❖自然❖ 足るを知る豊かさ

Si ad naturam vives, numquam eris pauper; si ad
opiniones, numquam eris dives.

シー・アド・ナートゥーラム・ウィーウェース、ヌンクァム・エリス・パウペル。シー・アド・オピーニオーネース、ヌンクァム・エリス・ディーウェス

もし自然に従って生きるなら、決して貧しくなることはないだろう。だがもし世間の評判に従って生きるなら、決して豊かになることはないだろう。

(セネカ『道徳書簡』第16書簡7節)

■解説■
 哲学者セネカはこの書簡(「哲学が健康を保証することについて」)で、哲学こそが心の健康と真の幸福をもたらすものであると説いています。多くの人々が富や名声といった外部からの評価(opiniones)に惑わされ、際限のない欲望に苦しんでいると指摘します。「世間の評判に従って生きる」(ad opiniones vives)ことは、他人の評価や世間的な価値観(富、名声、贅沢など)を追い求めて生きることになるので、どこまでいっても際限がありません。いくら富を築いても、心が満たされることはなく、精神的に「決して豊かになることはない」のです。
それに対して、「自然に従って生きる」(ad naturam vives)ことは、人間が生きる上で本当に必要な衣食住のレベルで満足して生きることを意味します。そもそも自然が人間に求めるものは限定的であり、満たすことが比較的容易だと主張します。だからセネカは別な書簡の中で、もっと直接的に sequere naturam 「自然に従え」第90書簡16節)とも言っています。そのため、この道を選ぶ者は、心が満たされ、精神的に「貧しくなることはない」のだと考え、またセネカ自身それを実践するのです。足るを知ることによって真の豊かさが得られ、それはひいては心の平穏につながる道なのです。

▶比較◀

足るを知る者は富む(知足者富)

(老子『道徳経』第33章)

■解説■
 欲望に振り回されず、今あるものに満足できる心の在り方を持っている人は、真の豊かさを享受していると説いています。際限のない欲望を追い求めるのではなく、今あるものに満足することの重要性を説いています。セネカの名言と似ていますが、セネカの場合には必要最小限のもので満足するということがしばしば強調され、現状の所有物で満足するということではありません。


❖言葉❖ 文体は生き方の反映
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❖豊かさ❖ 満足する技法
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❖豊かさ❖ 向き合い方が肝心
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❖豊かさ❖ 執着からの自由
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❖豊かさ❖ 豊かさの極地
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❖豊かさ❖ 満ち足りた心が必要
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