冤罪(えんざい)事件とキリスト教用語:佐伯啓思『アダム・スミスの誤算』
佐伯啓思『アダム・スミスの誤算:幻想のグローバル資本主義(上)』(PHP新書, 1999年)再版(中公文庫, 2014年)
アダム・スミスの命題
どの学問分野にも名著といわれるものがあり、そうした名著はその分野の基本的な流れを形成する功績を果たしている。精神分析におけるフロイド『精神分析入門』、社会学におけてヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、ルネッサンス研究ではブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』などである。経済学においては、アダム・スミスのいわゆる『国富論』(原題は『諸国民の富がもつ性質およびその富を生み出す諸原因への探求』)がそうした名著にあたる。
『国富論』という日本語の表題からすると、国が富をできるかぎり蓄積することがよいことで、今風にいうならGDP(国内総生産)を大きくするにはどのような政策が妥当かといった安直な内容を思い浮かべてしまう。そうした漠然とした印象も手伝って、スミスといえば、政府は経済活動に規制をできるかぎり設けず、人々が自由に経済活動を行えるような環境づくりに励み、国家間も自由に貿易ができるようにすれば、市場は暴走するどころか自律的に調整してうまくいくというグローバル資本主義の元祖だと考えられている。つまりスミスは、(1)自己調整の市場というイメージを作り出し、(2)開かれた経済を唱導し、(3)小さな政府の提唱者として思い込まれている。
経済学者にして思想家でもある佐伯啓思は、スミスが経済学の端緒を切り開いた最初の学者であることを認めつつ、「スミスが述べたのはこうした命題[(1)~(3)]だったのだろうか、……またこれらの命題に還元してしまうことはできるのだろうか」と疑問を投げかける。その疑問に答えているのが『アダム・スミスの誤算』である。
この著作のなかで佐伯が行おうとしたことは、スミスが展開した重商主義批判を、現代におけるグローバル資本主義批判として読み替えようという試みだ。グローバル資本主義がグローバルな普遍的価値という名のもとに、様々な国家や多様な社会を押しつぶしていくその一元化のうねりに対して、私たちは国民経済の枠をどうすれば守りつづけられ、グローバル化のこの状況にうまく適応できるのかの指針を、スミスから学ぼうとする。その過程において、(1)~(3)の命題がスミスの意図とは異なったように解釈されていることが明るみに出てくる。新書の内容としては、たんなる概説ではないという点で深いし、その掘り下げ方も思想家としての佐伯の切れ味が生きている。
トゥルーズ市のカラス事件
ただ一箇所、やや唖然としてしまう記述がある。カラス事件に関する説明と、その事件に対するスミスのコメントを紹介している箇所である。
カラス事件とは、1761年にフランスのトゥルーズ市で起こった、布地を扱う商店主ジャン・カラス(Jean Calas)が行ったとされる殺人事件である。ジャン・カラス(当時63歳)は商店宅での長男(29歳)の死をめぐり、殺害の実行犯として判決を受け、市中で公開処刑される。この件は、法律学では19世紀末のドレフェス事件と並ぶ冤罪事件として知られており、法律学の古典といえるベッカリーアの『犯罪と刑罰』(1764年)はこの冤罪をきっかけにして執筆されている。「なん人も、裁判官の判決があるまでは、有罪とみなされることはできない」という有名な言葉(推定無罪)は、この古典の「拷問」の章にあるもので、そこでは拷問によって被告から供述を引き出すことの無益さと危険が説かれている。カラス事件が有名になったのは、ひとつにはこの老人が拷問に屈せず、最期まで自己の潔白を主張し続けたことによる。
さてこの著名なカラス事件について佐伯は次のように説明している。
カラス神父事件がひとつのきっかけを与えたことは間違いないようである。カラス神父事件とは1762年フランスのトゥルーズで起きた事件で、新教徒のカラス神父が、旧教に改宗した長男を殺したとされる事件で、実際無実であったにもかかわらず、世間は彼を有罪だとし、実際、有罪判決の末に処刑された事件である。
佐伯啓思『アダム・スミスの誤算』 102-03.
この事件は、1761年10月13日に起き、二日後にカラス一家は殺人の容疑で逮捕され、第一審がトゥルーズ市役所(11月18日判決)で、控訴審が高等法院(62年3月9日判決)で行われ、控訴審判決の翌日にジャン・カラスのみが公開処刑される。判決文には、「当該カラス父は車刑台の上で二時間生きた後に絞殺される。」とある。
佐伯の記述は、まず事件が起こった年を処刑が実施された年と混同している。(注1) 佐伯はまた「世間は彼を有罪だ」と記述しているが、これはおそらくカラスはプロテスタントで、トゥルーズ市のカトリック教徒からすれば、プロテスタントは悪という短絡的な考え方に容易に染まる時代の雰囲気があったことをさしているのだろう。まず61-62年はフランスが7年戦争の最中で敵国は、プロテスタントの国であるイギリスとプロイセンであった。また62年はトゥルーズ解放200周年にあたっていた。解放とは、聖バルテルミーの虐殺まがいのプロテスタント教徒殺害(4000名といわれている)によりトゥルーズ市がプロテスタントという赤痢から解放されカトリックの都市として復活したことをさしている。
しかし「カラス神父」とあるから、私たち読者はここで混乱することになる。なぜなら神父とはカトリックの司祭のことであり、カラスが神父なら当然カトリック教徒なので、時代の雰囲気を考えるなら「世間は彼を有罪だ」とはしないはずだからだ。
混乱があるといけなので、用語を整理しておくと、
カトリック(旧教) 神父・司祭 father・priest
プロテスタント(新教) 牧師 paster/ Reverend
このような対応関係からすると、「新教徒のカラス神父が、旧教に改宗した長男を殺した」というのは、「新教徒のカラス牧師」としなくては、話の辻褄が合わない奇妙な記述になってしまう。ところがカラス一家は先ほどの述べたように布地を扱う商店の経営をしており牧師職ではなく、しかもこの一家の当主ジャンはもちろんのこと、全員プロテスタントであったから、「新教徒のカラス牧師」と書き直したとしてもそれは誤記になる。正しくは、「プロテスタントである父カラスが、プロテスタントからカトリックに改宗した長男を殺した」ということになる。「新教徒のカラス神父が、旧教に改宗した長男を殺したとされる」(佐伯)ではないのだ。おそらく佐伯は Father Calas の Father を、長男の Calas と区別して「父」としている記述を、カトリックの神父の呼称 Father と誤解したのであろう。
カラス事件を支えているストーリーは、プロテスタントの一家から、カトリックに転向する息子が出ることに家族が頭を抱え、父は転向を阻止すべく長男の説得にあたるが、それがうまく行かず、ついには殺害したという、熱狂的なプロテスタント家での犯罪というものである。
この事件を冤罪だとして再審請求を依頼する手紙を貴族などに送り、また冤罪を主張するパンフレットも書いて世論にこの事件の判決への関心を喚起したのが、権力の不当行使への抵抗者ヴォルテ―ルである。この啓蒙思想家の活動は処刑後に始まり、62年6月には事件に関わる原資料集を刊行し、同年末から翌年にはこの事件を元に宗教的熱狂から生じる他宗派に対する嫌悪が地球規模でみた場合にはどれほど愚かであるかを説いた『寛容論』を完成させていた。ヴォルテールの活動は63年3月には実り、再審請求が受理され、64年6月にはトゥルーズ市役所と高等法院がそれぞれ出した有罪判決が破棄され、65年2月にカラス一家への全員無罪判決が言い渡される。
神父たちへの死の間際の言葉
アダム・スミスはトゥルーズに64年3月から65年8月まで滞在するが、その時期はまさに、この冤罪事件の行末が市での話題になっていた。またこのトゥルーズで、スミスは『国富論』を書き出している。
再び、佐伯の記述に戻ると、
スミスは64年から65年にかけてトゥルーズに滞在し、まさにこの事件に深い関心をもった。罪を告白するよう勧めた修道士たちに対して、カラス神父は、「神父様、あなた自身、私が有罪だと自分に信じさせることができるのですか」と述べた、とスミスは書いている。
佐伯啓思『アダム・スミスの誤算』 103.
「スミスは書いている」とあるが、当該箇所にあたるスミスの記述は『道徳感情論』(第6版)にあり、次のようになっている。
After he had been broke, and when just going to be thrown into the fire, the monk, who attended the execution exhorted him to confess the crime for which he had been condemned. My father, said Calas, ‘can you bring yourself to believe that I was guilty? [III.2.11]
Adam Smith, The Theory of Moral Sentiments: The Glasgow Edition of the Works and Correspondence of Adam Smith, Vol. 1. (Oxford: Oxford University Press, 2014) 120. [下線 鈴木]
この部分の訳を、佐伯が従った水田洋訳(岩波文庫版)ではなく、村井章子, 北川知子訳を見ると、以下のようになっている。
車裂きにされ、いままさに火の中に投げ込まれようとするときに、処刑に立ち会った司祭が罪を告白するよう訓戒した。するとカラスは言った。「神父様、あなたまでが私を有罪だと信じておいでなのですか。」
日経BP, 2014. 290-91.
「車裂き」は公開拷問であり、また公開処刑法でもあった。左の図は、処刑から約50年後にこの事件を語る行商本(Chapbook 民衆向けの安価な小冊子で、版画入りが多く、行商人が売り歩いたもの)の表紙絵である。この絵が正しければ、カラスの肢体の関節や骨を執行人が砕いて車輪の外周に弧状に縛り付け、車輪の台座から伸びるロープでカラスの脚をくくりつけ固定し、車輪を馬が引いて、時計と反対方向に回転させる。馬の力によって、体が上下に引かれて激痛が走るという拷問である。
ヴォルテールは、『エリザベス・キャニングとカラス家の物語』(1762年8月出版)で、カラスの車裂きのあと彼の最期に立ち会ったのが、「ドミニコ会所属の神学教授であるブルージュ神父、そして同修道会のカルダゲス神父」と記述している。(注3)ドミニコ会の発祥地はトゥルーズであったから、カラスの最期に立ち会った司祭が地元のドミニコ会士であるのは当然すぎるくらいに当然であった。ドミニコ会の特徴は、1年の半分は修道院外に出て福音を伝える説教活動を行うことにあり、修道院内では聖書についての教育・研究が重んじられた。日本でもよく知られた『神学大全』の著者トマス・アクィナスはドミニコ会士である。なお修道名の後にはOP(Ordinis Praedicatorum 説教修道会)とつけてその特徴が示されている。ドミニコ会士の別名は、「黒服修道士」(Blackfriars)である。これは修道院外に出るとき、修道院内でまとっている白色のカソック(修道服)に黒色のケープ(外套)を羽織り、フランシスコ会の灰色などと区別してこう一般によばれていた。そしてドミニコ会士は、修道士ではあったが、信徒からは、教区付の神父と同様に、「神父様」としてよばれていた。 こうしてみると、スミスがカラスに立ち会った司祭たちを “the monk” としているのは不正確で、 “the friars” (修道士たち)とすべきであった。また版画の修道士像は、ケープを羽織ったカソック姿ではなく、またカソックの色は白色でないから、正しいドミニコ会士像とはほど遠い。(注4)
しかし問題は、この司祭たちがカラスに罪を告白するよう諭したとき、そのカラスの返答である。佐伯は「神父様、あなた自身、私が有罪だと自分に信じさせることができるのですか。」(水田洋訳)を引用している。
原文の骨格は “can bring oneself to do”で、bringは意志や力を使って持ってくるで、そこにoneself to doが加わっているから、恥ずかしいことやつらいことを自分の意志の力を使って、あえて自分自身にもってきてみるという意味である。
たとえば、
I can’t bring myself to trust him.
(あんな嘘ばかりついている)奴がいっていることを信じる気にはさらさらなれない。
ということである。また
I wanted to kill myself, but I couldn’t bring myself to that.
「自殺したかったが、それに踏み切れなかった」(國弘正雄『私家版和英.』 朝日出版社, 1986)
これは「自殺するほどの勇気がなかった」と訳した方が、この文全体がアングロ・サクソン系の言葉だけでできあがっているから、話者の意図に近いだろう。
さてここでもう一度、問題の箇所を並列させると、
◆原文
My father, said Calas, can you bring yourself to believe that I was guilty?◆村井・北川訳
するとカラスは言った。「神父様、あなたまでが私を有罪だと信じておいでなのですか。」◆水田訳, 佐伯引用
神父様、あなた自身、私が有罪だと自分に信じさせることができるのですか。
bring oneself to believe に続く下線部分「私が有罪だ」は、誰にとって認めがたいこととして意識されているかといえば、カラスがよびかけている神父である。なぜなら先ほどの説明からもわかるように、bring oneself to 動詞は、動詞以下の部分が神父にとってつらいことであって、そのつらいことを神父自身が自分の意志の力を使ってあえてすることになるからだ。だから、「信じさせることができる」よりも原語はもっとつよく、「私が有罪だと信じる勇気が神父様にはおありなのですか」といったほうが、拷問を受ける間際に発言するカラスのその意図が伝わりやすいことになる。そしてこれを、相手を立てて自分を卑下する日本的な表現にすると、村井・北川訳のように、「あなたまでが」といれて、「私を有罪だと信じておいでなのですか」とすると訳として落ち着くのではないだろうか。
(本文中、敬称略)
注1: 石井三記『18世紀フランスの法と正義』名古屋大学出版会, 1999. 22-51.
注2: ハードン『カトリック小事典』ジンマーマン監修, 浜寛五郎 訳. エンデルレ書店, 1986. 133. ともに修道士と訳されるが、ここでは区別するために monk に隠世修道士の訳語をあてた。
注3: Voltaire, Treatise on Tolerance. Ed. Simon Harvey (Cambridge: Cambridge University Press, 2000) 113.
注4: この版画を掲載しているといわれているチャップ・ブックを閲覧することができなかったが、当時の出版事情から考えて、版画の彩色はこの本の所有者が行ったはずで、こういう彩色付きで本が出版されたと推測される。