◆自然◆ 自然がもつ生み出す力は不完全
Solo natura subest.
ソロー・ナートゥーラ・スブエスト
大地には産む力が潜んでいる。
(ウェルギリウス『農耕詩』2巻49行)
■解説■
ウェルギリウスは、自然において野生のままで成長する植物と、人間が手を加えることを実をもたらす植物との二種類に分けて考えていた。そして野生のままで成長する植物には、種から生まれるもの、根から生まれるもののほかに、自発的に生まれるものがあると想定していた。自発的に生まれるものとは、現在の科学では否定されている自然発生説であって、なぜそのような発生が可能かといえば、引用句にあるように、大地には「産む力」(natura 直訳は自然)があるとを信じていたからだ。さらにウェルギリウスは、自然に発生する木は実をつけないが、人間が接ぎ木するなどといった手を加えることで、木はその野生の本性(animus)を脱皮して実などをつけるようになると、人工の力の必要性を訴えている。つまりこの引用句の「産む力」(自然)は、後にスピノザがその『倫理学』で展開したような万物を発生させる根源的な創造力をもった自然(能産的自然 natura naturans)のことではないし、生み出す力をもっている自然への礼讃でもなく、人工(ars) の助けがなくては不十分な力として意識されている。

▶比較◀
力田も年に逢うには如かず。
(『史記』佞幸伝 [前92-89年])
■解説■
人間がどれほど多大な労力をはらって田畑を耕作するとしても、自然の恵みで豊作になった年に田畑からあがる収穫量には届かない。自然の力は人工の力に勝るということ。
