19世紀の文学作品の出版点数増加

 1900年にロンドン大学に留学した夏目漱石は、神経衰弱に陥ります。その原因は、読解力は優れていても、リッスニングやスピーキングが思うようにできなかったことにあると考えられています。それに加えて漱石自身が告白していることですが、英文学の作品量が多すぎて読めども読めども際限がなく、英文学全体を踏破できないという自己不全感がありました。
 それもそのはずで、漱石はヴィクトリアの崩御(1901年)を目のあたりにしますが、このヴィクトリア時代(治世開始1837年)こそイングランドの月間雑誌の発刊が等比級数的に伸びていった時期たったからです。
 雑誌というと日本語では時事のセンセーショナルな話題を取り扱う週刊誌を得てして連想してしまいますが、この時代のイングランドの文学系の雑誌は、いまの日本の「文學界」や「群像」といった純文学ジャンルに特化した雑誌、さらにはもっとも人気があったといってよい「オール読物」、「小説現代」のようなエンターテイメント系文学ジャンルを掲載する雑誌がありました。現在古典として残っているディッケンズ、エリオット、トロロップの作品のほとんどすべてはこうした月刊雑誌に掲載されたものが、書籍化されたものなのです。 
 月刊雑誌の点数は各年ごとに区切っても数十点が発行され続け、しかも各号にはかなりな数の作品が掲載されていました。ですから漱石がどれほどの速読家であったとしてもとうていそれらを読破することはできなかったのです。

大量読書と議論から気づいてきたイギリス文化

 2020年から、ヴィクトリア時代の純文学小説を読み漁るのと並行して、現代のエンターテイメント系のイギリス小説を手当たり次第に読んでいます。これは、イギリス人の友人とともに行っていることで、作品を決めて読み進みながら、毎週ほぼ欠かさずに1時間以上にわたり、作品の内容について主として思想的な議論をしています。ただこうした議論を積み重ねていくなかで、日本人ならではのイギリス文化の誤解やイギリス人でなくては理解できない文化のポイントが、次第次第に目につくようになってきました。
 そうした誤解やポイントを「文学作品からたどるイギリス文化」というテーマで、作品ごとにメモしていきます。これは大量の作品群を前にしても少しずつその群れに食い込んでいっているという足取りを残して、神経衰弱にならないための予防策と、私の心のなかでは位置づけています。

文学作品からたどるイギリス文化: Richard Osman, The Thursday Murder Club. 2020 (木曜殺人クラブ)
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