エンブレム集の誕生

エンブレムというと、現在では会社の社章、あるいは製品の登録商標の類をさすことが多いが、 16世紀以降の西欧には、すでにそうした形でのエンブレムは存在していた。出版者の社章である(図1)。ところが1531年にこの言葉の用法を拡張させることになる本が出版される。ローマ法学者アンドレア・アルチャート(Andrea Alciato)による『エンブレム小冊子』(Emblematum libellus)である(図2)。

図 1 ジョアンネス・ドゥ・プラット (Johannes de Prato) 1484年頃
図 2 アルチャート『エンブレム小冊子』1531年

一ジャンルとなる点数

以後、法学や文学の素養がある宮廷人、学者、そして芸術家も、手遊び(副産物)にとでもいった調子で、ページ型のエンブレム集を出版していく。その数は、総計で6,500点におよび、1500年から1750年に至るまで、西欧の精神文化の一翼をになうジャンルになる。[1] この出版点数は、同一著者による同一書名のものであっても、著者自身による加筆、編者による注解、異なった画工による異作風の図絵のものも別書として数えている。さらにこの点数には、エンブレム集の翻訳も含まれている。エンブレム集は通例、ラテン語で書かれるが、母国語で書かれたものもあり、それらは双方向に翻訳されることがあったばかりか、多言語版すらもあった。こうしたカウント要因を考慮に入れて出版点数の多さの見なし部分を割り引いたとしても、ルネッサンスからバロックにいたるまでのおよそ250年間に、エンブレムが人気ジャンルの一つであったことは不動である。

エンブレムの対象と寓意

これらのエンブレム集には、大部なものは1500点のエンブレムが掲載されているが、小さいものになるとわずか15点のものまである。そしてそこで扱われている対象は、政治のあるべき姿、日常生活での注意点、愛の様々な局面、動植物の生態、自然現象の不思議、宗教の敬虔といった、現在なら新聞の社会・文化・科学面で扱われるようなことが叙述されている。掲載されるエンブレムの点数多寡、取り扱う対象の相違にもかかわらず、これらエンブレム集に通奏低音のように流れているのは、対象のなかに道徳や教訓を読み込もうとする態度である。この態度は、寓意(allegory)の見方といってもよい。寓意というのは、語源としては、<あること>をいうのに直接それをいわず、<別なこと>をかわりにいうことである。エンブレムでの<あること>とは、道徳・教訓という不可視の抽象概念であり、<別なこと>とは、図絵とそれを説明する言葉という具体的な像である。

悦楽のエンブレムと追いかけるエンブレム

寓意の見方を介することによって生まれるこの<別なこと>の可視化された像は、日常目にしていることとは異なった姿であり、相互に関連のないものが一つに凝縮されている形である。これは綺想(conceit)とよばれるが、この奇妙な取り合わせの人為的な視覚像を、読者は、著者の使う言葉に誘導されながら論理的類推を使って、奇妙な取り合わせには整合性があり、正当性もあると納得させられる。奇妙さから納得へというこの心理的な変化が、エンブレムをして悦楽を読者の心に引き起こす。

ただしエンブレム集は、「狂気にも理がかなっている」という喜びをもたらすだけでない。読者が、ルネッサンスからバロックの文化に興味をもっているなら、エンブレムの方が読者・鑑賞者に迫ってくる。家屋外装に使われている像、調度品を装飾している像、教会の内装をになう像、肖像画の人物たちにつきまとう様々なもの、そして何よりもこの時代の絵画彫刻などの芸術作品は、その形姿を通して何を伝えようとしているのか、読者・鑑賞者に語りかけてくる。その語りかけは、ひとたびエンブレムにある程度精通すると、赤ん坊の喃語のように意味不明、了解曖昧といったレベルから、明瞭明解へと一転する。この時代の文化に触れるかぎり、エンブレム集を読まずには、文化理解には至れないのだ。エンブレム集がもたらすこの理解は、こうした広義の知的解読の悦楽をももたらす。そして読者が敏感であるなら、文化の時間的相対性を痛いほど味わうことになる。

以下のエンブレムの翻訳は、そうした知的悦楽を経験し、文化は変化するという当たり前であるがつい忘れがちな事実を追認することに役立つかもしれない。

抄訳一覧

抄訳の一覧は、このサイトの「検索」に エンブレム抄訳 と入力すると、翻訳一覧が提示されるようになっている。


[1] Peter M. Daly, Companion to Emblem Studies (New York: AMS Press, 2008)x.