◆死◆恐怖を抱かない

Adeo mors timenda non est ut beneficio eius nihil timendum sit.

アデオー・モルス・ティメンダ・ノーン・エスト・ウト・ベネフィキオー・エイウス・ニヒル・ティメンドゥム・シト

死のおかけで恐れるものか消えるのだから、死は恐れるには及ばず。

(セネカ『道徳書簡』第24書簡11節)

■解説■
 人々は死ぬことに対して極度の恐怖を抱く。しかし少し考えればわかるように、怖いものは、死それ自体ではなく、恐怖の方にある。死んでしまえば恐怖を感じることができなくなるのだから、実際には死そのものを恐れているのではなく、死がもたらす今の生を失うことを恐れていることになる。ではそういう恐れに今の自分が翻弄されないようにするにはどうすればよいのか。心の平静(securitas セークーリタース)を(つちか)えばよいという(第4書簡5節)。 こうした平常心の勧めに痛烈な皮肉を浴びせたのが、フランスの警句家ラ・ロシュフーコーで、「賢者の不動心とは動揺を心の中に閉じ込める技術にすぎない。」(警句16)と批判している。

セークーリタース女神(オトー皇帝のコイン, 69年)。ネロ皇帝の逃亡と自殺、ガルバによる皇帝簒奪、そしてオトーによるガルバ殺害と、死はオトー皇帝にごく身近な存在であった。

▶比較◀

大塊(たいかい)、我を息(いこ)わしむるに死を以(もっ)てす。

(『荘子』大宗師, 先泰時代)

■解説■
 自然が私に休息を与えようとして死を授け、自然の中で私を存続させてくれる。大塊は、中国思想では宇宙や自然をさす比喩表現で、荘子では、万物を育む大自然の力をさす。死を不自然なものや恐れるべきものとは考えず、大いなる自然の力が働くなかでの一つの節目であり、死を介して人は大塊=自然の一部へと帰り、再びその循環の中で新たな形をとると考えられている。


◆死◆恐怖を抱かない
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◆不幸◆現状に満足できず他を求める
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◆運命◆人をもてあそぶ女神
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◆無秩序◆混沌
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◆無秩序◆自然発生と四大
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◆運命◆ むごい仕打ち
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