(1) エンブレムの世界(16-17世紀)
エンブレム集 (emblem) という、16世紀中葉から17世紀中葉まで、わずか100年間ですが、西欧できわめて流行した知的文学ジャンルがあります。
この時期の開始は、絵画でいえば、ブロンズィーノが「愛の勝利の寓意」を制作した頃(1545年)で、終わりはフェルメールの人物画「ヴァージナルの前に立つ女」(1673-75年)の頃にあたります。
これらの絵は、そこに何が描かれているのか、抽象画ではないので、見ただけで何であるのかは一応はわかります。しかし絵全体でどういうメッセージが込められているのかは、わかりません。
エンブレム集というのは、格言、諺、モットーなどの題銘(inscriptio)、図絵の解説(subuscriptio)、そして図絵(Pictura)というこの三つの基本的な構成要素からなっています。絵画に描かれているものにどういう意味が込められているのかを知ろうと思えば、、エンブレム集を開いて、描かれているものひとつひとつが、エンブレム集でどのように説明されているかを調べれば、絵画全体のメッセージがわかるのです。(こういう絵画解読方法は、アイコノグラフィーといいます。)
エンブレム集は20世紀中葉から、このようなに利用されるようになり、それまで顧みされなかった文学ジャンルでしたが、一躍、注目を集めるようになりました。しかし、こういう利用のされ方は、エンブレム集を編んだ作家たちが本来意図していたことではありません。
エンブレム集とはどのようなものであり、どのような意図で編まれ、なぜ特定の100年間に人気を博したのか、解説します。 詳しくはこちら
(2) 絵画の解読(文字を介した共演):中世から17世紀前葉まで)
私たちにとっては聴覚と視覚はまったく別の独立した感覚です。そのために、メッセージを伝えるときには、文学は文字(直線・時間)だけにたより、絵画・彫刻といった美術は画面や石(空間)に依存するのがよいことだと考えられています。
ところが、中世から17世紀初頭頃まで、視覚と聴覚は不可分の伝達媒体でした。造形化された物のなかに言葉を読み取り、また逆に、言葉で表現されたものを視覚的にとらえていく、そういう融通無碍な習性が根づいていました。そういう習性があったからこそ、絵画の中に文字が記され、また図絵と文学が合体したエンブレム集が誕生したのでした。
ポントルモ「コジモ・イル・ヴェッキオ」(1518-20年頃) コジモの座る椅子の背にはコジモの肩書(‘COSM’ MED/ICES P.P./P.)が、ジュニパーの枝にからまる帯には銘(“NUNC AVUL/LSO.NO.DEFIC/ALTER)が記載されている。肩書は、「祖国の父にして子なる、偉大なコジモ・メディチ」、銘は「一人が倒されても、次の者はひるまない」(ウェルギリウス『アエネーアース』6巻143行の改変)。
ここでは、主としてルネッサンス期の絵画を中心に、絵画の中に描かれた文字を頼りに、絵画の解読を行います。詳しくはこちら
(3) エンブレム集(原典, 翻訳, 作家・作品解説)
刊行されたエンブレム集について、作家名、作品タイトル名、内容の解題、そして翻訳を収めました。
エンブレム集は、同じタイトルのものでも、版によって配列 注釈 が異なることが多く、また出版社によって 本の大きさも レイアウトもまちまちです。
そしてエンブレム集の創始者アルチャートの場合には、注釈が次第にその量を増していき、原著よりも数十倍の厚みがあるものになっています。これはちょうど、聖書やローマ法の注釈・釈義が、聖書やローマ法の原文よりも大きなものになっていることと同じです。