世紀も前に、ジャカルタで開催されたバンドン会議(1955年)において、当時のインドネシア大統領スカルノが会議の基調講演のなかで明言していることなのだといいます。そして、この講演の「真意を理解できるかどうかに、人類の未来がかかっている」(235頁)とまで言い切ります。

植民地主義を、(3)インドネシアやアジア・アフリカで味わってきたような(2a)昔のようなもの(1)考えてはいけない。植民地主義は今や、(2b)近代的な衣装をまとっている。それは経済的な支配だ。知的な支配だ。(4)国家の内部にいるごく少数の異邦人が事実上、物理的な支配をしているのだ。それは巧妙にして明白な敵であり、さまざまな姿をとって現われる。彼らがそう簡単に利権を捨てることはない。(235頁 下線・番号は鈴木)

私もスカルノに、そしてこの演説を引用する広瀬に同感です。ただスカルノの英語演説原文は、広瀬が記載している演説の訳文といくつかの点で異なっています。

And, (1)I beg of you do not think of colonialism only in (2a)the classic form which (3)we of Indonesia, and our brothers in different parts of Asia and Africa, knew. Colonialism has also (2b)its modern dress, in the form of economic control, intellectual control, actual physical control by (4)a small but alien community within a nation. It is a skilful and determined enemy, and it appears in many guises. It does not give up its loot easily.

広瀬訳文につけた番号とこの英文の番号とが対応しています。番号の後に、今一度、広瀬訳文と英語原文を付けて、その後に矢印で正訳を掲載し、各下線部分を説明していきます。

(1) 「考えてはいけない」 I beg of you  →「どうかおねがいですから」

原文はへりくだって述べているので、「考えてはいけない」という強い語調ではありません。スカルノ大統領は他国の元首たちに命令はしていません。

(2a) 「昔のようなもの」  the classic form  →「従来型」

原文では、「従来のもの」と「近代的な衣装」(2b)が対比されています。植民地主義には二通りあるというのが、スカルノの指摘で肝心なポイントです。ひとつは宗主国の人間(欧米の列強や日本)が、行政長として植民地国に乗り込み、行政権限を一切取り仕切るか、宗主国の言いなりになる現地人を長につけて傀儡政権を運営するといったような「従来型」です。このやり方は現行(1955年)においても行われており、広瀬訳文のように過去の遺物(「昔のようなもの」)だという認識に、スカルノは立っていません。

(3) 「インドネシアやアジア・アフリカ」 our brothers in different parts of Asia and Africa  →「私たちインドネシアと、私たちの同胞であるアジア・アフリカの諸地域の皆さん」

スカルノは、会議に参加したアジア・アフリカ諸国の元首たちに、一体感を醸成しようとしています。けっして、「インドネシアやアジア・アフリカ」と突き放して演説しているわけではありません。植民地主義の被害者として、人種や民族は異なっていてもここに会している人々は同胞だというのです。

(4)「国家の内部にいるごく少数の異邦人」   a small but alien community within a nation →「国家の内部に巣くう少数だが異邦に属する群衆」

同胞に対立するのが、同胞とはあいいれない立場にたつ異邦の群衆です。この群衆は、国家内共同体として機能していますが、「異邦人」といったような単独の人間ではないし、ましてやアングロ・サクソンといったような民族のことでもありません。国家から見て「異邦」ということですから、協力者も含まれています。たとえば現代の日本の場合でいえば、グローバリズムの名の下に構造改革を進め、地域社会の経済の枯渇させる一方で、米国系資本の金融機関を国内に参入させて日本人の貯蓄を吸い取っていく仕組みに加担する日本人は、「異邦」の群衆ということになります。日本の右翼はこういうタイプの人たちをさして「売国奴」といっていますが、国を売っているわけではないので、スカルノの「異邦の群衆」の方がこういうタイプの人たちのあり方を的確に表現しています。

 また “small but alien community” ですが “X(形容詞) but Y(形容詞) (名詞)”という形で「XだがYである(名詞)」という基本用法で、「少数だが異邦に属する群衆」となります。butは、ここでは広瀬訳文のように「ごく」onlyの意味ではありません。

したがってここまでを訳せば次のようになります。

どうかお願いですから、植民地主義を、私たちインドネシアと、私たちの同胞であるアジア・アフリカの諸地域の皆さんがご存じの従来型のものをお考えにならないでください。植民地主義はまた近代的な衣装をもまとっているのです。それは、国家の内部に巣くう少数だが異邦に属する群衆が行っている経済的な支配であり、知的な支配であり、事実上の肉体的な支配のことなのです。


これを戦後から20世紀末までの日本に当てはめていうと、日本は、物作りに励んで富を生み出しても、その富は、たとえばアメリカ国債購入といった形で換金されており、日本経済がアメリカ経済の従属下に置かれていました。文化においては、たとえば戦前はすべて間違っていたといった、アメリカの国際政治政策に有利な極論が教育制度を通じて浸透し、また英語ができることが国際人の条件だとも堅く信じこむようになっていました。

スカルノは、「従来型」の植民地統治に加えて、こうした「近代的な衣装」の狡猾な植民地統治に警告を発しているのです。いや、警告を発しているだけでないことは、広瀬が言及していない次の言葉からわかります。

Wherever, whenever and however it appears, colonialism is an evil thing, and one which must be eradicated from the earth.

植民地主義がいつ、どこで、どんな形で出現するにせよ、植民地主義は悪しきものであり、地上から根絶されなくてはならない悪なのだ。

会議から数年後にスカルノは、CIAの援助を受けた、国内のイスラム教共産主義者によって暗殺されそうになります。列強からすれば自分たちのコントロール下におけない指導者ですから、抹殺のターゲットになります。この種の圧力を受けながらも、スカルノは植民地主義根絶を彼自身の政治指針として実践していきます。

外交としては、第二次大戦中から顕在化しつつあった東西対立が冷戦構造という形をとり軍備拡張による緊張が増すなかで、「自立のファイブ」 “The Initiative of Five”を提唱します。これは、東西のどちらにも与しない国が互いに連携しあい自主独立を保とうとする国際的な政治運動で、エジプトのナセル、インドのネルー、ユーゴスラビアのチトー、ガーナのエンクルマといった、スカルノを含めた5人のメンバーから成っています。

ただし、スカルノは、理念に燃えて狭窄視野に陥り人々を物質的にも精神的にも不幸に陥れる凡庸な政治屋ではなかったようです。植民地主義根絶といういわば外側に向かって攻めていきつつ、植民地主義という支配者に任せる政治に代わる政治原理を提唱しています。それは、「指導付き民主制度」(guided democracy)です。民主制度は、自律した個人がその権利の一部を統治権力に委譲して、個人が選んだ代表がその権力を行使して統治していくというシステムですが、そこで前提となっているのは、個人は理性のもとづいて選択を正しく行い、常に合理的に振る舞うという人間像です。ところが、列強に植民地化された国ではそういうタイプの人間が育たないような仕組みがしっかりと根を下ろしていました。列強からの直接の支配から解放されたとはいえ、いったん根を下ろした隷従に都合のよい精神性が、短時間のうちに変わるわけはありません。そこで、従属し任せる植民地根性が主体的に決断し参加していく民主的精神へと変わるまでの間は、民主的精神へと誘導するような指導者に一時的におぶさる政治制度を用いざるをえないと考えます。

しかも西欧型の民主主義は話し合いの末に多数決で問題を解決していきますが、これは東南アジアの伝統的な決め方からすれば問題解決ではなく問題処理にすぎません。なぜなら、どんなに時間がかかってよいから意見のすりあわせを互いに行い、それなりに全員が納得する妥協点で落ち着くというのが、問題解決だと考えられているからです。これはインドネシアでは、村の民会でよくみられるもので、musjawarahあるいはmufakatと呼ばれています。インドネシアに限らず、たとえば、韓国では、部族間の合意形成の技法として「和白(わはく)」があります。また日本では、五箇条御誓文では「広く会議を興し」、「上下心を一つにして」議論をすることが謳われました。そしてそれらの合意形成にあたっては、周囲から一目置かれる長老、あるいは天皇といったように、話し合いの場を取り仕切る長(おさ)が必ずいます。そこでスカルノは、多数党による政治ではなく、ちょうど日本のかつての自民党にあったような派閥の談合による意見集約と決定からなる政治を提案し、自らは派閥の総元締めである大統領となって国を運営していきます。

スカルノのこうした土着的な試行は、国民の物質面での経済水準を日本のように上昇させられなかったという点では評価は低くなりますが、小国でありながら独自路線によって自立し他国と連携をはかっていこうとするその独創性には目を見張るものがありました。

広瀬氏の『資本主義崩壊の首謀者たち』の提言をこうした文脈においてみましょう。マックス・ヴェーバーがえぐり出したような勤勉で誠実な「資本主義」の精神は、グローバル経済下で私利私欲に走った「首謀者たち」によって「崩壊」しました。東西冷戦対立スキームの中で第三のアジア的道を模索したスカルノ統治下のインドネシアがそうであったように、現在の日本は優勝劣敗のアメリカ追従型民主主義から脱皮して独自路線を歩めということになります。


●参考文献

Modern History Sourcebook: President Sukarno of Indonesia: Speech at the Opening of the Bandung Conference, April 18 1955 from Internet Modern History Sourcebook.     スカルノの演説原稿。フォーダム大学(ニューヨーク市にあるカトリック系大学)が提供する資料集。宗教および自由についての電子化された大量の文献が閲覧、ダウンロードできます。

Legge, J. D. (2003). Sukarno : a political biography (3rd ed.). Singapore: Archipelago Press.
最も詳しいスカルノ伝。彼の政治手法や実際の政策実施について、とても好意的な説明がなされています。

Lee, Christopher J. (2010). Making a world after empire: The Bandung moment and its political afterlives. Athens: Ohio University Press.    欧米の植民地から脱したアジア・アフリカ諸国がバンドン会議に集い、国連憲章の尊重を柱とした連帯を誓うことで、列強への経済的従属と自国文化への抑圧に抵抗する「バンドン精神」の種が蒔かれましたた。しかしその後、この精神が十分に育たなかった原因などを考察した論集。その切込みは非常に深く、植民地主義からの脱することが容易ではないことがわかります。