❖豊かさ❖ 拝金主義を肯定、否定?

Omnis enim res,/Virtus, fama, decus, divina humanaque pulchris/Divitiis parent; quas qui construxerit, ille/Clarus erit, fortis, iustus.

オムニス・エニーム・レース/ウィルトゥース・ファーマ・デクス・ディーウィーナ・ヒューマーナケ・プルクリス/ディーウィティイース・パーレント;クアース・クイー・コーンストゥルクセリット、イッレ/クラールス・エリット・フォルティス・イウストゥス

というのも、美徳、名声、名誉、人事、神事もなんであれ、金のある者にはついてくる。富を築き上げた者は、高名で、強く、正しい人間となるだろう。

(ホラーティウス『風刺詩』2巻3歌94-97行)

■解説■
 この言葉は、事業に失敗して財産を失った解放奴隷のダマシップスが、聞きかじりのストア哲学を振りかざし、「世の中の人間はいかに金銭欲という愚かさに支配されているか」をホラーティウスに熱弁する場面で語られるものです。ダマシップスの人間観察によれば、この世では王の身分さえも金で手に入るように、あらゆるものが富によって獲得できるとされています。これは、当時の社会にはびこっていた極端な拝金主義を代弁する考え方です。その拝金主義は、美徳や名声、名誉といった内面的な価値はもちろん、人間社会の営みから神聖な事柄にまで及んでいます。そのため、ダマシップスは、すべてが「美しい富」(豊かな財産)にひれ伏すのだと語るのです。 これは作者ホラーティウス自身の考えではなく、彼が批判的に見ていた世俗的な価値観を、登場人物の口を借りて表現させたものです。つまり、このような考え方を愚かだと指摘するための、痛烈な風刺なのです。

蝋板(ろうばん)に書かれた借用書
解放奴隷が別な解放奴隷から金(105デナリウス)を借りたことが記載されている。
 (上 蝋板 57年, 下 模写)
(©アンディ・チョッピング ロンドン考古学博物館[MOLA])

▶比較◀

金(かね)にてよろずなりけり。

(『金持重宝記』[1694年])

■解説■
 この書は、神道家、儒者、仏僧の三者が問答を交わすところに、俗人であり無心論者の道無斎(どうむさい)が現れ、「世の中は金がすべてだ」と三者を論破してしまう、という構成になっています。江戸時代に教訓書として広まり、大正時代まで読み継がれました。引用した「金にてよろずなりけり」という言葉は、道無斎に論破された神道家が、彼の考えを要約したものです。 道無斎は、人間が本当に重んじるべきは財産(金)だけであり、それ以外の身分、官職、知識、名声、尊敬といったものはすべて虚構に過ぎないと主張します。そして、そうした虚構がさも実体であるかのように見えるのは、「(きょ)(じつ)を引く」からだ、つまり金目当てで始めたことが、いつの間にか本物であるかのように扱われるようになるからだ、と彼は言います。これは、あらゆる価値や人間関係を金銭という一つの尺度で測り、金銭こそが社会の実体を創り出すと考える、極めて物質主義的・道具主義的な見方を示しています。この『金持重宝記』(別名『人鏡論(じんきょうろん)』)に注目したのは河上肇『貧乏物語』で、日本学の泰斗・山本七平(イザヤ・ベンダサン)も、『にっぽんの商人』、『危機の日本人』で詳しく紹介しています。
 ダマシップスの言葉も道無斎の言葉も、富や財産が人間社会や個人の価値観に与える影響を論じている点で共通しています。しかし、前者の言葉は、富が人間の社会的評価を決定づける力を持つ現状を嘆き、それを痛烈に皮肉っています。これに対して後者の言葉は、富こそが社会の現実を創り出す根本的な力であるとし、その力を全面的に肯定しているのです。


❖言葉❖ 文体は生き方の反映
Read more
❖豊かさ❖ 満足する技法
Read more
❖豊かさ❖ 向き合い方が肝心
Read more
❖豊かさ❖ 執着からの自由
Read more
❖豊かさ❖ 豊かさの極地
Read more
❖豊かさ❖ 満ち足りた心が必要
Read more