❖貪欲❖ 満たされない心
Semper avarus eget.
セムペル・アウァールス・エゲト
貪欲な人にはいつも何かが欠けている。
(ホラーティウス『書簡詩』1巻2篇56行)
■解説■
ホラーティウスが、戦役から帰還し弁論術を習っていた若い将校に贈った詩。ホラーティウスはちょうど古代ギリシア詩人ホメーロスの作品(『イーリアス』と『オデュッセイア』)を読んでいたので、これらの作品の叙述をストア哲学にもとづいて解釈しながら、将校に教訓を授けている。
貪欲な人とは、節制を持ちえない人のこと。トローイアを滅ぼし、故国のイタカに戻るウリクセース(オデュッセイウスのラテン名)のような人とは真逆のタイプ。ストア哲学では、楽しみたいと思うなら、そもそも自分の欲にはっきりとした限界を設けて、欲望の限界を超えて危険を冒してまで楽しみを手に入れるべきではないと教えている。
もっとも英雄ウリクセースは魔女キルケーの館で一年もの間、過ごし、一子を授かるなどの、快楽に溺れる面も持っていた。しかしホラーティウスは、英雄がキルケーを従属させたことにだけ注目している。
似た至言として、「足るを知る者は真の富者にして、貪欲なものは真の貧者なり。」(ギリシア七賢人・ソロン 前640年頃〜前560年頃)がある。

▶比較◀
足るを知る者は富む。
(『老子』33章 )
■解説■
他者との競争よりも、自分との対話と成長を重視する生き方が、持続的な幸福と安定につながることを直前で説き、この言葉がそれに続く。他者との比較することではなく、自分自身の今の境遇に満足することを知っている者が、本当に豊かな人間であるという。ただしこの直後で、今の境遇を改善すべく努力を続ける志を持つことの必要を教えている。
ホラーティウスが「何かが欠けている」と表現した貪欲な状態を、老子は「富んでいない」状態と捉えている。たとえ物質的にどれだけ多くを持っていても、心に満足がなければその人は貧しいままである。逆に、多くのものを持たずとも、今あるもので満ち足りていると感じられる心を持つ人こそが、真に「富んでいる」のだと説いています。 ホラーティウスと表現こそ異なるが、外面的な所有物の量ではなく、内面的な心のあり方が豊かさを決定するという点で、ホラーティウスの言葉と本質を同じである。
