◆恋・愛◆ 愛とは信じやすいものなのです

Credula res amor est.

クレードゥラ・レース・アモル・エスト

愛とは信じやすいものなのです。

(オウィディウス『変身物語』7巻826行および『名高き女たちの手紙』6巻21行)

【解説】

 愛していると、相手が不実であるという噂を耳にすると、すぐにその噂を信じてしまうということ。

 『変身物語』では、アッティカの王子ケファルスは、アテネの王女プロクリスと結婚し、二人は相思相愛の仲であった。そうした睦まじい間柄であったが、ケファルスは早朝、一人で馬も犬を連れずに狩りに出ていく習慣があった。百発百中の投槍を妻から贈り物としてもらっていたので、槍さえあれば獲物は手に入った。狩りに疲れると、風(アウラ)に向かって、その心地よい「息」を吸って体を休めたいと懇願したものであった。その懇願をふと偶然に耳にした者が、アウラという妖精にケファルスが恋をしているのだと誤解した。誤解しただけではなく、ケファルスの妻プロクリスにこっそり耳打ちした。この妻は夫を強く愛しているがあまり、夫が浮気するなどという馬鹿なことはないと思いつつも、結局、本当のことだろうと思いこんでしまう。そういう信じやすさを、この言葉は教えている。

 また、この言葉は、『名高き女たちの手紙』では、レムノス島の王女ヒュプシプレーが、黄金の羊毛を獲得して大航海を終えたイアソンに宛てた手紙のなかに出ている。航海の途中で立ち寄ったレムノス島で、船員たちは島の女達と交わるが、王女は、イアソンと交わり、子をはらんだ。王女としてはイアソンは自分の夫と思っているが、噂によるとイアソンはコルキスの王女メーデーアと結婚したという。ヒュプシプレーは、イアソンが自分を捨てて他の女と結婚することはないと思いつつも、イアソンへの愛ゆえに、もしやそれが本当なのかも(実際には本当)と信じてしまう。

 プロクリスの場合、ケファルスに愛人がいたわけではないので、信じやすさはプロクリスの死という形で裏目に出てしまう。一方、ヒュプシプレーのケースでは、イアソンはメーデーアを事実上、妻として迎えているが、メーデーアをすぐに捨てて別な女性と正式に結婚してしまう。ヒュプシプレーの場合、夫の不実というありえないと思えることを信じてしまってよかったことになる。

【比較】

三人、言いて、虎を成す。

(『韓非子』内儲説・上, 先秦)

実際にはいないはずの虎も、一人、二人が虎がいると口にし、そして三人目がそれをいうと、実際にいることになってしまう。噂を信じるのは、何人もの人の口にのぼるからで、愛や関心は必ずしも必要ではないことになる。