◆死◆老若は問わない

Mixta senum ac iubenum densentur funera, nullum/Saeva caput Proserpina fugit.

オムネース・イーグノースクミークスタ・セヌム・アク・ユベヌム・デーンセントゥル・フーネラ・ヌッルム/サエウァ・カプット・プローセルピナ・フーギット

死は老人たちにも若者たちにもまじりあって訪れ、葬儀はひきもきらず続き、誰の頭をも残虐なプローセルピナは見逃しはしない。

(ホラーティウス『歌章』3巻27歌37行)

■解説■
 ホラーティウスは、現実に生きた哲学者(プラトンと同時代に生き、天地の計測に没頭したアールキュータス)の墓を前にして、不死といわれた神的人物も、輪廻転生を主張する才人も、いずれも死んでしまい今は生きていない事実を、聞き手につきつける。そして誰もかれも、例外なくかならず死ぬことを述べる。最後に、死は老人だけでなく若者にも訪れ、人の死はまるでとぎれることがないかのように次々と起こっていることを指摘する。死を迎えた人間の魂が行くことになっているのは冥界(オルクス)とよばれるが、冥界の王妃プローセルピナは、誰も見逃さず、まさに死なんとする人の頭髪を一房切りと落とす。

女神プローセルピナ (180-190年, ヘラクライオン考古学博物館 蔵)

▶比較◀

生を受るにしたがひて苦しみに苦しみを重ね、死に帰するにしたがひて(くら)きより(くら)き道におもむく。

(『一遍上人語録』巻上, 鎌倉時代)

■解説■
  この世に生まれてきたが、煩悩心に惑わされて苦しいことばかりが次々と続いてきた。そして死ぬことになるが、今生の煩悩の闇の世界から、もっと闇が深い冥界へと一人で(おもむ)くことになる。ここでは、死は死神によって定められるというよりも、寿命が果てることとして考えられ、また真っ暗な冥界へ一人で行かねばならない恐怖が強調されている。そうした恐怖心からか、平安時代中期の歌人・和泉式部は高僧・性空(しょうくう)上人に教えを請い、次のように歌っている。「冥きより 冥き道にぞ 入りぬべき (はる)かに照らせ 山の端の月」(和泉式部集正集 834)


❖言葉❖ 文体は生き方の反映
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❖豊かさ❖ 満足する技法
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❖豊かさ❖ 向き合い方が肝心
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❖豊かさ❖ 執着からの自由
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❖豊かさ❖ 豊かさの極地
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❖豊かさ❖ 満ち足りた心が必要
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