❖死❖ 出口を選ぶ自由、生を貫く勇気

Nihil melius aeterna lex fecit, quam
quod unum introitum nobis ad vitam dedit, exitus multos.

ニヒル・メリウス・アエテルナ・レークス・フェーキト・クアム・クオド・ウーヌム・イントロイトゥム・ノービース・アド・ウィータム・デーディト・エクスイトゥス・ムルトース

永遠の定めとして何よりありがたいのは、私たちが生に入る入口はひとつだが、出口は多数にあることだ。

(せネカ『道徳書簡』第70書簡14節)

■解説■
 自殺は罪悪であり、どのような苦境にあっても、生きる希望を捨ててはならないという勧めに対して、セネカが述べた反論。セネカは、人間はいずれ死ぬのであるから、死ぬことへのしっかりした心構えをもち、自分の納得のいく死に方を選ぶべきだと教えている。自殺を罪悪とするのは、感情を揺さぶる状況から距離を置くエピクロス派の考え方。それに対してセネカが属するストア派は、理性によって感情を制御することを重視したので、感情の源である肉体という枷から自由になる死(自殺)への選択を肯定的に捉えた。つまり、自らの意思で死を選ぶことは、耐え難い運命に屈することではなく、最後まで理性を保ち、人間としての尊厳を全うするための最後の自由なのだと、セネカは考えていた。

▶比較◀

感慨(かんがい)して自殺するは、能(よ)く勇なるに非(あら)ず

(『漢書』巻四十八()()(でん)

■解説■
 前漢時代の政治家・()()(前200~168年)は、左遷され、任地へ赴く途中、(しょう)(すい)を渡る。その際に、そこで入水自殺したとされる(くつ)(げん)を悼んで詠んだ言葉。有能な政治家・詩人であった屈原(前339年頃~278年頃)は、同僚の讒言(ざんげん)によって失脚し、その後、祖国が他国に侵略され滅亡したことに絶望し、身を投げて生命を絶った。そういう屈原を、自らの思いに任せて命を絶ったので勇気のある人だと人々は評している(端午の節句での風習は屈原の自殺にちなむ)。賈誼も屈原には同情はするが、むしろいかなる逆境にあっても生き抜くことが本当の勇気だと述べている。
 セネカのようなストア派は、理性をもって死を選ぶ自由を「最後の尊厳」と見なし、屈辱的な境遇から自ら退くことを肯定した。一方、賈誼の言葉は、儒家的価値観に通じるものであり、いかなる逆境にあっても天命を全うし、生を保ち続けることをこそ真の勇とする。ストア派が「理性的な退場」に重きを置くのに対し、儒家は「生き抜くこと」そのものを道義と結びつけている。


❖言葉❖ 文体は生き方の反映
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❖豊かさ❖ 満足する技法
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❖豊かさ❖ 向き合い方が肝心
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❖豊かさ❖ 執着からの自由
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❖豊かさ❖ 豊かさの極地
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❖豊かさ❖ 満ち足りた心が必要
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