09/08/2020 / 最終更新日 : 09/10/2020 鈴木 繁夫 ▶▶要言集◀◀ 呉善花. (2001). 日本人を冒険する: あいまいさのミステリー. PHP研究所. ¶自己主張とは単に自分を押し出すということではなく、自分の考え方をはっきり言うことであり、社会的に自分を他者に認めさせる (pg.41) ……自己留保とは、自己を消すことではなく、自己をいったんカッコに入れ…そうやって自己の力の発動を抑え、……あるがままをまず受け入れようとする (pg.42) ¶能動の立場にあっても、常に受ける側の情緒を配慮しながら話をしようとする傾向[鈴木注:中動態] (pg.46) ……受け身形[中動態]を使って「先生に叱られた」と言えば、自分という主体は見えてきませんが、能動形を使って「先生が私を叱った」 といえば先生と私の主体が向き合っているかたちになります。(pg.46) ¶「おのずから」は「自然に」ということですが、「自ずから」と書きます。ところが、「みずから」も「自ら」と書き、こちらのほうは「自分の主体において」を (pg.66)……ある人を好きになったのは、「おのずから好きになった」のであると同時に「みずから好きになった」 のだというセンスです(pg.66) ……「恋ふ」は、奈良時代までは「こちらから異性を求める」ことではなく、「異性に心を引かれていく」ことを意味していたそうです。自分では抵抗できない力の作用を受けている我が身という感じです。 (pg.68) ■著作一行紹介■知日派韓国人による日本人論で、日本人を受身的と捉えて、韓国・中国・欧米における人間関係の作り方、とり方、自然・労働への態度を解説していくが、惜しむらくは受動態と中動態の区別がないために主体性の濃淡や有無という一面的な切り口になってしまっている。 ▶要言一行紹介◀ 日本人は、主体が背景に退き、状況に自分が巻き込まれてしまい、その巻き込まれによって自分自身が変化を遂げるという、前アジア的感性を保っている。 FacebookXPocketCopy