❖人格❖ 職業ではなく人格による評価

Non fortuna homines aestimabo, sed moribus. Sibi quisque dat mores, conditionem casus assignat.

ノーン・フォルトゥーナ・ホミネース・アエスティマーボー・セド・モーリブス。シビ・クウィスクェ・ダット・モーレース・コンディティオーネム・カースス・アッシーグナト

人を評価するときには、その人の運ではなく人格によってだ。人格は自分で作るものだが、身分は偶然によるものだ。

(マクロビウス『サートゥルナーリア』第1巻11章10節)

■解説■
 無礼講の祭りサートゥルナーリア前夜(想定 383年12月16日)に、学識ある著名な非キリスト教徒(キリスト教の国教公認は380年)が、とある邸宅に集まり、祭りの最中に、様々な話題について議論をする。ここでの話題の一つは奴隷を見下す態度についてで、論客の一人は、ここで引用した文のように、身分ではなく人格によって人を評価するという意見を述べる。その根拠として、身分は運や偶然によるが、人格はその人自身が自らの意思で磨き上げて形成されるものであって、そこにこそ人間の真の価値があるからだと主張する。ただしこの意見は、セネカがその弟子ルーキーリウスが奴隷を自由人と同様に扱っていることを褒めている『道徳書簡』(第47書簡 15節)中にある考えを、言葉を数語入れ替えた表現である。

宴会の席で仕える3人の奴隷。左の奴隷は客の靴の世話をし、中央の奴隷はワインを差し出し、右側の奴隷は酔った客を支えている。こうしたいわゆる下賤な仕事をしていても、各奴隷には人格が備わっていることを、マクロビウスやセネカは認知している。(ダイニング・ルーム(トリークリーニウム), ポンペイ, ナポリ考古学博物館)

▶比較◀

馬を相(そう)する之を痩せたるに失(しっ)す、士を相する之を貧しきに失す。

(司馬遷『史記』滑稽伝・東郭先生, 前漢時代)

■解説■
 馬を見定めるとき、馬の体格が痩せていると、痩せが気になってその馬のもっている良い点を見落としてしまう。同様に、人を見定めるとき、その人が貧乏だと、その貧しさが気になって、その人の立派な人格や才能を見落としてしまう。


❖言葉❖ 文体は生き方の反映
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❖豊かさ❖ 満足する技法
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❖豊かさ❖ 向き合い方が肝心
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❖豊かさ❖ 執着からの自由
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❖豊かさ❖ 豊かさの極地
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❖豊かさ❖ 満ち足りた心が必要
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