❖ 豊かさ ❖ 不正な蓄財
Multis occulto crescit res faenore.
ムルティス・オックルトー・クレスキト・レース・ファエノレ
利子がこっそりと入り、財産が増えていく人は多い。
(ホラーティウス『書簡詩』1巻1篇80行)
■解説■
この言葉は、詩人ホラーティウスが、その保護者であり富豪であったマイケーナースに宛てた書簡詩の一節です。ホラーティウスは、人生における正しいあり方や、日々の生活を送る上で役立つ人生の指針に強い関心を寄せていました。その指針を示す前に、人間が現実の生活で行っていることを観察し、分析することが重要だと考えていました。そうした観察から見えてくるのが、ここで引用されている当時のローマ市民の現実です。
当時のローマでは、現代でいう第一次・第二次産業にあたる生産活動よりも、征服した植民地から貢がれる金銀をはじめとする様々な富を利用した「金貸し」が、最も効率的で有利な資産形成の方法とされていました。借金の徴収や金貸しといった業務には、騎士階級(実質は商人)が携わることが多く、良心的な業者でも年利12%程度であったと推測されています。しかし、この富の恩恵を受けたのは騎士階級だけではありませんでした。商業活動を禁じられていた元老院階級の人々も、自身の解放奴隷を自由人として登録し、その名義で金貸しや不動産売買といった事業を行い、利益を得ていました。これは、塩野七生氏の『ローマ人の物語(6):勝者の混迷』(新潮文庫, 42-48頁)にも詳しく記されています。
ここで「こっそりと(occulto)」と表現されているのは、商業活動の禁止という法規制の目をかいくぐるために、元老院階級の人々が解放奴隷を介して金貸しを行っていたからです。ホラーティウスは、こうした脱法行為を行う人間が「多い(Multis)」と指摘しています。例えば、第二次ポエニ戦争の勝利に貢献したスキピオを弾劾し、質実剛健を訴えた大カトーも、実際には解放奴隷を通じて商業行為を行っていました。また、ユリウス・カエサル暗殺の首謀者として知られるブルートゥスは、48%という高利で金貸しをしていたと非難されたこともあります。このように、法律の抜け穴を利用して「こっそり」と利子で潤う元老院階級の人々が「多い」のが、当時の実情でした。 この引用句は、単に利子を取って儲けることが資産形成の得策だと教えているわけではありません。むしろ、法の目をかいくぐってでも富を追求しようとする人間があまりにも多い、という現状に対して、ホラーティウスがため息をつきながらその実情を嘆いている、と理解するのが適切でしょう。これは、豊かさや効率性を追求するあまり、倫理や法を軽視する人間心理の一側面を浮き彫りにしています。

▶比較◀
君子は義に喩(さと)り、小人(しょうじん)は利に喩る。
(『論語』里仁篇)
■解説■
この言葉は、「君子」(人格者)は、行動や判断の基準を「義」(道義・正しさ)に置きますが、「小人」(利己的な人物)は、「利」(損得・利益)」を基準にする傾向があると教えています。
この名言は、ラテン語の引用文と同様に、不当な利益を追求することへの批判を含んでいます。しかし後者は、正な手段であっても、現実に多くの人が富を築いているという社会の観察結果を述べています。これは、道徳的な良し悪しの判断を一旦脇に置いた、冷徹な現実描写で、社会に対する嘆きや皮肉が込められています。一方、『論語』の言葉は、人間の価値観を、道徳と利益という二つの側面から捉え、君子と小人を対比させることで、現実がどうであれ、守るべき道徳的価値を説いています。ラテン語の文が社会的な不正に焦点を当てているのに対し、この名言は、個人の内面的な価値観に焦点を当てていると言えるでしょう 。
