❖豊かさ❖ 満足する技法
Is maxime divitiis fruitur, qui minime divitiis indiget.
イス・マークスィメー・ディーウィティイース・フルイトゥル・クィー・ミニメー・ディーウィティイース・インディゲット
最も豊かに生きる人とは、富を最も必要としない人である。
(セネカ『道徳書簡』第14信17節)
■解説■
この私信で、セネカは精神を鍛え恐怖から解放され、運命に立ち向かうことの重要性を説き、その末尾をストア哲学者からの言葉と思われるこの引用句で締めくくっています。真の富とは物質的な所有ではなく、必要最小限のもので満足できる心の状態にあることを示唆しています。もう少し踏み込んで言うと、自然が人に要求するものに対して、その要求を満たすものは誰にとっても身近にあるのだから、その要求を満たす必要最低限で満足する精神的態度が必要だと述べているのです。腹がへったら美食せずにありあわせのものを食べ、寒かったら高級毛皮ではなく着重ねすればよいといっているのです。セネカは別の書簡のなかで、ローマ人がセントラルヒーティング方式で日光がガラス越しに入る浴室を欲していることを、富を誤って使う贅沢と評しています(第90信)。

▶比較◀
賢なる哉(かな)、回(かい)や。一簞(たん)の食、一瓢(ひょう)の飲、陋巷(ろうこう)に在り。人は其の憂(うれ)いに堪えず、回や其の楽(たのしみ)を改めず。賢なる哉、回や。(賢哉回也、一簞食、一瓢飲、在陋巷、人不堪其憂、回也不改其楽。賢哉回也)
(『論語』雍也篇)
■解説■
<大意>「何と賢いことよ、顔回は。粗末な食事と簡素な飲み物だけで満足し、ぼろ屋の並ぶ貧しい路地裏に住んでいる。他人ならその貧しさに耐えられないだろうに、ところが顔回はその道を求める楽しみを決して変えることがない。何と賢いことよ、顔回は」。孔子がその最愛の弟子である顔回を称賛した言葉です。これは、儒家思想の根本的な価値観を示す最も有名な章句の一つです。「其の楽を改めず」とは、どのような外的環境や境遇(この場合は極度の貧困)に置かれようとも、自分自身の内面に持つ精神的喜びや信念を微塵も揺るがさない。顔回の「楽」は、物質的な豊かさから得られる快楽ではなく、学問と徳を高め「道」を追求することそのものからくる、深い精神的充足を指します。
セネカの言葉通り、顔回は自然の要求を満たす最小限度のこと(一簞食、一瓢飲)で満足し、物質的富を「必要とせず」、それゆえに、貧困によって苦しむことがありません。ただしセネカの言葉には、富への執着を断ち切るという防御的なニュアンスが強いのに対し、顔回への評では、顔回は貧困を「耐え忍んでいる」のではなく、むしろ積極的に道を楽しみ、富への意識すらない境地に達しているという肯定的な達人のイメージがあります。
