言語と思考:バンヴェニスト『一般言語学の諸問題』より

バンヴェニストへの解説(國分功一郎『中動態の世界』から抜粋。pgは本書のページ)

「精神を枠組みとしてよりも潜在性として、構造としてよりも力動性として考える方が実り豊かである。……

思考の発展は、言語の個別の性質よりも、人間の能力、文化の一般的条件、社会の組織体制の方にはるかに緊密に結びついている。しかし思考の可能性は、言語能力に結びついている」。 (pg.109)

The advance of thought is linked much more closely to the capacities of men, to general conditions of culture, and to the organization of society than to the particular nature of a language. But the possibility of thought is linked to the faculty of speech, for language is a structure informed with signification, and to think is to manipulate the signs of language.
(Benveniste, Emile. (1971). Categories of thought and language. In Benveniste, Problems in general linguistics. Florida,: University of Miami Press,  p.64)

下線部の言い換え:

「思考の内容は言語から、そして言語において形を受け取るのであって、言語こそ、可能なあらゆる表現の鋳型である」
「人が考えうる事柄を画定し、組織するのは、人が言いうる事柄である」(pg.111)
言語が思考を規定するのではない。[サピア=ウォーフの仮説は間違い]
言語は思考の可能性を規定する。つまり、人が考えうることは言語に影響される。
言語が語られ、思考が紡ぎ出されている現実そのもの、すなわち、社会であり歴史であり、「人間の能力」「文化の一般的条件」「社会の組織体制」と結びついたその場をフィールドとして、言語は思考の可能性に作用する。(pg.112)
言語の規定作用を、思考という規定されるものへと直接に差し向けることはできない (pg.113)

[國分には明確な言及がないが]アレント自身は、この考え方に共鳴できたはず。
閉じた言語空間の中に閉じこもり、その中の規定の価値観に捕われることには反対。
言葉を使って他の人たちの精神に働きかけ、説得する営みである「活動」(action)の余地がなくなる。
様々なものの見方を許す「複数性」があってはじめて「活動」が可能になる。
(Arendt, Hannah. (1958). The human condition. Chicago: University of Chicago Press.)→仲正昌樹. (2009). 今こそアーレントを読み直す.  講談社現代新書.