リーパとの出会い

古典時代には考えられていなかったような、ルネッサンスに独特の抽象概念像や神話人物像が誕生していった。アーウィン・パノフスキーはこれを「擬形態」(psuedomorphosis)とよんで、私たちに注意をうながしている。


そういわれてみれば、足もとに財布をおき、右手にコンパスをもち、天を凝視し頬杖をつく女性らしき像(図5)、ひとつの頭に三面の人間の頭が描かれ、その頭の下には三つの動物の頭がそれぞれ描かれている頭像(図6)や、右手に光を放つ太陽をもちながら、足で地球を踏みつけている像(図7)といったように、古典作品を読んでも必ずしもお目にかかれず、現代の私たちの常識でははかりかねるような奇妙な図像が、16-17世紀にはずいぶんと出現している。

こういうものが、擬形態というルネッサンス的脚色であることを、パノフスキーはどうやって気づき、またどういう手順を踏んで解明していったのか、この碩学はその発見過程についていっさい口をつぐんでいる。ところが、パノフスキーとほぼ同時代で、擬形態という用語こそつかわなかったが、おもにキリスト教におけるルネッサンス的擬形態を発掘していったフランス人美術史家エミール・マレは、擬形態の発見解読過程を、それこそやや脚色しながら述べている。

中世美術史家の衝撃

それは1922年のことであった。中世と近代のキリスト教美術史の大家となるエミール・マレは、トリエント公会議(1545-63年)以降のキリスト教美術研究のために、ローマに留学した。[1]しかしマレはこの留学をつうじて、自らの知識のなさを痛いほど知った。徳や悪徳を初めとする道徳像はいうにおよばず、時や真理といった抽象概念をあらわす像を、ローマの教会で数多くみた。しかし、その数が増え、見れば見るほど、それらの像が手に持ちあるいは従えている持物が、いったいどういう理由で個々の像に結びつくのか、その理由がますます判然としなくなっていった。

たとえば17世紀バロックの彫刻家のなかの巨匠ベルニーニの「真理」像(図●)は、右手に光を放つ太陽を持ち、足元で踏みつけているのは地球である。これはベルニーニだけにみられる特徴ではなく、同時代の作品で、他の芸術家が製作した<真理>像(たとえばジョヴァンニ・バッティスタ・デ・ルーカ枢機卿の墓像彫刻 図●)も、おなじように太陽と地球との組みあわせになっている。なぜなのか、持物がまったくないと審美性が薄れるからという理由にしては、判で押したように同一の抽象概念にはおなじ持物があることの充分な説明にはならない。

 この種のことに気になりながら、かつてはイエズス会の図書館、現在は国立図書館として使われている施設を訪れ、書棚のあいだを歩いていたときに、ある一冊の本によってこの疑問は氷解した。それがチェーザレ・リーパの『図像学』(イコノロジャ)である。これは図絵つき事典であり、これを開けば抽象観念を人物として表現するときに、どのような姿にして、どんな持物をつけたらよいのか、それをそれこそ一目でわかるようになっている。[2]ちなみに上の疑問の答えをリーパは次のように解いている。

「真理は全裸であらわされるが、それは単純素朴が真理の本性だからである。・・・・・・・真理は太陽を運んでいるが、それは真理が光を愛し、真理自らが光だからである。真理は足元に地球儀を持っているが、それは真理がこの世のいかなるものよりも貴重だからである。そういうわけで、メナンドロス[古代ギリシア喜劇作家]は真理とは天空の住人だといったのだ」。[3]

16-17世紀のグロテスクとおもわれるような像をみつけたなら、まずこの事典を開けば、そのグロテスクな組み合わせの理由のおおかたははっきりとしてくる。たとえば、ティツィアーノの作品「<深慮>の寓意」(1560年頃)(図8)では、三つの顔と三面の動物が山型に積みかさなった奇妙な像が描かれている。[4]このような三面像は、リーパの「よい忠告」(図9)をあらわす老人が左手にもっている三面の像と同じ種類のものである。リーパは、「右を向く犬の顔、左を向くオオカミの顔、中央にあるライオンの顔――これらがみな一つの首についている」といっている。この三つで一つになっている奇妙な姿は、「過去・現在・未来という時の基本的形式」に対応した時間をあらわしているのだという。このような姿の時間は、「<深慮>の象徴」だと教えている。もうすこし詳しくいえば、過去がオオカミの頭と呼応するのは、過去におこった事柄の記憶は、オオカミが獲物をむさぼり食らうように、呑みこまれてしまうからである。ライオンの頭が現在に対応するのは、現在が過去と未来とはちがって生き生きとして、はっきりとしているから、それはライオンの強さや苛烈さとくらべられるからである。未来がよくなつく犬の頭なのは、未来になにが起こるのか不確かなのに、希望は私たちの気に入るような未来をいつも提示するからである。[5]<深慮>とは、目の前にあることに気をとられて、過去にこれまで経験したことを忘れてはならないし、またある決断をした場合には、その結果、未来においてどういうことが起こるのかをきちんとわきまえている必要がある。そこでこの三頭分岐の図絵は〈深慮〉をあらわすことになる。[6]


[1] Emile Mâle, L’Art Réligier du XVIIIe Siècle (Paris: XXX, 1951), pp. 384-387. この箇所を引用してオーゲルは、1920年当時のエンブレムへの関心度に言及している。D. J. Gordon, The Renaissance Imagination, ed. Stephen Orgel (Berkeley: the Univ. of California Press, 1975), 51-55.

[2] ただし1593年の初版には図絵はなく、1603年版で図絵がつけられる。また版によっても図絵のデザインやどの図絵が掲載されているかはまちまちである。そもそも各版ごとにテキストに補筆や削除がくわえられていて、あるひとつの版を標準版とすることは、ほとんど意味をなさない。

[3] Cesare Ripa, Iconologia (Padua: 1618; Torino: Fogola Editore, 1986), II. 227-228.

[4] 作品にタイトルをつけるという慣習は近代になってからのもので、私たちが芸術作品について使っているタイトルは、かならずしも制作者自身がつけたものではない。むしろ後代になって、財産目録や競売などのために便宜的に名付けられたもののものがはるかに多い。この作品名も、後代につけられた例。

[5] ティツィアーノ「<深慮>の寓意」における三つの頭の象徴の意味と、三頭の象徴的意味がなぜ〈深慮〉から〈よき忠告〉へとが変質するのか、その経緯については、次書を参照。Erwin Panofsky, Meaning in the Visual Arts (1955: Chicago: University of Chicago Press, 1982), 146-164. Edgar Wind, Pagan Mysteries in the Renaissance(New York: Norton, 1958), XXX.

[6] ただしこの三頭の解説は1643年版の「忠告」consiglioという項目のなかに書かれていることで、それまでの版には書かれていない。