エンブレムとはどんなものか エンブレムの翻訳 エンブレムと文学・文化とのかかわり
エンブレムの研究書・解説書・翻訳案内
これまで図像研究者によって幻の存在であったアルチャートの墓像彫刻が,パヴィーア大学内に現存することを示した。また,この巨大な彫刻像が当時の人文主義者墓像の伝統線上にあり,アルチャートの生涯や作品と密接な関係があることを論じた。
エンブレムは理性の次元における道徳性と倫理が支配する世界へと向いている。これにたいして、物質のなかに受胎している運動性やトーンをできるかぎり生のまま開示して、鑑賞者を無限につながる霊の自由な領域に飛翔させるのが、中国画である。ところが江戸時代の判じ絵や摺物は、理性が支配する論理・説話の領域と、幽玄で深遠な霊的世界との中間地帯を遊走し、言葉によって相対的に固定された世界を解体しこわばりをほぐしていく。
ウィザーは,ロレンハーゲンの作品の図像とその構成をそっくりそのまま「借用」している。にもかかわらず,図像の解説詩においては,ロレンハーゲンを意識して模倣しつつも,ウィザーなりの新解釈と自らの詩風を図像に吹きこんでいる。この模倣と逸脱の構図は,ローマ法学の注釈の伝統が歪められた形で受け継がれているがために可能になっていることを証明した。
フェーンのエンブレムのひとつに、女性の眼から矢が飛び出し、矢が男性の心臓をつらぬき、その女性への恋に男性の心は燃えるという図像がある。美しい女性の眼から飛び出す矢というグロテスクな姿は、当時の恋愛詩で用いられた慣用句(クリシェ)であり、むしろ優雅にして可憐な姿であったことを説明した。
世界の宗教や神話にかかわるシンボルを,アルファベット項目別に整理したもの。原著にはない図版を約100点加え,用語集や参考文献を添えた。
ファン・フェーンの生涯を考察し,この作品がカトリックの伝統に負っている図像を用いていることを論じた。また,このラテン語作品の序文および最初の12枚のエンブレムを翻訳し,詳細な注釈を付した。(40〜85頁)
このラテン語作品のうち15枚のエンブレムを翻訳し,注釈を付した。
このラテン語作品の構成を説明した。また,作品のうち71枚のエンブレムを翻訳し,詳細な注釈を付した。
エンブレムは文学作品(詩や演劇)とどういうかかわりをもっているか
女性の眼から矢が飛び出し、矢が男性の心臓をつらぬき、その女性への恋に男性の心は燃えるという図像が16世紀にはいくつかある。美しい女性の眼から飛び出す矢というグロテスクな姿は、当時の恋愛詩で用いられた慣用句(クリシェ)であるばかりか、当時の視覚理論や哲学思想と結びついた知的な裏づけのある姿であることを説明した。
ルネッサンス芸術と文学との影響関係を扱った論集。執筆箇所は「痛みの視覚芸術−−人間リアの忍耐」。シェイクスピアの『リア王』にみられる痛みが,ルネッサンス視覚芸術作品で初めて表現されるようになった痛みの表現と合致していることを示した。
『リア王』の痛みに関する比喩と,痛みの変化にともなって起こるリアの精神変容が,当時の視覚芸術にみられる痛みや精神の寓意像と呼応していることを証明した。それによって,痛みにたいする当時の鋭敏な意識と,この作品のそれとが重ねあわされうることを示した。
リアが表現する痛みは,リア自身が既成の道徳律から離陸し,怪物的理性による自然の把握に至ったことのあらわれである。幾何学的な整然とした理性からおぞましいバロック的な理性へというこの変化が,視覚芸術の表現にもみいだされることを示した。
ルネッサンス期に流行した図像(エンブレム)集の基本構成および倫理性,さらに今世紀における図像集研究の系譜を論じた。また,シドニー、シェイクスピア、ミルトンにおいて,エンブレムとどのような関係づけが可能であるかを示した。
この恋愛ソネット集は,図像集の図絵と対応する表現・比喩に満ちあふれている。なかでも「眼矢」,「翼の手」という奇抜なトポスを取り上げて,図像文学を用いることによって,現代では隠れてしまったソネット中のそれらの箇所の意
味を解明した。
この劇では,王レオティーズが制度を支える絶対的な中心ではなく,近代資本主義の貨幣のように,メタ記号にしてかつ単なる記号であるという循環的存在であることを,視覚芸術の透視法理論に基づいて解明した。
『官能の庭マニエリスム・エンブレム・バロック』(若桑みどり 訳 ありな書房, 1992)
『ムネモシュネ―文学と視覚芸術との間の平行現象』(高山宏 訳 ありな書房, 1999)
といった文学とエンブレムとの関係を考えるうえで、基本的情報をあたえてくれる名著がある。