❖言葉❖ 外的表明と内面の感情との不一致

Turpe est aliud loqui, aliud sentire; quanto turpius aliud scribere, aliud sentire.

トゥルペ・エスト・アリウド・ロクィー・アリウド・センティーレ、クワントー・トゥルピウス・アリウド・スクリーベレ・アリウド・センティーレ

話すことと感じることが異なるのは恥ずべきことである。書くことと感じることが異なるのは、なおさら恥ずべきことである。

(セネカ『道徳書簡』第24書簡19節)

■解説■
 この書簡の中で哲学者セネカは、死への恐れ、人生の苦難に対する恐怖といかに向き合うべきかを論じています。セネカは、哲学を学ぶ者は、ただ口先だけで死を恐れないと言うのではなく、心からその境地に達していなければならないと説きます。 この引用文は、まず自らが語る信念と自らが感じる内心が一致しないことの偽善性を指摘します。そして語っていることと感じていることの間に齟齬があるにもかかわらず、恥の上塗りというべきか、語るにとどまらず文として形で後世に残すことを厳しく非難しています。このように、セネカは、内面的な徳や感情が外面的な言動と一致する誠実さを非常に重んじていました。

▶比較◀

言(げん)を為(な)すに忠(ちゅう)を主(つかさど)る。

(孔子『論語』為政第二)

■解説■
「言葉を発するときは、誠実さを根本にしなさい」。孔子は、言葉の力を非常に重視しました。言葉は人間関係を築く基盤であって、政治・教育・礼儀のすべてに関わっています。ですから、言葉は相手への誠意と自己の真実に基づいて発せられなくてはならないというのがこの教えの核心です。なお儒教において「忠」は、自分の内面に正直であることを意味します。
孔子のこの言葉は、セネカの言葉と同様に、言葉と内面の誠実さの一致を重視しています。しかし、孔子の教えは、社会的な調和を重視する儒教の思想に基づいているため、共同体における振る舞いの規範としての誠実さを強調する傾向があります。それに対してセネカの方は、内面的感情と外面的振る舞いとが一致するよう、個人の内面的な葛藤に焦点があたっています。


❖言葉❖ 文体は生き方の反映
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❖豊かさ❖ 満足する技法
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❖豊かさ❖ 向き合い方が肝心
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❖豊かさ❖ 執着からの自由
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❖豊かさ❖ 豊かさの極地
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❖豊かさ❖ 満ち足りた心が必要
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