❖豊かさ❖ 豊かさの逆説
Inopem me copia fecit.
イノペム・メー・コーピア・フェーキト
豊かさが私を貧しくした。
(オウィディウス『変身物語』3巻466行)
■解説■
ナルキッススは、泉の水面に映る美貌の青年の姿にうっとりとなります。そしてしばらくしてそれが自分の姿の映像であることに気づきます。心のなかではその青年映像への愛の炎が燃えますが、愛する自分が、他ならなぬ、愛されている自分であるために、それは決して叶うことのない愛であると悟ります。彼は、自分の美しさという「豊かさ」が、彼を愛の対象を得られない「貧しさ」へと導いたと嘆きます。 この言葉は、持っているものが多すぎることで、かえって満たされない状態、つまり「豊かさ」が「貧しさ」を生み出すという逆説的な状況をあらわすことに、用いられるようになります。

▶比較◀
足るを知らざる者は富むといえども貧し、足るを知るの人は貧しといえども富む。(不知足者雖富而貧、知足之人雖貧而富)
(『遺教経』)
■解説■
仏典『遺教経』は、仏陀が死の直前に述べた教えを集約したもの。引用したこの言葉は、仏教の教えに基づき、欲望や執着から解放されることの重要性を説いています。金銭的な豊かさだけを追い求める人は、どれだけ富を得ても満足することがなく、常に不足感に苛まれます。一方、足るを知る人は、物質的な豊かさにはこだわらず、自分の置かれた状況に感謝し、心の安寧を得ることができます。この言葉は、そうした心の持ち方こそが真の豊かさであり、物質的な豊かさは必ずしも幸福をもたらさないことを教えています。なお日本でも、「金持ちの貧乏人、貧乏人の金持ち」という格言があります。
ラテン語の格言は、 ナルキッソスの自己愛という具体的な状況を通して、豊かさの逆説的な側面を表現しています。美しさや才能など、本来は良いはずのものが、自己愛という形で裏目に出て、自己を苦しめる結果になるという、人間性の複雑さを描いています。それに対して、『遺教経』の言葉は、欲望のコントロールというより普遍的な視点から、心の状態が幸福を決定するのだから欲望や執着から解放されることを強く勧めています。仏教的な価値観をテーマに焦点を当てています。
