◆死◆灰と影
Pulvis et umbra sumus.
プルウィス・エト・ウムブラ・スムス
私たちは灰であり、影である。
(ホラーティウス『歌章』4巻7歌16行)
■解説■
ホラーティウスは、春がやってきて新緑に包まれる自然を見て、春夏秋冬の循環を感じ、新緑からかえって人間が死すべき存在であることを感じ取ってしまう。また人間はひとたび死ねば、季節のように循環しこの世に蘇ることがなく、その侘しさをしみじみと味わう。だからどうしたらそうした虚しさを克服できるのかと、ホラーティウスは私たちに教えるわけではない。死ねば人間は焼かれて灰になり、死者の国では影となる。古代ローマでは共和制末期から帝政の初期の頃から土葬ではなく火葬へと埋葬習慣が移り変わっていた。また人間は死ぬと冥界に行くが、そこでは人は影となると信じられていた。
▶比較◀
誰か能く万年の春を保ち得たる。貴き人も賎しき人も惣べて死して去る。死して去っては灰塵となる。
(空海『性霊集』巻一・入山興 835年頃)
■解説■
富貴卑賤に関係なく、人はその若さを保つことができず、結局は死んでしまう。そしてその後は、灰や塵になる。そこには自我も永遠なるものなどない。だから、身体は不浄、五感は苦しみ、心は無常、存在は実体なしということを観想すべきであると教える。(参照 空海『般若心経秘鍵』)