◆恋・愛◆ 追いかけるのは、私が愛するゆえだ

Amor est mihi causa sequendi.

アモル・エスト・ミヒ・カウサ・セクエンディー

追いかけるのは、私が愛するゆえだ。

(オウィディウス『変身物語』1巻507行)

【解説】
 怪獣をその弓矢で退治した太陽神アポッローは、小人の愛の神アモルが弓矢を持っていることをあざ笑う。これに怒ったアモルは、愛を心に掻き立てる黄金の鏃(やじり)がついた矢でアポッローを射る。太陽神は一目見て、処女を誓う美しい河神の娘ダフネーに恋をしてしまう。アポッローは自分から走り逃げるダフネーを追いかけ、敵ではないと言いながら止まるように説得する。その説得の言葉の決め文句の一つが引用にあるもの。
 ダフネーはアポッローの説得に耳をかさず、荒れ地をものともせず逃げ続けるが、ついに捕まりそうになったとき、父なる河神に自分の美しさを壊してくださいと祈る。すると体全身が麻痺し、月桂樹の姿にダフネーは変身してしまう。
 月桂樹は英語ではlaurelと訳されるが、イギリスのlaurelは日本のアオキに近く、ヨーロッパ南部の月桂樹とは異なっている。また月桂という和名は、中国では明るい月面のなかの暗い部分は桂(けい)の木が生えているからだと信じられており、この神話を元に、明治時代に西欧からlaurelが渡来したとき、月桂樹と名付けられた。

頭部に月桂冠をまとった彫像。月桂冠は朽ちない栄光の象徴。
古代ギリシアの彫像(前475-450年 大英博物館蔵)

■比較■

おのれはどこどこ迄やるまじきものを

「あなたはなんとひどい人なのだ。どこまでも、どこまでも、けっして逃がしはしません。」

『道成寺縁起』(作者不詳, 室町後期の絵巻)

【解説】

 東北・白河から和歌山の熊野詣のためにきた若い僧・安珍(あんじん)は、一夜の宿を借りた家の人妻・清姫に一目惚れされてしまう。参拝が終えてから帰りに立ち寄るからといって、その場をしのぐ。帰りに寄らずに逃げるが、それに気づいた清姫は安珍を追いかける。やっと追いつくと、安珍からはあなたのことは知らないとつっぱねられてしまう。そのとき清姫がいった言葉が、上記のセリフ。清姫は蛇に変身し、安珍を追いかけ、ついには道成寺の鐘の中に隠れた安珍を求むべく、鐘にとぐろを巻いて火をふき、安珍は焼け死ぬ。


◆運命◆ むごい仕打ち
◆忍耐◆再生する不屈の力
◆死◆灰と影
◆死◆老若は問わない
◆死◆いつ訪れるかわからない
◆死◆必然