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結婚・離婚に関する『聖書』の主要箇所

 現在であれば、どういう場合に結婚が成立し、どのような理由から離婚ができるのかを知ろうと思えば、民法を参照することになります。日本の民法は、明治時代に、フランスの啓蒙思想の影響下に編纂されたフランス民法典に基づいているので、人のあり方を宗教上の教義に照らして規定するという色彩がとても薄くなっています。しかし、西欧では20世紀の中葉まで、結婚式は市庁舎ではなく教会で、また教会といっても宗派を同一とする二人が所属する教会で挙式するのが一般的でした。またその二人の宗派がカトリックである場合には、ほぼまったくといってよいほど離婚は不可能でした。

 結婚にしても離婚にしても、それは基本的には教会に関わることであり、教会は結婚の成立や離婚の可能性について、結婚・離婚に関する『聖書』の主要箇所に基づき、決めていました。ですから、西欧の結婚・離婚観を知ろうとするなら、それら主要箇所を参照する必要があります。

主要箇所の講解(聖書釈義)

 いま教会と一括にして書きましたが、キリスト教会は一枚岩ではなく、先ほど述べたカトリックを最大の教会として、カトリック以外の、カトリックに対抗する教会として複数の教会群をプロテスタントと呼んでいます。

 プロテスタントの出発点は、カトリックの修道士であったルターが、カトリックの教理やその振る舞いに反対して、新たな教派を立ち上げたことがきっかけとなります。16世紀から17世紀にかけては、ルターのように従来の教会の教理・制度・あり方をめぐって、独自の宗派を立ち上げる宗教人が多数出現しました。そしてそういった宗教人たちが提起する新たな教理・制度・あり方は、聖書を典拠として組み立てられ、改変され、正当化されています。ですから、こうした宗教家たちは、聖書の文章・文・語句の綿密な解釈を行い、そうした解釈を講解として出版しています。

ジョン・ミルトンが執筆した4つの離婚論

 英国人ミルトン(1608-1974)は、性格不一致による離婚は認められると、聖書にもとづき公言した最初のキリスト教徒です。弁論家として離婚論を4冊、矢継ぎ早に出版します。

(1) 離婚の教義と規律 (1643年, 改訂増補版1644年)

(2) 離婚についてのマルティン・ブーサーの判断(1644年)

(3) 四弦琴(1645年)

(4) 懲罰鞭(1645年)

▶これら4つの著作について、その内容と内容の背景については、該当著作をクリックしてください。

ジョン・ミルトンによる講解(聖書釈義)

  性格不一致による離婚が、民法で認められるようになったのは、英国では20世紀中葉(the Divorce Reform Act 1969)になってからです。英国国教会の教会法では21世紀の現在でも認められていません。また民法で認められているとはいっても、夫婦間での合意がある場合にのみ可能で、どちらか一方が離婚を拒否すれば、離婚はできません

 ミルトンは、300年経過してから可能になるような離婚理由にもとづき、離婚論を展開したことになります。離婚論ではどのような講解がなされているのか、詳しく見てみることにしましょう。

ミルトン離婚論執筆に潜む背景

 ところでなぜミルトンは、300年経過してから可能になるような離婚理由にもとづき、離婚論を展開したのでしょうか。多くのミルトン研究者は、離婚論を執筆する前年にミルトンが結婚したこと、そしてその結婚が一ヶ月ほどで破綻してしまったことに関連づけています。政治・教会制度を改革すべく膨大な量の論争書を書き、また書くことになったこの宗教人は、結婚という家庭制度の根幹にかかわり、またその根幹を揺るがしかねない離婚の教理と規律を執筆した経緯とはどのようなものだったのでしょうか。少し詳しく見てみましょう。▶ミルトンによる離婚論執筆の私的背景