◇ 講義題目シェイクスピアの世界:恋愛と結婚愛の図像 『トロイラスとクレシダ』
◆ 目的・ねらい:
私たちが、日常世界で起こる出来事を見て感じ判断するとき、実はその感じ方も判断も自国文化規範の影響を深く受けています。そのことを気づく基礎的理解力を養うために、西欧15-16世紀の絵画作品を取り上げ、当時の文化規範を学び、そこから私たちの感じ方や判断を逆照射し、私たちの規範を相対化する応用力を培います。
「歴史は現実を照らし出し、記憶を活性化させ、日常の指針を提供してくれる」(キケロー)という言葉があります。私たちが日常で経験する様々な出来事も、それら出来事に対して感じる気持ちも、<現実>であることに違いはありません。しかし出来事としての区切り方も、出来事への感じ方も価値判断も、それがどれほど<現実>と思えても、区切り方も感じ方・価値判断も歴史に照らして把握しないと、事象の外貌にとらわれ事象の実態を見誤り、事象を自分で的確に意味づけることを忘れ、不適切な対処することになってしまいます。
不適切な対処からできる限り自由になるために、基礎的理解力・応用力をつけるわけですが、受講生には、文献・資料の読み方、討論の仕方、意見文の書き方など、大学院での国際言語文化研究に必要な力を高めることも、当然、射程にはいっています。
◆ 講義内容:
〔概要〕
シェイクスピア37作品のうちから1作品とりあげ、シェイクスピア時代に流通していた視覚芸術作品を用いて、それら3作品に流れている当時の独特の考え方や価値観を探ります。一読・一見しただけではわからない「はっとする」ような見方が浮かび上がってくるはずです。そしてそれらの考え方・価値観が今の私のたちのどのような考え方・価値観に対応し、それらはどう異なっているのかを、受講生の皆さんとともに考えていきます。
〔授業方法および計画〕
授業は講義とはいっても、ともに対話しながら考えていく形式で授業は進みます。
受講生が基礎的理解力・応用力そして大学院での必要な力、さらには生涯学習力がつけられるように、次のような課題が受講生がきちんとこなすように要求されています
(1)これら作品を授業前あらかじめ読んできたかどうかのための確認テストで、正解できること。
(2)各作品の考え方・価値観についての「200字意見文」を授業時間外でまとめ、提出すること[考え抜く力の養成]。
(3)各作品の名セリフを暗誦し、ロールプレイングすること[コミュニケーションスキルおよび創造的思考力の養成]。
(4)講義全体の内容を問う中間・学期末試験[問題解決力の養成]。
取り扱う作品と内容(講義3-4回で1作品)は次のようになっています。なお学期初回は講義全体の概説、学期最終回は講義全体の総括を行います。
『トロイラスとクレシダ』(1603):愛への懐疑
◆成績評価の方法:
成績の評価は以下の基準にしたがって行います。授業参加(20%)、小テスト(18%)、ロールプレイング(18%)、200字意見文(18%)、中間・学期末試験(26%)。60%に満たない場合はF、4回(4回目を含む)以上の欠席は「欠席」となります。
◆ 教科書:
シェイクスピア作品は松岡和子訳を利用します。
◆参考書等:
・ローレンス ストーン『家族・結婚の社会史―1500年‐1800年のイギリス 』(北本正章訳, 勁草書房, 1991年)
・谷本美穂『恋愛の社会学』(青弓社, 2008年)
・山田太一『岸辺のアルバム』 (光文社, 2006年)
・森岡清美『新しい家族社会学』(培風館, 1999年)
・宮本みち子・善積京子『現代世界の結婚と家族』(放送大学, 2008年)
・落合恵美子『近代家族の曲がり角』(角川叢書, 2000年)
◆ 注意事項:
(1)教科書・参考書は自分で購入してください。
(2)聴講は自由ですが、聴講生もかならず小テストを受け、意見文を提出して下さい。
(3)オフィスアワーはとくに設けず、面談・質問はメイル(ssuzukiアトnagoya-u.jp アトは@に置き換え)で随時受けます。
◇ 講義題目シェイクスピアの世界:恋愛と結婚愛の図像
◆ 目的・ねらい:
私たちが、日常世界で起こる出来事を見て感じ判断するとき、実はその感じ方も判断も自国文化規範の影響を深く受けています。そのことを気づく基礎的理解力を養うために、西欧15-16世紀の絵画作品を取り上げ、当時の文化規範を学び、そこから私たちの感じ方や判断を逆照射し、私たちの規範を相対化する応用力を培います。
「歴史は現実を照らし出し、記憶を活性化させ、日常の指針を提供してくれる」(キケロー)という言葉があります。私たちが日常で経験する様々な出来事も、それら出来事に対して感じる気持ちも、<現実>であることに違いはありません。しかし出来事としての区切り方も、出来事への感じ方も価値判断も、それがどれほど<現実>と思えても、区切り方も感じ方・価値判断も歴史に照らして把握しないと、事象の外貌にとらわれ事象の実態を見誤り、事象を自分で的確に意味づけることを忘れ、不適切な対処することになってしまいます。
不適切な対処からできる限り自由になるために、基礎的理解力・応用力をつけるわけですが、受講生には、文献・資料の読み方、討論の仕方、意見文の書き方など、大学院での国際言語文化研究に必要な力を高めることも、当然、射程にはいっています。
◆ 講義内容:
〔概要〕
シェイクスピア37作品のうちから3作品とりあげ、シェイクスピア時代に流通していた視覚芸術作品を用いて、それら3作品に流れている当時の独特の考え方や価値観を探ります。一読・一見しただけではわからない「はっとする」ような見方が浮かび上がってくるはずです。そしてそれらの考え方・価値観が今の私のたちのどのような考え方・価値観に対応し、それらはどう異なっているのかを、受講生の皆さんとともに考えていきます。
〔授業方法および計画〕
授業は講義とはいっても、ともに対話しながら考えていく形式で授業は進みます。
受講生が基礎的理解力・応用力そして大学院での必要な力、さらには生涯学習力がつけられるように、次のような課題が受講生がきちんとこなすように要求されています
(1)これら作品を授業前あらかじめ読んできたかどうかのための確認テストで、正解できること。
(2)各作品の考え方・価値観についての「200字意見文」を授業時間外でまとめ、提出すること[考え抜く力の養成]。
(3)各作品の名セリフを暗誦し、ロールプレイングすること[コミュニケーションスキルおよび創造的思考力の養成]。
(4)講義全体の内容を問う中間・学期末試験[問題解決力の養成]。
取り扱う作品と内容(講義3-4回で1作品)は次のようになっています。なお学期初回は講義全体の概説、学期最終回は講義全体の総括を行います。
『ロミオとジュリエット』(1597):型にはまった愛
『トロイラスとクレシダ』(1603):愛への懐疑
『ベニスの商人』(1598):貨幣を媒介にした結婚愛
◆成績評価の方法:
成績の評価は以下の基準にしたがって行います。授業参加(20%)、小テスト(18%)、ロールプレイング(18%)、200字意見文(18%)、中間・学期末試験(26%)。60%に満たない場合はF、4回(4回目を含む)以上の欠席は「欠席」となります。
◆ 教科書:
シェイクスピア作品は松岡和子訳を利用します。
◆参考書等:
・河合祥一郎『シェイクスピアの男と女』 (中公叢書, 2006年)
・テリー・イーグルトン『シェイクスピア: 言語・欲望・貨幣』 (平凡社ライブラリー, 2013年)
・ヤーロム『<妻>の歴史』(慶應義塾大学出版会, 2006年)
・アンソニー ・ギデンズ『親密性の変容:近代社会におけるセクシュアリティ、愛情、エロティシズム』(而立書房, 1995年)
◆ 注意事項:
(1)教科書・参考書は自分で購入してください。
(2)聴講は自由ですが、聴講生もかならず小テストを受け、意見文を提出して下さい。
(3)オフィスアワーはとくに設けず、面談・質問はメイル(ssuzukiアトnagoya-u.jp アトは@に置き換え)で随時受けます。
◇ 講義題目: 15-16世紀西欧の結婚・離婚世界
◇ 開講年・期:2013年・前期
◇ 開講時限:水曜3限
◇教室:文系総合館522
◇目的・ねらい:
私たちが、日常世界で起こる出来事を見て感じ判断するとき、感じ方も判断も自国文化規範の影響を深く受けていることを気づく基礎的理解力を養います。この力を養うために、西欧15-16世紀の絵画作品を取り上げ、当時の文化規範を学び、そこから私たちの感じ方や判断を逆照射し、私たちの規範を相対化する応用力を培います。
「歴史は現実を照らし出し、記憶を活性化させ、日常の指針を提供してくれる」(キケロー)という言葉があります。私たちが日常で経験する様々な出来事も、それら出来事に対して感じる気持ちも、<現実>であることに違いはありません。しかし出来事としての区切り方も、出来事への感じ方も価値判断も、それがどれほど<現実>と思えても、区切り方も感じ方・価値判断も歴史に照らして把握しないと、事象の外貌にとらわれ事象の実態を見誤り、事象を自分で的確に意味づけることを忘れ、不適切な対処することになってしまいます。
不適切な対処からできる限り自由になるために、基礎的理解力・応用力をつけるわけですが、受講生には、文献・資料の読み方、討論の仕方、意見文の書き方など、大学院での国際言語文化研究に必要な力を高めることも、当然、射程にはいっています。
■■講義内容■■
■概要■
「恋愛で燃焼し、結婚で子孫と資産獲得、でも離婚は不可能」というのが、16-17世紀のヨーロッパの男女の愛についての考え方でした。結婚は、燃焼する恋愛とはあくまで別物で、子孫を残すための仕組みでした。恋愛と結婚は別目的なので、夫婦互いにわかり合う結婚愛というのは、この頃にはまだ受け入れがたかったのです。また離婚が不可能だったのは、神が夫婦として結びつけたものを、人為的に切り離すことはできないからでした。性格が不一致だから離婚などというのは、問題外でした。とはいえ、産褥などで妻は早死にしてくれるので、離婚をせずに再婚ができました。
このように16-17世紀の男女感覚は、今の私たちの感覚とずいぶんと異なっています。現在の感覚は、過去の感覚のフィルターを通してみると、普遍的にまともだとはいえないことになります。恋愛と結婚、そして離婚も、記録に残されているだけでも三千年前もの昔から、人間が経験してきたことですが、これらは時代と共にその捉え方が異なっているのです。
■■授業方法および計画■■
授業は講義とはいっても、ともに対話しながら考えていく形式で授業は進みます。
受講生が基礎的理解力・応用力そして大学院での必要な力、さらには生涯学習力がつけられるように、次のような課題を受講生がきちんとこなすように要求されています。
(1)各作品の考え方・価値観についての「200字意見文」を授業時間内(制限時間15分)をまとめ、提出すること[考え抜く力の養成]。
(2)各作品の主人公となり、セリフを創作し、ロールプレイングすること[コミュニケーションスキルおよび創造的思考力の養成]。
(3)各作品の講義が終了した後の定期テストに正解できること[他文化理解力の養成]。
(4)講義全体の内容を問う学期末試験で正解できること[問題解決力の養成]。
取り扱う作品と内容(講義2回で1作品)は次のようになっています。なお学期初回は講義全体の概説、学期最終回は講義全体の総括を行います。
《結婚の秘蹟》
(1) ティツィアーノ「結婚の寓意」:恋人、愛人、妻
(2) ラファエッロ「聖母の結婚」:膨張する母性、消される夫性
《未婚》と《非合理の離婚》
(3) ジョージ・ガウワー「エリザベスT世の肖像」:処女と政略結婚
(4) ファン・ダイク「チャールズI世と家族の肖像」:異なる宗旨の不幸
《離婚の幸・不幸》
(5) ホルバイン「ヘンリー八世の肖像」:離婚できなかった王と毒殺された女王
(6) レンブラント「眼をつぶされるサムソン」:妻の裏切り?
■■成績評価の方法■■
評成績の評価は以下の基準にしたがって行う。授業参加(20%)、ロールプレイング(18%)、200字意見文(18%)、定期テスト(18%)、学期末試験(26%)
■■教科書■■
特にありません。
■■ 参考書■■
・ローレンス ストーン『家族・結婚の社会史―1500年‐1800年のイギリス 』北本正章訳, 勁草書房
・ジーン・ブラッカー『ルネサンス期フィレンツェの愛と結婚』 在里寛司訳 同文舘出版 198
・エドガー・ウィント『ルネサンスの異教秘儀』田中英道 他訳, 晶文社
・アンソニー ・ギデンズ『親密性の変容―近代社会におけるセクシュアリティ、愛情、エロティシズム』而立書房
・ハッター『純潔の近代』慶応大学出版
■■注意事項■■
(1)教科書・参考書は自分で購入してください。
(2)この講義のさらに細かい内容は以下のサイトにアクセスしてください(2013年4月1日以降)。 http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~ssuzuki/ClassLecture/GraduateLecture.htm
(3)聴講は自由ですが、聴講生もかならず小テストを受け下さい。
(4)オフィスアワーはとくに設けず、面談・質問はメイル(ssuzukiアトnagoya-u.jp アトは@に置き換え)で随時受ける。
◇ 講義題目:シェイクスピア世界と現代
◇ 開講年・期:2013年・後期
◇ 開講時限:水曜3限
◇教室:文系総合館522
◇目的・ねらい:
私たちが、日常世界で起こる出来事を見て感じ判断するとき、感じ方も判断も自国文化規範の影響を深く受けていることを気づく基礎的理解力を養います。この力を養うために、西欧15-16世紀の絵画作品を取り上げ、当時の文化規範を学び、そこから私たちの感じ方や判断を逆照射し、私たちの規範を相対化する応用力を培います。
「歴史は現実を照らし出し、記憶を活性化させ、日常の指針を提供してくれる」(キケロー)という言葉があります。私たちが日常で経験する様々な出来事も、それら出来事に対して感じる気持ちも、<現実>であることに違いはありません。しかし出来事としての区切り方も、出来事への感じ方も価値判断も、それがどれほど<現実>と思えても、区切り方も感じ方・価値判断も歴史に照らして把握しないと、事象の外貌にとらわれ事象の実態を見誤り、事象を自分で的確に意味づけることを忘れ、不適切な対処することになってしまいます。
不適切な対処からできる限り自由になるために、基礎的理解力・応用力をつけるわけですが、受講生には、文献・資料の読み方、討論の仕方、意見文の書き方など、大学院での国際言語文化研究に必要な力を高めることも、当然、射程にはいっています。
■■講義内容■■
■概要■
シェイクスピア37作品のうちから6作品とりあげ、シェイクスピア時代に流通していた視覚芸術作品を用いて、それら4作品に流れている当時の独特の考え方や価値観を探ります。一読・一見しただけではわからない「はっとする」ような見方が浮かび上がってくるはずです。そしてそれらの考え方・価値観が今の私のたちのどのような考え方・価値観に対応し、それらはどう異なっているのかを、受講生の皆さんとともに考えていきます。
■■授業方法および計画■■
授業は講義とはいっても、ともに対話しながら考えていく形式で授業は進みます。
受講生が基礎的理解力・応用力そして大学院での必要な力、さらには生涯学習力がつけられるように、次のような課題が受講生がきちんとこなすように要求されています
(1)これら作品を授業前あらかじめ読んできたかどうかのための確認テストで、正解できること。
(2)各作品の考え方・価値観についての「200字意見文」を授業時間内(制限時間15分)をまとめ、提出すること[考え抜く力の養成]。
(3)各作品の名セリフを暗誦し、ロールプレイングすること[コミュニケーションスキルおよび創造的思考力の養成]。
(4)講義全体の内容を問う学期末試験[問題解決力の養成]。
取り扱う作品と内容(講義2回で1作品)は次のようになっています。なお学期初回は講義全体の概説、学期最終回は講義全体の総括を行います。
《苦痛を喜ぶイエ共同体》から《無痛を要求する民主主義》
(1)『ペリクリーズ』:紋章の時代と忍耐
(2)『リア王』:苦痛文明と非嫡出子
《摂理が覆う人倫世界》から《応報無化のポストモダン》
(3)『ハムレット』:正義の報復と神の愛
(4)『マクベス』:「賢明」と才能
《貨幣に脅かされる愛》から《安らぎのない動物化》
(5)『ベニスの商人』:憂鬱と激情
(6)『冬物語』:枢軸としての貨幣と愛
■■ 成績評価の方法■■
評成績の評価は以下の基準にしたがって行う。授業参加(20%)、小テスト(18%)、ロールプレイング(18%)、200字意見文(18%)、学期末試験(26%)
■■ 教科書■■
シェイクスピア作品は小田島雄志訳を利用します。
■■参考書等■■
・河合 祥一郎『シェイクスピアは誘う―名せりふに学ぶ人生の知恵』小学館
・森護著『西洋紋章夜話』大修館
・テリー・イーグルトン『シェイクスピア: 言語・欲望・貨幣』 (平凡社ライブラリー)
・森岡 正博『無痛文明論』トランスビュー
・マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』NHK出版
・アンソニー ・ギデンズ『親密性の変容―近代社会におけるセクシュアリティ、愛情、エロティシズム』而立書房
(12) 注意事項:
(1)教科書・参考書は自分で購入すること。
(2)この講義のさらに細かい内容は以下のサイトにアクセスすること(2013年10月1日以降)。 http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~ssuzuki/ClassLecture/GraduateLecture.htm
(3)聴講は自由ですが、聴講生もかならず小テストを受け、意見文を提出して下さい。
(4)オフィスアワーはとくに設けず、面談・質問はメイル(ssuzukiアトnagoya-u.jp アトは@に置き換え)で随時受けます。
◇ 講義題目: 15-16世紀西欧の象徴世界
◇ 開講年・期:2012年・前期
◇ 開講時限:水曜2限
◇ 目的・ねらい:
「歴史は現実を照らし出し、記憶を活性化させ、日常の指針を提供してくれる」(キケロー)という言葉があります。私たちが日常で経験する様々な出来事も、それら出来事に対して感じる気持ちも、<現実>であることに違いはありません。しかし出来事としての区切り方も、出来事への感じ方も、それがどれほど<現実>と思えても、区切り方も感じ方も歴史に照らして把握しないと、事象の外貌にとらわれ事象の実態を見誤り、事象を自分で的確に意味づけることを忘れ、不適切な対処することになってしまいます。
前期(A)では、私たちの現実への区切り方が自国文化規範の影響を深く受けていることを気づくために、西欧15-16世紀の絵画作品を取り上げ、当時の文化規範を学びます。
■■ 講義内容■■
■概要■
パリ・ルーブル美術館館長が館内のイタリア絵画展示室で<大の字>(ウィトルウィウス型)になって死んでいたという殺人事件で、『ダ・ヴィンチ・コード』は始まります。死の数日前に館長に呼び出されていたハーバード大学シンボル学教授はこの事件の謎を解いていきます。そこで浮かび上がるのは、聖盃伝説であり、シオン修道会、テンプル騎士団、オプス・デイといった耳慣れない団体、さらにはアナグラム(隠し文字)、ペンタグラム(五芒星)、アンク十字などの象徴で、最終的にはイエスの子孫が現在も生きているという衝撃的な結末を迎えます。この結末を支持する証拠となったのが、レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』でした。
15-16世紀の美術作品は、同時代に出版された象徴解説本を参照すると、『ダ・ヴィンチ・コード』ほど衝撃的ではありませんが、一見しただけではわからない「はっとする」ような意味が浮かび上がってきます。二回の授業で一作品を取り上げ、画面に宿る象徴を解読しながら、西洋に独特の思想(アダム神聖語、寓意、キリスト人性論)や文化(印刷術、結社ネットワーク)を学びます。
《隠れている謎》から《謎の落とし穴》へ
(1)レオナルド・ダ・ヴィンチ「聖アンナと聖母子」とホラポッロー『聖刻図像文字』
(2)ホラポッローとデューラー「皇帝マキシミリアーノの凱旋門」
《謎解読の鍵》から《解読の迷宮》へ
(3)ブロンツィーノ「愛の寓意」とリーパ『図像学』
(4)リーパとティツィアーノ「賢明」
《鍵と宗教》から《非合理の教理と驚異》へ
(5)ファン・エイク「授乳の聖母」とキリスト教寓意
(6)ジョヴァンニ・ベッリーニ「聖母子」と人間イエス
■■授業方法および計画■■
授業は講義とはいっても、ともに対話しながら考えていく形式で授業を進める。また講義の約3回ごとに内容理解を試す小テストを行う。
■■成績評価の方法■■
評成績の評価は以下の基準にしたがって行う。授業出席(30%)、授業参加(35%)、小テスト(35%)。
■■教科書、参考書等■■
■教科書
特にありません。
■参考書■
・高階秀爾『名画の見方』岩波新書
・若桑みどり『薔薇のイコノロジー』青土社
・エルヴィン・パノフスキー『イコノロジー研究〈上〉〈下〉』 ちくま学芸文庫
■■注意事項■■
(1)教科書・参考書は自分で購入すること。
(2)この講義のさらに細かい内容は以下のサイトにアクセスすること(2013年4月10日以降)。http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~ssuzuki/ClassLecture/GraduateLecture.htm
(3)聴講は自由ですが、聴講生もかならず小テストを受け下さい。
(4)オフィスアワーはとくに設けず、面談・質問はメイル(ssuzukiアトnagoya-u.jp アトは@に置き換え)で随時受ける。
◇ 講義題目:15-16世紀西欧の結婚世界
◇ 開講年・期:2012年・後期
◇ 開講時限:水曜2限
◇教室:文系総合館622
◇目的・ねらい:
「歴史は現実を照らし出し、記憶を活性化させ、日常の指針を提供してくれる」(キケロー)という言葉があります。私たちが日常で経験する様々な出来事も、それら出来事に対して感じる気持ちも、<現実>であることに違いはありません。しかし出来事としての区切り方も、出来事への感じ方も、それがどれほど<現実>と思えても、区切り方も感じ方も歴史に照らして把握しないと、事象の外貌にとらわれ事象の実態を見誤り、事象を自分で的確に意味づけることを忘れ、不適切な対処することになってしまいます。
前期(A)では、私たちの現実への区切り方が自国文化規範の影響を深く受けていることを気づくために、西欧15-16世紀の絵画作品を取り上げ、当時の文化規範を学びました。その基本知識を活かして後期(B)では、15-17世紀の結婚観を焦点に据え同時代の絵画から恋愛・結婚愛・家族愛を解読します。
■■講義内容■■
■概要■
ロミオはジュリエットに一目惚れし、両親の同意を得ないまま秘密結婚をします。しかしちょっとした手違いからその結婚は数時間しかもたず、二人はそれぞれ自殺します。同じシェイクスピアの作品で古代ギリシアを題材にした『トロイラスとクレシダ』では、勇者トロイラスは敵陣の女クレシダに一目惚れしますが、クレシダがいとも簡単に別な男を愛するのを見て愕然とします。もちろんトロイラスはクレシダと結婚はしません。
結婚というのは今の多くの私たちにとっては、男女間に愛が芽生え、その愛をより強固なものにしていくための手段という理解が一般的です。強固にしていくことができないとき、ロミオとジュリエットのカップルに対するように、私たちは悲哀を感じます。また愛する対象がどんな理由であれ変わってしまえば、それで結婚は終わりと見なされます。しかしそうした結婚観は、西洋ではシェイクスピア以前にはほとんど見られなかった考え方でした。16世紀以前の結婚常識では、愛情が想定されておらず、代わりに家系と家産の保持が第一義でした。こうした歴史事実を知り、また結婚手続きが教会管轄下におかれるのも、中世末だったことを知ると、恋愛→宗教的結婚式→夫婦愛→家族愛という図式は確固たる伝統ではないことがわかってきます。
前期同様に。二回の授業で一作品を取り上げ、画面に宿る象徴を解読しながら、西洋にの思想文化(恋愛と結婚の棲みわけ、教会と世俗の境界、離婚の条件)を学びます。
《隠れている謎》から《謎を解く哲学》へ
(1)ファン・エイク「アルノルフィーニの肖像画」と偽装象徴
(2)ボッティチェッリ「春」 と新プラトン哲学
《象徴の哲学》から《禁断の姦淫》へ
(3)ヴェロネーゼ「ウェヌス女神とマルス神」と姦淫礼讃
(4)嫡子相続とティツィアーノ「結婚の寓意」
《結婚の秘蹟》から《非合理の離婚》へ
(5) ラファエッロ「聖母の結婚」と切れない結婚の絆
(6) ホルバイン「ヘンリー8世」と離婚
■■授業方法および計画■■
授業は講義とはいっても、ともに対話しながら考えていく形式で授業を進める。また講義の約3回ごとに内容理解を試す小テストを行う。
■■成績評価の方法■■
評成績の評価は以下の基準にしたがって行う。授業出席(30%)、授業参加(35%)、小テスト(35%)。
■■教科書、参考書等■■
■教科書■
特にありません。
■参考書■
・ローレンス ストーン『家族・結婚の社会史―1500年‐1800年のイギリス 』北本正章訳, 勁草書房
・ジーン・ブラッカー『ルネサンス期フィレンツェの愛と結婚』 在里寛司訳 同文舘出版 198
・エドガー・ウィント『ルネサンスの異教秘儀』田中英道 他訳, 晶文社
■■注意事項■■
(1)教科書・参考書は自分で購入すること。
(2)この講義のさらに細かい内容は以下のサイトにアクセスすること(2013年10月1日以降)。http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~ssuzuki/ClassLecture/GraduateLecture.htm
(3)聴講は自由ですが、聴講生もかならず小テストを受け下さい。
(4)オフィスアワーはとくに設けず、面談・質問はメイル(ssuzukiアトnagoya-u.jp アトは@に置き換え)で随時受ける。
◆
講義題目:啓蒙家たちエリートと驚異の矮小化:「驚き」の形像文化史
■講義内容■
「驚きは思索の始まり」というアリストテレスの言葉が示しているように、「驚き」は人間を現状満足の停滞状態から前へと触発する起爆剤である。しかしそれとともに、現状の正当性確認の装置としても機能してしまう。なぜなら「驚き」は、驚異・奇跡・好奇・奇怪といったように、向かい合う対象の幅が広く、個人の視野を拡大させ、そのように種々に受け止める人間の感性を柔軟にさせる。しかしそれだけではなく、「驚き」を欠いた現状が「まとも」であることを再認させる道具となる。
従来、「驚き」の歴史は、未開・無知から啓蒙へといった単線的進歩史観か、マックス・ヴェーバーのいう「魔術からの解放」という近代化志向、はたまた人間の発見・解明努力を通じた真理の暴露過程、さらには文化格差による一方の文化から他方の文化の抑圧といったといった路線で語られることがほとんどであった。これに対して、博覧強記の科学史家ダストンとパークは、「世界の名著」といった正典化された書籍からの「驚き」の記述から逸脱して、これまで読まれず見過ごされてきたテキストを起点にして、退歩・進歩や中世・近代思考といった二項対立がまやかしであり、これらは九重八重に互い折り重なっていることを、多くの図像を用いながら説明する。また、16-17世紀の個人蒐集家や私設博物館を取り上げて、努力ではなく好奇からたまたま「本当」がわかってしまったという僥幸(いわゆるセレンデピティ)の連続を描写することで、「文化抑圧」があるとしても結果的にそうなってしまったのだと暗に諭す。
今期は「驚き」への助走として、主として16-17世紀の絵画を取り上げ、シンボルの解明を行う。その過程でシンボル読解による「驚き」に向き合うが、それだけではなく、当初はその「驚き」が正典化された書籍以外からの資料に基づく、まばゆいばかりの「驚き」の解明であったものが、時間の経過とともに解釈の地平と堕し、その輝きを失ってしまった理由にも焦点をあてる。そして、今一度、まばゆさを復活させるために、正典化された書籍以外のものにあたり、新たな「驚き」に向き合うようにする。つまり「驚き」にどのような種類があり、どのような反応が可能で、またその反応がどのような文化的営為と文化形成機能を果たしうるのかを、「驚き」の歴史を学ぶことで考えることにする。
■■授業方法および計画■■
授業は講義とはいっても、ともに対話しながら考えていく形式で授業を進める。また講義の約3回ごとに内容理解を試す小テストを行う。課題へのレポート提出を最低二度行ってもらう。
■■成績評価の方法■■
評成績の評価は以下の基準にしたがって行う。授業出席(30%)、授業参加(35%)、小テスト・課題レポート(35%)。
■■ 教科書、参考書■■
●教科書
・Daston, Lorraine, and Katharine Park. Wonders and the Order of Nature, 1150-1750. Cambridge: MIT Press, 2001.[テキストには邦訳はない。歴史・科学の分野で二つの受賞歴がある評価の高い図書]
●参考書:
・荒俣宏『99万年の叡智:近代非理性的運動史を解く』平河出版, 1985年
・ポーラ・フィンドレン『自然の占有: ミュージアム、蒐集、そして初期近代イタリアの科学文化』伊藤博明, 石井朗訳, ありな書房, 2005年
・バーナード・ポメランス『エレファント・マン』山崎正和訳. 河出書房新社, 1980年
◆
講義題目:印刷術の誕生と文化革命◆
◇開講年・期:2011年前期
◇開講時限:金 2限
◇教室:文系総合館演習室(609号室)
◇目的・ねらい:
「未来はバックミラーのなかにある」(マーシャル・マクルーハン)という言葉がある。どのような事象も歴史的に把握しないと、事象の外貌にとらわれ事象の実態を見誤り、事象を自分で的確に意味づけることを忘れ、不適切な対処することになってしまう。
前期(A)は、メディア革命という視点から、16-17世紀の印刷術(紙を媒体とした活版印刷)の興隆によって生じた文化革命について考察し、21世紀のWeb2.0状況を再考する。
後期(B)においては、メディア革命によって生じた世界観の変化のうち、自然の中に散逸している「驚異」的な物事に人間の「好奇心」が触発されて、人間の視野が広がる一方で、自国宗教文化規範の優越性を再認するといったよじれた方向に展開したことを学ぶ。
■
講義内容■
インターネットは、今の多くの私たちにとっては、公的には場所と時間の制約からできるだけ自由になって共同作業を行っていくための道具であり、私的には好縁を育成し強固なものにしていくための手段という理解されている。こうした意思疎通メディアへの考え方は、21世紀に特異なものではなく、西洋では16-17世紀にすでに確立していた。この考え方の確立は、千数百年続いた筆耕と羊皮紙を介して修道院・大学図書館をインフラとする、顔が見える対面情報伝達文化に取って代わった。
こうした歴史的視野に立つと、現に私たちが経験し実際に抱いているメディア観、それに付随する文化のあり方も異なって見えてくる。そしてその次に待ちかまえているのは、では自分はどう考えるかにかかってくる。なぜなら現実の心情としては、発信者のわからない情報の波に呑まれているよりも中世的な小さなまとまりの空間のなかで互いに気心が知れている(と思い込んでいるか、そう思い込みたい)共同性に賛成だが、それに積極的に賛成することには、当為必然が含意されていないからだ。
授業では、エリザベス・アイゼンステイン『印刷革命』(原題 The Printing Press as an Agent of Change)に沿って議論を展開しながら、こうした図式が成り立っている歴史的背景をさぐっていきます。
なおアイゼンステインは、歴史を記述する際には、いつも暗黙の内に現代の人間観が肯定されており、「価値中立的な語法」(ロラン・バルト)による「いま・ここ・私」に向かって進む歴史として要領よくまとめている。フーコーの「人間の終焉」や「知の考古学」という視点はまったくない。その意味でとてもおとなしい歴史叙述書になっているので、批判的に読むことが要求される。
■■授業方法および計画
授業は講義とはいっても、ともに対話しながら考えていく形式で授業を進めていく。また講義の約3回ごとに内容理解を試す小テストを行う。課題へのレポート提出を最低二度行う。
講義の内容は以下の順にそっていく。
1. 未確認の「文化革命」とその特徴
2. 印刷術から捉えたルネッサンスの二段階
3. 聖書釈義を変える印刷術と宗教改革
4. 印刷術を介する<自然という書物>と<知識共同体>
5. コペルニクス革命の背後にある印刷術
6. 印刷術が変えた聖書と自然
■■成績評価の方法:
評成績の評価は以下の基準にしたがって行う。授業出席(30%)、授業参加(35%)、小テスト・課題レポート(35%)。
■■教科書、参考書等■■
教科書
・Elizabeth L. Eisenstein. The Printing Press as an Agent of Change: Communications and Cultural Transformations in Early-Modern Europe Volumes I and II. Cambridge University Press, 1982.
・エリザベス・アイゼンステイン『印刷革命』(小川昭子 [ほか] 共訳, みすず書房, 1987年)[原著の抄訳]
参考書
・ジャン〓ジル・モンフロワ『消えた印刷職人: 活字文化の揺籃期を生きた男の生涯』宮下志朗訳, 晶文社, 1995年
・香内三郎『活字文化の誕生』晶文社, 1982年
・W. J. オング『声の文化と文字の文化』桜井直文, 林正寛, 糟谷啓介訳, 藤原書店, 1991年
◆
講義題目:核家族と恋愛の歴史
◇開講年・期:2010年前期
◇開講時限:木 4限
◇教室:文系総合館演習室(609号室)
◇講義内容:
「未来はバックミラーのなかにある」(マーシャル・マクルーハン)という言葉があります。どのような事象も歴史的に把握しないと、事象の外貌にとらわれ事象の実態を見誤り、事象を自分で的確に意味づけることを忘れ、不適切な対処することになります。
たとえば結婚というのは今の多くの私たちにとっては、男女間に愛が芽生え、その愛をより強固なものにしていくための手段という理解が一般的です。しかしそうした結婚観は、西洋では16世紀以前にはほとんど見られなかった考え方でした。16世紀以前の結婚常識では、愛情が想定されておらず、代わりに家系と家産の保持が第一義でした。こうした歴史事実を知り、また結婚手続きが教会管轄下におかれるのも、中世末だったことを知ると、恋愛→宗教的結婚式→夫婦愛→家族愛という図式は確固たる伝統ではないことがわかってきます。歴史的視野に立つと、現に経験し実際に抱いている結婚観、それに付随する家族愛も異なって見えてくるはずです。そしてその次に待ちかまえているのは、では自分はどう考えるかです。なぜなら現実の心情としては「恋愛→宗教的結婚式→夫婦愛→家族愛」に賛成だが、それに積極的に賛成することには、当為必然が含意されていないからです。時代風潮に迎合する発想や意見は、現時点では正しいと映っても、それは無自覚のうちに歴史把握、そして自力思考を放棄していることにほかなりません。
授業では、ローレンス・ストーン『イギリス1500-1800年代の家族、性、結婚』(原題 The Family, Sex and Marriage in England 1500-1800)に沿って議論を展開しながら、上記の図式が成り立っていると信じられている歴史的背景をさぐっていきます。
1 人口からみた結婚・誕生・死
2 開放系類縁家族の特徴(1450年〜1630年)
3 コミュニティの衰退と限定的家父長制の核家族(1550年〜1700年)
4 家父長制の強化(1550年〜1700年)
5 個人恋愛と閉鎖系の内向き核家族(1640年〜1800年)
6 友愛型結婚(1640年〜1800年)
7 親と子供の関係(1640年〜1800年)
なおストーンは、歴史を記述する際には、いつも暗黙の内に現代の人間観が肯定されており、「価値中立的な語法」(ロラン・バルト)による「いま・ここ・私」に向かって進む歴史として要領よくまとめられています。フーコーの「人間の終焉」や「知の考古学」という視点はまったくありません。その意味でとてもおとなしい歴史叙述書になっているので、批判的に読むことが要求されます。授業開始以前に下記の本は読んでおいて下さい。
授業は講義とはいっても、ともに対話しながら考えていく形式で授業を進めていきます。また講義の約3回ごとに内容理解を試す小テストを行います。また課題へのレポート提出を最低二度行ってもらいます。
成績の評価は以下の基準にしたがっておこないます。授業出席(30%)、授業参加(35%)、小テスト・課題レポート(35%)。
またオフィスアワーはとくに設けず、面談・質問はメイル(ssuzukiアトnagoya-u.jp アトは@に置き換え)で随時受けます。
この講義のさらに細かい内容は以下のサイトにアクセスしてください(2009年4月14日以降)。http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~ssuzuki/ClassLecture/GraduateLecture.htm
なお聴講は自由ですが、聴講生もかならず小テストを受け、課題レポートを提出して下さい。
◇教科書:
Lawrence Stone, The Family, Sex and Marriage in England 1500-1800 (Penguine, 1977)
(ローレンス ストーン『家族・結婚の社会史―1500年‐1800年のイギリス 』(北本正章訳, 勁草書房, 1991年)
テキストは自分で購入しておいてください。Stoneは原書か訳書どちらか一冊で結構です。
◇あらかじめ読んでおく参考書:
仲正昌樹『「分かりやすさ」の罠:アイロニカルな批評宣言』(ちくま新書, 2006年)
小此木啓吾『家庭のない家族の時代』(ちくま文庫, 1992年)
落合恵美子『近代家族の曲がり角』(角川叢書, 2000年)
加藤秀一『「恋愛結婚」は何をもたらしたか: 性道徳と優生思想の百年間』(ちくま新書, 2004年)
◆講義題目:<マルサス型結婚>が歴史事実であるとマズイか?
◇開講年・期:2010年後期
◇担当教員:鈴木繁夫
◇開講時限:木 4限
◇教室:文系総合館演習室(609号室)
◇講義内容:
人口・資源環境・技術の3つの軸が時間とともに変化することによって、歴史は二度と同じ地点に戻ることはありません。ところがこれら三つの軸が示す地点が相対的に見て同じようなパターンを示すときに、人間は同じような振る舞いをしてしまうという考え方は古くからあります。歴史は不可逆に一方向に進むのではなく「人間性の赴くところ、将来の事件もまた、過去の歴史のごとく進むであろう」(『歴史(戦史)』)とトゥキディデスはいい、マキャヴェリは考え、マルクスは指摘し、ブッルクハルトやホイジンガーもこの種の循環論に賛同しています。日本では堺屋太一のような篤学の士がこうした立場に立っています。
英国の異端的社会史家アラン・マクファーレンは、マルサスの人口論にヒントをえて、結婚することの値打ち、結婚に関する取り決め、子供を産むことの意味は、これらの軸のうち人口・資源によって決まることを説明しています。個人主義も恋愛も、これらの軸によって暗黙のうちに社会的合意がなされてできあがった社会表象であり、そして技術さえも、こうした合意の元に革新が起こるのだと説明します。
この種の単刀直入な法則性による歴史事象の系列化と整理は、英米圏でも時代遅れの奇矯と見なされています。しかし合理性を選好するはずの市場メカニズムにバブルが起こり、計算に基づく国益追求の政治活動がいつの間にか衆愚に安易に迎合するといったように、「人間性」は時代が進んだからといって易々と変貌するものではありません。ましてや現象を解明する法則や手段が高等になったからといって、現象がより焦点を結んで表象されるわけでもありません。それは、複雑な数理方程式によってすらも経済現象がつかめないことが教えています。とするなら、こうした「単純だが伝統的な視点」に沿ってマクファーレンの著作(Marriage and Love in England 1300-1840)に記された「歴史事実」を追って、私たちの通念を再検討することは無意味ではないはずです。
授業は次のような順番で進みます。
1 家族社会学(山田昌弘『近代家族のゆくえ』)
2 ダーウィンとマルサス
3 「マルサス型結婚」
4 「マルサス型結婚」の起源
5 価値としての子供
6 保険としての子供
7 結婚の目的
8 求愛と結婚式
なお授業内容を円滑に理解するために、下記の参考書は授業前に読んでおいてください。また講義とはいっても、ともに対話しながら考えていく形式で授業を進めていきます。また講義の約3回ごとに内容理解を試す小テストを行い、課題レポートを課します。成績の評価は以下の基準にしたがっておこないます。授業出席(30%)、授業参加(35%)、小テスト・課題レポート(35%)。
またオフィスアワーはとくに設けず、面談・質問はメイル(ssuzukiATnagoya-u.jp)で随時受けます。
この講義のさらに細かい内容は以下のサイトにアクセスしてください(10月14日以降)。http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~ssuzuki/ClassLecture/GraduateLecture.htm
聴講は自由ですが、聴講生もかならず小テストを受け、課題レポートを提出して下さい。
なお原著には翻訳はないため、英文読解力が不可欠です。
◇教科書:
Alan Macfarlane, Marriage and Love in England 1300-1840 (Oxford: Basil Blackwell, 1986) テキストは自分で購入しておいてください。
◇あらかじめ読んでおく参考書
山田昌弘『近代家族のゆくえ: 家族と愛情のパラドックス』(新曜社, 2004年)
山田昌弘『迷走する家族: 戦後家族モデルの形成と解体』(有斐閣, 2005年)
マルサス『人口論』(永井義雄訳, 中公文庫, 1973年)
シェイクスピア『冬物語』
シャーロット・ブロンテ『ジェーン・エア』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
講義題目:<妻>の歴史図像学
(講義年 2009年度前期)
◇開講時限:木 6限
◇教室:文系総合館演習室(609号室)
◇講義内容:
「未来はバックミラーのなかにある」(マーシャル・マクルーハン)という言葉があります。どのような事象も歴史的に把握しないと、事象の外貌にとらわれ事象の実態を見誤り、事象を自分で的確に意味づけることを忘れ、不適切な対処することになります。
たとえば結婚というのは今の多くの私たちにとっては、男女間に愛が芽生え、その愛をより強固なものにしていくための手段という理解が一般的です。しかしそうした結婚観は、西洋では16世紀以前にはほとんど見られなかった考え方でした。16世紀以前の結婚常識では、愛情が想定されておらず、代わりに家系と家産の保持が第一義でした。こうした歴史事実を知り、また結婚手続きが教会管轄下におかれるのも、中世末だったことを知ると、恋愛→宗教的結婚式→夫婦愛という図式は確固たる伝統ではないことがわかってきます。歴史的視野に立つと、現に経験し実際に抱いている結婚観もそれに付随する離婚観も異なって見えてくるはずです。そしてその次に待ちかまえているのは、では自分はどう考えるかです。なぜなら現実の心情としては「恋愛→宗教的結婚式→夫婦愛」に賛成だが、そこには当為必然が含意されていないからです。時代風潮に迎合する発想や意見は、現時点では正しいと映っても、それは無自覚のうちに歴史把握、そして自力思考を放棄していることにほかなりません。
授業では、各回ごとに結婚をテーマとした視覚芸術作品を一つとりあげ、その歴史的背景をさぐっていきます。講義は、マリリン・ヤーロム『<妻>の歴史』に沿って進行します。
1 古代世界における妻たち:聖書型・ギリシア型・ローマ型
2 中世ヨーロッパの妻たち(1100年〜1500年)
3 プロテスタントの妻たち(1500年〜1700年)
4 共和主義下の妻たち
5 ヴィクトリア朝の妻たち
6 女性問題と新しい女性
7 新しい 妻(1950年〜2000年)
なお『<妻>の歴史』の著者が歴史を記述する際には、いつも暗黙の内に現代の人間観が肯定されており、「価値中立的な語法」(ロラン・バルト)による「いま・ここ・私」に向かって進む歴史として要領よくまとめられています。フーコーの「人間の終焉」や「知の考古学」という視点はまったくありません。その意味でとてもおとなしい歴史叙述書なので、批判的に読むために、簡単に構造主義をまず学んだうえで、『<妻>の歴史』と取り組みます。
なお授業は講義とはいっても、ともに対話しながら考えていく形式で授業を進めていきます。また講義の約3回ごとに内容理解を試す小テストを行います。成績の評価は以下の基準にしたがっておこないます。授業出席(30%)、授業参加(35%)、小テスト(35%)。
またオフィスアワーはとくに設けず、面談・質問はメイル(ssuzukiアトnagoya-u.jp アトは@に置き換え)で随時受けます。
この講義のさらに細かい内容は以下のサイトにアクセスしてください(2009年4月7日以降)。http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~ssuzuki/ClassLecture/GraduateLecture.htm
なお聴講は自由ですが、聴講生もかならず小テストを受けて下さい。
◇教科書:
内田樹『寝ながら学べる構造主義』(文春新書, 2002年)
Marilyn Yalom, A History of the Wife (New York: Harpercollins, 2001)
マリリン・ヤーロム『<妻>の歴史』(林ゆう子訳, 慶應義塾大学出版会, 2006年)
テキストは自分で購入しておいてください。Yalomは原書か訳書どちらか一冊で結構です。
参考書:
日本語で読めるものに限定しました。外国語の文献は講義の途中で随時紹介していきます。
■全般■
◇セガレーヌ『妻と夫の社会史』(片岡幸彦監訳, 新評論, 1983年)
◇イヴォンヌ・クニビレール, カトリーヌ・フーケ『母親の社会史: 中世から現代まで』(中嶋公子,宮本由美 他訳, 筑摩書房, 1994年)
◇マリリン・ヤ−ロム『乳房論』(平石律子訳, ちくま学芸文庫, 2005年)
◇小谷野敦『恋愛論アンソロジ−』(中公文庫, 2003年)
■歴史■
◇R.フラスリエール『愛の諸相: 古代ギリシアの愛』(戸張智雄訳, 岩波書店, 1984年)
◇ジョルジュ・デュビ−『中世の結婚: 騎士・女性・司祭』(篠田勝英訳, 新評論, 1984年)
◇ジャック・ロシオ『中世娼婦の社会史 』(阿部謹也, 土浪博訳, 筑摩書房, 1992年)
草書房, 1991年)
◇ローレンス・ストーン『家族・性・結婚の社会史:1500‐1800年のイギリス』(北本正章訳, 勁
◇フランソワ・ルブラン『アンシャンレジーム期の結婚生活』(藤田苑子訳, 慶應義塾大学出版会, 2001年)
講義題目:罪と楽園の表象史
(講義年 2009年度後期)
◇開講時限:木 6限
◇教室:文系総合館演習室(609号室)
◇講義内容:
「未来はバックミラーのなかにある」(マーシャル・マクルーハン)という言葉があります。どのような事象も歴史的に把握しないと、事象の外貌にとらわれ事象の実態を見誤り、事象を自分で的確に意味づけることを忘れ、不適切な対処することになります。不適切な対処を回避する手段は、一般に信じられている「歴史事実」を勉強すればよいということではありません。そうした「歴史事実」がなぜ事実として信じられてしまっているのかという批判的歴史認識が必要なのです。
『ダ・ヴィンチ・コード』は教会が教え社会が支えてきた「歴史事実」とは異なった「虚構」(フィクション)を「歴史資料」に基づいて教えるものですが、「虚構」であるにもかかわらず、教会、聖書学者、小説家から過剰とも思える反論が起こりました。その底流には、性愛=罪、女性=劣位、自己不全感覚=健全といった宗教社会常識を逆なでする「虚構」がさまざまな歴史シンボルと仕掛けを通じて魅了する形で展開されていたからでした。グノーシス主義研究者ペイゲルス(プリンストン大学)は『アダムとエバと蛇』(1988年)のなかで、『ダ・ヴィンチ・コード』に先だって、そうした宗教社会常識が歴史の産物であったこと、とくにアウグスティヌスの著作を教会と国家が採用した賜物であることを、「歴史資料」に基づいて「虚構」ではなく「歴史事実」として説明しました。
日本はこうした宗教社会常識を共有してこそいませんが、多大な共鳴をしています。そこで、少なくとも西欧においてこうした常識を支えている「歴史事実」がどういうものであったのか、ペイゲルスの著作に沿って考えていきます。
1 神の国は近づいた
2 ローマ体制に逆らうキリスト教徒たち
3 創世記の主題によるグノーシス的解釈の即興変奏曲
4 「独身者の楽園」回復
5 楽園の政治学
6 自然の本性
なお内容理解のためにはキリスト教神学の基礎知識が不可欠です。アリスター・E. マクグラス『神学のよろこび:はじめての人のための「キリスト教神学」ガイド」全体あるいは 同著者『キリスト教神学入門』(神代真砂実訳)第三章をあらかじめ読んでおいてください。
なお授業は講義とはいっても、ともに対話しながら考えていく形式で授業を進めていきます。また講義の約3回ごとに内容理解を試す小テストを行います。成績の評価は以下の基準にしたがっておこないます。授業出席(30%)、授業参加(35%)、小テスト(35%)。
またオフィスアワーはとくに設けず、面談・質問はメイル(ssuzuki@nagoya-u.jp)で随時受けます。
この講義のさらに細かい内容は以下のサイトにアクセスしてください(2009年10月7日以降)。http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~ssuzuki/ClassLecture/GraduateLecture.htm
聴講は自由ですが、聴講生もかならず小テストを受けて下さい。
◇教科書:
Elaine Pagels, Adam, Eve, and the Serpent (New York: Vintage Books, 1989)
エレーヌ・ぺイゲルス『アダムとエバと蛇:「楽園神話」解釈の変遷』(絹川久子, 出村みや子訳, ヨルダン社, 1999年)
テキストは自分で購入しておいてください。Pagelsは原書か訳書どちらか一冊で結構です。
参考書:
日本語で読めるものに限定した。外国語の文献は講義の途中で随時紹介していく。
■全般■
◇ジョン・A.フィリップス『イヴ/その理念の歴史』(小池和子訳, 勁草書房, 1987年)
◇筒井賢治『グノーシス : 古代キリスト教の<異端思想>』(講談社選書, 2004年)
◇荒井献『新約聖書とグノーシス主義』(岩波書店,1986年)
◇エレーヌ・ペイゲルス『禁じられた福音書: ナグ・ハマディ文書の解明』(松田和也訳, 青土社, 2005年)
■歴史■
◇マーリオ・ヤコービ『楽園願望』(松代洋一訳, 紀伊国屋書店, 1988年)
◇ピーター・ブラウン『古代末期の世界―ローマ帝国はなぜキリスト教化したか?』(宮島直機訳, 刀水書房, 2006年)
◇岡田温司『マグダラのマリア』 (中公新書, 2005年)
■文学■
◇ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』(越前敏弥訳, 角川文庫, 2006年)
◇カレン・L・キング『マグダラのマリアによる福音書:イエスと最高の女性使徒』(山形孝夫, 新免貢訳, 河出書房新社, 2006年)
◇ミルトン『楽園の喪失』(新井明訳, 大修館, 1978年)
講義題目:都市の歴史図像学
(講義年 2008年度)後期
◇講義内容:
「未来はバックミラーのなかにある」(マーシャル・マクルーハン)という言葉があります。どのような事象も歴史的に把握しないと、事象の外貌にとらわれ事象の実態を見誤り、事象を自分で的確に意味づけることを忘れ、不適切な対処することになります。その典型が戦時中の日本でした。多くの人が「時局」という名のその時々の状況に流され、自ら事象を分析する努力を怠り、それでいながら他への批判だけは痛烈という状態になりました。これはソフィストまがいの知的人々が「レトリックの時代」(渡部昇一)をいいことに跳梁跋扈している現在でもあまり変わりません。このような「時代」にたいして、歴史的把握は、妥当な判断を保ち、真価のある行動をとるために力を発揮する知的武器となります。
たとえばグローバル化という名の下に、「都市」は物財が自由に取引される場所として規定されています。そのため自由と取引にブレーキをかけるような発言は、アンチ・グローバル、守旧勢力としてレッテルを貼られます。しかし西洋古典時代ではそもそも都市とは一定の資格と家柄をもった人間が参加することによって成り立つ共同体であり、その裏社会として資格も家柄もない女性が祝祭時に別な秩序を創り出す強力な磁場でもあったという歴史事実を知り、そういう参加型共同体を統治権力による政治の場に変質させたのはローマ時代の産物にすぎないことに気づき、さらに物財が自由に取引される経済活動の場となったのは中世から近代にかけてであり、その流れに抗するように共同体としての人間同士の共感可能性を都市はいつも模索していました。こうしたことに熟知するとき、現に経験し実際に抱いている都市観は異なって見えてくるはずです。そしてその次に待ちかまえているのは、では自分はどう考えるかです。なぜなら現実の心情としてはグローバル都市化に賛成だが、歴史的には反対といったような矛盾に自己を置くことになり、そこではじめて都市をひとつの事象として把握できるようになるからです。このプロセスの上で「グルーバル都市反対」と唱えるか、賛成の側に回るかでは、重みが違ってきます。時代風潮に迎合する発想や意見は、現時点では正しいと映っても、それは無自覚のうちに歴史把握、そして自力思考を放棄していることにほかなりません。
授業では、各回ごとに都市をテーマとした視覚芸術作品を一つとりあげ、その歴史的背景をさぐっていきます。講義は、リチャード・セネット『肉と石』に沿って進行します。
1. ペリクレス時代の市民の裸体と声
2. 都市アテネの祭儀と苦しむ肉体
3. ハドリアヌス時代ローマにおける視線と従属
4. 初期キリスト教時代における「家」の理念
5. 中世都市と共感する肉体
6. 経済によって分断される都市空間
7. 中世末期のヴェネチアと触れられないユダヤ人
8. 17-18世紀における「動く肉体」と新都市の建築
9. フランス革命期における自由都市と祝祭する肉体
10. 都会個人主義を実現するロンドン
11. ニューヨークと多元文化
授業は講義とはいっても、ともに対話しながら考えていく形式で授業を進めていきます。また講義の約3回ごとに内容理解を試す小テストを行います。成績の評価は以下の基準にしたがっておこないます。授業出席(30%)、授業参加(35%)、小テスト(35%)。
またオフィスアワーはとくに設けず、面談・質問はメイル(ssuzuki@nagoya-u.jp)で随時受けつけています。
この講義のさらに細かい内容は以下のサイトにアクセスしてください(2008年10月7日以降)。http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~ssuzuki/ClassLecture/GraduateLecture.htm
なお聴講は自由ですが、聴講生もかならず小テストを受けて下さい。
◇教科書:
Richard Sennett, Flesh and Stone: The Body and the City in Western Civilization (New York: Norton, 1996)
参考書:
日本語で読めるものに限定した。外国語の文献は講義の途中で随時紹介していく。
■全般■
◇マックス・ウェーバー『都市の類型学』(世良晃志郎訳,創文社, 1964年)
◇ルイス・マンフォード『都市と人間』(生田勉, 横山正訳, 思索社, 1972年)
◇H.コックス『世俗都市: 神学的展望における世俗化と都市化』(塩月賢太郎訳,新教出版社, 1967年)
◇ジャック ル=ゴフ編『世界で一番美しい愛の歴史』(小倉孝誠, 後平隆, 後平澪子訳, 藤原書店, 2004年)
◇ジャック ル=ゴフ『中世の身体』(池田健二, 菅沼潤訳, 藤原書店, 2006年)
■歴史■
◇トゥキディデス『戦史(上・中・下)』(久保正彰訳, 岩波文庫)
◇マルセル・ドゥティエンヌ『アドニスの園―ギリシアの香料神話』(小苅米けん, 鵜沢武保訳, せりか書房, 1983年)
◇ヴァルター・ブルケルト『ギリシャの神話と儀礼』(橋本隆夫訳, リブロポート, 1985年)
◇プルタルコス『英雄伝(上)』(村川堅太郎訳, ちくま学芸文庫, 1996年)
◇塩野七生『ローマ人の物語〈25〉賢帝の世紀〈中〉』(新潮文庫, 2006年)
◇シェイクスピア『ベニスの商人』
◇ウィリアム ハーヴィ『心臓の動きと血液の流れ』(岩間吉也訳, 講談社学術文庫, 2005年)
◇カール・ポランニー『交易・貨幣および市場の出現』(玉野井芳郎, 中野忠訳,岩波書店, 2005年)
◇リン・ハント『フランス革命と家族ロマンス』(西川長夫, 平野千果子, 天野知恵子訳, 平凡社, 1999年)
◇ギュスターヴ・ル・ボン『群衆心理』(櫻井成夫訳, 講談社学術文庫, 1993年)
◇ル・コルビュジエ『伽藍が白かったとき』(岩波文庫, 2007年)
◇E・M・フォースター『ハワーズ・エンド』
講義題目: ルネッサンス・キリスト教の表象
(講義年 2007年度)
◇講義内容:
ある作品(オブジェ)のなかにはいつも何かが表現されている。その作品に表現されているものを、表象と考えるのか、象徴と考えるのかでは異なってくる。象徴といったときには、表現されているものがどんな意味を担っているかという解明が中心で、作品の意味の謎解きに関心が向いている。これに対して表象というときには、表現されているものがどうしてそういう意味を担っているかという文化思想機構に肉薄することに関心を寄せる。この講義はその表題にあるように表象の視点に立つ。
前期は各回ごとにキリスト教美術作品を一つとりあげ、聖なるもののなかに性的なものが潜んでしまう文化思想機構を考える。聖は性とは相容れない別領域の事柄と現代の文化では見なされるが、この時代でもそれは同じであった。にもかかわらず、聖画のなかに性なるものが驚くほど多く顕在化している。この現象は、実は性なるものは聖から排除されず、キリスト教神学や文化学説によって裏打ちされ意味づけられていたから起こっている。こうした壮大な知の体系の一端を解明する。なお各回の下敷きとして、パノフスキーが提起した図像文化学という概念がいつもある。
後期には、キリスト教詩人ミルトンの『失楽園』において、「語る・創造する」ということをめぐり表象の機構を考察する。こう「語る」だけで、講義する私、ミルトンの著作全体を見渡す私、そしてそれの鏡像であることを要請される講義参加者であるあなた、あるいは講義に参加してなんらかの感想をいだくあなたが、被「創造」物として現前化する。さらにこの「私、ミルトン、あなた」は、たとえばミルトンの場合なら、『失楽園』という叙事詩を「語る」ミルトンと、これらの詩を書き終えてこの詩を被「創造」物として観照し「語る」ミルトンといったように枝分かれしていく。創造と被「創造」物との連鎖は、「私、ミルトン、あなた」をめぐって増幅していく。しかしこう「語る」だけでまたしても、こう「語る」信念の正統性・正当性は「語る・創造する」ことによってのみ保証されている。『失楽園』というキリスト教の創造主−被造物の起源に肉薄した作品を追うことで、この保証機構をこの詩人がどう捉え、私たちはどう対処するのかを、講義参加者とともに考える。
講義の進行順序は以下の通りである。
前期
1. ロヒール・ウェイデン「三博士の幻想」:図像学から図像文化学へ
2. レオナルド・ダ・ヴィンチ「聖アンナと聖母子」:聖母子の欲望
3. ハンス・バルドゥング・グリーエン「聖家族」:性的な人間キリスト
4. クイリチィオ・ダ・ムラーノ「救世主」:母親としてのキリスト
5. レオナルド・ダ・ヴィンチ「一角獣と処女」(デッサン):一角獣と聖なるもの
6. ムリリオ「無原罪の御宿り」:処女懐胎のコスモロジー
後期
1. 創造への回帰:叙事詩的欲望は記憶を作るのか?
2. 創造への直観:創造主への問いはメタレベルをこえているか?
3. 創造と被造物との境界:叙事詩の語りは無限空間への迷走を阻むのか?
4. 創造の限界:異教の戦闘神話とキリスト教永遠時間は共在するのか?
5. 底なしの創造:聖霊は異端の神とせめぎ合うのか?
6. 創造の瞬間:叙事詩的欲望への逆提言は可能か?
講義とはいっても、ともに対話しながら考えていく形式で授業を進めていく。また講義の約3回ごとに内容理解を試す小テストをする。成績の評価は以下の基準にしたがっておこなう。授業出席(30%)、授業参加(35%)、quiz(35%)。
またオフィスアワーはとくに設けず、面談・質問はメイル(ssuzuki@nagoya-u.jp)で随時受けつける。
この講義のさらに細かい内容は以下のサイトにアクセスすること(2007年4月7日以降)。http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~ssuzuki/ClassLecture/GraduateLecture.htm
◇教科書:
前期:パノフスキー『イコノロジー研究――ルネサンス美術における人文主義の諸テーマ』(浅野徹ほか訳, ちくま学芸文庫)
後期:蓮實重彦『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』(河出文庫)
ミルトン『楽園の喪失』(新井明訳, 大修館)
◇参考書:
日本語で読めるものに限定した。外国語の文献は講義の途中で随時紹介していく。
前期:
エルンスト・H・ゴンブリッチ『規範と形式 : ルネサンス美術研究』(中央公論美術出版)
高階秀爾『ルネッサンスの光と闇──芸術と精神風土』(中公文庫)ページ
高階秀爾『美の思索家たち』(青土社)
田中純『アビ・ヴァールブルク記憶の迷宮』(青土社)
松枝到編『ヴァールブルク学派――文化科学の革新』(平凡社)
後期:
ミッシェル・フーコー『知の考古学』(中村雄二郎訳, 新潮社)
ミッシェル・フーコー『言語表現の秩序』(中村雄二郎訳, 新潮社)
ジル・ドゥルーズ『差異と反復』(財津理訳, 河出書房新社
ジャック・デリダ『根源の彼方に』上・下(足立和浩訳, 現代思潮社)
講義題目:結婚観と離婚観の系譜と言説
(講義年 2006年度)
授業内容
90年代後半から現在にいたる日本において離婚理由の筆頭にあがるのは、「性格の不一致」になっている。性格不一致による離婚は許されていると近代で最初に主張したのは、17世紀イングランドの宗教詩人ジョン・ミルトンである。この350年近く前のオピニオン・リーダーは、性格不一致による離婚は聖書の言葉に従っているばかりか、多くの宗教家が支持し、また市民法(ローマ法)などからも導き出せることだと、四つものパンフレットを書いてあくことなく主張しつづけた。その主張は、たんに性格があわないので離婚というお手軽「離婚論者」という一派を生みだした。ミルトンが執筆しこの一派が認知されたのは、17世紀イングランドの内乱期のさなかのことであった。
内乱期にはホッブス『リバイアサン』が書かれ、人間が統治権力とどうかかわるのが正当であるのかが争点になってきた。この時期に、国王が適正な法手続をへて議会で裁判を受け、法に従って公開処刑されるという画期的事件があったことが教えるように、正統と目される統治権力そのものが別な新たな正統統治権力によって倒され、政体の乗り換えが起こっている。政体転換という文脈でいうなら、個人と統治権力とのかかわりが再考されるのは当然であった。
しかしその再考は政治の領域にかぎられず、実は家庭、宗教の領域でも起こっていた。とういうよりもすでに16世紀中葉から、政治・宗教・家庭のすべてがイングランドにおいては統治権力と被統治民という枠組みで捉える社会通念が確立していたから、政体転換は、宗教体制の転換、家庭における結婚の見直しへと連動していくのは自然の成り行きともいえるものであった。内乱期は一部の人々が新たな価値観を構築し、旧秩序から脱皮した新秩序を生活世界のなかに実現させうる可能性にあふれた時期であったのだ。ミルトンもそうした一部の人々であった。
しかしこうした新秩序の議論でもっとも問題になるのは、自説を展開するにあたって正典の字句解釈が私個人の偏見ではなく、普遍的な正論であることを相手に説得することであった。正論であるためには、自己を最終権威者と同調させ、自己の主張が最終権威者に裏づけられた解釈に沿うものであることを提示しなくてはならなかった。ここでいう正典とは、聖書、ローマ法、古典文学、イングランドの判例、宗教改革者の著作であり、最終権威者とは世界を創造したキリスト教の神のことである。
本講義では、1640年代前半の内乱期に書かれたミルトンの四つの離婚論を糸口として、ミルトンがなにを媒介にして自らを最終権威者として同化させ、離婚と結婚についてどういう姿が正当であり、またそれを主張するにあたって、正典をどういう地平で解釈することが正統とされたのかを探る。もちろんこの作業は、正典に直接あたり、彼の意見に反対する論者の文書を読み、私たち一人ひとりがまたミルトンの同時代人が、なにを媒介として最終権威者と同化し、どの地平で解釈するかということと切り離せない。したがってこの探求は、たんにミルトンが離婚と結婚をどう表象・再現前化させたのかという歴史事実の勉強ではなく、私たち一人ひとりの解釈の土台がどこにあるのか、最終権威者とのかかわりはどうするのかという、普段は隠れていてみえない正当・正統問題と接触することである。「気持ちが合わないから離婚する」というひと言がもつ重力は、今の私たちが考えているよりははるかに強く、日常的感情の鬱憤晴らし(カタルシス)の代替として歴史的に機能しえるのかという疑問が湧いてくる。
講義の中心テーマと進行順序は以下の通りである。
1. 夫婦愛とは近代の創造であった
2. 離婚はなぜ可能なのか
3. 離婚はなぜ許されないのか
4. 独身礼讃の根拠
5. 歴史のなかの離婚と同時代の離婚
6. 創造する交わりの虚焦点: 契約と抵抗権
7. 解釈という自己所有、権威という追認
なお問題との接触がミスマッチに終わらないために、講義といっても、ともに対話しながら考えていく形式で授業を進めていく。また講義の約3回ごとに内容理解を試す小テストをする。成績の評価は以下の基準にしたがっておこなう。授業出席(30%)、授業参加(35%)、quiz(35%)
なおこの講義のさらに細かい内容は以下のサイトにアクセスすること(2006年4月7日以降)。http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~ssuzuki/ClassLecture/GraduateLecture.htm
◇教科書:上記のURL上の講義題目をクリックすると教科書ファイルがあるので、これを自分で展開・印刷すること。
◇参考書:日本語で読めるものに限定した。外国語の文献は講義の途中で随時紹介していく。
(1)原典:ジョン・ミルトン『離婚の教理と規律』(未来社)、ミルトン『四弦琴』(リーベル)
(2)歴史:マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
ロ−レンス・スト−ン『家族・性・結婚の社会史:1500年―1800年のイギリス』(勁草書房)
渋谷浩『ピューリタニズムの革命思想』(お茶の水書房)
(3)神学:大木英夫『ピューリタニズムの倫理思想』(新教出版)
金子晴勇『宗教改革の精神』(講談社学術文庫)
(4)思想:蓮實重彦『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』(講談社学術文庫)
ミッシェル・フーコー『知の考古学』(河出書房)
講義題目:ルネッサンスの主体確立
(講義年 2004年度)
講義内容
ルネッサンス期において人間の主体が確立したといわれている。主体が確立したとすると、次の四つの疑問がおこってくる。
(1) ルネッサンス期の人々が自己というものをどのように自覚化し、自覚化したゆえに生じた表象への自意識をどう取り扱っているのか。
(2) 他の時代ではなくルネッサンス期に主体を確立させるような宗教・経済・社会上の要因があるのか。
(3) 「主体」という観念に覚醒してしまったゆえに、主体である私は、他の主体(他者)にたいして、どのような態度で接しようと模索したのか。
(4) そうした態度をとることによって、人間の観念について抑圧され隠されてしまったことはないのか。
これらの疑問点を具体的なテーマでいいかえれば、次のようになる。
(1) 寓意の脱却と個別表象への執着:一般性に自己を還元する中世の寓意思考が捨てられるようになる。それに代わって、特異性に自己を結びつけて、結びつける自分と結びつけられる自分という自我の亀裂が起こる。。
(2) 資本主義の誕生:従来からの学説のおさらいをし、学説を支える一つの証拠として文学作品を解読する。
(3) 離婚是認論:結婚という他者との交わりの強度が最も高い場について、16-17世紀になると離婚が可能だと主張されるようになった。背景にある、主体のよりどころとなる理念(「誠実さ」sincerus)を追う。
(4) 自己愛肥大とパトスの失墜:他者から区別されるかけがえのない主体が、その自己実現を果たすことこそが善だという自己愛肥大のメカニズムを深層心理学を援用しながら考察する。と同時に、自己愛肥大を正当化する理性主義と、理性が隠蔽してしまった人間の霊性との拮抗をルネッサンス・バロック絵画にあたって検証する。
これら四つのテーマについて、それぞれひとつのルネッサンス文学作品と、その作品に関連した研究概説書をとりあげて考察していく。各テーマに対応した作品と概説書は必読文献表に記載されている。なおこれらは最小限度、読むことが必要な文献であって、講義ではこれ以外にも読んでおいた方がよい「付帯文献表」を紹介する。
なおこの講義のさらに細かいシラバスは以下のサイトにアクセスすること(2004年4月7日以降)。
必読文献表
(1) 作品:シェイクスピア『ハムレット』 文献:フーコー『言葉と物』, ストイキツァ『絵画の自意識』, グリーンブラット『ルネサンスの自己成型』, 高橋康也『道化の文学』
(2) 作品:ミルトン『失楽園』 文献:ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』,金子晴勇『宗教改革の精神』, 大木英夫『ピューリタン』
(3) 作品:ミルトン『離婚の教理と規律』 文献:トリリング『「誠実」と「ほんもの」』
(4) 作品:シェイクスピア『アテネのタイモン』 文献:中沢新一『イコノソフィア』, 小此木啓吾『自己愛人間』
成績評価
講義といっても、ともに対話しながら考えていく形式で授業は進む。上の文献を読み通す勇気のない人は、授業に出てもほとんど有益ではない。講義の約3回ごとに内容理解を試す小テストをする。授業出席(30%)、授業参加(35%)、quiz(35%)
講義題目:象徴哲学の共
(講義年 2003年度)
講義内容
図像・文字という形式は別個の領域にある表象形式と考えられている。しかしヨーロッパではとくに16-17世紀に、日本では江戸時代に、これらは離反するものとしてではなく融合しうるものとして社会のなかで流通していた。融合し流通しえたのは、図像と文字のそれぞれの形式を内部から支える思想によって生まれたものだと考えられる。図像も文字もともに「書?描かれたもの」という共通性質から単純に導きだされたとは考えにくい。そこで、図像・文字という表象形式の融合を、思想と歴史の両面から探る。
この目的をはたすために、講義全体のうち前期は図像と文字にかんする思想・歴史の概論、後期の前半はヨーロッパのエンブレムと江戸の判じ絵全般について解説する。
?必読文献:
(前期)
E.パノフスキー『イコノロジー研究』(浅野徹 他 訳 筑摩書房, 2002年)
E.パノフスキー『ルネサンスの春 』( 中森義宗, 清水忠訳 思索社, 1973年)
スヴェトラーナ・アルパース『描写の芸術: 一七世紀のオランダ絵画』(幸福輝訳 ありな書房, 1993年)
ミシェル・フーコー『これはパイプではない』(豊崎光一, 清水正訳 哲学書房, 1986年)
(後期)
マリオ・プラーツ『綺想主義研究―バロックのエンブレム類典』(伊藤博明訳 ありな書房, 1998)
武田雅哉『蒼頡たちの宴』(ちくま学芸文庫)
成績評価
講義といっても、ともに対話しながら考えていく形式で授業は進む。上の文献を読み通す勇気のない人は、授業に出てもほとんど有益ではない。講義の約3回ごとに内容理解を試す小テストをする。
授業出席(30%)、授業参加(35%)、quiz(35%)
講義題目:表象の形式
(講義年 2002年度)
授業内容:
ある事柄をどのように具体的に表現するかという表象の形式について、授業年度の前期には母性観、後期にはエンブレムを中心にして考えます。母性支配であった古代世界において、文明化が進むにつれて父権となり、私たちがその思考パターンから抜けられないという「問題」を、さまざまな母性観につうじて確認します。そしてその「問題」が広い意味の言説のなかのひとつの説話にすぎないという、あらたな「問題」として読みかえてみるのが、前期に表象形式としてあつかうテーマです。後期は、16-17世紀に流行したエンブレム(図絵と詩とが一セットとなった表象体)の成立起源を、教官のフィールドワークを紹介しながら探ります。起源探索の過程において、抽象観念を詩という表象形式によってだけあらわすことに満足できなかった、16-17世紀の西ヨーロッパの人々の背景にある、表音文字へのいらだちと、表意の形式に対する渇望の歴史をたどることにします。
必読文献:
・荒井献『新約聖書の女性観』(岩波セミナーブックス)
・エヴァ・C・クールズ『ファロスの王国』
・リ−アン・アイスラ−『聖杯と剣』 (法政大学出版局)
・Nancy Chodorow, The Reproduction of Mothering (Univ. of
California Press)
・フーコー『言葉と物』(第一部1章)(新潮社)
・フーコー『これはパイプではない』 (哲学書房)
・マリオ・プラーツ『綺想主義研究』(ありな書房)
・蓮實重彦『物語批判序説 』(中公文庫)
融合する表象形式:16-17世紀のエンブレム
(講義年 2001年)
授業内容
図像・文字という形式は別個の領域にある表象形式と考えられている。しかしヨーロッパではとくに16-17世紀に、日本では江戸時代に、これらは離反するものとしてではなく融合しうるものとして社会のなかで流通していた。融合し流通しえたのは、図像も文字もともに「書⁄描かれたもの」という共通性質から単純に導きだされることではなく、それぞれの形式を内部から支える思想によって生まれたものだと考えられる。図像・文字という表象形式の融合を、思想と歴史の両面から探る。この目的をはたすために、講義全体のうち前期は図像と文字にかんする思想・歴史の概論、後期の前半はヨーロッパのエンブレムと江戸の判じ絵全般について解説し、後半では個別具体例にあたる。
必読文献:
ペヒト『美術への洞察』(岩波出版)
パノフスキー『イコノロジー研究』(美術出版)
アルパーズ『叙述の技』
フーコー『言葉と物』(第一部2章─4章2節)(新潮社)
『これはパイプではない』 (哲学書房)
阿辻哲次『漢字の社会史』(PHP新書)
武田雅哉『蒼頡たちの宴』(ちくま学芸文庫)
表象(言語・象徴)の成り立ち:私たちは世界をどう見ているのか?
(講義年 2000年度)
授業内容
人間は世界をどう認識しているのか、その成り立ち方に表象(言語・象徴)はどのようにかかわっているのか――この二つの点をめぐって、4人の学者の説を手がかりにして探る。
講義全体の最初1/4では、パノフスキーを中心にする。芸術哲学では@人間の活動(表象・再現前化)がどうあるべきだと位置づけられてきたのか、またA活動する当の人間が世界を表象化する枠組にどのように支配されていると考えら得ているのかを学ぶ。@に関してはプラトンのイデア論という表象活動蔑視思想が16-17世紀には表象肯定論にすりかわっていったかという過程を知ることによって、表象の価値観を確認する。Aについては、イデアが主体(創造者)を介して表象化されるといっても、それは狭い意味での象徴形式を介してなされており、遠近法発見以前と以後とでは表象の質が激変することを見ることによって、確認する。
次の1/4では、フーコーを扱う。@表象が表象として成り立っているためには表象全体を統括する土台が不可欠であり、なおかつこの土台のあり方が時代とともに変化していることを学ぶ。またAその不可欠な土台そのものがどういう風に表象化されうるのか、言語と視覚芸術との接点を媒介にして学ぶ。
必読文献:
パノフスキー『イデア』 『ルネッサンスの春』(岩崎美術出版)
フーコー『言葉と物』
『これはパイプではない』(哲学書房 豊崎光一・清水正訳)
内田隆三『ミッシェル・フーコー』
クリステヴァ『ことば、この未知なるもの』(国文社,1983年)第1部
西洋と東洋の言語と象徴
(講義年 99年度)
授業内容
人間は世界をどう認識し、その成り立ちと言語・象徴はどのような関係にあるか、5人の言語哲学者を手がかりにして探る。講義全体の最初1/4は、哲学では世界存在や人間の認識がどのように考えられているかを学び、人間が言語・象徴なしには生きられない存在であることを確認する。次の1/4では、「定説」となったソシュールの言語理論を外観し、言語・象徴が人間社会でどのように機能しているかを知る。
後半の最初の1/3では、ソシュール理論を一歩深めたカッシラーに依拠しながら、言語・象徴というワンセットが、実際には象徴形式が言語に優先し、象徴形式の一部として言語があることを解き明かす。次の1/3に、ソシュール理論を批判したデリダの差延・差異という概念を導入することによって、象徴形式そのものを人間の世界認識の根源とするような考え方を転倒させる。最後の1/3では、人間の象徴行為による独自の構築物そのものが、すべて<空>の発現にすぎないという東洋の言語観によって、象徴行為の価値観そのものを脱構築する。
なお、詳しいシラバスは、授業初回時に渡す。
必読文献:
廣松渉『新哲学入門』(岩波新書,1988年)
廣松渉『哲学入門一歩前』(講談社現代新書,1988年)
フェルディナン・ド・ソシュール『一般言語学講義』(小林英夫訳,1972年)
エルンスト・カッシーラー『シンボル形式の哲学:第一巻 言語』(生松敬三・木田元訳 岩波文庫, 1989年)
ジャック・デリダ『根源の彼方に』上・下(足立和浩訳 現代思潮社, 1972年)
井筒俊彦『意識と本質: 精神的東洋をもとめて』(岩波文庫, 1991)
西洋と東洋の象徴と言語
(講義年 98年度)
授業内容
今世紀にすでに古典となった四人の思想家を手がかりにして、象徴行為と言語との関係を探り、文化のいとなみについて論じる。講義全体の最初1/4は、丸山圭三郎・クリステヴァから言語観の基礎を学び、人間が象徴なしには生きられない動物であることを学ぶ。次の1/4では、象徴が人間社会でどのように機能しているか、カッシラーを通じて概観する。後半の最初の1/4では、ランガーによって、芸術という特定の場において、象徴が実際にどのように機能しているかを知る。最後の1/4では、そうした人間の象徴行為による独自の構築物は、すべて<空>の発現にすぎないという東洋の言語観によって、象徴行為の価値観そのものを見直す。
必読文献:
丸山圭三郎『言葉とは何か』(夏目書房,1997年)
クリステヴァ『ことば、この未知なるもの』(国文社,1983年)
エルンス・カッシラー『人間』(岩波文庫,1996年)
S. K. ランガー 『シンボルの哲学』(岩波双書,
1991)
『芸術とは何か』(岩波新書,
1967)
井筒俊彦 『意識と本質:
精神的東洋を索めて』(岩波書店, 1991)
『超越のことば: イスラーム・ユダヤ哲学における神と人』(岩波書店, 1991)
言語思想と象徴──デリダ、カッシラー、ラミュー、ジアルダ──
(講義年 97年度)
授業内容
(1)四人の思想家がどのような世界観を持っていて、言語についてどう考え、その結果、人間の象徴(表象)行為をどのように価値づけているかを論じます。おおまかに表題の思想家の鍵言葉を順にいえば、デリダは差延と戯れ、カッシラーは超越的内在と構築、ラミューは徹底的二分法と解体、ジアルダは無際限のアレゴリー化という観点から考えていきます。
これらの思想家は、時代(順に20世紀後半、20世紀中葉、16世紀中葉、17世紀前半)も異なれば、著作の言語(順に仏語、独語、ラテン語、ラテン語)も違っており、また予備知識もかなり要求されます。そこで次のような講義形式を取ります。
(2)各思想家を扱う前に、その著作を理解するのにとても役立つ関連書(日本人の著作)を取り上げ、その後、思想家の著作に順に踏み込んでいきます。
必読文献
1. 竹田青嗣『現代思想の冒険』(筑摩書房,1992年)
2. 丸山圭三郎『ソシュールを読む』(岩波書店)
3. ジャック・デリダ『グラマトロジーについて』(現代思潮社)
4. 竹田青嗣『自分を知るための哲学入門』(筑摩書房,1990年)
5. エルンス・カッシラー『象徴形式の哲学』第一巻(岩波文庫,1990年)
6. 渡部昇一『言語と民族の起源について』(大修館書店,1973年)
7. Walter J. Ong, Ramus: Method and the Decay of Dialogue (Harvard Univ.
Press, 1958)
8. 高階秀爾『ルネッサンスの光と闇──芸術と精神風土』(中公文庫,1987年)
9. クリストフォーロ・ジアルダ『象徴の図像』(私家版)
共在するメディアの知−−ヨーロッパ16・17世紀のエンブレム文学と江戸の遊び絵
(講義年 96年度)
授業内容
(1)エンブレム文学概観
16世紀前葉から17世紀中葉まで興隆したエンブレム文学(下図参照)を解説します。代表的な作家を7人あげ、彼らが医者・法学者・画家であるにもかかわらず、この独特な文学に手をそめた経緯とその作品の特徴を述べます。その過程でこの文学に共通する基盤が、人生をいかにいきるべきかのマニュアル化を目指していたことを焙り出します。なお、原著はおもにラテン語で書かれていますが、これらには和文を付すので、ラテン語の知識がなくても大丈夫です。
(2)16・17世紀ヨーロッパ文化史個々のエンブレムの内容を理解するには、この時代になって再発見されたギリシア・ローマ文学がどう受容されていったかという文学史の知識が必要です。また、エンブレムのテキストが、文字だけで成り立つ文学作品でなく図絵と文字が一セットになっていることは、印刷術が普及してまもないこの時代にあって、視覚・聴覚のそれぞれのメディアが共在していたという、現代からみれば奇妙な事態への理解が不可欠です。さらに、宗教改革(プロテスタント)の勃興とエンブレムの興隆が合致していたことは、エンブレムが図絵を大事にする産物であるだけに、改革者達の偶像破壊運動との力関係を射程に入れておく必要があります。以上の点を解説します。
(3)江戸の遊び絵
(1)(2)から、エンブレム文学は特定の時代の特別な地域での現象と誤解されるかもしれません。しかし、エンブレム形式の文学は、中国の南画やその影響を受けた江戸末期の遊び絵にも息づいていることを明らかにします。ただし、この点については講義全体のなかで軽く触れる程度です。
西洋文学:エンブレムのルネッサンス
(講義年 95年度)
授業内容
ルネサンスは、現代の学際的な立場をすでに400年以上も前に確立していた。そんな時代の文学を、同時代の視覚芸術作品とリンクさせて、文学が、人間身体に働きかけることによって、個々の人間をより豊かで開かれたものにしていくという重要な役割を考える。なお、ここで扱う文学とは、この一世紀間、忘れられてきたエンブレム文学集である。授業内容の詳細は、シラバスを参照のこと。なお、受講にあたっては、すでにラテン語文法を習得していることが望ましい。
高校までの間にほとんど触れることのなかった西洋文学、とりわけ一人ではやや読み難いルネッサンス文学を解説する。ただし、ここで扱う文学は、この一世紀間、忘れられてきたエンブレム文学集である。エンブレムとは、モットー、図絵、解説詩の三つの要素で一セットになっているものをさす。16-7世紀のヨーロッパで大流行したエンブレムは、明瞭さではなく韜晦を好み、情報受信者がいらだつことに喜びを感じる、そういう伝達メディアだった情報はできるだけ正確に、そして可能なかぎり短い形で伝えるのがよいというわれわれの常識は、ここではくつがえっている。これはいったいどういうことなのだろうか。次のような手順で、この問題を概説していく。
1. エンブレムは、文字(モットー、解説詩)と図絵が相互に干渉しあって、図絵が言葉化すると同時に文字のほうも図絵化し、エンブレムそのものが限りなくピクトグラム(絵文字)に収斂していくことを明確化する。そのために、主要なエンブレム集約20点について、一つ一つの例を上げて説明する。
2. また、この作業と平行して、それらのエンブレム集の序文に示されている各著者の言語観を探る。
3. 言語観にかんする知識は、言葉やものの象徴性を神による恣意的意味づけというネオ・プラトン的解釈と、人間を中心として比喩を外在化させていくアリストテレス主義解釈とが、どこでどのように違うのかという点をめぐって活用する。
4.以上の作業によって、@エンブレムのピクトグラム化に二つの方向があったこと、Aピクトグラム化現象はプラトンとアリストテレスという西洋の伝統的な思考パターンに準拠していること、Bピクトグラム化そのものには、西洋の特徴とされる言葉と図絵という二項対立関係が揚棄されていることが示される。
5.図絵と文字を平行記述し象徴的意味をもつピクトグラムとなるエンブレムは、擬似神聖文字あるいはアダム語−−普遍言語−−の人工版という意図が潜在的にあったことを示す。