マッカーサー証言「日本人12歳」の真意: 井沢元彦『「言霊」解体新書』

井沢元彦『「言霊(コトダマ)の国」解体新書』小学館文庫, 1993年

井沢による評価

 20世紀末の日本では、20世紀の最大の歴史的出来事であった太平洋戦争・大東亜戦争について、その戦争はそれまで主張されてきたほどに邪悪なものではなく、また国史上でも真っ黒な汚点とのみ評価するのは、「自虐史観」だということが喧伝された。事実、あの戦争について一方的な「自虐史観」の呪縛から国民を解き、啓蒙しようとする中学生向け教科書が文科省の検定を通過した。

 こうした修正史観に立つせよ、長らく支配的であった「自虐史観」に与するせよ、戦争突入への契機、戦争推進の画策者、戦意高揚の協力者、戦闘中や統治下の「残虐行為」を行った軍人・兵士などを論じる際に、ほとんど必ずといってよいほど頭によぎるのは、東京で占領政策を指導した司令官ダグラス・マッカーサーの「日本人12歳論」である。

 日本の歴史を、言霊への自覚的な信念、穢れへの敏感な意識、怨霊への深い恐れ、和への執着という観点から読み直す作業を続け、日本史を一般読者にわかりやすい文体で物語る井沢元彦は、次のように述べている。

半世紀以上前、戦争に敗れた日本人に「民主主義」を指導した、司令官ダグラス・マッカーサーは、「日本人12歳論」を唱えた。正確に言えば議会での質問に答えて「アングロ・サクソンは(科学や文化において)45歳の壮年に達しているが、日本人は生徒の段階で、まだ十二歳の少年である」と言ったのだ。

「言霊の国」解体新書』139ページ

井沢は、この引用に続けて、「こんな屈辱的発言」とこの発言を評価し、なぜ「屈辱的」かといえば、「たとえば美術や工芸について言えば」、「日本の方がアメリカよりはるかに大人だと思う」からだという。とはいえ、マッカーサー発言が的を射ていると思える分野もあるという。平和と唱えていれば平和が維持されるという言霊信仰に陥り、軍隊であるにもかかわらず自衛隊と呼ぶことで、戦いと死の穢れから自由になっていると思い込む、「国防あるいは平和といった問題」である。

「屈辱的発言」の真意

 こうした井沢の主張は、主張内容の正誤は別として、マッカーサーの発言の意図を正確に反映しているとは思えない。マッカーサーは、好戦的で頭ごなしに敵を見下すという軍人につきまといがちなイメージからはほど遠い人物だということが、この「屈辱的発言」の前後を読むだけでもわかる。

 そもそもこの「屈辱的発言」は、「議会での質問に答えて」いるのではなく、上院軍事委員会という委員会中の発言であり、議会という言葉から連想されるような本会議での発言ではない。そしてこの発言は、委員の一人である上院議員に対しての証言であって、証言にふさわしく、発言の内容は用意周到な表現でなされている。

The German people were a mature race. (1)If the Anglo-Saxon was say 45 years of age in his development, in the sciences, the arts, divinity, culture, the Germans were quite as mature. The Japanese, however, in spite of their antiquity measured by time, were in a very tuitionary condition. Measured by the standards of modern civilization, (2)they would be like a boy of 12 as compared with our development of 45 years. (Senate Committees on Armed Services and Foreign Relations (1951), p. 312)

ドイツ人は成熟した民族だった。(1)仮にアングロ・サクソン[英米]が、科学、芸術、宗教、文化といったその成長段階からたとえば45歳であるとすると、ドイツ人[アーリア人]も同じように成熟していた。ところが日本人は、国史の長さからすればはるかに古いが、まだまだ教育を受ける段階にあった。近代文明という尺度からすれば、私たちが45歳であるのに対して(2)12歳の少年のようなものであるだろう

証言は、朝鮮戦争の戦線拡大路線を図ろうとするマッカーサーが解任され、本国に召還され、解任の正当性をめぐり判断を下す委員会でのものである。そしたいま引用した証言内容は、戦前から占領下までの日本についての言及のなかで出てくるものである。問題になっている箇所は、占領下の政策について、日本のそれをそのままコピーしてドイツに適用してもうまく機能しないという文脈での発言である。

 英文の下線部を見ればわかるように、これは仮定法で、そういう事実があると断定しているのではない。「12歳の少年のようなものであるだろう」と夢想していっているのであって、12歳程度の成長段階であるとはいっていない。井沢が指摘するように、英米は「四十五歳の壮年に達している」ともいっていないし、日本人は「まだ十二歳の少年である」ともいっているのではない。あくまでも仮にの話として、来日したこともなく、その占領政策がどれほど深く日本人に歓迎され、その政策が日本に根付こうとしているかもよく理解していない議員に向かって、占領政策の意義を説くために比喩として述べているのに過ぎない。

 そもそもこの「屈辱的発言」の前には、マッカーサーは自由の護持という問題について、議員(ルイジアナ州選出ラッセル・B・ロング上院議員)からの質問を受け、長らく権力に追従する「自発的な奴隷」であった日本人が、個人の自由という概念を知り、それを国の政治制度として実現してもよいのだと気づいたのは、75年ほど前、つまり明治末期になってからであると答えて、まだまだ日が浅いのだという(念のためだが、明治以後、ルイジアナは日本からの生糸の輸入先として日本と深い関係にあった)。そして占領政策を通じて、日本人が自由を享受できるようになったので、日本人は占領政策に称賛の声をあげており、だから、日本人は自由を手放すことはないという。

 これに対して、同議員は、ワイマール時代のドイツは自由であったが、ドイツ人はその自由をヒットラーに委ね、自由を放棄してしまったではないかという。だから日本も同じ轍を踏むのではないかと匂わせると、マッカーサーはそれに対して、ドイツと日本は自由を受容してきた歴史の長さが違うという。

 イギリスの歴史は1066年のノルマン・コンクエストから始まり、ヤマト政権が誕生した6世紀よりも400年遅れ、またアメリカの歴史は1620年のメイフラワー号からなので千年以上も後になる。だから日本の方が、英米よりも「国史の長さからすればはるかに古い」。しかしイギリスの「自由」は1215年のマグナ・カルタから、アメリカの「自由」は1776年の独立宣言からで、日本の「自由民権」は明治初期の板垣退助らの「民撰議院設立建白書」(1874年)とすると、イギリスからは650年、アメリカからは100年遅れということになる。

自由を学修できる日本人

 そしてマッカーサーの言わんとすることを補えば、明治から昭和初期にかけて、日本はガラスの国産化が象徴するように科学技術を英米から輸入し、シェイクスピアに代表される欧米文学を取り入れて新文学を開拓し、西南学院や関東学院(マッカーサーはバプテスト)のような知的なキリスト教を受容し、さらにはチョンマゲや髪結を西洋風の断髪へと改めていった。しかし明治から昭和にかけての期間たるや「75年」程度であって、世界的な発明がなく、世界文学を生み出さず、天皇は神の子孫だと教えられ、世界を魅了する文化財もなく、「文明開化」と「啓蒙」は、20世紀末葉の日本のように、国民生活全体に深く根付くところまではいっていなかった。日本人はドイツ人と異なって、まだまだ学習によって学ぶべきことが多く、その伸びしろが先に先に広がっているといっているのだ。だからこそ、この「屈辱的発言」の直後で、マッカーサーはこう述べている。

Like any tuitionary period, they were susceptible to following new models, new ideas. You can implant basic concepts there. (312)

教育の受ける段階にあるときがそうであるように、日本人は、新しいモデル、新しい考え方を吸収しやすいのです。[自由、民主主義、機械文明などの]基本的な信念は日本に根付くのです。

それに対して、ドイツは熟年に達し、英米に通じる価値観や世界観はすでに習得しているから、いまさら自由の尊さ、機械文明のすばらしさ、英米文化の卓越性、宗教観念の必要性などを唱導しても、聞く耳は持っていないといっている。

 もちろんマッカーサーの時代には、文化人類学者ヘンリー・モーガンに代表されるような普遍主義、すなわちヨーロッパ白人は他の人種に比べ文明と文化と水準において格段に進化し、他の人種に圧倒的に優るという白人優越観が支配的であった。しかもそこには博愛のキリスト教こそ真の宗教であり、他の宗教は低い発達段階にある有色人種があみだした迷信といったキリスト教優越観もからんでいた。だからマッカーサーの発言は、世界の支配者たるべき白人は、戦争に負けた黄色人種の日本人を搾取するのではなく、優しくもあり厳しくもある父親として、政治・土地・教育などの制度改革を行い、生活環境を整えてやって、健全な人間として育つように、啓蒙し、教育してあげなくてはならないという温情からのものである。

 これを1960年代以降に人々の間で理解されるようになってきた文化相対主義や、現在、政策としても実行されている多文化共生といった視点から批判するのは容易である。しかし当時の時代精神の文脈に、いわゆる「日本人12歳」発言をおいてみれば、これはそうだと断定しているのではなく、博愛に基づいた偏見からの比喩であったことに留意する必要がある。

 なおマッカーサー解任の報を受けて、当時の日本の新聞の社説はまさに育む父親としてのマッカーサーの温情主義に感謝している。「日本国民が敗戦という未だかつてない事態に直面し、虚脱状態に陥っていた時、われわれに民主主義、平和主義のよさを教え、日本国民をこの明るい道へ親切に導いてくれたのはマ元帥であった。子供の成長を喜ぶように、昨日までの敵であった日本国民が、一歩一歩民主主義への道を踏みしめていく姿を喜び、これを激励し続けてくれたのもマ元帥であった。」(朝日新聞 1951年4月12日朝刊)

(文中, 敬称略)


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