G. K. Chesterton, Orthodoxy の精読

CHAPTER I Part01

●CHAPTER I. Introduction in Defence of Everything Else_

The only possible excuse for this book is that it is an answer to a challenge.

Even a bad shot is dignified when he accepts a duel.

When some time ago I published a series of hasty but sincere papers, under the name of “Heretics,” several critics for whose intellect I have a warm respect (I may mention specially Mr. G. S. Street) said that it was all very well for me to tell everybody to affirm his cosmic theory, but that I had carefully avoided supporting my precepts with example.

“I will begin to worry about my philosophy,” said Mr. Street, “when Mr. Chesterton has given us his.”

It was perhaps an incautious suggestion to make to a person only too ready to write books upon the feeblest provocation.

But after all, though Mr. Street has inspired and created this book, he need not read it.

If he does read it, he will find that in its pages I have attempted in a vague and personal way, in a set of mental pictures rather than in a series of deductions, to state the philosophy in which I have come to believe.

I will not call it my philosophy; for I did not make it.

God and humanity made it; and it made me. 

I have often had a fancy for writing a romance about an English yachtsman who slightly miscalculated his course and discovered England under the impression that it was a new island in the South Seas.

I always find, however, that I am either too busy or too lazy to write this fine work, so I may as well give it away for the purposes of philosophical illustration. 

【語注】


Mr. G. S. Street: (1867–1936)ジョージ・スライス・ストリート。英批評家・ジャーナリスト・小説家。とくに1890年代の文壇の空気を外側から記録しつつ、同時代の作家群を風刺的に観察したことで知られる。 本書との因縁は次のとおり。チェスタトンは本書の三年前に評論集『異端者たち』(Heretics, 1905)を出版した。そこでは、バーナード・ショー、キプリング、H・G・ウェルズら同時代の人気作家たちを、各人の奉じる人生観・宇宙観が誤っているとして、次々と「異端者」として裁いた。裁いた動機としてチェスタトンは、「誰もが自分の宇宙観を堂々と主張すべきだ」と説いた。この『異端者たち』を書評したのがストリートである。ストリートは本の個々の主張に反論するのではなく、その論の立て方そのものを突いた。すなわち宇宙観の表明を他人には要求しておきながら、チェスタトンは自らの宇宙観を表明していないという批判である。ストリートは、異端者とした裁いた個々の内容への反駁ではなく、他人を裁くのに使った物差しを、まず自分が見せよという挑発であった。チェスタトンはこれを「挑戦状」(第一文の a challenge)として受けて立ち、自分が信じるに至った哲学を今度は自ら開陳する本書『正統とは何か』(Orthodoxy, 1908)を書いた。

said that …… but that: said の目的語となる that 節が、but をはさんで二つ並んでいる形。「(批評家たちは)…だと言い、しかし…だとも言った」。二つ目の that を省略せずに繰り返すのは、but 以下もまだ批評家たちの発言の中身であることを読者に明示するため。もしこの that がなければ、but 以下はチェスタトン自身の地の文と読み違えられかねない。長い文で伝達内容を並列するときの、書き言葉らしい丁寧な作法。
なお英語では、人の言葉を引用する時にはこのように間接話法が標準で、日本語のように直接話法で書くと、幼稚な響きをもってしまう。これに対して日本語では、人の言葉を伝えるとき、報告者の立場から発言を要約するのではなく、発言者の身に自分を憑依させ、その人が話したままの言葉をかぎ括弧で再現する直接話法が自然である。この違いの正体は、視点の置き場所の違いである。英語の間接話法では、すべてが報告する側(ここではチェスタトン)の視点から語られるので、批評家の発言の中に出てくるチェスタトン自身は me / I(私)と表される。ところがこれを日本語の直接話法に組み替えると、視点は発言した側(批評家)に移るので、同じ人物を指す語が「あなた(ご自身)」に変わる。実際、本文の said that it was all very well for me to tell … but that I had carefully avoided … を、【訳】では「『……と説くのは結構だ。しかし、その教えを実践してみせることを、ご自身が実に巧妙に避けているではないか。』」と直接話法に転換しており、原文の me / I が「ご自身」に置き換わっている。¶ He said that he was too busy to come. を「彼は、彼が忙しすぎて来られないと言った」と間接話法のまま訳すと翻訳調のぎこちない日本語になるが、「彼は『忙しくて行けないよ』と言った」と直接話法に転換すれば自然になる。このように、英語=間接話法が標準/日本語=直接話法が標準という「よじれ」を意識し、英語の間接話法は日本語の直接話法に変換して訳すこと(その際、人称や語尾も発言者の視点に合わせて調整すること)が、自然な翻訳のための基本技術である。

an incautious suggestion:「不用意な発言」。suggestion はここでは「提案」というより、ストリート氏の皮肉な一言(「チェスタトン氏がご自身の哲学を示された暁には…」)を指す。incautious は cautious(用心深い)に否定の接頭辞 in- がついた形で、相手がどう出るかを考えずにうっかり口にした、という含み。文全体は It was perhaps an incautious suggestion to make … の形で、It は形式主語、to make 以下が真主語。「…な人間に向かってするには、いささか不用意な発言だった」。 ここでなぜ a(an)が付くのか。advice や information からの連想で、suggestion も不可算名詞であり、a は付かず、数えるなら a piece of suggestion となるはずだ、と考えたくなる。しかし可算か不可算かは、名詞に生まれつき備わった性質ではなく、話し手がその対象を「輪郭のあるひとまとまり」として認識しているかどうかで決まる。advice は「助言というもの」を、水や砂のように量として捉える連続体として認識するので不可算であり、一つ二つと数えたいときにだけ容器を与えて a piece of advice とする。これに対して suggestion(提案・発言)は、始まりと終わりのはっきりした「一回の発言」、内容のまとまった一個の行為として認識される。an idea, a remark, a proposal, a question などと同じ仲間である。だから make a suggestion(発言を一つする)、two suggestions(二つの提案)と、そのまま数えられる。本文でも、ストリート氏があの場で口にした一回きりの発言を指しているからこそ an incautious suggestion となる。¶ May I make a suggestion?(一つ提案してもよろしいですか)/ Do you have any suggestions?(何か提案はありますか)。 ただし suggestion にも不可算の用法がある。「暗示(の作用)」という意味のときで、hypnotic suggestion(催眠暗示)、the power of suggestion(暗示の力)がその例。こちらは個々の発言ではなく、心に働きかける作用そのものを指すため、輪郭がなく数えられない。同じ名詞が、認識のされ方しだいで可算にも不可算にもなる好例である。

make to a person: make a suggestion to a person「人に向かって発言する」の型が土台。a suggestion が前に出て、to make (it) to a person という形容詞的用法の不定詞になっている。つまり make の目的語は直前の suggestion で、to a person は「相手」を示す。この後の only too ready 以下は a person を後ろから修飾している。「(本を書きたがってやまない)人間に向かってするには(不用意な発言)」。

only too ready to write books:only too ~は「あまりにも~すぎるほど、困ったことに(あるいは嬉しいことに)実に」という強調。too の「度を越している」という響きを残しながら、それを only で「まさに」と押さえる言い方。¶ I’m only too pleased to help.(喜んでお手伝いしますとも)。ready to do は「いつでも~する気でいる」。合わせて「本を書きたくてうずうずしてどうしようもない」。チェスタトンが自分自身を茶化して言っている。

upon the feeblest provocation:upon(= on)+名詞は「~があり次第、~をきっかけに」。provocation は「挑発、刺激、(行動の)きっかけ」で、ここでは「本を書く口実」ほどの意味。feeble「弱々しい、かすかな」の最上級 the feeblest には even(~でさえ)の含みがあり、「どんなにささやかなきっかけであろうと、それさえあれば」。write books upon the feeblest provocation 全体で「ほんの些細な口実さえあれば本を書いてしまう」。

after all:文の途中(や文頭)に置かれる after all は「何だかんだ言っても、結局のところ、そうは言っても」。文末に置いて理由を添える after all(「だって~なのだから」)とは働きが違う点に注意。ここでは But after all, though Mr. Street has inspired and created this book, … と譲歩の though 節を従えて、「氏がこの本を生んだ張本人ではあるが、そうは言っても(読む義務まではない)」と話を転じる働きをしている。

have attempted …… to state:文の骨格は attempted to state ~「~を述べようと試みた」。ところが attempted と to state の間に、in a vague and personal way、in a set of mental pictures rather than in a series of deductionsという、述べ方の様態を示す長い挿入句が割り込んでいる。挿入がどれほど長くても attempt to do の型を見失わないこと。英語では動詞と不定詞の間にこのように副詞句がまとめて挟み込まれることがよくある。

the philosophy in which I have come to believe: believe in ~「~の存在や価値を信じる、~を信奉する」の in が、関係代名詞 which の前に繰り上がった〈前置詞+関係代名詞〉の形。believe ~(人の言葉を信じる)と believe in ~(その存在・価値そのものを信じる)の区別が土台にある。哲学は「言葉を信じる」対象ではなく「身を委ねて信奉する」対象なので in が必要。また come to do は「(いつのまにか)~するようになる」で、自分の意志で信じたというより、気がつけば信じるに至っていた、という含み。この含みが後の「哲学のほうが私を作った」という逆説につながる。

an English yachtsman: yachtsman は趣味でヨットを操る人。当時のイギリスでヨット遊びは紳士の優雅な余暇であり、探検家でも船乗りでもない素人が「新大陸を発見」するという設定の滑稽さを支えている語。

may as well:「(どうせ他にしないのなら)~した方がましだ、いっそ~してしまおう」。might as well ともいう。積極的に「~すべきだ」と勧めるのではなく、より良い選択肢がないので消去法的に選ぶ、という消極的な響きをもつ。¶ There’s nothing to do, so I may as well go to bed.(することもないし、いっそ寝てしまおう)。ここでは「忙しさと怠惰でどうせ書けないのだから、せめて哲学の説明のたとえ話として進呈してしまった方がましだ」。may well(~するのももっともだ、たぶん~だろう)と混同しないこと。

第一章 それ以外のあらゆることを弁護する序章

この本に許される唯一の言い訳があるとすれば、それは、ある挑戦状への返答として書かれたということだけである。

腕の悪い射手であっても、決闘を引き受けたとなれば、それだけで多少は面目が立つ。

少し前に、私は『異端者たち』という題で、急いで書いたとはいえ誠実な一連の文章を発表した。すると、私が心から敬意を抱いている知性の持ち主である何人かの批評家たち(とりわけ G・S・ストリート氏の名を挙げておきたい)が、こう言ったのである。

「誰彼かまわずに、『自分の宇宙観を堂々と主張せよ』と説くのは結構だ。しかし、その教えを実践してみせることを、ご自身が実に巧妙に避けているではないか。」

ストリート氏はさらにこう言った。

「チェスタトン氏がご自分の哲学とやらをお示しくださった暁には、私も自分の哲学について思い悩むことにいたしましょう。」

こういう発言は、いかにささやかなきっかけであろうと本を書きたがってやまない人間に向けた発言としては、いささか不用意な言葉であったかもしれない。

とはいえ、この本は、とどの詰まりは、ストリート氏が着想を与え、生み出したようなものなのだから、本人は別に読まなくてもかまわない。

ただもし読む気になれば、この本の色々なページの中で、私がいつしか信じるに至った哲学を語ろうと試みているのを見出されるであろう。ただし、それは厳密な論証を積み重ねる形ではなく、どちらかといえば、心象風景を並べるようにして、漠然とした、きわめて個人的な語り方によってである。

もっとも、その哲学を「私の哲学」と呼ぶつもりはない。

私が作ったものではないからだ。

それは神と人類が作ったものであり、そして、その哲学のほうが私を作ったのである。

私はかねてより、こんなロマンスを書いてみたらどうかという淡い思いにしばしば抱いた。

あるイギリス人のヨット乗りが、ほんの針路をわずかに見誤ったために、南太平洋の未知の島を発見したと思い込むが、実はそこがイングランドだったという話である。

しかし悲しいかな、私はいつも忙しすぎるか、さもなければ怠けすぎるために、この傑作を執筆できずにいる。

ならばいっそのこと、この話を、哲学を説明するためのたとえとして、気前よく読者に進呈してしまった方がマシというものだろう。

❧解説

「唯一の言い訳」
普通なら「この本を書く理由」と言うところを、あえて「言い訳」と言って、自著の存在価値を疑ってかかり、自著を茶化している。しかしこれからほんの少し読み進めればわかるように、この本はチェスタトンが本気で信じるに至った信条の表明である。言い訳がましく始めていても、実は最も本質的な信条告白をする」という構えには、へりくだりを装った大胆さが潜んでいる。

「腕の悪い射手」「本を書きたがってやまない人間」
自分を一流の思想家としてではなく「下手くそな決闘者」「書く口実を欲しがっているだけの筆たらし」として自らの行為を自虐的に描いている。と同時に、自分の哲学を書くのは危険だが、挑まれた以上は逃げないという誇りが同居している。負けを認めるふりをして、実際には土俵に立ったこと自体を誇っている。謙遜が武勇伝に反転する瞬間です。

「心から敬意」「本人は別に読まなくてもかまわない」
この本を書かせるきっかけをあたえた張本人に対して、大げさにレスペクトしつつ、書かせた責任はあるが、この本を読む義務はないと、肩すかしをくらわせている。

その哲学を「私の哲学」と呼ぶつもりはない。私が作ったものではないからだ。それは神と人類が作ったものであり、そして、その哲学のほうが私を作ったのである。
本書最大の逆説(パラドックス)です。表面的には、私の哲学は、私のものであるはずなのに、私独自のものと思っているに過ぎないことがわかったという逆説になっている。しかしこの逆説は四層からなっている。

1. 「私の哲学」を書けと言われて、「私の哲学ではない」と答える逆説
この本は、批評家G. S. ストリートから「チェスタトン自身の哲学を示してみろ。」と挑発されたことへの返答として書かれています。普通なら、「これが私の思想です。」と宣言するところです。ところがチェスタトンは、「いや、これは私の哲学ではない。」と言う。つまり、「自分の哲学を書け」という要求に応えているようで、その要求そのものを否定してしまう。

2. 哲学は「創作」ではなく「発見」である
現代では、哲学とは自分で考え出すものという考えが普通です。しかしチェスタトンは逆です。彼にとって真理とは、invent(発明する)ものではなく、discover(発見する)ものです。だから「私が作ったものではない」.という一文は、単に「謙遜しています」という意味ではありません。むしろ、真理とは、人間が作るものではなく、人間が出会うものである。という認識論そのものなのです。

3. 「神」と「人類」が並列されている逆説
ここも非常に重要です。普通なら、「神が作った」(God made it.) だけで終わります。しかしチェスタトンは「それは神と人類が作ったGod and humanity made itと言います(後述「評釈」)。これは、キリスト教ヒューマニズムという考え方で、人間の歴史は神が独自に設計しそれを実現するものではなく、人間が歴史形成に主体的かつ理性的にかかわってのみできあがっていくというのです。つまり、真理とは神だけが一方的に人間に与えるものでもなく、ましてや個人が単独で考え出せるものでもなく、むしろ何千年もの間、人間が失敗し、考え、議論し、試行錯誤することが積み重なって形成されるものなのです。だから神と人類が共同で作った、という非常に大胆な表現になります。

4. 私ではなく、哲学によって「私」が創り出された
ここが本書で最も重要かつ痛快な逆説です。普通なら「人間が自分の頭で考えて、自分の哲学を組み立てる(=私が哲学を作る)」と考えます。しかしチェスタトンは、その主客関係を完全に反転させて「哲学のほうが私を作った」と言います。 2や3で述べたように、真理とは個人が勝手にカスタマイズできるものではないし、個人の内側から生み出されたものでもありません。外部の、しかも神と人間の歴史全体を背負った真理として「発見」されるものでした。
だとすれば、それに出会った人間はどうなるか。単に一つの情報や意見を獲得するだけでは終わりません。真理との出会いは、その人の人格・価値観・世界の見方・善悪の判断そのものを作り直してしまう。つまり私が構築したと思っていた私の哲学とは、私が所有物として作り上げた私的見解ではなく、すでに先行して存在していた真理と伝統が、私の判断基準・価値観・世界の見方を形づくり、その結果として私という一個人の口を通して言葉になった、いわば真理の側の表現にすぎないというわけです。
ここに至って、「私が哲学を作った」という通常の主客関係は完全に反転し、「哲学のほうが私を作った」となるわけです。これは1の逆説――私の哲学を示せと言われて私の哲学ではないと答える――を、認識論的にもそしてカトリック神学的にも正当化する、いわば全体の結論部にあたります。
こうして見ると、四つの逆説は並列する四つの視点からの観察ではなく、「なぜ」を問うごとに一段深く掘り下げていく単一の論証であることがわかります。

第一層(応答の逆説)→ それはなぜ可能か(第二層:哲学は発明ではなく発見だから)
→その発見はどのように成立するのか(第三層:神と人類の共同の歴史を通じて)
→その結果、発見した者はどうなるのか(第四層:発見された真理のほうが発見者を作り変える)

この四段階を経て初めて、冒頭の一文――哲学を示せと言われて「これは私の哲学ではない」と答える逆説――が、単なる機知ではなく、チェスタトンの認識論・歴史観・人間観を貫く一つの整合的な思想体系であることが明らかになります。

5. <正統>全体のテーマでもある
神と人類が作ったものであり、その哲学のほうが私を作った」という一文は、次に出てくるイギリス人ヨット乗りの寓話とも完全につながっています。ヨット乗りは新大陸を発見したと思っていたが、最後にはそこが自分の故郷イングランドだったことに気づきます。つまり彼は新しい真理を創造したのではない。もともと存在していたものを長い旅の末に再発見したのです。
チェスタトン自身は同じことを信仰の遍歴で行ったのです。彼は「私は新しい哲学を作った。」とは言いません。むしろ、「私は様々な思想を渉猟して、自分だけの独創的な哲学を見つけたと思っていた。しかし最後になってやっと気がついた。それは、人類が長い歴史の中で育み、神によって支えられてきた古い真理だった。そして、その真理を見つけたと思っていた私自身が、実はその真理によって形作られていた」。これが 「神と人類が作ったものであり、その哲学のほうが私を作った」に込められた意味です。すなわち、ヨット乗りが「新大陸の発見」だと思い込んでいたものが実は「故郷イングランドの再発見」であったのと寸分違わず、チェスタトンが「独自の哲学の発明」だと思い込んでいたものもまた、実は「神と人類が育んできた古い真理による自己形成」であったのです。両者はまったく同じ一つの逆説の、二つの異なる現れにすぎないのです。四層にわたって辿ってきた「哲学を示せと言われて、私の哲学ではないと答える」という逆説は、この一文において、個人の思索の物語(四層構造)と本書全体を貫く寓話(ヨット乗りの物語)とが合流する地点として、過不足なく結ばれています。

ロマンス」「南太平洋の未知の島
南太平洋」は、19世紀後半から20世紀初頭のイギリスにおける冒険物語・探検文学の定番の舞台でした。ロバート・ルイス・スティーヴンソンの『宝島』、R・M・バランタインの『珊瑚島』、あるいはクック船長の太平洋探検記などによって、チェスタトンの時代のイギリス人の想像力の中では、椰子の木、珊瑚礁、白い砂浜、そして「まだ誰も知らない土地」を象徴する、いわばロマンと冒険の代名詞が「南太平洋」でした。「新しい島を発見する」という筋立て自体が、この手のジャンル小説の定型そのものです。
「南太平洋」という設定がここで皮肉効果が絶大なのか、主に二つの理由があります。
第一に、対比を最大化させることで皮肉を盛り上げるということです。この寓話が成立するためには、出発点(南海の未知の島だと思い込んでいたもの)と到達点(実はイングランドだったという真実)のあいだに、できる限り大きな落差が必要です。もしヨット乗りが「フランスを新しい島だと勘違いした」というのでは、地理的にも心理的にも落差が小さすぎて、ヨット乗りは単なる馬鹿にしかすぎません。しかし「熱帯の未知の楽園」対「雨と曇の日が多い見慣れた故郷イングランド」という組み合わせは、想像しうる限り最大の相違があります。異国情緒の極みと、日常性の極みとが、実は同一の場所であったというオチが、ヨット乗りをして最大限の愚か者としてくっきりと映し出されるわけです。
第二に、この気づきが気づかせる自らの愚かさは本書全体の哲学的主張そのものと直結しています。チェスタトンがこの後展開していく議論の核心は、「本当の驚異(wonder)とは、遠く未知の場所に冒険に出ることによってではなく、見慣れたはずの身近なもの――家庭、日常、故郷――を新しい目で見直すことによって見出される」というものです。南太平洋の島という、およそ考えうる限り最も遠く、最もエキゾチックな場所への憧れが、実は自分の足元にあるものへの新鮮な驚きへと反転する。この寓話の地理的設定そのものが、本書のテーマ――遠くへの憧れ(ロマン主義的な無限の希求)と、身近なものの中に驚異を見出すこと(チェスタトンの「実践的ロマンス」)との対比――を、物語の形であらかじめ先取りして示しているのです。
ですから「南太平洋の未知の島」という語の選択は、単なる異国趣味(オリエンタリズム)というよりも、当時の読者が即座に「未知・冒険・遠方」を連想する記号として機能するゆえに、きわめて計算された修辞的選択だと考えられます。

ヨット乗りが、ほんの針路をわずかに見誤った
この一節の滑稽さは、時代背景を踏まえるといっそう際立ちます。大航海時代からすでに400年、そして大英帝国が世界中に版図を広げてから150年が経過した1908年という時点において、地図上に「未発見の島」などほぼ残っていないことは、当時の読者にとってあまりにも自明でした。ヨットで海に出て、うっかり新大陸を発見してしまうなどということは、常識的にありえない。この時点ですでに、ヨット乗りの思い込みは滑稽なものとして設定されています。
さらに輪をかけて滑稽なのは、「ほんの少し(slightly)」針路を誤っただけだという点です。もしこれが、嵐に流されて数週間漂流した末に見知らぬ土地へ流れ着いた、というのであれば――ガリバーが漂流の末にリリパットやブロブディンナグに漂着したように――百歩譲って「見知らぬ土地に迷い込んだ」という体裁は保てたかもしれません。しかし「ほんの少し」の誤差でイングランドから南太平洋の孤島にたどり着くことなど、地理的に不可能です。ヨーロッパの沿岸を少し外れただけで、たちまち南太平洋の珊瑚礁に行き着いてしまうというのは、あまりにも荒唐無稽な誤差なのです。
つまりチェスタトンは、この人物を、単に「たまたま勘違いした人」としてではなく、現実の地理感覚をまるで持たない、度を越した愚か者として、あらかじめ二重に描き込んでいるわけです――(1)そもそも未発見の土地などもう存在しないという時代状況を無視し、(2)わずかな誤差で全く別の大陸に着くという物理的にありえない誤解を犯している。
この「愚かしさの誇張」は、前段で述べた「南太平洋」という設定が生み出す最大限の対比――「熱帯の未知の楽園」対「見慣れた曇天の故郷イングランド」――と、まったく同じ修辞的機能を果たしています。すなわち、ヨット乗りの誤解をできる限り極端で、常識外れなものとして描くことによって、最後に明かされる真実(それがまさに彼自身の故郷イングランドだったという事実)との落差を、これ以上ないほどに際立たせているのです。地理的設定における対比の最大化(南太平洋 対 イングランド)と、誤解の性質における対比の最大化(わずかな誤差 vs. 途方もない勘違い)とが、二重に重ね合わされることによって、この寓話の皮肉はいっそう鋭く、そしていっそう滑稽なものとして仕上げられているのだと言えるでしょう。

「傑作」
傑作なるものは「多忙」や「怠惰」を理由に、結局は一度も書かれることのなかった、いわば存在しない作品です。そのようなものに対して、通常であれば謙遜して「ちょっとした思いつき」「取るに足らない空想」といった言葉を当てるところでしょう。ところがチェスタトンは、あえて「傑作」という賛辞を選んでいます。この落差そのものが笑いを生む仕掛けになっています。
ただし「書かれもしなかった作品を傑作と呼ぶ」という組み合わせは、自分を茶化すユーモアに過ぎないのではありません。イングランドを新大陸と誤解したヨット乗りの物語のプロット、新天地を発見したと思ったら、実はもともと存在していた故郷だったという逆説は、実は本書全体を貫く核心的なテーマであることを、読者にそれとなく示唆してもいます。つまり「怠けて書けなかった駄作」といった軽い調子で片づけてしまわずに、あえて重々しい語を持ち出すことによって、「これは軽い余談のように見えて、実は本書の主題そのものを予告する重要な寓話なのだ」ということを、笑いに包みながら暗示する逆説的な仕掛けになっているのです。

❧評釈 「神が作った」

「神と人類が共同で作った」という非常に大胆な表現があります。本書が書かれた二〇世紀初頭は、啓蒙思想の浸透はいうに及ばず、進化論による「神による創造」の否定、産業科学の目覚ましい進歩などにより、世界の成り立ちや歴史を、神の存在や働きを介在させず、理性というフィルターを通して捉えることが、教養ある読者の常識になりつつあった時代です。その読者に向かって、何の証明もなしに「神」という言葉を差し出すのは、科学的な論証ではなく、単なる信仰の宣言にすぎないのではないか。うがった見方で常識を覆すはずのチェスタトンが、なぜここでストレートに「神」という言葉を安易に使ってしまったのか。これでは、本書がこの時点でこそ説得しなければならない啓蒙思想家・科学主義者・無神論者に対する説得力を、大きく失ってしまわないか―これはもっともな疑問ですが、この一見「安易」に見える一語は、実は本書の性格と戦略に深く根ざした、計算された率直さなのです。

第一に、本書はそもそも神の存在証明の書ではありません。チェスタトン自身が第一章の末尾で、本書は「教会論的な論文ではなく、一種のだらしない自叙伝である」(This is not an ecclesiastical treatise but a sort of slovenly autobiography.) と明言しています。つまり「神は存在する」と論証してみせる書物ではなく、「私はいかにしてこの信条を信じるに至ったか」を語り直す、発見の物語です。物語の語り手は、結論を隠して読者を罠にかけるのではなく、先に行き先を告げてから道中を語ります。「神と人類が作った」は、この時点で読者に受け入れを迫る前提ではなく、これから一冊かけて辿り直される到達点の予告なのです。

第二に、この率直さは、批評家ストリートの挑発に対する誠実さの表明でもあります。本書は「自分の哲学を示せ」という挑戦への返答として書かれました。もしここで信条の核心である神を伏せたまま論を進めれば、「肝心なところを注意深く避けている」という『異端者たち』に対してストリートが行った批判が、そっくりそのまま再現されてしまいます。しかもチェスタトンは本書『正統とはなにか』第一章で「軽薄な詭弁こそ、自分が何よりも軽蔑するものだ」(Mere light sophistry is the thing that I happen to despise most of all things) と述べています。結論を伏せて巧妙に読者を誘導する書き方は、まさに彼の嫌う詭弁にほかなりません。冒頭での「神」の名指しは、本書の存在理由からして避けて通れない、手の内をすべてさらす宣言なのです。

第三に、宣言と説得とは分業されています。実際の論証が始まるのは第二章で、チェスタトンは「原罪」や「地獄」といった、近代の読者がすでに否定してしまった概念からではなく、彼らがまだ否定できていない「精神病院」という事実から出発します。「人は地獄を否定するが、ハンウェル(ロンドンの精神病院)はまだ否定していない」(Men deny hell, but not, as yet, Hanwell.) という一文が、その方法の宣言です。つまり本書の構造は、〈結論は冒頭で正直に旗として掲げ、説得は懐疑的な読者であっても共有できる地盤から一歩ずつ積み上げる〉という二段構えになっています。冒頭の「神」は論証の第一歩ではなく、旗印なのです。旗印を掲げたからといって、論証がそこから始まるわけではありません。

第四に、God and humanity という並列そのものが、懐疑的読者への橋になっています。世俗の読者であっても、「一つの哲学は個人の発明品ではなく、人類の長い歴史と伝統が作り上げたものだ」という後半(humanity made it)までは十分に受け入れられます。チェスタトンは、その受け入れ可能な半分に神を並置し、さらに「そしてその哲学のほうが私を作った」(and it made me) という、神を括弧に入れたままでも成立する認識論的な反転で文を締めくくります。無神論の読者も、神の部分を保留したまま、この反転の面白さには引き込まれてしまう——そういう仕掛けになっているのです。

第五に、当時の言論状況も思い起こす必要があります。一九〇〇年代のイギリスでは、宗教はなお新聞・雑誌上の公開論争の一大主題であり、チェスタトン自身、無神論の論客ロバート・ブラッチフォードとの紙上論争(一九〇三〜〇四年)やショー(GBS)との応酬を通じて、キリスト教擁護の書き手としてすでに広く知られていました。読者は、チェスタトンが神を信じていることを百も承知で本書を手に取っています。そこで神を伏せれば、かえって腰の引けた印象を与えたでしょう。そして何より、「神抜きの理性」こそが新しい常識になりつつあった、まさにその時代に、真正面から「神」を置いてみせること——時代の常識へのこの不意打ちこそ、常識を覆す論客チェスタトンの、彼流のパラドックスです。もっとも安易に見える一語が、実はこの文脈では、もっとも挑発的な一語なのです。